「どうぞ……」
「ありがとうございます!」
あれから数分後、高海と曜の部屋で、俺は無事桜内さんにサインを貰う事ができた
「あのさ……」
高海が重い口を開く
おお、どうした高海。そんな暗い顔お前には似合わないぞ
まあ、理由は解ってるんですけど
「本当に曜ちゃんとは何もしてないの……?」
「しつこいな。筋トレしてたんだって」
何度目だこの質問
曜も曜でこの質問が出る度に耳を赤くして俯くのをやめろ
そもそも、何かあって嫌ならお前も曜と俺の部屋に来れば良かったんだ。どうせ、俺の部屋には順番で行くみたいな変な取り決めが有るんだろうが、そんな事は俺には関係ない
このままでは、桜内さんが困ったままだ。それでは客人に対してあんまりだ
「なあ、そろそろ機嫌直してくれよ。渡辺、お前も何とか言ってくれ」
「ぁ……うん……」
淋しそうな顔をする曜。クソ、そんな顔しないでくれ。さっきまでのグイグイ来る感じは何だったんだ
「あー……曜、何とか……」
「私も千歌って呼んでくれたら機嫌直す」
「解った。解ったよ、千歌。だからさ、桜内さんが困ってるからこの件はこれで……」
「いいじゃないですか、市ヶ谷さん。女の子の無茶を聞いてあげる男の人って素敵ですよ」
ニコニコと笑う桜内さん
しまった。この人楽しんでるな?
とはいえ、サインの事もあるので桜内さんにはあまり強く出られない。何らかの方法で恩を返さねば……
恩? あ、そうだ。桜内さんがここに来た理由をすっかり忘れていた
多少強引だが、理由付けとしてはまあそこまで破綻してはいない筈だ
「桜内さん。あなた、確か財布無くしたんですよね」
「えっ、まあ……そうですね、はい」
「じゃあ、自分も探すのを手伝いますよ」
「えっ」
最後のは曜と千歌だ
今の時刻は1432
幸い探し物が困難になる日没までは少し時間があるが、それでも急ぐに越したことはない
俺と曜、千歌、そして桜内さんを含めれば4人。二人組に分ければ、効率良く探せる筈だ
「良いんですか? 折角のお休みに……」
「良いんですよ。サインのお礼です。それに、明日も日曜日で休みだし、買い物にも行きたかったんで」
「それじゃあ、お願いしようかな」
ふわりと微笑む桜内さん。やっぱり美人だなあ。千歌や曜とは違うタイプの美人
「はぁ……じゃあ、私も手伝うよ。千歌ちゃんは?」
「私も手伝う。で、梨子ちゃん? 今日行った所全部教えて?」
「えっ」
突然狼狽える桜内さん。確かに、少し言い辛いかもしれない。そもそも覚えてない所もあるだろう。でも、それが解らなければ探すことも出来ないんだ
「えっと……」
携帯を開いて何やら打ち込む桜内さん
すぐに打ち終わり、携帯をこちらに向けて差し出す桜内さん
“駅→駅ビルの楽器屋→南口の同人ショップ→北口のメイド喫茶”
そっとしておこう。俺にだってそう言う趣味が無い訳じゃない
メイド喫茶への地図を片手に細い路地を歩く
俺と千歌がメイド喫茶、残りの二人が可能性の低い楽器屋と同人ショップを回る事になった
気温は下がり始めているとは言え流石に8月は熱い。財布が無いか訊くためだけに入店するのも気が引けるし、アイスコーヒー位は頼むか
機嫌を直したのか、軽い足取りの千歌が俺に訊ねてくる
「航くんはメイド喫茶とか行ったことある?」
「俺は無いなぁ……千歌は?」
「私は何度か……あ、あそこだね」
某激安ジャングルのビルに入ると、エレベーターで5階へと上がる
アニメ声のメイドさんに少々過剰な接客を受け、二人掛けの席へ案内される
へえ、水出さないのか。なんて言いながらメニューを開くと、驚きの世界が広がっていた
「アイスコーヒー700円だと……?」
「そんなもんだよ。あ、私レモンティーで。彼にはアイスコーヒーを。良いよね?」
「あ、おう」
なんだ。なんか余裕だなコイツ。不覚にも少し格好良いと思ってしまった
しかし、700円か……そもそも、ここは飲食店と言うより、ライブハウスとか、そう言う感じに捉える物なんだろうか
「えっ!? 本当に!? はい、お願いします!」
メイドさんと何やら話していた千歌が、急に大声を出すもんだから、俺は思考をブッた切られた
「どうしたよ、驚かしやがって」
「今日ね! あの伝説のメイドミナリンスキーさんが来てるんだって! しかもね!? ミナリンスキーさんって、あのμ'sの南 ことりさんなんだよ!? あの、全スクールアイドル憧れのμ'sの南ことりさん! 私達の注文持ってきてくれるって! あああぁぁぁ来て良かったよぉ……」
興奮気味にまくし立てたと思ったら、恍惚とした表情をする千歌。正直、見ていて面白いが、それどころではない
南だと?
あの、南ことり? よりによってこんな所で? あ、でも仕事中であるだけマシなのか? いや……
「高海、今から俺は田中だ。この店の中では俺の事は田中だと思え」
「え? まあ、良いけど」
流石だ千歌。愛してる
大丈夫。10年近く会ってないんだ。それに、こんな所で一々客の顔を見ているとも思えん。誤魔化せる。よし
「お待たせしました~アイスコーヒーとレモンティーですー。ミルクと砂糖お付けしますか~?」
脳を溶かすような甘ったるい声が耳朶を打つ
顔を上げると、少し大人びた顔になっているが、すぐに南と解った
「いや、ミルクも砂糖も大丈夫です」
「かしこまりました~」
よし、気付いてない。このまま……
「市ヶ谷 航くん。コーヒーはいつもブラックだよね」
南ことり。もとへ、ミナリンスキーさんの動きが止まる
そして俺の心臓も止まる
「えっと、千歌さん? 僕は田中だよ?」
「あ、そっか。ごめんね航くん」
してやったりとにやける千歌
コノヤロウ……
「えっと、千歌さん……で良いのかな? お店出たら16時にこのビルの向かいの喫茶店にこの人連れて待っててもらえる? お礼はするから」
南さんが千歌に顔を近づけ、囁くように告げる
「はい、良いですよ」
終わった
とりあえず、味のしないアイスコーヒーを飲んだ後、千歌に引っ張られて激安ジャングルの向かいの喫茶店に入った事までは覚えている
喫茶店の一番奥にある四人掛けの席で待っていると、少し遅れて南が入店してきた
「お待たせ。市ヶ谷くん、千歌ちゃん」
「あ、全然待ってないですよ!」
南が俺の向かいに座る
高海は南の隣
あれだ。高校入試とか入社の面接の時こんな感じだよね。圧迫感とかそっくり
うれしそうだね。千歌さん。君スクールアイドルのファンだったんだ。どっちかと言うとスクールアイドルやる方なイメージなんだけど
「えっと、南さんと航くんって、どういう関係なんですか……?」
「幼なじみ……かな? 中学まで同じ学校だったんだ」
「えっ……?」
千歌が驚いた顔をする
そりゃそうだ。俺の年齢の話なんてしてないんだから
「で、市ヶ谷くんは今何やってるの?」
そんな千歌を置いて、南は俺に話を切り出す
「大学生です……」
「自衛隊の高校入ったって話は?」
「卒業後任官して去年まで自衛隊に居ました……」
「ふうん。じゃあ学校も含めると9年間居たの?」
「はい……」
ヤバい。何がヤバいって千歌が聞いてる。俺の年齢の話はもっと仲良くなってからそれとなくなんでもない風味に話そうと思ってたのに
そういや俺24歳なんだよねー
あ、そうなの。そう言えば、課題終わってる?
みたいに終わらせたかったのに
「えっと……じゃあ、航くんって今……」
「24歳。私と同い年だよ」
メイドさんスマイルでトドメを刺す南さん。プロの殺し屋みたいで格好良いと思いますよぼかぁ
まあ、一番触れられたくない事にはまだ触れられてはないし、まあ大丈夫かな……千歌と曜の二人からは避けられるかもだけど
オッサンキモー☆ とか言われて。あ、ヤバい泣きそう
「あれ、それじゃあ、なんで航くんは自衛隊止めて大学に……?」
「あ、それは私も知らないんだ。市ヶ谷くん、何で?」
はい、一番触れられたくない所頂きました
「あー、あれよ……やっぱ俺はそんな縛られるような真似は似合わないかなって……」
背中に汗が滲む
多分、暑さのせいじゃない
酷く口の中が乾く。コーヒーを口に運ぶ右手さえ酷く震えている
「やっぱいいや。言いたくなければ良いよ」
テーブルの上で握り締めていた左の拳に南がそっと手を重ねる
「あ……うん、ありがとう……」
自然と身体の力が抜ける
同時に左の掌に鋭い痛みが走る
これは強く握りすぎて切ったな……
「はい、これ、私のアドレスと番号。また四人で会おう。千歌ちゃんも、今の市ヶ谷くんの話を聞きたいから、登録してくれると嬉しいな」
「は、はい……」
それから、千歌はずっと俯いていた
まあ、そりゃそうだ。それなりに信頼していたであろう男が、自分からは訊かなかったとは言え年齢を隠していて、その上人殺しの訓練やってたんだ。多少ショックを受けてくれたのは、逆に俺には救いなのかもしれない
“お財布見つかりました。駅のトイレにあったよ!”
「だってさ。千歌」
「あ、見つかったんだ。良かったねぇ」
千歌が俺の携帯を覗き込み言う
結局、買い物をして帰る頃には1840を回っていた
さっきの話を聞いた千歌は、何を言うでもなく普通に俺と接しようとしていた
正直、ぎこちなさはあるし、何を考えているか解らないのが少し怖い
「今日のご飯どうするの?」
「カレーかなぁ。ちょっと疲れたから明日は俺料理したくない」
「そっか」
それっきり、俺も千歌も、何も言わずにアパートまで戻り、何も言わずにそれぞれの部屋へ戻った
多分、これで良いんだ
秘密がバレたときっていろんな人の心でいろんなことがあるんだろうけれど、僕は曜の手料理をご馳走になったりしていた。けど僕の近くで曜の危ない行動を止めようとして、逆に僕は曜の身体を抱き締めてしまった。
次回ターンA曜「曜のダストブロー」
殺意の風が渦を巻く。
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