Monster Hunter Pioneer〜少女と竜と『その他』の物語〜   作:アリガ糖

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11、血溜まりの畜生

ネロの最後の足掻きによって、ケチャワチャは左爪と左耳を失いました。

 

それは、この孤島での戦いにおいてケチャワチャが初めて負った、明確な負傷でした。

いえ、それどころか、左爪の破壊音の直後に生存本能が働いていなければ、そのまま首を斬られていた可能性すらあります。もしそうなっていれば、流石のケチャワチャと言えど生きてはいられなかったでしょう。

つまり、さっきの一閃で、ケチャワチャは危うく殺されかけたのです。それも、自分の実力をも上回る強者にではなく、自分に弄ばれてばかりだった弱者に。

 

──それはケチャワチャにとって、とても看過できる事実ではございませんでした。

 

 

攻撃を一点に集中させることでケチャワチャの左爪を破壊し、そのままの勢いで耳まで切り飛ばすという離れ業をやってのけたネロに、しかしなおも油断はありません。

手傷を負わせることには成功したとはいえ、相手は未だ大部分が健在で、十分に戦闘を続行できるほどの余力があります。同じ手が二度も通じる手合いではありませんし、ここからは、ケチャワチャも一切油断なく全力でネロを仕留めに来るはずです。左爪が半ばから折れたことにより防御能力の低下こそ見込めますが、本気を出してくることを差し引けば戦闘力はむしろ上がると考えて差し支えないでしょう。

その相手を、尽きかけた体力でしなくてはならないのですから、油断など出来ようはずもございませんでした。

 

なんにせよ、一矢報いることには成功しました。

後は、残った力を振り絞って、1秒でも多く時間を稼ぐだけ──

 

 

 

────ズッギャアアァァァァアアンン!!!

 

 

 

直後、激しい衝撃と共に、ネロの意識は吹き飛ばされました。

 

浮遊感に包まれ、衝撃が打ち据え、世界が回り……そうしてネロの小さな身体は、捨てられた玩具のように弾き飛ばされ、無様に地面を転がります。

 

しばしの後、間近で香る土の匂いで、ネロは自分が倒れていることに気付かされました。さらに少しの間を置いて、肩口から脇腹にかけて迸る熱によって、ネロは自分が斬られたことに気付かされました。

そして理解したのです。これが正真正銘、ケチャワチャの本気なのだと。これまでの戦いは、奴にとって所詮ただのお遊びでしかなかったのだと。

 

──まるで、見えなかった。

 

油断は一切ありませんでした。

疲労はありましたが、集中力は極限まで研ぎ澄まされておりました。どれほど苛烈な攻撃が来ようとも、時間ぐらいは稼いでやろうという気概がネロにはありました。

 

……ですが、何も出来ませんでした。

 

本気を出したケチャワチャの実力の前には、たったの一合さえ持たせることが出来なかったのです。

 

 

──ドス…ドス…ドス…ドス……

 

地面が近いせいか、足音が妙にはっきりと聞こえてきます。

一定のリズムを刻むそれは、ネロの残りの寿命を示す秒針の音でもありました。

 

もはや、命運は尽きたのです。

 

自らの覆し様のない死を悟り、ネロは静かに瞼を閉じます。

覚悟はできていたことでした。あるいは、この戦いが始まるずっと前から。ハンターなどというヤクザな商売をするのですから、その命が失われる可能性があるということぐらいは、とうの昔から知っておりました。

むしろ、自分の死が原因で、仲間の命まで諸共失われることさえ珍しくないこの世界で、仲間が逃げる時間を稼いで死ぬと言うのは、かなりマシな死に方であるとも言えるでしょう。

 

……それなのに、わかってはいたはずなのに。

いざ実際に死を目の前にしてみると、湧いてくるのは余計な思考ばかり。楽しかったこと。苦しかったこと。共に乗り越えたこと。やりたかったこと。やろうと言ってくれたこと。日常の中で交わした小さな約束。普段であれば覚えてもいないようなことが、嫌になる程鮮明に思い出せます。

 

ネロが死んだら、きっとアリスは悲しんでしまうでしょう。

今はただ、それだけが、気掛かりで──

 

 

 

……。

 

 

…………。

 

 

………………。

 

 

 

しかし、どれほど待とうとも、トドメとなる攻撃がネロの体を引き裂くことはありませんでした。

 

その代わりに、ネロは聞いたのです。

遠くの地面から響く、ドタドタと騒がしい、群れの足音と……

 

 

 

「アッ、アッ、オーウゥ!」

 

 

──この地域のハンターなら誰もが聞いたことのある、間の抜けた鳴き声を。

 

 

***

 

 

ケチャワチャは、これまでにないほどに苛立っておりました。

 

左爪や左耳の痛みは、それほどでもありません。いえ、正確には普通のケチャワチャにとっては、重要器官である前脚の爪と耳の欠損はそれこそ悶絶モノの激痛を伴う重傷であるはずなのですが、このケチャワチャにとってはもはや痛みなどというものは、感じる価値すら無い瑣末な機能に成り下がってしまっていたのです。

それよりも何よりも、ケチャワチャは己が弱者にコケにされたことが気に食いませんでした。本気を出せば一撃の元に叩き伏せられるようなちっぽけな相手に、あろうことが左爪と左耳を奪われ、それを嘲笑されるなど、到底許しておけるものではありません。

故に、ケチャワチャは己にそんな苦痛を味合わせた相手を、確実にこの世から消し去るために、先程力任せに吹き飛ばしてしまったその先に、ゆっくりと歩み寄ります。

 

痛みも、空腹も、そういった本能的な感覚は全て忘れ去り、ただ狂気と怒りに身を任せる。その姿はさながら、気狂いの人間のようでもございました。

 

 

 

 

「アッ、アッ、オーウゥ!」

 

 

しかし、そんなケチャワチャの歩みは、突如として背後から聞こえてきた、間の抜けた鳴き声によって、中断させられます。

それは、この地域のハンターであれば、誰もが聞いたことのある鳴き声。そして、このケチャワチャもまた、大いに聞き覚えのある声でございました。

 

本来なら、己のプライドを傷付けた怨敵を処理しようというこの時に、いくら外野の声があろうとも、その歩みを止めるべきではありません。既に相手は死に体で、到底自力で動ける状態にあるとはとても思えませんが、万が一にも仕留め損ねるようなことがあってはならないからです。

 

ただ……それでも、振り返らずにはいられない理由が、振り返らねばならない理由が、このケチャワチャにはあったのでした。

 

ケチャワチャがネロから視線を外し、さながら亡霊のようにゆらりと鳴き声が聞こえた方向を振り返ると、そこには、獲物を見るような目でこちらを見据える、ドスジャギィの群れの姿がありました。

 

直後、ドスジャギィの鳴き声によって合図を受けた大勢のジャギィやジャギィノス達が、ケチャワチャを逃すまいと取り囲みます。

 

つい先日、縄張りを争っていたアオアシラが斃れたことで勢力を広げ、繁栄の最盛期を迎えているドスジャギィの群れは、棚ぼた的に目の前に現れた手負いの獲物に、歓喜の叫び声を上げました。

見たところ、相手はドスジャギィよりも少し大きいぐらいといった程度の体格で、強大な肉食竜というわけでもなく、身体中に傷を負いいくつかの部位も欠損した死にかけの個体です。群れで襲い掛かれば難無く仕留められそうな相手、しかもあれだけ大きければ相応に食いでもありそうですから、彼等の歓喜も当然と言えるでしょう。

愚かにも縄張りに踏み込んだ小さい獲物を追っていたら、思いがけない幸運に巡り合うことができました。どうやらその小さい獲物には逃げられてしまったようですが、目の前の収穫を思えば、その程度のことはさして気にもなりません。

 

不幸にも最盛期の群れの縄張りに踏み込んでしまった手負いの獲物を憐れみつつ、ドスジャギィは部下達にその獣を仕留めるように指示を出しました。

 

 

 

────狗竜達の宴は、一瞬のうちに鮮血の惨劇に変わり果てます。

 

 

先陣を切ってケチャワチャに襲い掛かった3頭のジャギィは、瞬く間に胴体から真っ二つに切り裂かれ、肉片となって飛び散りました。

何が起きたのかを理解する間も無く、ケチャワチャを取り囲んでいたジャギィノス達が首を斬り落とされ、鮮やかな血を孤島の岩盤に撒き散らします。

あまりに予想外の事態に呆けていたドスジャギィも、間も無く頭を真っ二つに引き裂かれ、あっさりとその命を散らしました。

群れの長であったドスジャギィが地面に崩れ落ち、ようやく己の身に迫る危機に気付いたジャギィやジャギィノス達は、命惜しさに我先にと逃げ出します。ですが、その決断はあまりにも遅く、凄まじい執念と速度でもって追い縋るケチャワチャに、彼等は片っ端から殺されていきました。

 

ドスジャギィの群れを殺戮するケチャワチャは、これまでとは明らかに様子が違っておりました。どこか飄々と、戦いを愉しんでいるような雰囲気や、相手を弄ぶために手加減を加えるような余裕は全て消え去り、ドス黒い憎しみと激情で修羅の如き形相を浮かべながら、極めて効率的に狗竜達を殺害していきます。

それは、他の生き物に向けるモノとは根底から異なる冷徹な殺意であり、また、恐怖でもありました。

 

そうして、逃げ惑うジャギィ達を無残な肉塊に変えていったケチャワチャは、しかし最後の1匹に手をかけようというところで、折り取られた左爪のリーチがあと数センチ足りず、手の届かない洞窟の中へと逃げ込まれてしまいます。

怒りで我を忘れていたケチャワチャは、なおも執念深くジャギィを追おうと洞窟の中に体を突っ込みますが、流石に入らないものはどうすることもできません。いくら戦闘に秀でているとは言っても、硬い岩盤を破壊できるほどの力は、ケチャワチャの体にはありませんでした。

 

そうしてしばらくの後、ようやくある程度の冷静さを取り戻したケチャワチャが、血溜まりに佇んで周囲に視線を巡らせると、無数に転がる狗竜達の死体の中に、先程自分と対峙していた人間の姿がどこにも無いことに気付きました。

 

 

──逃げられた。

 

その事実に、ケチャワチャの中で再び沸々と怒りが湧き上がりますが、その怒りをぶつける先はもうどこにもないと、すぐに冷静さを取り戻します。

そして、怒りや興奮といった感情が消えていくと、ケチャワチャはここまで来て漸く、自分が空腹であったことを思い出しました。一時の感情によって、本能的な感覚をほぼ完全に失ってしまう。それは生物としては完全に終わっている状態ではありましたが、ケチャワチャにとってはどうでもよいことでした。

 

一度空腹を思い出してしまえば、それは耐え難い苦痛となってケチャワチャの身に襲い掛かります。なにしろ、このケチャワチャは遥か海を渡りこの孤島に至るまで、一食たりともまともな食料を口にしていなかったのです。その上で体力を消耗するような戦闘行為を繰り返したのですから、極度の飢餓状態に陥るのは当然と言えました。

そうともなれば、すぐさま食料を探し当てる必要があります。しかし、思い返せばケチャワチャは、この孤島にたどり着いてから一度も己の主食たる甲虫種に巡り合っていないので、闇雲に探しても見つかる可能性はかなり低いと言わざるを得ません。

 

いったいどうしたものか……ケチャワチャがしばしその場で思案していると、突如としてその頭上から、吹き下ろす風と共になんとも芳しい甲虫種の臭いが漂ってまいりました。

そして、その瞬間にケチャワチャは思い出します。あの二人の人間の狩人と対峙していた時にも、同じような匂いが上から漂ってきたことを。

 

そのことが示す事実は、考えるまでもありません。

この岩盤を登った先に、食料となる甲虫種の巣があるのです。上部に張り巡らされた糸のようなものは、この見知らぬ土地に生息する甲虫種が作り出したものなのでしょう。

 

まさかこれほど近くで食料にありつくことが出来るとは。

 

ケチャワチャは己の身に降りかかった幸運を喜びつつ、甲虫種の巣があるであろう岩盤の上へ──

 

 

 

 

 

──オルタロスが築き上げた罠の中へと、登っていくのでした。

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