Monster Hunter Pioneer〜少女と竜と『その他』の物語〜 作:アリガ糖
芳しい甲虫種の匂いに誘われたケチャワチャは、前脚と後脚の爪をそれぞれ一本ずつ失っているにも関わらず、持ち前の身軽さでもって切り立った岩肌を器用に登っていきます。
普通のケチャワチャであれば到底できないような芸当を、しかしこのケチャワチャは平然とやってのけました。何度も壁にぶち当たり、幾度となく逆境に晒され、数多の艱難辛苦を乗り越えてきたケチャワチャにとって、この程度の苦境はもはやどうということもありませんでした。
そうして、大して苦労する様子もなく岩盤の中ほどに辿り着いたケチャワチャは、岩盤に空いた直径80センチほどの無数の横穴を発見します。身体は入りそうにありませんが、腕を突っ込むのには丁度いいくらいの大きさで、さらにその奥からは、濃厚な甲虫種の臭いが漂ってきました。
どうやら、ここが甲虫種の巣のようです。随分と見慣れない形をしておりますが、見知らぬ土地に住む未知の甲虫種のそれと思えば、さして違和感は抱きません。そんなことよりも、このサイズの巣に入るような甲虫種であれば自分の餌には丁度いい大きさだろうと、ケチャワチャが考えるのはそればかりでありました。
切り立った岩肌に、明確な凹凸が出来たことで体勢を安定させられらるようになったケチャワチャは、無数にある横穴の内の一つを覗き込みます。見たところ、さほど深い穴というわけでもなく、右手の長い鉤爪を持ってすれば奥まで届かせることができそうでした。
そうとなれば話は早いと、ケチャワチャは早速横穴の中に右腕を突っ込み、その奥にある何かに鉤爪を引っ掛けて腕を引き抜きます。すると、そこにあったのは意外にも、ケチャワチャ自身よく知っているブナハブラの死骸でした。
ブナハブラの巣はケチャワチャも何度か見たことがありましたが、記憶にある限りではこのような形ではなかったはずです。そもそもブナハブラの巣であると仮定すると、死骸でいること自体がおかしいですから、おそらくはブナハブラの捕食する何かしらの生物の巣なのだろうとケチャワチャは結論をつけました。
もっとも、この巣の主の正体など、ケチャワチャには微塵も興味がございません。生きていようが死んでいようが、食料さえ取れるのであればケチャワチャにとってはそれで十分でした。もしも食料を横取りしているところを巣の主に見つかっても、戦いになれば返り討ちにすればいいだけですし、それが甲虫種であるならば新鮮な餌が増えるだけのことです。
ということで、ケチャワチャは横穴から引っ張り出したりブナハブラの死骸を口元に運ぶと、限界近くまで来ていた空腹を満たしてくれる久々の食料に舌鼓を打ちました。
──その瞬間、これまで感じたこの無いような猛烈な苦味がケチャワチャの口内を蹂躙します。
予想だにしなかった衝撃に、ケチャワチャは思わず顔を仰け反らせてブナハブラの死骸を吐き出します。その拍子にバランスを崩しそうになりましたが、咄嗟に右の鉤爪を横穴に引っ掛かることでことなきを得ました。
吐き出されたブナハブラの死骸は崖の下まで真っ逆さまに落下し、ケチャワチャが作り出した血溜まりの中に沈んでいきましたが、当のケチャワチャはそんなことに気付く余裕もなく、ただ口内に残留する苦味と必死に格闘している最中でございました。
この、口の中に纏わりつくようなしつこい苦味……今まで感じたことがない程に強烈なそれは、しかしケチャワチャには確かに覚えがありました。
懐かしくも忌々しいこの味は、にが虫のそれです。かつてケチャワチャが吹けば飛ぶような弱者であった時代、その日食うものを得るのにも難儀していたあの日々に、飢え死にとの二者択一で選び取ったあの苦味を、忘れようはずもございません。
しかしながら、今ケチャワチャの口内を蹂躙する激烈なる苦味は、あの時のものとはまるで比較にならない程に凶悪です。言うなれば、大量のにが虫をかき集めて、その苦味成分だけを濃縮したような、もはや毒と言っても差し支えないレベルのそれでした。
暫くの後、ようやく苦味がある程度収まってきたケチャワチャは、とてもこんなものは食べられたものではないと、すぐさま別の穴の前に移動します。
その穴もやはり先程と同じくケチャワチャが腕を突っ込むのに丁度いいくらいの大きさで、奥からは甲虫種の臭いが漂ってまいりました。一度試しただけでは全てがあのように苦くなっているとは限らないので、ケチャワチャはとりあえずもう一度だけチャレンジしてみることにしたのです。
そうして穴の奥から引っ張り出されたのは、やはりブナハブラの死骸でした。先程の失敗の反省を活かし、今度は焦らず匂いを嗅いでおかしなところがないかを念入りに確認しますと、少なくともにが虫の独特な香りは香ってはきませんでした。
それでも念には念を入れて、体の一部を小さく齧るだけに留めることで様子を見ると、やはり今度は強烈な苦味が襲ってくることもなく、甲虫種らしい旨味が口の中に広がっていきます。もう暫く間を置いて、何も異常がないことを確認すれば、ケチャワチャは嬉々としてオルタロスの死骸を口の中に放り込みました。
久々のまともな食料に、ケチャワチャの胃袋は歓喜の鳴き声をあげます。そして、一度消化器官が活動を再開すれば、もう空腹を留めることは誰にもできません。ケチャワチャはその穴の中にあるブナハブラの死骸を全て引っ張り出して喰らい尽くすと、なおも足りないと別の穴の前へ移動します。
どうやらこの岩盤に空いている横穴は、殆どが同じ条件のようでした。直径80センチ深さ2、3メートルでギリギリ奥は見通せませんが新鮮なブナハブラの死骸が入っています。ブナハブラの死骸に関しては当たり外れがあるようですが、それは食べる前に確認しておけば問題ないでしょう。
新たな横穴の前に移動したケチャワチャは、さらなる食料を得るために横穴の奥へと手を突っ込みます。すると、今までとは明らかに違う、粘着質な感触が致しました。不審に思ったケチャワチャがすぐさま右腕を引こうとすると、予想以上の抵抗が返ってきます。それでもなんとか力任せに右腕を引き抜くと、ケチャワチャの右腕には白い粘着質の物体がびしっりとこびりついていました。
万が一にも毒物であったら困るので、念のため匂いを嗅いでみると、ほんのわずかに植物のような青臭さを感じますが、ほとんど無臭でした。長年の経験と勘によれば、それほど危険なものでは無さそうですが、ベタベタと纏わりついてきて鬱陶しいことこの上ありません。このままでは壁を登るにも余計な力が必要になって面倒なため、この場で引き剥がすことを余儀なくされました。
暫く苦戦はしましたが、なんとか許容できるレベルまで粘着質の物体を削ぎ落とすことに成功したケチャワチャは、気を取り直して他の穴を探します。何かと面倒なことはありますが、いずれも致命的なトラップではありませんし、未だ甲虫種を見かけたことのないこの孤島において、確実に甲虫種が得られる場所という魅力を見過ごすことはできません。
ケチャワチャが次に辿り着いた穴は、これまでのものとは様子が違っておりました。入り口から30センチ程のところを、周囲にも張り巡らされている糸のようなもので塞がれているそれは、さながらブナハブラの蛹が作る繭のようです。
もしかしたらこの繭の奥に、この巣を作り出した主がいるのかも知れないと、ケチャワチャは好奇心に身を任せて糸でできた壁を破ります。
──直後、穴の奥から飛び出して来たのは、大量の水でした。
丁度顔面を目掛けて飛んできたそれを、ケチャワチャはなんでもないことのようにヒラリと身を翻すことで躱してみせます。完全なる不意打ちにも関わらず見事に回避された濃縮海水は、そのまま綺麗な放物線を描いて虚しく地面に落ちていきました。
水の勢いが無くなった後、念のためケチャワチャが穴の奥を探ってみると、やはりそこには何もありませんでした。要するに、これは明らかに攻撃的な目的を持ったトラップです。そして、そんなトラップを仕掛けてくる相手に、ケチャワチャは心当たりがありました。
ハンターと対峙した直後、自分の頭上目掛けて大木を落として来た何者か。その直後に香ったブナハブラとは僅かに違う香りから察するに、なんらかの甲虫種だと思われます。それこそがこの巣の主であり、このトラップを仕掛けた張本人なのでしょう。
そうとわかれば話は早いと、ケチャワチャは己の感覚を研ぎ澄ませます。何度も殺戮を繰り返すうちにいつの間にか会得していたその感覚によれば、無数にある穴の内のいくつかに生体反応があるようです。そして、そこからは揃いも揃ってブナハブラとは少し違う甲虫種の香りが漂ってきております。
木を隠すなら森の中。沢山の穴を空けておいて、そのいくつかに身を潜めれば、見つかる可能性は大幅に減ずることができる。それは実に理にかなった生態ではありましたが、このケチャワチャの、生き物を殺すために培った感覚の前には甚だ無力でした。
さて、巣の主を見つけたとは言え、すぐさま殺しに向かうのは得策ではありません。的確に巣の主を殺して回れば、隠れていても意味がないことに気付かれて逃げられる可能性があります。巣の主が潜む穴は相応にばらけていますし、流石のケチャワチャと言えども岩盤に張り付いた状態ではいつものような機動力は発揮できませんので、一斉に逃げられてしまうと取り逃す可能性があります。まして、巣の主が飛べる相手だった場合はどうにもなりません。ケチャワチャは飛膜によっての滑空こそ得意ですが、急激な垂直上昇などはできないのです。
ということで、ケチャワチャは暫くは気付いていないフリをして、適度に他の穴を探りつつ少しずつ巣の主を食らっていくことに決めました。もちろん、巣の主が少しでも動きを見せたらすぐに対応できるように神経を研ぎ澄ませてはおきますが、多少罠に引っかかってやるのも相手を油断させる意味ではいいでしょう。
そう考えて、ケチャワチャは次の穴に移動するために、近場にあった手頃な岩の出っ張りに右の鉤爪を引っ掛けます。
──直後、ケチャワチャの体は真っ逆さまに落ちていました。
突然の浮遊感に一瞬戸惑いを覚えたケチャワチャは、しかしすぐさま状況を把握し体勢を立て直そうと身を捩ります。ところが、ケチャワチャがバランスを立て直すよりも先に、崖の間に張り巡らされた糸がケチャワチャの体の一部に接触し、結果としてケチャワチャは錐揉みするように回転しながら孤島の大地に強かに打ち据えられました。
幸いにも、ケチャワチャ自身が身軽かつ強靭であったために大事には至りませんでしたが、一切受け身を取れない状態での落下は少なくないダメージをケチャワチャに与えます。
それでも、痛みなど知ったことかとすぐに地面から起き上がると、ケチャワチャは自分と共に落ちて来た手頃なサイズの岩を見据えました。先程のケチャワチャが右の鉤爪を引っ掛けるのに使おうとしたそれは、しかしよく見れば裏面にどこかで見たような白い粘着質の物体がびっしりとこびりついております。
要するに、手頃な大きさの岩をすぐに剥がれ落ちる状態で壁に貼り付けることで、そこに手をかけた外敵を崖から落とそうという、それは実に卑劣な罠でございました。
────ッ!
こちらを小馬鹿にするような罠に、ケチャワチャはついに怒り心頭に発します。
そして、これまでとは比べ物にならない速さで岩壁の中腹まで登り詰めると、先程探り当てた巣の主が潜んでいるであろう横穴に手を突っ込みました。
指の先に感じる、甲虫種の甲殻の感触と、ささやかな抵抗。ケチャワチャはあのような罠を仕掛けた巣の主を、決して逃すまいと固く握りしめ、その面を拝むために思いっきり右腕を引き抜きました。
──ギギィッ!……ジジジ
そこにいたのは、甲虫種の香り漂う……何かの体液のようなものが塗りたくられた、死にかけのブナハブラでございました。