伊吹萃香もどきが行く   作:葛城

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無事に暗黒大陸から帰ってこられるわけない……はっきりわかんだね


第十一話:伊吹萃香もどき(偽)と空を駆ける()鬼娘

 

 

 

 ──こんな場所で、話し合うのもなんだ。

 

 

 

 

 その言葉と共に、彼女そっくりの姿をした女に案内されるがまま、部屋を出る。

 

 その際、またあの餓鬼どもが襲ってくるかと身構えたが、既に部屋の外には誰もいなかった。

 

 

 いや、誰もいないどころか、血の跡すらなくなっていた。

 

 

 壁やガラスに貼り付いた肉片も、辺り一帯に飛び散った鮮血も、まるで夢だったかのように一滴の痕跡もそこにはなかった。

 

 女は何も言わなかったし、彼女もあえて尋ねるようなことはしなかったが、女が何かをしたのは明白であった。

 

 その証拠に女は平然と通路を進む。自分を襲うモノがここにはいないと分かっているようだ。

 

 その女が不意に立ち止まったのは、通路の途中。彼女の目から見れば何の変哲もない、壁の前であった。

 

 鏡のように滑らかな壁へ女が手を伸ばす。指先が壁に触れると、一瞬ばかり網目模様の光が壁一面に走る。と、思った直後、消えた網目の光をなぞるようにして、音もなく壁が消えた。

 

 

 

 ……カプセルがあった部屋の扉の開け方とは、違う。

 

 

 

 細かいといえば細かい点に目を留めている彼女を他所に、女はさっさと中に入って行った。

 

 一瞬ばかり、罠の可能性が脳裏を過った。しかし、ここまで来て罠に掛けたりはしないだろうと判断した彼女は、女の後に続いて中に入った。

 

 

「……はぇ~、すっごいな」

 

 

 直後、彼女は……我知らず、驚嘆のため息を零していた。何故かといえば、室内の雰囲気がこれまでに見てきた銀色の景色とは根本から異なっていたからだ。

 

 まず、部屋自体はそう大きくなかった。というか、前の部屋と比べたら、狭いと判断する広さしかなかった。正確な面積は分からないが、せいぜいが15メートル四方といったところだろうか。

 

 全体的な内装は……有り体にいえば、Barだ。だいたいの人がイメージする、そんな感じの内装。ただ、Barと呼ぶには些か殺風景な代物であった。

 

 大小様々な酒瓶が並べられた棚に、それを囲うようにコの字に設置されたカウンター。椅子はその前に一つだけ設置されており、部屋の半分が酒瓶の棚で埋まっている。有るのは、それだけ。

 

 ついでにいえば、酒の匂いはしない。いや、酒だけでなく、人の営みの臭いがしない。見た目は綺麗だが、まるでたった今しがた用意されたかのようなちぐはぐさが、そこにはあった。

 

 床や壁は、一面の木目だ。傷どころかワックスの剥げすら見当たらない。木製そのものはそう珍しいものではないが、こんな場所で見掛けるような代物ではないだろう。

 

 促されるがまま、彼女はこの部屋で唯一の席に腰を下ろす。じゃらりと鎖が椅子やらカウンターやらに当たって擦れたが、女は気にした様子もなくカウンターを指でなぞる。

 

 すると、また光の線が網目状に走った……直後。

 

 音もなく出現した空洞よりせり出してきたのは、曇り一つ見当たらない様々なグラスと、シェイカーを始めとした道具一式、大量の氷を載せたアイスペール(氷を入れる小さいバケツ)であった。

 

 

「──御所望は?」

「あんた、作れるの?」

 

 

 妙に手慣れた所作で準備を進める女に、彼女は目を瞬かせた。

 

 

「意外か?」

 

 

 表情一つ動かさず、唇の端すら微動せず、素っ裸のまま小首を傾げる女に、「まあ、意外だね」彼女は正直に答えた。

 

 

「でも、そっちよりも何で私が酒好きだってことを知っているんだい? それに、その姿も……」

「それについては順を追って説明する。仲直りの意味も兼ねて、まずは一杯だ。いわゆる、有名どころなら一通り用意している」

「……ずいぶんと強引なバーテンダーだな。それじゃあ、ガツンと来るやつを一杯貰えるかい?」

 

 

 特に銘柄に拘りがない彼女は、とりあえずといった調子でオーダーする……が、女は返事をしなかった。

 

 しかし、声はちゃんと聞こえているようだ。黙々と……それでいて、やはり手慣れていると判断される手付きで、カクテルの用意を始めた。

 

 

 ……正直、見ていてつまらないと彼女は思った。

 

 

 何故なら、女の手付きがあまりに機械的過ぎるからだ。人の腕に見せかけたロボットアームが作っていると言われたら信じてしまいそうになるぐらいに、全ての動きに無駄がない。

 

 それ故に手持無沙汰になった彼女は、自然と女から視線を逸らし……辺りを見回す。室内に見合う照明器具に照らされた室内は、とても静かであった。

 

 天井に取り付けられたシーリングファン(室内の空気をかき混ぜる、プロペラ)すら、無音だ。いつの間にか入口が閉じられているせいか、余計にそう思える。

 

 

 ……窮屈な感じというか、閉塞感というか、そういうのだけは不思議と感じないのは、せめてもの救いか。

 

 

 これで何かBGMの一つでも流れていれば、多少なりとも気は紛れるのだろうが……いや、止そう。

 

 彼女の脳裏を過ったのは、『闇のソナタ』。正直、アレは彼女にとっても思い出したくない光景であった。

 

 日数にすればまだ一ヵ月と経っていないからか、その細部に至るまで……ドレイクの死に顔すら、鮮明に思い出してしまった……と。

 

 

「──出来た」

 

 

 空気を読んだのか、あるいは気付いていないだけなのか。

 

 何ともタイミング良く、彼女の目の前に青色の液体で満たされた(ご丁寧にも、チェリー入り)カクテルグラスが置かれた。

 

 チェリーはいったい何処から……気にはなったが、この際だ。毒を食らわば皿までだと思った彼女はグラスを手に取り、グイッと一息に傾け……軽く、目を見開いた。

 

 

「……思ったより美味いぞ」

「そちらで評価されているやつだから、美味いのは当然だ」

「そちらでって?」

「言葉通り、貴女が暮らしている島々で評価された作品だ」

 

 そう言うと、女は続けて二杯目の用意を始める。その手付きは先ほどと同じく正確無比であったが、先ほどよりも幾らかスピーディであった。

 

 

「『マティーニ』だ。主たちが愛飲していたカクテルの代表格だ」

「……これも美味い。中に入っているこれは、オリーブかい?」

 

 

 そうだ、と、女は軽く頷いた。

 

 

「かつて使用されていた酒もオリーブも、今では全て失われている。貴女が暮らしている場所にも同じ名称のカクテルはあるが、これが原種……本来の『マティーニ』だ」

「ふ~ん、言われてみれば、ちょっと後味が違うような……すまん、やっぱりよく分からん」

 

 

 女は、それからさらに三杯目、四杯目と新しいカクテルを作った。そのどれもが美味であり、女はそれら全てに細やかな注釈を入れ、それがどのようなカクテルなのかを説明した。

 

 曰く、後ろにある多種多様な酒瓶だけで、数百種にも及ぶカクテルが出せるのだという。

 

 それを聞いて、飲まないという選択肢は彼女にはない。15杯目までは女の方から適当なカクテルを用意していったが、それ以降は彼女の方からおかわりが所望されるようになった。

 

 意外といえば意外だが、味という一点だけを考えれば、女の腕前は見事であった。

 

 

 辛口なのが欲しいといえば、彼女が望む程度に辛い一杯を。

 

 甘いのが欲しいといえば、望んだ分だけ甘い一杯を。

 

 スッキリしたのが欲しいといえばさわやかな一杯を。

 

 濃いのが欲しいといえば、ガッツリと喉奥を焼くような一杯を。

 

 

 現金なものだが、杯を重ねるに連れて彼女の機嫌も良くなっていった。肩口を抉られたことも忘れ、気付けば種類の異なる空になったボトルが計8本……カウンターに並べられていた。

 

 

 

「……で、私に何の用?」

 

 

 

 だから、そろそろ頃合いかな。そう思って話を切り出したのは、彼女の方からであった。

 

 

「特に用はない。既に、私たちの用は済んだ」

「え、まだ何もしてないけど?」

「いや、している。これまでの耐久実験に加えて、私がここにいるのが、その証左だ」

 

 

 そう言い切る女は、通算87杯目となるカクテルを彼女の前に置いた。「……ん~?」

 

 半透明のカクテルの揺らぎに茹った思考を冷やしながら、彼女はしばし無言のまま……あっ、と既に傷が塞がっている己の肩に手を当てた。

 

 

「──察しの通り、私は貴女から採取したDNAから作られたクローン体。とはいえ、出来上がったのは辛うじて人の姿をしているだけの出来損ない。様々な改造を施しはしたが、貴女の足元にも及ばない」

「……どうやったんだい?」

「コップ一杯の必要はない。それこそ、一滴分もあれば……だが、失敗した。時間を稼いでいる間に解析して同じ物を作ろうとはしたが……駄目だった」

「駄目って、何が?」

「同じに出来たのは、この見た目だけ。再生能力は言うに及ばず、パワーにおいては……貴女が上で相手にした者たちよりもはるかに弱い」

「ふ~ん、そっか」

 

 

 クイッと傾けて空にしたグラスを置くと、すぐに次のカクテルが置かれた。まるでわんこそばのような速さだが、彼女にとってはそれが丁度良かった。

 

 

「そんで? 私を狙った理由は? わざわざ私のクローンを作る為だけに襲って来たのかい?」

「その点については誤解が生じている。私が狙ったのではなく、私たちが狙われたというのが現状においては正しい」

「私が? お前を?」

 

 

 それこそ誤解だろ……そう彼女は続けようとしたのだが。

 

 

「回数にして、71回。貴女が、私たちの制止を無視して上の遺跡を突き抜けて逃げた回数。1度や2度ならまだしも、それだけの回数にもなれば……ただ、通過するだけと言われて納得可能?」

「……ごめん、逆の立場なら私でも怒るわ」

「理解していただき、感謝。私たちも、これ以上の戦闘行為の続行は不利益が多過ぎると判断した。なので、貴女との意思疎通を図って事態の収拾を図ることにした」

 

 

 そう言い終えると、女はカクテルグラスではなく、ロックグラスを取り出した。そこに黄金色の酒を注ぐと、「原種の、ウイスキーだ」それを彼女の前に差し出した。

 

 

「望む物があるならば、用意する。聞きたいことがあるならば、答えよう。それで、此度の争いは終わり。以後、私たちへの攻撃は止めることを、ここで約束してほしい」

「……まあ、私としては目当ての物が手に入るなら、それでいいよ」

「理解していただき、感謝。報酬の代わりとして、ここにある酒は全て飲んで貰って構わない。どうせ、それ以外に使い道がないのだから」

 

 

 ここにある酒……自然と、彼女の視線が、「それはそれで、魅力的ではあるね」女の背後にある多種多様な酒へと向けられた。

 

 

「それじゃあ、それを飲みながら幾つか質問していい?」

「構わない。私たちにとって、此度の時間は刹那の一瞬に過ぎない。望む限りを答えよう」

 

 

 空にしたグラスを向ければ、「当時、流行したウイスキーだ」新しいグラスを差し出された。先ほどよりも香りの強いそれを傾けた後……さて、と彼女は尋ねた。

 

 

「さっき、あんたが口にした『次元の旅人(ワールド・トラベラー)』っていったい何の事?」

「アレは、私たちの間で認識されている名称を、貴女たちが使っている言語を元に作った造語だ。その意味は言葉通り……貴女は、この世界のモノではないのだろう?」

 

 

 

 ──一瞬ばかり、「どうして……そう思うんだい?」彼女は己が手を止めた。

 

 

 

「別の次元……すなわち、別世界より迷い込む存在というのは、貴女たちが認識出来ていないだけでそれなりにいる。向こうも貴女たちを認識出来ていないから、直接的な接触は起こらない……けれども、極々稀に貴女のような存在が現れる」

「私かい?」

「そう、貴女は此処とは異なる世界より迷い込んだ旅人。私たちはそれを、『次元の旅人』と呼ぶ。『次元の旅人』は偶発的に起こる現象であり、意図的に起こすことは不可能。納得し難いとは思うが、不運な事故のようなものに過ぎない」

 

 

 ……ごくり、と。ぷかりと浮き出てきた感情を、彼女は酒ごと呑み込んだ。

 

 

「『耐久実験』って、なんのこと?」

「言葉通り。摂取したDNAを元に構成した身体の耐久基準を定める為に、貴女には幾つか意図的な攻撃を行った」

「それって、何時から?」

「貴女を負傷させて、すぐ。この施設内に入れたのは、下手に外で暴れられて周辺のモンスター共を引き寄せられると収拾に多大な労力を要する結果になってしまうと判断したからだ」

「それで、私が中に入ってから暴れたらどうしてたのさ」

「この施設は、外よりも内部の方が頑丈に作られている。内部施設を破壊出来るのならば、結局は1時間後に壊されるか3時間後に壊されるかの違いでしかない」

 

 

 差し出したグラスを向けて傾ければ、意味を察した女はそこに、先ほど注いだやつと同じのを注ぐ。「これは鼻を抜ける香りが堪らないねえ」満面の笑みでなみなみに注がれたグラスに口づける。

 

 

「どうして、私のDNAなんて欲したのさ? 私を排除する為だからって、わざわざクローンまで作って……上で私を傷つけた、あの武器を使えば良かったじゃないか」

「アレは弾数に限りがあり、製造にも時間が掛かる。また、内部であの武器を使用すると、私たちにも多大な被害が及ぶ可能性が高い。有り体にいえば、使い所が限られている」

「なるほど……ちなみに、アレってどんな武器なんだい? 私の肌を傷つけた武器なんて、アレが初めてだったんだけど」

「要点だけを掻い摘んで答える。アレは『反物質を打ち出す装置』であって、厳密には武器ではない。着弾した場所を対消滅させるので、結果的には武器として応用されている……理解可能?」

「SFちっくな武器ってことでイメージ出来たから、それでいいよ。まあ、何であれ此処には凄いモノがあるんだねえ」

「元々、ここには迎撃機能と呼ばれる類の装置は少ない。現存している物資で出来ることは限られている。必然的に、アレが通じないと分かれば、もはや自力排除は困難と判断した」

「……何だか無意味な心配をさせてしまって申し訳ない」

「構わない、私たちとしても最後の望みが絶たれてしまった以上、出来ることは何もない。あなた達の言葉を借りるのであれば、『やれるだけのことはやった』……というやつだ」

 

 

 ……平坦な口調とは裏腹に、ポツリと零された女の言葉は重かった。いや、正確には、彼女にとっては、そのように聞こえてならなかった。

 

 

(最後の望み……と、きたか)

 

 

 というか、不穏な単語がちらほらと混じっていたから、彼女でなくとも同じことを思っただろうが……まあいい。

 

 

 ……はたして、尋ねて良いものかどうか。

 

 

 しばし口を噤んだ彼女は、沈黙を誤魔化すかのようにグラスを傾けた後。「……最後って、どういうことだい」差し出したグラスに紛らせるようにして、尋ねた。

 

 

 彼女は……気付いていた。

 

 

 先ほどから彼女が続けた質問の中に、一つだけ。全ての質問に答えているように見せかけて、意図的と思われても仕方ないぐらいに返答をはぐらかしている質問が、一つだけある。

 

 

 それは、どうして『彼女のDNAからクローンを作ったか』という点だ。

 

 

 これまでの返答で分かったのは、どのタイミングでDNAを盗み取ったかということと、そのDNAより作り出したクローン体の比較基準を作る為に、彼女へと攻撃(耐久実験)を行ったということだけ。

 

 

 そこに、彼女のクローンを作るに至った理由に関する説明は、一つもない。

 

 

 そのことに、女は気付いていない……そんなわけがない。気付いていて、あえて話を逸らしているのだ。

 

 そして、意図的に語ろうとしないことに気付いていた彼女は……あえて、触れようとはしなかった。

 

 隠しておきたい部分を暴きたいと思うほど、彼女は強欲ではないからだ。

 

 だが、たった今、女がポツリと零した『最後の望みが絶たれた』という言葉に、気が変わった。

 

 いったい、自分のクローンがどのような希望へと繋がっていたのか……それを、知りたくなった。

 

 

 ……故に、女も気付いた。

 

 

 これ以上のはぐらかしは許さないという、彼女の意思を。ここに来ての誤魔化しは、怒りを買うだけだということを。

 

 しかし、それに関してだけは、初めて、女は即答をしなかった。

 

 何かを誤魔化そうとしている……ようには、見えない。少なくとも、彼女の目にはそう見えなかった。

 

 この期に及んでそれが通じる相手でないのは、女も分かっているのだろう。

 

 おそらく、彼女が理解出来るように言葉を色々と選んでいるのかもしれない。

 

 

 ……無表情の奥に見え隠れしている、仄暗い何か。

 

 

 それは、彼女には分からなかった。だが、並々ならぬ何かがそこにあるのだけは、そういう機微に疎い彼女にも察することは出来た。

 

 

 

「……貴女のクローンを作るに至る理由は、二つある」

 

 

 

 時間にして、きっちり15分後。ぽつりと、女は話を始めた。

 

 

「一つは、『主たち』の元へ向かう為に、利用しようと思った」

「主たち?」

「主たちをどのような言葉に当てはめれば良いのか、私には分からない。しかし、あえて当てはめるのであれば……『創造神』。それが、一番近しいのではないだろうか」

 

 

 グラスを空にして、幾しばらく。新たな酒が注がれたグラスを差し出されたのは、彼女が質問を投げかけてから10分程が経った頃であった。

 

 

「私たちは、主によって作られた生命体。主の為に存在し、主の為に行動し、主の為にその有用性を示し続ける存在……だった」

 

 

 からりと、ロックアイスを入れたカクテルを彼女の前に置いた。

 

 

「もうずっと……ずっと前に、主は此処を去った。私たちを置いて、別の宇宙へと行ってしまった」

 

 

 別の宇宙……何だか話が壮大になってきたな。

 

 

 そう、彼女は思ったが、あえて口に出すようなことはしなかった。ただし、「……宇宙ってのが何なのかは、少しなら分かっているよ」どれだけを理解出来ているかだけは、口にした。

 

 

「……残された私たちは、主が何時帰って来てもいいように、常に最適な空間を維持し続けていた……しかし、問題が生じた」

 

 

 そのおかげか、女は注釈は不要と判断したようで。しばし考えたようではあったが、さらっと話を再開した。

 

 

「その、問題って?」

「主が帰ってくるまでに、私たちが活動限界を迎えてしまうという問題。私たちは……そう、人間よりもはるかに高度な自己修復機能を有しており、致命的な障害が発生さえしなければ、だいたい3億年ぐらいは活動を続けることが出来る」

「そういう前置きを入れるってことは、起きたってわけ? 致命的な障害ってやつが、さ」

「…………」

「もしかして、それが二つ目の理由?」

 

 

 女は、肯定も否定もしなかった。からり、と。剥き出しになったロックアイスの上から、おかわりを注ぐ。その後、女はボトルの蓋を閉めると……静かに、顔をあげた。

 

 

「私たちは、やつのことを『星食い』と呼んでいる」

「星食い?」

「その名の通り、星を食う生命体だ。自分たちのことを揶揄してそのように自称する人間もいるが、これは自称ではない。文字通り、星を……星の核ごと、その星に住まう全生命体を根こそぎ食らう」

 

 

 ──『星食い』。

 

 

 その生命体が何時生まれ、どのような形で成長し、どのような手段を用いて繁殖しているのか。それは、人類など足元にも及べない科学力を持つ女も、よくは知らないらしい。

 

 

 分かっていることは、星食いと呼ばれるそいつは星を食らうということ。

 

 

 捕食のターゲットとして選ばれる星に、共通点はない。恒星も惑星も衛星も関係なく、目に付いたモノから順番に食らう。そのサイズは個体によってバラバラだが、総じて食欲は非常に旺盛であるということ。

 

 星を食うだけあって、その耐久力は天体レベル。大気圏突入の諸々に耐えるだけでなく、宇宙空間の絶対零度にも耐える。放射線を初めとしたあらゆる物質を吸収し、重力すら栄養源に変えてしまう冗談のような生命体だ。

 

 一通りの説明を終えた女は、手を軽く振る。途端、室内が薄暗くなった。合わせて、彼女のすぐ横の空間に、正方形の光のボードが形成される。

 

 

「……SFもここまで続くと驚く気にもならんな」

 

 

 気にした様子もなくグラスを傾ける彼女を尻目に、ボードという名の空間ディスプレイに映し出されたそれは……いや、それを、彼女はどう言い表したら良いのか、その適当な言葉が思いつかなかった。

 

 強いて言い表すとするならば、その姿は棘だらけの『雲丹(うに)』に昆虫のような足を生やした物体……だろうか。

 

 辛うじて目に当たる部位は確認……いや、目なのだろうか。もしかしたら口かもしれないが……まあいい。とにかく、それが生きているのは分かった。

 

 

 それよりも気になったのは、そのサイズだ。

 

 

 映像越しでもはっきり分かるぐらいに、大きい。尋ねてみれば、最後に計測した段階では、全長は8km強。現時点では推定16kmで、今も膨張は続いているのだという。

 

 何故、推定などという言い回しになるかといえば、調査をする為に下手に接触なり刺激を与えると、それが原因で膨張速度を速めてしまう危険性があるから……らしい。

 

 

(……なんか、想像していたよりも地味だな)

 

 

 パッと見た限りでは、それほど凶悪な存在には見えない。彼女が抱いた率直な感想が、それであった。

 

『星食い』と呼ばれるだけあって、その様は異形だ。雲丹に似てはいるが、雲丹よりもはるかに気色悪く、サイズが桁違いなのもそうだろう。

 

 

 ……だが、しかし。大きいが、それだけだ。

 

 

 異形ではあるが、ここではそう珍しい外見ではない。

 

 何せ、お前はいったいどういう進化を遂げたら、そんな形になるのかと小首を傾げてしまうようなやつらがうようよいる。

 

 

 大きさにしたって、そうだ。

 

 

 小山ぐらいに巨大化出来る彼女でも、ここではそれほど大きくはない。それよりも小さい個体は大勢いるが、そんな彼女よりも巨大な怪物だって大勢いる。

 

 

 ──無秩序という絶対的な秩序で覆われたこの地に住まう生物たちに比べたら、この雲丹もどきはずいぶんと可愛らしい姿ではないか。

 

 

 ディスプレイに映し出された『星食い』を見やりながら、そう、彼女は思っていると。

 

 

「これが、この施設の最下層にいる。存在を確認後、放置しておけないので私たちが捕獲し、以後、抑え込み続けている」

 

 

 ……思わず、彼女は己が足元へ視線を落とす。「──直線距離にして、35000メートル下」途端、女はどこかピントのずれた補足説明を入れてくれた……違う、そうじゃない。

 

 

「あ~、うん……ちなみに、どんな対処を取ったの?」

 

 

 ──相手がどんなのかは知らんけど、あの武器を使えば倒せるんじゃないの。

 

 

 言外に滲ませたその疑問は、「貴女が思いつく限りの手段は取ったが、効果はあまりない」そんな言葉でばっさり切り捨てられてしまった。

 

 

「先ほども話した通り、ここは元々そういった目的の施設ではない。あなた達の言葉を借りるのであれば、ただの慰安施設のようなもの。私たちの火力では、『星食い』を殺すには多大なリスクが生じる」

「はあ、なるほど……」

「故に、私たちはこの星を脱出し、主の元へと向かう計画を立案した。だが、ここで問題点が幾つか生まれた。一つは、私たちがこの星を脱出する際、『星食い』をこの地に捨て置く予定だったのだが……想定外の邪魔が入ったことで、それが不可能となってしまった」

 

 

 その言葉と共に女が再び手を振ると、ディスプレイに表示された肉の塊から、軍服らしき恰好をした人間が何人か映し出された。

 

 

「約267年前、この施設に人間たちの集団がやってきた。それまで、この施設周辺には現地生物は全く寄りつかなかった。おそらくは『星食い』の存在を本能的に察知したのだろう。そのおかげで『星食い』は外部より栄養源の補充が上手く行われず、私たちも安定して抑え込むことが出来ていた」

 

「だが、この地を訪れた人間たちが不用意に施設へと入って来たことで均衡が崩れた。当時、私たちは今みたいな武装化を行ってはおらず、その機能の大半は『星食い』の封印に回し、もう半分を惑星脱出計画へと回していた……そのせいで、人間たちの侵入に気付くのが遅れてしまった」

 

「発覚した時、既に『星食い』は侵入した総数のおよそ31%を捕食してしまった。これによって急速に膨張を始めた『星食い』を抑える為に一時的に脱出計画を凍結し、人間たちを排除しなければならなくなった……私たちは、原因の調査を行った」

 

「正直、私たちは驚いた。人類の存在を認識していたからこそ、私たちはこの地に人類がやって来ることは不可能だと判断していた。何故なら、当時の人類が保有する技術では、この大陸に足を踏み入れることは可能でも、この施設の存在に気付くことは不可能だと判断していたからだ」

 

「だからこそ、私たちは発覚した事実に驚嘆した。まさか、私たちに気付かれることなく、この施設を調査した人間がいたことに……それ故に私たちは、人間たちをこの施設に近寄らせない為に、対人間を想定した兵器を開発し、運用……貴女たちの言葉を借りるのであれば、『ブリオン』が生まれた」

 

「ブリオンによって、侵入した人間だけでなく、その仲間と思われる他の人間たちの処理も自動的に行われた。私たちは、この施設が危険であることを周知させ、近づくことを拒絶させるために、あえて全滅させるようなことはせず幾人かを逃がしてやった」

 

「そのおかげで人類はこの施設だけでなく、この地への渡航をしなくなった。だが、当初より膨張してしまった『星食い』を抑え込む為に機能のほとんどをそちらに回すことになってしまい……脱出計画の無期限凍結、あるいは根本的な計画の見直しを余儀なくされてしまった」

 

 

 ……そこまで言い終えた辺りで、女は空になった彼女のグラスに追加を注いだ。

 

 

 女は、そのまま何も言わなかった。彼女も、ただ黙ってグラスを傾けるだけだった。

 

 

 ……沈黙が、どれぐらい続いたのか。

 

 

 5分、10分、15分。時折注がれる追加の酒、追加のカクテル……喉を鳴らす彼女の音だけが、静まり返った空気の中に染み入って消えた。

 

 

「私たちは、私たち自身を分割することでリスクの分散化を図った。その際、私たちは私たち自身を分割して運ぶための器……すなわち、計画を遂行出来る身体の選定。あらゆる状況下においても、一定以上の活動を可能とする身体が必要となった」

「……その為に、私のクローンを作ったってわけかい?」

「その認識について、少し訂正する。結果的に貴女のクローンが作られたわけだが、元々は貴女が破壊した実験体11798番に私たちを移す予定であった。あくまで、貴女のクローンは新たな候補の内の一つに過ぎなかった」

「へえ、そうなのか……ところで、実験体ってのは?」

「実験体11798番。貴女たちがキメラアントと呼ぶ昆虫のDNAを元に改造を施した最優候補。私たちが保有している技術力の全てを注ぎ込んだ……あれ一体で、人類の10%を掃討することが出来る自信作だった」

「え、あれが?」

「言っておくが、あれはあらゆる状況に対応できるよう調節された万能型。大気圏の突入だけでなく、極寒の宇宙でも活動することが可能であり、あらゆる毒にも耐える……それが、あの実験体の最大の利点」

 

 

 思わずといった調子で漏らした彼女の本音に対し、女は淡々とした口調で、かつ、無表情のまま答えた。

 

 意外と、負けず嫌いなのか……そう思いつつ、「それで、『星食い』は今の所どうなってんの?」彼女は脱線しかけた話を戻した。

 

 

「既に、『星食い』は生体機能を停止している。現状は、『星食い』の体内にて凝縮されたエネルギーの発散プロセスに移行している」

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………え、あれ? 

 

 

 一瞬、彼女は女の言葉を理解する時間を要した。「ちょ、ちょい待ち」しばし、女の言葉を頭の中で巡らせた彼女は……はて、と首を傾げた。

 

 

「え、なに、もう死んでいるの?」

 

 

 心底……心の底から困惑を露わにしながら、彼女は率直に尋ねた。

 

 

 ……彼女が疑問に思うのも、当然だろう。

 

 

 何せ、女の語った内容はまるで、『星食いをどうにも出来ずにジリ貧に陥っている』というような言い方であり、ニュアンスであったからだ。

 

 諸々の要因や思惑が重なった結果、施設を破棄する選択を迫られ、その過程で肉体を用意したりだとか、自分(私の)のDNAからクローンを作ったりだとかやっていて、それが上手くいかなかった。

 

 てっきり、そんな感じなのかと思っていたが……思い違いをしていたのだろうか? 

 

 

「──?」

「いや、そこで首を傾げられるとこっちが困るんだけど……」

 

 

 ……えっ、と。とりあえず、彼女は女より得た情報を整理し、次いで、推測することにした。

 

 

 

 

 

 ──まず、私を襲ったというのは厳密には違い、そうなる原因を作ったのは私であるから、その点については特に気にすることではない。この件について、嘘もつかれていない。

 

 ──私をここに呼び寄せたのは、あくまでこれ以上の争いは止めようというだけで、この席も和解するという女の意思表示でしかない。事実、私にして欲しい事は何も無いという言葉に嘘はなかった。

 

 ──私のクローンを作ろうとした理由も、ご主人様とやらに会いに行くために使おうとしただけ。ここに来てからの攻撃は私の実力(少し違うかもしれないが)を測る為で、他意はない。

 

 ──かなりヤバいやつらしい『星食い』とやらで大変な目にあったが、とりあえず抑え付けることには成功し、既に殺すことは出来ている。

 

 

 

 

(とりあえず、現時点で確定しているのはコレだけか……あれ、さっきの話の下り、必要か?)

 

 

 ぶっちゃけ、その部分は省いても何ら問題はない気がしてならない。

 

 

 堪らず、彼女は首を傾げ……いやいや、今はそこを考えるところではないと頭を振る。

 

 とりあえずは、これで正解なのだろうか。

 

 一抹の不安を覚えつつも、彼女は自分なりに纏めた一連の情報を、女に尋ねた。

 

 

「……? 先ほどから、そう言っているだろう」

 

 

 そうしたら、返された言葉がソレであった。

 

 

「おまえ、張り倒すぞ」

 

 

 思わず飛び出した言葉を、彼女は片手で押さえる。次いで、反射的に握り掛けた拳を、彼女は寸でのところで堪え……クイッと、グラスの酒を飲み干した。

 

 

 ……誰かに説明するという行為は、正直得意ではない。

 

 

 それは『彼』も『伊吹萃香』も同じだったらしく、二つが混ざり合って生まれた『彼女』もまた、その技能に関しては拙い。

 

 けれども……それでも、彼女は心から思う事があった。

 

 

 目の前のコイツよりは、ずっとずっとマシだな……と。

 

 

 何というか、こいつは言葉が足りない。そう、彼女は思った。

 

 短い会話ながら、それぐらいは既に推測かつ理解出来ているだろうというのを前提で話を進めているというのが嫌でも分かってしまった。

 

 

(……察するにかなり長い間一人ぼっちだったらしいし、そうなると会話が下手くそになるのも仕方ない……のかな?)

 

 

 何だか、考えれば考える程面倒臭い気がしてならない。先ほどの『最後の望みが絶たれた』という発言に興味は引かれたが……この様子だと、言葉とは裏腹な内容な感じだろうか。

 

 

(……止めよう。『星食い』だか何だか知らんけど、私には関係のないことだ)

 

 

 考えてみれば、ここに入った目的はコンパス等の位置や方角を知る為の道具を得る為だ。

 

 何だかよく分からない内にこうなってはいるが、元々はそうじゃない。こいつに敵意が無い以上、こちらから何かをしよういう気もない。

 

 

 ……とりあえずは、だ。

 

 

 当初の予定通り……コンパスか何かを貰って、おさらばしよう。酒を飲んだことで、余計にその想いが強くなったのを自覚した彼女は、コンパスをくれと女にお願いした。

 

 すると、女は無言のままにカウンターを叩いた。直後、水面が湧き立つが如く、滑らかな表面がぽこりと泡立ったかと思えば、にゅるりと形を変えて……コンパスへと変形した。

 

 

 ……気前の良いやつだな。

 

 

 差し出されたコンパスを受け取った彼女は、一つ礼を述べてから椅子を降りる。(帰ったら、店を梯子するかな)と、戻った後の事を考えながら部屋を出ようと。

 

 

「──いちおう伝えておこう。『星食い』は今より36時間後に爆発する。故に、思い残しの無いようにしておくことを推奨する」

 

 

 

 

 

 ──した、その直後。

 

 

 

 

 

 あまりに聞き捨てならない台詞を掛けられた彼女は……ピタリと、その場に足を止めた。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………無表情のままに振り返った彼女が目にしたのは、己と同じ顔をした無表情であった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………無言のまま、どれぐらいの間その場に立ち尽くしていたのか……彼女には分からなかった。

 

 

 

 

 ただ、無言のままに踵をひるがえし、無言のままに元の椅子に座り、無言のままに用意された新たなグラスを手に取り、火傷しそうなぐらいに酒気の強いソレを、グイッと一気に飲み干した彼女は……こつん、とグラスをカウンターに置くと。

 

 

「どういうことか、詳しく」

 

 

 ただ、それだけ尋ねた。その声色は、もしかしたら彼女が彼女として自我を得てからこれまで、もっとも低かったかもしれなかった。

 

 

「死した『星食い』は、溜め込んだエネルギーを一気に放出する。その威力は、最も楽観的な数値から推測しても、地殻の4割に壊滅的な被害をもたらすと私たちは判断している」

 

 

 だからなのか、女の言葉はこれまでで一番簡潔かつ分かり易いものであった。

 

 

「……具体的に、どんなふうに?」

「貴女達の言葉で例えるなら、流星群。放出されたエネルギーは流星群のように空を彩った後、落ちてくる。絶え間なく、数時間に渡って」

「……マジで?」

「……マジだ」

「…………」

「…………」

 

 

「……ちょっとずつ放出させるとかは?」

「既にソレを行ったうえでの結果だ。言っておくが、本来ならば220年前に大爆発が起こっていたのを私が抑え込み続けているのだ。これでも、かなり威力が弱まっているのだぞ」

「……マジで?」

「……マジだ」

「…………」

「…………」

 

 

「……ちなみに、その威力は?」

「衝撃波で、地平線の形が変わる。次いで、落ちてくるそれら一つが、貴女達の言葉を借りるならミサイル並み。それが、100平方メートル当たり、秒間30発程度」

「……マジで?」

「……マジだ」

「…………」

「…………」

 

 

「……あの海の向こうにある大陸には、どれぐらいの被害が出るんだ?」

「海……人間たちがメビウス湖と呼ぶ、あの水溜りの中心に浮かぶ人間たちの生息域ならば、ほぼ壊滅と思っていい。運が良ければ、一人ぐらいは致命傷を避けられるかもしれない」

「……そうっすか」

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………しばしの間、彼女は何も言えなかった。というか、何も考えられなかった。

 

 

(どういう巡り合わせだってのさ……)

 

 

 その動揺たるや、眼前にて新たに置かれたグラスを眺めるだけに終始した……となれば、その驚きの具合が分かるだろう。それぐらい、彼女の頭では混乱が渦を巻いていた。

 

 

 ……同時に、彼女は考えていた。どうにかして、それを防ぐことは出来ないか……ということを。

 

 

 ──結論は、直後に出た。

 

 

 それは、『不可能』という三文字であった。どう足掻いても、己には無理だということを彼女はすぐに悟ってしまった。

 

 

 自分一人助かろうと思うのであれば、そう難しいことではないだろう。

 

 鬼の頑強さは伊達ではない……しかし、自分以外の……それも、人間を含めた様々を護ろうとするのであれば、無理だ。

 

 

 はっきり言って、手が届かない。悔しいが、それもまた彼女の出した結論であった。

 

 

 霧のように己が肉体を霧散させたとしても、己の庇護が及ぶ範囲は高が知れている。いくら彼女とはいえ、大陸全てを覆い守るなんて芸当は出来ない。

 

 気合を入れれば……無理だ。この身体の大本ともいえる東方Projectにおいても『伊吹萃香』は最強の一角とされていたが、それでも無理なものは無理であった。

 

 

「……あんたがさっき口にした『最後の望み』、それは私で何とか出来る問題かい?」

「残念だが、貴女にもどうすることは出来ない。何故なら、私の望みは主たちが残したこの施設を維持し、保存することなのだから」

「つまり、爆発自体をどうにか出来ない限りは……ってこと?」

「その通り。貴女とて、既に理解したのだろう。貴女では、『星食い』をどうすることも出来ない。故に、貴女にはもう出来ることはない」

「……何とか爆発を止める手段はないのかい?」

 

 

 しかし、だからといって、だ。自分は無事だろうからはいそうですかと納得出来る話でもないし、したい話でもない。

 

 

 眼前の女ほどではないが、己もまたそれなりの年月を生きて来た。相応の付き合いというか、それなりに愛着というやつを覚えている。

 

 脅し脅され殺し殺される世界に生き、因果応報で死ぬのならば彼女も見て見ぬふりをする。

 

 だが、こんな……ある日宇宙より飛来した隕石で人類は滅亡するのとそう変わりない最後は無いだろうと……彼女は思ったのだった。

 

 

「残念ながら、それは無い。これは損得の問題ではなく、純粋にどうにも出来ないことだ。私に、これ以上の爆発を止める手段が無い」

 

 

 けれども、そんな彼女の意見は直後に否定された。

 

 

「貴女達の言葉を借りるのであれば、ガス欠。私たちの生命線であり、『星食い』を抑え付ける為に必要な燃料が底を尽きかけている」

 

 

 ──なんだって? 

 

 

「……ガス欠?」

 

 

「『星食い』を抑え付ける為に、現時点で約8割近いリソースを割り当てている。しかし、燃料の調達の為には最低でも3割のリソースを割く必要がある」

「出来ないの?」

「現状ですら、綱渡り。3割もリソースを割いた瞬間、この大地ごと私たちは粉微塵になるだろう」

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そう言われてしまえば、もう、彼女に言えることは何も無かった。そして、出来ることなど何も無いと改めて断言されたような気がした。

 

 

 ──いっそのこと、玉砕覚悟で乗り込んでみようか。

 

 

 そんな考えが脳裏を過る。負ける気はさらさらないが、この場合は勝敗がどうという問題ではない。文字通り、鬼の力で、『伊吹萃香』ではどうにも──ん? 

 

 そこまで考えた時であった。彼女の耳に、ビー、と聞き慣れない異音が届いたのは。

 

 

 警告音……というやつなのだろうか。

 

 

 この音が何を意味するかは分からないが、『何か良くない事が起こった』ということを直感的に知らせる、不穏な気配を孕んでいた。

 

 

「──外部センサーが異常を感知した。少し、待て」

 

 

 これは何だと視線を向けた彼女が目にしたのは、これまでとは打って変わって表情を変えた女の面持ちであった。

 

 といっても、変わったのは僅かばかり目を見開いたという程度のこと。

 

 しかし、それは同時に、この女の表情を変える何かが起こっていることを如実に表していた。

 

 

 ──ぱちぱち、と。女は無言のままに瞬きを繰り返している。

 

 

 何かをしているのだろうが、それが分からない彼女は黙って様子を見守るしかない。

 

 

「……以前に侵入を許してしまった失態を反省した。以来、私と連動している内部カメラと、独立している外部カメラの二つを用いている」

 

 

 すると、手持無沙汰になっている彼女に女は、簡潔に説明してくれた。

 

 

「玩具のようなものだが、私の注意が逸れている時にも絶えず──」

 

 

 そこで、言葉が止まった。「……どうした?」そのまま二の句を告げないでいる女を前に、小首を傾げた彼女が続きを促し──そして。

 

 

「──信じ難い、侵入者だ。私たちの警戒網を掻い潜って、『星食い』の傍にまで接近している何者かがいる」

「……は?」

 

 

 告げられた続きに、彼女もまた言葉を止めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………かしゅん、と。廊下から入り込む唯一の明かりが、地下へと続くエレベーターの扉によって遮られる。一センチ先すら見えない暗闇の中で、彼女は静かに……己が地下へ案内されてゆくのを感じ取っていた。

 

 

『──聞こえているか?』

 

 

 彼女の驚異的な視覚を以てしても、どうにもならない暗黒の最中。ふう、と酒気混じりの吐息を吐いた彼女へと、その声は唐突に響いた。

 

 

『──対象は、相変わらず動きを見せていない。何が目的かは分からないが、星食いに攻撃を仕掛ける素振りはないようだ』

「というと、ただ迷い込んだだけとか?」

『──ほぼ、0に近い可能性だ。『星食い』を収容している隔離室は、空間そのものを断絶した場所。物理的な侵入は不可能』

「……0ではないわけね」

『──主たちが旅立ってから、これまで。あの時に比べて、この地に住まう生物たちの生態系は大きく変わっている』

「つまり、侵入できるやつがいるかもしれないってわけか」

『──そうだ』

 

 

 声の主は、あの女だ。何処に取り付けられているのかは知らないが、スピーカーでも……いや、今はその事はどうでもいい。

 

 

 現在、彼女が乗っているこのエレベーターの行き先は、『星食い』が収容されている格納庫である。

 

 

 どうして彼女が向かっているのかといえば、『星食い』の傍へと接近を果たした何者かを排除する(場合によっては仕留める)ためである。

 

 女曰く『星食いは、死した後も周辺の様々なエネルギーを吸収し、それを爆発のエネルギーに変換してしまう』から、らしい。

 

 

 ……現状、『星食い』の状態は安定している。だが、安全というわけではない。

 

 

 36時間後に爆発するというだけあって、何がキッカケでリミット・ブレイクするかは分からない。最悪、これが原因で数十分後に爆発……なんて事態にもなりかねない。

 

 乗りかかった船というのも変な話だが、知ってしまった以上は無視できない。というか、無視したら数十分後に人類どころか己も只ではすまない……やるしか、なかった。

 

 

(あの女からしたら、5分後にここが吹っ飛ばされようが、36時間後に吹っ飛ばされようが変わりない事だから、どっちに転んでもいいんだろうなあ……)

 

 

 ある種の諦観というか、自暴自棄というやつか……いまいち、やる気が感じ取れなかったなあ……そうして思考を巡らせていると、だ。

 

 僅かばかり、身体が重くなった。ほとんど音がしないから分かり難いが、隔離室が近いのだろう。慣性が、ずしりと肩に圧し掛かるのを感じた。

 

 一拍遅れて、かちゃん、と異音が響いた。それはまるで扉の鍵を開けたかのような音であった。

 

 

『先に話しておく。隔離室にいる『星食い』へのエネルギー供給を抑える為に、中に入ればもう私から貴女に干渉することはしない。極力、な』

「へえ、そうなの」

『貴女の判断で、決めて欲しい。それと、隔離室内はかなりの悪環境だ』

「つまり?」

『明かりは無く、音も無く、重力も遮断されている。絶対零度に保たれた空間は真空を維持し、この地に住まう生物であっても1分と生きられない』

「まあ、何とかなるだろ」

『──断絶空間への連結、確認。『星食い』への影響率、0.00001%以下を確認。最終調整……終了。15秒後に、隔離室への扉を開放……後は、貴女に任せる』

 

 

 その声が真っ暗なエレベーター内に響いてから、きっかり15秒後。ぱかりと、音も無く開かれたその向こうに……ソレはいた。

 

 

 

 

 

 

 ……僅かな時間の間に、変化したのか。ソレは、映像越しに見た姿とは大きく異なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その姿を言い表すのであれば、月に遮られた太陽……だろうか。

 

 全体的なフォルムは映像のソレとそう変わりないが、それだけだ。真っ黒な輪郭に沿うようにして帯びている光は、まるで炎のように揺らめいてすら見えた。

 

 隔離室に、明かりは点いていない。そもそも、無いのかもしれない。しかし、『星食い』が帯びている光によって、相応に広さがある隔離室全体が確認出来るぐらいに明るかった。

 

 ……どうしたことか、肝心の侵入者の姿が見られない。グイッと身を乗り出して室内を見回したが、その気配も感じられない。

 

 

 ……一歩、足を踏み入れる。

 

 

 境目すら見えないが、エレベーターから隔離室に移動出来たのだろう。ふわりと、身体が浮き上がる。振り返れば既に扉は閉じていて……直後、彼女の身に降りかかったのは……全身に纏わりつく極寒と、強烈な熱気であった。

 

 絶対零度というのがマイナス何℃なのかを彼女は知らなかったが、なるほど……これは生物が生きられる温度ではないなと納得した。

 

 ぱきぱき、と。肌に付着していた僅かな水分……つまり、汗が凍りつき、直後に熱気によって溶けて、また凍りつくのを繰り返している。

 

 ……真空というだけあって、ただ寒いだけでないというのが、肌を通して実感させられる。

 

 

(……とりあえず息は止めているけど、けっこう辛いな、これ)

 

 

 空を飛び回れる故に、この無重力の感覚は慣れている。ふわりと、音も無く(真空なので、音はしないけど)着地した彼女は……改めて、『星食い』の前に降り立った。

 

 

 ……デカい。映像越しにも分かっていたが、やはりデカい。そのうえ、何という熱量なのだろうか。

 

 

 ただ、見つめるだけ。それだけで、まるで太陽のように目を焼いてくる感覚を彼女は覚える。彼女だからこそ平気だが、人々が使う防護服程度なら瞬時に焼けてしまっただろう。

 

 それほどの熱気が、彼女の肌にぶつかってくる。おそらくは遮断しきれないエネルギーやら何やら、言うなれば染み出た一滴に過ぎないはずのそれが……なんと、なんと。

 

 腕を伸ばせば、鬼の身体を以ってしても痛みを覚える程の熱を感じる。下げれば、また極寒の冷たさが……なるほど。

 

 ある種の境が、『星食い』を囲うようにして形成されているようだ。どういう原理かは知らないが、抑え込んでいるとは、コレの事を差すのだろう。

 

 

(……周りには誰もいないな)

 

 

 とりあえず、『星食い』は後回し……ぐるりと辺りを見回した彼女は、首を傾げた。やはり、誰もいな……ん? 

 

 

 ──あ、いた。

 

 

 思いの外、あっさり侵入者は見付けられた。と、同時に、彼女は軽く目を瞬かせた。驚いた理由は二つで、二つ目がより大きく彼女を驚かせた。

 

 一つ目は、星食いの傍……境目の向こうに侵入者がいたこと。彼女ですら、境目の向こうにいれば相応にダメージを負うであろう場所に、いるということ。

 

 そして、二つ目は……侵入者が人間の男性であったからだった。

 

 そう、人間だ。私服というよりは制服みたいなデザインの恰好をした、男性。遠目にも、その男が只者でないというのが見て取れた。

 

 

 ……だが、しかし。

 

 

 直後に、彼女は気付いた。確かに、男は人間ではあったが……気配が違う。見た目は同じでも、彼女の知る人間とは異なっていることに。

 

 姿形が似ているだけなのだろうか……有り得ると、彼女は思った。少なくとも、ここならそういうやつがいても不思議じゃない。

 

 

(光に目が眩んで見落としていたのか……?)

 

 

 境目に触れないよう気を付けながら、ぐるりと回って男に近づく……あ、気付いた。

 

 こちらの気配に気づいたのか、偶然か。フッと唐突に顔を上げた男の目が、彼女を捉えた──瞬間。

 

 

 ──形相を変えた男が、彼女の下へと走って来た。

 

 

 あまりに有無を言わさない突然の変化に、彼女は反射的に拳を振り被り──手を止める。位置的に、攻撃の余波が『星食い』に当たってしまうのを危惧したからだった。

 

 

 ──結果的にそれは、正解であったかもしれない。

 

 

 何故ならば、駆け寄ってきた男は境目の辺りで足を止めたから。次いで、男が何をしたのかといえば……その場に土下座をしたうえでの、懇願であった。

 

 男の声は、聞こえない。しかし、その姿は見える。彼女の目が捉えたのは、涙と涎を垂れ流しながらも何かを叫び続け、何度も何度も額を床に打ち付けて懇願する……命乞いにも似た所作であった。

 

 しかも、だ。ハッと気づいた時にはもう、その数が増えていた。男の隣に、新たな人物がもう一人……二人。いったい何時の間にそこに現れたのか、彼女の目を以ってしても分からなかった。

 

 

 ──は、え、えええ? 

 

 

 これにはさすがの彼女も、面食らった。

 

 

 何かしらの攻撃かとも思ったが、どうにも様子が違う。何度も土下座を繰り返すその様は、まるで本物の人間のようで。それが、数人……いや、気付けば十数人にも数が膨れ上がっている。

 

 その十数人が、一斉に頭を下げている。何が目的かは分からないが、必死になって土下座を繰り返して……何だ、この……何だ? 

 

 

(ここまで入って来て、今更命乞い……?)

 

 

 自分ですら、入るのにドタバタしたというのに。侵入してきたにしては、ずいぶんと……いや、待てよ。

 

 

 ──こいつ、いや、こいつらの恰好に見覚えがあるぞ。

 

 

 脳裏を過った何かに、彼女は目を瞬かせた。いったいそれは何かと思考を巡らせ……思い出した。

 

 

(こいつら、あの映像のやつだ。二百何十年前だかに侵入してきたやつらだ……何故、こいつらが生きているんだ?)

 

 

 新たに侵入を果たした……というのは考えにくい。仮にソレが出来たなら、脱出も行っているはずだか──っ!? 

 

 そこまで思考を巡らせた、その瞬間。僅かに境目が揺らいだ気配を探知した彼女が、そちらに一瞬ばかり目を向けた──その時。

 

 

 ──衝撃が、脳天を走った。いや、脳天だけじゃない。まるで全身を揺さぶられたかのような衝撃に、彼女はたたらを踏んだ……直後、耳の奥から痛みが走り……何かが、肩に触れた。

 

 

 いったい何だと思って触ってみれば、固い何かが耳に貼り付いている。軽く擦って見てみれば……凍りついた鮮血が、指先に付着していた。

 

 

 ……何だ? 

 

 

 攻撃された──それは、分かる。だが、いったい何をされたのかが分からない。自然と、彼女の視線が、先ほどと同じく土下座を続けている者たちに向けられる。

 

 

 こいつらは、攻撃を受けていない……何故だ。何だ、どうやった、何をされ──っ!? 

 

 

 再び、境目の気配が揺らいだ。それを視界の端に捉えた瞬間、再び衝撃が全身を揺らした。パッ、と視界が一瞬ばかり揺れて──鬼の治癒力で再生したばかりの鼓膜が再び、破れたのが分かった。

 

 

 ──これが、溜め込まれているエネルギーというやつか? 

 

 

 二度も受けたおかげで、何をされたのかが分かった。いや、正確にはされたのではなく、何が起こったのかを推測することが出来た。

 

 

(外に一滴漏れただけで、これか……なるほど、どうにもならないと諦めるわけだ)

 

 

 振り返って辺りを見回せば、酷い有様だ。『星食い』から漏れ出た光に照らされた暗闇に、幾つもの亀裂が見える。

 

 零れ出たエネルギーが衝撃波となって、室内を反響したのだろう。鬼である彼女を傷つけたのもそうだが、隔離されたこの部屋を破壊するほどの威力……正直、考えたくはない。

 

 

 はてさて……どうしたものか……とりあえず、こいつらに話を聞くとするか。

 

 

 今にも爆発しそうな気配を見せている『星食い』は後にして、まずは侵入者だ。いったい、何が目的でここにいるのか……それを知る為に、彼女は境目の向こうへと腕を入れて、土下座する男の一人を掴んだ。

 

 

 ……抵抗しないのか。

 

 

 逃げようとするかもと思ったが、しない。掴まれた男は心底安堵した様子で、逆に彼女の腕を掴んだ。いや、それだけでなく、掴まれた男の身体へ、次々に他の者たちがしがみ付き始めた。

 

 

 ──ますます意味が分からない。

 

 

 けれども、抵抗する気がないなら好都合だ。下手に抵抗されて『星食い』にエネルギーを吸収されるよりはずっと……そう思い、彼女はグイッと男たちをこちら側に──えっ!? 

 

 身体が、引っ張られる。手が、男たちから離れた。合わせて、男たちが彼女から距離を取る。逃げ出した──いや、違う。

 

 

 逃げたのではない、引き寄せられているのだ。何処にって、そんなの決まっている──『星食い』に、だ。

 

 

 絶望に顔を歪めた男たちが、床に爪を立てて堪えようとした──が、無意味だった。

 

 男たちの腕力では床を傷つけることすら出来ず、一瞬にして黒い輪郭の中へと吸い込まれて行った──その、瞬間。

 

 

 ──彼女は、見た。『星食い』の中に蠢く、数千、数万、数百万にも及ぶ……夥しい命のざわめきを。

 

 

 そこに、共通点はない。今しがた彼女の前に姿を見せていた男たちを始めとして、獣や巨大な虫、あるいはそのどちらでもない異形の何か……とにかく、多種多様な気配が蠢いていた。

 

 

 一瞬、それが飛び出して来るかと身構えたが……違う、そうじゃない。

 

 

 気配はどれも生きている。だが、違う。生きてはいるが、生きてはいない。まるで、生け簀の中で生かされているかのような……不快感を覚える気配であった。

 

 

(まさか……生きているのか? あんな状態になってもまだ、二百年以上……死なないまま、狂うことすら許されないまま、延々と搾り取られ続けているのか?)

 

 

 おそらくは、この大陸に来て最大の嫌悪感だ。何がどうなって、そうなったのか。彼女には分からない事だが……これほどに惨い仕打ちが、あっただろうか──と。

 

 

 ──それは、鬼である『伊吹萃香』がもたらした直感かもしれない。

 

 

『星食い』が身に纏っている光が、中心へと集まり始める。一拍遅れて、境目が内側へと……『星食い』に纏わりつく。合わせて、室内を照らしていた光の全てが小さく、けれども、より強くなってゆく。

 

 

 ──おい、おいおい……このタイミングでか!? 

 

 

 それまで、放出するだけであった『星食い』のエネルギーの全てが、中心へと凝縮する。何が起ころうとしているのか──それを考える間は、なかった。

 

 

(──やばっ!)

 

 

 反射的に伸ばし掛けた手を、彼女は既のところで引く。直後、彼女は反射的に己が力である『疎と密を操る程度の能力』を解放し──爆散しかけた『星食い』を、その場に集めた。

 

 

 ──っ!? 

 

 

 瞬間、彼女の総身を襲ったのは……筆舌に尽くしがたい激痛であった。

 

 冗談ではなく、爆散を留めた瞬間、彼女は己の身体が弾けたかと思った。意識も飛び、視界が一瞬ばかり途切れ……辛うじて能力が解除されなかったのは、幸運としか言い表しようがなかった。

 

 

 ……ぎっ、ぐっ、ぐっ。

 

 

 食いしばった奥歯が、ぼきりと折れた。能力から零れた余波が、隔離室を粉々に粉砕する。一拍遅れて、暗闇の向こうから空気がこの部屋に雪崩れ込んできた。

 

 隔離されているはずの空間はもう、隔離されていない。暴風となって吹き荒れた空気が、凄まじい勢いで室内へと……けれども、彼女はそれを気にする余裕はない。

 

 

 ぶぼっ、ぽっ、ぷぴっ。

 

 

 目から、鼻から、耳から、口から……鮮血が噴き出す。いや、顔からだけではない。『星食い』へと差し出した両腕に浮き出た血管が、ぶちりと弾けて皮膚を突き破り、鮮血が彼女の身体を濡らした。

 

 

 ……ヤバい。彼女の脳裏を埋め尽くしているのは、この3文字であった。

 

 

 抑え込んでいるからこそ、分かる。一瞬でも能力を緩めたら最後、『星食い』が爆散する。そうなれば、己もそうだが……人類史がここで途絶えてしまう。

 

 

 だが……どうする? どうすれば、いいんだ? 

 

 

 はっきり言って、長くはもたない。東方Projectにおいて、存在そのものがインチキだと称された怪物。その『伊吹萃香』を以ってしても、抑えられるのはもって数分……いっ!? 

 

 

 ──凝縮された光から、気配が再び蠢き出した。

 

 

 何が起ころうとしているのか……決まっている。『星食い』に取り込まれている命が、解放されようと暴れている。地獄のような苦しみから少しでも早く逃れて死を求めるがあまり、なりふり構って……んん!? 

 

 

 ──かくん、と。両足に僅かばかりの負荷が掛かった感覚を覚えた。

 

 

 これは……上昇しているのか。エレベーターに乗った時と、感覚が似ている。もしかしたら、この隔離室ごと……? 

 

 だが、上昇して何だというのか……そう舌打ちを零しそうになったが、身動きが取れない。下手に動こうとするだけで、抑え込んだ『星食い』が弾けてしまいそうだ。

 

 

 ──ばきり、と。

 

 

 砕けた奥歯が弾けて、他の歯を傷つける。ぱちん、と口内から飛び出た白い破片が、かつん、と床を転がってゆく。ぶちりと、こめかみから、鮮血が噴き出した。

 

 

『──地上に出る、その後、加速……そのまま爆散を抑え続けてくれ』

 

 

 女の声が暗闇の……スピーカーから聞こえてきた。返事は、出来ない。とにかく言われるがまま、『星食い』を抑え続けている……と。

 

 

 ……光が、彼女を照らした。

 

 

 と、同時に、臭いがした。これまで、この施設に足を踏み入れてから一度として感じなかった、緑の臭い……汗で滲む瞳を動かせば、初めて己が地上に出ていることに気づいた。

 

 

 ──気付かぬ内に、外は夜になっていたようだ。

 

 

 文明の光がない地上は、真っ暗闇。空には幾つもの星々が輝き、大運河が如き鮮やかな道を描いている。こふう、と、この時初めて彼女は……大きく息を吐いて、吸って、吐いた。

 

 傍から見れば、それは何とも奇妙な光景であっただろう。

 

 何せ、巨大な毬栗(いがぐり)を乗せた、それ以上に巨大な足場が、ぐんぐんと浮上してゆく。その勢いは、さらに加速する。

 

 いったいどこまで……隔離室……いや、もう隔離されていない。足場だけが残された残骸ごと、ぐんぐんと上昇を続け、夜空の中へ、雲海を突き抜け……成層圏へと至る。

 

 そうして、音も無く足場の上昇が止まったのは……眼下に大陸を見下ろせるぐらいの高さまで浮上した頃であった。

 

 

(ぎっ、ぎっ、さ、さすがに、限界……か……!)

 

 

 ぶるぶると、限界に達しようとしている手足が痙攣を始めている。もう間もなく、爆発してしまう……と。

 

 

『──そのまま、抑え込むのを解除してくれ。爆散は止められないが、爆発に指向性を持たせることは可能だ』

 

 

 ……それって、つまり? 

 

 

『──爆発のエネルギーを、宇宙へ逃がす。さあ、早く……計算上、貴女ならば耐えることが可能……感謝する、結果的には、貴女に望みを叶えてもらった』

 

 

 ……そ、そうかい……じゃ、じゃあ。

 

 

 そこまでが、限界であった。何時傾いてもおかしくない均衡が、傾いた。フッと、彼女は促されるがまま能力を解除した──その、直前。

 

 

『──生きていたら、お礼を送る。ありがとう、次元の旅人よ』

 

 

 不穏な言葉が掛けられて。それに、彼女はギョッと目を見開いた──その時にはもう。

 

 

 ……彼女は、光となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──。

 

 ──。

 

 ────線だ。

 

 

 

 ──。

 

 ──。

 

 ────色とりどりの線が、視界を流れてゆく。

 

 

 

 ──。

 

 ──。

 

 ────右から左に、左から右に。

 

 

 

 ──。

 

 ──。

 

 ────上から下に、下から上に。

 

 

 

 ぐるんぐるんと、世界が回る。ぐるんぐるんと、全てが回る。

 

 自分が今、何処を向いているのかが分からない。手足の感覚はとっくに消えて、もしかしたら、千切れてどこかへ……そう思ってしまうほどに、もはや己がどのような事になっているのかが分からなかった。

 

 

 ただ……そんな中でも、分かることが幾つかある。

 

 

 それは今、己が空を飛んでいるということを。いや、これは飛んでいるというよりは、飛ばされているという表現が正しいのだろう。

 

 空を飛ぶ己ですらどうにもならない、弾丸が如き速度。

 

 速さという点においては、鬼である己をも凌駕する天狗(この世界に存在しているかは、不明だが)ならば、どうにか出来たかもしれないが……まあいい。

 

 

 とにかく、彼女は飛んでいた。

 

 

 びゅう、と。風を切って、雲を幾つも突き破り、ぐるぐると、ぐるぐると、ぐるぐると……衛星のように、ぐるぐると大陸を横断し続けている。

 

 ぼんやりした意識の中で、ふと、彼女は思う。これほどの速さなら、とっくに宇宙の外に投げ出されてもおかしくないはずだ。

 

 それなのに、一定の距離から、一向に身体が離れてゆかない。既に数千回ぐらい星を巡回したというのに、ずっと同じ速度で回転し続けている。

 

 

(もしかしたら、あの女が何かをやったのだろうか……有り得るな)

 

 

 何とか速度を緩めたいが、爆発と速度のショックか身体が言うことを聞いてくれない。

 

 並の鬼であったなら、四散し肉片になっているであろうぐらいの衝撃だから、それも致し方ないのだろう。

 

 

 ……後、どれぐらいの時間、こうしていれば良いのだろうか。

 

 

 朝が来て、夜が来て、また朝が来る。時間の経過を認識することは出来るが……それだけ。既に、十数日は経過しているだろうか。

 

 何をするにしても、もう少し速度が落ちてくれないと彼女とてどうにも出来ない。最低でも、今の半分ぐらいにまで速度が落ちてくれないと……どうにも。

 

 

 ……しかし、退屈だ。心の中で、彼女は思う。

 

 

 景色の一つでも眺めることが出来たなら話は別だが、右に左に上に下にと回転を続ける己の身体を制御出来ない以上、景色なんて分かるわけがない。

 

 これまた天狗ならば、こんな状態でも景色を眺める余裕があったのかもしれないが……まあ、いい。

 

 不幸中の幸いというべきか、身動きできないだけで命に別状がないというのは感覚で理解出来る。それと同時に、ちょっとずつではあるが……昨日よりも速度が落ちているような気がしなくもない。

 

 もしかしたら、あと数日もすれば姿勢を立て直せるぐらいにまで速度が落ちるかも……ん? 

 

 

(あれ、何か目の前に広がっていた青色が、緑色や山吹色に変わっ──)

 

 

 そこまで考えた瞬間、顔面に衝撃が走った。同時に、ごきりと首の骨が折れた音が頭に響いた──のを自覚する前に、次の衝撃が来た。

 

 

 傍目からみればそれは、掃除機に吸い込まれた塵屑のような有様であっただろう。

 

 

 一つ、二つ、三つ、四つ。大地を砕き、木々を打ち抜き、水面を吹き飛ばしながら、彼女の小さい身体は跳ねながら乱回転を続ける。

 

 落下し続けていることに、気付いていなかった。それ故に、受け身がまるで取れなかった。最初の衝撃でほとんど意識を飛ばしてしまったせいで、余計に。

 

 

 その様は、まるで大地を砕いて跳ね返る隕石のよう。

 

 

 自分が何処を飛んでいるか以前に、何度跳ねたのか分からないままに、空を舞う……衝撃波を残しながら、何度も何度も何度も。

 

 

 幾度も続く衝撃に右腕が砕け、左腕が砕け、右足が砕け、左足が砕け、肋骨が粉々に砕け、腰骨が砕け、肩が砕け、頭蓋骨が割れる。

 

 合わせて、右腕が切れて、左腕が切れて、右足が切れて、左足が切れて、胸部が切り裂かれ、腰に岩石が食い込み、角が片方……折れて、何処かへと飛ばされる。

 

 

 そうして、そのまま幾度跳ね返り続けたのか……分からない。

 

 

 もはや、痛みを痛みとして認識出来る段階を超えていた。さすがの彼女も、己の死を強く実感し始めた……その時。

 

 どこん、と衝撃が背中に走り……重圧が収まると同時に、丸まった手足がぱたりと落ちた。

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………止まった。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………ぼんやりとした頭で、身体の具合を確認する。

 

 

 

 視線の先にある、建物の天井を見つめながら、一つ、二つ、三つ……軽く呼吸をしただけで、刺すような痛みが主に折れた首と胸中から広がる。

 

 無事な場所を探すだけで、小一時間は掛かりそうなレベルだ……もしかしたら……いや、間違いなく、これまでにおいて最大級の負傷であった。

 

 

(いってぇ……首が折れているからか、息をすると無茶苦茶いてぇ……位置を変えたいけど、両腕も酷い有様なんだよなあ……)

 

 

 とはいえ、だ。幸いにも身動きが取れないだけで、即死は免れている。しばらくはこの痛みに耐えなくてはならないが、それでもしばらくすれば折れた首は繋が……ん? 

 

 足音が……聞こえてきた。鼓膜のような小さい部位は治るのが早いのか、もう周囲の音を拾う事が出来た。まあ、拾えるだけだが。

 

 

 ……出来る事なら、最初から首が横を向いていたら楽なのだが……まあ、仕方ない。

 

 

 痛みを堪えながら、顔を横に向ける。瞬間、鋭く走った痛みに彼女は目尻に涙を浮かべ……黒い服を着た誰かが……男たちが、こちらを指差し、次いで、拳銃を向けているのが見えた。

 

 

 ……人間……ってことは、運よくこっちの方に着地出来たのか? 

 

 

 黒い服を着た人間たちが、彼女を見ている。銃を向けている。彼女が逃げられないように、油断なく囲うように人が集まって来ている。

 

 

 ……もしかしたら、こいつらの家にぶち当たったのか? マフィアの誰かの屋敷か? 

 

 

 朦朧とした意識の中で、彼女はそれだけを辛うじて理解する。次いで、彼女は何か液体のようなものが己に降りかかっているのを感じ取った。

 

 

 ……ペットか何かに、ぶち当たったのか? 

 

 

 何とも言えない刺激臭と共に、視界の端に映る臓物の一部。それを見やりながら、悪い事をしてしまったなあ……と思っていると。

 

 

「──っ、──っ」

 

 

 黒服の男連中から、白い服を着た少女が飛び出してきた。世辞抜きで、美少女に分類される……おそらくは15、16歳ぐらいの、淡い青色の髪色を持つ少女であった。

 

 

 ……はっきり言って、この場においては場違いとしか言いようがない風貌の少女であった。

 

 

 集まっている黒服の男連中は、どこから見ても『屈強』という二文字が似合う体格をしている。表情からも、そういう場数を踏んで来ているのが見て取れる。

 

 それに比べて、少女の方は違う。

 

 女だからとか、ティーンだからとか、そういう話じゃない。纏っている空気……雰囲気が、裏の人間のそれではない。擬態なら大したものだが、鬼としての直感が……擬態ではないことを感じ取っていた。

 

 

(……ボスの娘、あるいは若い愛人。なるほど、男たちが困った顔をするわけだ)

 

 

 痛む身体を堪えて、大きく息を吐く。途端、集まっている黒服たちの目の色が変わった。少しでも不穏な動きを見せたら射殺する……ということなのだろう。

 

 

 ──だが、少女だけは反応が違った。

 

 

 緊張感を孕みつつも困った様子で背後に下がらせようとしている黒服たちを尻目に、しかめ面をしていた少女の視線が、彼女へと向けられ……瞬間、パッと華やいだ。

 

 

 ……何だこいつ。

 

 

 年頃の少女は何を考えているかさっぱり分からん……そう思っていると。

 

 

『──っ!』

 

 

 少女が、廊下の向こうへ声を張り上げた。

 

 

(何を言っているのかがよく分からん)

 

 

 今更ながら、ダメージが大き過ぎるのを自覚する。音として少女の声を認識出来てはいる。しかし、その意味を理解出来るだけ頭に血が回っていなかった。

 

 悪事を企むような子には見えないが……ぼんやりしたまま眺めていると、駆け付けた誰かから何かを受け取った少女は、黒服たちの制止を振り切って……彼女の傍まで駆け寄った。

 

 

 ……少女の手は、小さい木箱を持っていた。

 

 

 何を……そう彼女が思う前に、彼女の前にて腰を下ろした少女が、同じく下ろした木箱を開ける。中から取り出したのは真新しい包帯やらタオルやら絆創膏やら……なるほど。

 

 

 ──この子は、私を治療しようとしてくれているわけか。

 

 

 納得する彼女を尻目に、少女の手が伸ばされる。身体に付着した汚れやら何やらを消毒液とタオルで拭われ、その上からペタペタと絆創膏が貼られる。

 

 包帯も、ぐるぐると回される。ただ、知識は無いのだろう。巻き方は甘くて弱く、出血している部位を重点的に巻かれるが、骨折している部位を掴まれるのは、少々辛い。

 

 けれども、悪気はないのだろう。その証拠に、少女の目は真剣だ。無知ではあるが、持てる勇気を振り絞ってくれているのが……彼女にはよく分かった。

 

 

 ……自然と、彼女の視線が少女の全身へと向けられた。

 

 

 ワンピース型の、可愛らしいデザインの衣服だ。部屋着にしては些か高級で、外を出歩くには少々薄すぎる。何処となく、箱入り娘という言葉が似合いそうな雰囲気を帯びている。

 

 その顔立ちもまた、同様だ。

 

 荒事を目にしたことはあるが、体感したことはない。無自覚な理不尽を強要したことはあっても、強要されたことはない……そんな生活を送って来たであろう面持ちをしていた……と。

 

 

「──私は、ネオン・ノストラード。貴女のお名前は?」

 

 

 不意に、尋ねられた。声を、言葉を、理解できた。見た目通りの、大人とは言い難い、可愛らしく幼い声色であった。

 

 返事をしようとして、こふ、と咳が出る。「あ、ごめん、無理に喋らなくていいよ」と、ネオンと名乗った少女に言われた彼女は、大丈夫だと軽く手を振った後。

 

 

「……知り合いには、『二本角』って呼ばれているよ」

「にほんづの?」

「私の頭に生えている角が、二本。だから、二本角」

「……一本しかないじゃない」

 

 

 ちらりと頭を見やったネオンに、「そのうち、生えてくるよ」彼女はそう答えた後……ところで、と唇を開いた。

 

 

「喉が渇いたから、酒をくれないかい?」

「お酒? そんな身体で?」

「酒で身体の中を消毒するんだよ」

 

 

 目を瞬かせながらも、「……貴女、変わっているのね」と首を傾げるネオンを見て……彼女は、言葉無く笑った。

 

 

(やれやれ、もうあそこはコリゴリだ……私は、こっちで酒を飲んでだらだらしているに限る)

 

 

 その笑みは、心底疲れ切っていると同時に、安堵の色が強いモノであった。

 

 

 

 




はい、次はヨークシン編
先に言っておく、ヨークシン編は旅団解体ショーの始まりだからね、旅団ファンは見ないようにね、けっこうあっさり死ぬからね、むごい死に方するやつもいるからね


とりあえず、ネオンを巨乳にするから、スレンダー巨乳にするか、貧乳巨尻にするか……むちゃくちゃ迷っています

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