伊吹萃香もどきが行く   作:葛城

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ションボリフドルフの可愛さに可愛いので忘れたころの初投稿です

前編・中編・後編のうちの、前編部分


第十二話:欲望渦巻くオークションと鬼娘

 その建物が有る場所は、人里より離れた山間の中。そして、その外観は、一目で金が掛かっているのが見て取れる洋館であった。

 

 

 

 

 一目が付かないようひっそりと佇むその館は元々、とある富豪が様々な趣味(意味深)を持つ人たちを呼び出し、有料制のパーティ(意味深)を開く為に用意された代物である。

 

 

 ある時は多種多様な男女が集められて酒池肉林の宴が開かれた。上は60を超えた老人、下は一桁の幼子が集まり、狂った一夜を何度も繰り返した。

 

 ある時は多種多様な性癖を持つ者が集められ、地獄よりも惨く残忍な宴が開かれた。時には死者を出すこともあったその宴も、何度も繰り返し開かれた。

 

 

 しかし、そんな事が永遠に続くわけがない。

 

 

 盛者必衰というやつなのだろう。館の持ち主であった富豪も時を経て落ちぶれ、権利が手放され。転々と持ち主が入れ替わる事が続いた。

 

 

 それも、仕方ないことだ。

 

 

 不動産会社がいくら清掃なり何なりをして見た目を取り繕ったとしても、館に浸みついてしまっている狂気までは拭い去れない。

 

 しかも、元々が生活するのではなく、一夜の狂気を楽しむ為に作られ、改造された建物だ。自然と、別荘として扱うには不便であるのが臭ってくる。

 

 そのうえ、富豪の持ち主で、館自体がその階級に生きる者たちの間で有名だったからだろう。

 

 わざわざ、コレクターでもないのに、そんな曰く付の館を買おうとするものなんて、いない。興味半分、怖いモノ見たさ程度に購入する者はいたが、だいたいの人は一ヵ月もすれば飽きて手放し……という有様であった。

 

 

 ……だが、物好きは何処にでもいるものだ。

 

 

 本来の用途(という言い方も何だが)とは違うが、館の設備を何かしらに使おうとする者がいた。いや、正確には、使おうとする者たちがいた。

 

 

 その者たちの名は、ノストラード・ファミリー。

 

 

 率直に述べるならば、その者たちはマフィアである。もっと詳しく述べるのであれば、地方で燻っているマフィアの一つであり、全体から見ればその力は中の下ぐらいが妥当の、日陰者たちである。

 

 しかし、最近になってノストラード・ファミリーは、とある何かを駆使して急速にマフィアン・コミュニティ内での発言力を増していると……いや、それはいい。

 

 重要なのは、曰くつきの館を購入したのが、田舎のマフィアであるということ。そして、そのボスの娘の名が、ネオン・ノストラードであるということであった。

 

 

 ……とある、その日。

 

 

 その館を使ってノストラード・ファミリーが行ったのは……ボスの娘……すなわち、『ネオン・ノストラードの護衛の選別』であった。

 

 これは……マフィアを含めた裏社会においては何ら珍しい話ではない。有力者に近しい者もまた、有力者と同様にその命を狙われるからだ。

 

 いや、ある意味、その立場から有力者に近しい関係を築ける分だけ、当の有力者よりも命を狙われることがある。

 

 

 ──故に、必要なのだ。

 

 

 ボス(組織)の娘であるネオン・ノストラードを護衛する者が。

 

 だからこその、新たに人員を補充する為に行われる選別……それが、件の館で行われていることであった。

 

 

 ──さて、だ。その試験内容……この日、何が起こったのかといえば、だ。

 

 

 まず、試験を受けるに当たっての参加チケット……指定した品物(当然、本物でなければならない)の確認から始まった。

 

 

 その品物とは、一言でいえば人体に関する物品である。

 

 

 死後数百年経過しているミイラの腕、死してなお有名な女優の毛髪、とある独裁者の脳細胞、危険な魔獣の頭蓋骨(損傷無し)。

 

 何故、そのような品物なのか……それは、ボスの娘であるネオンが、重度の人体収集家であるからだった。けして、品の良い趣味ではないが、まあ、それはいい。

 

 そうして、無事に参加資格を得た数名の就職希望者たちは、館の一室に集められ、面接開始まで待つこととなった……ところを、襲われた。

 

 

 突然、であった。いきなり、不意を突く形であった。

 

 

 相手は、黒子のように全身を黒づくめにした数名の襲撃者。男か女かも分からない出で立ちのそいつらは、武器を片手に室内に飛び込んできたのである。

 

 

 ──一瞬にして室内の空気は騒然とし、殺伐としたものとなった。

 

 

 まあ、当然だ。こういった人物の護衛に就くことを選ぶ時点で、命の取り合いは経験済み。そして、相手の中には銃器を所持した者もいて、それを躊躇なく発砲してきたのだから。

 

 放たれた弾丸は壁に穴を開け、ソファーを貫通してカーペットを削る。幸いなのは、狙いも特に定めずに使用されたマシンガン(数撃てば当たる)は、右に左に照準がズレていた点だろうか。

 

 ……とはいえ、そんな事を抜きにしても、だ。これまた当たり前といえば当たり前の話なのだが、希望者たちとて素人ではない。いや、むしろ、その逆。

 

 

 ──命を狙われるマフィアの娘を、護衛する。

 

 

 そんな命知らずな仕事に志望するだけあって、誰も彼もが相当な場数を踏んでいる。銃器を向けられた程度で怯むようなものは、この場にはいなかった。

 

 ある者は強固になった拳で殴りつけ、ある者はテーブルを素早く盾にして身を隠し、ある者は手にした鎖で弾丸を弾いて……場の空気は、張り詰めつつも均衡する。

 

 ……逃げようと思えば、誰もがさっさと逃げられただろう。だが、集められた希望者たちの誰もが、その場から逃げることをしなかった。

 

 どうしてか……それは、事前に雇用主になるかもしれないボスの使いから、忠告という名の命令をされたのだ。

 

 

『──お時間が来るまで、この部屋を出ることはなりません』……と。

 

 

 故に、集まった者たちは部屋から逃げることが出来なかった。銃器を向けられようが、刃を振るわれようが、留まるしかない。反撃こそするが、ただひたすら耐えるしかなかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、試験を終えてから、幾しばらく。試験を突破した希望者たちは、計4名となった。

 

 

 

 金髪に整った顔立ちに、独特の文様が描かれた民族衣装を身に纏った青年。冷静沈着に試験を有利に進めた……クラピカ。

 

 4人の中では最も背丈が低く、出っ歯で頭皮の薄い風貌の……実は女性であり、類まれな超聴覚を持つ……センリツ。

 

 4人の中では最も背丈が高くて筋肉隆々、リーゼントを思わせる独特の髪形をした男性……バショウ。

 

 4人の中では最も官能的な雰囲気を漂わせつつも、立ち振る舞いには自信が見て取れる女性……ヴェーゼ。

 

 

 

 結果的には誰一人欠けることはなかった希望者たち……否、新人たちは、ネオン護衛団のリーダーを務めるダルツォルネと名乗る男に案内されていた。

 

 ひと目で、誰もが彼を強いと思った。

 

 黒髪で眼光は鋭く、服の上からでも鍛えられた肉体が見て取れる。それでいて物腰は落ち着いていて、強者特有のおごりも見られない。

 

 

 ……リーダーを務めるだけの力量は、確かなのだろう。

 

 

 そのダルツォルネは、目的地へと向かう最中、振り返ることなく付き従う新人たちに幾つかの注意事項を述べていた。

 

 

「──既に説明した通り、お前たちはこれからヨークシンにて開かれるオークションが終わるまでの間、ボスの娘であるネオン御嬢様の護衛に就いてもらう」

 

 

 試験が行われた時の張り詰めた緊迫感とは違い、場の空気は淡い緊張感を孕みつつも穏やかなモノになっていた。

 

 それは、廊下に点々と設置されている美術品……ばかりが、理由ではない。

 

 言うなれば、今のクラピカたちは新人であると同時に同僚となったのだ。故に、ある種の気安さというか、互いの警戒心が解かれた結果であった。

 

 

「ひとまずの任期は、ヨークシンにて行われる地下競売を終えて、この館に戻るまでの間だ」

 

 

 ヨークシン……それは、世界でも有数の発展都市として名の知られている、観光だけでなく様々な産業や工業が集まっている巨大都市である。

 

 しかし、ヨークシンという名が最も有名になる理由はそれらではない。毎年9月に開かれるオークションが理由であった。

 

 その規模は、正しく世界最大。数多くの珍品や貴重品が競売に掛けられるオークションを始めとして、市場などで行われる競売もまた有名。

 

 あくまで噂話だが、犯罪組織たちによる闇のオークション……通称、『地下競売』と囁かれているソレがあることも、都市の名を知らしめる理由であった。

 

 そして、クラピカたちに与えられた業務はというと、だ。

 

 そのオークションに参加するネオンの安全を確保し、無事に自宅へと戻るまでの間の無事を確保する……それが、此度の業務内容であった。

 

 

「その間は、俺がリーダーを務める。護衛中は、基本的に俺の指示に従って動くよう徹底しろ」

 

 

 それと、と、ダルツォルネは言葉を続けた。

 

 

「お前たちの給料はネオン御嬢様の父親であるノストラード氏が支払っているが、お前たちはあくまで御嬢様の護衛だということを忘れるな」

「……それはつまり、ノストラード氏や貴方よりも、ネオン御嬢様の御意思を最優先しろ……ということか?」

 

 

 静聴していた新人たちの一人……試験の際に、鎖を用いて弾丸を弾くという離れ業を見せていた金髪の青年クラピカは、ぽつりと呟くように疑問を投げかけた。

 

 振り返ることなく進むダルツォルネは別として、その他の新人たちの視線がクラピカへと向けられる。

 

 

「場合によっては、ダルツォルネさん、貴方よりも」

 

 

 けれども、クラピカは気にした様子もなく、さらりと話を続けた。

 

 

「……御嬢様に危険が及ぶようなことでない限りは、出来る限り御嬢様の指示に従ってもらう」

 

 

 少し間を置いてから、ダルツォルネはそう答えた。

 

 

「一つ、いいかしら?」

 

 

 補足するように質問を重ねたのは、この場では一番背が低い……センリツと先ほど名乗った出っ歯の女性であった。

 

 

「私たちはこれから護衛対象であるネオン御嬢様と対面するわけだけど、御嬢様の性格とか、その前に頭に入れておかなければならない注意事項はあるかしら?」

「と、いうと?」

「『ボスの娘を護衛する』という依頼で来たわけだけど、私たちは護衛対象が女性であるとこと。そして、その娘が人体収集家であるということ以外、何も知らない」

「十分だとは、思わないのか?」

「ただ護衛するだけを望むなら、それでもいいわね。けれどもより安全への可能性を上げるのであれば、信頼関係を築いておいて損はない。差し支えなければ、教えてもらいたいわね」

 

 

 意味があるのかと疑問に思う者もいるかもしれないが、センリツの質問は、護衛を務めるうえでは絶対に把握しておかなければならないことであった。

 

 

 ……命を狙われているからこそボディガードを雇うわけだが、当然、ガードされる依頼主に掛かる精神的負担は相当なものになる。

 

 

 狙われるというのは、そういうことなのだ。そして、場数を踏んだ度胸ある者だとしても、それが原因で何かしら体調を崩すこともある。

 

 護衛対象を護るうえで重要なのは、護衛する者の実力だけではない。『この人がいたら大丈夫』という、信頼関係をスムーズに築けるかどうかもまた、重要である。

 

 ましてや此度の護衛対象は、ダルツォルネより御嬢様と言われるだけあって、おそらくは未婚の女。それも、20代……いや、10代、一桁の可能性だって、0ではない。

 

 

 ……有事の際、自分(内面なり、何なり)を知ってくれている護衛がいるというのは、意外と馬鹿に出来ることではない。

 

 

 たとえそれが、マフィアの娘であるとはいえ、だ。相当なプレッシャーに晒されているのは、想像するまでもない。

 

 心労によって当人が動けなくなったりすれば、それだけ護衛が難しくなる場合もあるからで……センリツの質問は、特に不思議というわけではないのであった。

 

 

 ……ふむ、と。

 

 

 クラピカ達の先頭を進みながら、ダルツォルネは顎に手を当てて考える……考えなければならない程に気難しい娘なのだろうか。

 

 

 ──それはそれで、厄介だな、と。

 

 

 質問したセンリツのみならず、クラピカ達も似たようなことを考えていると、「──いや、そういうわけじゃない」察したダルツォルネが、違うと首を横に振った。

 

 

「以前とは違い、ここ最近の御嬢様はとても素直だ。俺たちの指示にも従ってくれるし、癇癪を起こすことだってほとんど無くなった……」

 

 

 そこで、ダルツォルネは言葉を止めた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そこから、間が空いた。

 

 

 何だどうしたと思って視線を向けたクラピカたちが目にしたのは……何かを堪えるかのように目元を揉み解すダルツォルネの姿であった。

 

 

「厄介なのは御嬢様御自身よりも、傍にうろつくやつだ……あいつのせいで、ある意味では前以上に大変だぞ」

「うろつくやつ?」

 

 

 曖昧な言い回しに首を傾げるクラピカたちへのダルツォルネの返事は、大きな大きなため息であった。

 

 

「御嬢様曰く、御友人だそうだ。だが、一般人とは思うな。俺が100人束になっても一瞬で返り討ちされるような怪物だと思ってくれたらいい」

 

 

 ……一瞬ばかり、沈黙が場を包んだ。

 

 

「それ、俺たちを雇う意味があるのか?」

 

 

 尋ねたのは、道中ずっと沈黙を保っていたバショウであった。当然といえば当然だが、その質問は全員の総意であった。

 

 

「あくまで、そいつは好きでここにいるだけだ。一度雇い入れようと思ったが、それをするならここを出て行くと言われてしまったのでな」

 

 

 ダルツォルネもその質問が来るのを想定していたのか、今度は間髪入れずに答えたのであった。

 

 

 ……なるほど。

 

 

 凄腕とはいえ、気紛れでいなくなるか分からない者など、戦力としては当てにならない。狙う側からすれば、居る時は油断を誘えるし、居ないときは不安を誘発させることが出来るからだ。

 

 もちろん、それはダルツォルネも分かっている。いや、むしろ、護衛団のリーダーを務めているからこそ、誰よりもそれを分かっていた。

 

 だから、多少なり腕が落ちようが、ちゃんと契約を交わし、いざという時の為に安定した戦力を保持する……その為に新たな護衛を雇い入れると決めたのだと、ダルツォルネは説明した。

 

 

「……つまり、私たちは抜けるかもしれない穴の補充要因というわけか?」

 

 

 しかしそれは、見方を変えれば一流を確保できないから二流三流を雇い入れたという言い方に等しいわけで。

 

 新たに雇われる事となった新人たちにとっては、面白くない話でもあった。

 

 何せ、ダルツォルネの言い方は、数合わせでしかないと言わんばかりのものであったから

 

 雇われた者としては、だ。この中ではおそらく最年少に当たるだろうクラピカが堪らずといった調子で口を挟むのも、致し方ない事であった。

 

 

「それは違う、既に穴は抜けている。お前たちは、抜けている穴を塞ぐ為の補充要因だ」

「……要領を得ないな」

「俺にとっては恥でしかない話だからな……丁度良い、ここで止まれ」

 

 

 けれども、その不満もダルツォルネの言葉によって霧散した。「──コレを見ろ」長い廊下を歩いていたダルツォルネがふと足を止めたのは、壁に掛けられた、とあるオブジェの前であった。

 

 

 ……言葉で言い表すのであれば、それは『額縁に飾られたキャンバスから飛び出そうとしている、苦痛と苦悶に喘ぐ男』と……いったところだろうか。

 

 

 飛び出した男の顔は、今にも悲鳴を上げそうなほど。まるで、今しがた殺されて剥製にされたかと錯覚してしまうぐらいだ。

 

 あまり世間一般には理解され難いだろうが、それでも大多数の者が思わず目を背けたくなるような迫力が、そこにはあった。

 

 

「……作った人とは仲良くなれなさそうだけど、よく出来ているわね。まるで生きた人間を材料に使ったみたいだわ」

 

 

 しかし、この場にいるのは場数を踏んだハンターだ。ポツリと零したヴェーゼの感想には、何の怯えも見られなかった……が。

 

 

「そっちじゃない」

「──え?」

「視線を下げろ、絵の下に瓶が置いてあるだろ」

 

 

 言われて、新人達の視線が下がり……クラピカたちの目に止まったのは、台の上に置かれた、子供の背丈ぐらいの瓶であった。

 

 ……瓶の中は、何というべきかドロドロと赤黒く濁っていた。

 

 中に入っているのが液体であるのは分かるが、それ以外にも何か混ざっている。白かったり、黒かったり、何か細長かったり……いったいこれは? 

 

 

「ソレは、『あいつ』に裏切りを持ちかけた阿呆の成れの果てだ」

 

 

 ──ぎょっ、と。

 

 

 場数を踏んできた新人たちの誰もが、目を剥いた。「……忠告しておく。不用意に『あいつ』の機嫌を損ねるなよ」それを想定していたダルツォルネは、ニヤリと頬を歪めた。

 

 

「『あいつ』は嘘を何よりも嫌う。並びに、嘘に連なること……裏切るという行為も嫌う。そんなやつに、この阿呆は裏切りを持ちかけた……こうなって当然の男だ」

 

 

 吐き捨てるように言い切ったダルツォルネの姿に、ごくりと唾を呑み込む音が響いた。

 

 

 

 

 

『……クラピカ、どうしたの? 心臓が物凄い音を立てたわよ』

『──っ、驚かせてすまない。嘘を嫌うという話から、どうにも知り合いのことを思い出してしまった』

『……それは、貴方のお友達?』

『知り合いであるのは確かだが……向こうがそう思っている保障はない』

 

 

 ……その中で。互いへ囁くように行われたクラピカとセンリツの会話に……気付いた者はいなかった。

 

 

 

 

「……大丈夫なのか?」

 

 

 恐る恐るといった様子で呟いたバショウに、「その点については安心しろ、『あいつ』は意外と義理堅いやつだからな」ダルツォルネは顔色一つ変えずに言い切った。

 

 

「とにかく、『あいつ』はあくまで御嬢様の御友人であり、護衛対象ではない。御嬢様も、『あいつ』を護る必要はないと仰っている。あくまで、俺たちが守るのは御嬢様だ……それを肝に銘じておけ」

 

 

 ──それで、一先ずの説明は終わったということなのだろう。

 

 

 再び歩き出したダルツォルネの背中は、それ以上の問答は必要ないと言わんばかりに拒絶の色を放っていた。

 

 そうなれば、クラピカたちは従う他なくて。自然と、誰も彼もが無言のままに後に続く他なかった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………とはいえ、だ。いったい、ダルツォルネが『あいつ』と呼ぶ人物は何者なのだろうか……その事に思いを馳せない者は、誰もいなかった。

 

 

 いくら大丈夫と言われても、先ほどの瓶を見れば不安になって当然で……先ほどまでは無かった、何とも言えない緊張感を感じながらも、僕敵地である護衛対象(ボスの娘)がいる部屋の前に到着した。

 

 

「──ダルツォルネだ、新人たちを連れてきたから開けてくれ」

 

 

 金が掛かっているであろう扉をノックしたダルツォルネは、その言葉と共に姿勢を正す。それを見て、クラピカたちも思い思いに居住まいを正した。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………が、しかし。開く気配はおろか返事すらされないことに、「……どうした、何故返事をしない?」ダルツォルネは首を傾げた。

 

 

 というのも、出入り口(扉の内側)には侍女が二人控えている。所用(要は、ネオンのワガママ)で離れているにしても、一人は残っているはず……仮に二人ともなら、己の元に必ず連絡をしてから離れるはずだ。

 

 それが出来なかった火急の用事……まあ、飲み物を取って来いだとか、おやつを持ってこいだとか、おそらくはしょうもない理由だろう。

 

 以前よりもワガママの頻度が減ったとはいえ、無くなったわけではない。すぐに機嫌を悪くする御嬢様気質は、未だ健在なのである。

 

 

(……まあいい。とはいえ、連絡もせずに持ち場を離れるのは感心しないがな)

 

 

 ダルツォルネ自身は、侍女を叱りつける立場ではない。

 

 あくまで彼は護衛たちのリーダーであり、荒事への対処がメインであって、侍女たちは御嬢様の付き人であるからだ。

 

 

 だが、それはそれ、これはこれ。

 

 

 侍女ならば、侍女なりにやってもらわねば困る事はある。

 

 特に、護衛を任されている、己に対しては。

 

 なので、後で一言文句を言わねば……そう思いつつ、ダルツォルネはもう一度扉をノックする。次いで、侍女の名を呼ぼう──と。

 

 

 

 

 ──開いてるよ。

 

 

 

 

 中から聞こえた声に、一同は目を瞬かせた。

 

 

 ……この時、ダルツォルネと新人たちとの間(正確には、クラピカを除いた)には、致命的な齟齬が生まれていた。

 

 

 新人たちは、思っていた以上に若い声色に軽く目を瞬かせた。それが侍女の声なのかネオンの声なのかはさておき、若すぎる声だと思った。

 

 

 ……その中で、色々と察してしまったクラピカだけが、「……まさか、再会するとはな」苦笑を浮かべていたのは……まあ、いい。

 

 

 そして、おそらくはこの場で唯一、部屋の中にいるであろう人物に当たりを付けたダルツォルネは……頭痛を堪えるかのように頭に手を当てた後……おもむろに扉を開けた。

 

 

 

 ──そうして、ダルツォルネたちの前に広がったのは、ベッドの上にて膝を抱えて座っているボスの娘であるネオン・ノストラードの姿──。

 

 

「ヴぉぉああああ……」

 

 

 ──ではなくて。

 

 

 頭に二本の角を生やし、両腕と腰に鎖を巻き付かせた素っ裸の少女が扇風機の前にて仁王立ちし、片手には……ジュースらしき液体が入った瓶を持って。

 

 ぐびり、ぐびり、と力強く喉を鳴らし。ぷはあ、とため息を零したかと思えば、「ヴぉああ……」と気の抜けるような声を出しているという……何とも不可解な光景であった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………え、なに、この……なに? 

 

 

 困惑……そう、困惑であった。

 

 

 この場にいた誰もが、困惑に思考を止めた。扇風機に顔を近づけてヴぉああと声を出している少女を前に、誰も彼もが呆然とするしかなかった。

 

 それは、試験中誰よりも冷静に行動していたクラピカとて、例外ではなかった。

 

 

 ……が、しかし。

 

 

 この場で唯一……というか、真っ先に我に返った者がいた。それはクラピカではなく、試験を通じてクラピカたちの実力を見ていた……ダルツォルネであった。

 

 

「…………」

 

 

 これ以上ないぐらいに頭が痛い……そう言いたげにダルツォルネはガリガリと頭を掻いた後、「『二本角』……!」絞り出すように少女から『そのように呼べ』と言われた名を呼んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──湯船に浸かって火照った身体を撫でてゆく、扇風機の風。肩幅に開いて腕を軽く開けば、隠れる部分が無くなった素肌を余すところなく心地良さが通り過ぎてゆく。

 

 

 

 蒸し暑い夏の熱気でもなければ、サウナでしっかり茹った時でもない。湯船にしっかり浸かって火照った時にしか感じられない涼しさを、彼女は心から堪能していた。

 

 ジャラジャラと纏わりつく鎖は……まあ、この際どうでもいい。傍目には邪魔くさいのではないかと思われそうなソレラは、己にとっては身体の一部に等しいから。

 

 そんな事よりも重要なのは……だ。チラリと、彼女は片手に持ったフルーツ牛乳入りの瓶を見やった。

 

 

(やっぱり、風呂上りにはコレだよねえ、これ。この時ばかりは、酒じゃなくてフルーツ牛乳なんだよなあ)

 

 

 そのうえ、この時に飲むフルーツ牛乳は瓶でないと駄目なのだ。

 

 値段も絞り立て果汁やら何やらを使っているお高いモノではなく、一瓶120ジェニーのお手頃なやつでなければならない。

 

 濃厚でもなければ薄くもないお味が、この時ばかりは最高なのだ。

 

 紙パックはもっての外だし、ペットボトルは、邪道も邪道。酒をこよなく愛する彼女も、今だけはフルーツ牛乳の虜であった……と。

 

 

「ここで、何をやっているんだ?」

 

 

 背後から掛けられた声に彼女は……『二本角』と周囲から呼ばれている彼女は、ん~、と振り返り……おや、と頭を掻いた。

 

 

「誰かと思えばダルちゃんか。何って、風呂で火照った身体を冷ましてんの」

 

 

 その言葉に、くん、と鼻を鳴らしたのは誰が最初だったか。言われてみて、ダルツォルネは室内に漂う石鹸の香りに視線をやり……溜息を零した。

 

 

「……ダルツォルネだ。前から言っているが、ダルちゃんなどと呼ぶな」

「嫌だよ、だってあんたの名前ったら長いんだもの。舌を噛みそうだし、ダルちゃんでいいでしょ」

 

 

 ──ぴくり、と。

 

 

 ダルツォルネの目じりが一つ痙攣した……が、文句が口から出るようなことはなかった。

 

 それよりも……ダルツォルネの視線が、部屋の端……脱衣所から浴室へと続いているガラス扉へと向けられた。

 

 ボスの娘であるネオンがいるのは、ダルツォルネに限らず誰もが気配で分かっていた。

 

 本来であればネオンがシャワーを浴びている時に室内に入ることはないのだが……彼女が許可を出したのであれば、話は別だ。

 

 

「……侍女はどうした?」

「一人は脱衣所で待機、一人はキッチンだよ」

 

 

 キッチン……ダルツォルネの視線が、キッチンがある方角へと向いた。

 

 

「風呂上りのレモンティーとホットケーキ、ウイスキーに炙ったイカを頼んでいるところだけど、会わなかったかい?」

「あいにく、キッチンを経由するような事はしていないのでな……!」

 

 

 目じりをぴくぴくと痙攣させているダルツォルネの苛立ちを一言で切り捨てた彼女は、グビッとフルーツ牛乳を飲み干し……ぷはあ、と大きく息を吐いた。

 

 

 ……傍若無人、ここに極まれり。

 

 

 果たして、彼女にそういった羞恥心というものを備えているのだろうか。角が生えているとはいえ、その見た目は思春期に突入してもおかしくないというのに……と。

 

 

 

 

 ──ほんちゃん! もしかして、もう飲んじゃっているの!? 

 

 

 

 

 室内に、彼女の声ともダルツォルネとも異なる、年若い女の声が響いた。自然と、全員の視線が……擦りガラスの扉の向こうにあるであろう、備え付けのユニットバスへと向けられた。

 

 

 ……まさか、な。

 

 

 この場にいた誰もが、脳裏に嫌な予感を覚えた……同時に、そうはならないだろうとも──あっ。

 

 

「一緒に飲もうって話して──」

 

 

 あっ、と。

 

 

 そう、呟いたのは誰が最初だったか……まあ、それが誰だったにせよ、だ。

 

 

「──いたじゃん……かぁ……?」

 

 

 ガラス扉を蹴飛ばす勢いで開け放ち、そのままの勢いで室内に飛び込んできた少女を見て……誰もが思考を止めた。

 

 

 ……浴室へのガラス扉……つまりは脱衣所の向こうから部屋に飛び込んできたのは……雲一つない青空を思わせる髪色をぺたりと肌に張り付いている、美少女であった。

 

 たった今まで湯浴みをしていたからなのだが、少女の裸体は、白い肌をほんのりと淡く火照らせて湿っていた。

 

 と、同時に、その素肌の清らかさは同性……場に居合わせる形になってしまったセンリツとヴェーゼから見ても、軽い嫉妬を覚えるほどであった。

 

 

 ……いや、肌だけではない。

 

 

 多数の視線に晒されることとなった、その裸体は……嫉妬を通り越して称賛の眼差しを向けられるに値する代物であった。

 

 肌の幼さからして、その年齢は15……18歳の間ぐらい。しかし、まだ成長中であるはずの胸元は、大の男の掌でも収まり切らないぐらいの、見事な膨らみが実っている。

 

 対して、腕も足も、腰回りのくびれも驚嘆するほどに細く。お尻の実り具合に限っていえば、年齢相応の幼さが見て取れるが……何の欠点にもならないのは、おそらく誰の目から見ても明白であった。

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 誰も彼もが、無言であった。

 

 

 あまりに想定外な事態を前に、どうしたら良いか分からず、ぽかんと呆けたままでいるしかないクラピカたちも。

 

 この後に訪れる事態を前に、色々な意味で顔色が青色を通り越して白くなり始めているダルツォルネも。

 

 乳房や指先や陰毛から水気を滴らせながら、水面に垂らした絵の具が如く全身を羞恥で紅潮してゆくネオンも……無言であった。

 

 

「──あ、すまん」

 

 

 ただ、一人だけ。

 

 

「ついでにワインも頼んだから、二人ともキッチンに行ってもらってたの、忘れてた」

 

 

 相も変わらず欠片の羞恥心も見せていない彼女だけが、ヴぉああ、と扇風機で遊びながら、そう答えたのであった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………それから、きっかり8秒後。

 

 

 館の端から端まで響き渡るほどのネオンの悲鳴と、ダルツォルネへと投げつけられる様々な小物たち。

 

 それを甘んじて受けとめながら、けして目を向けず、ひたすら謝罪を続けるダルツォルネたちの悲鳴とが……しばしの間、木霊し続けるのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………さて、だ。

 

 

 ちょいと話は脱線するが、どうして『運び屋』をやっている彼女がマフィアの家にお邪魔しているのだろうか。彼女を知る者がこの場に居合わせたならば、さぞ困惑して首を傾げた事だろう。

 

 しかし、そう思い悩む必要はない。答えは単純明快、紆余曲折を経て、何だかよく分からないうちにネオン邸(正確には、ネオンの父の別宅なのだが)厄介になっているだけである。

 

 

 ……当初は厄介になる前に壊してしまった諸々を弁済して済ませようとした彼女だが、そうはならなかった。

 

 

 何故かと言えば、何がどう琴線に引っかかったのかは不明だが、この館のボスでもあるネオンに物凄く気に入られてしまい、あの手この手で引き留められている……まあ、そんなわけだ。

 

 何処が……気に入ったのか。それは当の彼女自身も知らないし、分かってもいない。

 

 ネオンは語ろうとしないし、ネオンがそうしろと言う以上は、ダルツォルネたちも何も言えず……彼女の今の立場は、賓客ということで収まっているのであった。

 

 ……ちなみに、ネオンが口にした『ほんちゃん』とは、ネオンが名付けた彼女の渾名であって、『二本角』から取ったものであるが……まあ、どうでもいい話だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ──とまあ、そんな感じのドタバタから……色々あって、数日後。

 

 

 ネオンと(侍女たちも)、そのネオンを護る護衛団たちが、飛行船と車を乗り付いて……オークションが行われる『ヨークシン』へと到着したのは、昼の14時を回った頃であった。

 

 そこから、予約していたホテルにてチェックインを済ませたネオンたちは、ひとまずの休憩を取ることにした。

 

 何せ、ネオン邸からヨークシン郊外の飛行場にまで、三十数時間。

 

 そこから車に乗ってヨークシン・シティまで、渋滞に巻き込まれながら、だいたい九十分ほど。

 

 そして、予約しているホテルにて諸々の手続きを終えてからベッドに倒れるまで……おおよそ二十五分ぐらい。

 

 いくら体力に満ちている年頃とはいえ、単純な移動時間だけでも二日間弱。普段とは異なる環境にいたこともあって、いつもはわがまま放題のネオンも、『疲れたから、ひと眠りする』とのことであった。

 

 ……さて、そうなれば、護衛団もとりあえずは休憩を……というわけにも、実のところはいかない。

 

 まず、先に室内に入って不審物等のチェック。盗聴器やカメラを始めとしたチェック、壁などに不審な点があるかなど……万に一つの可能性を地道に潰していく。

 

 そうして、安全が確認された室内にネオンが入り、着替えもそこそこにベッドに入ってひと眠りをし始め……そこからが、護衛団にとっては本番なのである。

 

 まず、事前にネオンが参加する予定の『地下競売』が行われる会場の見取り図を頭に叩き込んでいた護衛団は、実際の会場の下見を行った。

 

 見取り図はあくまで、その図が書かれた時点での最新でしかない。あらゆる状況に陥っても即座に対応できるよう、パターンも決めておく。

 

 逃げるにしても、迎え撃つにしても、最優先すべきは誰かの命ではなく、ネオンの命。故に、念入りなシミュレーションが必要であった。

 

 何せ、『地下競売』には世界各国に点在する裏社会の重鎮たちが集まってくる。

 

 当然、他の組織(マフィア)もボディガードを雇ってはいるが……見方を変えれば、それは狙うべき相手が一か所に集まっていることにもなる。

 

 

 ──敵を勝手に想像するな。

 

 ──想像した敵を想定するな。

 

 

 護衛団のリーダーを務めるダルツォルネは、新たなシミュレーションを行う度に、何度も何度もその言葉を呟いていた。

 

 『地下競売』が開かれるのは、明日の夜。休憩を挟みはするものの、ダルツォルネたちの仕事は続くのであった。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そんなふうにして、忙しなく明日に備えるダルツォルネ……いや、クラピカたちを他所に。

 

 

「じゃあ、私はちょっと出かけるから。覚えていたら戻るつもりだから、ネオンに聞かれたら答えといてね」

 

 

 酒瓶を片手に、既に頬を酒気で赤らめた彼女は、唖然としているクラピカたちにそう告げて……さっさと、ホテルを後にしようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それは私にとって、予想外の事態だった。

 

 

 一通りのシミュレーションを終えた私たちが、一時の休憩を入れようかとしている時……何の気負いもなく手を振ってその場を後にしようとする二本角の姿に、一瞬ばかり思考が停止した。

 

 

 ……こいつは今、何と言った? 

 

 

 視線を二本角から外せば、私と同じように呆然としている仲間たち(一時的とはいえ、だ)と目が合った。

 

 

 ……とはいえ、全員がそうではない。

 

 

 私と同じような表情を浮かべているのは、同期になるセンリツやバショウやヴェーゼ……つまり、採用試験を一緒に突破した者たちだけだ。

 

 ダルツォルネを始めとした、護衛団の古株たちにとっては、もうすっかり慣れてしまっているものなのだろう。

 

 その証拠に、視線を向けた彼らは誰一人、二本角を引き留める素振りすら見せることはなく、勝手にしろと言わんばかりに苦笑するばかりだ。

 

 侍女たちに至っては、「ネオン御嬢様が寂しがらないうちに、帰って来てくださいね」と手を振る始末……いや、まあ、彼女らにとっては職務外だから問題はないが……だが、しかし。

 

 

 ……本気、なのか? 

 

 

 思わず、私は事態を受け入れられず、目を瞬かせてしまった。と、同時に、私は少なからず……落胆してしまうのを抑えられなかった。

 

 何故か……それは、今回のオークションが無事には終わらないということを、この場に置いて私だけが知っている(おそらくは、だが)からだ。

 

 

 ──幻影旅団。通称、『蜘蛛』。

 

 

 構成員の出身、年齢、性別、何もかもが不明であり、その情報一つが裏社会では多額で取引されている……世界中にその名を轟かせている、悪名高き窃盗団。

 

 ターゲットとなる相手に共通点はない。

 

 金品が狙われることもあれば、そこまで値打のないコレクター品が狙われることもあり、時には慈善活動紛いなことも……正しく、幻影のように捉えどころのないやつらだ。

 

 だが、私は知っている。少なくとも、私だけは……この場にいる誰よりも、やつらの極悪非道の所業を、知っている……! 

 

 やつらは、窃盗団などという生易しい存在じゃない。

 

 その名を聞くだけで臓腑が引き攣り、全身をめぐる血液が沸騰するような感覚を覚え……いや、落ち着け、今はまだ、その時じゃない。

 

 

 ──噴き出しかけた憎悪を、抑える。

 

 

 幸いにも、私の内心に気づいた者はいなかった……私に視線を向ける、センリツを除いては。

 

 非難するわけでもなければ、苛立ちを向けるわけでもない。ただ、心配そうにこちらを見つめる視線に……私は、そっと視線を逸らした。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………心配させてしまったな、すまない。

 

 

(落ち着け、クラピカ……分かっている、今の私は、あくまでボディガード。マフィアを利用する気持ちはあるが、任された以上はやるさ)

 

 

 そう、重要なのは、私の気持ちではなくて。その幻影旅団が……此度のオークションを狙っているという点だ。

 

 正直……間違っても借りなど作りたくないやつから得た情報だが……何にせよ、幻影旅団がオークションに姿を見せるのは間違いない情報だ。

 

 

(……二本角に取引を……いや、駄目だな)

 

 

 頭の中で描いていた計算を、内心に秘めたまま却下する。

 

 惜しい気持ちはあるが、二本角の性格から考えて……そういったやり方は逆効果だ。

 

 単純な戦力として考えれば、現時点で考えられる最大戦力は、紛れもなく彼女だ。

 

 しかし、ダルツォルネの言う通り、戦力として組み込まない方がいいだろう。彼女はあまりに気紛れ過ぎるからだ。

 

 

(万が一、どうにもならない事態になれば手を貸してくれるかもしれないが……)

 

 

 ……とはいえ、正直な話、何だかんだ言いつつも護衛に協力すると踏んでいた。

 

 

 勝手に飛行機に乗り込んだり、勝手に飛行機に積んであった酒を飲んでいったり、手配した車の屋根の上で寝入ったりとやりたい放題であったが……それでも、ネオンから離れることなくここまで来たのだ。

 

 勝手に期待していたとはいえ、考えれば考えるほど惜しいと思えてくる。ダルツォルネの言う通り、一切の契約が成されていないから、引き留めること事態が間違いだが……それでも、惜しい。

 

 

 彼女は、純粋に強いのだ。圧倒的に、私がこれまで見て来たどんな相手よりも強い。

 

 

 ハンター試験にて目の当たりにした、二本角の力の片鱗。あの時はゴンの機転によってうやむやになったが、今なら分かる……あの時の二本角はまだ、全力の1割すら出していなかったということが。

 

 もしかして、別行動を取る形で裏から護衛を行うのかと……そう思って視線を向けた「……彼女、嘘を言っている心音じゃないわ」センリツからは、改めてと言わんばかりにその言葉が返された。

 

 

 ……センリツの優れた聴力は、人知の域を超えている。

 

 

 数十メートル離れた先の人物の会話を盗み聞き、雑多な街角の中にいる人々の呼吸を聞きわけ、そこから位置を調べることも出来るらしい。

 

 その優れた聴力によって、対象の心音から相手が嘘を付いているかどうかを聞き分ける(曰く、経験則だとか)ことも出来るセンリツが言うのだ……本気で、離れるつもりのようだ。

 

 

 ──ならば、下手に引き留めるのは得策とは言い難い。

 

 

(所詮、期待は期待でしかなかったということか。二本角が抜けるのは痛手だが……仕方がない)

 

 

 そう結論を出した私は、少しばかり千鳥足になっている二本角が離れて行くのを見届ける。次いで、一時の仲間たちの下へと振り返り──戻ろうとした、その時。

 

 

「──リーダー、二本角さんに同行させていただく許可を頂けますか?」

 

 

 前触れもなく、唐突にセンリツが出した言葉に……私だけでなく、ダルツォルネたちもその場に足を止めた。視線を向ければ、センリツは気にした様子もなくダルツォルネを見つめていた。

 

 

 ……いったい、どうしたというのだろうか。

 

 

 そう思ったのは、おそらく私だけではないだろう。

 

 何故なら、センリツは思慮深く慎重な性格をしている。とても女性とは思えない外見だが、その内面は私が知る誰よりも女性をしている。

 

 はっきりいえば、心優しいのだ。採用試験の時でも、緊張感によって荒れかけた場の空気を呼んで、張り詰めた心を解き解そうとしたぐらいに。

 

 そんな人が、わざわざ護衛任務を抜けて、部外者の二本角に同行したいと申し出る……その意図が、分からない。

 

 私ですら分からないのだから、ダルツォルネたち護衛団古株も、バショウたちも、分からないのは当然で……訝しんだ様子でセンリツを見つめていた。

 

 

「……目的は何だ?」

 

 

 しばしの間を置いてから、ダルツォルネが唇を開いた。その表情は気分を害したというよりも、困惑の色合いの方が濃いように……私には見えた。

 

 

「純粋な私の好奇心よ」

「好奇心、だと?」

「そう、好奇心。もちろん、この場を離れている間のよりも契約金を減額してくれて構わない。それに、夜には戻って任務に復帰するわ……駄目かしら?」

「──お前は今、自分が何を言っているのかを理解しているのか?」

 

 

 一つ、ため息を零したダルツォルネは……そう呟いてから、改めてセンリツを見やった。

 

 

「……普通に考えて、お前の発言は見過ごせない発言だ。場合によっては即拘束、並びに拷問に掛けて、他の組織との繋がりがあるかを徹底的に調べ上げるところだ」

「そうね、私が貴方の立場だったなら、そうしようとするでしょうね」

「そうだ、以前の俺ならそうしていただろう……が、しかし、だ」

 

 

 ダルツォルネは、「今の俺は、以前とは少し違うようだ」そう、言葉を続けた。

 

 

「お前の言う好奇心とやらを話せ。それ次第によっては、許可を出そう」

 

 

 その発言を聞いて、誰よりも驚いたのは私たちではなかった。「──お、おい、いいのか?」スクワラという名の、ダルツォルネに次いで古株の男が、目を瞬かせた。

 

 スクワラは、褐色の肌を持ち大柄な体格をしている。一見すると威圧感を相手に与えるように思えるかもしれないが、性根は臆病なのだろう……まあ、今だけは私もスクワラに同意見であった。

 

 センリツが他の組織に繋がっているとは思わない。しかし、それでも私がダルツォルネの立場であったならば、同じことを忠告していただろう。

 

 ……センリツ自身も、それは分かっているはずだ。自分が如何に馬鹿げた発言をしたのかということを。

 

 

 

 ──センリツ、どういうつもりだ? 

 

 

 

 彼女にだけ聞こえるように、私は呟く。すると、センリツは安心しろと言わんばかりに笑顔を私に向け……そして、ダルツォルネを見上げた。

 

 

「初めてなの。あんな心音を耳にしたのは」

「心音だと?」

「心音は、その人の本質を物語る。言葉よりも何よりも、よほど正直に、よほど雄弁に……ね」

「二本角は、お前の興味を引くに値する音だったのか?」

 

 

 ええそうよ、と。はっきりと、センリツは頷いた。

 

 

「まるで、大地の奥底にて脈動するマグマのよう……なのに、雪解け水のように曇りなく透き通っている。かと思えば、吹き荒れる嵐のように異なる色が混ざり合い、全く別の輝きが形となっている」

「……詩人だな」

「褒め言葉として受け取っておくわ。私が聞いている音を何とか言葉にしたのだけれども……これでは、説得しきれないかしら?」

 

 

 そう、センリツが説得を終えてから。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………ダルツォルネが返事をするまで、少しばかりの時間を要した。固唾を飲んで見守る私たちを前に、ダルツォルネが下した判断は──。

 

 

「……日付が変わるまでには戻ってこい」

 

 

 ──了承、であった。

 

 

 途端、センリツは嬉しそうに頬を緩めると、一つ頭を下げてから踵をひるがえし……小走りに廊下の向こうへと駆け出し、二本角の後を追いかけて行った。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、センリツが場を離れた後。

 

 

「さあ、仕事に戻るぞ。本番は明日の夜だが、気を抜くな」

 

 

 ダルツォルネのその言葉によって、私たちは仕事に戻るのであった。

 

 

 

 

 

 




ダルツォルネさん、けっこう冷酷なイメージあるけど
原作とかだと仕事に関してストイックなだけで、めっちゃ仲間想いなんだよねっていう、ハンター・ハンター屈指の萌えキャラ

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