アイドル課に飛ばされた 作:寝台
いきなりだと思うかもしれないが、それを話さないと話が始まらないので、語ろうと思う。
その話とは、この話の主人公
支えて、輝かせるなんて、まるでアイドルをプロデュースするために産まれたような名前だが、何の因果か、彼が就職したのはアイドルもいる芸能事務所だった。
だが、346プロという、漢字で書くと美しい城と書いて美城だが、その名前に負けない、いや凌駕してると表現していいほどの規模のその会社は、アイドル以外の芸能課も持っていた。
アイドル課の他に、俳優、モデル……最終的には会社内にスタジオを整備してしまうレベルだ。まさにショッピングモールに映画館が付いたような品揃えだ。
そんな嘘みたいな巨大会社に就職したのなら、支 輝という人間が、文字通り人を支えて輝かせる仕事を任される確率はとても低いように思える(希望などは聞くだろうが)。
しかし、運命なのか彼が配属されたのは、ある意味人を支えて輝かせる仕事だった。
だが、アイドルではない、モデル課だ。
東京ガールズコレクションなんかでキラキラしたステージで笑顔を浮かべ闊歩しながら、裏では1着数十万しそうな衣装を切り裂いているドロドロな嫉妬合戦を想像するあれだ。
支輝は、そのマネージャーとして配属されたのだった。
アイドルのプロデューサーを期待していた皆さんには、御愁傷様としか言えないことである。
結局彼の名前に刻まれた命運というのは、モデルに向けられたもので、アイドルではなかった。
盛り上がりも盛り下がりもなく、物語らしいストーリーもなく、彼の人生は進んだのだった。
終幕ーーからの開幕。
だが、運命というのは簡単に断ち切れないらしい。
勝手にこちらから決めつけた運命だけども、案外人生というのはご都合主義なのかもしれないと勘違いしそうな転機が起こったのだった。
それはーー支 輝のアイドル課への転属命令だった。
◇
案外冷静でいる。それが晴れてモデル課から、アイドル課へ移籍した支 輝の第一印象だった。
アイドル課への移籍を待ち望んでいたのなら、もう心踊る、それこそジュリアナ東京のお立ち台で踊るレベルのテンションでいてもおかしくない。
逆にモデル課に心残りがあるのなら、落ち込む、それこそバブルが弾けた時の就活生のように足取り重くしているものだ。
だが、彼は平静だった。上がりもせず、下がりもせず、無だった。
私情を挟まないのは社会人として褒められることだが、人間としては、付け加えるなら人と関わり別れた人間なら、感情を表さないのは異常に思えた。
そんな異常なくらいに無な彼は、部長室という重厚間を感じるドアの前に来ていた。
部長というのは、アイドル課の部長のことだ。アイドルをまとめるプロデューサーたちのまとめ役。その上は、もう役員(部長でも役員だが)レベルになってしまうので、呼ばれない限りドアの前に立つこともない。
そんな部長室に、彼は転属の挨拶をしに来たのだった。これからお世話になる場の長だ。社会人として当たり前の行動である。
彼は控えめに、しかしはっきりと音が聞こえるくらいの強さで、人差し指を丸めて、その第二関節でドアを4回叩いた。
「どうぞ、入ってきなさい」
と、優しい男性の声が聞こえたので、彼はドアを引いた。
失礼します。言いながら入ると、柔和な笑顔が特徴的な白髪混じりの男性が、座りながら彼を見ていた。
「はじめまして。私は今西というものだ。君がモデル課から転属されてきた支君だね。いい名前だね、まるで人を支えるために産まれたような名前だ」
「……はい、よく言われます」
目上のものに先に名乗られてしまい、出鼻をくじかれた彼は力なく、そして正直に言った。
後だしに頭を下げれば体裁は保てたが、雑談的な話に持っていかれてしまえば、それも不自然で逆に失礼なので出来なかった。
彼は久し振りに、話題の種になった自分の名前を恨んだ。
「固くならなくていいよ。私はあまり堅苦しいのが得意でなくてね、だから最低限の礼儀さえ持ってさえいれば気にしないようにしているんだ」
「そう言われましても、なかなか難しいと思うのですが……」
「ああ、知ってるとも。だから、強制はしないさ。おじさんの戯言ぐらいに思ってくれていい」
戯言は卑下しすぎではないのか。と彼は表情を困らせた。
長年上下社会で生きてきた人間に、急に根幹である目上の尊敬をやめろと言うのは、甚だ無理な話なのだ。大概の人間は同様である。彼もまたその大概の一人だった。
「まぁ、雑談はこの辺で止めておくとして、仕事の話をしようか」
その言葉に、彼は心の中で胸を撫で下ろす。
上司相手だと、仕事よりもプライベートな会話の方が神経を使うのだ。
「もう伝達されていると思うが、君にはアイドルのプロデューサーとして、その手腕をふるってもらいたいと思う。モデル課とはやり方が違うだろうから、最初は戸惑うかもしれんが、君の能力なら十分こなせると思っている……」
今西部長の話は、前置き以降は大方前の上司に渡された書類に書いてあった内容と同じだった。
あくまで復習ということだろう。
そして最後に優しげな笑顔で。
「アイドルを支え、そして輝かせることを期待しているよ」
と、彼の名前に掛けてエールを送った。
しかし、名前に対して呪詛を計画した身だったせいか、お礼を言った時の笑顔はひきつっていた。
そんな非礼は、頭を下げるという自然な動作で誤魔化したのだった。
ぎこちなく部屋を出た彼は、声が聞こえない場所まで歩いたあと、大きく息を吐いた。
◇
犬も歩けば棒に当たる、なんて諺があるけども、それがもし比喩表現でなく、文字通りの意味だったらどうだろう。
道のあちらこちらに、それこそ犬のサイズでも避ける隙間もないくらいに棒が敷き詰められて地面に刺さっている状態かもしれない。
そんな大袈裟な表現を使うほどに、この事務所の所属アイドルは多い。今廊下を歩いているだけでも、両手指を用いても数え切れない数のアイドル(厳密には分からないが)とすれ違った。
しかし、その数のアイドルに対して、プロデューサーの数は両手両足の指で数えられるほどしかいない。
平均して一人が9人を担当しているという、モデル課のモデル一人につき一人のマネージャー制度の出身からすれば、身を震わせる事実だった。
今のところ彼に任されたアイドルは一人である。
それはまだ仕事慣れしていないことへの配慮なのか、一人をしっかり輝かせられるかのテストをされているのか、どちらもあり得た。
彼は前向きに前者を言い聞かせた。
その判断には、少しは期待されているという、人間なら誰でも持ちそうな自尊心があったからだった。
しかし、それは時が経てば9人以上を担当するという意味だった。
彼は、それについては考えることを放棄した。
まだ遠い未来だと現実逃避するのだった。
そうこうしているうちに、彼は割り当てられた部屋に辿り着いた。
なんとプロデューサーたちは、一人につき一つ部屋が用意されるらしい。マネージャー時代は部屋なんて共同で、先輩のお茶汲みをさせられた彼からすれば、信じられない話だった。
しかし、実際に用意されていては、信じられなくとも信じなくてはならない。気分は、幕下から十両に上がった力士のようだった。
未開の地に繋がるドアを開くように、おそるおそるドアを引いた。
中に入ると、右側にプロデューサー室と書かれたドアが目に入った。他には卓袱台のようなテーブルを挟んでソファーが対面している以外は何もない。殺風景で、物がある方が違和感を感じるほどに広々としていた。
話によれば、今日はアイドルと顔合わせをするだけらしい。本格的な仕事は明日からだということだ。なら彼の今すべきことは、その担当アイドルが来るのを待つことだろう。
今西部長の話では、3時頃にプロデューサー室で顔合わせを行う手筈になっているらしい。
現在は2時。予定まで一時間ほどある。昼御飯はすでに済ませ、急ぎの仕事はない。
やることはなかった彼は、とりあえずプロデューサー室で書類を見通すことにした。
それはこれから彼が担当するアイドルのプロフィールだった。
『速水 奏』
歳は17の高校2年生。青い髪で長さは首筋までだろう(正面写真でハッキリとしないが)。
趣味は映画鑑賞。
見た目は……可愛いよりも綺麗というのが合っていた。写真で見る限りでは、実年齢よりも上に見えた。JKでなくOLという風である。
彼の一番の感想は、アイドルよりもモデルが似合いそうであった。それは彼がモデル課だったからか、速水奏の外見のせいなのか、おそらく後者である。
おそらく初めての仕事なので、会社側もやり易い相手を当てたのだろう。思いもしない配慮に、彼は背中にむず痒いものを感じた。
その時だった。
ーーコンコンコンコン。
プロデューサー室のドアがノックされた。きっかり4回。高校生にしては礼儀を知っていると、彼は感心した。
どうぞと言うと、数瞬開けてドアが開いた。
入ってきたのは、勿論彼の担当するアイドル速水奏だった。
実際に見てみると、写真で見るよりも何倍も綺麗に見えた。
高校生のはずなのに、すでに大人の色気を感じさせる。やはり年齢欄が間違ってるかと疑ったが、制服を着ていたのでその考えは口にしなかった。
しかし、失礼なので飲み込んだが、制服姿がコスプレにしか見えなかった。
「はじめまして。俺は支 輝。今日から君のプロデューサーだ」
「……速水奏よ。ふーん、あなたが私のプロデューサーね」
そう言って速水は、彼に近づいてくる。
歩く姿も気品があって、更に色気を感じさせる。そんか年齢離れした姿に、彼は少し身体を引いていた。
そんなことは気にも止めていないのか、速水は関係なしに距離をつめてくる。
そして彼と速水の顔の距離が、三十センチほどになったところで、速水は彼の唇に右人差し指を当てて。
「ねぇ、キスしてもいいかしら?」
見惚れるような笑顔で言った速水の言葉に、彼は頭の中が真っ白になった。