===訓練兵団入団半年後===
私は月と星を眺めるのが好きだ。
その間、ほんの少しだけ心が落ち着くから。
悲しい気分のときでも暗闇の静寂の中で時を止めて、自分の背中にのしかかっている悩みなんて夜空の大きさと比べたら小さなことだと思わせてくれるから…
今日も夕飯のあと、ひとりで宿舎を抜け出した。
私の悲しい気分のときの定位置になっている訓練所裏について、いつものように座ろうとすると、そに人影が見えた。
「…何をしてるんだい?」
普段の様子からは、あまり想像できない寂しげな瞳に違和感を感じ、思わず声をかけてしまった。
「…アニ?君の方こそこんな時間にどうしたの?」
自分でも何故声をかけたのかわからない私、アニ・レオンハートにそいつはゆっくり振り返りながらそう返してきた。
「私が先に聞いてるんだけどね…。」
私はそう目の前にいる男、アルヴァ・コールに言い返した。
「星って綺麗じゃない?」
アルヴァは星空と私を交互に見て、笑顔を浮かべながら私の質問に答えになっているようななっていないような答えを返してきた。
「……」
私はアルヴァの何気ない返答と優しい笑顔に一瞬言葉を失くしてしまった。
こいつは訓練生の同期だか、「氷の女」を"演じて"いる私は勿論接点なんかほとんどない、ただの"顔見知り"だ。
個性豊かな同期たちの中ではさほど目立たないが、頭は抜群に良くて座学の成績はトップ…。
もしかしたら歴代でもダントツの頭脳と判断力の持ち主かも…なんて教官たちが話していたっけ。
でも、さっきの寂しげな瞳との違和感を感じながら、その表情になぜだか少しほっとする私がいた。
性格も頭も良さを鼻にかけず、出しゃばることもなく、人の話しを聞くのが上手いらしく、周りに常に誰かしらがいると同室のミーナが言っていた。
そんな私が知っているこいつの情報からなのか、
「私もそう思うよ…。」
自分でもびっくりするくらい穏やかな声色で私はそう応えていた。
「だよね。でもあんなに綺麗に輝いているのに、今あの星たちは存在しないかもしれない…」
こんどは星空を眺めたまま、呟くようにアルヴァがキザなことを口にする。
もう一度私の方に視線を戻して言葉を続ける。
「だからかも知れない、星の光は人の心を静かに癒やす…。」
「…さすが座学トップ様だ。難しいこというね。」
ちょっと皮肉っぽく、でも自分でも分かるくらい声色も表情も穏やかに返す。
何故だろう、とても心が凪いでいる。
「もう、茶化さないでよ。」
また視線を私の方に戻しながらアルヴァは少し照れたように言った。
「星空って本当に広い。なんだか見つめていると自分の存在や想いがどうでもいいくらい小さなものに感じる。」
再び、視線を星空に向けて独り言のように言葉を続けた…。
私は少し驚いた…。
私が星空を見つめる理由と、今アルヴァが口にした理由がとても似ていたから。
だからのなのかな、ほんの少しだけ私の心を覆っている"氷の壁"が溶けて、少し自分に踏み込んだ言葉が出たのは…。
「あんたは"過去"って何のためにあるんだと思う…?」
言葉にしたことを自分でも驚きながら、私は星空を見上げながら言った。
「・・・アニも難しいこと訊くね。」
アルヴァは少し意表を突かれた様子だったが、星空から私に視線を戻すと言葉を続けた。
「過去は変えれない、戻れないもの。」
そう、だよね。私の"過去"には戻れない、変えられない、消えない…
だから私はこの背中に"過去"と"罪"を背負って生きていくしかないんだ…
「でも…」
後悔にも似た思いを頭の中に巡らせていると、アルヴァが私の瞳をまっすぐ見つめながら、一瞬強い光をその目に宿し、でもすぐに暖かい表情に戻り…
「未来は"過去"の積み重ねでできる。」
私は息を呑んで、思わずアルヴァの顔を見つめた。
「今、この瞬間もすぐに"過去"になる…。だからこの"瞬間"を自分の思うように生きる…。」
アルヴァはまた視線を星空に戻しながら、何か自分に言い聞かせるように。
「それしかできない。今、この瞬間に僕達が見ている"星"の輝きは、何万年も前に星ができる限りの力で輝いた"過去"…」
星と月に照らされたこの空間に少しの静寂が流れた…
それを破ったのは、ゆっくりと私の方に向いたアルヴァだった。
「人間は、結局自分で自分を納得させるのが一番難しい生き物なんだと思う。」
「"過去"と"未来"の追いかけっこの中で、"未来"の自分が少しでも納得するように"今"を生きていく。」
私の物語を語るようにアルヴァが言葉を続ける。
「過去は無駄でない、"今"を生きるための道標…。それがどんな後悔や苦しみを含んだものであっても。"自分の未来"は過去から学び、悩んだ自分が作るんだ。、過去同じ"後悔"をしないために、少しでも明るく、"生まれてきて良かった"と思えるように…」
そう言い終えるとアルヴァは私の目を見つめた。強い意志と優しさが混じった目で…。
アルヴァの言葉は、ほんの少しだけ表面が溶けていた私の"氷の壁"の中の心の奥まで、静かにでも強烈に突き刺さった。
「…あんた、頭いいのはわかっていたけど、とびっきりのロマンチストだったんだね。」
動揺した心を悟られないように、強がりともいえる言葉をアルヴァに投げかける。
「ははっ、柄にもなかったかな…。」
アルヴァは少し照れたように苦笑いを浮かべた。
「今日は月と星が綺麗だし、アニと話しができて嬉しかったからか、恥ずかしいこといっぱい口にしちゃったね…」
「今も充分恥ずかしい言葉言ってるよ…。」
私はアルヴァの「話しができて嬉しかった」という言葉に焦りながら何とか言葉を返した。
何故か私まで恥ずかしかったので、そっぽを向きながらだったけど。
「私と話しができて嬉しかったのかい?こんな無愛想な女でも…?」
私はどうしてこんなこと、コイツに聞いているんだ?
「そりゃ、嬉しいさ…この先2年以上も苦楽をともにする同期の中で友達ができるのは。」
何事でもないように、笑顔で返された。
"友達"、か…。
「それに、アニは表情豊かだよ?わかりにくいかもしれないけど」
「何言ってるんだい…。バカ。」
そんな一言を付け加えてくるから、恥ずかしい気持ちが抑えられない…ずっとそっぽ向いたままだ。
「バカとは酷いなぁ。冗談でもなく本心だし、アニの雰囲気が僕には話しやすったから。」
なんだろう、心がかき乱される。
でも、決して不快ではない。
「…ほんとロマンチスト・バカだね、あんた…。でも…私も嫌ではなかったよ…」
そう囁くように言った私は、ここに来てから初めての微笑みを浮かべた気がした。
「ロマンチスト・バカ、って新しい、嬉しくない命名だな…。でも良かったよ、アニが嫌じゃなかった、と言ってくれて。」
アルヴァの言葉とその柔らかい笑顔、そして雰囲気に心が穏やかになっていくのがわかる。
いつも一人で星空を眺めているときとは違った種類の心の落ち着きだ。
「…遅くなっちゃったね。そろそろ戻らないと教官にどやされるかな。」
「そうだね。なんか邪魔して悪かったね…」
「ううん。僕は楽しかったし、友達できたし。いつも違った安らぎの時間だったよ。」
「また、そんなことを…。"友達"、か。」
私はアルヴァが口にした”友達”という言葉に反応してしまった。
「いやかい?」
ちょっと不安そうな顔をしながらアルヴァが私に聞き返す。
"友達"か…。"使命"を持った私には必要のないもの、作ってはいけないもの。
…だと思っていた。ついさっきの"過去"までは。
「…いいや。あんたがそう思うんなら、そう思っていて構わないよ。」
あまり迷わずにそんな返答をしたのは、何故なんだろうか…?
コイツの話しに影響も受けた?
でも"今"の私がそう思ったから、そんな言葉が素直に口から出た。
素直に言葉にするには私の柄でもないので、かなり回りくどい言い方だけど。
「…ありがとう。」
アルヴァは私のそんな返答にも、ほっとしたような顔を見せてくれた。
「フンッ。」
ちょっと、いやかなり恥ずかしいので、そっぽを向いたまま短く返す。
「戻ろうか。」
アルヴァは恥ずかしがっている私の様子を見ながら、ちょっと意地悪い笑顔を浮かべて私を促す。
「あぁ…」
そう言ってそれぞれ宿舎の方に歩きだす。
「じゃ、ここでね」
「そうだね。」
男女の宿舎への分かれ道で、そう声を掛け合う。
「おやすみなさい、アニ」
「・・・おやすみ。」
私はおやすみ、という挨拶さえ久しぶりに口にした気がする。
それぞれの方向にお互いがあるき出したとき、
「ありがとう、またね…アニ。」
後ろから声がした。
「…うん」
私はそっけない応えをして、そこを離れていく。
「…こちらこそ、ありがとう。またね。」
多分、あいつの耳には聞こえないほどの呟きを残して…。
今日の私は、どうにかしてた…。
一人で歩く、女子宿舎までの短い間にそんなことを思う。
でも。
不思議なほど、嫌ではない感情もある。
「自分の未来は自分が作る、か…。」
「生まれてきて良かった、と思えるようにか…。」
あいつが今日、口にした恥ずかしい、でも私の心に染みた言葉を思い返し、呟いてみる。
「とりあえず、"明日"を生きてみよう。」
最後にそう呟いた私の顔は、多分笑顔だったと思う。
頬を涙も伝っていたけど…。
あいつが言ったことが正しいのか、私に理解できたのかはまだわからない。
でも、私は確かに今日あいつと過ごした時間の中で、ほんの、本当に少しだけど表面だけ溶けた心の中に、小さな暖かい光が生まれたような気がしていた。
その光が私にとって、正しいものなのか、必要なものかさえもわからないけど。
【光が生まれた】、という自分の感情と、今日の時間、アルヴァという人間と過ごしたひとときが嫌ではなかった、ということだけは素直に認めよう。
そう勝手に自分で結論づけると、目を拭って宿舎への足取りを早めた。
私、アニ・レオンハートにとって、この日アルヴァ・コールと過ごした時間が、人生の"歯車"を自分で回し始めるきっかけになること、そしてこの時、あいつに聞かなったことがあったことを悔いることを知るのは、もっと"未来"のことだった。