今回が一番苦闘しました…。
今回のだけで半年悩みましたが、はっきり言ってちゃんと出来てるのか自分でも疑問です。
俺ガイルのシリアスキャラの二枚看板の二人を上手く原作に近いかたちで書き上げるのは尋常じゃなく大変でした…。自分の書く文章の稚拙さを改めて実感しました。
今回は心理的でシリアスめなので少しクドイかもしれませんが、ご了承ください。
陽は照る。それは少なくとも人類が生きている歴史の中では、どんな時でも照り輝いていたし、今後も照らし続けるのだろう。
陽は仮に雲に覆われて地上に雨が降ろうが、どんな災害が起きようが、人間がどんな争いを起こそうが、どんなものが滅びようが、人間の生命に比べれば半永久とも思えるほどに絶えず照り輝き続けこの地上に光を齎す。
そう思えば世界中の神話や宗教で太陽が神になっている理由がわかる気がする。
事実この国、日本神話の最高神であり天皇家の先祖であるとされる天照大神も太陽の神である。
陽とは、どんな者にも普遍的に与えられ、かつ日常的に享受されるものでありながら、決して揺らぐことのなく唯一無二の存在であるという一面において神としての性格を帯びるなんとも面白い存在である。
そして今日も、その陽は昇り輝いていた。陽の光は、山々の緑を照らし出しその色合いを映えさせ、大海の水面を輝かせる。
そんな光景に囲まれながら俺たちは湾岸線を走る。
時刻は2時過ぎ、天気は述べたように快晴。俺を乗せた陽乃さんの車は朝から颯爽と自然の中を走っていた。
8月初旬であるが、都心から離れた伊豆であり海岸線を走っているということもあり窓を開ければ涼しく気持ちのいい風が車内に入ってくる。まさに絶好のドライブ環境である。
今回の旅行は一泊二日という予定であるため、本日が帰りである。
2日連続でここまで運転してくれる陽乃さんには悪いと少し思ってしまうが、彼女は気にするなと一点張りなので口には出さないことにする。
昨夜は夕食を終え旅館の従業員の人に布団を敷いてもらってからもずっと陽乃さんと人生で一番話したんじゃないかと思えたほどに語らっていた。
その夜の陽乃さんはいつにも増して饒舌だった。シリアスな話しもあったが、食後の会話はまさにお喋りと呼べるようなものであった。内容はお互いのこと、学校のことなど、まるで暗い内容を避けるかのように明るい話題の会話をした。自他共に認めるコミュ症な俺であるが、陽乃さんが俺に合わせてくれたのか、それともこの1ヶ月の時間が俺を慣れさせたのかはわからないが、これまで以上に会話がはずんだ。
人との会話を初めてかもしれないが楽しいと少しだけ思った。それはどこか俺たちは似ている部分があるのか彼女との会話は共感する内容が多かったのだ。
結局その夜は12時過ぎまで俺たちはお喋りというものに興じていた。最終的に陽乃さんが寝落ちしたことでそれは終了したが、俺もその後すぐに眠りに落ちた。ただ陽乃さんの寝顔はめちゃくちゃ可愛かったということだけは鮮明に覚えている。もう写真集出せちゃうレベル。
まぁ そんなことで昨日は過ぎ去ったわけだが、今日も陽乃さんは朝から元気であった。昨日あれだけ運転して観光してオマケに今日も運転するというのに大丈夫なのか?と思ってしまうほどだ。
だが一瞬たりとも疲れたような表情を見せない陽乃を見る限りそれが仮に嘘であっても妹の雪ノ下とは違うということを認識させられる。まさに上位互換かつ陽キャだからこそできることだな。
そういえば陽キャと陽乃さんの陽って漢字同じだな。まぁ実際本人は陽キャだしな…。
とりあえずそんなことは置いておいて。ようは今日も陽乃さんは平常運転で旅行2日目を満喫しているということだ。
今日は昨日の行きとは違う海岸線ルートを辿って帰る予定らしい。ちなみにそのルートは伊豆半島の西海岸側で昨日のルートを合わせればちょうど半島を一周するような感じである。
俺たちは所々にある観光スポットや道の駅に寄ったりして2日目を消化していった。地元の名産品と海産物を使った道の駅の飯は超美味かった。
特に地魚の煮付けはお手頃価格ながら一級品だった。都心に行けば軽く倍以上の値段を設定されるのだろうが、流石は地元で取れた食材と言うべきかか、新鮮でとても良質なものが低価格で食べられるというのは田舎の旅行の醍醐味と呼べるのかもしれない。
そんな俺たちは腹ごしらえも済まし、満足感を得た状態で車で走っていた。
普段あまり見ることない景色に心を踊らせながらスイスイと滑るように車は走っていた。車の通行量はそこまで多くなく、田舎ならではの信号の少ない道をテンポ良く走るのはここまで気持ちの良いものなのかと初めて気付かされた。まさにこれは陽乃さんのおかげと言えるべきもので、普段の俺や交友関係からでは絶対知ることはなかった。リア充がやたらとドライブを好む理由がわかった気がする。
道の駅を出て1時間くらい経ってからであろうか、相変わらずといっていいほどに広がる水平線とその逆側には豊かな緑が茂る国道を俺たちは走っていたのだが、陽乃さんは何かに気付いたかのように急にハンドルを切って車をグルリと引き返した。
「ちょっと、どうしたんですか?」
「ちょっと行ってみたいところができた」
と陽乃さんは来た道を少し戻り大通りを逸れた。ここはまだ伊豆半島の中腹あたりでありいまだに田舎と呼べる場所であり周りはあるとしても集落や小さい街程度しかない。つまり、現時点では俺たちみたいな観光客が訪れるようなスポットはないはずなのだ。
しかし、陽乃さんは何かに誘われるようにハンドルを切りどんどんと地元の人しか知らない様な小道を進んでいく。
「ちょっとこの道で大丈夫なんですか!?」
「私の勘では多分大丈夫よ 」
「知ってる場所なんですか?」
「いや、今さっき遠目で見つけたから分かんない!」
「えぇ…」
「比企谷くんは黙って乗っててくればいいの!」
そう言って曲がりくねった小道を走りさらに海沿いへと下っていく。伊豆半島は山と海の距離が近い。そのため例え海岸沿いの道でも山道に近い形状であり、こういった小道であってもかなりのカーブが多くて危険であるはずなのだが陽乃さんはスピードを緩めない。
隙間から僅かに海が見えるほどの草木が周囲に生い茂る小道を抜けていく。感じで言うと千と千尋の神隠しの最初のシーンに近い。車一台がようやく通れるような道を走っていくと、突然 視界が開けた。車上を覆うように茂っていた木もなくなり陽の光を俺たちを照らし出す。
すると車はブレーキを強くかけて停車した。
そして「ついたよ」 と陽乃さんが言って車を降りる。見た感じ周りには特に建物は何もない。内陸側は草木が生い茂り特に人工物的なものは見えないし海側も草木は生えてないのだが原っぱのような小高い丘になっているため海が見えない。
こんなところに何があると言うのだろうか?俺は陽乃さんの意味不明な一連の行動に戸惑いながら本人の背中を追う。
すると陽乃さんはテコテコと歩いて行くと小さな鎖の柵を飛び越えてそのまま目の前にある小高い丘を歩いて登り始めた。
「ちょっとそこ勝手に入っていいんですか?」
「少しだけだから♪ どうせ誰もいないし」
陽乃さんは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべてどんどん登っていく。この先に何かあるのだろうか?観光スポットとはどう見ても程遠い景観に俺の脳は混乱するばかりだった。
「おーい!比企谷くん早くー!」
そうこう悩んでるうちに
既に丘の頂上に登り切った陽乃さんが手を大きく振りながら大声で俺に向かって叫んでいた。その顔はなんとも楽しそうで、満面の笑み代表みたいな顔をしていた。
こうなったら誰も彼女を止めることはできないとなんとなくわかっていたため、渋々俺は付いていくことにした。何かあれば陽乃さんのせいにして逃げようと心の底で決めながら…。我ながら男としてどうかと思うが…。
丘の高さは10数メートルくらいで繰り返すが地表は原っぱのようになっていた。よくある郊外の公園とかにありそうな憩いの場的な感じだ。小さい子供がソリとか持ってきて滑ってそうだなと思いつつ。そこまで急ではない丘を頂上まで登りきると、いきなり今まで感じなかった少し強い風が俺の肌に当たるのを知覚した。ほのかな潮の香りを含んだ海沿いならではの独特の風はさぞかし美しさ水平線を俺に見せてくれるのだろうと期待していたのだが、その期待は見事に裏切られた。俺の目に最初に留まった景色は予想していたどこまでも続く蒼い海と蒼穹ではなかったのだ。俺の最初に知覚したのは青ではなくムラサキだったのだ。
予想とは大きく違う色を見た俺の頭は僅かな動揺の末に、眼前に広がる光景を認識し始める。
俺の眼前に広がったのはムラサキ色の絨毯だった。もちろんここは外であり、絨毯なわけがない。だが覚醒途中の脳内で知覚した光景はムラサキの絨毯という表現が最も合っている気がしたのだ。
風が吹くと潮の香りに連れられて、薄く甘い香りが鼻腔をくすぐる。どこか珍しい感覚に包まれる俺はその香りの正体にすぐ気付くことになった。
目線を落とし、足元を見ればそこにはムラサキ色の華が咲いていた。
そう、その香りの正体は、華であった。
見れば小さな華なのだが、それら俺の足元から目線を上げれば、そのままずっと向こうまで広がるように咲き乱れていた。
周囲を見る限り、ここは登った丘の頂上から海に向かって華は咲き誇っている。
その頂上から見下ろす景色は見事というに相応しいかった。
敷き詰められたムラサキに染まった大地、
その彼方から潮の香りを運ぶ青い海、
蒼穹にそびえる真白の積乱雲
自然が織り成す景観はなんとも色鮮やかに広がっていた。
まるで何かのお伽の世界のように色は俺を包み込む。
そんな鮮やかな色彩に彩られた景色の中に女性が一人、
海風に当てられ美しいセミロングの黒髪は揺れ、ムラサキと青の世界に彼女の白い肌はコントラストとなりとても映えていて、彼女の黒く大きく綺麗な瞳は輝いていた。
いつしか俺は、彼女の姿を言葉で表そうとしたことがある。だが俺の言語表現能力ではそれは果たせなかった。
そして今、俺は同じことを彼女にしようとしていた。この青とムラサキの世界の彼女をどう表現しようかと頭を巡らすが当然 納得できる答えは導き出せなかった。
だけど やはり形容するなら安直だが美しいという言葉が一番なのだろう。
勿論こんな簡単な言葉で終わらせてしまうのはどこか勿体無いし悔しい気もするのだが言葉及ばぬその美しさに俺はただ見惚れるしかなかったのだ。それほどに目の前に広がる自然の色彩は雪ノ下陽乃という女性の美しさをさらに際立たせていた。
「綺麗だね」
「そうですね。
それよりもよく見つけましたね」
「見えたんだよたまたま。一瞬だけどね。多分普通にしてたら気付かないと思う」
「確かに、ここから山の方を見上げても俺たちが通ってた道は少ししか見えませんね」
「そう。だからここは隠れスポットかもね。」
「ま、まさにでかしたってやつですね」
「そうそう。もっと褒めてくれていいんだよ?」
いつぞや聞いたことのあるセリフを彼女は言った。
当時は適当にあしらった気がするが、今回は違う答えを彼女に与えた。
「ええ、本当にすごいです…」と。
「あれ、君にしては素直だね」
「まぁ、それくらい綺麗なんで」
「そ、ならよかった。気に入ってくれたならここまで降りてきた甲斐があったよ」
そう言って陽乃さんはニッと笑う。
満足そうで、得意げな笑顔だった。
俺はその表情をただ見ていたが、陽乃さんと目が合ってすぐに顔を逸らしてしまった。きっと顔は赤くなってると思う。
でもそれほどに彼女の微笑んだ顔は美しかったのだ。何回も見たはずなのに未だに慣れないというのは男としてどうかとも思うのだが、ボッチというステータスを思い返せば仕方ないと心の底で思ってしまう自分がいる。
でも、そんな中で
俺は彼女の見せたその表情がいつもの強化外骨格でないことを心の中で祈った。
「この花 なんだろうね?」
「さぁ、そこまで植物には詳しくないんで…」
俺たちの足元から海に向かって咲き誇るムラサキの花は、普段の生活で見るような話ではないが、どこか既視感のある花であった。それでも綺麗であることは変わりく、陽乃さんはしゃがみ込んで花をまじまじと見つめている。
吊られておれもしゃがみ込んで花を見つめる。
決して大きい花ではないが、そんな花でもここまでたくさんに咲き誇るとここまでの景色を作り出せるものなのかと感心してしまう。
「分かったよ 比企谷くん。これ竜胆だよ。」
「竜胆?」
「そうそう。どこかで見たことあるけど確か竜胆だった気がする!」
「へぇ、でもこれって群生してるんですかね…」
「どうかなぁ 竜胆って観賞用でもよく使われるから誰か植えた可能性もあるからなんとも言えないね」
そう言いながら、陽乃さんはしゃがみ込んで足元に咲く花を見つめていた。それはまるで小さな子供が野原で遊ぶ中で草や花を観察しているかのようで、その時の彼女の表情はなんとも穏やかで、そして好奇心が溢れ、とても美しかった。いや、可愛いという表現の方が良かったかもしれない。
ただ俺はそんな花に夢中になる陽乃さんの姿を横目で眺めているだけで何か心が和んだ気がしていた。きっとそれは普段怖い大人を彷彿させる彼女とのギャップによるものなのだろうと一人納得した。
「ねぇ 少し海の方まで歩いてみない?」
「まぁいいですけど…」
陽乃さんは俺の手を掴むと、そのまま歩き始める。そんな彼女の足取りは軽く早歩きで花の中をどんどん進んでいく、
まるで何かを見つけた子供のように無邪気な表情で。歩みを進めると同時に潮の香りが強くなっていき、波の音が近くなる感覚があった。
そのまま少し歩くとついに海岸に差し掛かった。といってもそこは浜辺ではなく人間によって整備されていない自然のままの岩場であった。
まさに海辺の丘であったのだろう、淵に行けば5メートルくらいの小さな崖になっていた。俺たちの立つ丘のここでは下から打ち寄せる波よって僅かな水飛沫を感じられる。
そして一度振り向けばそこには豊かな緑に染まった山を背景にムラサキの花畑が広がっていた。
大地の色彩と海の色彩が合わさったその光景は再び俺の言葉を止めるのだった。俺たちはただ黙ってその景色に飲み込まれ、立ち尽くし、それを傍観するだけの人間に成り下がったのだ。それは決して人智及ばぬ自然が作り出すものに、ただただ俺たちは立ち尽くすしかできないということであり、そこには自然に対する畏怖の念と感動の心情だけがあった。
「すごいね」
「まぁ、そうですね」
「本当に、こんなところに来ると自分がちっぽけにしか感じない。私もただの人間なんだなって…。自分の悩みとか考えがバカみたいに思えてくるね」
「たしかに、同感です…」
自然の前に人間は勝てない。確かにそうだと思う。人類は今日までの進化の過程で他の生命体にないほどの高度な知能を獲得し、その歴史の中で数々の創造物を作り上げてきた。その創造の過程であらゆる技術革新や発見、開発が行われ、それと同時にかつて崇拝の対象であった自然は近代において人間の支配の対象になった。森林の伐採、土地開発、動植物の乱獲、地下資源の採掘は人類がこれまでの歴史で獲得した叡智によって行われ、それにより昨今の環境問題を引き起こしていると言って問題はないのだろう。
だが、そんな叡智の上に立つ現在の人類であっても未だに自然災害というものに見舞われ多くの犠牲者を出す反面自然に感動し心揺さぶられる感覚になれる心を持っている。
それはきっと、この大地に生まれ持った者の本能なのかもしれない。自然が支配下に入ったとしても、その繊細で雄大な美しさには畏怖の念を抱くことができるのだ。そしてその果てしない時間の中で構築された自然の前に俺たちはただ立ち尽くし己の未熟さ小ささを思い知るのだ。それも当然のことだと思う。自然と自分の規模の違いや、遥かなる時間の違いを前に俺たちが何になるのだろうか?そう、俺たちはそのスケールの前にただ1つの小さな生命体でしかなくなるのだ。
そして今、俺と陽乃さんはそのちっぽけな1つの生命体となっている。
陽乃さんも俺と似た気持ちなのだろうか、それとも何か他のことをかんがえているのだろうか。どちらかは分からないが、ただ黙って水平線と、時々花々に振り返りながらその光景を見つめていた。
「私ね、少し君達に嫉妬してるんだ…」
10分程であろうか、俺たちは言葉をほとんど交わすことなく囲まれた自然を眺めていたのだが、陽乃さんは突然そんなことを言い始めた。
「は? 嫉妬?」
「そ、」
「ジョークなら笑えませんね」
ふざけてなどいない。本当に彼女に限ってはありそうにないことを本人が言うもんだから率直な感想である。実際ここまでのスペックで何に嫉妬などするというのだろう。もし本当にそうなら世間の人々に謝ってもらいたいほどである。
「まぁ、そうね普通ならしないかな。
でもこれは別。」
と、どうやら冗談じゃないらしい
「君達にって言いますけど、俺たちの何に嫉妬するところがあるんですかね」
おそらく君達というのは奉仕部のことだろう。だがそんな俺たちに彼女にとって嫉妬するようなことなんてあっただろうか?と率直に疑問であった。
「んー難しい質問だなぁ
具体的な定義ははっきりしてないけど、簡単に言えば君達の関係性?」
「はぁ?」
ますます分からない。何を言っているのか、何を考えているのかさっぱり分からない。なんせ彼女が言ってる内容はこれまで雪ノ下陽乃が俺たちに向けて言ってきた言葉と全く違う内容であるのだ。下手したら矛盾してると言ってもいいかもしれない。根本からして違う彼女の発言の意味を理解しかねる俺は話を続けた。
「奉仕部の関係に否定的だったあなたがそんなこと言うなんて、ちょっと考えられませんね。それとも何です?俺を食ってやろうとでも」
「もーそんなことしないってば、」
「でも確かにちょっとビックリするよね。こんなこと言ってる自分も驚いてるし」
こっちはちょっとどころの話じゃないんですがね。
「あなだがそんなこと言う日が来るなんて、明日はきっと大災害ですね」
「酷いなぁ本当〜。そんなに私怖い?」
「まぁ、それなりに」
「そんなこと、私は今まで言われたことないんだけどなぁ」
「それは猫かぶってるからでしょう」
「それは、そうだね」
そう言って陽乃さんは舌をペロっとだして戯けた表情を見せる。
それはなんとまぁ和やかな表情だろうか。こうやって無駄に可愛いことしてくるから彼女は本当にタチが悪い。あざとい後輩もいるが、この人はそれをはるかに凌ぐ高スペックでこれだから本当に困る。
でも、本当にこれだけならどれだけ良かったことか。
そう、俺は忘れてはいけない。
このことがどれだけ由々しき事態であるかを。
ずっと考えないようにしていた。
忘れようとしていた。見ないようにしていた。だが現実は甘くなかった。
考えれば簡単に分かる話だ。
あの雪ノ下陽乃の心境を根底から覆したのだ。つまりそんなことを引き起こすほどの現実が裏では進行していたのだ。
決して俺の目の届かないところで。
それが表すことなど、もはや自明の理だろう。
この1ヶ月、雪ノ下陽乃と過ごした時間は新鮮で間違いなく濃密なものだったと思う。迷惑な部分がなかったわけではない、だが楽しかったこと嬉しかったことが全くなかったと言っても嘘になる。
そんな長くも短くも感じる時間の中で、陽乃さんは、俺たちは決して雪ノ下家の家庭問題について言及することはなかった。それは俺たちお互いが暗黙の了解のように意図的に避けていたのだ。もちろん彼女が暗い話をするのはやめようなどと言ったわけではない。でも俺たちはきっとお互いの何かを感じ取りそれを話題にすることはなかった。
きっと恐れていたんだと思う。
陽乃さんもそして俺も。
現実から逃げたかったのだ。悲しく辛い現実に目を背けていたかったのだ。
でも、今こうして彼女が口を開けたということは、否応にも現実に向き合う時が来たということなのかもしれない。
「失望した?こんなこと言う私」
「まさか、いつも通りの怖い陽乃さんですよ。」
「それはそれで複雑だなぁ。少しは見直してくれたなら嬉しいんだけど」
「印象なら昔とは随分変わってますよ。まぁ慣れただけっていう言い方もできますが」
「そっかぁ、 まぁそれならまだいいのかなぁ」
そう陽乃さんは小さく呟くように言った。俺にとっては何がいいんだか分からないのだが。
「あー、でもだったら、本当に悔しいなぁ。そして本当に妬ましいよ君達が」
そう言って彼女は小さく溜息をつくように自嘲的笑みを浮かべた。
「妬ましいだなんてそこまでのものじゃないでしょ。」
「そんなことないよ。妬ましいっていう表現が一番合ってるよ。ドス黒くて気持ちの悪い程に醜い…」
「心境の変化にしては随分ですね」
「そうだね… でも多分 心境の変化だけじゃないんだよ…」
「は?」
「私の今の感覚って人生全部ひっくり返したような感じなんだよね」
軽くそんなとんでもないことを言い始める。まぁ原因は察しはつくが…
「私は君達が本当に羨ましい。君達は私には初めからないものがある。私がどんなに欲しくても手に入らないものがある。だから君達が本当に羨ましくて妬ましい」
「陽乃さんがそこまで妬むほどのものが俺たちに本当にあるんですか?」
「あるよ。ある。最近になってやっと気付いたことなんだけどね。」
「でも何度も言いますが、本物は見つかってないんですよ」
「違うよ。本物じゃない。
私が羨ましいのは本物じゃなくて、、その可能性、っていう表現の方が正しいのかな…」
「可能性?」
「君の望む本物は本当にあるかどうかは分からない。きっとそれはこれからの君の人生で見つけていくことなんだと思う。でもね、これだけは言えるの。その本物は、あるべき条件がないと絶対に見つからないんだよ。
そして、その条件は私にはない。
だから、私にはないその可能性がある君が羨ましい」
「いや、俺にあるなら、陽乃さんにもあるでしょう。もし今、仮になくてもすぐにだって…」
「いや、私だからあるとか。君にあるから私にもあるとかじゃないの。
きっとそれはお金とか容姿とか個人の能力なんかとは関係ないの。それらが絡んで来た時点でそもそもその可能性は潰える」
「でもだからって、陽乃さんにないという理由にはならないでしょう。今なくても見つければいい。」
「そうだね… そうしたいよ。
でも、残念だけどそれはできない」
「どうして…」
「…………雪ノ下陽乃だから…。」
「……」
何一つとして具体的な理由を述べているわけではない。
たった、たった1つ。自分の名前を言っただけ。
それなのに、納得してしまった自分がいた。それほどにその名はこの質問の回答となるに十分過ぎるほどの意味を含んでいた。
「雪ノ下陽乃だから」その名が意味することなど、もはや分かりきっている。
家の名という呪縛である。
その家に生まれた者の宿命として課せられた足枷が彼女の今を作り出した。そして今、その未来をも作り出そうとしている。家に敷かれたレールを歩くだけの人生。一見、楽そうに見えるが、そこに本人の意思と自由はない。きっと雪ノ下の一人暮らしもこういったことが原因の1つなのだろう。家庭の事情と言えばそれまでだが、いざ問題がそこに生じればそれはあらゆる事象において最も解決が難しいことになる。
家族という枠組みは古来より、重要で強い結びつきをもった集合体であり、その枠組みは血の繋がりという理由で神聖かつ不可侵的な意味合いを帯びていた。
つまり、家庭の事情に他人は介入することが難しいのである。
それ故に、家族という言葉で外界から遮断された空間によってこれが家庭内暴力の原因ともなっているのも事実だ。
話が逸れたが、つまりその神聖かつ強力な縛りをもたらす家族という枠組みに囚われた雪ノ下陽乃はそれだけで、俺の言葉を否定するのに十分だったということだ。
「雪ノ下の人間である以上、その可能性は手に入らないと?なら貴方の妹はどうなるんですか」
「どうだろうね、まだそれを手に入れられる可能性はあると思うよ。でも、絶対ではない。雪乃ちゃんだっていつかは親の命令に従わないといけない時が来るかもしれない。今は長女である私がいるから大丈夫なだけであって、私が終われば次は雪乃ちゃんの可能性だって普通に考えられるんだよ」
あの次女の雪ノ下でさえ絶対ではない。となれば長女の雪ノ下陽乃のことなどもはや言うまでもない。
彼女自身の可能性がないという発言における雪ノ下雪乃や俺達にあって雪ノ下陽乃にないものであるということが意味することとは、きっと彼女の立場を表しているのだろう。
本物の可能性が自分にはない。
雪ノ下の人間だからという理由で。
本物というものが俺たち自身の誰もが理解していないのにもかかわらず彼女は可能性がないと言い切った。
いずれにせよ、彼女達の家の事情というものがそうさせているのは変わりない。親という絶対的な存在がいる以上彼女らの自由は最初からないのかもしれない。自由のない人間に可能性はない。
そしてその自由を奪う魔の手は妹にも及ぶ可能性があると…。
それを家の事情だからという理由で終わらせていいのだろうか…?
妹の雪ノ下の一人暮らしや家の挨拶回りに出たがらなかったのもきっとこの息苦しい彼女達の人生を表しているのだろう。
少なくとも妹に関してはその家という縛りから僅かばかりの反抗、抵抗が見て取れる。
一方の陽乃さんは、少なくとも1ヶ月とちょっと前まではそんな兆しは見えなかった。俺は陽乃さんは自分なりに現状を理解して家の決まりや習慣に従っているものだとばかり思っていた。
だが現実は変わった。今こうしていること自体が既に異常だ。あの雪ノ下陽乃と一緒にこうしていることが数ヶ月前なら考えられないだろう。彼女の周囲で何が起きたのかは分からない。ただ分かるのは異質という状況だけだ。
雪ノ下陽乃を取り巻く状況がこの現状を作り出したのは間違いない。
だが、そこでの雪ノ下陽乃自身の思いが見て取れない。彼女の望みが分からないのだ。
「あなたの言うことが本当なら、とんでもないことですね。」
「そうだねー。でも分かってたことだからさ。もともとそういう親だったし、今更驚かないよ。」
そう、ため息をついて言い放つ。
まるで彼女の口ぶりは全て予想していたことで、自分にとってはいつもと変わらないからそこまで気にしていないとも思えるものだった。
「でもそれってやっぱり少し酷くないですか」
「まぁ、そうかもねぇ。でも、私達はそれがもう当然になっちゃってるからね〜」
彼女のトーンは変わらない。
「嫌じゃないんですか」
「別に、言ったでしょ。いつものことなの」
「じゃあ、陽乃さんは…」
「家に従うよ、いつもみたいにね」
彼女は何事もなかったの如く、気にしていないかの如く、そう平然と言い放つ。その態度は今までの俺達が知っている雪ノ下陽乃そのものだった。強くて怖い雪ノ下陽乃だった。
「それでいいんですか…」
「うん。いいよ。言ったでしょ、いつものことだもん。」
違う…。
今彼女は嘘をついている。
と、俺は直感的に分かった。
いや、直感でなくとも今までの彼女を見ていればなんとなくは想像がつく。
ただどちらにせよ彼女は今俺に嘘をつき、
自分の本心を隠した。
つまりこれは彼女の本心ではない。
真っ赤な嘘。彼女の感情とは相反した回答だ。
この人は今、自分の感情を自ら殺し、全てを諦めようとしている。
きっとこれまでもずっとそうだったのだろう。自分の感情や本心を自らで殺し続けて
生きてきたのだ。
ズタズタになった人間性と感情は彼女の理性と強化外骨格で覆い隠し、本当の自分は
儚くも散っていく。
自らで殺し続けた本来の自分という存在は死屍累々の屍となりその上に今の彼女は生きているのだ。
救われず死んでいった彼女達は今何を思うのだろうか。
理性で完全に感情を押し殺し、現状に納得しこれまでのように屍となり続けるのか。
それとも、折り重なり屍となった自分を憂い、悲鳴と叫喚をあげてあてもなく世界が変わるのを願うか。
だが、今の雪ノ下陽乃はその前者を選ぼうとしている。今までのように無慈悲に非情に冷酷に自分を殺し続けようとしているのだ。
自分の本心とは関わらず、自分を葬り去り、これまでの雪ノ下陽乃を演じ続ける。
見ていられない…。
と、そう思わざるえない。
はたしてどれだけの人間が完全に親に服従された人生を送ることができるだろうか?
自分の意思や本心に逆らいどこまで耐えられるのだろうか?
彼女のここまで約20年の人生で彼女の思いを汲み取ってくれた人間はいなかっただろうか?
理解してくれた人間はいなかったのだろうか?
このまま彼女の想いは救われることは永遠にないのだろうか?
自分を理解してくれる人がいない人生がどれほどに孤独で残酷であるかなど想像に難くない。いや、もしかしたら想像以上ものなのかもしれない。
救われぬその想いを俺はどうするべきか?
否、考えるまでもない。
俺はこの人を救う。救いたいのだ。
かつて救われた俺のように、救ってくれた人達のように、今度は俺がこの人を救いたい。
雪ノ下からの頼みだという理由もある。でもそれよりも俺の本心として、俺は彼女の心を救いたい。
もし俺がこの一カ月の雪ノ下陽乃との時間に意味を見出すのなら、きっと彼女の想いを汲み取ることができるのではないか。彼女との時間、それはきっと仲良しこよしのお互いの関係発展なんかじゃない。彼女の自己満足なんかじゃない。本意は他にある。
彼女は決して自らの口で言葉を紡いで他人を求めない。
自分の生い立ちやアイデンティティ反することになるからだ。だが人間、一人で生きていくことなどできない。そのことは俺自身が奉仕部で痛いほど分かった。結局人間どんなに強がっても事実は変わらない。実際、孤高のボッチを自称していた過去は影を潜め始めている。ならきっとそれは雪ノ下陽乃にも当てはまるはずで、彼女自身も1人で生きていくことは不可能なのだ。
どんなに周りから尊敬され期待され強く優れた人間だと思われていたとしても、彼女だって本質は変わらぬ人間であり本人ですらどんなに強がろうとも人間の域を脱することなどありえない。
確かに俺は彼女のことを魔王やら悪魔やらと呼んでいたのも事実だ。それ程に彼女は縁遠い存在に見えたし眩しすぎたのだ。まるで完璧を体現したかのような存在。だが人間のは誰しも完璧ではない、完璧に近づけば近づくほどに人間は人間味を失っていく。つまり人間は完璧でないからこそ人間たりうるのだ。俺は彼女を恐れどこか遠慮をしていたのはこういった理由があるのかもしれない。血と優秀であるがゆえの孤独。彼女の根本的な原因はそこにある。
でも、そんな雪ノ下陽乃でも俺は短くもこの1ヶ月間の中で彼女の人間らしさを見れた気がした。少しではあるが、僅かに見せた人の面影を俺は忘れられない。
確かにそれが俺の思い違いという可能性もある。
でも俺は、今の俺は、その思い違いかもしれない何かに賭けてみたいと思う。
そしてもし俺のこの賭けが正しいなら、彼女とのこの1ヶ月の時間の意味は出てくる。
それはきっと彼女の本意だろう。
なら、
この雪ノ下陽乃の目的 願い 思いを汲み取れ
これまでの時間を思い返せ、考えて考えて考えて考えて計算し尽くせ
俺自身の過去の自分に囚われるな逃げるな向き合え
何度でも何度でも問い直せ
最後に残ったものがきっと
きっと
彼女の心だ。
でも本当は考える必要なんてないのだ。
だって本当は
既に答えをわかっている。
分かっていたはずだ。
目を逸らしていただけだ。
くだらない思い込みと過去のトラウマを理由にして逃げていたのだ。
俺は彼女の気持ちに気付いていた。
そしてこれまでの時間の意味も。
これまでの時間は
彼女の、 彼女なりの
SOSなのだ
自分の中での、葛藤の中での。
彼女はずっとそれを求めていたのだろう。誰よりも何よりもどんな時も。
でも彼女は分かっていたのだ自分を、自分がどんな人であるかを。
他人の尊敬の目を、期待の目を、嫉妬の目を、それを何よりも分かっていたからこそ彼女は人を頼れなかった。自分の想いを打ち明けられなかった。
確かに俺なんかと比べれば彼女は優秀だし強い人なのは間違いない。
でも、結局は彼女も一人の人間だったのだ。
俺が、周囲の人間が、彼女は強い人だと、すごい人だと決めつけていただけなのだ、本人の想いも知らずに。俺たちが彼女を縛り上げていたのだ。
俺も含めて人間というのはどこまでも傲慢で浅はかで自己中心的な人間なのだろうかとつくづく思い知らされる。
考えればこんなことはすぐ簡単に分かったことだ。賛美賞賛の声が全て本人に良い意味で捉えられるわけじゃない。
それが本人には不快に感じたり圧になることだってあることなんて分かりきってるのに、俺は今になるまでそれに気づけなかった。
いや気づこうとしなかった。
俺自身でさえも彼女を苦しめていた張本人であったのに。
彼女の本意に気付けなかった…
考えればすぐに分かる話だったのに
誰よりも知っていたい、分かっていたい、と思っていた。いつの日か、俺は雪ノ下や由比ヶ浜達の前で、そう思っていたはずなのに… それなのに、
結局俺は何も分かっちゃいなかった。
人の心理を読めているが感情までは理解していない。
平塚先生の言葉が身に染みて分かった気がした。
と同時に罪悪感が俺の身体を包み込んでいく。今までの時間が無駄にしてしまった気がして、くだらない自分の考えで何も分かろうとしなかった自分が腹立たしくて仕方なかった。
「すみません… 」と今更ながらの謝罪がでてきた。
そんなものに意味があるのかどうかなんて分からないが、それでも俺は罪悪感の前には謝らずにはいられなかった。そうしないと自分の気が治る気がしなかったのだ。
「俺も悪いんです…」
せめてもの罪滅ぼしというべきか、俺は一言そう述べた。
「どうして、君が謝るの…」
陽乃さんは本当に訳が分からなさそうに尋ねてくる。確かに彼女からすれば俺の唐突の謝罪の意味なんてさっぱり分からないのだろう。こっちの話と言えばそうだし謝罪の理由が自明でない以上、はたしてこの謝罪に意味があるのかどうかと疑わしくなるのだが、そんな謝罪に縋るしか今の俺にはできないのだ。
「分かっていたいってずっと思ってたのに、そうあいつらにも言ったのに、結局俺は人のことを何も分かってなんかいなかった… 俺もその辺の人間と変わらなかった、馬鹿で傲慢で浅はかな人間でしかなかった…戒めても戒めても結局変わらなかった。あなたを分かっていなかった…」
「何、言ってるの…」
陽乃さんは目を丸くして俺を見つめていた。きっとこの一連の俺の発言が分からないのだろう。でも、きっと彼女は俺の言葉の意味をすぐに理解するだろうと確信はあった。なぜならこれから俺が話そうことは彼女の核心だからだ。
「考えてたんですよ」
「なにを」
「この1ヶ月間のことを。」
「どうして…」
「それが貴方の心だから」
「何それ…君の言ってる意味が分からないよ......」
「本当に、言ってますか?」
「うん、君の言ってることがサッパリ分からない。第一、私は放課後に付き合ってって言っただけだよ?君だって少しは私のこと知ってるでしょ。私はつまらないのが嫌いなの。暇つぶしだよ、暇つぶし。他意はないのよ」
「確かに俺は、今日まで放課後に付き合うということだけでそれ以上は頼まれていないです。でも、でもそれがあなたの本当の目的じゃない…。」
「だから違うって… それこそ君のよく言う勘違いってやつだよ…」
「確かに最初はそうだと思いました。実際は今も心のどこかで勘違いじゃないかって疑ってる自分が少しいます…」
「じゃあ、きっとその通りだよ…。
比企谷君が考えてるようなことなんてないよ…」
「ならなんで、俺と放課後一緒にいてくれなんて言ったんですか…」
「だから、ただの暇つぶしに…」
「じゃあなんであの時泣いてたんですか…」
「……」
「どうして俺だけに、話したんですか」
「それは…」
「これでもまだ、本当に言ってる意味がわからないと、言えますか…」
「もういいでしょ、そんなこと。
君の勘違いだって…私は本当に暇つぶしを」
「違う… それなら俺じゃなくていいはずだ。最初からこんな時間の融通の利かない受験生なんかに頼むはずがないし、第一暇つぶしなら他の人で事足りるはずだ。でもあなたはそうしなかった。それはあなたの本当の望みは違うから。あなたの欲しいものは…他に、」
「やめて…」
「どうして…」
「聞きたくないの…そんなの聞いたって…嫌になるだけだから… 無駄なだけなんだから……」
「…………。」
陽乃さんはそう言い放ち拒絶する。
だがここで彼女の言うように終わらせてしまえば、きっと何も変わらない、何進展しない。俺は一歩踏み出すと決めたのだ…。ここでやめるわけにはいかない…
「陽乃さん…。あなたは何を恐れてるんですか…」
「……」
「陽乃さんは今の自分が壊れてしまうことが怖いんですか…」
「…!」
「まぁ、考えれば当然のことですよね。
それが今までのあなたの生き方だったから、処世術だったから。優秀で誰からも褒められて尊敬される人間でいることが雪ノ下陽乃だった…。」
「やめて…やめて…やめて…」
「けどあなたが本当に欲しかったものを認めてしまえば、今までの自分を否定することになる…。本当に自分のことがわからなくなってしまう。」
「やめて…やめて…やめて…!」
「やめませんよ…。そんなの貴方じゃない….」
「そんなことない…君が勝手に決めないでよ!これが私!
みんなの期待に応えて、誰よりも優秀でいる!それが私なの!」
「そんな、他人から押し付けられた自分の何がいいんですか…! そんなこと貴方は望んでいないはずだ」
「違う、そんなの比企谷君の勝手な妄想だよ!」
「じゃあなんで!」
「なんで、、そんなにも苦しそうなんですか…。」
俺は咄嗟に叫んだ。が、すぐに声色をもどす。
「貴方だって少しは俺のことわかってるでしょう。俺が気付かないとでも思ってるんですか…」
「本当は怖いんでしょう…。
どうしたらいいのか分からないんじゃないですか…自分の本心と理性がぐちゃぐちゃになって自分でも迷ってるんじゃないですか…」
「…」
「人の心理と感情はイコールではないってある人が言ってました。同じようにきっと今のあなたの心理と感情も違うはずだ…。」
「自分の気持ちに嘘をつき続けることに本当は嫌で嫌で仕方ないはずだ」
「そんなの分かってるよ!!」
唐突に彼女は叫んだ。あまりの突然のことに俺は一瞬体が怯み、耳にはキーンと響くような音が残る。
「私だって、それくらいわかってるよ…! 君に言われなくても、そんなことずっと前から分かってるよ!」
「でも、でも、できないんじゃん…。自分の本当の気持ちを優先させることなんてできないんだよ!
私は君や雪乃ちゃんとは違うの!」
「だからって、このまま全て諦めて生きていくつもりですか…!
自分に嘘をつき続けて苦しみ続けるつもりですか…!
一人で全部抱え込んでいくつもりなんですか…!」
「そうだよ、私はこのまま生きてくの。どうせ私にはこの道しかないの。諦めるしかないの! 君の言うように私だって何度も悩んだしどうにかしたいって思ったよ、でも無理だった!
どうしたって無理!結局皆、私を見て見ぬふりして何も分かってなんかくれない!私の気持ちなんか知らずに、アホみたいに付いてきて媚び諂って賞賛する馬鹿ばっかり、結局 表面だけ見て自分にとって利益になることしか考えてない!だったら今まで通り、嘘を演じ続けた方がいいよ!変に希望を持って結局失望するくらいなら、最初から諦めた方がずっといいんだよ…」
彼女の言葉は吐き捨てるように、俺の言葉を完全に拒絶するように叫んだ。そしてその表情はあの橋で会った日以来の感情的なものであった。
どうやら俺の言葉をまだ受け入れるのことができないらしい。
きっと彼女は自分という人間を本当によく分かっているのだろう。俺に言わせれば雪ノ下陽乃の方が俺より遥かに自意識の化け物だと思う。でもだからこそ助けを求められないのだ。下手をすればその術すら知らないのかも知れない。だから受け入れられないのだ。
結局、本当の自分に気づいた時にはもう既に遅かった。演じ続けざる得なかった嘘が築き上げた雪ノ下陽乃は、固定観念として周囲に定着し、遂にはその本心を見つけてくれる人間はいなくなった。
なんて悲しい人だろうか…。
期待に応え続けるためにし続けた努力はさらに彼女を苦めたのだ。
そう思ってしまえばそれまでだが、俺はそんなことで終わらせるわけにはいかない。彼女の想いを汲み取るなら俺はやらなければならないことがある。
きっとそれは
慰めの言葉なんかじゃない。
励ましの言葉なんかじゃない。
そんなありきたりで、薄っぺらいものになんの意味もない。
彼女は言葉が欲しいんじゃない。
彼女が欲しいものは確かにあった。
それは、気取った言葉でも、取り繕った言葉でも、決まり文句なんかでもない。きっと彼女はそんなもの普段から嫌という程もらっている。
賞賛する言葉、
好意を寄せられる言葉、
期待をかける言葉、
尊敬の言葉、
挙げれば枚挙に暇がないのだろう。
でもそんなもので彼女は喜ばないのだ。満足しないのだ。満たされないのだ。自分の本質を見ず、理解もせず表層を見ただけの賛美の言葉になんの意味があるだろう?
それこそ、その人の積み上げた価値に対する冒涜だ。
だから俺がすべきことはそんなことではなく、彼女を見ることだ。
もちろんそれは表面じゃない、彼女の外骨格じゃない、彼女の心だ。
きっとそれは今、俺がすべきことであり、俺しかできないこで、俺だからできることなのだ。
だから俺は、この場から逃げない。
意を決して俺は一度逸らした目線を再び横にいる彼女に据える。
だが、そこではいつしか見た光景を再び見ることになった。
俺は彼女の頰を1つ、2つと水滴がこぼれ落ちて行くのを見た。
彼女は泣いていたのだ、、
彼女がまばたきをするたびにその涙はハラハラと落ちて行き、白く美しい彼女の顔は赤く染まっていく。
彼女の感情が溢れるように、また彼女の涙も頬を伝う。
そして間近で見る彼女のその表情に俺は一瞬、言い出そうとした言葉を躊躇った。
でもここで止まるわけにはいかない。決めたのだ俺は。
どうにか救える何かを示さなければ…
だが自分の意思とは反対に、俺の中で僅かな迷いが尚もさまよい続けている。
どの面下げて、どんな身分で言おうとしているのか。
過去の自分への戒めが足枷となっていて、出そうとする声を喉で止めてしまう。
分かってる。分かってるんだ。
どちらの考えも。
こんな俺だ。
自分でも自分が嫌になることが多々ある。馬鹿なことを言ったりやったりと後悔したことはいくらでもある。
別に大した地位も名誉も頭の良さもない。今この目の前にいる人に比べたら不釣り合いにも程がある。
でも俺と彼女は似ているのだ彼女の妹以上に。
俺達は形や方法は違えど一度 この世界を見限った人間なのだ。周囲との間に壁を作り、絶望し、人と心を通わせることをせず、ただ1人闇を抱え込んでイタズラに時を過ごす。
いつの日か自分が変われることを夢見た日々もとうに過ぎ、完全にこの世界を諦めた。
でも俺は今ここにいる。
ボッチを名乗り外界から遮断された自分の世界だけで生き、学校という社会生活に見限った日々は今ではない。
無論、未だに交友関係はかなり限られているのは事実だ。
でも、数は少なけれど俺は確かに近しい人と呼ぶべき人ができた。
俺を理解してくれる人ができた。
それがどれだけ俺に影響を与えてくれたかなんて考えるまでもない。
そしてその人達にどれだけ救われたか分からない。どれだけ教わったか分からない。
その1つ1つが今の俺になっている。
こんな俺でも理解してくれた人がいたんだ。
じゃあ今度は俺の番だ。
同じように世界を見限った人間を救えるのは今、俺しかいない。
俺が救いたい…
なら…
やることなんて分かってるだろうが…
「陽乃さん…。」
俺は一度躊躇った口を開けて彼女へ言葉を投げかける。
はっきり言って、どんな言葉を彼女に投げかければいいか分からない。でも彼女のためにできることは、俺の本心からの言葉を彼女に投げかけることだ。どんなに拙くとも…。
「俺は、あなたを見てますよ…。」
「え…」
「例えどんなに周りの人間が陽乃さんのことを理解してなくても。
俺は、俺は陽乃さんのことを少しでも理解できるように見ています。」
「そんなの…信用できると思う?
君だって見てきたでしょ、自己中心的な人達を。」
「そうですね…」
「結局皆、自分が可愛くて仕方ないんです。陽乃さんみたいな魅力的な人はそんな連中にとって欲しくてたまらないんでしょう。嘘の言葉と表情で、あなたに近づいてくるけど気持ちなんてなんにも考えちゃいない。だって、自分のことしかそいつらは考えていないんです。」
「じゃあ君だって分かるでしょ、少しは私の気持ち。信用なんてできるわけないよ…」
「たしかに、嘘ばっかりです…
誰もが平気で嘘をついて、本当の気持ちなんて分かろうともしない。
世界は嘘で満ち溢れてます。」
あぁ、やばい。
「でも、」
また俺は繰り返そうとしてる
「それでも、、それでもっ」
黒歴史確定かもしれない
「俺の気持ちは…」
でも俺は踏み出さないと
「陽乃さんを思うこの気持ちは…!」
だってそれは
「真実だから…」
陽乃さんはただ目を見開いて俺を見つめていた。
そして、混乱してるであろう頭がようやく俺の言葉を理解し始めたのだろうか、しばらくすると彼女の目はさらに涙で濡れ始めた。
雫はどんどんと溢れ彼女の頬をつたっていく。ポロポロとその頻度は上がり彼女は泣き崩れた。
声を大きくあげて、自分の感情を爆発させるかのように。
「なんで、なんで、そんなこと言うの…」
彼女はそう泣きながら訴えてきた。
「せっかく諦めようとしてたのに…
そんなこと言われたら、どうしたらいいかわかんないよっ…」
「自分の気持ちに正直に生きればいいと思います…」
「何も、自分の気持ちを殺してまで苦しむ必要なんてないですよ。」
そう言って俺もしゃがみこんで彼女に寄り添う。そして慣れない手つきで彼女の背中をさする。
初めてこの掌で触れた彼女の背中は、熱を帯び僅かな鼓動を感じさせた。
赤みを僅かに帯びた頬をつたう彼女の涙はポタポタと足元の花弁に落ちていく。
それからしばらくの間、
積もり積もった想いが乗った彼女の涙と嗚咽は、海風と花の香り舞うこの丘に流れ続けた。
「君は卑怯だね…」
という言葉と共に。
前編、後編と分けるつもりはなかったのですが、予想よりも長くなってしまったので前編はここまでです。
なるべく早く続きを投稿できるように頑張ります。
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