「え、来ないの?」
俺が那由多の家の前で「じゃあな」と言うと彼女は何故かそう返した。
来ないの? ってどこに。俺がそういう顔をすると彼女は目の前の家を指さした。つまり、那由多の家だ。
俺が那由多の家に最後に入ったのはいつだったか。正確に覚えてはいないが、確か小五の時だ。それ以来は那由多が俺の家に来ることはあっても、その逆はなかったはずだ。お互いにどこか気恥しさのようなものがあった。
俺には異性の部屋に行くことへの抵抗があった。年頃の男子は往々にして女子に夢を持つ。それは部屋も例外ではない。装飾はピンク色によっていて、ぬいぐるみが沢山あっていい匂いがする。俺もそういう夢を持っていたが、それは那由多に向けたものではなく女子に向けたものだった。一応生物学上、戸籍上は女──当時は那由多はギリギリ女に分類されるよな。という文句が男子ウケした──である那由多の部屋にも訪れることはなくなっていった。それは歳をとると公園で遊ばなくなるのに似ている。
それは那由多も同じく思っていたようで、俺が那由多の家に行かなくなってからは彼女から俺を家に誘うということはなくなった。
だから俺は那由多が突然家に誘ってきたことに内心みっともなく混乱した。急に何言ってんのこいつ、と思ったし口からこぼれていた。
「急じゃないでしょ。さっき学校で言ったじゃん」
「…………」少し間を置いて、教室での爆弾発言を思い出す。「あれって俺を貶めるためだけに言ったんじゃなかったの?」
「私が朱羅にそんなことするわけないじゃない」
何すっとぼけてやがる。ここ数日の間に俺が何回お前のせいで死にかけたことか……
まあ那由多に何を言っても基本無駄なので、あんな発言やこんな発言を一から百まで羅列するのは止めておく。代わりとして那由多が料理下手なことを明日学校で言いふらそう。
「別に行ってもいいよ」
「はぁ……しょうがないなぁ」
「おいやめろその溜息のつき方。俺が無理言って家に上げてもらうよう頼んでるみたいになるじゃん」
「いや、今のため息は、行きたいなら素直に行きたいって最初から言いなよ、っていう意味の溜息だよ」
「俺は行きたいなんて一ミリも思ってない」
「…………」
「またまたーそんなこと言っちゃってー、っていう視線やめてくれない?」違うからね、全っ然違うからねっ!
久しぶりに入った那由多の部屋は、小五の時と比べて変わったところは特になかった。少女漫画の数が増えて、クッションの数が異様に多くなっていて、白い絨毯が新しく敷かれているだけだった。
決定的に違っていた点は匂いだけだった。小五の頃よりも部屋には那由多匂いが染みていた。しかし、その彼女本来の匂いやシャンプーとは別に柔らかい匂いが鼻腔をくすぐった。
「この匂いってなに?」那由多に聞こえるよう音を出して鼻から空気を吸う。
「……匂い嗅ぐとか恥ずかしいからやめてよ……いや、気持ち悪いからやめてよ」
人を傷つけるためだけの言い直しはよくないと思うな、俺。
つい、いつものように那由多を男と同列に思っていたので気にしていなかったが、女の子の部屋の匂いを嗅ぐのはたしかに変態的だ。我がことながら素直に気待ち悪い。いや、男の部屋で匂いを嗅ぐのもそれはそれで変態的だが……
あれ……? もしかして俺って気持ち悪い? と真剣に落ち込んでいると、那由多がコホンとあざとい咳払いをした。
「友達からもらったんだよ。リラクゼーション効果があるなんちゃらの香りらしいよ」
那由多のその適当な説明に俺は「へぇ」と適当に応えた。
そのなんちゃらの香りとやらは確かに心が落ち着くような気がした。庭に寝っ転がっているような安心感がある。
しかし、庭に長く寝っ転がっていると親に雑草刈りを頼まれるように、平穏な場所には終わりがある。今回のそれは嗅ぎなれないその匂いに俺が一時間で酔ってしまうというものだった。那由多に大笑いされながら俺は額を抑えて自分の家に帰った。
家に帰るとかなでの靴はもう玄関にあった。リビングからは気配がしないため部屋にいるのだろう。
俺は後頭部が柔らかくグニグニとした感覚を覚えながら階段を上った。那由多の部屋の匂いはまだ鼻に残っている。
自室に向かう際、かなでの部屋の前を通ると匂いがした。いつもはそんなこと気にならないというのに今日は鼻がその匂いに反応した。なんちゃらの香りにあてられて嗅覚が鋭敏になっているようだった。
かなでの部屋から漂う匂いはうちにあるシャンプーの匂いだった。ただ、俺が知っているものよりもいくらかマイルドになっている。嗅ぎなれたその匂いは俺の酔いを拭い去ってくれた。匂いを上からベタ塗りするのではなく、大量の水で薄めてくれた。
三ヶ月も投稿できずにすみませんでしたァ!
これからも懲りずに投稿していきますので、これからも俺の日常に妹が追加されるそうです。をよろしくお願いします!