仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』 作:津田 謡繭
◇
「ウキキウキィキャウキャッホウ──ウキウッホウキィ『ホウキャキャウ』」
サルの声で。静かに告げられたそれは、その刀の銘だったのか。
そんな考えがフィリップの脳裏を走った時、すでにザップは攻撃を仕掛けていた。
右手から伸びた真紅の刀が空を裂き、
後に知る。
──
ごくり、と唾を飲む間に三度、刃が煌めいた。
紅い刀身の影を鋭く残し、振りぬかれる三連の太刀。
だが、その斬撃すらもドーパントは見切っていた。
身をよじり、袈裟がけの一太刀目を。次の瞬間には地に伏せ、横一文字の二太刀目を。そして最後の切り下ろしを、後方に跳びのき、かわす。
とはいえさすがに神速の剣技。かすりはしたのか、跳躍したドーパントの体表が火の粉をあげた。が、当然ながら致命傷には程遠い。
ザップが舌打ちとともに刀を構えなおす。
対し、ドーパントはニタリ、と笑った。
「ははあ、そんなものか。すごいけれど、まあ、避けられないほどじゃない」
「バカな……ありえない!」
フィリップの口から思わず声が出た。
メモリの種類はわからないが、このドーパントは間違いなく能力特化タイプのはずだ。いくらT-0ガイアメモリといえど、ここまで戦闘力をあげることはできない。
にもかかわらず、目の前でほくそ笑んでいるドーパントはWに競り勝ち、ザップの攻撃をすべてかわして見せた。
どう考えても説明がつかない状況に、フィリップは混乱していた。
(どういうことだ……能力特化型のメモリじゃないのか? だが、それだと今起きているこの現象はいったい……)
(考えるのは後だ!)
狼狽するフィリップに翔太郎が檄を飛ばした。
(今は戦う方に集中しろ!)
(だが翔太郎……!)
(落ち着けフィリップ! さっきの火の粉を見たろ。あいつはザップの攻撃を完璧にかわしたわけじゃねえ。ザップひとりでギリギリなら、全員でやれば押し勝てるはずだ!)
確かにその通りだった。
フィリップの体と戦えないレオを守るため、警戒に徹していたクラウスとスティーブンだったが、ドーパントの底を見てすでに戦闘態勢。四対一の構図は変わっていない。
それに気づき、フィリップの思考がスッと冷静になっていく。
(すまない、取り乱した)
謝罪と同時にフィリップは翔太郎に感謝する。
微に入り細に入り、常に論理的な思考を貫いて答えを導き出すフィリップ。だが裏を返せば、そこには緻密であるがゆえの脆さもあった。
それを理解し支えてくれる翔太郎の存在はやはり頼もしく感じる。その芯の強さに救われる。
(いくぜ)
(ああ)
Wが赤と黒の拳を固く、前に出る。
同時に、ザップが焔丸を振るように下段に置き、クラウスがナックルダスターを握り締めて一歩踏み出した。スティーブンも左足に重心を乗せた半身に構え、敵を見据えた。
並び立つ英傑四人。それを前にして。
「こういうの、イジメって言うんじゃないの?」
絶対的に不利な状況ながら、ドーパントはまだ余裕を崩さない。
「僕一人相手に四人がかりとか、さ」
「ウキャキャ、ウキウキィキャキャッホゥ」
ザップが挑発めいた態度で何かを言い放つ。
これが平時であったなら、その腹立たしい表情と調和したサル語に滑稽さも感じただろうが。さすがにこの状況でそれを感じたのは、相対する異形だけのようだった。
ドーパントがやれやれとばかりに首を振る。
「はは、ずいぶん威勢のいいことを言うね」
不敵に笑い。
「けど気を付けた方がいい。『言葉』には、『力』がある」
そうつぶやいた、その時だった。
「チュウ!! チ、チィ!」
レオが叫び、ザップを指さす。
Wが、クラウスが、スティーブンが。ザップを除く全員が、戦慄した。
視線の先。ぽかんと開かれたザップの
マズい。
全員がそう確信していた。
が、結論から言えば。それは大きな間違いであった。
何かが起こったのは──ザップだけではなかったのだから。
煙は一瞬で凝固し、歪な塊となり、そして弾けた。
その瞬間。
「「「「っ!?」」」」
ザップ以外の四人の動きが止まった。否、止められた。
体が硬直し微動だにできない。
レオはもちろん、Wも、スティーブンも、クラウスさえ。どんなに力を込めても、その全身を見えない鋼で固められたかのように、身じろぎひとつ不可能だ。
(ど、どうなってんだ!?)
(わからない……! ただ──)
何が起こったのか、まるっきり理解できない。
だが、そんなフィリップにも確実に言えることがあった。
(これで、一対一だ……)
喉を押さえ、咳込みながら態勢を崩し、それでも焔丸を敵に向けるザップの姿を、フィリップは歯がゆさを押し殺して見守った。
◇
「テメエ……何しやがった?」
「さあ、何をしてしまったんだろう」
「すっとぼけてんじゃねえぞコラ」
ドーパントを睨み据え、ザップは焔丸を握る手に力を込めなおした。
目の前の異形が何かをしたのは明白だ。
ほとんど毎夜のようにアルコールに浸り、泥酔しては吐き、悪酔いしては吐き、を繰り返しているザップである。今さら何が喉を逆流しようと慣れたもの。が、それでも今のは別格の気持ち悪さだった。
新手の呪術でも食らったかのような寒気が体にまとわりついていた。胃の内容物どころか生命エネルギーまであらかた嘔吐してしまったのか、と思えるほどの、異様なまでの消耗。
おまけに周りの人間がそろって金縛りにかかっているのを見れば、何が起こったかは分からないにしても何かが起こったのは確実である。
そんなザップの刺すような視線に臆する様子もなく。
「さっきも言ったけど、僕もまだこの力を使いこなせてないんだ。何が起こったのかわからないし、解くこともできないよ」
ドーパントは全身の口に薄ら笑いを浮かべていた。
そのにやつきが、ますますザップの眼光を鋭く研ぐ。
「はっ、だったら問答無用でなますにできるっつうことだな。都合がいいぜ。俺ぁ、旦那ほど悠長じゃねえからよ」
「できるかな? お猿さん」
「やってやんぜ
全身にからみつく倦怠感を焼き飛ばし、ザップはドーパントにおどりかかった。
ザップはイラついていた。
思えば、二日酔いの頭痛とともに目を覚ましてから数時間、ろくでもない目にしかあっていない。
噛みついてくる目覚まし時計に、瓦礫で殴ってくるヒルダに、わけのわからない髪の化け物に、噴水
もちろん、ここがヘルサレムズ・ロットであることを加味すれば、そのどれもがずいぶんと優しい災難だ。肉体的なダメージもさしたるものではない。
血法を身につけるにあたっての修行時代。体の大部分と一緒に
だが、こうも連続して。それも中途半端にきつい事ばかり。針でちくちく刺されるように身に降りかかればフラストレーションも溜まるというもの。
内のいくつかは自業自得ではあるが、そんな言葉はザップの脳内には存在しないため、不満はつのる一方だ。
結果。今、ザップの機嫌は最悪であった。
(だいったい納得いかねえ!)
灼熱をまとった横薙ぎをドーパントが上半身をそらし避ける。
次の瞬間にはザップが身をひねり、突き出された拳を受け流す。
(なんっで俺があの雌犬のとばっちり受けねえといけねんだっつの!)
踏み込んだドーパントの脚を狙い、剣閃を地に這わせる。が、これは跳躍でかわされた。
(そんで当の本人はいねえし!! なんっっだこの状況!?)
間髪入れず、真上に刃を返して斬り上げる。とっさに体を丸めたドーパントの肩を、浅くではあるが切っ先がえぐった。
ヒートアップする心の叫びとは裏腹に、ザップの戦士としての思考は冴えわたっていた。
先に挙げた苛烈極まる修行の賜物か。劣悪なコンディションであってもその太刀筋に乱れはない。
距離を取って着地したドーパントは肩口を押さえわずかにうめく。
「……ぐっ」
「らぁっ!」
好機とばかりにザップが焔丸を投擲する。
「っ! おっ──」
しかし、紙一重。身をひるがえした敵をかすめ、緋色の閃は大気を穿つに終わった。
「──ととぉ」
ドーパントが思わず安堵の息を吐く。
「今のは危なかった。けど、そろそろ無駄ってことを──」
嘲笑が途切れた。
それは、ニィと歪んだザップの口元に気づいたためか。はたまた、その手から伸びる、蜘蛛糸のように細い一筋の血を見たからか。
ドーパントの過ち。それはザップを侮ったこと。
酒と女と賭博に溺れる堕落に染まった日々。平時はまさしく、性根の基から腐り果てた人間の屑。
なれど、いざ戦いに身を置けば。血法においてはスティーブンをして「天才」と言わしめる技量の持ち主。そして血闘神と名高い師から一番弟子と認められ、「我が熟睡時に匹敵する」と讃される驚異の集中力を持つ男。
それがザップ・レンフロである。
「ふっ!」
短い呼気とともにザップが血糸を引き絞る。
引き戻された焔丸がドーパントの背後に躍り上がり、瞬く間にその形を変貌させた。膨れ上がり、分裂し、鋭利に尖る。
「刃身の六──」
合間をきっかり1インチ。数十と並ぶ血の刃が豪雨のように降り注いだ。
ザップの攻撃手段を焔丸での近接戦闘のみと侮ったドーパントが、後方上空より襲うそれに対応できるはずもなく。
血刃が次々と手足を貫き、ドーパントを標本のようにタイルに縫いつける。
「ギ、ギァアアアアア!!」
轟く悲鳴に重ねて、ザップが静かに名を告げた。
「──『
だがドーパントには聞こえていない。全身の焼けるような痛みに悶えそれどころではない。
「……ごのっ、がっ……クソ……」
「ホーゥ、なかなか頑丈じゃねえか」
通常ならば敵は原型をとどめない挽肉と化す凶悪な技だが、さすがはT-0ガイアメモリのドーパントと言うべきか。重傷を負いながらもまだ生きている。
相当のダメージにも関わらずメモリブレイクに至っていないのは、やはりそれなりのコツがいるからだろうか。
「へっ。『口』ほどにもなかったな、ドーパントってやつもよ」
「クソッ……クソクソクソ! ぃ痛い……いぃ、ぎっあ、なんて酷いことをっ……!」
食い込んだ紅天突を引き剥がそうともがくドーパント。だが深々と刺さった刃は揺るぎもしない。
新たに作り出した焔丸を突きつけ、ザップはドーパントを見下ろした。
「このままぶっ殺すのもアリっちゃぁアリだが、動けねえ相手にそこまでやると後ろの堅物がうるせえからな。とっととあの金縛りを解きやがれ。メモリブレイクだか何だか知らねえが、あの半分こヤローじゃねえとテメエの無力化はできねえらしいからよ」
立てた親指で後ろの四人を示すザップに、ドーパントは苦痛に歪んだ口で反論する。
「……だからっ、さっきから、無理だって言ってるだろっ!」
「無理でもやるんだよ阿呆」
「かっ、会話もまともにできないのか野蛮人めっ……! そんなだから猿の──ぎゃあああ!!」
「どーもわかってねえらしいな。こりゃ会話じゃなくて命令だ。できなきゃ殺す。そんだけだ」
ズシュッと音を立てて。ドーパントの左手に突き刺した刀を引き抜くザップ。
やっていることは拷問そのものであり、どう見ても悪人はザップの方、という状況だがまあ是非もない。数時間後の死闘を見据えれば、早いところ終わらせて体力を回復しなければ命とりだ。
「こっちもヒマじゃねえんだよ。あくしろオラ」
明確な殺意をはらんだその目に、ついにあきらめたのか。
「……殺さないんだな?」
「あ?」
「メモリブレイクを受け入れれば! 僕を解放するんだな!?」
忌々しそうに叫ぶドーパント。
それを見て少しは鬱憤も晴れたのか、ザップはややトーンの上がった声で答えた。
「オウ。このみょうちくりんな騒ぎが終わりゃ、テメエみてえなストーカーヤロウどーーーだっていい。むしろあの雌犬が万が一にも困窮すんなら、どっちかっつうと愉快なくらいだ」
足元のドーパントが体中で歯を食いしばったのは、自分をストーカーと揶揄されたからか、思い人を雌犬呼ばわりされたからか。どちらともつかないが、いずれにせよこの状況でそれに噛みつくほど馬鹿でもないようだった。
「……わかった。やってみるよ」
悔しそうにつぶやき、ザップを睨みつける。
「その前に約束しろ。もう一回、僕を解放すると誓え!」
「あのなあ、お前マジに自分の立場……」
言いかけたザップだったが、とにかくもう面倒くさくなってやめた。
疲労も大きい。さっさと終わらせてちょっとでも寝たい。サクッと殺してもいいが、やはりクラウスの小言もわずらわしい。
そう考えて。再び騒ぎ出したイライラに目をつむる。
「へえへえわーったよ。ったく調子のりやがってメンドクセエ」
思いっきり相手を馬鹿にした顔で
「ちゃあーんと解放してやんよ、クソザコドーパントさんよォ」
そう言い放った。
その時。
「──っ!? う……げっ……!」
ザップの体に異変が起きた。
さっきとまったく同じ、全身の力を抜き取られる感覚が襲い、喉から何かがあふれる。
(またかよっ……!?)
警戒は十分にしていた。魔術や呪詛の類なら、兆しが見えた瞬間に千切りにするつもりだった。
だが。
(完全にノーモーションだったじゃねえか!?)
耐えかねて床に伏せる。全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、寒気と酸欠で意識が朦朧とする。
「ごはっ……!」
たまらず開いた口から、どろり、と煙が流れ出た。
そして、凝縮されたそれが再び弾けた時。
「……っは、はは! なるほど……ようやく使い方がわかってきた……!」
床に貼りつけていたはずのドーパントの声が、
「テ……テメ……」
血法は解いていない。意識が朦朧とした
にもかかわらず。どういう理屈か、ドーパントは拘束から解放されていた。
今度はドーパントが、床に倒れたザップを見下ろす。
だが、さすがに全身を貫かれたダメージは消えてはいないようだった。痛みに顔をしかめながら、ドーパントは後ずさった。
「……ハア、あぐっ、い、いったん引き揚げるよ。これ以上痛いのはごめんだ……」
「ま、待ちやが……」
「じゃあね。……また来るよ。今度はちゃんと、彼女がいる時にね」
ザップの意識が薄れる中。
ドーパントはビルから飛び降り、その姿を消した。
◇
『いよいよマズいことになってきたな』
そう書いて。スティーブンがコピー用紙をテーブルに投げ置いた。
やや乱れた字とその態度から、相当に頭を悩ませているのがわかる。
ドーパントが消えてから数分で硬直は解けた。が、今度は逆にザップが行動不能になっていた。二度による謎の攻撃がよほど堪えたのか、立ち上がることもできずにソファにへばりついている。
そんなザップに心配そうな視線を向けつつ、レオはペンを握った。
もう筆談も慣れたもの。コピー用紙上での会話もずいぶんスムーズだ。
『それで、どうします?』
『どうするもなにも。奴を見つけて、どうにかするしかないだろ』
『見つかりますかねえ』
『簡単にはいかんだろうなあ……』
一度逃げたドーパントを見つけるのがそう簡単ではないことはフィリップもよく知っている。聞く限り、かなりの規模の情報ネットワークを持つライブラも、今は
そろってため息を吐くレオとスティーブン。
そこにクラウスが口を挟んだ。いや、紙を挟んだというべきか。
『それでも何もしないわけにはいくまい。我々には責務がある。たとえどんなに困難でも、それを理由に立ち止まっている暇はない』
『……そうですね』
クラウスの言葉にうなずいて、レオが立ち上がった。
『ちょっと、バルコニーに何か手掛かりがないか
今、自分にできることがあるなら。それはその眼で少しでも情報を得ること。
そう判断したのだろう。
フィリップには、バルコニーへ向かうレオの顔つきが、少しだけ引き締まって見えた。
そんなレオから視線を戻し。フィリップがスティーブンにたずねる。
『チェインさんにはこのことは?』
『すでにメールで連絡済みだ。相手の目当てがチェインであることも伝えて、そのうえで注意しつつ捜索を続行するように指示してある』
『ふむ。……大丈夫だろうか』
顎に手をあてて、クラウス。
その言葉にスティーブンが首をかしげる。
『さすがに心配いらないんじゃないか? まあ、まがりなりにもザップと渡り合った相手だが、戦闘にならなければ問題ないだろう。そうやすやすと不可視の人狼を捉えられるとも思えない』
『それ以前に』
スティーブンに付け加えるように、フィリップが思ったことを綴る。
『奴はチェインさんを愛していると言っていた。それなら、わざわざ危害を加えるようなことはしないんじゃないかな?』
が、この意見に対しては翔太郎とスティーブンが同時に首を横に振った。
(いや、そいつは違うぜフィリップ)
『いや、一概にそうとも言えないぞ』
ドライバー越しの声と紙の上の文章にまったく同じタイミングで反論され、フィリップは少し面食らう。
さらにはその後に続いた言葉も、二人ともが示し合わせたかのようだった。
(愛ってやつは厄介だ。深けりゃ深いほど、愛は時に人を傷つける。相手も他人も、自分自身もな。財団の加頭がまさにそうだったじゃねえか)
『人の感情で最も御しがたいのが愛だよ。深ければ深いほど、存外、簡単に憎悪に変わるものさ。ああいう手合いは特に、な』
それぞれの言葉を、フィリップは興味深いと感じ納得する。
しかし、同時に二人の違いも感じていた。
一見して同じように『愛の恐さ』を語る翔太郎とスティーブンだが、その目の色は真逆に見えたのだ。
一方はそれを心から憂うさびしげな目。そしてその奥に、言いようのない憤りを含んでいた。
一方はそれを利用できるしたたかな目。そしてその奥に、そんな自分への自嘲を秘めていた。
もしかするとそのあたりの違いが、翔太郎がスティーブンに対し若干の苦手意識を持った原因なのかもしれない。
(そんなたいそうな話でもねえよ)
翔太郎の声にハッとする。
思考を共有していたのを忘れていた。
フィリップの考察が翔太郎にも伝わってしまったらしい。
(苦手意識って程でもねえんだ。ただ、たぶん、この人が求める強さは俺のとは違うって気がするっつうか。苦手ってよりも、なんかこう、相いれない感じがするだけさ。うまく言えねえけどよ)
(それは苦手意識とは違うのかい?)
(微妙にな。認めてはいるんだぜ? この街で、この組織で、守りてえもんを守るには、どうしたってそういうしたたかさも必要だろうからな)
(……なるほどね)
そんな翔太郎とフィリップの視線に気づいてか否か。スティーブンは微笑みながら、クラウスと筆談を続けていた。
『まあ、だから手放しに安心することもできないが。なに、あいつもプロだ。いくら心配性の君でも、そのへんは信頼しているんだろ?』
『無論、チェインのことは信頼している。彼女の能力にはわずかの疑いもない。だが──』
ペンを止め何かを考え込むクラウス。
そこに先回りするように、スティーブンが続けた。
『気になるのは奴の能力の方かい?』
『うむ。まさしくそこだ』
二人の視線が交差し、空気が緊迫し始める。
ペンの動きは次第に早くなり、書き込まれる文章が難解になっていく。
『最初の硬直は、まだ魔術や呪詛の類で説明もできる。だが、二度目にザップの拘束から抜け出したあれは、どちらかと言えば事象そのものの改変に見えた』
『確かにな。ふむ、なるほど。考えてみれば、このサファリパーク騒ぎも多人数へ個別に干渉しているとなると、単純な術式のレベルを超えている。もしも、奴の力が不可視の人狼と同じく、因果律そのものへの干渉を可能にしているとしたら……』
『奴は去り際にこう言った。「やっと使い方がわかってきた」と。対応を急がねば──』
『
『急ぎ、奴の力の正体を解明しなければならない』
と。
「ワンッ!!」
唐突に声をあげた翔太郎に、三人の視線が集まった。
(フィリップ。訳して伝えてくれ)
(ああ、わかった)
翔太郎の言葉に従い、フィリップがペンを走らせる。
もっとも、その内容はフィリップが言いたいことと同じであったが。
『僕たちに任せてくれ。ドーパントの能力は僕と翔太郎で必ず解明する』
自信満々の二人に一瞬だけ驚いた顔をしたクラウスとスティーブンだったが、すぐに「ガイアメモリに関してはこの二人の方が適任」と思い出したのだろう。
うなずきあい、フィリップに詳しい説明を求める。
『何か考えがあるのかね?』
クラウスの問いに、翔太郎とフィリップがうなずく。
『僕たちには
そう書いて、フィリップがにこりと微笑んだ。
その時。
スティーブンの携帯が振動し、メッセージが届いたことを告げた。電話ができない今、全ての連絡をメッセージアプリで行うという連絡はライブラの全メンバーに通達済みだ。
届いた報告にスティーブンが素早く目を通す。
と、同時に。
「チ、チュウチチィ!!」
バルコニーにいたレオが血相を変えて飛び込んできた。
混乱してチュウチュウと鳴きまくるレオを、クラウスが「まあまあ」と両手の平のジェスチャーで抑える。
『落ち着きたまえ、レオナルド君。筆談でないとわからない』
そう書いた紙をレオに差し出すクラウスだったが。
スティーブンが別の紙でこう告げた。
『コットドロ・ファミリアがガルガンビーノの地下コロシアムを襲撃し、クローン幻獣の一体が地上に逃げた。そうだな、レオ?』
ちぎれんばかりに首を縦に振るレオ。
さっき届いたメッセージもその報告だったらしい。
これ以上ない程の最悪なタイミングでの抗争の勃発。まったく、ツイてないどころの騒ぎではない。フィリップは考えずにはいられなかった。もしこの世界に神様がいるのなら(後で聞けばすでに80柱ほど確認済みらしいが)、きっととんでもなく性格の悪い神様にちがいない、と。
それでも。どんなに最悪なタイミングでも、無視はできない。それがライブラである。
クラウスとスティーブンが、突如舞い込んだ修羅場に向かうため、立ち上がる。
そして、驚いたことにもう一人立ち上がった人物がいた。満身創痍、今までソファと一体化していたザップである。
声は出さない。だがその目が言っていた。「舐めるな。いける」と。
しかし、立ち上がったといっても床に転がる三面阿修羅モアイ像に半分よりかかったような態勢だった。戦闘どころか歩行すら危うく見える。
とてもじゃないが無理だ、とその場の全員が思っていた。
否。一人だけ。誰よりも固く人間を信じ、誰よりも意志の力を信じる男、クラウスだけは。光失わぬザップの目に、力強くうなずいた。
そしてふらつくザップに近寄り、ヒョイと肩に担ぎ上げる。担がれたザップはさすがに弱々しくキイキイと鳴きながら暴れたが、クラウスはそのまま運んでいく気らしい。
隣でスティーブンが軽くため息を吐き、すぐにコピー用紙とペンを取って、翔太郎とフィリップ、そしてレオに指示を出した。
『ドーパントとメモリについては君らに任せた。レオは二人に協力を。チェインにもそっちを手伝うよう連絡しておく』
指示を受けた三人がうなずく。
と、それを見計らったかのように。
オフィスの扉が開き、ギルベルトが入ってきた。遠目でもわかる達筆で『車の用意ができました』と書いた紙を持っている。
いつもギルベルトの運転で現場に向かっているのだろう。緊急時だというのに、いや緊急時だからこその手際の良さだ。
だがクラウスは首を横に振った。
『運転は自分でしていく。ギルベルトは彼らのサポートを』
ザップを肩に担いだまま、器用にそう書いたクラウスに、ギルベルトはただ静かに一礼した。
「プアオオオ!」
振り返ったクラウスが翔太郎とフィリップに何かを告げる。
何を言ったかはわからない。だが、何を言いたかったかは十分に伝わった。
翔太郎が「任せてくれ」とばかりに帽子を押さえつけた。
フィリップも微笑みながらしっかりとうなずいた。
誰かが言った。
なあアンタ、救世主には休むヒマさえないのかい?
まったく、世界の危機は強大で。
そのくせ、案外くだらぬ原因で。
それゆえ、起こる時には頻繁で。
割に合わない?
その通り。
しかし、それでも彼らは征くのだ。
信念か? 大義か? それとも意地か?
はっきりと答えられる者はいないかもしれない。
しかし、彼らは歩みを止めはしないのだ。
決意を胸に、信頼を背に。
揺るがぬ一歩を踏み出して、世界の危機へと向かうのだ。
誰かが言った。
ああどうやら、俺達には休むヒマさえないらしい。
かくして。
ライブラと探偵による、本日二度目となる世界を救う戦いが始まったのだった。
ザップとドーパントの戦闘シーン、自分ではお気に入りですがいかがでしたでしょーか?
次週、いよいよオッドとの決着(の予定)です!お楽しみに!