仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』   作:津田 謡繭

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その憂鬱は世界の守護者であるが故



Guardians feel 『Melancholy』, therefore they are

 ◇

 

 

 

「昨日のミーティングを覚えてるか?」

 

 翔太郎とフィリップはソファに腰掛け、スティーブンから詳しい説明を受けていた。

 もらった頭痛薬を水で流し込んでから、まだ若干青い顔で翔太郎が答える。

 

「そういや、あの時もパンドラム・アサイラムの名前が出てきたな」

 

 隣のフィリップがそれに続ける。

 

「たしか小さな隕石か何かが落ちてきた、という話だったと記憶しているが。もしかして、それがガイアメモリだったとか?」

「その通り。防壁を突き破ってパンドラム・アサイラムの壁に穴を開けた落下物。その外見がガイアメモリに酷似しているそうだ。並みの物体が多次元物理不干渉結界をどうにかできるとも思えんし、まず間違いないだろうな」

「なるほど。T-0ガイアメモリの自己防御能力はぼくらの想定を大きく上回っているようだね。ついては是非、その多次元物理不干渉結界というものについて詳しく知りたいな! 名称からして完全に未知の領域だ! 実に興味深い!」

 

 フィリップが目を輝かせながらスティーブンに迫る。一晩中宙づりになっていたとは思えないほど元気だ。

 スティーブンの方は近づくフィリップの顔を両手でガードしつつ、引き気味に笑っていた。

 

「え、ええ……、いや、口頭で説明するのはだいぶ骨が折れるんだが……」

「なら大まかにでもかまわない! 詳しい部分は自分で調べるとしよう!」

 

 またか、と小さくつぶやいて。翔太郎はげっそりした顔でコップの水を飲みほした。

 そして前のめりになったフィリップの首を掴んでソファに引き戻す。

 

「んな脱線してる場合か!」

「しかし翔太郎」

 

 ソファに押し付けられたまま、フィリップがむぐむぐと反論する。

 

「多次元物理不干渉結界はさておくにしても、パンドラム・アサイラムについて詳しい説明はしてもらわないと」

「あ? なんでだよ」

「考えてもみたまえ。ガイアメモリが見つかったんなら、そのまま回収してここへ持ってくればいい。発見されたのが昨日なら、とっくにこのデスクの上にあってしかるべきだろう?」

 

 あ、と翔太郎の動きが止まった。

 

「そうなっていないということは、つまり──」

「ご推察の通り。さすが探偵と言うだけはあるな」

 

 フィリップをさえぎり、スティーブンが口を開いた。

 

「発見されたメモリはいつのまにか保管場所から消えていたそうだ。結界が破れてからの警備レベルが過去最高レベルだったのを考えると、侵入者も脱獄者もまずありえん。おそらく、施設内部の誰かが所持しているんだろう」

 

 いったん言葉を切り、にっこりと笑い。

 

「そういうわけでだ。君たちにはパンドラム・アサイラムへおもむき、メモリを回収してきてほしい」

 

 サブウェイでサンドイッチを買ってきてくれ、とでも言ってそうな笑顔で告げるスティーブン。

 翔太郎は思いっきりソファに倒れかかり天井を仰ぐ。

 

「昨日から立て続けで申し訳ないが、犯人がドーパント化している場合、君たち以外に対処できる人間がいないもんでね」

「……いや、いつも俺たちがやってることと同じだ。場所がどえらい犯罪者がうじゃうじゃいる刑務所ってだけで……」

「悪いね」

 

 あまり悪そうに思っていない顔でスティーブンが微笑み、数枚の資料をデスクに広げた。

 

「言えないことが多いから簡易的な説明にはなるが、軽く説明をしておこう。さっきも言った通り、パンドラム・アサイラムはヘルサレムズ・ロット唯一にして最大の監獄だ。収容人数は約4千万。いずれもA級以上の超凶悪犯で、どいつもこいつも異能超常規格外ばかり。ゆえに、施設は十数種類の物理的、化学的、魔術的な防壁で守られている」

「4千万の囚人とは、また随分と多いね」

 

 フィリップが首をかしげる。

 

「たしかニューヨーク市の人口は8百万程度だったはずだ。その5倍もの人数が収容されてるなんて、いったいどういう状況なんだい?」

 

 たしかに考えてみれば妙な話である。

 ニューヨークがヘルサレムズ・ロットへと名を変えて3年。もちろん人口は増えたのだろうが、凶悪犯だけで4千万人というのは異常だ。どれだけ治安が悪いと言っても限度があるだろう。

 ところが、スティーブンの返答は二人をさらに呆然とさせるものだった。

 

「確かに君たちからすればとてつもない数なんだろうが、実のところ頻発する事件の数に比べて囚人4千万というのは極一部に過ぎないんだ」

 

 スティーブンが笑う。

 と言っても無知を馬鹿にするような笑顔でなく、むしろ二人への説明を楽しんでいるような様子だ。

 

「なに、案外簡単な話だよ」

 

 そう言ってひざの上で手を組む。

 

「3年前のニューヨーク大崩落以降、街の人口は跳ね上がった。異界の技術や利益利権を求めて世界中から人間がやってきた。その辺のことはクラウスにも聞いてるだろう?」

 

 二人がうなずく。

 

「おまけに向こう側からも億単位で移住があったせいで、人口増加は元の数十倍とも言われている。同時に流入してきた空間拡張建築法や逆位相転移ポケット理論、虚数海具現術式なんかのおかげで、見た目にはさほど過密でないのが幸いだがね。まあとにかく、膨れ上がった人口と冗談みたいな治安の悪さを加味すれば、もっと多くの囚人がいてもおかしくはないんだよ。だが、そうなってはいないのが現状だ」

 

 時折やたらと難解になるスティーブンの話を、翔太郎はそのつど軽い頭痛を感じながら、フィリップは興味深げに目を輝かせながら聞いていた。

 話を要約すればこういうことらしい。

 

 というのも、事件を起こす犯罪者のほとんどが『観念』や『往生際』という言葉を知らず暴れまくる、ザップやスティーブンが言うところの()()()()であり、警官や機動隊もそれを踏まえて発砲警告を5秒で終了させるのだ。すなわち、行き先は大抵、檻の中ではなく墓の中。

 さらに死者の出ないような事件なら逮捕自体がゼロに近い。

 警察の人員が有限である以上、優先すべきは10人の窃盗犯より1人の殺人犯。そして毎日のように、10人どころか100人単位の殺人犯が湧き出すのがこの街なのである。

 剣呑な区域ならばさらに物騒な事件も増える。取るに足らない軽犯罪者をいちいち検挙している暇などないのだ。

 

「妥協というわけじゃないが、人異怪異入り混じった最悪の治安の中、武装した司法がかろうじて息をしているこの街じゃ、ある意味これが限界なんだろうな。もっとも、HFBI署長(ゴルドレイク)の憤慨ぶりを見るに、警察組織もそれに甘んじるつもりはないんだろうけど」

 

 そう言っておもむろに立ち上がったスティーブン。コーヒーサーバーの方へと歩いていき、「君たちも飲むかい?」と声をかける。

 翔太郎とフィリップはそれぞれに肯定の返事をして、カップを受け取った。

 コーヒーを淹れながら話は続く。

 

「犯罪者自体もなかなか厄介なのが多いのさ。それこそ僕ら(ライブラ)みたいなのが必要なくらいにはね。むしろ、そんな連中相手によく3年やそこらでそれなりの対策ができたもんだ。素直に感心するよ」

 

 そう言われて、フィリップはヤドカリに吹き飛ばされていた機動警察暴徒鎮圧用強化外骨格(HLPDストライカーポリススーツ)を思い出していた。

 

「対策とは、人間以外の犯罪者に対する策、ということだろうか?」

「当初はそうだったんだろうが、今となっちゃその辺の区別も曖昧だな。元が人間なだけで全身に生体ミサイルを仕込んでるようなのもいれば、元が不定形生物なだけでヒューマーにほとんど同化してるようなのもいる。どこからどこまでが人間なのかを定義するのは至難だよ」

 

 再びソファに腰掛け、カップを揺らして香りを楽しむスティーブン。

 

「案外、人間もそうでないものも根本的なところは同じかもしれないとさえ思える。とくに我々が相手にするような、無知蒙昧な輩はね」

 

 愚痴を言うようにつぶやくスティーブンの目からは、どこか冷めたような気色が見て取れた。

 人間も化物も関係なく、快楽主義と利己主義に染められた相手と休む間もない戦いを続けているライブラ。それが翔太郎が言うような、ある種のしたたかな強さをスティーブンにもたらしているのだろう。

 そして。どんな手段を使ってでも世界を守らなければならない。翔太郎が仕方ないと言ったその姿勢そのものが、きっと彼らに守護者ゆえの憂鬱を沸かせているのだ。

 何か言おうと口を開きかけたフィリップだったが、けっきょく何を言っていいのかはわからず、訪れた沈黙にコーヒーが少し冷めただけだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから3時間後。

 ユグドラシアド中央バイパス イーストジャギラ方面。

 

 ヘルサレムズ・ロットの霧は異界(むこう)側へと近づくにつれ、より濃く、そして重く視界を曇らせる。

 街の中心へと続く高速道路(ハイウェイ)を走る車たちがヘッドライトを(もしくは眼や触覚の先端を)強めに光らせているのはそのためだ。

 異界の影響が強いせいだろうか。道は重力や天地の概念をあざ笑いながら、幼児が考えたジェットコースターの落書きのように()()()を伴って上下左右にうねりまくっている。

 その自由すぎる道の上。まだかろうじてまっすぐと言える部分の路肩に、翔太郎は呆然と突っ立っていた。

 

「…………」

 

 車がそばを通るたびに巻き起こされる突風に、飛ばされないよう帽子を押さえつけながら、翔太郎はぽつりとつぶやいた。

 

「なん……だ……こりゃあ……」

 

 視線の先には黒い壁。

 磨き上げられた鏡のように滑らかな漆黒の壁が、高速道路脇にそびえ立っている。

 そこらの高層ビルと比べてもその高さは異様だ。上へ上へと視線をもっていっても黒光りする壁面は上端を見せる気配がまるでない。

 とりあえず首の角度が限界に達したので翔太郎は見上げるのをやめたが、どれくらいの高さがあるのかは推測もできなかった。

 

「どういうスケールだっての……」

 

 その存在感に、翔太郎はただ圧倒されていた。

 

 間近の翔太郎には壁にしか見えない巨大な建造物だが、遠くから眺めるとその形状は柱に近い。霧の空へと無言で屹立(きつりつ)する方尖柱(オベリスク)だ。

 光沢のある漆黒の壁面は摩擦という摩擦をすべからく排除した滑らかさ。ハエがとまることもできはしない。もっとも、仮にハエがとまれる壁だったとしても、表層に施された『対接触魔術電磁網』に焼かれてハエから灰に変わるだけなのだが。

 その他にも、幾重にも張り巡らされた超技術と超魔術のセキュリティシステムがこの要塞のような施設を守っていた。

 

 パンドラム超異常犯罪者保護拘束施設(アサイラム)

 

 中からも外からも。文字通りに虫一匹通さぬ絶対不可侵の牢獄。

 収容人数約4千万。A級犯罪者、S級犯罪者、さらにそれ以上の超凶悪犯罪者をまとめて収容する、ヘルサレムズ・ロット唯一にして最大の刑務所である。

 

「……」

 

 実物を前にして、翔太郎の横頬を冷や汗が伝った。

 正直なところ、心細くないと言えばウソになってしまう。そんな心境だった。

 彼をここまで運んできた完全防弾耐爆術式付加のBMW(X6ソーサリーセキュリティプラス)は、すでに波打つハイウェイを走り去って霧の彼方だ。

 今、ここにいるのは翔太郎一人である。

 

 こういう実地捜査の場合、フィリップが現場に来ることは少ない。

 戦闘になった時、やはり抜け殻になったフィリップの肉体は戦いの枷になる。

 さらに今回はフィリップ自身も留守番を希望した。どうしても調べておきたいことがあるのだという。

 何も今じゃなくても、と翔太郎は思ったが、こうなったフィリップがテコでも動かないのは一番よく知っている。

 

 ではライブラのメンバーはというと、そちらにも事情があった。

 場所が場所だけに、もともとはクラウスかスティーブンが付きそうはずだったのだが、昨日の一件の後始末がかさみそれが不可能になったのだ。

 なんでも、ツェバイバ爆卵蟲の送り主が「信じて送り出した宝物がバラバラの標本にされた経緯を説明しろ」、と怒鳴り込んできたらしい。

 それがどうも異界側の爵位もちだったらしく、下手をすれば人類VSニギュエル天使軍の戦争になりかねない、と総出でなだめに(場合によってはねじ伏せに)いかなければならなくなったとのこと。

 ちなみにザップとレオはフリーだったのだが、どう考えても囚人とのトラブルのもとにしかならないザップと、やはり護衛としては無理があるレオならば、同行しない方がいいだろうとスティーブンに判断されたのである。

 

 そういうわけで翔太郎はひとり、異形の囚人たちへの不安を抱えつつ、現場へとやってきたのだ。

 

「さて……と」

 

 一通りの驚嘆を終え、そこそこの落ち着きを取り戻した翔太郎は、目の前の黒い壁をぼんやり眺めながら、高さがちょうどいいガードレールに前のめりでもたれかかった。

 たった一日しか経っていないが、この街のハチャメチャ具合にもずいぶんと慣れてしまったものだ。もっとも、翔太郎のそれはフィリップのような柔軟さの類ではなく、ただ感覚が麻痺しているだけなのだろうが。

 手持ち無沙汰にそんなことを考えつつ、翔太郎は小さくため息をついた。

 

「運転手のおっさんにはここで待ってろって言われたが……誰をだよ」

「私を、だろうな」

「おぅわ!」

 

 いきなり背後から声をかけられ翔太郎の肩が跳ね上がる。

 振り返ると、そこには背の高い白人の男が立っていた。

 

「脅かすなよ!」

「そんなつもりはない。私はお前の質問に答えただけだ」

 

 男は完全な無表情のまま翔太郎に歩み寄る。

 頑丈そうな体を覆う黒いスーツが堅苦しい。その辺はクラウスにも通じるところがあったが、目の前の男からはクラウスのような人の好さは感じられなかった。

 

「お前が左翔太郎だな」

 

 じろりと翔太郎を見下ろし、確認する。

 

「ああ。あんたは?」

「パンドラム・アサイラム看守長、マイルズ・エッジコムだ。獄長の指示でお前を迎えに来た」

 

 そう言って手を差し出すマイルズ。握手を求めていても、その表情ははぴくりとも動かない。

 

 ──サングラスかけたら完全に『未来から来た殺人アンドロイド』だな

 

 やたらに固く冷たいマイルズの手を握りながら、翔太郎はそんなことを考えてしまった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 同じころ。

 ライブラのオフィスでは、フィリップが一人静かに目を閉じていた。

 右手にはあの白紙の本。部屋の中央で両手を広げ、意識を集中させてつぶやく。

 

「さあ、検索を始めよう」

 

 洒落たオフィスが一瞬で広大な白い空間へと変わった。

 そして次の瞬間には白い空間が本棚で埋まる。

地球(ほし)の本棚』に入り、フィリップは小さく息を吐いた。

 

 フィリップには確かめたいことが二つあった。

 一つは、『地球(ほし)の本棚』がこちらの世界に対応しているのか、ということ。

 猫のオッドについて問題なく検索できたことから、フィリップは世界をまたいだ瞬間に本棚が切り替えられたのではないか、と推測していた。つまり、バージョンの移行とでもいうべきなんらかの作用があり、こちらの世界で使える『地球(ほし)の本棚』に変化したのではないか、と

 この仮説を確かめるのは簡単だ。

 元いた世界と今いる世界、その明らかな相違点を検索すればいい。

 すなわち。

 

「知りたいのは都市の歴史。キーワードは『ニューヨーク』」

 

 空気を押しのける音と風が広がり、本棚たちが彼方へと消える。

 目の前に残った一冊を手に取り、フィリップは最後のページへを開く。

 

 ──ニューヨーク大崩落が起きる。以後、この街はヘルサレムズ・ロットと呼称される別都市へと変化した。──

 

 本の記述はそこで終わっていた。ニューヨークの歴史はここまで、ということらしい。

 

「やはり。思った通りだ」

 

 これではっきりした。予想通り、今の『地球(ほし)の本棚』は()()()()だ。これからも問題なく使えそうだ、とフィリップは結論を出した。

 一つ目の疑問は消えた。

 ここまではいい。

 だが、フィリップの中で真に重要なのは、もう一つの疑問の方だった。

 

 ヘルサレムズ・ロットにやってきてから今まで。フィリップにはどうしても拭えない、ある違和感があった。

 それは自分自身への、一つの疑念。

 自分の性格を考えればありえないと断言できる異常。

 

 なぜ、こちらへ来てすぐに『検索』を行わなかったのか。

 

 フィリップは自分の悪癖を理解している。

 未知のものへの押さえられない好奇心。時も場所も選ぶことなく湧きあがる、「知りたい」という確たる欲求。

 それを自覚しているからこそ、ありえないと思った。

 

 街に出れば見渡すまでもなく飛び込んでくるあまりに奇妙な光景。その光景に、ヘルサレムズ・ロットという街自体に、自分が興味を持たないはずがない。平穏でいられるはずがない。

 だというのに、フィリップは通りがかったレオに声をかけられるまで、道を歩く岩石の塊にも空を飛ぶ巨大なムカデにもまるで興奮することなく、()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜ?

 

 その答えを確かめるために、フィリップは『地球(ほし)の本棚』へとやって来たのだ。

 だが、この白い空間に入った瞬間から、フィリップは言葉にできない不安を感じていた。

 自分が今から知ろうとしていることが、まるでとんでもない禁忌のように思えた。

 

(落ち着け。自分のことを調べるだけだ。それに、単なる思い過ごしかもしれない)

 

 意を決し、口を開く。

 

「再検索。知りたい項目は……ぼくだ」

 

 たった一つのキーワードに導かれ、一冊の本が残る。タイトルは「Raito Sonozaki」。フィリップの、園咲来人のこれまでの歴史が全て記された本。

 真っ白な空中に浮かんだその本を手に取り、こくん、と小さく唾を飲んだ。はじめてこの本を手にした時にも感じた、恐怖。

 わずかに震える指を深呼吸で鎮め、ページをめくっていく。

 

 ──園咲家跡地にてT-0ガイアメモリを発見する。──

 

 ここじゃない。もっと後だ。

 

 ──パラレルドーパントとの戦闘に勝利。「寒くなってきたな」と言う翔太郎に壁の穴を指し示す。──

 

 もう少し、後。

 

 ──ヘルサレムズ・ロット旧セントラルパーク邪神公園前で目を覚ます。──

 

 ここだ!

 

 フィリップがヘルサレムズ・ロットにやってきてすぐの部分。もし自分に何かがあったならきっとそこだ。

 そう確信して、フィリップは本に記された文字を追う。

 だが、その先の一節を読んだ時、フィリップの思考が止まった。

 まるで自分が土人形にでもなってしまったかのように、一気に血の気が引いたのだけがわかった。

 

 ──ゴミ箱に入っていた雑誌を本の代用として、同じくゴミ箱の中の新聞から得た情報を元にヘルサレムズ・ロットについて『検索』を行う──

 

「……馬鹿な」

 

 それはありえないことだった。

 本の記述は明らかにフィリップの記憶と食い違っている。

 これまで『地球(ほし)の本棚』の情報に間違いがあったことなどない。

 なのになぜ──

 

「いや……違う? 間違ってるのはぼくの記憶……?」

 

 そう。そのほうが合理的な説明になっている。

地球(ほし)の本棚』の前では人間一人の記憶はあまりに脆弱だ。たとえそれが、フィリップ自身の記憶だとしても。

 

「だとすれば、やはりぼくはヘルサレムズ・ロットについて検索していたことになる」

 

 当初の疑問は消えた。

 自分自身への疑念は無くなった。

 だが新たに、より難解な問題が現れた。

 

「ぼくの記憶に何があった?」

 

 それを調べる手段はおそらく一つしかない。

 すなわち、再現だ。

 

「再検索だ。キーワードは、『ヘルサレムズ・ロット』、『異界(ビヨンド)』、……『永遠の(うろ)』」

 

 本の中で自分が検索していたのと同じキーワードで検索する。

 その場に一冊の本が残る。

 他の本と何一つ変わらない。何の変哲もない一冊。

 だが──

 

「…………」

 

 おぞましい何かを感じた。

 今すぐこの場から逃げ去りたい。

 知らなくてもいいじゃないか。

 そんな感情があふれ出す。

 それでもフィリップは本へと手を伸ばした。

 

 その瞬間──

 

 白い空間が赤く染まった。

 

「これは……!」

 

 以前、記憶を封じられた状態でミュージアムについての検索を行った時と同じ、赤い赤い『地球(ほし)の本棚』。

 しかし、これはあの時のような鮮烈な警告の赤ではない。

 もっと暗く。もっと重く。全身にまとわりつく。

 

「紅い……霧……?」

 

 視界を染める紅い霧。

 血煙のような霧の向こうで、誰かが笑った。

 あどけなく、可愛らしく澄んだ声。

 

「誰だ!?」

 

 笑い声が響く。

 声は影になり。

 影は歩みより。

 その姿を晒す。

 

「また来たのね。フィリップ」

 

 それは少女だった。

 

 柘榴(ザクロ)で染めたような紅いドレスに身を包み。

 ルビーでこしらえたような紅い靴を鳴らしながら。

 そのすべてが薄紅色に見えるほど紅い髪を、霧の奥でなびかせて。

 

 理知をたたえた笑顔で微笑む、紅い紅い少女だった。

 見た目の年齢は10才前後。しかしその笑みは、まるで悠久の時を永らえたかのごとく。

 

「君は……誰だ?」

 

 そう絞り出したフィリップに、少女はきょとんとした顔で答えた。

 

「覚えていないの?」

「……前にも会ったことが?」

「そう、覚えていないのね。なら、あの子に会ったということかしら」

「あの子……?」

「あなたが知らない子よ。もし知っていても、やっぱり知らない子」

 

 噛み合わない少女との会話。

 困惑するフィリップをよそに、少女は言葉を続けていく。

 

「前もあなたはそれを読もうとしてたわ」

 

 ゆっくりと近づき、気づけばすれ違っていた。

 フィリップの前に会った本をスッと手に取り、少女はくるりと向き直る。

 その手にはもう本はなかった。

 

「ダメだと言ったのに」

 

 フィリップは何も言えないでいた。

 突然現れたこの少女も、紅く染まった本棚も、何もかもが空想のように朦朧としていた。

 それをただ、わけもわからず見せつけられていた。

 

「もうしないように言ったのに、なぜまた同じことをしたのかしら」

 

 少女は独り言のようにつぶやくと、かくん、と可愛らしく首をかしげた。

 その姿勢のままで手を天にかざす。

 すると、その手の中に一冊の本が現れた。

 本のタイトルは「Raito Sonozaki」。

 パラパラとページをめくって何行か読み進め、少女は「ああ!」と手を打った。

 当然、開いていた本は手からすべり落ちたが、下に落ちる前に霧となって消えてしまった。

 

「この世界に興味を持たない自分自身に興味を持つなんて! 確かに抜け穴よね。盲点だったわ。……ならやっぱり、そのものを閉じ込めるしかないのかしら」

 

 少し考え込むような仕草をした後、フィリップに向かって「ごめんなさい」と頭を下げる。

 

「そういうことだから、フィリップ。もう会うことのないように祈っているわ」

 

 まっすぐにフィリップを見つめる少女の瞳。

 その瞳にはっきりと映った自分自身と目が合い、フィリップは我に返った。

 

「き、君は一体……」

「名前はもう忘れてしまったけれど、そうね。あの子がシャーリーって名乗るなら、私はクローバーかな」

「クローバー……?」

「ええ。紅い紅い、クローバー」

 

 そう言ってにっこりと笑った少女は。

 

「いい名前でしょ?」

 

 紅い霧と一緒に消えてしまった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「フィリップはまた忘れてしまうかしら」

 

 霧は紅く。

 

「その方がいいってわかってるけど」

 

 霧は紅く。

 

「やっぱりつまらないものね」

 

 霧は紅く。

 

 

 

「憂鬱だわ」

 

 

 

 霧は白く──消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さらに増えたオリキャラに読者の皆様が混乱してしまわないかしら、と不安な今日この頃。
クローバーのイメージですが、あなたの考えるシャーリーのイメージをそのまま白から赤にしてもらえれば大丈夫です。

余談
フィリップが白紙の本の代わりにした雑誌は
「ギリギリセクシー!フルヌード特集~透明人間編~」
です。
ええ。白紙にしか見えませんので、問題ありません笑

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