仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』 作:津田 謡繭
◇
コッ。コッ。
カツン。カツン。
長い廊下に二人分の靴音が響く。
コッ。コッ。
ゴムソールの小気味良い低音。これは翔太郎の足音だ。風都を代表するファッションブランド『WINDSCALE』製のベルトブーツは翔太郎のお気に入りである。
カツン。カツン。
固い
丈夫そうな革靴の音はやたらに高い天井までよく響き、「さあ看守が通るぞ」とわかりやすく主張している。
「…………」
パンドラム・アサイラムに入ってから、翔太郎はこの二種類の足音しか聞いていない。他に耳にした音と言えば、金属の扉や鉄柵が開く重い
あとは延々、ずっと足音だけ。
何が言いたいかといえばつまり、会話がゼロなのだ。
事務的な握手を終えるやいなや言い放った「ついて来い」が、今のところ最後に聞いたマイルズの言葉である。
その後は翔太郎が何を話しかけても、マイルズは無言を貫き会話を強制終了させた。それが「無駄口を叩くな」という意思表示なのは明らかであり、翔太郎は出会って5分と経たずにコミュニケーションを諦めた。
ロボットみたいだな、という第一印象はそのまま今に続き、なんなら本当に機械じゃないのかとさえ思ってしまう。
(気まず……)
声には出さずそうつぶやくのも何度目だろうか。
べつに笑いながら世間話がしたいわけではないのだが、こうも無機的に先導されると、まるで自分が連行されている囚人になったようで非常に心地が悪いのだ。
加えて、ここまでまったく他の人間に出会っていないという状況も不気味だった。他の看守も警備の人間も一人としていない。果たしてそんなことがあり得るのだろうか?
マイルズに聞いたところで答えてくれるとも思えず、考えてわかるようなことでもないだろう。
もしかしたら翔太郎の想像が及びもつかない高度な理由や原理があって、気にするだけ無駄なのかもしれない。
なんにせよ、今の翔太郎は重苦しい空気にずり落ちそうな帽子を押さえながら、疲労感たっぷりの渋面でマイルズについていくしかできないのだ。
(っていうか……この息が詰まる行進はいつまで続くんだよ……)
ずいぶんと歩いているのだが廊下が終わる気配はない。どこに向かっているのかもよくわからないが、まだまだ歩かされそうである。
あとどれくらいかかるのか聞いてみようとも考えたが、どうせ返ってくるのは沈黙だろうと思い、やめた。
コッ。コッ。
カツン。カツン。
代わり映えしない靴音だけが響く長い長い廊下。
(気まずぅ……)
ゲシュタルト崩壊し始めたそのセリフを心の中で再度つぶやき、翔太郎は軽く涙ぐんだ。
けっきょく、翔太郎が『獄長室』と彫り込まれたドアの前にたどり着き、苦行じみた無言のウォーキングから解放されのは、それから20分ほど後のことだった。
長の部屋としてはいささか質素なつくりのドアをマイルズがノックすると、低い女の声が「入れ」と答えた。
「左翔太郎を連れてきました」
ずいぶんと久しぶりにマイルズの声を聞いたような気がする、と翔太郎は思わず苦笑した。
が。
「貴様があの忌々しいガイアメモリとやらの専門家か」
ドアが開くなり飛んできた悪態混じりの鋭い声に、翔太郎の苦笑いが「うっ」と固まる。
獄長のデスクに座っていたのは痩せ細った女だった。
青白い肌とこけ落ちた頬が異様に不健康な印象を与えている中、見開かれた両目だけがぎょろりと光っていた。やたら濃く塗られたアイシャドウと真上にまとめ上げられた髪型のせいで余計に迫力が増している。
その眼力に耐えかねて、翔太郎は目を逸らすようにデスクのネームプレートへ視線を落とした。
アリス・ネバーヘイワーズ、と読むのだろう。それがパンドラム・アサイラムの頂点、4千万の囚人を管理する獄長の名らしい。
(なんとなーく、『アリス』っていえば可愛らしい女の子の名前のイメージだったんだがなぁ……ちょっと
自分でも驚くほど無礼な感想が頭に浮かんでしまい、ちょっぴり罪悪感を抱く翔太郎。もちろん口に出すわけにはいかないので大急ぎで飲み込んだが、そのせいで獄長への返答は歯切れの悪いものになってしまった。
「ええ、まあ、一応……専門です、ね」
「……フン」
はっきりしない返事が気に食わなかったのだろうか。獄長は鼻を鳴らして立ち上がり、下から上まで品定めするように翔太郎をねめつけた。
「あの堅物め。どうしてもと言うから協力を聞き入れたが、まさかこんな小僧ひとりをよこしてくるとはな」
刺々しい言葉。そういえばスティーブンが「結界に穴が開いてから獄長の機嫌は最悪だ」と言っていた。なるほど確かにそのようである。
不機嫌極まれりという顔で腕を組み、再び鼻を鳴らして、今度は翔太郎の隣に直立しているマイルズに目を向けた。
「どうだ?」
そう問われたマイルズは、相変わらずの鉄面のような表情で答えた。だが予想通りの態度とは違って、その回答は翔太郎にとって予想外の内容だった。
「はい、問題は無いと思われます。偽物、傀儡の類ではありませんし、脳抜きもされていません。専門家というのも本当のようです。やや未熟な部分もあるようですが、今回の事件に関しては助力として十分であると判断します」
翔太郎は驚く。
どういうわけかこの無表情男にはえらく信用されていたらしい。まともな会話もしていないのに、なぜだろうか。
だが、なんであれ信用されるのはうれしいものだ。
(なんだよ、アンドロイドみたいな顔してけっこうお人好しなのか?)
マイルズに対してなんとなく親近感がわく。
翔太郎も日々、ことあるごとにお人好しだと言われているのだ。
「お前と一緒にするな。私は得た情報から合理的な判断をしたまでだ」
冷ややかなマイルズの言葉も、なんだか照れ隠しのように思えた──
──のだが。
一拍おいて、何か違和感を感じた。
(あれ? 俺、さっき声出してたっけ……?)
違和感は猛烈な勢いで嫌な予感へと変わっていき。
「いいや。お前は声を出してはいない」
マイルズの言葉で確信となった。
これはもう疑いようもない。
「その通りだ。私はお前の思考を読んでいる。そういう
ここに来て初めてマイルズが無表情を崩し、なんとも意地悪くニヤリと笑った。
「もちろん、お前が私のことを『無表情で無口で無愛想で何を考えているかわからない未来から来た殺人アンドロイドもどき』と思っていたことも知っているし、移動中『気まずい気まずい』と26回も泣き言をこぼしていたことも知っている」
「こ、この野郎ぉぅ……!」
ニヤニヤ顔のマイルズはもうアンドロイドでもなんでもなく、性悪のいじめっ子にしか見えない。
反論したくても全てその通りなので、翔太郎は冷や汗をだらだらと流しながら悪態をつくしかできなかった。
「愚痴の回数までわざわざ数えてんじゃねえよ! 人をおちょくる時だけやたら饒舌になりやがってぇえ……」
「誤解のないよう言っておくが、私はもともとおしゃべりな方だ。だが深層心理まで探る場合、それなりの集中が必要でな。お前の言う『アンドロイド』にならざるをえないのだ。心細い思いをさせてすまなかったな」
「嫌味な言い方しやがって……なるほどな。あの無駄に長い廊下は俺を徹底的に調べるための時間稼ぎか」
そう考えればいろいろと辻褄が合う。
他人といっさい出会わなかったのもマイルズの集中を妨げないためだ。おそらく
「その通りだ。馬鹿ではないな、探偵」
思考を全部覗かれていては褒められてもまったく嬉しくない。
翔太郎はため息をつきながら、率直な感想を述べた。
「サイコメトラーの看守とはな。いい仕事しそうだぜ」
「ああ。いろいろと便利だ」
それはそうだろう。完璧な脱獄計画を立てても、それが看守に筒抜けでは何の意味もないのだから。まさに天職である。
「まさか……そういう看守ばっかりか、ここは?」
「いいや、心が読める者はパンドラム・アサイラムでは私ひとりだけだ。おかげで出世できている」
「無駄話はそこまでだ」
脱線を始めた二人に獄長が割り込む。マイルズは笑みを消し、再び直立姿勢に戻った。
「マイルズ、ご苦労だった。通常の職務に戻れ」
「はっ」
命令に従って部屋を出ていこうとしたマイルズだったが、ドアを開けるとふと思い出したように振り返った。
「そういえばその男、獄長のネームプレートを見た際、『アリスという名はもっと可愛らしいイメージだった。目力が凄すぎじゃないか、アリスちゃん』と頭の中で言っておりました」
そう言い残し、マイルズはまたニヤリと笑ってドアを閉めた。
「おおおおま、なななんで去り際に、わ、わざわざっ……」
閉じたドアの前でぷるぷると震えながら滝のように汗をかいている翔太郎に、獄長が言う。
「ついて来い、小僧」
「わ、わかりました……ネバーヘイワーズ獄長」
「フン。……『アリスちゃん』でもかまわんぞ」
真顔のそれがただのジョークだったのか、それとも一周回って冷ややかになるほどの憤怒だったのか。翔太郎はちょっと考え、ジョークの方でありますように、と引きつった顔で「はは……」と笑った。
◇
15分後。
獄長に連れられ、縦だけでなく横にも動くエレベーターを6回乗り継ぎ、39個のセキュリティチェックを経てたどり着いたのは、パンドラム
翔太郎の目の前には『P-6』と記された巨大な扉がそびえていた。扉といっても高さが6、7mはある、一見して壁にしか見えない規模のものだ。説明がなければとても独房だとは思わないだろう。
「ネバーヘイワーズ獄長……ここは?」
「超凶悪犯専用の独房だ。中にいるのは、強盗、傷害、殺人、誘拐、婦女暴行、麻薬不正使用と密売、その他、およそ考えうる犯罪をすべて犯した累積懲役1000年越えの極悪人だ。さて、小僧」
「……はい?」
ごくり、と翔太郎は唾を飲み込んだ。
「入れ」
「なんでッッ!?」
飲み込んだ唾を吹き出しそうな勢いで翔太郎が絶叫する。
「も、もしかしてマイルズの言ってたことまだ怒ってるとか!?」
冷静に考えればそんなわけがないとわかりそうなものだが、慌てふためく翔太郎は汗が止まらない。施設に来てからの冷や汗だけでそろそろ脱水症状を起こしてもおかしくないレベルである。
「馬鹿か貴様は。この私を誰だと思っている」
獄長はあきれたような顔で吐き捨てた。
「このアリス・ネバーヘイワーズが私怨で囚人を利用する蒙昧な人間に見えるか小僧。
「あ、ああ、そういうことね」
その言葉でようやく翔太郎は自分がパンドラム・アサイラムにメモリを回収しに来たことを思い出した。
凶悪犯罪者にボコボコにされるわけではないと安心してほっと息をつく。なお獄長は「怒ってない」とは一言も言っていないのだが、そこは無意識にスルーした。
仕切り直しとばかりにオホンと咳払いをして扉を見上げる。
が、その中に超凶悪犯罪者がいるという事実は変わらないと気づいて、また少し青ざめた。
「あの……その囚人に襲われたりは……」
「フン、心配するな。奴が貴様を襲うことはあるまい」
「どうして?」
「抑え込んでいるからだ。拘束具と──『器』でな」
その『器』とはどういう意味なのか翔太郎にはわからなかったが、それをたずねる前に獄長が告げた。
「開けるぞ」
その瞬間、ゴオオォン……という重い地響きと連動して、ぶ厚い扉がゆっくりと左右に開いた。その合間から薄暗い通路に光がこぼれる。
さらなる振動とともに扉は完全に開け放たれ、廊下と独房の境目が消えた。
各辺7mほどに切り取った立方体の空間。材質が何かはわからないが、超強度と予想できる白っぽい壁。そこに反射する明るすぎるほどの照明が眩しい。
その広大な部屋の中央。固定された頑丈そうな椅子に、一人の青年が座っていた。
翔太郎は押さえた帽子の下で息をのむ。
「こいつが……」
青年の首から下は全身を拘束具で椅子に縛り付けられ、身じろぎひとつできそうにない。
スッと青年の顔が上がり、マリンブルーの瞳が翔太郎たちを見つめた。
「……あれ?」
薄い唇が開き、よくとおる声が独房に響いた。
「こんにちは獄長。それから……お客さん? はじめまして。こんにちは」
にっこりと笑う。
それを見て、翔太郎はもう一度息をのんだ。
「……こいつが?」
それもそのはず。笑顔の彼は人懐っこい、ただの好青年にしか見えなかったのだから。
その顔つきを一言で表せば、ハンサム。深く整った目鼻立ちとスイっと伸びる眉。まるでハリウッドスターのような甘いマスクだ。さらに浅黒い肌と後ろになでつけた短髪が健康的な雰囲気をかもし出している。趣味はサーフィンです、とでも言いだしそうな爽やかイケメンだ。
女性十人とすれ違えば十人が振り返り、微笑めば七人くらいが恋に落ちるだろう。その内二人は卒倒するかもしれない。
「意外か? 小僧」
獄長の言葉に翔太郎は「ああ……」とつぶやく。
確かに想像とは違う風貌だったが、見た目に惑わされてはいけないことはよく知っている。案外、並外れた凶悪犯とはこういうタイプなのかもしれない。
だが頭ではそう思っても、翔太郎には目の前で微笑む青年がそんな極悪人だとはどうしても思えなかった。
「そうだな。ちょっと面食らったぜ。正直、悪人には見えねえ。見た目うんぬんよりも勘というか、印象だけどな」
「フン。貴様の見立てはそう間違ってはいない」
「え?」
獄長は聞き返す翔太郎を無視して、さっきから「なんの話?」とキョロキョロしている青年に声をかける。
「この日本人は落下物の調査に来た専門家だ。協力してやれドグ・ハマー」
「……らっかぶつ?」
ドグ・ハマーと呼ばれた青年はキョトンとした顔で首をかしげた。
獄長が頭痛をこらえるように目を閉じる。
「……上を見ろ」
そう言われて、ハマーはポカンと天井を見上げる。
「穴が開いてる……」
「そうだ! 我がパンドラム・アサイラムが誇る結界と装甲壁をすべて貫通し今お前が見上げている天井に穴を開けお前の足元に突き刺さったあの忌々しいUSBメモリーだ!! わかったか!!」
爆発したように早口でまくしたてる獄長に、ハマーは「ああ!」と笑顔で返事をする。
「思い出した思い出した! あれか!」
「それだ!」
「あれかぁ~」
そのやり取りだけで翔太郎は理解した。
ドグ・ハマー、こいつはかなりのド天然だ。もしかするとフィリップ以上の。
「わかりました獄長。彼に協力すればいいんだね」
ハマーが翔太郎に微笑んだ。
「よろしく! えーっと……」
「左翔太郎だ。翔太郎でいいぜ」
「オーケー、よろしく翔太郎!」
まるで生涯の友と出会ったようなニコニコ顔のハマーに獄長がため息をついた、その時だった。
突如、独房に、いや施設全体にけたたましい
「何事だ!?」
叫んだ獄長にスピーカーから声が答える。
『獄長、侵入者です! 何者かが囚人たちを片っ端から解放しています!』
同時にすぐそばのコンソール映し出された監視映像に、獄長だけでなく翔太郎も戦慄した。
そこにはくるくると踊りながら囚人たちの房を次々開け放っている男の姿が映っていた。凶悪な囚人たちが解放されていることも恐怖だったが、翔太郎が
恐ろしいことに、その男は全裸だったのだ。
翔太郎が叫ぶ。
「なんなんだあの変態は!? なんで裸なんだ!?」
ドン引きしている翔太郎をよそに、獄長はモニター内でワルツのステップを踏む全裸の侵入者をにらんだまま歯を食いしばる。
「メーゾン・ブレスリン……脱獄屋メーゾンか! おのれ、修復の済んでいない結界の隙間を利用したな!」
「いやなんで裸なんだ!?」
その質問には答えず、身をひるがえした獄長はスタスタと廊下へ歩いていく。
「看守スケルトンを総動員し全職員で囚人どもを鎮圧しろ! 私も
『はっ!』
そのまま立ち去ろうとする獄長に翔太郎が声をかけた。
「お、おい待ってくれ!」
「なんだ小僧」
「俺も手伝うぜ。さすがに放っておけ──」
「不要だ!」
ピシャリと拒否する獄長。振り返ったその瞳は責務に滾っていた。
「舐めるな小僧! パンドラム
叩きつけるように言い放ち、獄長は手をかざした。
それと同時にゴォンと重低音が響き、独房の扉が閉まり始めた。
「お、おい!」
「貴様は貴様の仕事をしろ」
ズシン、という振動とともに完全に扉が閉まった。
その前で固まる翔太郎に、ハマーが心配そうな目線を送る。
「行っちゃったね」
「うっそだろおい……」
静かに青ざめながらも、翔太郎は内心では絶叫していた。
(いくらなんでもこんなところに閉じ込めるかフツー!? それもおおむね友好的で厳重に拘束されてるとは言え超弩級の犯罪者と一緒に!)
思わず、やっぱり『アリスちゃん』の一件を根に持ってるんじゃ、と邪推をしてしまう。
だが何を考えたところで独房の扉が内側から開くはずもない。この非常時に何もできないのは悔しかったが、どうすることもできない。
ため息をつき、とりあえず翔太郎はハマーに聞きたかったことを聞くことにした。
「なあ、ハマー」
「なにー?」
ほわわんと答えるハマー。
「お前、ほんとに犯罪者なのか?」
やはり翔太郎には、彼が殺人まで犯すような悪人だとは思えなかった。
「とてもそうは見えねえんだが」
「僕は何もしてないよ」
「はい?」
拍子抜けな返答に間の抜けた声を出す翔太郎。
「ここで罪を償っているのは僕の中にいる『彼』、デルドロ・ブローディの方だ」
「お前の中にいる?」
「うん。僕たちは一心同体だ。デルドロはいいとこもあるけど、やっぱり犯した罪はちゃんと償わないといけないからね。だからこうして、僕と一緒に檻の中にいる」
「そりゃつまり、二重人格ってことか? ジキルとハイドみたいな」
翔太郎の言葉に「うーん」と考え込むハマー。
「ちょっと違うかなあ。デルドロは僕の血液なんだ」
「血液?」
「そう。そのまんまの意味でね」
今度は翔太郎が「うーん」と考え込む。そのまんまと言われても、そのまんまの意味がよくわからない。
ハマーを見ても、説明は全部したと言いたげにニコニコ笑っている。
とりあえずハマーが悪人ではないとわかった。いまだ状況がよく理解できていない翔太郎だったが、そこで考えるのをやめた。
けっして諦めが早いわけではないのだが、この街に来てから『考えてもわからないこと』が多すぎるのだ。フィリップならそれが面白くてたまらないのだろうが、翔太郎には頭が痛いだけである。
(はあ。俺の仕事、するかぁ……)
やはり今考えるべきは言われた通りメモリについて調べることか、とため息をつき、天井を見上げる。そこには直径10cmほどの穴が開いていた。遠すぎてよく見えないが、話の通りなら地上まで貫通しているのだろう。
「んで……」
今度は首を下に。すると獄長の言葉通り、ハマーの拘束された椅子のすぐそばの床が焦げ付き、陥没していた。
「ここに落ちてきた、と」
「うん。僕は寝てたんだけど、凄い音がしたから目が覚めちゃったんだよね。よく覚えてるよ」
さっきまで忘れてたじゃねえか、と心の中でツッコミを入れる翔太郎。
「それで、何か聞きたいの?」
「ああ、なら、メモリの表面にアルファベットが描かれてたはずなんだが、覚えてるか?」
「ロゴマークみたいなやつ? アルファベットならたぶんMかWだね。」
「MかW? ……ああ、逆さかもしれねえのか。ちなみにどんなロゴだった?」
「うーん、暗かったからそこまでは見てないや。すぐに獄長たちが来て持ってっちゃったし。ごめーん」
申し訳なさそうに言うハマーに笑いかける翔太郎。
「いや、ありがとな。追加でなんか思い出したらまた教えてくれ」
そう言って懐からダブルドライバーを取り出した。
得られた情報は少なすぎるが、とりあえずフィリップに報告しておこうと考えてだ。
おそらく所持しているのは施設内部の人間だ、とスティーブンは言っていた。しらみつぶしというわけにもいかないので、やはり『
翔太郎はドライバーを腰に巻き付け、フィリップに呼びかけた。
(フィリップ、出番だぜ)
だが──
(おい、おーい。フィリップ?)
返事がない。
フィリップ何かに夢中になっていたとしても、気づかないはずはないのだが。
(こりゃまさか……)
考えられるのは、そもそもフィリップの意識がない状況だ。気を失っているか寝ているか。
気絶しているなら一大事だが、昨夜一睡もせずに夜景を観ていたという話から考えると、おそらく後者の可能性が高い。
(おいおい……寝落ちとか勘弁してくれよ。ったく……)
ため息をつく翔太郎。しばらくしたらまた呼びかけよう、とドライバーをつけたまま腰を下ろす。
と、ダブルドライバーを見ながら子供のように目を輝かせるハマーに気づいた。
「なにそれカッコイイー!」
「へへっ、どうも」
「翔太郎はおしゃれだね。その帽子もすごく似合ってるよ」
その言葉に翔太郎は「おっ!」と反応する。帽子を褒められると舞い上がらないわけにはいかない。
『帽子は一人前の男の証』
それが師、鳴海荘吉から受け継いだポリシーのひとつなのだ。
「なんだよわかってるじゃねえか!」
拘束されて動けないハマーと顔を突き合わせ、ハイテンションで語り始める翔太郎。
「こいつは俺のコレクションの中でも特にお気に入りなんだ。もちろん風都自慢の『WINDSCALE』製だぜ」
「へえー」
「シックな色合いが黒のベストにマッチしてるだろ。まさにベストマッチってやつだな」
「へえー」
「亜樹子にはわかんねんだよなぁ、この良さが。財政難だから古着屋で売ろうなんて言いやがって。ありゃ照井のやつも将来苦労するな」
「へえー」
「その点お前はよくわかってる!」
「ふぅむ。我が輩にはちっともわからんな。どんなにこだわったところで服なんぞ所詮は自由を妨げる拘束にしかならん、というのが我が輩の持論である」
「へえー」
「なんだよ、わかってねえなあ」
翔太郎は不満げな顔で「いいか、服装ってのは──」と、隣で眉をひそめる全裸の男に指をさし。
「男の内面をををををををををを!!??」
そのままの姿勢で後ろに飛びのいた。
「どうしたの翔太郎?」
「むう、なんと騒がしい」
「いやお前、さっきの侵入者じゃねえか! どうやって入ってきたんだよ!? あとなんで裸なんだよ!?」
全裸の男はこともなげに天井を指さし、あごひげを撫でながら言う。
「どうやってもなにもあそこに穴が開いておるではないか。お前アホウか? まあそれも我が輩の自由がなせる技。服を着ていては引っかかってこうはいかん」
天井の穴は直径10cmほどなので実質何の答えにもなっていないのだが、そんなことを気にしてはいられなかった。
目の前の変質者、もとい侵入者をどうするべきかパニックになる。
「だ、脱獄屋メーゾン、だっけ!? 何が目的だ!? つ、包み隠さず白状しろぉ!」
当然、囚人を脱獄させるのが目的なのだろうが、そこにも頭が回らない。
メーゾンはやれやれと首を振ると大仰に手を広げ、何も隠しはしない、と言って(本当に
「我が輩は脱獄屋メーゾン・ブレスリン。趣味と実益をかねて脱獄屋をしておる。自由を愛し自由に愛された男。フリーメーゾンと呼んでくれたまえ」
「フリーメイソン!?」
「それはどこぞの秘密結社だ。
メーゾンがハマーを振り返り、その体を椅子に固定している拘束具に手をかけた。
「ひどく不自由な格好をしておるなあ。見るに堪えん」
「見るに堪えんのはアンタの格好だ!」
翔太郎のツッコミは無視される。
「喜べ不自由なハンサムよ。我が輩が自由にしてやろう」
笑うメーゾンに、ハマーは首を横に振った。
「いや、僕はこのままでいい。刑期はまだまだ残ってる」
「そうか。だが……」
メーゾンの笑顔が暗くなる。
「お前の意見は関係ない。自由な我が輩がやりたいようにやる」
その瞬間、ハマーの拘束具がはじけ飛んだ。
飛び散る布や金属から顔を背ける翔太郎。そして目を開けた時、翔太郎はハマーの言っていた『一心同体』の意味を理解した。
ハマーの手首にある縫い目のような大きな傷。そこから噴き出した血が空中で固まり、バックリと
「ハーッハハァ! いいねぇフリーメーゾン!」
まさしく血液だった。そのままの意味で。
ハマーの体内を流れる血液そのものが超凶悪犯罪者デルドロ・ブローディだったのだ。
「自由にしてくれて感謝するぜぇ。だが、ああ、感謝は終わりだ」
血の塊がニヤリと笑う。
「やるぞドグ・ハマー」
「わかったデルドロ」
手首から噴き出すデルドロと会話しながら、タンクトップにジーンズ姿のハマーが立ち上がった。
「囚人たちを解放するのは犯罪だ。あなたも檻の中に入るべきだよ」
「ハッハア! ついでにテメエをぶっ飛ばせば、俺たちの刑期も減るんでなあ!」
ハマーが両拳を引き絞り、デルドロとともに叫んだ。
「「
その瞬間、ハマーの両手首からすさまじい勢いで血が噴き出した。到底ひとりの人間に収まっていたとは思えない量の血液が渦巻き、ハマーの体を呑み込む。
「なっ……」
言葉を失う翔太郎の前で、ズン、と足音を響かせたハマーはすでに化物へと変化していた。
筋骨隆々、剛強無双。パワー、それもパンチ力にすべてを注ぎ込んだと言わんばかりの巨大な上半身。それと比較すればやや貧相ではあるが、鉄塊のような体を支え地を踏みしめる足腰もそうとうの膂力だろう。牙を突き出した昆虫のような頭部からは、吐息とも闘気ともつかない湯気が立ち上っていた。
『
その姿を知る者は彼を、いや彼らをこう呼ぶ。
圧倒的な巨体と威圧感に押され、さしものメーゾンも後ずさった。
「ぬう……なぜ我が輩を不自由たらしめんとするものは異形へと変身するのか……お前といい、さっきの看守といい!」
「なにっ!?」
その言葉に翔太郎が叫んだ。
「看守が変身しただと!?」
「おお、その通りよ! なにやら手に突き刺して、背中に輪のついたゴツゴツの異形に──」
聞き取れたのはそこまでだった。
直後に幅1m近い鉄の剛拳が下から突き上げ、メーゾンを吹き飛ばしてしまったのだ。
「あ」
もちろん翔太郎が止める間などなく。
ブローディ&ハマーの強烈なアッパーカットを全身で食らったメーゾンは7m上の天井に叩きつけられ、そのままメモリが開けていた小さな穴をゴリゴリと広げながら上へ上へとめり込んでいき、やがて見えなくなった。
「一件落着だね」
「だな」
ふうっとひと仕事終えた雰囲気を出す二人に、さすがの翔太郎も文句を言う。
「いやいやいやいや! 今すっごい大事な話してたんですけど!」
「ウルセエな。次はテメエをぶっ飛ばすぞクソガキ」
「ダメだよデルドロ。彼は友達だ」
言いたいことはいろいろあったが、ともかく翔太郎は確信した。
「あいつの言ってた看守がドーパントで間違いない! はやく見つけねえと!」
だが、どうにもできない。
わしわしと頭をかきながら焦りを募らせるも、独房の扉は固く閉ざされたままだ。
「なんとか外に出る方法は……」
それを見たハマーは「うーん……」と声を出した。
その様子にデルドロが「オォウ」と笑う。
「なんだおい、やる気か?」
「いけるよね」
「余裕だな」
そして。
「翔太郎、ちょっと危ないから気を付けて!」
「へ?」
翔太郎が振り返った瞬間。
「ただパンチッッ!!」
空気をひしゃげながら飛んできた巨大な拳が、翔太郎の横をかすめて扉にぶち当たった。
風圧だけで吹き飛ばされた翔太郎が「それ技名っ!?」とツッコむも、その声は爆音にかき消された。
徹甲弾にも耐えそうな扉は一瞬で粉々になり、その瓦礫も爆風で吹き飛ぶ。
「これで出られるよ翔太郎! ……あれ? 翔太郎?」
「あそこだ。加減しろ馬鹿野郎。死んじまうぞ」
部屋の隅でがれきに埋もれた翔太郎を掘り起こし、ハマーが笑う。
「ごめーん。だから気を付けてって言ったのに」
翔太郎はふらつきながら帽子を拾い上げると、土ぼこりに咳込みながらそれをかぶる。
ドーパントと戦う前から大ダメージを負ったことについていろいろと言いたいことはあったが、もうすべてを諦めて小さく「ありがとよ」とつぶやいた。
「じゃあ、がんばってねー!」
そう送り出されて。翔太郎は「俺が何をしたっていうんだ」と泣きそうになりながら廊下を駆けて行った。
「おいクソガキぃ! その帽子オマエにゃまだ早いんじゃねえのか!? ぜんぜん似合ってねえぞぉ、ハッハァ!」
「うるせええ!!」
後ろから聞こえたデルドロの笑い声に反論した時だけ、ちょっと涙が出た。
◇
翔太郎を見送った後、ハマーとブローディは瓦礫の中に座って、今開けた大穴を眺めていた。
「デルドロ」
「あん?」
「君ならメーゾンさんについて、そのまま出ていこうって言うと思ってたよ」
「……けっ、言ったろ。刑期を短くするためだ。無理やり出てもお前戻ってくるだろうが」
「まあ、そうだけどさ」
「なんだよ気色悪いな」
「えー」
微笑むハマー。
と、そこへ。
コッ。
カツン。
「ん?」
真上から落ちてきた何かがブローディ&ハマーの頭ではね返り、床に落ちた。
「なんだろうこれ?」
「お、こりゃアイツが探してたUSBメモリじゃねえのか?」
「ホントだ。よく似てる。でもどこから?」
上を見上げる。
そこには人間ひとり分ぐらいの大きな穴が開いていた。
「おおかた上の方に引っかかってたのが今の衝撃で落ちてきたんだろうよ」
「……ねえデルドロ。これ翔太郎に届けてあげたほうがいいんじゃないかな」
「おいおい本気かよ! 勝手に出たらまた刑期が伸びるじゃねえか!」
「減った分と同じくらいだから大丈夫じゃないかな」
「全然大丈夫じゃねえ!!」
そうは言ったが、体の主導権を持っているのはハマーの方だったので、ブローディ&ハマーはけっきょく立ち上がる羽目になった。
「だからテメエは馬鹿だっつうんだ畜生!」
「待ってて翔太郎! 今行くからね!」
悪態をつきつつ、意気揚々と。
ブローディ&ハマーは銀色のメモリを握り締め、ズシンズシンと大きな足音を響かせながら長い廊下を走っていった。
お待たせしました!長い!
昼頃更新したかったのにどうしてこうなった……
漫画的表現も取り入れて風都探偵と同じノリを意識してるので、翔太郎のリアクションがオーバー気味ですがお許しください。
それはそれとしてやっと出ましたブローディ&ハマー。雰囲気うまく再現できてたら嬉しいですが、さて。
次回もお楽しみにー(`・ω・´)ゝ