仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』   作:津田 謡繭

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いや、それはもう脅しに近いナニかでした


第四話 「Tに向かって撃て!」
It was something which was near to a 『Threat』


 ◇

 

 

 

 第五位 マルシッド・D・ジョーンズ 

 記録 2381m

 

 第四位 ジョゲルザ・ミ・グ・ゼゼオべヴァ

 記録 2529m

 

 第三位 ギゾオォロ・ジュ(以下表記不可)

 記録 3015m

 

 第二位 アギョ(以下表記不可)

 記録 3042m

 

 第一位 通りすがりの主婦(仮名)

 記録 6063m

 

 ──第六回セントラルパーク狙撃大会 結果表

 

 

 

 ◇

 

 

 

 事務所に戻った時、居たのはクラウスだけだった。

 窓際の観葉植物に水をやっていたらしく、持っていた口の長いじょうろをデスクに置き、翔太郎とフィリップを出迎えた。

 

「遅くなったが、退院おめでとう翔太郎。傷の治りはどうかね」

 

 うながされるままソファに腰掛けた二人に、例によって厳つい顔で、しかし物腰柔らかく声をかけるクラウス。

 翔太郎は具合を確認するように、掌を握ったり開いたりを数回繰り返した後、クラウスに向けてひらひらと振った。

 

「ああ、信じられねえぐらいに元通りだよ。あのケガがたった一週間でコレとは、たまげるぜまったく」

「君達の元居た世界とは大きく異なるところも多い。やはりいろいろと戸惑うことも多いだろうね」

「多いどころか」

 

 これまで出会った奇妙すぎる諸々を思い出し、苦笑いがこぼれた。

 

「こっち来てからもう、何が正常で何が異常なのかわからなくなってきたぜ。さっきもテトリスのブロック的な生物が縦積みで歩いてたんだが、それ見て、仲良いなぁ兄弟かなぁ横の一本ブロックが母親かなぁ、なんて呑気に思っちまって……」

 

 翔太郎の愚痴にも似た話を、正面に座ったクラウスは眼鏡を光らせ、うんうんとうなずいて聞いている。

 話しながらなんとなく、「面接受けてるみたいだな」と考えてしまった。

 

「……まあ、とは言いつつも」

 

 ひとしきり心境を話し終え、翔太郎はひざに頬杖をついた。

 

「そんなに嫌悪感はないな。不思議と」

 

 隣のフィリップがフフッと笑った。

 

「それどころか、今の話を聞く限り、すでに順応し始めていないかい?」

「うーん……かもしれねえな」

 

 同意しつつ腕を組む。

 すでに一週間をヘルサレムズ・ロットで過ごしているとはいえ、翔太郎はずっと病院にいた。見聞の量は多くはない。道端ですれ違った連中や、入院中の相部屋の相手、そして見舞いに来たレオから聞いた話ぐらいのものだ。

 それだけでもこう思う。なんて人間味あふれる住人達か、と。もちろん、人間以外もひっくるめてなので、奇妙な言い方にはなるのだが。

 確かに見た目や生態が人間とかけ離れた種族も多い。しかし、そんな連中も話をすれば、普通に良識ある市民であったりする。

 チンピラやごろつきのような連中にしても、その言動はいやに人間臭い。

 

「広義に見ればある意味、『個性的なやつらが多いだけ』って言い方もできる」

 

 住人同様、わけのわからないモノも多い。技術しかり、機器しかり。魔術や呪詛といったオカルトさえ、この街では立派なテクノロジーだ。

 だがやはり、それらがどう使われているかと言えば、行きつくのは意外となじみのある形である。

 合法では、便利な新商品、料理や音楽といった娯楽。

 非合法なら、御禁制の密輸品、薬物に武器。

 規模や水準のインフレは甚だしいが、いずれも元々の人間社会にあったものだ。

 

「そう考えりゃ、異界の云々っつっても意外にこっちとそう変わらない連中かもしれねえ、とも思ってな」

「なるほど」

 

 その言葉に納得したのか。口元に手を当て、フィリップは軽く微笑んだ。

 

「個性的な面々、ということなら風都で慣れたものだからね」

「そういうこと」

 

 翔太郎もフッと笑った。やたらハイテンションな自称人気ブロガーや、冬でもないのに出没するグラサンのサンタクロースなどが思い浮かんだ。

 

「フム」

 

 今まで話を聞いているだけだったクラウスが口を開いた。

 

「ひとまず馴染んでくれているようで安心した。外から訪れた人間が、心労の果てに身を崩してしまうことも多々あるのでね」

「そのあたりは心配無用だろう。翔太郎の精神のずぶとさは折り紙付きだ」

「お前が言うか……」

「そういうわけだからクラウスさん。例のモノを翔太郎に見せてあげてもいいんじゃないかな」

「うむ。そうだな」

「……ん?」

 

 フィリップの目くばせにクラウスが立ち上がった。自分のデスクへと歩み、引き出しから何かを取り出す。

 何のことやらわからない翔太郎の横で、フィリップがいたずらっぽく笑う。

 

「君が帰ったら渡そうと思っていたのだ。受け取ってくれたまえ」

 

 クラウスに渡されたのは、小さな植木鉢のキーホルダーがくっついた鍵だった。それが二つ。これはスペアというよりフィリップと二人分ということだろうか。

 

「これ何の鍵だ?」

「着いてくればわかる。行こう翔太郎」

 

 今度はフィリップが立ち上がった。待ちきれないといった様子だ。

 やたら上機嫌なフィリップにソファから引っ張られるようにして、翔太郎も腰を上げた。

 

「お、おい……」

 

 出ていこうとする翔太郎とフィリップ。

 その背中にクラウスが声をかけた。

 

「二人とも。先ほどの話だが」

 

 足を止めた二人に向かい。静かに。

 

「君達がこの街を受け入れてくれたのは喜ぶべきことだ。しかし、くれぐれも油断はしないで欲しい」

 

 言葉に厳しさをにじませる。

 

「我々は君達を全力で保護する。それは確約しよう。加えて君達は自力で戦う力も持っている。しかしそれでも盤石からは程遠いのが現状だ。住人としては恥ずべきことではあるが、いまだこの街において、絶対の安全というのは存在しえない」

 

 ごくり、と翔太郎は唾を飲み込んだ。

 

「常に。その意識は持っていて欲しい」

 

 過度に脅されたわけではない。だが、目の前のクラウスには有無を言わせず言葉を呑み込ませる、強烈な説得力があった。

 気迫、と言った方がいいかもしれない。いや『鬼迫』か。鬼気纏う、迫力。

 全身の冷や汗にシャツがじっとりとまとわりつく。

 視線を動かすこともできなかったが、隣のフィリップも同じような状態だとわかった。

 敵の存在ではなく、仲間の言葉に。改めて、二人はヘルサレムズ・ロットという街を実感することとなった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 歩行者信号が赤に変わる。赤いランプに映るシルエットは、棒立ちの人間と、人間以外の何か。

 歩行者のほとんどは赤信号をスルーして横断歩道を渡った。変わった街でも変わらない、ニューヨーカーという気質か。

 とはいえ、車が途切れた隙に足早に渡る彼らの内、パッと見ての人間(ヒューマー)は半分ほどだったが。

 脚部がナメクジ状の一人が渡り遅れ、クラクションを鳴らされた。見かねたラッパー風の青年が小柄な彼を抱え上げて、慌てて向こうに渡っていった。

 律義に信号が変わるのを待ちながら、翔太郎とフィリップはその景色をぼんやり眺めていた。

 

 あの後すぐ。

 クラウスは硬直した二人に気づき、取り乱すように謝罪をした。「怖がらせるつもりは」と弁解も。

 言われるまでもなく、二人とも十分に理解していた。あれは単に二人の身を案じての忠告だ。

 しかし、どうしても気持ちは重く沈む。

 この街の危険をわかっているつもりだったが、それが()()()()()()()()()()()()()()()()()だと、突きつけられた気がした。

 警告するだけであれほどの鬼気を発さねばならない。その必要がある街なのだと。

 

(まあ……何かある前に言葉で思い知らされたってだけ、ありがたいけどな)

 

 そう思い、翔太郎はひとつ息を吐いた。

 

「それでフィリップ。俺に何を見せようってんだ?」

 

 なんとなく話題を変えたかった。会話があったわけではないが。

 どうせフィリップも、同じことをぐるぐると考えていたに違いないのだ。

 

「俺には説明なしか?」

「うん。まあちょっとした退院祝いだよ」

 

 答えたフィリップの声には例の沈みこそあったが、それでも思い出したように高揚していた。

 

「見てのお楽しみ、サプライズというやつさ。かく言うぼくもまだ実際を目にしてはいない。キミの退院まで待とうと思ってね。せっかくなら相棒とお楽しみを共有したいだろう?」

「お楽しみねえ」

 

 繰り返しつつ、自然と口角があがる。

 無理に気分を上げようと切り出した会話だったが、翔太郎もだんだんと楽しみになってきた。フィリップがそこまで言うのならば、よっぽどのモノだろう。

 

「どこまで行くんだ?」

「なに。そう遠くはないよ。もう10分程歩いたところさ」

 

 そう微笑んだフィリップだったが。

 そこからが長かった。

 徒歩10分のはずが、800mほどの道のりが、とんでもなく長かった。

 

 すべての始まり、というほど大げさなものでもなかったが。きっかけになったのは道端に露店を構えた占い師の一言だった。

 

「ねぇ、そこのお兄さん達。とくにそっちの帽子の彼」

 

 大きく胸元を開けた、やたらに露出度の高いアラビアンな服装の女性占い師。占い師というよりは水商売じゃないか、と思うセクシーさだ。

 呼び止められた翔太郎が足を止める。例によって、若干鼻の下をのばしながら。

 

「お、俺?」

「そう。アナタ、顔にものすごい凶兆が出てるわよ」

「凶兆……」

「死相って程じゃないから死にはしないだろうケド。これから死にかける目に合うだろうから気を付けときなさい」

 

 急にそんなことを言われても、と口の中が苦くなった。

 普段なら気にせず流すところだが、たかが占いとバカにできないのがこの街であるし、死にかける要因も過分にある街であるし。

 あと、美人だし。いやこれは関係ないが。

 占い師は続けた。

 

「運勢、良くしてあげてもいいケド? 二人で。誰もいないトコで。……なんなら三人でも」

 

 流し目で微笑みつつ、大きくスリットの入ったスカートをスッと持ち上げ、色っぽく脚を見せる。

 

「フフッ、日本人ってかわいくて好みなの。サービスするわよ」

「い、いやあ……そりゃ、ちょっと大胆すぎね? こんな昼間っから……なあ」

 

 やっぱそっちの御商売なのね、と引き笑いしつつも。目に見えてデレデレと、わかりやすく誘惑される翔太郎。

 フィリップは大きくため息を吐いた。

 

「……翔太郎」

「う、わかってるって! 悪ぃな。ちょっと外せねえ用がってよ」

「あらそう。じゃ、また気が向いたら」

 

 艶めかしく手を振る占い師を超横目で見つつ。片手を上げてその場を離れる。

 少し離れたところで立ち止まり、フィリップがまたため息を吐いた。

 

「な、なんだよ」

「もう少し警戒したまえよ。別に今さら、キミの()()を咎めはしないけどねえ。クラウスさんに注意されたばかりじゃないか」

「悪かったよ。けど気にはなるだろ。顔に凶兆が出てるなんて言われたら」

「客を取るための方便に決まっているだろう。君のような誘惑されやすい男を引っかけるためのね」

 

 肩をすくめるフィリップに、翔太郎は苦笑いした。

 

「なんかお前……」

「うん?」

「いや、なんでもねえや」

 

 良く言えば社会に順応してきた。ひねくれた言い方をすれば、すっかりスレたと言うのだろうか。

 いずれにせよ、出会った当初の少年のような純真さは無くなったか、と。

 しみじみと、反抗期の息子に向けるような生暖かい目でフィリップを見つめだした翔太郎。

 

「……?」

 

 フィリップはそんな翔太郎を(いぶか)しんでいたが、すぐに鼻を鳴らして小言を再開した。

 

「とにかく、風都と違ってふしだらな誘惑が多いようだ。気を付けていないと、あっという間にザップのようになってしまう」

「おいおいその言い方はザップがかわいそうじゃ……」

 

 笑いかけて、ふっと真顔になった。

 煙草と香水の混ざった甘ったるい臭いをプンプンさせながら、ついでに脳がとろけたような危ない顔つきで見舞いに来たザップを思い出したからだ。

 

「……いや、ああはなりたくねえな」

「だろう」

 

 二人でうんうんと納得し、また歩き出す。

 翔太郎は例の占い師の言葉がまだ引っかかっていたが、フィリップの言うように、客引きの一種だろうと気にしないことにした。

 

 しかし、占い師の言っていたことは正しかったらしい。

 10mも行かないうちに、怒涛の勢いで二人を災難が襲いはじめた。

 

 まず、前を歩いていた青年がふと外したヘッドホンから、黒板をひっかくような『音楽』が大音量で轟いた。

 翔太郎とフィリップは飛びかけた意識をギリギリつなぎとめ、耳を塞いでしゃがみ込む程度で済んだが、別の通行人には浴びてはいけない類の音波だったらしく、頭が風船のように破裂して倒れこんできた。

 恋人への遺言をメモ帳に書き始めた彼を抱きかかえた翔太郎は脳漿(のうしょう)まみれで絶叫し、フィリップは耳を塞いだまま彼を救う方法を検索した。

 通りかかった買い物帰りの女性に頼み込んで、レモンとピクルスとアーモンドヌガーと気化ザギョザの白子を譲ってもらい、それらで応急処置をした彼を救急車に預けて一息ついた。

 

 と思ったら、なぜか知らない男達にアツアツの焼き肉を口へ突っ込まれた。

 野外バーベキューをしていた男らの言うには、食べきれる目算を誤ったせいで余ってしまった『無限肉』が指数関数的に増えだしたらしく、このままでは数時間で地球の質量を超えてしまうとかナントカ。

 焼き肉が原因で世界が終わるのだけは阻止せねば、と。翔太郎とフィリップは男達と一緒に片っ端から通行人を呼び止め参加を募り、増え続ける無限肉を焼いては食い、焼いては食い、の終わらないバーベキュー地獄に身を投じた。

 偶然その場にいた、胃が異次元につながってしまったという餓死寸前の大食いチャンピオンの協力もあって、なんとか無限肉を食べきった彼らはその瞬間を大きな歓声で称えあった。

 

 奇妙な達成感と謎の絆を得た翔太郎が、パンパンに膨らんだ腹を撫でながら腹ごなしの運動がしたい、とつぶやいた時、今度は向かいの本屋から腕が80本ほどある化物が飛び出してきた。

 仰天しつつ急いでWに変身し、ナントカという魔術書に封印されていた大悪魔神メクメギグトスを掃除中にうっかり解放してしまってのう、と謝る老店主を間一髪で救い出した。

 荒れ狂う大悪魔神メクメギグトスにヒートジョーカーで応戦しつつ、フィリップが読み方を知っていたトゥトゥトニ語で魔術書の一節を唱えることで、なんとか大悪魔神には本の中へとお帰りいただいた。

 ぐしゃぐしゃの店内を片付けながら、鎖でがんじがらめに封印された魔導書の中身を、懲りずに確かめようとする老店主を必死に制止した。

 

 この時、二人の胸にはすでに嫌な予感が満ち満ちていた。 

 そして嫌な予感に限ってよくあたるものである。

 その後も途切れることなく苦難は続いた。

 

「な、なんて街だ! 確かに甘く見てたぜ……これがヘルサレムズ・ロットか……!」

 

 銀行強盗風キメキメで前後不覚なメディスン方面的何かに出くわし。

 世界最大の個人、ギガ・ギガフトマシフ伯爵の散歩に潰されかけ。

 PPPP団VS新電脳往生教の宗教デモ抗争に巻き込まれ。

 群れで飛んできたスカイフィッシュと衝突し打ち上げられ。

 

「ああ……! クラウスさんの言っていたことを、『言葉』でなく『心』で理解できた!」

 

 ギャッキャウテベテン風にガボクスラッパリラしているヘンゲモネンギャコボラブツトルンデグにからまれた時には、二人ともさすがにもうダメかと思った。

 

「ま……まだか、まだ着かねえのかフィリップ……」

「もう少しだ翔太郎……! あの角を、曲がれば……」

 

 オアシスを探し、砂漠を征くキャラバンのごとく。互いを鼓舞し、励まし合いながら。

 満身創痍、ゾンビのような足取りでたどり着いた。

 大通りから少し奥に入った裏道。

 

「お、おい、もしかしてこれって……」

「スティーブンさんの提案でね。ライブラが用意してくれた。これからしばらく、ここがぼくらの活動の拠点だ」

 

 二人の目の前にあったのは、古ぼけてはいるが、立派な二階建ての建物だった。

 やや色あせた赤茶のレンガ壁。アーチ型の洒落た窓。アイアン飾りをはめたアンティーク調の玄関扉からも、それなりの格式高さがうかがえた。

 一階部分には小さいながらもガレージがある。屋上にも出られるようだ。

 周囲のビルに比べればさすがに小さく見えるが、窮屈な印象はまったくなく、むしろこじんまりした雰囲気も、ちょっとした高級感を醸し出していた。

 そのたたずまいは、単なる住宅というわけでもなさそうで。

 

「ここをぼくらの住居兼、情報収集のための探偵事務所、『鳴海探偵事務所HL支店』にしようと思っているんだが、どうだい?」

 

 得意げに笑うフィリップの横で、翔太郎はただただ感動していた。

 ここに来るまでの災難も疲労も全部忘れて。ちょっぴり涙ぐんでさえいた。

 というのも。目の前の建物はまさに、翔太郎があこがれ続けた、ハードボイルド小説の中に出てくるような探偵事務所なのだ。

 風都ではビリヤード場の上に間借りする形で鳴海探偵事務所があった。もちろん、翔太郎にとっては鳴海荘吉から受け継いだ大切な事務所であり、愛着を超えた愛情を抱いていたのだが、まあそれはそれとして、だ。

 愛読する小説の中の、サンフランシスコ・サターの街角とか、ハリウッド・ブルーヴァ―ドのビルの一室とか、そういう()()()()な探偵事務所に大きなあこがれがあった。

 それが今、目の前にある。夢の鍵は自分のポケットの中に入っている。

 なんだかヘルサレムズ・ロットに来てからの苦労がすべて、報われた気がした。

 

「さて、さっそく中に……翔太郎? 大丈夫かい……?」

 

 フィリップが困惑したのも無理はない。

 敬愛する相棒は、目に涙をいっぱい浮かべ、頬を真っ赤に紅潮させ、鼻水をずびずび垂らしながら、口だけはにへにへと笑っていたのだから。

 

「……その様子だと喜んでくれたみたいだねえ。……ぼくの想像以上に」

 

 翔太郎は言葉も出さずにブンブンと首を縦に振り、その後、両手を振り上げて理想の事務所へと駆けて行った。

 通りを渡る時、突っ込んできたバイク(ガラスケース入りの脳ミソが乗っていた)に跳ね飛ばされたが。

 すぐに起き上がり、心配そうな脳ミソに謝って、翔太郎は扉の中へと消えていった。

 

「…………」

 

 その様子を見ていたフィリップは、もしかしたらさっきの騒動で頭の変なトコロを打ったりしたのかと少し心配になった。が、まあ翔太郎はいつもあんな感じかと思い直し、相棒の後を追って事務所へと歩いていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「そういや、さっき大悪魔神メクメギグトスの召喚があったらしい」

 

 世間話のような軽さで言いつつ、スティーブンはナイトの駒を前進させた。

 テーブルに置いたチェス盤を挟んで。向こうに座るクラウスは返事をしなかったので、話を続けた。

 

「まあ五分もしないうちに再封印されたそうだがね。その場にトゥトゥトニ語を読める人間がいたことは幸運だったな。第三段階まで変異してれば僕らでも手に負えなかっただろうし。……おっと、それは悪手じゃないか?」

「……む」

 

 クラウスが移動させたキングに王手(チェック)をかけつつ、スティーブンはため息を吐いた。

 いつもはボードゲームが大得意なクラウスだが、何か強烈な心配事がある時、初歩的なミスが増える。

 

「心ここにあらずだな」

「……」

「心配しているのは、K・Kのことかい?」

「うむ」

 

 キングを逃がしつつ、クラウスは重い口を開いた。

 

「彼女の様子はどうかね」

「どうもこうも」

 

 スティーブンの顔が曇る。

 

「今日もレネラ・アベニューでビラ配ってたよ。あの様子じゃ、また寝てないな」

「もう四日になる。体を壊さないといいのだが」

「うーん……この程度で体調崩すほど脆くはないと思うがなぁ。……そういう問題じゃあないか」

 

 段々と顔に汗をにじませ、体を折り曲げるクラウス。

 スティーブンはまた、小さく息を吐いた。

 

「そう自分を責めるな。いや、君は責めるんだろうけど、その、なんだ」

 

 懊悩。煩悶。仲間の窮地に際し、胃に穴が開くほど心を痛める友人に目をやる。

 

「君だけの責任じゃない。ガイアメモリ騒動で全員いっぱいいっぱいだったし……」

 

 とりあえず月並みな励ましの言葉を並べてはみたものの。スティーブン自身、それが気休めにもならないとはわかっていた。

 なので、少しでもクラウスが安心できそうな報告をする。

 

「情報系統を全部洗いなおしたが、今のところ漏洩の可能性は無い。ライブラやK・Kを狙って、というわけではなさそうだ。子供たちの方にも何もない。何かあってもツェッドが護衛なら大丈夫だろう」

「だが、万が一ということもある。もう少し人員を増やせないか」

「わかった。別件に充てている何割かを一旦こっちにまわそう」

「捜索の方は?」

「ギルベルトさんとレオで、片っ端から街を視て探してる。ロウ警部にも手配済み。もうじき人狼局も手が空くそうだ。なに、そうなれば二、三日で解決するさ」

 

 明るく言ってはみたものの。この街において、その言葉がどれほど楽天的で無責任なものなのか、スティーブンにもよくわかっていた。

 この街で言う『解決』とは円満なハッピーエンドではなく、単に事件の終わりをさすことも多い。そしてその場合、大抵は望まぬ結末だ。

 

「彼らのほうはどうだい?」

 

 今度は切り口を変える。変えてもクラウスの苦悶は軽くならないだろうが。それでも、じくじくと湿っぽい空気だけは変わるかも、と思った。

 

「なあクラウス。やっぱり彼らにも協力してもらった方がいいんじゃないか? 少しでも人手は欲しいし、探偵っていうならこういうのはお得意だろう」

「いや……彼らはこちらに来てまだ日が浅い。そんな中で我々の都合に巻き込んでしまうのは、やはり酷だと思うのだ」

 

 一段と表情の険しさが増したクラウス。

 ああ、これも板挟みかと、スティーブンは目を伏せた。

 仲間(K・K)への心配と、仲間(翔太郎ら)への気遣いで。また無くてもいいようなジレンマに苛まれている。

 

(これぐらいは取り去ってやらないと、な)

 

 ふうっとまた一つ息を吐き、スティーブンは盤上のクイーンに手をかけた。

 

「それは今更だよ。君は彼らを仲間と呼んで、彼らの都合に協力している。だったら逆も然るべきだ。現にそういう交換条件なんだろ」

「……うむ」

「遠慮せず頼ってやればいいさ。レオみたく絶対保護が必要な少年ってわけでもないんだし、あんまり過保護にしすぎるとかえって信用失うぞ」

 

 少し悩んで。クラウスは決めたようだった。

 

「わかった。彼らにも事情を話して協力を仰ごう」

 

 会話が途切れた。少し空いた間に、何手分かの駒の音がした後。

 

「スティーブン」

「ん?」

「いつも、すまない」

 

 そう言って、クラウスはスティーブンに王手(チェック)をかけた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ぽつぽつと街灯がつき始めた通りを、翔太郎は上機嫌で歩いていた。

 

「あっちにデスクを……いや西日が当たる方が画になっていいな。ならこっち側か……」

 

 脳内で家具のレイアウトを考えながら、にやにやと笑う。すれ違う歩行者たちに変な顔で見られているのにも気づかず。

 嬉しくてしょうがないのだ。

 新しい事務所にはまだ簡易的な家具しかなかったが、それはこれから自分好みにしていけばいいので問題は無い。それを想像するだけでも楽しく、翔太郎は浮かれまくっていた。

 ただまあ、どんなに浮かれていてもお腹は空くもので。とりあえず、今のところ優先すべきは夕食だった。

 フィリップと話し合って、どこかでピザかチキンでも買って、新しい事務所で軽いパーティーをしようと決まった。

 そういうわけで翔太郎が買い出しに出たのだった。

 

「……ん?」

 

 と、そんな翔太郎の目がふっと気になるものを見つけた。

 通りの向こう側にいる、ワインレッドのロングコートに身を包み、右目に眼帯をした背の高い女性。

 風都で見かけたなら確かに目立つ格好だが、翔太郎が気になったのはそこではない。

 眼帯ぐらい、この街では別におかしくはない。『おかしい』というのは、翔太郎のすぐ後ろを歩いている、両目に刺した電球を三色に点滅させているようなやつのことを言うのだ。

 そうではなく。気になったのは、その女性が遠目にもわかるほどボロボロで、ふらつきながら一心不乱に何かのビラを配っていたことだ。

 誰の目にも、彼女がとてつもなく困っているというのがわかる。

 そして、そんな女性を放っておけないのが左翔太郎という男だ。

 信号を渡り、女性に声をかけると。

 

「なあ、アンタ……ぶっ」

 

 機械的に顔にビラを押し付けられた。

 やつれ果てた眼帯の女性は、もはやビラを配るだけのロボットと化しているようで、翔太郎のことも見えていないらしい。

 気の毒に思いつつ、顔からビラを剥がす。そこには大きく『Missing person(この人を探しています)』の文字。

 思わずつぶやく。

 

「人探し……って探偵の出番じゃねえか」

 

 その瞬間。

 光の速度で眼帯の女性が翔太郎の胸ぐらをつかんだ。

 身長がほぼ同じなせいで思いきり首が締まり、翔太郎の体がわずかに宙に浮く。

 もがく翔太郎に、眼帯の女性は震える声で言った。

 

「アナタ日本人!?」

 

 こくこく、と。声が出ないので首を振って肯定する。

 

「探偵って言った!?」

 

 再びうなずく。

 なお、この間ずっとギブアップの意を込めてその手をぱしぱし叩いているのだが、女性は締め上げをいっこうに緩めてくれそうにない。

 

「……探して」

「……?」

 

 よく聞こえなかった。声が小さかったのか、もしくは意識が薄れてきたからか。

 直後に、耳元で天を貫かんばかりに絶叫された。

 

「私の旦那を! ユキトシを探してえええええええ!!」

 

 さすがに今度は翔太郎にもはっきりと聞こえた。

 まあその代わり。耳から血が出たのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




K・Kさん回です!

無限肉のバーベキュー、やってみたいなあ。

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