仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』 作:津田 謡繭
◇
瞬間、フィリップの視界が捻じれた。
三半規管が悲鳴をあげ、平衡感覚が刈り取られる。慌ててバランスを取ろうとしたが無駄だった。レオの眼が発動してから5秒と持たず、フィリップはもんどり打って倒れることになった。
Wへの変身で、日頃から倒れることには慣れっこだ。だが、今回は位置が悪かった。ちょうど真後ろに構えたテーブルに、頭から突っ込む自分が見えた。
もちろんフィリップの視点ではない。目まぐるしく混ぜ返される、他の誰かの視界に一瞬映ったのだ。
だが何故だろう。刹那、意識に焼き付いたのは危機が迫る自分の姿ではなく、テーブルの上に置かれていた翔太郎の帽子で──
次の瞬間、後頭部から眼球へ火花が走った。痛みに悶える間もなく薄れていく意識。その中で、浮かび上がる泡沫のように思い出した情景があった。
◇
「──前から訊こうと思っていたんだが」
それは、フィリップが鳴海探偵事務所で暮らし始めたばかりの頃の記憶。ビギンズナイトから間もない、ある日のこと。
いつものように猫探しの依頼を受け、鏡の前で身支度をする翔太郎に尋ねたことがあった。
「そのクロークいっぱいに詰まっている帽子は、いったい何なんだい?」
「何って……帽子は帽子だろ。お前も欲しいのか? ダメダメ。欲しけりゃ自分で買えよ」
「君の偏ったファッションになど興味はない。ぼくが知りたいのはそのコレクションの意味だ」
ソファがあるにも関わらず床に座ったまま、フィリップは愛用の白紙の本から一瞬も目を離さず、ため息を吐いた。
「今週だけで新しく二つも帽子を買ったね? そんなにたくさんどうする気だい? 実に不合理で、無意味だ。違う形状の物ならまだしも、同じ型のソフトハットなんて三つか四つあれば十分だろう」
素っ気なく、畳みかけるような追及。刺々しい皮肉にも聞こえるが、そうではない。この頃のフィリップはまだ、他人の心情を慮れるほど世慣れしてはいなかったというだけだ。
翔太郎もそれは理解していたが、それでも不満は感じたのだろう。鼻を鳴らして言った。
「お前にゃまだわかんねえよ。男の目元の冷たさと優しさを隠すのが帽子の役割だ。つまり──」
「『一人前の男の証』だろう。それはもう何度も聞いたよ」
翔太郎の言葉をさえぎって、フィリップはようやく本から顔を上げた。本をパタンと閉じ、小馬鹿にするように首をかしげた。
「だが、そんな答えは何の説明にもなっていない」
「う……だから、その、だな……」
「自分でもわかってないのかい? なら、ぼくが立てた仮説について正否だけ答えてくれたまえ」
「……あん?」
「君はこの事務所を背負っていくことにまだ不安を感じている。だからいくつも帽子を買い漁っているんだ。あの帽子から逃げるようにねえ」
そう言って視線を向けたのは、壁に掛けられた白いフェルトハットだった。つばの部分に大きな傷の入ったその帽子は翔太郎にとって、そしてフィリップにとっても意味の深いものだった。
翔太郎は一瞬それを見た後すぐ、うつむくように視線を下げた。厳しい表情で、唇を噛みしめて。
しかし、フィリップはそんな翔太郎にお構いなしで続けてしまった。
「本人から直接託されたにも関わらず、果たして自分が鳴海荘吉の後を継ぐにふさわしい人間か、君は自信が持てていない。そうだろう?」
今にして思えば、あの頃の自分の幼さを考慮しても、あまりに無神経な言葉だったと反省する。翔太郎が声を荒げたのは当然だった。
「当たり前だろ! おやっさんが死んだのは──!」
自分のせいだ、と言いかけ、しかし翔太郎は言葉を呑み込んだ。
「……ああ。お前の言う通り、俺は逃げてるのかもしれねえ。おやっさんに託されたあの帽子は、今の俺には重すぎる」
クロークから黒い帽子を手に取り、くるりとフィリップに背を向ける。そして、「けどな、フィリップ」と言葉を続けた。
「俺にとって、
「誓い?」
翔太郎が顔を上げ、帽子を頭にのせた。彼はこちらに背を向けたままだったが、その表情が変わったのを、フィリップは鏡越しに見た。
「今はまだ届かねえが、いつか必ず『帽子の似合う男』になる。そうおやっさんに誓った。自分で選んで身につける帽子はその誓いの証だ。俺がコイツをかぶってる時は、探偵として、男として、おやっさんに誇れる左翔太郎でいなきゃダメなんだ」
正直に言えば、その時の翔太郎の言葉には、「不合理だ」という感想しか持てなかった。しかし、鏡に映った翔太郎の瞳は、フィリップにある予感を抱かせた。
きっとそう遠くない未来に、彼は鳴海荘吉の帽子をかぶることになる。成り行きや妥協ではなく、確かな決意と覚悟の上で。
「……だから拘る、と。そういうことかい」
「ああ。お前には無意味に思えるかもしれねえけどな」
「いや、理解したよ」
やけに素直に引いたフィリップに、翔太郎は拍子抜けしたようだったが、別に何を言うでもなく身支度を再開した。変な奴だ、くらいにしか思わなかったのだろう。
「じゃあ、行ってくるぜ」
そう言って翔太郎は出ていった。フィリップも興味の対象を他に移して、また別なものの検索を始めた。
たったそれだけのやり取りだったが、今になって考えてみれば、あれが左翔太郎という人間に対し、フィリップが敬意を抱き始めたきっかけのように思う。感情的で甘すぎるハーフボイルドな男だが、それでも心の中に一本、揺るがない芯を通している。それは自分には無かったものだ。
(ぼくはその芯の強さに憧れた)
戻りつつある意識の中、フィリップは再確認する。
(だから、ぼくは翔太郎を──)
落とした本のたまたま開かれたページを読むような、寸刻のフラッシュバックが終わった。追憶をまた本棚へと戻し、そしてフィリップは目を開けた。
◇
「気が付きましたか」
目を覚ましたフィリップが最初に見たものは、こちらを覗き込むツェッドの青い顔だった。「青い顔」といっても「心配そうな」という比喩ではなく、本当に青いのである。
もちろん、彼の性格からして心配してくれてはいたのだろう。表情はわかりにくいが、微かにほっとしたような空気を感じた。
「……ぼくはどれくらい?」
ゆっくりと体を起こし、頭をさすりながら尋ねる。後頭部には大きなコブができており、まだズキズキと痛んでいた。
「5分ほどです。かなり強く打ったようですが、大丈夫ですか?」
「痛みはあるけれど平気だ。後遺症が残っている様子もない。……それよりも、ドーパントは?」
ツェッドは首を横に振った。逃げられた、ということだろう。
フィリップが周囲を見渡すと、オフィスのあちこちに戦闘の跡が見えた。斬り裂かれ、穿たれ、焼かれ、吹き飛ばされ、とバラエティ豊かに破壊された家具の残骸が散乱している。
「この様子を見ると、敵に回ったのはザップとレオ君だけではないようだねぇ」
「ええ。まさかレオ君だけでなく、スターフェイズ氏まで向こうに付くことになるとは思いませんでした」
フィリップの目に入ったのは、透き通る氷に覆われたオフィスのドアだった。退却の際、スティーブンが時間稼ぎにドアを凍らせて封鎖したらしい。
氷漬けのドアには無数の裂痕が刻まれていた。おそらくツェッドの血法によるものだろう。が、それでもドアの破壊に至っていないということは、スティーブンの技が手加減ゼロの完全本気仕様だということだ。
「確かに、これでは追えないな。ザップの炎ならまだ楽に溶かせたんだろうけど」
「……やめましょう。あの人の存在が頭によぎるだけで、恥辱と疲弊感、慙愧の念で気が遠くなります」
酷い言われようである。しかし、やらかした事がやらかした事だけに、さすがに擁護もできない。
加えてツェッドはザップと同門。本来、畏敬の対象とすべき兄弟子がアレなのでは、彼の心底からの落ち込みようも納得できる。まあ、ツェッドにしても今更感はあるのだろうが。
「そうだね。今はこちらに残った人間だけでどうにかするしかない」
考えたくないというツェッドに同意して、フィリップも話を元に戻した。
「それで残っているのは?」
「ここには我々と、あとチェインさんだけです」
「姿が見えないけれど……ああ、ドーパントの捜索中かい?」
「ええ。なにか、こう、鬼気迫る表情でした」
「大丈夫だろうか。姿を消せるのは知っているが、向こうにはレオ君がいる」
「少しやりにくいとは言っていましたが、問題ないでしょう。彼女もプロの諜報員ですから」
フィリップが立ち上がるのを手伝いながら、ツェッドは「それにしても」と続けた。
「テンプテーション……誘惑のメモリですか。実際にドーパントと対峙したのは初めてですが、厄介そうな相手だ。僕らだけでも無事だったのが幸いですね」
「おそらく、能力の発動条件が『相手が異性であること』なんだろう。チェインさんは女性だし、君は──」
「生物学的には雌雄の概念がない変異個体ですからね。自分では、精神面はやはり男だと思ってはいますが……いえ、待って下さい。だとすると貴方は何故?」
首をかしげるツェッドに、「ああ」と軽く返す。
「ぼくは耐性があるんだ」
「……耐性?」
「ガイアメモリの精神的、肉体的な干渉に対し、大きな耐性を持つ人間が稀にいる。今回のテンプテーションも、ぼくには効かなかったようだね」
「フィリップさん。申し訳ありませんが、それについて何か客観的な証拠を示せませんか」
フィリップを見るツェッドの視線が鋭くなっていた。ああ疑われてるのか、と遅れて気づく。
確かに本人の釈明だけで、「なるほど耐性があるなら平気ですね」と都合のいい判断ができるほど、余裕のある状況ではない。ドーパントの洗脳下にないと、どうにかして証明したいところではあるが。
「……残念ながら潔白を証明する手段はない。まあ、ぼくとしては拘束されても問題は無いよ。戦闘に参加しようにも、相棒がこんな状態じゃあねえ」
ため息を吐いて、フィリップは視線を翔太郎に送った。血糸でミノムシにされた翔太郎は騒動の前と変わらず床に転がっていた。かわいそうに、タマラには置いていかれたようだ。
「ふむ……では、その前にひとつだけ」
何かを考えついたのか、ツェッドが質問してきた。
「あのドーパントの外見的な印象はどうでしたか?」
「外見?」
質問の意図はよくわからなかったが、素直に答えることにした。フィリップは気絶する直前に見たドーパントの姿を思い出し、きゅっと眉をしかめた。
「自分の美的センスに絶対の自信があるわけじゃないが、少なくともアレを見て好印象を持つ人間はいないだろう、と思ったよ。外見的印象はどうしようもなく、最悪だ」
最悪──それは一切の誇張なく、心の底から出た言葉だった。テンプテーションドーパントを見て最初に浮かんだ感想は、「気持ちが悪い」のひとつだけだったのだ。
女性の肢体を寄せ集めて作った歪な肉人形のような、グロテスクな姿。『異性の誘惑』という欲望だけが抽出されると、かくも醜いドーパントが出来上がるのか、と驚愕したほどだ。
本体を構成している女性のパーツには、直視できないような部位もふんだんにあったため、できればR18か、せめてR15のマークを張り付けるべきだとも思った。少なくとも、ヒーローに憧れる小さな子供に見せていい代物では絶対ない。
「ええ、僕も同意見です」
ツェッドがうなずいた。
「あれほど生理的な嫌悪感を覚える生物も珍しい」
「……なぜそんなことを?」
ゼロではない、という言い方に一瞬ヘルサレムズ・ロットの脅威を感じたが、それはひとまず置いておいてフィリップは訊き返した。
しかしツェッドは答えず、代わりにわずかに指を動かした。すると翔太郎の口を覆っていた血の帯がほどけた。
「ぷっは……!」
「さて翔太郎さん。今の僕達の会話について、何か言いたいことは?」
「……んあのなあ、言いたいことも何も」
不機嫌そうに曲がった口から、これまた不満げな声が出る。心なしか気勢が消沈しているのは、タマラに見捨てられたからだろうか。
しかし、次に出た翔太郎の言葉にそんな疑問も吹き飛んだ。
「さっきから何言ってんだよお前ら!? 最悪とか嫌悪感とか、大丈夫か? あんなキレイなドーパントは初めてだろ。ミロのビーナスだって裸足で逃げ出すぜ」
フィリップは思わず、「ああっ」と声を漏らした。驚きだ。テンプテーションの影響下では、あのグロテスクな外見を美しいと感じるのか。
満足そうにツェッドがうなずき、フィリップに向き直った。
「確証とは言えませんが、フィリップさんを信用する根拠としては十分でしょう」
「スゴイな。これは思い至らなかった。どうしてわかったんだい?」
「当てずっぽうですよ。ドーパントを見るレオ君達の目つきが少し気になっただけです」
素直に感心するフィリップに、ツェッドが謙遜する。と、そんな二人に床の翔太郎がぼやいた。
「フン。あの美しさがわかんねえとは、お前らまったく──ぶぎゅえっ!?」
「あー、ごめごめ。素で間違えたわ」
すっ、と。現れたチェインが翔太郎の顔を踏みつけながら、実のない謝罪を口にする。
「誰と!? ザップか!? 酷くね!?」
「同レベでしょ。あの色魔猿とおんなじ相手に引っかかってるんじゃあ」
「いや……今、スティーブンさんもタマラの──」
無言で放たれたローキックが翔太郎の下顎にクリーンヒットした。カクン、と頭が揺れて翔太郎が静かになる。見下ろすチェインの目は、叩き潰した蚊を見るそれだった。
フィリップは何とも言えない哀れみを感じたが、とりあえず気持ちを切り替えて、ツェッド、チェインとの話し合いを開始した。
「どうでした?」
「どうもこうもない。全員で例のアパートに向かって普通に帰宅してる。これ以上ないってくらい舐められてるわ。ホント腹立つ」
「向こうもチェインさんが来るのは承知の上だろう。加えて、ライブラのほぼ半数が向こうの手駒。こちらに残ったうち二人は非戦闘員ともなれば、高も括ろうというものだよ」
「改めて言葉にすると、かなり厳しい状況ですね」
「まともに戦えるのがツェッドとクラウスさんだけではね……そういえば、クラウスさんは? アパートに向かったという話だったが」
「アパートも見てきたけど、向こうにはいなかった。こっちに戻ってきてるんじゃない?」
「電話は繋がらないのかい?」
「無理ですね。上位管理者権限でライブラメンバーの全回線がロックされています。いざという時のための危機管理機構なんでしょうが……」
「スティーブンさん本人が敵側にいる以上、裏目にしか出ていないねえ」
ふと、フィリップの頭に嫌な考えが浮かんだ。
「最悪の場合、すでにクラウスさんも敵になっている可能性も考慮した方が……」
しかし深刻な表情のフィリップに対し、チェインとツェッドは顔を見合わせた後、さも当然という顔で同時に言った。
「それはない」
「それはないです」
なぜ、と問う隙もなく。二人の答えが結論となってその話は終わった。
これほど徹底的に信頼されているとは、さすがは確固不抜のリーダー、クラウスである。そうまで言い切られると、フィリップも黙ってうなずく他なかった。
言い方として適切かはこの際置いておくが、フィリップもこの一週間、クラウスのことは興味深く
しかし、それでもまだ心の底では「ドーパント相手に思い込みは禁物だ」と思っていた。──思っていたのだが。
その五分後に氷漬けのドアを粉砕しながら現れて。
「無事かね」
開口一番そう尋ねてきたクラウスの顔を見ると、何故か訳もなく、それこそどうしようもなく、納得せざるを得なかった。
そして、クラウスが現れた瞬間。半身をもがれた『ライブラ』が、また噴き上がるように息をし始めたのを、フィリップは肌で感じた。
「何があった?」
素早く、ツェッドとチェインが報告を行う。
異性を無条件で支配する敵の能力。対ドーパント戦の要、Wの半身、左翔太郎の有り様。そしてザップに加え、スティーブンとレオの敵対。
積み上がるのは、いずれも絶望的な現実たち。
「状況は把握した」
しかし、そんな窮状を知らされたクラウスが、次の行動を決めるのにかかった時間は──
「では、征こう」
動揺は無かった。悲観は無かった。踵を返し、ただ歩きだす。
一瞬、ツェッドとチェインが顔を見合わせたが、逡巡はそれで終わりだった。二人も、また当たり前のようにクラウスの後に続いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
フィリップが声をあげたのは、クラウスを止めたかったわけではない。止められるような人物でないと知っている。
聞きたかったのかもしれない。自分の不安など砂塵のように吹き飛ばす、強い決意を。その言葉を。
「相手はドーパントだけじゃない! 間違いなく、ザップやスティーブンさんが敵として立ちはだかってくる! それだけじゃなく、テンプテーションが他にどんな怪物を従えているかもわからないのに……無茶だ!」
「だからこそだ。フィリップ」
背中越しにクラウスは答える。静かに、そして盤石に。
「今、ドーパントに対抗できるのは、隷属した彼らに対峙できるのは我々だけだ。故に我々がやらねばならない。臨む先にあるのが仲間の窮地、果ては世界の命運ならば尚のこと。それを使命として認識したならば──」
振り返ったその瞳は、揺らぎなく燃える碧炎のようだった。
「踏み出す為に他の理由は必要ない」
何故だろう。
不利な要素が消えたわけではない。絶望的な現実が変わったわけでもない。それでも、フィリップの中にあった不安は跡形もなく吹き飛んだ。
かつて、鳴海荘吉の白い帽子を手に翔太郎が自分を呼んだ、あの時のように。
フィリップの口に自然と笑みが浮かんでいた。
「わかりました。では、ぼくもぼくにできることを。先に行って下さい」
誰も理由を聞かなかった。フィリップが何のために残るのか、わかっていたからだ。
「こちらは任せた」
それだけ言って、再び歩き出したクラウス。
自分の中に確かな感触を得て、フィリップはその背に応えた。
「すぐに追いかけます。──必ず相棒と一緒に」
◇
タマラのアパートへと向かっていたクラウスが、事務所へと戻って来たのには理由があった。
実はテンプテーションが能力を発動させた瞬間、いち早く精神汚染に気づいたスティーブンが、クラウスの携帯にメッセージを送っていたのだ。中身は5秒とかからず打ち込める、数桁の数字とアルファベットの羅列。あらゆる事態を想定して作成された緊急通達コードのひとつだ。
今回、使用されたコードは、「強度4以上の精神干渉による、送信者及び組織の緊急事態」を示すものだった。
「というわけで、状況はとっくにクラウスに伝わってる。もうそろそろ来る頃だろう。気を抜くなよ二人とも」
アパートの前のわずかにひらけた駐車場でそう言ったのは、他でもないスティーブンだ。
「来ますかね……やっぱり」
一歩下がった位置でつぶやいたレオ。それにザップが応える。
「逆になんで来ねーんだよ」
「いや、僕らも望んでここに居るわけですし、タマラさんだって別に世界をピンチにしてるわけじゃないですし」
「だから放っといてくれってか? 柄にもなく『トロピカーナ・フィールド』な」
「……なんすかそれ?」
「あそこ雨でも嵐でも試合できんだろ」
「はぁ」
「ノー天気」
「うーわ、くっだらな! ザップさん5割増しでアホになってません!?」
「気を引き締めろと言ったのがわからなかったのか、お前ら?」
さざめき始めた場を、スティーブンがぴしゃりと冷却した。
「クラウスは必ず動く。俺達がこっちにいることもだが、それ以上にメモリの力は十分世界の脅威だ。適当な国のトップを数人、誘惑してみろ。あとは投げキッスひとつで世界大戦が始まるぞ」
「それは、そうですけど……」
「今のタマラにその意思がないとしてもだ。戦争万歳のテロリストの手で彼女自身がさらに洗脳されて道具になれば、そこで世界の崩壊が決定する」
「──でもアナタ達が守ってくれるんでしょう? 愛する私を、命を懸けて」
三人の背後から声をかけたのは、外付けの階段に腰掛けたタマラだった。すでに人間の姿に戻り、艶めかしく組んだ足の上で頬杖をついている。
「当っ然! 俺ちゃんに任せとけっての。お前を狙うマヌケ共は全員返り討ちにしてやるぜ」
犬歯を見せてザップが笑った。一見、非常に頼もしい笑み。だがよく見ると、大きく開いた鼻の穴から下心が駄々漏れている。
「まーたザップさんてば卑しい張りきり方しちゃって」
「うるせえ。お前こそタマラにいいとこ見せようと必死だったろーが。なーにが『タマラさんに近づく敵はボクちんが絶対見逃しませぇん』だ」
「そそそそんな言い方してねーし!」
「いーやしてたね。童貞丸出しアホ丸出し」
「おおい! 言って良いことと悪いことがあるぞ!」
また低俗に騒ぎ始めたザップとレオを、タマラは冷ややかな目で見つめていた。
「……はぁ。優秀なボディーガードが欲しくてわざわざライブラ本部まで出向いたのに、釣れたのがこんなのだけじゃ不安だわぁ。本当に大丈夫なのスティーブン?」
「うーん……まあその気持ちはわかるけど……」
答えつつ、スティーブンは腕を組んだ。いつにも増して腑抜けている二人の様子がどうにも引っかかる。
しかしその引っかかりを整理する前に、タマラの声がスティーブンの思考を遮った。
「そうよ。アナタ、ライブラでも偉い方なんでしょ? 適当に理由つけてもっと応援呼べないの?」
「それができたら良かったんだが、そうさせないための緊急コードなんだよな」
スティーブンが送った緊急コード。それが送信された瞬間、クラウスとスティーブンの
フィリップ達が妨害だと勘違いした回線のロックは、逆にライブラを守るための防衛策だったのである。
「苦労して構築したシステムがうまく作動してほっとしてる反面、君のためにしてあげられることが減ってしまったのは、うん。
「なによ。使えないわねぇ」
「……」
ザップとレオ程わかりやすくはないが、スティーブンもテンプテーションの能力下にある。つまりタマラに心から惚れている状態なのだ。そんな相手からの「使えない」発言は、さしものスティーブンにも深めに突き刺さった。
内心で落ち込むスティーブンに向けて、タマラは余裕たっぷりにふふんと微笑んで見せた。
「まあいいわ。一番手強いっていうリーダーさんも男なんでしょ? だったら、私には勝てない。ボディーガードが増えるだけよ」
その言葉にスティーブンが反応する。
「いやタマラ、それは──」
しかし、言い終わる前にレオが遮った。
「来ました! クラウスさんです!」
神々の義眼を輝かせ、振り返る。
聞いた瞬間、スティーブンとザップが同時に警戒態勢をとった。一方は冷気を纏い、一方は血の刃で武装する。
「クラウスさん、ツェッドさん、チェインさんの三人です。フィリップさんはいません」
「どこからだ」
「予想通り、真正面から来るつもりみたいです。……もうすぐ、あそこの角を曲がります」
その言葉通り、すぐにクラウス達は現れた。
レオの眼がある限り、多方向からの奇襲は通用しないとわかっている。故に戦力をまとめ、正攻法でぶつけることにしたのだろう。
クラウスを先頭にゆっくりと歩いて来た三人と、背後のタマラを庇うように並ぶ三人が、対峙した。
「ミス・サローヤン」
口を開いたのは、やはりクラウスだった。
「今ならお互いに無傷のまま、ことを治められます。どうかガイアメモリを放棄し、我々の仲間と、軟禁している一般人を解放していただきたい」
最初に提示するのは、あくまでも対話による解決。しかし、タマラの答えは冷淡だった。
「お断りよ」
「……残念です」
もはや何も言わず、クラウスは右手に戦闘用のグローブをはめた。
右腕を眼前に立てたその姿は、力に頼った解決への懺悔にも見える。
しかし、眼差しには
臨戦。クラウスの構え、そのものが──
ライブラ対ライブラ、激突の引き金となった。
◇
大きく深呼吸をし、「よし!」と覚悟を決めて、K・Kは扉を開けた。
その中から顔を出したのは
「母さん!」
「ママ!」
マークとケイン。二人の息子だった。
「……ごめんね二人とも、心配かけて」
泣くまいと思っていた。しかし、いざ子供たちを抱きしめると、どうしても涙が滲んだ。
急遽、ライブラが用意したマンションの一室。目立たせないよう細心の注意を払いつつ、そのセキュリティは最高レベルに設定されている。周辺には、ライブラ構成員の中でも腕利きの面々が24時間警戒に当たっていた。
だが、どんなに安全な環境を作れたとしても、それは外側だけだ。父親がいなくなり、母親がボロボロで、彼らはどんなに心細かったろう。
「…………っ!」
「なんなんだよ……パパも……ママも……!」
弟の前で弱さを見せないように歯を食いしばっているマークと、わけのわからない怒りをぶつけるしかないケインとを、K・Kは抱きしめることしかできなかった。
子供たちが一番必要としている時に、自分はそばにいてあげられなかった。その事実が胸を締め付け、自己嫌悪に打ちのめされる。
母親失格。そう言われても仕方ない。だがそれでも、この子たちには自分しかいない。だから抱きしめた。強く、強く。
そして、翔太郎とフィリップの言葉を思い出していた。
「大丈夫よ……! 大丈夫! 絶対大丈夫だから!」
励ましになっているのかも、聞こえているのかも分からない言葉。もしかすると、自分への鼓舞にしかなっていなかったのかもしれない。
けれど、K・Kは大丈夫だと言い続けた。
「母さん……痛い……」
どれくらい抱き合っていただろう。我に返ったK・Kは、慌てて腕を緩め、子供たちと向き合った。
とにかく触れ合っていたことが功を奏したのだろうか。二人は、いやK・K含めた三人は、ずいぶんと落ち着きを取り戻した。
「パパは……?」
真っ赤になった目で、ケインが尋ねた。その返答に、K・Kはわずかに迷った。
実を言えば昨夜、K・Kは感づいていた。事務所に残っていたフィリップが、テレパシー能力のようなもので翔太郎と二度目の連絡を取った後、明らかに何かを隠していたことに。そしてその後、すぐに事務所から帰されたことで確信した。翔太郎が何かをつかんだのだ、と。
その場で詰め寄ることも考えたが、K・Kは気づかないふりをした。彼らが言わないということは、まだ自分が知るべきでない情報なのだろうと、無理に言い聞かせて。そうすることを選ぶくらいには、K・Kは翔太郎とフィリップを信頼していたのだ。
だからK・Kにはまだわからない。今、愛する夫がどういう状況なのか。それを、正直に伝えた。
「まだ、わからないの」
頼りない言葉を、しっかりと目を見て伝える。
「でも絶対大丈夫!」
「なんでわかるんだよ!」
「わかる!」
力強く、答える。
「さっきわからないって言ったじゃん!」
「それでもわかる。独りじゃないから」
「……え?」
困惑する息子たちを、K・Kはまっすぐに見つめる。
「私と一緒に戦ってくれる
そう言って、また二人を抱きしめた。
正直、言いたかったことは半分も伝わってはいないだろう。
けれど抱きしめたその感触から、こわばりが抜けていくのがわかった。
「また皆で笑えるようになるわ! 絶対にそうしてみせる!」
客観的に見れば何の根拠もないはずのその言葉が、K・Kにも、そして二人の子供たちにも、確かに手の中にある、希望の輝きに思えた。
「母さんが大丈夫って言うなら、大丈夫さ」
「……うん」
二度と、失望させはしない。
K・Kは静かに、固く誓った。
それから数分後のことだった。
双方がまた落ち着き、部屋のソファで話をしていた時。
「あ、ケイン。母さんにあれ!」
「あ! そうだ忘れてた!」
「……ん?」
突然何かを思い出したように、二人は自分のポケットをまさぐり始めた。そしてすぐに、ケインが目当ての物を探し当てた。
「これ……頼まれたんだよ。ママに渡してほしいって」
差し出された『それ』を見て。
「──っ……!?」
K・Kの全身を、針で刺されるような悪寒が襲った。
あり得ない。ライブラの敷いた超弩級監視体制の中で、誰にも気づかれずに、こんなものを子供たちに渡せるはずがない。
「頼まれたって……いつ……どこで……誰に?」
すぐに答えが返ってくると思っていた質問に、なぜか、兄弟は顔を見合わせて考え込んだ。そして、同時に。
「「……覚えてない」」
その答えに愕然としつつ、K・Kは手渡された『それ』を見つめた。
──拳銃を模した『T』の刻まれた、青いガイアメモリを。
前話の大幅修正について、重ねてお詫びします。
それはそれとして。年末年始いろいろ忙しく、まただいぶ間があけましておめでとうございます……じゃないや、間があきましてホントごめんなさいです。
あ、あとぜんぜん感想返しできてないのもごめんなさい!でもちゃんと全部読んで、にやにやしてます!声をもらえるとやっぱりすごい嬉しいです!
さて第四話も佳境。次回もお楽しみにー!