仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』   作:津田 謡繭

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騒動の結末としては、笑顔も涙も悪くない。


Both smile and tears are enough for the ending of 『Tumult』

 ◇

 

 

 

「──あれ、オレ何してたんだっけ?」

 

 と、どこにでもいる善良な一般市民ピーターは、六つの眼をパチクリさせながら、超振動単分子デスブレードを振り回すのをやめた。

 次の瞬間、顔の前に岩のような拳がピタリと止まった。拳圧で頬から伸びる触腕がビョヨヨンと揺れる。

 悲鳴も出せずに硬直したピーターの前には、紳士的な服装の鬼がいた。

 

「…………」

 

 鬼はため息をひとつ吐いて、拳を下げた。

 同時にピーターの硬直も解けた。が、状況はまったく呑み込めてない。

 立っているのはピーターと鬼だけだった。その他には、地面に転がっている人類やら人外やらが、ざっと見て200ほど。

 かろうじて呻き声を上げている者もいるが、大半は気絶している。死者はたぶんいない。足元にはスタバの店員が細切れになって散らばっていたが、群体生物っぽいのでノーカンでいいだろう。

 この200人をのしたのは十中八九、目の前にいる鬼──赤髪の男で間違いなさそうだ。ボロボロの格好が激戦を物語っている。

 そしてどうやら、ピーターがその最後の相手だったらしい。何故そんなことになっていたのかは見当もつかないが。

 

「……あーのぅ、大丈夫ですか?」

「うむ。幸い大した負傷は。お気遣い痛み入る」

 

 とりあえず声をかけると、男は服装に見合った紳士的な態度で応えた。本人の言葉通り、すり傷程度で大きな怪我はなさそうだ。

 めちゃくちゃ強いんだな、とピーターは感心したが、驚きはしなかった。ここはヘルサレムズ・ロットだ。1対200の喧嘩に圧勝する紳士もいるだろう。

 

「そちらは?」

「ああ、オレのほうもとくには……あ!」

 

 体のあちこちを確認している時に腕時計が目に入り、ピーターは大事な用事があったのを思い出した。

 

「えっと、じゃあ……オレはこれで」

 

 紳士的な鬼に軽く会釈して、超振動単分子デスブレードをショルダーバッグに押し込みながら、足早にその場を後にする。

 記憶が曖昧でも状況的に当事者なのは確実なので少し無責任な感じもしたが、まあ向こうもさして気にしていないようなので良しとした。

 何がどうなって彼を殺そうとしていたのか気にはなったが、ピーターにはそんなことよりももっと大事なことがあったのだ。

 

「ハァ……どうすっかなあ……」

 

 歩き出して10秒もしないうちに、ピーターの頭の中は、初デートに2時間も遅刻したことを彼女にどう謝るべきかでいっぱいになっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 結局のところ、当事者達にとってもその程度だったということだ。大きな視点で見ればテンプテーション事件はこの街に何の影響も与えなかった。

 事情を知らないほとんどの男達は洗脳されていた時のことをハッキリとは覚えておらず、知らない内にズタボロで街中に転がっていたのも、昨晩の食事かアルコールか、もしくはイリーガルな栄養剤なんかがマズかったのだろうと自分で勝手に納得して、また日常へと戻っていったのだ。

 あえて影響をあげるならば、数日の間、街のいたるところで女が男を怒鳴りつけていたり、男がジャパニーズドゲザで平謝りしていたり、ビンタがあったり刃傷沙汰があったり、「カンタン爆殺呪詛セット」がよく売れたりしたらしい。

 だが、まあそれくらいのことは特別な事件がなくとも頻繁な街である。つまりはまたいつも通りの、奇しく騒がしく危なっかしい日常。

 

 

 

 しかし個人に注目すれば例外もあった。

 例えば今、鳴海探偵事務所HL支店の古びたソファでうなだれている男。自分がどうなっていたのかを聞いたユキトシも、事件から一日経ってまだ日常に戻れていない一人だ。

 

「なあ、僕はどうしたらいいと思う?」

 

 青白い顔の質問に、正面に座ったフィリップはため息と一緒に答える。

 

「同じ質問をもう三回聞いているが、毎回ぼくは同じ答えを返しているよユキトシさん。『早く家に帰るべき』だ。これで四回目だね」

 

 翔太郎がどうしてもと言うので、彼への説明とその後のフォローを引き受けたが、やはり自分には向いていない役だと思った。

 フィリップは自他共に認めるデリカシーの足りない人間だ。知識を得るのは簡単だが、感情的繊細さの会得はなかなか難しい。

 

「正直に言って、ぼくにはそこまで気にする理由がわからない」

 

 落ち込む本人を前に、こんな言葉を漏らしてしまうくらいだ。

 しかし、そう言ってしまったのにもそれなりの理由があった。すぐにわかったことだが、意外にも彼女と肉体関係をもった男はほとんどいなかったのだ。

 男を支配する全能感の中にあっても、どこかそういう関係に疲れていたのだろう。結局、身の回りの世話をさせ、精神的な隷属を命じただけで、タマラは満足していたらしい。

 ユキトシもその例に漏れず、せいぜい愛を込めて料理をつくったり、愛を込めて家の掃除をしたり、その程度だった。つまりさしたる不貞は犯していない。

 にもかかわらず深く悩む彼の姿勢に、フィリップは疑問を持っていた。

 

「問題はそれこそ精神的なことなんだ。僕は日頃から、子供達に家族として支え合うことの大切さを話してきた。その僕が、一時とはいえ、特殊な状況下だったとはいえ、妻を裏切って他の女性を愛していた。僕自身が、そのことへの自責に耐えられそうにないんだよ。いったいどんな顔をして、みんなに『ただいま』なんて言えばいいのか」

 

 というわけらしいが。

 

「しかしだからといって、このままずっと帰らないわけにもいかないだろう」

「それは僕もわかっているんだけどね……」

 

 わかっているなら何故いつまでも事務所(ここ)にいるのか、とはさすがに言わない。フィリップも彼の困窮は十分理解している。ここでかける言葉は正論ではなく、励ましであるべきなのだろう。

 しかしフィリップはそういうのが苦手だった。無遠慮に正論を述べたことが、たまたま慰めになったこともある。が、やはり相手を癒す言葉を、そうと狙って選べるほどの器用な対人スキルを、フィリップは持ってはいない。

 頼れる相棒が不在の今、フィリップは開き直った正論がいい方に進むのを信じるしかなかった。

 

「ぼくが思うに、家族の問題を解決する方法は大きく分けて二つ。沸きかけた熱が冷めるまで距離を置いた方がいい場合と、手遅れにならない内によく話し合った方がいい場合だ。今回はどう考えても後者だと思うけどね」

 

 あとはせめて、その正論に自分の気持ちを織り交ぜるくらい。

 

「ぼくの家族は、そうできなかった」

「…………」

 

 落とした視線から、ユキトシは何かを察したようだった。何か言いかけた口を閉じ、静かにフィリップの話に耳を傾けた。

 

「両親と二人の姉。ぼくらは五人家族だった。けれどある時を境に、父は道を誤り、母はそんな父を憎むようになった。その時ぼくは、みんなのそばにいることができなかった」

 

 初対面の人間に話すには重い内容だ。しかし、自分の思いを伝えるために、この話をしておきたいと感じていた。

 

「ようやく全員そろって話ができるようになったころにはもう、どうにもならないくらいすれ違ってしまっていたんだ。だからこそ、あなた達にそうなってほしくはない」

 

 顔を上げ、ユキトシの目を見つめる。

 

「はっきり言おう、ユキトシさん。合わせる顔がないとか申し訳ないとか、そんな理由で距離をとろうとしているのなら、それは間違っている。あなた達家族は素晴らしいチームだ。こんなことで崩れてしまうほど、脆い絆じゃないと断言できる」

 

 正論に自分の気持ちを添え、願いとして相手に託す。それが、これ以上ない励ましになっていることに、フィリップは気づいていなかった。

 まっすぐ自分を見つめるフィリップに応えるように、ユキトシは口を開いた。

 

「……僕にできるだろうか?」

「できるさ。ぼくの家族だって、また昔のように笑い合える関係に戻れたんだ」

 

 視線を合わせたまま、フィリップは微笑んだ。

 

「他人事と割り切って言わせてもらえば、実に些細な問題だよ。数えるほどの罪でもない。この世には完璧な人間なんていないのだからね」

「そう……だね。その通りだ」

 

 目を閉じ、ユキトシも微笑む。

 自分よりひとまわり以上若いフィリップに諭されたからか、その微笑みには気恥ずかしさも表れていた。しかしそれ以上に、彼の顔は安堵と決意に満ちていた。

 

「ありがとうフィリップ君。君のおかげで勇気が持てた」

 

 ソファから立ち上がり、右手を差し出すユキトシ。その握手に応じながらも、フィリップは首を横に振った。

 

「あなたは元から勇気ある人だった。でなければ、この街で家族を支えていく強さは持てないよ」

 

 素直な称賛の言葉に、ユキトシはまた気恥ずかしそうに微笑むのだった。

 

 

 

「ああ、そうだ」

 

 ユキトシが事務所のドアを開け、出ていこうとした時。彼は何かを思い出したようにフィリップを振り返り、苦笑しながら肩を叩いた。

 

「余計なお世話かもしれないけれど、生ごみの袋は屋内じゃなくて裏手のボックスにまとめて入れておいた方がいい。この地区の回収は明日の夜のはずだから、忘れずにね」

「……ありがとう。どうしようか困っていたんだ」

 

 フィリップも苦笑した。

 彼が生ごみの臭いだと思っているのが、実はフィリップの体に染みついて取れなくなったシュールストレミングの臭いだ、とは言わなかった。

 どうしても修正したい勘違いではないし、なにより人の良いユキトシが気にしそうだったからだ。

 

「同じ街に住んでる日本人の先輩だからね。わからないことがあったら何でも聞いてくれ」

 

 そう言って手を振りながら去っていくユキトシを苦笑いのままで見送るフィリップ。

 内心で、「いまの自分はかなり空気を読めているんじゃないだろうか」と、自身の成長を実感していた。

 

「なるほど。翔太郎がこの役目をぼくに任せたのはこのためだったのか」

 

 うんうんと納得しながら事務所に引っ込んだフィリップに、「イヤそっちじゃねえよ」というツッコミをいれる人物はここにはいなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「消臭剤買ってきましたよー。化学系と炭のやつと、極小因果修正系の──おごおおああああしまったああ!!」

 

 うっかりガスマスクの着用前に扉を開けてしまったレオが悶絶しながらのたうち回る。慌てて駆け寄った翔太郎がガスマスクを顔に押し付けるが、すでに手遅れだった。

 

「こ、これを……あとは頼みます……」

 

 そう言ってホームセンターのビニール袋を翔太郎に託し、レオはかくんと意識を失った。

 

「レオォォ!? しっかりしろおお!」

「うおおおおん戦場ではいい奴から死んでいくんだああ! お前はヘタレだったけどいい陰毛だったぞレオぉぉ……!」

 

 必死にレオを揺さぶる翔太郎と、わざとらしく泣きながら絶叫するザップ。

 その2秒後。

 

「じゃ、ちょっくらコイツの死亡届出してくる」

「おいコラ逃げんな!」

 

 そそくさと出ていこうとするザップを、翔太郎は羽交い絞めにしてなんとか止めた。

 

 

 

 避けられない後始末のひとつが、地獄と化したライブラのオフィスを誰が片づけるか、ということだった。

 派手に破壊された室内はまだどうとでもなるが、問題はぶちまけられた糞尿地獄ニシンの方である。開封時は元気に跳ね回っていたニシンも一日経ってさすがに死に絶えていた──元から死んではいたので動かなくなっていたと言うべきか──が、それによってさらに腐敗が進み、オフィスに充満する悪臭は殺人的レベルになっていた。

 その清掃任務に充てられたのが、敵におめおめと洗脳され皆に多大な迷惑をかけた翔太郎、ザップ、レオの三名である。

 翔太郎とレオが潔くその役目を引き受けたのに対し、ザップは最後まで文句を言い続けた。というか現在進行形で文句を言い続けている。

 

「なぁっとくいかねーよなー。ぎょーしゃ呼べばいーのによ。経費で落ちんだろ経費で。どケチか、我らが番頭は」

「しょうがねえじゃねえか。どこの清掃業者も糞尿地獄ニシンの名前聞いただけでお断りだってんだから」

「いるだろ喜んでやりそうな連中。CUTBW(二つの世界を浄化せよ)のゾンビ共とか」

「いや、とっくに壊滅してますよ。てかザップさん達が潰したんじゃないですか。ガベッジゴーレムの一件で」

「……じゃあ魚類だ魚類! オトモダチの御遺体だろうが! 丁重に弔わんかい! 一人で!」

 

 この辺になってくると、二人ともわめくザップを無視し始める。レオ曰く、傍若無人だが基本的に寂しがりやなので、仲間外れにするのが一番効果的らしい。

 実際、ザップは小声で文句を言いながらも、一応ノタノタと手は動かし始めた。血法を使って本気を出せばすぐに片づくのだろうが、それすらめんどくさがるあたり生来の怠け者である。

 

 腐臭を放ち、半分液化した肉片を掃除するガスマスクの三人組。絵面としてはかなり怪しいが、マスクをしなければ失神は避けられないのでしょうがない。

 なおスティーブンも被洗脳メンバーなのだが、もちろんサボっているわけではない。ライブラのツートップとして、クラウスと共に関係各所に頭を下げに行っているのだ。とくに、ロウ警部を始めとしたHLPDへの説明と謝罪は必須である。

 

「この機会にガイアメモリ関連の話もしてくるそうですよ」

「ってことは、今までは警察には話してなかったってことか」

「そりゃ、話が広がれば広がるほどヤバい連中にも情報が回りやがるからな。おおっぴらに規制なんかしたらそれこそ、メモリの価値を認めることになんだろ」

「価値ねえ……危ないだけだぜ。手にした本人にとってもな」

「同じだ同じ。不死身になる代わりに一週間で死ぬ薬に手え出すバカがどれだけいると思ってんだ」

 

 口調からして少ない数ではないのだろう。翔太郎の大きなため息が、ガスマスクをしゅこーっと鳴らした。

 

「警察といえば」

 

 ふと手を止めて、レオが尋ねる。

 

「けっきょくタマラさんって逮捕されるんですかね? けっこうな騒動にはなりましたけど、全部自分の意思でやったことかっていうと、微妙なトコじゃないですか」

「ああ、そこんところは保留らしいが……」

 

 事件を引き起こしたタマラ・サローヤンは、ドーパント化の後遺症を治療するために入院することになった。

 やはりT‐0ガイアメモリの汚染は根が深く、ヘルサレムズ・ロットの医療でも完治には一月以上はかかるそうだ。もちろん、下手をすれば廃人か消滅もあり得るメモリ過剰使用のツケとしては、完治が見込まれているだけ驚異的だが。

 

「とりあえず治療と事情聴取が優先で、起訴するかどうかはその後らしい。……てかそもそも、この街の法律ってどうなってんだ? 判例どころか前例もない犯罪がわらわら出てくんだろ?」

「さあ、どうなんでしょうね」

「どうなんでしょうねって……」

 

 首をかしげるレオに翔太郎は困惑する。

 気にならないのだろうか。主に、自分の身の安全的な意味で。

 

「いや、だってホラ。法律がこうだから犯罪やめますって人、稀ですし。理性プッチンプリンな人ばっかですよここ」

 

 いやまあ、それはそうなのだろうが。

 ちなみにザップはというと、法律のことなど考えるのもメンドクサイ、と言わんばかりの態度で床に絵を描いていた。画材はモップと、液化したニシンの腐汁だ。汚いことこの上ない。

 そこへ。

 

「彼女なら正式に不起訴が決まったそうですよ」

 

 朗報を持ってオフィスに入って来たのはツェッドだった。

 彼女の処遇は翔太郎も気にしていたので、素直にほっとする。しかし振り返ってツェッドの姿を見た途端、その安堵は吹っ飛んだ。

 恐ろしいことに、この激臭空間においてツェッドはマスクをしていなかったのだ。にもかかわらず、彼は平気な顔で歩いてくる。

 

「お、お前、大丈夫なのかよ!?」

「は?」

 

 一瞬、何のことかわからない様子で首をかしげたツェッドだったが、すぐにガスマスクのことだと気づいて翔太郎の疑問に答える。

 

「ああ、ええ。僕、受容する匂い物質を空気中のと水中のとで切り替えられるんで。今はほとんど何も感じてません」

「……そいつはまたなんとも」

「便利っすねツェッドさん」

 

 うらやましそうな視線を投げる翔太郎とレオ。

 ツェッドは「いえ」と首を横に振った。

 

「そんないいことばかりでもないですよ。この前なんか──」

 

 その時。

 ずべしゃあ、と。

 目にもとまらぬ速度で突き出されたモップが、ツェッドの顔面に糞尿地獄ニシンの汁を塗りたくった。

 

「「……!!」」

 

 予想外の出来事に、翔太郎もレオも顔面蒼白で絶句するしかなかった。

 モップの柄を握りしめ、マスクの奥で「してやったり」と醜悪な笑みを浮かべていたのは、まず大方の予想通りザップだ。

 鼻孔に希釈ゼロの腐汁を流し込まれたツェッドは声を出すこともできずにぶっ倒れ、床を転げまわりながら悶絶する。

 

「ツ、ツェッドオオオ!!」

「おおおい!! なにやってんだアンタはああああああ!!?」

「ずっこいだろうがよー。仲間が苦労してるってのに自分だけ平気ですとか、俺ちゃんそーゆーのはよくねーと思うなー」

「最低ってレベルじゃねええ! そんなにイヤか! 人の幸せがそんなにイヤなんすか!」

「この程度の不意打ちで隙を突かれる方がワリィんだマァヌケェ! かーかっかっか!」

 

 その瞬間──高笑い、いやバカ笑いするザップのガスマスクを、ツエッドの放った血糸が剥ぎ取った。

 流れ込んできた激臭にザップが絶叫する。

 

「おおおおお何しやがんだクソ魚類いいい!!」

「隙を、突かれる方がっ……悪いん……です」

 

 顔を紫色に膨らませながら、なんとか息を止めるザップ。

 そこにすかさずレオが自分のモップをベチャッと押し当てる。ファインプレー。

 今度はザップが床を転がりながら悶絶する番だった。

 

「おああああ!」

「かっ、は……」

 

 間もなく、斗流の正統後継者2人はそろって失神した。

 レオはありったけの侮蔑を込めた目でザップを見下ろし、翔太郎は大きくため息を吐いてツェッドの介抱にまわった。

 

(まったく、騒がしいったらありゃしねえな)

 

 翔太郎はのしかかってくる疲労感に辟易しながら、しかしどこかでこの喧騒を楽しみ始めている自分がいることに気づき、フッと苦笑した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 意識を取り戻したツェッドに言われ、翔太郎が病院へと到着した時には、もうタマラへの取り調べは終わっていた。

 

「めぼしいことはもう聞いたから、また後で報告するよ。他に話したいことがあるなら、まあ面会時間の範囲内で」

 

 そう言って肩を叩いてきたスティーブンと、連れだって病室を出て行ったクラウスの背を一瞬目で追って、すぐに視線をベッドの上へと戻す。

 

「よ。調子は?」

「あんまり良くない」

 

 素っ気なく答えるタマラの印象は、今までとは全然違っていた。

 化粧を落とし、服装が簡素な入院着になっているということもあるだろうが、それ以前に顔つきが変わっている。表情はこざっぱりとして、ありていに言えば憑き物が落ちたような。

 

「それにしちゃ、スッキリした顔してるぜ」

「あらそう? 魅力的?」

「勘弁してくれ」

 

 どちらともなく笑う。

 話すべきことはいろいろあるが、どのへんから話題にするべきか。少し迷った翔太郎にタマラの方から話を振った。

 

「不起訴だって。さっきの二人がいろいろ気を回してくれたみたい」

「ああ、聞いた。幸い大きな被害は出てねえみたいし、良かったじゃねえか」

「……良かったのかしら」

 

 トーンを下げたタマラを気づかうように、翔太郎はそばの椅子に腰かける。

 

「良かったのさ。アンタはただ、俺達がこの街に持ち込んじまった厄介ごとに巻き込まれただけだ」

「…………」

「ま、それでもキッチリしなきゃいけない償いはあるけどな」

「どうすれば?」

 

 翔太郎はフッと微笑んだ。

 

「謝るのさ。迷惑かけたって思う人全員に。それがアンタのすべき、罪への償いだよ。少なくないぜ? 広場だけで100人はいたからな」

 

 ウインクする翔太郎に、タマラは一瞬きょとんとして、またフフッと表情を崩した。

 

「そうね。退院したらしばらくは謝罪ツアーかな。半年以上はかかりそうだけど」

「どうしても相手が見つからねえ時は俺と相棒を頼ってくれてもいい。本職だ」

「ええ、頼らせてもらうわ。探偵さん」

 

 微笑む中、会話が途切れる。

 手持ち無沙汰だが、悪い空気ではない沈黙。

 タマラはひとつ息をつくと、窓の外を見つめながら静かに言った。

 

「あなたさっき、自分達が持ち込んだ厄介ごとに巻き込まれただけって言ってくれたでしょ」

「ん、ああ」

「でも、実はちょっと感謝してるの。今回のことがあったから、大切なことに気づけた」

 

 顔は窓に向けたまま、目を閉じるタマラ。

 翔太郎は何も言わず話を聞いている。

 

「あの人の言った通りだった。誰かに愛されたいってばかりで、求めるだけで、誰も愛してこなかったわ。誰かを本気で好きになったことすら。なら当然よね。心が乾いちゃうのも」

 

 一息に、言い終えて。

 

「ねえ聞いて翔太郎」

 

 くるっと向き直り、タマラははにかんだ。

 その自然な笑みに翔太郎はドキリとする。

 今までで一番魅力的な笑顔だった。

 

「あたし、恋をしちゃったみたい」

「へ?」

 

 今まで静かに聞いていた翔太郎も、さすがに間の抜けた声をこぼした。

 それを見てタマラが吹き出す。

 

「アナタじゃないわよ」

「な……わ、わかってるよ!」

 

 取り乱したことを恥ずかしがるようにベストと帽子の位置を整える翔太郎を、タマラはまたくすくすと可愛らしく笑う。

 

「でもね、脈ナシ」

「どうして」

「その人もう結婚してるの」

 

 一瞬だけ考え、その意味がわかった翔太郎はフッと微笑んだ。

 

「そりゃ残念だ。きっと素敵な人だったんだろ?」

「ええ。とっても」

 

 そう言って笑うタマラは、本当にあどけない少女のように見えた。

 

「初恋が失恋なんてよくある話でしょ?」

「ああ、俺だってそうだったぜ。そう……あれはちょうど、俺がハードボイルドに目覚めて間もない頃──」

「え、ちょっとなに。自分の失恋話はじめる気? 興味ないんだけど」

「イイから聞けって。失恋の体験談なんてのは共有してなんぼなんだってば」

「多そうだものねぇ、失恋」

「な、聞き捨てならねえぞ! そりゃ、まあ、少なくはねえし、相棒からもいろいろ言われちゃいるが、それは別に俺がどうっていうより──」

「変にかっこつけて口説こうとするからよ」

「かっこつけてんじゃねえ、それがハードボイルドなんだよ!」

 

 笑い、言い返し、また笑い。

 そして、けっきょく。

 タコのような頭の看護婦が面会終了を告げに来るまで、二人は他愛もない会話を続けたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ただいま」

 

 そう言ってドアを開けたユキトシを、出迎えたのは直立で並んだK・Kと二人の息子だった。

 三人ともが一様に腕を組み、口をへの字に曲げて不満をあらわにしていた。

 

「……ごめんよ、みんな。僕は──」

 

 言いかけた顔の前に、ビシッと一枚の紙きれが突きつけられる。

 一瞬、離婚の書類かと覚悟したが、なんのことはないただのルーズリーフだった。

 

「これは……?」

「父さんの贖罪リスト」

 

 答えたのは上の息子、マークだった。

 

「これから一週間、家事は全部父さんがやること。あと僕にはエリケストンの新しい自転車とスマホ。ケインにはXステーション・ダブルエックスの本体と『ハーフダイブ4』のVRセット」

 

 淡々と告げられる許しの条件をユキトシは呆気に取られて聞いていたが、二人の息子が同じように涙をこらえているのに気づき、目を閉じて静かに頷いた。

 

「うん。わかった」

 

 そして、顔を上げてK・Kに。

 

「君は?」

 

 わずかの沈黙。

 それから口をとがらせて、小さく。

 

「……ハグ」

 

 ユキトシが愛する妻を抱きしめたのと、その妻が泣き始めたのが同時だった。

 

「……おがえりぃ」

 

 鼻水混じりのK・Kの言葉をまた合図にして。

 マークとケインも、泣きながらハグに加わった。

 

 

 

 十分後。贖罪リストに追加された「今日の夕飯はパパの肉じゃが」という項目を達成すべく、ユキトシは醤油を買いに外へ出た。

 

「今度は一人で行かせないから」

「じゃあ僕も」

「俺もついてく!」

 

 この日の買い出しが家族4人でと決まったのは、想像に難くない結末だったと言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで。
またお待たせしてしまいましたが、どうにか第四話も終了です!。
次回はまた設定集になります。

ちょっと個人的な忙しさもあって更新が遅くなりがちですが、温かい目で見守っていただけると幸いです。(映画見たりおもちゃで遊んだりするヒマはあるだろ、とかツッコマナイデェ)

それでは次回もお楽しみに!

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