仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』   作:津田 謡繭

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休日には広場でおしゃべりするに限る


There is nothing better than 『chatting』 in a holiday park

 ◇

 

 

 

 日曜日。

 天気は相変わらずの霧雲りだった。が、街を覆う結界の外は快晴らしく、ヘルサレムズ・ロットの空はそれなりに明るかった。

 春の兆しと言うにはあまりに早すぎるが、休日には嬉しい陽気。必然、出歩く人も多くなる。

 

 セントラルパークから程近い市民の憩いの場、アンダンタル広場も、今日はひときわ賑わっていた。

 大人に子供、恋人たちに家族連れ。みな、体を動かしたり、談笑したり、静かに読書にふけったり、アンヌルギヨクーペンの陸釣りにいそしんだり。思い思いの時間を過ごす、穏やかな昼下がり。

 ちょうどランチタイムということもあって、ファストフードやドリンクの屋台も多く出ている。やはり人が多いからか、どの屋台からもちょっとした行列が伸びていた。

 

 そんな広場中央から少し離れた場所。小さな噴水の前に、なにやら人だかりができていた。

 人垣のシルエットがやけに凸凹(でこぼこ)しているのは、子供が混じっているのだけが理由ではない。人類(ヒューマー)だけでなく、サイズの様々な異界人たちも多く集まっているせいだ。

 とくに背が低い者など、サッカーボールほどの大きさしかない。というより、体つきが丸っこいのと服が白黒のパッチワークなのが合わさって、遠目には本当にサッカーボールにしか見えない。それが11人集まってコーラをがぶ飲みしている。やたらテンションが高いのは元からか、それともコーンシロップで酔ってしまう体質なのか。

 

 異質ではある。が、異常ではない。

 ノンアルコールの炭酸飲料で酔っぱらっているサッカーボールの集団も、この街では珍しくない光景だ。そして彼らと同じように、人だかりの中心にいたのも人間ではなかった。

 注目を一身に浴びつつ、小さめのアルミ製トランクケースを地面に置いたのは、ヒレのついた翡翠色の腕。ツェッドだ。

 彼は慣れた様子でケースを開け、色紙(いろがみ)の束を取り出した。台形を二つつなげたような()()()()型に切られた色紙は、束の厚さから見て2、300枚はあるだろうか。

 観衆はツェッドと、その手の中の紙束を期待の眼差しで見つめる。

 

(ひきつぼし)流血法──」

 

 ささやくような声に合わせ、その場にふわりと風が吹く。

 

風編(かぜあ)み」

 

 言の葉が溶け、同時にあらわれる翠の流れ。糸のように細やかだったそよ風が重なり旋風となる。風はツェッドの手元へと吹きつけ、紙束をパッと巻き上げた。

 瞬きの後、広がった光景に誰もが息を呑んだ。

 

 それは(ちょう)の群れだった。

 

 風に乗り、無数の紙の蝶はまるで命を与えられたかのごとく。空に数百枚の紙片が羽ばたき、ひらひらと踊る。

 観客たちは人異そろって、ぽかんと口を開けたまま上を見上げていた。口がどこだかわからない者達も同様に呆けている。サッカーボールの集団はコーラの瓶を持っていたことすら忘れているようで、彼らの足元はこぼしたコーラでびしゃびしゃだ。

 誰もが、ここが石畳の広場だということを忘れ、花々がそよぐ草原を想起していた。霧に覆われたこの街で、人々が遠く忘れさってしまいそうになる儚い世界の美しさを見ていた。

 

 蝶たちはしばらく気ままに踊り回っていたが、やがて川の流れるように一陣の風に沿って飛び始めた。

 観客の頭上をぐるりと廻り、流れは吸い込まれるようにツェッドの手元へ。そして水かき付きの(てのひら)に折り重なって、蝶はもとの紙に戻った。

 

「「「おおおおおおおおお!!」」」

 

 我に返った観客たちから盛大な歓声があがる。称賛は声だけでなく、もちろん万雷の拍手喝采と共に。

 そして、ツェッドのトランクケースには大量の投げ銭が降り注いでいた。

 

 

 

 命懸けで世界を守る秘密結社ライブラ。

 だが、その構成員に支払われる給料、もとい渡される活動資金は、職務内容とリスクに比べてお世辞にも多いとは言えない。

 

「いや申し訳ないとは思ってるんだけどね。実際問題として、ウチってけっこうカツカツなんだよ。パトロンは多いわけじゃないし、資金の大半は設備と武器と研究費で消えてしまうし。いろいろと工面しなきゃいけない時に、真っ先に削られるのが人件費ってのは、これはもう資本社会のお約束だろう? まあ文句が出るのは仕方ないけど、ご理解賜りたいもんだね」

 

 とはスティーブンの談であるが。

 しかし理解し、納得できたとして、やはり必要なものは必要なのだ。となれば、余裕ある生活のためには自分で稼がねばならない。

 レオは別にアルバイトをしているし、チェインは人狼局からも給料が出ている。そしてザップは寄生虫よろしく数人の女性にお小遣いをもらっている。

 あのアレがヒモとして生きていけるぐらいにはモテるのだから、人類(ヒューマー)の色恋とは不思議なものだ。別にその他種族の色恋に詳しい訳でもないが。まあ、それはさておくとして。

 ツェッドも何かしら稼ぎ口を見つけたかったのだが、諸々の事情があってうまくいかなかった。それだけなら質素に暮らせば良いのだけの話ではある。しかし、それとは別にツェッドには負い目があった。

 彼の呼吸用エアギルスや、自室にある巨大な水槽はすべて特注品だ。当然、値段も高い。それらは必要備品として経費で賄ってもらっている。

 

「気にしなくてもいいのに。いやホント。僕らが水中で同じ任務してるって想像したら、そりゃこれぐらいの援助は当然するとも」

 

 スティーブンはそう言ってくれるのだが。

 しかし生真面目なツェッドにしてみれば、やはり申し訳なさを感じずにはいられないのだ。何かしらの恩返しはしたい。

 そんな時、ふとしたことから思いついたのが、この大道芸だった。はたして一子相伝の血法をショーにするのはどうかとも思われたが、幸いにもここはヘルサレムズ・ロット。日常は摩訶不思議で溢れている。目の前で紙の蝶を飛ばしている技が、よもや化物狩りのため研ぎ澄まされた羅刹の刃とは思われないだろう。

 そういった言い訳も自分にしつつ、なんとなくの軽い思いつきから始めてみれば、このパフォーマンスは思った以上に人気が出た。週によっては、仲間にちょっとした高級店を奢れるくらいの稼ぎにはなる。

 もちろん、数人分のランチ代など、肩代わりしてもらった設備費には遠く及ばない。そう頭でわかっていても、なんだか恩を返した気になって心が軽くなるあたり、我ながら勝手なものである。

 かくして。市民に癒しと感動を与え、自身の心と財布を潤すべく、週末になるとツェッドは広場に通っていた。

 どうやらそれは、ツェッド自身も気づかぬうちに、彼のライフワークのようなものになっていたらしい。

 あの地獄の一週間を終えての久々の休日。ツェッドはゆっくり本でも読んで休もうと思っていた。にもかかわらず、なんとなく落ち着かない気分になってしまい、結局、いつものアルミケースを持ってこの広場に足を運んでいたのだ。

 そんな自分の状況を、ツェッドは少し喜ばしく思っていたのかもしれない。ヘトヘトのはずなのに、いつもより蝶の動きが良かった気がした。

 

 

 

 何度かのアンコールに応えた後。たっぷりの臨時収入がつまったアルミケースを手に、ツェッドは広場を去ろうと歩き出す。

 その時、ドスン、と。背後から男がぶつかって来た。

 

「……え」

 

 謝りもせずに走り去る男は、ついさっきまでツェッドが持っていたはずのアルミケースを抱えていた。

 ツェッドの手にはケースの取っ手しか残っていない。キレイに切断されていた。

 

「ちょ、まっ……!」

 

 手を伸ばすも当然届かない。

 ならば、と血の糸を紡ぐべくツェッドは構えた。しかし血法を使う前に、逃げるひったくり男の前に立ちはだかった人間がいた。

 

「どけオラァ!!」

 

 そう叫んだ次の瞬間、ひったくりは足をすくわれ盛大につんのめった。ケースが空中に放り上げられ、男はキレイに半回転して顔から地面に激突した。

 ワンテンポ遅れて落ちてきたケースを、細い両腕がなんとか受け止める。

 

「本当に犯罪の多い街だねえ」

 

 ため息を吐いたのはゆったりとした服装の華奢な青年、フィリップだった。

 基本的にあまり外出せず、もっぱら安楽椅子探偵に徹することが多いフィリップだが、実はそれなりに体力がある。見かけに反して腕っぷしも弱いわけではない。こちらへまっすぐ走ってくる相手の足を蹴り払うことぐらい、わけはないのだ。

 

「うっ……」

 

 一声うめいて、ひったくり男が起き上がった。

 犯罪を邪魔された者の行動はたいてい、その場から逃げるか、逆上して襲いかかってくるかのどちらかだ。今回は後者のようだった。男は喚きながらフィリップに襲いかかった。

 フィリップはアルミケースを下ろして冷静に応戦した。殴りかかった両手を受け止め、そのまま捻り上げて組み伏せる。前述の通り、ただの人間に後れを取るフィリップではない。

 ところが、このひったくり犯がただの人間だったのかというと微妙なところだった。具体的に言えば、背中にもう一本腕が生えていた。しかも青白く光るアーミーナイフまで持っている。

 それに気づき、フィリップは振り下ろされる直前に飛びのいた。

 結果から言えば、フィリップはべつに離れなくてもよかった。その時すでに、ツェッドの血法がナイフを叩き落としていたからだ。

 まるでプリンに刺さるような滑らかさで、落ちたナイフはするりと石畳に突き刺さった。

 

「大丈夫ですかフィリップさん」

「ああ、大丈夫だとも。ありがとう」

 

 小走りで駆け寄るツェッドに、振り返りながら礼を言うフィリップ。

 アルミケースを受け渡し、微笑む。

 

「ケースも無事だ。いや、取っ手が切断されていては、無事という表現はおかしいかな」

「それよりあなたが同じように切断されなくて良かった。ヒヤヒヤしましたよ」

「きみを信頼してこその無茶だとも。しかし、何度見てもとても興味深いものだね。斗流血法というのは」

 

 そう言うフィリップの目は、またいつものごとく、溢れんばかりの知的好奇心で輝いていた。

 

「そう、さっきのパフォーマンスも実に素晴らしかった!」

 

 段々と興奮度を増してきたフィリップの声に、ツェッドは謙遜と呆れの入り混じった顔で頬をかいた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その辺を巡回していた装甲警官にひったくりを引き渡した後。広場のベンチに腰掛け、フィリップとツェッドは遅めの昼食をとっていた。

 

「初めて会った時から、きみにはちょっとした親近感を感じていたんだ」

 

 奢ってもらったチーズソースホットドッグを頬張りながら、フィリップが言う。

 ツェッドはツナサンドを食べる手を止めて聞き返した。

 

「親近感?」

「そうとも。ぼくらには何かと共通点が多い」

「……多いですか?」

 

 ツェッドが疑問形で返したのも無理はない。いま、通行人に並んで座る二人を見せて「彼らの共通点は?」と聞けば、大抵の人は「二足歩行生物」としか答えないだろう。

 

「まあ、たしかに性格面で似ている部分があるのは認めますよ」

 

 それ自体はわりと早くから感じていたことだ。フィリップも自分と同じく、理性的な行動と論理的な思考を好む性格のようである。

 もちろん、例の知りたがりスイッチが入り、好奇心の命ずるまま暴走を始めた時は別としてだが。初対面で二時間以上質問攻めにされたことをツェッドは忘れていない。

 

「ですが、そこ以外では特に……」

「もちろん性格的な面もだが、それだけじゃない」

「はあ……というと?」

「例えば『風』だ」

 

 もぐ、と残りのホットドッグを口に押し込み、フィリップが手元を見せる。いつの間に折ったのか、フィリップは包み紙で紙飛行機を作っていた。

 

「まだ見つかってはいないが、ぼくと最も相性のいいガイアメモリはサイクロンメモリ。すなわち、風の力を宿したメモリだ。Wに変身した時もサイクロンを使っている時が一番戦いやすい」

 

 ホットドッグをくわえたまま、器用に喋るフィリップ。その手からスイと飛行機が飛んだ。そしてそのまま、向かいのベンチ横のゴミ箱に吸い込まれる。

 

「だからぼくはきみの技に親近感を感じている。きみの血法、風を操る『シナトベ』にね」

 

 シナトベ──ツェッドの血法の冠する名。

 斗流の開祖、ザップとツェッドの師である裸獣汁外衛賤厳(らじゅうじゅうげえしずよし)は、その(わざ)の継承に当たって流派を二つに分けた。

 炎と風。それぞれの属性を、それぞれの血と業に。

 その片割れ。見えざる奔流。静かなる風の舞。それがツェッドの受け継いだ『斗流血法シナトベ』である。

 

「共通点。二つ目だ」

「なるほど」

 

 微笑むフィリップに、ツェッドは平淡なままの態度で返した。ツナサンドの包み紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り入れると、短いため息を吐く。

 

「フィリップさんから見て、僕はどう見えますか」

「うん?」

 

 唐突な質問にフィリップが目をぱちくりさせる。

 

「どう……ふむ。そうだね」

 

 上から下まで。ツェッドを十分に観察した後。

 

「一言で、半魚人。人間と魚のハーフ。骨格や筋肉のつき方は人間とほぼ同じで鱗もないが、体表が保水性の高い皮膜に覆われていて、呼吸は肺じゃなくエラ呼吸。よく言えば水陸どちらでも活動できる生態だ。けれど悪く言ってしまえば、若干ちぐはぐでどっちつかずな印象を受けるね」

 

 つらつらと、言う。そのあまりにむきつけな物言いに、ツェッドは少し面食らった。

 

「なんというか、思った以上に遠慮のない言葉を投げてきますね。貴方は」

「なんとなく()()求められてるような気がしたんだが、違っただろうか? 気を悪くしたなら謝ろう」

「……いえ、いいんです。まさしくその通りですから」

 

 またひとつ息を吐いて。ツェッドは背を丸めるように前へと向き直った。

 

「いくら上辺で共通点を探してみても、やはり僕と貴方は根本から違うものだ。フィリップさんだけでなく、どの人類とも、どの種族とも。それが僕です」

 

 ツェッドは異界存在ではない。魚と人の交配種。人ならざる者に創られた変異個体(ミュータント)。人界で創り出されたにもかかわらず、その(ことわり)から外れたもの。

 皮肉にも、人異が入り混じったヘルサレムズ・ロットに来たことで、ツェッドはその事実をより思い知らされることになった。

 この街の住人は異質な存在には慣れている。だが慣れているだけだ。それを受け入れるかは、また別の話。

 そして、それは人類に限った話でもなかったのだ。人間がツェッドを見て()()と分かるように、異界の者が見ても、やはりツェッドは『違うもの』だとわかるらしい。

 どちらの世界にも属せない、やり場のない疎外感。あからさまに拒絶されるわけではない。けれど、そこには見えない境界線があった。他の何者よりも、ツェッドはそれを実感していた。

 

「貴方の言う通り、僕は実に中途半端な存在だ」

「……孤独を感じることがあるかい?」

「ええ。あります」

 

 フィリップの問いかけに、ツェッドは本心で答えた。だが答えた後、くい、とわずかに顔を上げた。

 

「ですが、実のところ、もうある程度は割り切っているんです。親しい人ならとくに気にせず接してくれますし、そうでない人の態度をいちいち気にするほど繊細でもないので」

 

 その言葉も、間違いなく彼の本心だった。

 この街で得たのは孤独感だけではない。境界線など鼻で笑って、蹴飛ばして、肩を並べてくれる人達がいる。それもまた、この街でツェッドが得た確かな実感だ。

 人里離れた秘境での、師と自分だけの生活では、決して得られなかっただろう温かい何かを、ツエッドはこの街で見つけた。

 それだけでも、ヘルサレムズ・ロットに来て良かったと、そう思える。

 

「だから悲観はしていません。孤独を感じることはありますが、それはもうしょうがない。そう生まれたなら、そういう者として、僕は僕として、精一杯生きていくしかないでしょう。それすら拒んで生まれたことを後悔してしまうほど、この世界は悪いものじゃない」

 

 軽く鼻を鳴らして、ツェッドは「しかし」と付け加えた。

 

「悲観は不要でも、客観視は必要です。先ほどのように無邪気に『似ている』なんて言われるのは、不快ではないですが、やはり違和感がありますね。僕らの間に大きな隔たりがあるのは事実だ。それを無視して共通点だけを探しても無意味です。ゴールデンレトリバーとフロアモップを見比べて『どちらも毛がある』なんて言ってるのと同じだ」

「なるほど」

 

 ツェッドの話を聞き終えると、フィリップは口元に手を当て、苦笑しながら頷いた。

 

「確かにその通りだ。すまなかった」

「ああ、いえ、ですから不快に思ったわけではないんです。べつに謝ってもらう必要は──」

 

 言いかけて、ツェッドは顔を上げたフィリップのイタズラっぽい視線に気づいた。

 

「……なんです?」

「きみから見て、ぼくはどう見える?」

 

 意趣返しのような質問に、今度はツェッドが目をしばたかせた。

 

「どうも何も……」

「遠慮はいらない。さっきぼくが答えたように、思ったままを述べてくれたまえ」

「……」

 

 質問の意図がわからないまま、短く答える。

 

「見た目だけなら、ただの人間です」

「それだけかい?」

「他にどう言えば」

「変わったところとか」

「いいえ何も。どこにでもいる、ただの──」

 

 途端。

 

「……フフッ」

 

 いきなりフィリップが笑い出した。何がそんなにおもしろいのか、小刻みに震えながらククッと声を漏らしている。

 全く意味がわからず、困惑するツェッド。

 

「なんなんです」

「いや、すまない。そんな風に言われたのは初めてだったから」

「……え?」

「ぼくと初めて会った人はみんな口を揃えて言うんだ。ぼくはひと目でわかる『変わり者』だとね。ホラ、よく見てくれたまえ」

 

 そう言って微笑みながら、フィリップは自分の頭──髪を留めている()()()()()()()()を指差した。

 

「きみは知らなかったようだが、実は普通の人間は髪の毛を文房具で留めることはしないんだ」

 

 もちろん、ツェッドはそんなことは知っている。だが、目の前のフィリップの表情があまりにも得意げだったので、ツッコミを入れるタイミングを逃してしまった。

 無言を肯定と受け取ったのか、フィリップは得意顔のままで続ける。

 

「例えば『生き物』という概念のないロボットがいたとしよう」

「いきなり何の話ですか」

「だから、例えばの話だ」

「……」

 

 ああ、これは何を聞いてもまともに答えてくれないヤツだ。ツェッドは会話の意図を読むのを諦めた。諦めて、とりあえず話を進めてもらうことにした。

 

「わかりました。そういうロボットがいたと仮定しましょう」

「彼は生き物を知らないわけだから、当然、生きているものとそうでないものの違いがわからない」

「でしょうね」

「そんなロボットが、もしゴールデンレトリバーとフロアモップを見たなら、何て言うだろうか」

「……ああ」

 

 なんとなく、フィリップの言いたいことが見えてきた気がする

 

「彼はきっとこう言うだろうね。『どちらも毛がある』と」

「……つまり、そもそも相違点を理解できなければ、そこに違いはない。ということですか」

「もっと言えば、気にするかどうかだ。きみがぼくの、いかにも変わり者な風体を気にせず、他の人と何も変わらないと評したように。わざわざ意識さえしなければ、違いを気にせず互いの共通点だけにシンパシーを感じることだって、決して無意味とは言えないだろう」

「相違点を無視して共通項だけを見るというのは、いささかナンセンスでは?」

「そんなことはないさ。見たまえ」

 

 そう言って、フィリップは少し先の広場で遊んでいる子供たちを指さした。

 白人の子、黒人の子、アジア系の子。そしてどう見ても人間ではない、異界種の子供。みんなで笑いながら、逃げ回る大きな白い犬を追いかけていた。

 

「彼らは今、互いの人種も種族もほとんど気にしていない。あるのは共通の認識だけ。犬を追いかけるのは楽しい。それだけだ」

 

 そう言って微笑んだフィリップの、あまりにもあっけらかんとした表情を見た時。ふと、ツェッドは似たようなことがあったのを思い出した。

 以前、ツェッドはある人物から「何の変哲もない、どこにでもいるただの大道芸人」だと扱われたことがあった。正直に言って、小気味良かった。そんな扱い方をされたことが無かったからだ。

 あの時、その人物は──気軽に『人物』などと言っていいものかわからない存在だが──どういう視点でツェッドを見ていたのだろう。

 何の意味もない些細な違いだと、完全に無視していたのか。もし、そうだとしたら。ホットドッグを頬張りながら、楽しそうに自分たちの共通点を語ったフィリップも、同じ視点でツェッドを見ていたのだろうか。

 

「……」

 

 それが良いことなのか、悪いことなのか。それとも、それこそ無視してかまわないような些細なことなのか。ツェッドにはわからなかった。

 

「それに」

 

 フィリップが続ける。

 

「モノの見方はそれぞれだ。きみが相違点だと考えているものも、案外、共通点のひとつかもしれないよ」

 

 言っている意味がよくわからず、ツェッドは眉を──というか眉っぽい触覚の根元を──ひそめた。

 

「どういうことですか?」

「人間とはなんだろう。人間の定義とは? 難解な問題だが、ぼくは以前、とある戦いの中で答えを出した」

「……」

「それは『心』だ、とぼくは思う。誰かの痛みを感じ、誰かの悲しみに寄り添うことのできる、そういう心を持っているなら、たとえ肉体がヒトではなくても、ぼくは人間だと胸を張って言える」

「いや、あの、まるで自分が人間ではないような言い方ですが──」

 

 途端にツェッドの顔が青ざめた。色的には最初から青白かったのだが、それでもわかるほど血の気が引いた。

 

「え……? ()()なんですか?」

「ああ、()()だ。まあ、微妙なラインではあるけれど」

 

 フィリップが過去最高にいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「共通点。三つ目だね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 純粋な人間としてのフィリップは、いや園咲来人は、5歳の時すでに死んでいる。

 その時、地球の記憶に触れたことで、彼は肉体ごとデータ化され、地球の記憶と直接リンクする形で保存された。

 言わば、いまのフィリップは再構成されたデータの塊にすぎない。それが、フィリップが『地球(ほし)の本棚』にアクセスできる理由でもあった。

 

「そういうわけで、果たしてぼくをヒトと定義していいのかどうかは、生物学的にも哲学的にもかなり曖昧だ。もちろん、さっきも言ったようにぼくは自分を人間だと思っている。けれどそれだってあくまで主観の問題だからね。まれに、翔太郎や、みんなとの違いを意識してしまって、どうしようもなく不安になることもある」

 

 けれど、とフィリップが続ける。

 

「そこも君と同じだ。孤独を感じることがあっても、悲観はしていない。今のこのぼくだからこそ翔太郎たちに会えたのだし、みんなの役に立てることがあると知っているからね」

 

 おしまい、というように、フィリップは再びツェッドに向かって微笑んだ。それまで話をじっと聞いていたツェッドが、静かに口を開く。

 

「……なぜ、僕にその話を?」

「隠すようなことでもない」

「すすんで話すようなことでもないでしょう」

「きみには話してもいいと思った。話しておきたいと思ったのさ」

 

 こともなげに言い放つフィリップ。ツェッドはため息を吐いた。

 

「複雑な気分ですね。信頼されているのは嬉しいですが、同時に貴方のその警戒心の低さは心配になります。『地球(ほし)の本棚』はもちろん、今の自分をまるごとデータ化するなんて話も、その手の連中からしたら垂涎ものの情報です。僕もどちらかと言えば新参者ですが、本当に油断のならない街ですよ、HL(ここ)は」

 

 何かを思い返すように、水かきのついた手が首元のエアギルスを撫でる。

 だが苦みのある表情のツェッドとは裏腹に、フィリップの顔は明るかった。

 

「だからこそ、信用できる相手は自分で決めるべきなんだろう。ぼくだって軽く考えているわけじゃない。自分の能力について包み隠さず話せるくらいには、ぼくたちはライブラを信用している」

 

 そこまではっきり言われると悪い気はしなかった。フィリップが当然のように、翔太郎も含めた『ぼくたち』を主語にしたことも、何故だかわからないが妙に嬉しかった。

 わずかに緩んだ口元を隠すように、ツェッドは咳払いをした。

 

「ええ、わかりました。そういうことなら、信頼は素直に受け取っておきます。それに、僕と貴方に共通点が多いということも理解しました」

 

 しかし、と付け加える。

 

「人間の定義を『心の有無』とする考え方には賛同しかねます。そもそも生物学的『ヒト』と哲学的『人間』をまとめて定義しようとすること自体に無理がある」

「ふむ、確かにそうだねえ。では、手始めに生物学的な『ヒト』の境界から定義していこう。例えば先日、右手の指がマシンガンで左手はレーザーカッター、膝からはマイクロミサイルを発射できるドイツ人のサイボーグに出会ったんだが、彼はヒトと定義していいものだろうか」

「その程度のサイボーグならまだまだヒトでしょう。仮に脳や心臓まで機械になっていたのならテセウスの船になりかねませんが……」

 

 明るい日曜の昼下がり。さまざまな行楽に満ち溢れた広場のベンチで、重箱の隅をほじくるような議論を始めたフィリップとツェッド。

 そんな光景を周囲の通行人たちは、見た目以外はそっくりな二人だな、と微笑ましく眺めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ん……」

 

 ソファからむくりと起き上がった翔太郎は、まだ開ききってない目で事務所の中を見回した。窓の外はすでに暗くなり始めている。長時間ソファで寝ていたせいか、頭と首肩まわりがずっしりと重い。

 

「フィリップ……?」

 

 返事が無いということは外出しているのだろう。よくそんな元気があるものだ、と翔太郎は思う。あの決死の一週間で一番こき使われたのは、他でもないフィリップのはずなのだが。

 日頃の検索癖が、妙なスタミナにつながっているのだろうか。ぼやけた頭でそんなことを考えた。

 

「……シャワーでも浴びてくるか」

 

 のっそりと立ち上がり、浴室に向かう。

 その時、玄関の扉が開いた。

 

「ああ、もう起きていたのか。ただいま翔太郎」

 

 心なしかスッキリした顔のフィリップが、翔太郎に微笑んだ。

 

「おう、おかえり。どこ行ってたんだフィリップ」

「アンダンタル広場だよ。ツェッドに会って、少し話をしていた」

「あ、そう。……俺ちょっとシャワー浴びてくるから事務所番よろしくな。まあ、まだ依頼なんて来ねえだろうけど……ふわぁあ……」

 

 ひらひらと手を振りながらあくびをする翔太郎に、フィリップが少し困ったように言う。

 

「それが、翔太郎。依頼人が来ている」

「え?」

 

 フィリップがちらりと振り返る。フィリップの後ろから顔を見せたのは、一人の男だった。

 翔太郎がおどろいたのは、男の特徴の無さにだった。男、という以外にどう表現していいのかわからない。

 まず人種からして判別が難しい。おそらく白人ではあるのだろうが、他に〇〇人の血も入ってますと言われればそのまま信じてしまえるほど、平均的な見た目をしている。

 背は高くも低くもなく、太ってもないし痩せてもいない。顔つき、髪型、格好、どれをとっても印象に残りそうな特徴が何一つないのだ。

 それは見た目だけでなく、醸し出す雰囲気までとにかく普通だった。棒人間をむりやり実写化したらこうなるかもしれない。

 

「えっと、どういうご依頼で?」

 

 平均を擬人化したような依頼人に、なんとなく間の抜けた調子で翔太郎がたずねた。

 が、それに対する男の返答は、まったくもって普通ではなかった。

 

「私を人間にしてください」

「……はい?」

 

 自分はまだ寝ぼけているのか。頭上でハテナマークを大量生産する翔太郎に、男はもう一度、依頼を口にした。

 

「私は人間になりたいのです。私が人間になるために、貴方の協力が必要なのです」

「……あ、えっと……じゃあ、いっしょにがんばりましょ……う?」

 

 まったく意味がわからないまま、翔太郎はこの普通すぎる男の、どう考えても普通ではない依頼を受けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ずいぶんとお待たせしてしまい申し訳ありません。前回の更新からほぼ一年になりますが、私生活の方がようやくひと段落しましたので、また投稿を再開させていただきます。また皆さんに楽しんでいただけたら幸いです。

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