仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』 作:津田 謡繭
◇
「いま僕が何より驚いているのは」
通り沿いのベンチに腰掛け、フィリップが口を開いた。そしてすぐそばの看板に寄りかかった翔太郎に笑いかける。
「翔太郎。キミが英語を話せたっていうことにだ」
「ああそういや言ってなかったな」
翔太郎は自分のもたれた看板に目をやった。看板には英語で「ここでのデラヴォンヅムはやめましょう」と書かれていた。書いてあることはわかるが意味はちっともわからない。
翔太郎は車と、見たことのない生き物と、そしてその中間の何かが次々に走りぬける通りに視線を戻し、言葉を続けた。
「昔、おやっさんにくっついてしばらくアメリカにいたことがあってな。そん時に英語は話せるようになった」
フィリップが首をかしげる。
「ならなんで報告書を打つときはローマ字なんだ?」
「話せるのと書けるのは別なんだよ! お前こそ──」
言いかけてやめた。フィリップがどういう経緯で英語を会得したのかは容易に想像できたからだ。
「……聞くまでもねえか」
「英語は最もポピュラーな言語だからねえ。かなり早い時期に『検索』したよ。上流階級の社交辞令からゴロツキの使うスラングまで完全網羅してる」
得意げなフィリップに翔太郎は「へッ」と軽く笑う。
「で、フィリップ。ここはいったいなんなんだ?」
「この街の名は
「ニューヨーク!?」
相棒が口にした衝撃の事実に、翔太郎は愕然とした。
「じゃ、ここはアメリカなのか!?」
「その通り。だけど違うとも言える。ここは
「……パラレルワールドか」
「さすがだ。察しがいいね」
フィリップが笑う。
「ここは僕らのいた世界とは別の世界。似ているようで違う歴史をたどってきたパラレルワールドだ。中でも一番大きな違いはやはりここ、
それはわずか三年前のことだった。何の前触れもなく、脈絡も準備もなく、人類は思い知ることになった。自分たちが知っている「未知の領域」などというものが、いかに矮小であったかを。
人々は想像もしていなかったのだ。これまで夢物語と笑ってきた
そんな人類を嘲笑うかのように、それは起こってしまった。
一夜にして
そうして生まれたのが
日ごと夜ごとに常識がくつがえり、未知の技術が道端のゴミ箱にあふれているこの街は──
「──今や人界における今後千年の覇権を占うとまで言われているそうだよ」
そう説明してフィリップは興味深げに掌を組みかえた。口調がどことなく楽しそうなのは気のせいではないだろう。
翔太郎はそんな相棒を横目に見つつ、まあいつもの
「ったくなんつうスケールのでかい話だ。そんな世界に来ちまったのかよ俺達は」
「あの時、メモリの入ったケースを追って僕らが入ってしまったのは、パラレルドーパントが開けた並行世界を結ぶ穴だ。本来ならメモリブレイクと同時に消えるはずのそれが、なぜか再び開いた」
「それをやったのは十中八九、アイツだろうな」
翔太郎は思い出す。ケースを持って消えた不気味な腕を。
「やっぱりあれは
「ま、だろうな。目え覚ましてまだ30分しか経ってねえが、
背後を振り返り、そこにある騒々しい情景に目をやる。
「実際、アレを見ちまうとな……」
その視線の先では――
「だあかあらあああ! 謝ってるじゃないスかあああ! 解いてくださいヨオオオ!」
「だあまあれえええ陰毛! テメエのせいで全身に海鮮焼きの匂いが染みついちまったじゃねえか! いったいどう落とし前つけてくれんだオイ、レオナルド・クソ陰毛ヘタレチビ糸目陰毛ヘッド!?」
「どんだけ陰毛言うんだこの人おお!」
フィリップが出会ったという青年レオ――本名をレオナルド・ウォッチというそうだ――を縛り上げて、ザップがわめいていた。
ザップの粗野で短気で乱雑な性格を考えれば、むしゃくしゃした彼が知り合いの、それもなんとも気のよさそうなレオに八つ当たりをするだろうというのは容易に想像できる。が、その方法が一般人の想像の外だ。
レオを縛り付けていたのはロープの類ではなく『血』だった。ザップは自身の血液をまるで絹糸のように細くたなびかせ、レオをぐるぐる巻きにして空中でシェイクしているのである。
「いい~~から謝れよおら~~。吐くまで振るぞ~。テメエのマス○きのごとく!」
「なんつう比喩してくれとんじゃああ! 下ネタ大魔神かアンタは!」
「おおん!? それは謝罪の言葉かぁオイ?」
「おぅわわわああああ! スイマセンしたスイマセンしたスイマセンしたああ!!」
「聞こえねえなあア~」
「ウヴェおぁああ!」
レオの顔色が赤から青に変わりだしたのを見て、翔太郎はさすがに止めに入ろうとした時。
翔太郎が声をかける前にザップの持つ携帯が鳴った。
「オウ、旦那ぁ」
ザップが電話に出る。同時に血のロープは解け、レオは地面に激突して「ぶえっ」と声をあげた。
「……今ですか? リットマンの前すけど……ええ、レオも一緒っす」
さっきまでの傍若無人ぶりが嘘のようにおとなしく対応するザップ。その様子を見て、翔太郎は電話相手の『旦那』とはどんな人物なのかと気になった。
「……わかりました。……うす。んじゃまた後で」
「クラウスさんですか?」
電話を切ったザップに、レオが後頭部をさすりながらたずねた。
ザップは取り出したタバコに火をつけ答える。
「ああ。一旦、帰ってこいとよ」
「なにかあったんすかね?」
「さあな。とにかく事務所に戻るぞ」
「うぃーす」
そのやりとりを横で聞いていた翔太郎は首をひねった。
翔太郎の見立てでは、レオは異形ひしめくこの街には似つかわしくないほどの、いたって普通な青年である。あえて外見的な特徴をあげるなら、ホントに前が見えているのかと心配になるほどの細い糸目ぐらいだろうか。糸目と言ってもその目じりは頬へと下がっており、なんとも穏やかで優しそうな顔つきだ。
だが今の会話から察するに、レオはザップと同じ事務所に勤めているらしい。自身の血を操り、燃やし、形成した刀や剣で相手を焼き斬る。凄まじい戦闘力を持つザップと同じ職場。となれば、レオも実はとんでもなく強いのだろうか? とてもそうは見えないが。
そんなことを考えていた翔太郎に、レオがペコリと頭を下げた。
「それじゃあ、僕ら行かなきゃいけないんで」
「あ、ああ。いろいろありがとな」
「いえいえ。困った時はお互い様ですから」
「ありがとうレオ君。最初に出会えたのがキミでよかった」
微笑むフィリップ。
それを見て、翔太郎は「アイツにも礼を言っとかねえとな」とザップの方を見る。
「ザップ!」
スクーターの方へと歩いていくザップの背中に声をかけた。
「さっきは助かったぜ。サンキューな」
「オーウ。貸しにしとくぜ」
ザップが背を向けたまま手を振り、かっこよく去ろうとした。まさにその時だった。
ごしゃ。
どこからともなく飛んできた拳大の瓦礫が、鈍い音をたててザップの側頭部に命中した。片手をあげたまま、ザップがぺしゃりと地面に倒れる。
「ザップさああん!?」
「ザップうううう!?」
レオと翔太郎が同時に叫びをあげる中、フィリップは瓦礫の飛んできた方向へと目をやった。そこには――
「アンタね、ザップ! さっきの炎出したのは!?」
と、怒りに燃える黒髪の女性がいた。ネグリジェのような薄く露出度の高い服装から、どうも水商売系の女性のようだ。
「ヒ、ヒルダ……!? お、おめぇ何てことしやがるぅっ!?」
よろよろと起き上がったザップが女性に詰め寄る。
「それはこっちのセリフよっ!!」
ヒルダと呼ばれた女性が、持っていたもう一つの瓦礫でザップを殴りつけた。再びぺしゃっと倒れるザップ。
「ザップさん今度は何やらかしたんですか……」
ジットリとした目でザップを見つめるレオに、フィリップが冷静に質問する。
「その様子からして、彼がこういう目に遭うのは珍しくないのかい?」
「ええ、まあ。見てわかる通り、人間の堕落した部分を煮詰めて焦げ残った炭屑を人型にしたような人ですから。女性がらみで殺されかけるのもたぶん、千や二千じゃきかないと思いますよ」
「おおい、そんな悠長に見てる場合かよ! 今にも死んじまいそうだぞ!?」
焦る翔太郎。その視線の先ではザップが頭をつかまれたまま、瓦礫で往復ビンタをされている。
「なあアンタ! 何があったか知らねえが、ここはいったん落ち着いて話し合いを……」
「うるっさい!!」
ものすごい剣幕で怒鳴られ、翔太郎がたじろぐ。
「別に浮気や借金なんかで怒ってんじゃないわよ! そんなの今さらすぎて怒る気にもなんないわ!」
「そ、それじゃ、いったいどうしたって言うんだよ?」
「っ見てよコレぇ!!」
ヒルダが涙声で首を横に向け、翔太郎たちに後ろ髪を見せた。
これでも翔太郎、探偵としての洞察力はかなりのものである。故にすぐに気づいた。その艶やかな黒髪がヒルダの自慢であり、日ごろから大事に大事に手入れをしているのだろうということに。
そして理解した。なぜヒルダがここまで激怒しているのか。その自慢の黒髪は無残にも、うなじのあたりで焼け焦げボロボロだったのだ。
「あ……ああー……」
そういえば、と彼女の第一声を思い出す。
──アンタね、ザップ! さっきの炎出したのは!?
ここまでわかればもう何が起きたのかは明白である。横を見るとフィリップも同じ結論に達したようだった。
「なるほど。さっきのヤドカリを真っ二つにした時に、その余波で彼女の髪が燃えてしまったんだね?」
「ま、そういうこったろうな……」
「それはなんというか……お気の毒に……」
「おいいい!? じゃあ、ヘブッ、俺だけのせいじゃ、ボヴァッ、ねえじゃねえかよぉ! ブゲッ!」
一歩引いた目でことを見守る三人にザップが声をあげる。言うまでもなく瓦礫の往復ビンタは継続中だ。
「アタシがどれだけ髪を大事にしてきたと思ってんのよ! なけなしのお金でヘザリンのシャンプーとヘアオイル買って、毎日2時間かけて手入れしてんのよ! 週に一回の寄生機蟲トリートメントも、毎月のキューティクル保護術式も欠かさずにやってきたのにぃ!!」
ヒルダはついに泣き出してしまった。
「返してよお……! アタシの髪返してよお……!」
ちなみにザップはすでに泣いていた。
「助けろよぉ……! 見てないで助けろよぉ……!」
さてこのよくわからない修羅場をどうしたものか、と誰もが頭を悩ませていた。
そして、この時誰も気づいてはいなかった。間近に迫る本当の修羅場に。
「ヒ、ヒルダさんっ!!」
訪れた脅威に最初に気づいたのはレオ。
しかしレオが叫んだ時にはすでに遅かった。
ザップが反応するよりわずかに早く、
ヒルダの体が痙攣し、目を見開いて硬直した。
《ヘア》
どこからか聞き覚えのある声が響き、そして――
全員の視界が黒一色で覆われた。
◇
目を開けた時、飛び込んできたのは悪夢のような光景だった。通り一面が真っ黒な何かで覆われていた。その何かがぎらぎらと波打ち、うねる様子はまさしく漆黒の海そのものだ。その光景を上から見下ろしていた。
いつのまにか翔太郎はどこか平屋の建物の上にいた。目の前のビルの配置からすばやく割り出す。ここはリットマン時計店の屋根だ。
「な、なんだよこりゃ……!」
「さあな。皆目見当もつかねえ」
返事をしたのはボロボロのザップだった。その横には気を失ったフィリップとレオが倒れている。
全身をズタズタに切り裂かれたザップの姿を見て、翔太郎は自分たちが無事な理由に気づいた。彼が救ったのだ。レオが叫んだ瞬間に誰よりも早く動き、気を失った三人をおそらくは血のロープで抱え上げてここまで運んだのだろう。
「……借りが増えたな。俺はどのくらい気を失ってた?」
「5分かそこらだ。にしても……マジで何なんだありゃぁ」
翔太郎には思い当たる節があった。気を失う直前、確かに聞こえた声。間違いないはずだ。
ザップが訝しげな目を向ける。
「なーんか心当りがあるって様子だな」
「ああ、おそらくこの騒ぎを引き起こしたのは――」
言いかけた、その時。
「きゃああああ!」
翔太郎の耳に幼い悲鳴が聞こえた。
弾かれるように視線を向ける。そこには黒くうねる波の中、車の上に取り残された少女がいた。
黒い流れは次第に勢いを増している。このままではいつ飲み込まれてもおかしくはない。
「っ……くそ!」
考えるより先だった。気がついた時にはもう、翔太郎は屋根から飛び出していた。
すぐ下のトラックの屋根に飛び乗る。前を見るとうまい具合に車の屋根が飛び石のように少女の待つ車まで続いていた。
「ばっか野郎! 何考えてんだ!」
背後からザップの声が聞こえた。だが振り返ることなく翔太郎は前へと駆けた。足を踏み外せば蠢く黒い波に飲み込まれる。そうなればまず間違いなく命はないだろう。それはズタボロのザップを見れば明らかだった。それでも、翔太郎はわずかの躊躇も見せることなく前へと進んだ。
そしてついに――
「大丈夫か!?」
たどり着いた。うつむき震える少女の元へ。
「うああん……」
翔太郎に気づいた少女が顔をあげる。その顔には昆虫のような目が3つ付いていた。
「怖かったな。けど、もう大丈夫だ」
翔太郎はにっこりと笑い、異形の少女を優しく抱きしめた。
◇
その様子を見ていたザップはひとまず胸をなでおろした。自分ならばともかく、ただの人間にはあまりにも危険な行動だ。舌打ちと共に正真正銘のバカ野郎だと悪態をつく。
だが同時にザップは驚いていた。少女を見つけた時、翔太郎が自分よりも早く反応した。その事実に。
戦いの中、ザップの反射神経は
そのザップが、いくら戦闘中で無かったとはいえ生身の人間に後れをとったのである。
誰かを救う。その一点に、翔太郎はどれほどの強固な意志と覚悟を持って向き合っているのだろうか。その底の知れなさにザップの頬を一筋の汗が流れる。自分の所属する組織のリーダーと、少女を抱きしめる翔太郎が一瞬重なった。
「ったくなんてヤローだ」
ザップはジッポーを取り出し握りしめた。
「刃身の弐──
流れ出た血がみるみるうちに細く伸び、翔太郎に向かって空中を勢いよく走っていく。
「つかまれ!」
早いところ回収してこの騒ぎの原因を聞き出さねばならない。
しかし突然、黒い流れが津波のように伸びあがり、暴れ出した。上から覆いかぶさるように翔太郎と少女に襲い掛かかる。
「なっ……!?」
予想外の事態にザップが青ざめた。
百戦錬磨のザップは瞬時に判断していた。空斬糸が届くよりも、二人が飲み込まれる方が早い。
ダメだ。間に合わない。
◇
一方で、翔太郎も同じ判断をしていた。
そして間に合わないと悟った瞬間、翔太郎の体は再び勝手に動いていた。
「ザップ!!」
叫ぶと同時に抱きしめていた少女を放り投げる。
そこから先はすべてがスローモーションのように見えた。
宙を舞う少女の体を、先端を分裂させた空斬糸がしっかりと受け止める。
はるか遠くでザップが何かを叫んでいたが聞こえなかった。
目の前に真っ黒な塊が迫る。
自分はここで死ぬのか。フィリップを一人残して。
翔太郎が感じていたのは、恐怖よりも相棒への罪悪感だった。
(すまねえなフィリップ……でも、後悔はしてねえよ……)
わずかに残された視界の隅に、ザップに引き上げられる少女が見えた。
(ちったぁアンタに近づけたかな……おやっさん……)
翔太郎は静かに目を閉じた。
「ブレングリード流血闘術──117式!!
誰かの怒号が轟雷の打ち鳴らすがごとく響き渡った。
反射的に顔を上げた翔太郎。
瞬間、目前は深紅に染まり、天からの
翔太郎の前に降り立ったのは、見上げるほどの体躯を持つ赤髪の男だった。
男はその巨躯をも上回る巨大な深紅の十字架を掲げ、津波のように押し寄せる黒い塊をせき止めていた。
「君の行動はあまりに無謀だった」
腹の底が震えるほどの重く威厳に満ちた声が響く。
「己の命を捨てた瞬間、勇気は狂愚と成り果てその意義を失うこととなる」
言葉一つ一つがビリビリと存在感をもって翔太郎を圧倒する。
「――だが!」
男が振り返り、一切の揺るぎを排して高らかに言い放った。
「その愚かさを
男の名はクラウス。
クラウス・
最強の闘士にして、無類の紳士。
確固不抜の精神と頑健強固の肉体をあわせもつ英傑。
世界の均衡を守る超人秘密結社──『ライブラ』のリーダーである。
サブタイトルの元ネタはイギリスの詩人ウィリアム・クーパーの名言「神は田園をつくり、人間は街をつくった」です。
名言とかことわざをもじったタイトルってなんかかっこいいですよね!