仮面ライダーW 『Case of Chaotic City』   作:津田 謡繭

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きっと、誰もが気持ちを言葉で伝えられるわけじゃない


Maybe,not everyone can convey the heart in 『Language』

 ◇

 

 

 風都の、そして世界の命運をかけた戦いのさなか。炎に包まれた園咲の屋敷は、主である園咲琉兵衛(そのざきりゅうべえ)と共にすべてが焼け落ちた。

 一年を経て再びそこを訪れた時にはすでに瓦礫や残骸は撤去され、灰と炭跡をわずかに残すのみだった。

 その光景を見た時の気持ちを、フィリップはいまだにハッキリとした言葉で説明できない。

 

 懐かしさ? 違う。

 幼き日の記憶はすでに無く、思い出は記録という形でしか実感できない。確かにあったこの場所での日々も郷愁を感じるにはあまりに遠い。

 後悔? 違う。

 ガイアスペースで最後に出会った家族は、いつかのように皆で微笑んでいた。それだけで自分は胸を張って言える。園咲来人(らいと)ではなく、翔太郎の相棒フィリップとして、戦ったことに後悔などない。

 寂しさ? 違う。

 もう声は聞こえなくても。父は、母は、二人の姉は、地球の記憶の中でいつでも自分を見守ってくれている。それに自分には相棒が、大切な仲間たちがいる。だから寂しくはない。

 

 ひとつひとつ可能性を消していっても。そのどれでもない静かな感情がフィリップの心にはあった。

 隣に並ぶ翔太郎が何も言わず帽子を深く押さえつけたのを覚えている。声をかけてはこない彼のやさしさを感じたことも。

 

 屋敷の地下に隠し部屋が見つかったと照井竜に言われ、二人は再び園咲邸の跡地を訪れていた。

 二人ともが無言のまま、地下へと続く頑丈なつくりの狭い階段を降り、その部屋へとたどり着く。

 部屋の中には銀色の金庫がひとつおかれているだけだった。

 壊そうにも特殊合金製で傷もつかず、開けようにも電子錠にはパスワードが設定されていて、ミュージアムに関連したどんな言葉を打ち込んでも開かなかったらしい。

 その金庫を目の前にした時、フィリップはほとんど無意識で文字を打ち込んでいた。

 なぜその言葉を入力してみようと思ったのだろうか。

 これを遺したのがミュージアムの頭目ではなく、自分達の父としての、園咲琉兵衛であってほしいと。そう思ったのかもしれない。

 きっとこの中にあるものが唯一、形として残る父の遺品なのだろうから。

 

 RYUBE HUMINE SAEKO WAKANA RAITO

 

 軽い電子音とともに金庫は開いた。

 だが、中にあったのは家族の写真でも、大切な思い出の品でも、おおよそフィリップが淡く期待していたようなものではなかった。

 

 屋敷は焼け落ち、地下の遺跡は崩れ、その都度大きな衝撃がその部屋を襲ったはずだというのに、()()()は薄気味悪いほど綺麗に並んでいた。

 したたかに、息をひそめて。

 T-0ガイアメモリは扉が開くのを待っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「当然、俺達はそのメモリを破壊しようとした」

「でもできなかった」

「できなかった?」

 

 目の前のスティーブンが首をかしげる。

 

「ああ。ハンマーで砕こうとしても、刃物で切断しようとしても、まるっきり傷ひとつ付きゃしねえ」

「材質の問題じゃなくメモリの力そのものが破壊を防いでいる。そう考えた僕たちはメモリを外部の研究機関で調べることにした」

 

 T-0ガイアメモリは、超常現象の研究を主としていた鴻上(こうがみ)生体研究所に持ち込まれ、様々な検査をされることとなった。

 そしてその結果、メモリが内包するエネルギー量が従来のガイアメモリとは桁違いに多いことが判明した。

 

「通常のメモリに比べて、その内包エネルギーは数百倍。その余剰エネルギーが防護壁のようにメモリを守っていたんだ。それを考えれば、破壊できなかったのはむしろ幸運だった。下手に壊せばあふれたエネルギーが爆発して街ごと吹き飛んでもおかしくはなかったからね」

「マジっすか……」

 

 話を聞いていたレオの横顔を冷や汗がつたう。

 と、スティーブンがさらに首をひねった。

 

「それはおかしくないか? 君らがミスヒルダを攻撃した時は、そんな爆発は起きなかったんだろう? メモリだってもののみごとにバラバラじゃないか」

「まあ待てってスティーブンさん。その辺についてもフィリップがちゃんと説明する」

 

 翔太郎がフィリップに目くばせをする。後の説明は任せた、ということらしい。

 どういうわけか、翔太郎はスティーブンに苦手意識を持ったようだった。顔を合わせた時から妙にそわそわして、なるべく目も合わせようとしない。

 不思議に思いながらも軽くうなずいてフィリップは説明を続けた。

 

「もうひとつ。T-0ガイアメモリにはある特性があった」

 

 それが明らかになったのはメモリを研究員が運んでいた時のことだった。

 ケースに収められたメモリの一本が突然ケースを突き破り、あろうことか勝手にその研究員に取り込まれたのだ。

 

「僕たちはすぐに変身してドーパント化した研究員と戦ったが、予想した通り、かなり苦戦した」

 

 通常の数百倍のエネルギーを持ったメモリ。それを取り込んだドーパントの力はミュージアムの幹部クラスに匹敵した。

 しかもメモリ自体が純粋な戦闘力に特化したものであったためにW単独では苦戦を強いられた。

 結局、風都警察の刑事である照井竜の変身する仮面ライダーアクセルと共闘して、ようやくメモリブレイクに成功したのである。

 

「メモリブレイクの際、体外に排出されたメモリはそのまま砕け散った。おそらく、人間をドーパント化させるためにほとんどのエネルギーが使われてしまったからだ、と僕は考えている」

 

 スティーブンが、ふむ、とつぶやいて腕を組んだ。

 

 膨大なエネルギーとそれに反して効率の悪い変換システム。

 翔太郎とフィリップがこのメモリが最初期につくられたものだと判断したのはその二点からだ。

 研究の成果か偶然の産物かはわからないが、T-0ガイアメモリを創り上げた園咲琉兵衛は、それを基にして量産ガイアメモリの開発を進めていたのだろう。

 制御が効くようエネルギー量を減らし、なおかつ十分な出力が出せるように改良されたもの。それが風都に出回っていたメモリだと考えられる。

 そしておそらく、自ら適合者を探す特性とメモリブレイクでは破壊されない防護性能をそのままに、財団Xによって調整されたのがあのT2ガイアメモリだ。

 ある程度T-0ガイアメモリの正体はつかめた。

 しかし、それをどうするかという問題は残ったままだった。

 

「だったらよ」

 

 横からザップが口をはさむ。

 

「片っ端から誰かに突っ込んでドーパントにしちまえばよかったんじゃねえか? そうすりゃ安全にぶっ壊せんだろ?」

 

 翔太郎とフィリップにしてみれば、ずいぶんと乱暴な意見(というよりまずありえない選択肢)にも聞こえるが、ここまでの話でその結論に至るのはそうおかしなことでもない。事実、レオはポカッと口を開けて「ああ、そっか」という表情をしている。

 が、目の前に座るスティーブンは、()()()もしっかりと理解しているようだった。

 

「そうもいかない事情があるんだろう」

 

 腕組みをほどいて、前のめり気味に両手を口元で合わせるスティーブン。

 

「今までの話からして、だ。君らはザップの言ったような、もったいない精神でメモリを保管してたわけじゃないんだろ? 壊す方法がわかってなお、保管という手段を選択したからにはそれなりの理由があった。違うかい?」

「その通りだ。スターフェイズさん」

 

 フィリップはスティーブンの方に向き直り、自身もやや前のめりになって説明を再開する。

 

「ガイアメモリの使用には副作用が存在する」

「具体的には?」

「ドーパントへの変身をくりかえすうちに、メモリの毒素とでもいうべきものが体に回っていく。それに侵されれば、攻撃的な思考や極度の破壊衝動、メモリの力を使うことへの依存症状などが現れる。時には肉体までも浸食され、命を落とすことも……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 

 声を上げたのはレオだった。

 

「そんなの……まるっきり麻薬と同じじゃないですか……!」

「ああ、その通りだ」

 

 翔太郎が帽子を深く押さえつける。

 

「そんなものが俺達の街にバラまかれてたのさ。風都でメモリを使ったやつらの中にはまだ制服着てるような子供もいた。大人も子供も、被害者も加害者も関係なしに人を傷つける。それがガイアメモリだ」

 

 帽子で目元を隠してはいるが、その口調から苦々しい表情が伝わって来た。

 

 ガイアメモリに関して翔太郎が口を開く時、フィリップはどうしても言い知れぬ息苦しさを感じてしまう。

 もちろん、翔太郎の憤りは純粋に風都を愛するが故のものだと、十分すぎるほど理解している。彼の信条が「罪を憎んで人を憎まず」であり、もう園咲に対して禍根を残しているわけではない、ということも。

 だがそれでも、考えずにはいられない。

人類種の永久繁栄(ガイアインパクト)』という大義に憑りつかれ、自分の家族が行ってきた非道に、後ろめたさを感じずにはいられないのだ。

 それは風都や翔太郎達と同じくらい、家族を大切に思っているが故に。

 この葛藤を打ち明けた時、翔太郎はうつむき気味に背を向けて、小さく「馬鹿野郎」とつぶやいただけだった。

 その時はそれだけだったが、その後も彼はずっとフィリップにかける言葉を探していたのだろう。

 

「俺はお前の相棒だからよ。その苦しさは半分背負ってやる。だけどな、お前の中でくすぶってる何かは……たぶんお前が自分で答えを見つけねえといけない『何か』なんだ」

 

 そう言ってきたのは、ずいぶん後のことだった。

 ガレージでひざを抱えるフィリップに、背をもたれるようにして。

 翔太郎は今にも泣きそうな目をしていたんだろうと思う。

 背中合わせでもわかってしまったのだ。フィリップの相棒は、きっと誰よりも優しい人間なのだから。

 

「どうした?」

 

 険しい顔で押し黙ってしまったフィリップに、スティーブンが声をかけた。

 フィリップはハッと我に返る。

 

「あ、いや……少しぼーっとしていただけで……」

 

 視線が揺らぎ、つい隣を見てしまう。

 いけない。気持ちを切り替えよう。自分が沈んでいる間は、きっとあの言葉通り、翔太郎も同じ息苦しさを感じているのだろうから。

 そう思ってフィリップは軽く深呼吸をした。

 

「話を続けてもらってもかまわないかな?」

「ああ」

 

 顔を上げ、再びハッキリとした口調で話し始める。

 

「さっきも話したように、T-0ガイアメモリは通常よりもはるかに強力な力を持っている。つまり──」

「副作用もそれ相応ってことか」

 

 スティーブンの言葉に合わせてフィリップは大きくうなずく。

 

「例の研究員は、ドーパントになって1時間もしないうちに、破壊衝動にまかせて暴れ始めた。異常な速度でメモリの力に呑まれていったんだ。おそらく、一晩もすれば完全に自我を失っていただろう。そうなればもう助けられない。メモリに命を食い尽くされるか、メモリブレイクとともに消滅するかしかない」

「なるほど。確かにドーパント化のリスクは大きい。だから破壊を一時あきらめ、保管することにした、というわけか」

「ええ……」

 

 その時、フィリップの背筋にぞわりと悪寒が走った。

 スティーブンの目に一瞬だけ宿った、氷のように冷たい光。まるで「いざとなれば捨駒(それ)も選択肢ではあるな」とでも考えているような。

 だがそれはほんの一瞬で過ぎ去ったために、フィリップには悪寒の正体はわからなかった。

 ため息をつきながら頭をかくスティーブンは、もう元の優男に戻っていた。

 

「だが、けっきょく保管場所は襲われて、メモリは全て強奪。最終的にそのヤバいメモリがヘルサレムズ・ロットに持ち込まれた、と」

「かいつまんで説明するとそういうことになるね」

「やれやれ。まったく大変な厄ネタだな。モノによっちゃ神に等しい力を与える手のひらサイズのガジェットが、街中にバラまかれてるってことか。それも使用後約一時間で自我崩壊っていうオマケまでつけて」

「だからこそ、被害が出る前に事を治めなければならない」

 

 それまでスティーブンとフィリップのやり取りを押し黙って聞いていたクラウスが立ち上がった。

 

「我々ライブラも全力をもってガイアメモリの捜索に協力しよう」

「いや、そうは言うがなクラウス」

 

 決意固くこぶしを握るクラウスに対し、スティーブンは困り顔だ。

 

「今、こっちもこっちでかなり立て込んでる。昨日だけでもすでに非常事態報告が3件だ。とてもじゃないが、どこにあるかもわからんメモリの捜索に人員をあてがえる状況じゃないぞ」

「なあ、レオ。お前の眼でよ、簡単にメモリの場所見つけられんじゃねえか?」

 

 と、ザップ。

 レオがそれに答える。

 

「それが、どうもメモリの力が発動してるときじゃないとあのオーラみたいなの見えないんですよね。街レベルで視界ジャックすれば、いくつかは見つけられないこともないんでしょうけど、たぶんドーパント以上の大混乱になるでしょうし、何より俺の眼と脳がもたないっす」

「なんだよつかえねーな。肝心な時に役立たずじゃねーか、地味ィ陰毛モジャヘッド」

「なんだこの人もうはやく死なないかなホントに」

 

 不毛すぎる口論をよそに。

 

「ふむ……」

 

 顎に手を当て考え込むクラウス。

 と、そこに翔太郎が口を出した。

 

「だったら旦那。俺達もライブラの活動に協力するぜ。その代わり、手が空いた時にはこっちのメモリ捜索を手伝ってくれ。そういう交換条件ならどうだ」

 

 フィリップは心の中で「イイ提案だ」とうなずいた。

 さすが、こういう交渉事(つなぎ)は安心して任せられる相棒である。

 

「正直、この街の情勢についちゃサッパリだが、荒っぽいことの手助けならそれなりに役に立てるはずだ。アンタ達の力になりたいってのは、もともと考えてたことだしな」

 

 どうやらクラウスにしてみても、この提案は願ったりだったようで。

 

「……うむ。そういうことならば、こちらとしてもありがたい」

「お、おいおいクラウス……!」

 

 快諾したクラウスにスティーブンが目を丸くする。

 それもそのはずか。簡単な事情の説明しかされてないスティーブンはWのことを知らないのだから。

 

「イヤ、大丈夫っすよスターフェイズさん」

 

 困惑するスティーブンにザップが言う。

 

「こいつら、こう見えてそれなりに()()()()。俺や旦那ほどじゃないにしろ、使えねえことはないと思いますよ」

「なんだザップ。珍しいな。お前がそんな風に素人を褒めるのは」

「実際、昼間の事件の時もこいつらがトドメ刺したわけっすからね」

「ふむ。そういうことなら、協力を頼むのもアリか……」

「まあ戦ってるときはフィリップさんぶっ倒れちゃうらしいんで、そこが問題ではありますけどね」

 

 レオの捕捉に、納得しかけていたスティーブンの頭上に再びクエスチョンマークが浮かんだ。

 

「ああ、ちょっとややこしいんだが……」

 

 翔太郎が立ち上がってWの説明に入る。

 とりあえずは、変身方法から大まかな仕組みまで。かいつまんで。自分達の使うガイアメモリの説明も交えつつ。

 

「そういうわけで、確かに変身中、フィリップの体は無防備だ。だけどそのあたりはフィリップが安全な場所で変身できりゃ問題はねえ。それこそ、この事務所内でもいい」

「なるほど。だいたいは理解した。ただちょっと、新しく疑問ができたんだが──」

 

 スティーブンはなんともいえない苦い表情でザップとレオを見た。

 

「──なんであいつらは喧嘩を始めたんだ……?」

 

 その視線の先では。

 

「んだからジェネラルBだっつってんだろ!!」

「いーや絶対Dr.ツインですって!!」

 

 ザップとレオがWの見た目について再びギャアスカと言い争いを始めたところだった。

 

「いや別に、あの二人が不愉快極まりない騒音と愚論を周囲に垂れ流していること自体は、さほど珍しいことじゃないんだがな」

 

 見つめるその目は先ほどとはまた別の意味で冷ややかだ。

 

「ホラ、なんというかあれだ。すぐ横で全然知らない言語で騒いでる人間がいると、普通に騒がれるより気になるというか、絶妙に不快感が増すだろう? 今あの気持ち悪さを感じてるんだ。わかってもらえるとうれしいんだが」

 

 わかったようなわからないような。

 これまたなんともいえない面持ちで、翔太郎が発言する。

 

「どうも俺達が変身した後の見た目が似ているのはどっちのキャラだっていう話らしいんだが……俺にもよくわからねえんだよな……」

 

 今度は三人で、大きくため息をつく。

 ほとんど同時に見かねたクラウスが無様な取っ組み合いを止めに入った。

 

「やめたまえ二人とも。今は仲間同士で争っている場合ではない」

 

 そんな大仰な話でもないとは思うのだが。

 クラウスの両腕にそれぞれぶら下げられたザップとレオに、スティーブンが不思議そうに問いかける。

 

「どうでもいいんだが、二人ともなんでそんなにコミックヒーローに詳しいんだ。レオだけならまだしも、ザップまで。お前、そんな趣味があったのか?」

「いや違うんすよ……。子供への土産にって、姐さんにあっちこっちグッズショップ引き回されたせいでなんか覚えちまったんすよ……」

「僕も似たようなもんです……。K・Kさんにいろいろ連れまわされてるうちに……」

 

 どうやらこの二人。K・Kという女性(イニシャルだろうか?)に振り回されたあげくに、特に興味のないヒーローもののキャラの名前と容姿を暗記するに至ったらしい。

 そんな思い入れも何もない題材で、よくあれだけ恥も外聞もかなぐり捨てたみっともない口論ができるものだ、とフィリップは変なところで感心してしまう。

 スティーブンは「そんなことだろうと思った」と鼻を鳴らし、パンパンと手を叩いた。

 

「じゃ、ひと段落付いたところで。そろそろ仕事を始めようか。さっきも言ったように、今日は非常に立て込んでる」

「翔太郎君とフィリップ君も、聞くだけでも聞いておいてほしい」

 

 スティーブンとクラウスにうながされ、翔太郎とフィリップ、レオとザップは、再びソファに腰を下ろした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 彼は皆からオッドと呼ばれていた。呼び名の理由は単純で、彼の目がブルーとゴールドのオッドアイだったからだ。

 オッドはNY大崩落以前からこの街に暮らしていた。3年前のあの日以来、街の様子は大きく変わったが、オッドの生活はとくには変わらなかった。

 見るものすべてが新しかったのも過去の話で、今となっては退屈で何の生産性もない日々だ。毎日毎日、ため息をつきながら生きていた。

 

 ある日、オッドは誰かが言い争う声で目を覚ました。

 見に行ってみれば、路地で男女二人が騒いでいた。一人はいかにも頭の悪そうな褐色のチンピラだった。もう一人の女の方は──

 

 彼女を見た瞬間、オッドの全身にビリビリと何かが駆け巡った。土色だった世界が極彩色に染められ、鼓膜に響く心臓の音が甘美なファンファーレに変わった。

 生れてはじめての、恋だった。

 彼女はそのまま路地の奥にある扉へと消えていったが、目には彼女の姿が焼き付いていた。

 

 それからオッドの日々からため息が消えた。

 結局、姿を見たのはあの日だけだったが、それでも彼女のことを考えるたびに心がおどった。

 そんなある日。なにをするでもなく街を散歩していたオッドが、なんとなく空を見上げた時。そこに彼女の姿があった。

 思わず叫んだ。通行人たちは笑いながらオッドを見たが、そんなのはまったく気にならなかった。

 ビルから電柱へ。電柱からまた別のビルへ。軽やかに空を駆ける彼女は天使のように見えた。

 彼女はそのまま高層ビルの最上階のテラスに降り立ち、中へと入っていった。

 

 それからオッドの日々は再びため息であふれた。

 暇さえあればあの場所へ向かい、そびえるビルを見上げる毎日。

 時たま、華麗に空を舞う彼女を見かける。だがそのたびにオッドはため息をつくのだった。

 彼女を思うこの気持ちをどうにか伝えたかった。

 けれど、そんなことはできるはずがないとオッドはわかっていた。

 彼はこれまで自分から異性に声をかけたことなどない。そんな勇気が自分にあるとも思えない。

 それに自分がいくら愛を叫んでも、それが彼女に届くことはないようにも思えた。あの澄んだ瞳が自分を見てくれることなどありはしないのだ。

 伝えられない思い。

 届かない言葉。

 それがオッドの心を締め付けた。

 

 今日もオッドはあのビルの下へ向かう。

 その時、コッ、と何かを蹴飛ばした。

 なんだろう? 細長い()()にそっと触れる。

 ()()はオッドをじっと見つめていた。

 

 ツタエタインダロウ? 

 

 ()()が語りかける。

 

 ツタエタイナラ、ウケイレルンダ。

 

 オッドはうなずき、()()に触れた手に力を込めた。

 

 《ランゲージ》

 

 そして、彼の世界は再び変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ずいぶんとご都合な設定になってしまった気もしますねT-0ガイアメモリ。大丈夫かな笑

オッドの恋するあの人は次回登場です。おたのしみに!

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