あの海峡の先へ   作:和 水

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 その“いつか”は、すぐにやってきた。

 いつものように仕事は演習だけをこなすだけの、普段通りのつまらない日々を送っていた身にとってみればまさに青天の霹靂と言うべきものだった。

 この鎮守府の責任者であり、自分の上司である男の報告に、集められた艦娘の誰もが息を飲み、その言葉に耳を傾けた。

 ある者は口元を抑え、ある者は自分自身を抱きしめる。怯えた表情で男を見る者や、ぎゅっと握りこぶしをつくる者。そして、いつもと変わらない表情で、じっと耳を澄ましている者。

 どんな思いで、その海の名を聞いたのだろう。

 

「――次に、この海域に挑む編成を発表する。駆逐艦、山雲、朝雲、満潮、時雨。重巡洋艦、最上。戦艦、扶桑、そして旗艦に……山城」

 

 自分の名を告げる声すら遠くに感じながら、ただただ、その海の名を震える眼で見つめていた。

 

 

 ――あの悪夢の、スリガオ海峡の名を。

 

 

  ◇

 

 

 

「え……っと。お互いに自己紹介……はいらないわよね?」

「当たり前でしょ?」

 

 恐る恐る呟いた言葉に、間髪入れずに返答が帰ってくる。

 何馬鹿なこと言っているのよ、と呆れた表情で満潮が言葉を投げつけてくる。その強気な言葉に多少頬がひきついたが、それもそうだ、とすぐに納得する。

 そもそも同じ鎮守府で、どれだけ一緒に働いていると思っているのか。皆、それぞれの顔と名前くらい知っている。

 というのに、皆初めて会ったかのようにどこかよそよそしい。落ち着かない様子で、お互いの顔を見やったり苦い表情を浮かべたりしており、重い雰囲気が漂っていた。

 

 それも仕方がないのかもしれない。

 繰り返しになるが、艦娘とは在りし日の戦船の魂を受け継いだ乙女たちのことであり、その艦の記憶や想いも一緒に受け継がれている。

 自己紹介などせずとも、仮に今が初対面だったとしても、皆の名前など確認せずとも分かる。この艦隊の組み合わせが、どういうものであったのかも。

 

 第一遊撃部隊第三部隊。――通称、西村艦隊。

 

 皆、あの地獄の夜を共に戦った仲間である。

 そして、壮絶な結末を辿った艦隊でもある。

 

 皆、やはりそのことを意識しているのか、不安げに山城を見つめてくる。山城に突っかかった満潮も言葉とは反対で眉が少し下がっているのが分かる。それでも強気でいようとするのは彼女の意地なのかもしれない。

 朝雲と山雲は寄り添うような形でお互いの手を握っており、最上は苦笑いを浮かべ頬を掻いているが、片方の手は強く拳を握っている。

 そして時雨は、こちらを見ようともせず、足元を睨み付けていた。表情は窺えないが容易に想像はついた。

 どうしよう、と姉に助けを求めるように視線をやると、笑顔で頷くだけで終わった。どうやら、助けてくれるつもりはないらしい。扶桑は、こういう時は厳しく、甘えさせてくれないのだ。

 

(不幸だわ……)

 

 小さく溜息をつきながら、言葉に出さず自分の口癖を呟く。

 何で自分が旗艦なのよ、と鎮守府の最高責任者である男に向けて呪詛を飛ばす。――わざわざ失敗した歴史をなぞらなくてもいいのに、と。

 

「自己紹介はいらないとは言ったけど、一応私だけ。今回の大規模作戦。その中枢戦力である“第一遊撃部隊第三部隊”、その旗艦を拝命した戦艦山城よ。まぁ……よろしく」

 

 山城の挨拶に口々によろしく、との声が返ってくる。何とも言い難い気恥ずかしさを感じてしまい、思わず皆から目を逸らしてしまう。

 

「それじゃあ、提督からの作戦指示、それを完遂させるための訓練を行うから、皆励むように」

 

 事務連絡を行うかのように淡々とした声が適当に感じたのか一部の駆逐艦――言うまでもなく満潮だが――が睨み付けてくるが、特段文句も言わず指示に従うように移動を始めた。

 

(なんだかんだ、満潮は言うこと聞いてくれるのよねぇ)

 

 ツンツンした態度で何かと火種を作っている印象の満潮だが、実際は真面目であり上の命令には必ず従う。態度に出てしまう癖さえ無くせば、誤解されることもないだろうに、と呆れの目線を向けてしまう。それに気づいたのか、振り返り「何よ?」と睨んできた。

 

「なんでもないわよ。ほら早く移動して。時雨も」

「え? あ、ああ。ごめんね」

 

 周りが移動を開始し始めても、それに気づかず俯いていた時雨の肩を叩き行動を促す。

 驚いたように身体を震わせた様子からして、どうやら山城の話も聞いていなかったようだ。それ程までに時雨は1人、顔色が浮かばず下ばかり見ていた。

 満潮もその時雨の様子に気づいていたようで、何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も声に出さずに口を結んでしまった。結局、「行くわよ」と時雨が横に並ぶまで待ってから声をかけた。時雨も、それに「ありがとう満潮」と返し、ともに歩いて行く。

 

「さあ、山城。私たちも」

「はい、姉さま」

 

 扶桑の声に、ようやく自分も足を動かす。

 ふと空を見上げると、青く綺麗な空が続いていた。

 空はあんなに青いのに、と姉の口癖を思い浮かべて、周りに聞こえないほど小さな溜息を漏らす。溜息をつくと幸せが逃げるとは言うが、そんなこと今更よ、とでも言うかのように何時ものセリフを呟く。

 

「不幸だわ……」

 

 

 

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