ただし、あくまでも私を基準にしてですが。
快適な馬車の旅が始まって早数時間。
気が付けばとっぷりと日も暮れ、オルクス大迷宮を要する宿場町ホルアドも目と鼻の先。
日が暮れてしばらくたつとはいえ、深夜になる前に着けたのは僥倖だろう。
大きな街が近いこともあり、ホルアドへと向かう人や馬車の灯りがチラホラ。
そんな人の営みに紛れ込みつつ、立香はかつてない緊張感を味わっていた。
数多の苦難、いくつもの修羅場を潜り抜けて来た彼だが、根っからの一般人であり庶民。
怖いものは怖いし、危険が間近に迫れば緊張もすれば足が竦みもする。
その上で一歩を踏み出せる資質を、彼と契約した英霊たちは“得難い”と認めているのだ。
とはいえ、今の場合そんな御大層な話とは何の関係もない。
立香の緊張の理由。それは……
「……あ、んぅっ…んっ! ぅん……ぁ、あぁっ!」
背後から聞こえる喘ぎ声が原因だった。
魔力が全身を駆け巡り、脈動しながら閉じていた経路を押し開く感覚は独特なもの。
その感覚に翻弄され、熱を帯びた体で香織は必死に耐えているのだろう。
そんな中から零れた声に反応し、劣情を催すなど最低だ。
そう、最低だと理解している。
理解はしているのだが……
「はぁ、はぁっ……ふぁっ! は、ぁ……っ! だ、め……耐えなきゃ、これ…くら、い……んんっ!!」
本人は耐えようと頑張っているのだろうが、こうも艶めかしい声で喘がれては……。
立香とて健全な青少年。正統派美少女の香織にこんな声を出されては反応してしまいそうになる、色々と。
今も前かがみになりそうな自分を何とか抑え込んでいるのだ。むしろ、よく頑張っている方ですらある。
ただ、多少モジモジしてしまうのは許してほしい。
(き、気不味い……)
不謹慎だし、最低だと自覚しているからこそ、背を向けてせめて見ないようにしているのだが、湧き出る罪悪感が和らぐわけではない。
まぁ、見えないからこそ逆に反応してしまったり、妄想してしまったりする部分もある。
実際、本人の意思とは無関係に、脳内では背後の香織の様子がかなりの精度で描かれようと……
(ぶるっ!?)
したところで、背筋が粟立つ。まるで、突然背中を冷水が伝ったかのような悪寒。
ゆっくりと、おっかなびっくりで視線を真横に向けてみれば、そこには眼鏡を「クイッ」と直す
薄暗い筈なのに、なぜか光が反射してメガネを隔てた目は見えない。
ただ、そこから向けられる視線の冷たさだけは本物だった。
(ジ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~)
軽蔑とか嫉妬とか色々混じった極寒の視線がチクチク刺さる。
ただでさえ持て余していた罪悪感が、最早噴火の勢いで湧き上がってくる。
別に悪いことなど何もしていないはずなのだが、まるで浮気現場を見つかったかのような心境だ。
そんな主に、何とも言えない生暖かい眼差しを送る二人の心境はと言えば……
(若いな)
(若いねぇ)
この一言に尽きるのだった。
ちなみに、この時フォウが何をしていたかというと。
「フォウフォウ」
横たわる香織の傍につき、柔らかな肉球でその頬をプニプニしていた。
たぶん、苦しそうな彼女を心配しているのだろう。
決して、喘ぐ美少女を間近で堪能しているわけではない。きっと、恐らく……たぶん。
「おっ…………門が見えて来たぞ」
「そうか。では、そろそろ仕上げといくか。マシュ、白崎嬢を」
「…………」
「はぁ……マシュ」
「え? あ、はい! わかりました!」
(助かった……)
「先輩」
「え? な、なに?」
「あとで ゆっくり オハナシ しましょう ね」
「…………………………はい」
エミヤに促され、マシュはまだ自力では起き上がることのできない香織を助け起こす。
エミヤはエミヤでなぜか刷毛やら銀ベラやらを構えノリノリの様子。
「お前、ホントなんでもできるよなぁ……」
「できることができるだけで、別になんでもできるわけではない。これの場合、生前変装や潜入が必要な場面もあって身に付けただけだ。生憎、暗示や幻術でだまくらかせるほどの腕はなかったのでな。
とはいえ、それでもどこぞの侠客の足元にも及ばんが」
呆れ顔の同僚に、「なんでもない」と言わんばかりの態度。
本心からの言葉なのだろうが、それにしても色々芸達者な男である。
まぁ、いろいろと便利なので、別に文句はないのだが。
「そいじゃ、マスター。俺はそろそろ
「私もこちらが終わり次第、霊体化するのでそのつもりでいてくれ。あとは、手筈通りに」
「わかった」
クー・フーリンから手綱を預かり、少し不慣れな手つきながら馬車を門の方へと進ませる。
背後では、着々とエミヤの手による変装が進んでいることだろう。
ホルアドまでの道中で相談した結果、二人には変装をした上で立香の奴隷という扱いになってもらう事になった。
亜人族は魔力を持たず、またステータスプレートを手に入れる手段もない。
その関係から、奴隷として買われたばかりだとプレートを所持していなかったとしても不思議はない。
このあたりの事情を利用し、エミヤの手でハリウッドばりの特殊メイクを施せば…という案が可決された。
さすがに明るい日中だと、本物を間近に見たこともあるであろう門番を欺くのは難しいかもしれない。
しかし、幸いなことに今は日も暮れた夜。乏しい灯りの下では、多少の違和感は闇に紛れてしまう。
しかも、一人は苦しそうに喘いでいるのだ。奴隷の一人が体調を崩しているとでも言っておけば、深く詮索されることはないだろう。
香織が苦しげに喘いでいるのは本当のことなので、演技の必要もない。
ただまぁ、立香としては自分の外聞やらなんやらがちょっとだけ気になってしまうのだが。
なにしろ、二人が掛け値なしの美少女であることに変わりはないのだから。
いくら暗くても、恐らくこの点だけは騙せないだろう、門番の『男の本能』的に。
(ケモミミの美少女奴隷を二人も連れた若い男、しかも一人は苦しそうに喘いでる…って、絶対変な想像されるよなぁ……いや、俺の風評くらいどうでもいいんだけどさ)
嘘とは言え、二人を奴隷として扱わねばならないことには罪悪感がある。
それとは別に、男として名誉なようで不名誉な、あるいは不名誉なようで名誉な誤解をされることに、なんとも微妙な表情になる。
今も背後では着々と変装が進み、手の込んだことにわざわざ襤褸切れのような服を着て、さらに薄汚れたメイクまで施されていた。薄暗い状況も相まって、「ちょっとイケナイ」感じが強調されている。
(ここで振り返るのは……きっと地雷だ)
研ぎ澄まされた危機察知能力が、絶対に振り返ってはいけないと告げている。
ファンタジーとエロスの同居した眼福な光景を目にすることができるだろうが、代わりに失うものが大きすぎる。
きっと、ここで振り返った瞬間、先ほどとは比べ物にならない軽蔑の視線が向けられるに違いない。
ちょっともったいない、なんて思ったりもしつつ、マシュを敵に回す愚だけは犯すまいとあらん限りの自制心を発揮する立香なのであった。
* * * * * * * * *
翌日、早朝。
無事にホルアド入りを果たし、柔らかな……とは言い難いベッドで一夜を明かした一行。
クリスタベルが好意で見立ててくれた上物の馬車を早々に手放すことには抵抗があった物の、探索に何日かかるかわからず、世話をしてやる余裕もない以上は持ち続けているわけにもいかない。
人を見る目に関してもかなりのものがある立香が選んだ店で、内心クリスタベルに感謝と謝罪の念を送りつつ、馬車を売却。
その資金も使って保存食をはじめとした探索に必要な品々を揃え、立香は大迷宮手前の入場ゲートに並んでいた、ただし一人で。
妙に荷物が多いこともあって胡乱げな目で見られたりはしているが、特別詮索はしてこない。
それなりの装備に身を包んでいるし、一応心得のありそうな動きをしているからだろう。
気休めにしかならないとはいえ、武闘派の英霊たちに教えを乞うたのも無駄ではなかったらしい。
「オルクス大迷宮へようこそ。ステータスプレートの提示をお願いします」
ほどほどに美人な受付嬢が愛想良く笑いかけてくる。
毒とトラブルだけでなく美人にも耐性のある立香は特に動じた様子もなく、手に入れたばかりのステータスプレートを渡す。もちろん、数値や技能欄は伏せたままで。
ただ、それでも年齢や性別、天職にレベルは見えてしまう。
受付嬢の眉がピクリと動き、訝しそうに立香へと視線がうつる。
「レベル1、ですか?」
(コクリ)
「ここは大迷宮、生命の保証はできません。正直に申し上げれば、無謀かと」
レベルの低さから苦言を呈されるのも想定の内。
実際には何を言ってるかわからないが、様子から見て想像はつく。
そこで、懐から紙とペンを取り出し、その場でサラサラと書いて……いるように見せる。
実際には、朝の内に「言語理解」の技能を持つ二人に手伝ってもらい、こちらの世界の言語で書いた文字の上をなぞっているだけだが。
内容としては「自分は見習い兼荷物持ちで、買い出しに時間がかかってしまったので仲間は先に行っている」といった内容だ。自分で話さないことに眉を顰められるが、二枚目を出して「初対面、特に美人相手だと緊張してしまうので」とも追記した。
一応事情も分かり、悪い気もしないとあって納得してくれたらしい。
「わかりました。とはいえ、迷宮内は魔物が蔓延っているので十分に気を付けてください」
(コクリ)
「確認ですが、初めての挑戦でお間違いありませんね」
(コクコク)
「それでは、こちらで注意事項の説明をいたします。その後に同意書へサインをしていただくので、ご了承ください」
このあたりの流れはマシュたちに聞いていたので、言葉がわからなくても問題はない。
注意事項の説明を受けながら「同意書にサインさせるって、訴訟とかでもあったのかな」なんて思考が横道に逸れたりはしたが。
まぁ、そもそも何を言ってるかさっぱりわかっていないので、説明の意味もないのだけど。
いくら立香でも、一日二日で未知の言語を習得することは無理だった。
そんなこんなで諸々の手続きを終えた立香は、ようやく大迷宮への第一歩を刻む……
(っと、そろそろかな?)
前に立ち止まり、後ろを振り返る。
すると、入場ゲートを隔てた少し先で、突然何かが砕ける音がした。
「な、なんだぁ!? 何が起こった!?」
「冒険者同士の喧嘩らしいぞ?」
「おいおい、どんなバケモノ同士の喧嘩だよ。黒……いや、金か?」
「離れろ! 近くにいると巻き込まれるぞ!」
「なんだってんだチクショー!」
いい感じに大混乱である。
人垣もあって詳しいことは見て取れないが、一瞬赤と青、二色の何かが交錯するのが見えた。
つまり、あの二人が入場ゲート付近で暴れているという事だ。
いくら仲が悪いとはいえ、無暗に喧嘩を始める二人ではない。
なら当然そこには理由があり、目的がある。それは……一言でいうなら“陽動”だ。
「お待たせしました、先輩!」
「よし、混乱してるうちにさっさと行こう。二人も適当なところで切り上げてくるだろうし」
「はい!」
香織を抱えたマシュが、入場ゲートを飛び越えて立香の隣に立つ。
雫の動きは想定していた以上に早く、なおかつ油断がなかった。
ホルアドについた頃には、既に香織とマシュの似顔絵が出回っていたのである。
一応変装していたので見咎められはしなかったが、入場ゲートの強行突破はよろしくないと判断せざるを得なかった。マシュと香織が迷宮に入ったことがバレれば、雫たちも追ってくるだろう。回復役の一人を欠いた状態で無理をすれば、それこそ命が危ない。
なので、エミヤとクー・フーリンに陽動を仕掛けてもらい、その混乱に乗じてマシュが香織を抱えて侵入。という策が講じられた。立香が一緒でなかったのは、この方がより確実だと判断したから。
存在を知られていない立香に関しては隠蔽する必要もなかったので、これで十分。
「……戻って、来たんだね」
「香織さん」
「さぁ、行こう。南雲君を探しに」
「…………はいっ!」
強い意志を感じさせる眼差しで入り口を見上げる香織を促し、三人は一足早く大迷宮へと入っていく。
* * * * * * * * *
陽動に当たっていた二人が霊体化して追いつき、本格的な探索に入るまでそう時間はかからなかった。
ただ、ある程度想定していたとはいえ、それでも思いのほかこの迷宮探索は骨が折れそうだ。
「これは、中々に厄介なことになりそうだ」
「だなぁ」
ぼやく赤と青の二人に、残る三人が首をかしげる。
「問題はこの縦穴だ。マシュ、これがその南雲
「はい。南雲さんが落ちたのは、20層で発見したトラップによって転移した場所の縦穴でしたが」
「えっと、確か場所は……三十層半ばって雫ちゃんが言ってたと思います」
「となると、それでも65層はあるという事か」
「こいつはがっつり時間がかかりそうだなぁ」
「あの、それはどういう事でしょう?」
「これだけの縦穴だ。恐らく、ほぼすべての層と接していると考えるべきだろう、違うか?」
「……はい。思い返してみれば、いくつかの階層でこの縦穴を見た覚えがあります」
「そのなんとかって坊主が一番下に落ちてるんなら俺らも下まで降りればいい。だが、もしどこかで引っかかってたりしたらどうだ? 下から登っていくか、それとも上から降りていくか、どっちの方がマシかねぇ?」
「なるほど。つまり、縦穴に面しているすべての層を隅々まで調べなければならない、と」
「こっちには俺と香織さんがいるから、二手に分かれるのも危ないもんなぁ……」
「……」
オルクス大迷宮の各階層の広さは、四方数キロにも及ぶ。
しかもただ数キロ四方に広がっているわけではなく、複雑に通路が入り組んでいるのだ。
これをくまなく探すとなると、サーヴァントがいる状態でも相当な時間を要するだろう。
「貴様のルーンではどうだ?」
「会ったこともねぇ相手だぞ。正直、あんま当てにならねぇなぁ。キャスターで現界した俺か、師匠なら話は別だろうけどよ」
「ちっ、役に立たん」
「お前が人のこと言えんのか? 一応魔術師が本業だろうが」
「本業というなら殺し屋か暗殺者、掃除屋あたりが妥当だろうよ」
要は術による捜索の補助は期待できない、ということだ。
となると後は、地道に足を使って探すしかない。
「……………………………行きましょう」
「ほぉ……」
「へぇ、良い女じゃねぇの。この嬢ちゃんが惚れた男か、俺も興味が湧いてきたぜ」
「はい、行きましょう、香織さん。南雲さんが待っています」
「食料はたっぷり用意したし、諦めずに行こう」
香織の一言に、皆が僅かに笑みを浮かべる。
まずはハジメが落ちた30層半ばまで進み、そこからは階層一つ一つをくまなく捜索。
見つからなければ次の階層へ、という形になる。
一度最下層まで降りてから登っていくことも考えたが、ハジメが脱出を図っている可能性もある。
下から登るより、上から降りる方が出会う可能性が高いと踏んでの判断だった。
探索そのものは、時間はかかれど特に苦労はない。
現れる魔物ではサーヴァントの相手は荷が勝ちすぎる。
正に瞬殺。一合どころか、出会った瞬間に命を絶たれてしまうのだから当然だが。
故に、見落としのないように周囲に意識を向ける傍ら、雑談をする程度の余裕はあった。
「ところで、エミヤ」
「なにかね?」
「香織さん、すっかり元気そうだけど、どんな感じ?」
「……」
「どうしたの?」
「あぁ、いや……………………一言でいうなら、天才だな」
「……マジ?」
「未だ魔力の感触には慣れていないが、スイッチはできているし、魔力を操る感覚も身に付けている。
突発的な事態に制御を誤る可能性は否定できないが、平常時の魔力コントロールはすでに相当なものだ。
元からあった埋もれた才能だったのか、それともこちらの世界に来て得た物かはわからんがね」
エミヤの言う通り、香織は無事「魔力操作」の技能を得ることに成功した。
それどころか、日進月歩どころの話ではない、秒進分歩とでも呼ぶべき速度で成長している。
経験の浅さから不意を突かれると制御が乱れることもあるが、そうでなければ魔力制御は目を見張るものがある。
戦闘が圧倒的過ぎてサポートの必要がない事から、今も歩きながら魔力を起こし、自主的に訓練を続けていた。
その甲斐あって、基本ステータスはほぼ据え置きながら、魔力と魔耐が異常な速度で向上している。
あとは、休みなく歩き続けることで体力もそれなりに上がっているのだが、今は関係ない。
「そういえば、さっきから何かブツブツ言ってると思ってたけど……」
「詠唱をどれだけ減らせるか、そちらも並行しているらしい。アドバイスを求められたので、一応それらしいことは教えたが……」
エミヤがほぼ一言で魔術を扱う姿を見て、自分も同じことができれば……と思ったようだ。
教えられることは教えると言った手前、エミヤも情報の出し惜しみはしていない。
元々面倒見が良く世話焼きな気質であり、親友にも通じる部分があることから香織も話しやすいらしい。
求められたことを教えていたら、あれよあれよという間に成長していくのだ。
一を聞いて十を知る、と言わんばかりの成長速度である。
「恐らく、扱う魔力の性質は我々のそれと全く同じではないはずなのだが、それでも自分なりに即座に応用するセンスは驚嘆に値するな。遠からず、魔力の運用効率や術式の応用・改善などにも目を向けるだろう。
私が教えられることもそうあるまい。まったく、恋する乙女は強いというべきか、なんというべきか……」
「俺、直ぐに抜かれるんじゃない?」
「安心したまえ」
「え?」
「魔力制御に関しては既に追い抜かれている」
「おっふ……」
まさか一昼夜も経たずに追い抜かれるとは思っておらず、地味にダメージを受ける立香。
才能がない事は自覚しているし、それにめげずに努力してきたはずだが……心が折れそうだった。
「あ、立香さん。ちょっといいですか?」
「え……なに?」
「立香さんのスイッチってどんなイメージなのかなぁって。
私の場合、こう……脊髄に焼けた鉄串を差し込む感じなんですけど」
「メチャクチャ痛そう!?」
「えっと……エミヤさんに魔力を通された時、そんな感じがしたので……」
閉じ切っていた所に無理矢理魔力をねじ込んだのだ。確かに、そういう印象を抱いても無理はない。
恐らく、その時のイメージが元になってスイッチが出来上がってしまったのだろう。
本来なら、少しずつ経路を緩めていってからやるべきことを、色々な段階をすっ飛ばしたのだから仕方がないが。
「それで、立香さんはどんなイメージなのかな、と。
他の人のイメージも参考にしたらって思って」
「そ、そう……俺の場合は、指先に火が灯るイメージかなぁ。エミヤは撃鉄を落とすイメージって言ってた覚えがあるけど」
「ふむふむ、なるほど……」
ちなみに立香の場合、カルデアに来てすぐ、全ての始まりと言って良い爆発があった時のことが根幹にある。
マシュの手を握り、自身もまた火に巻かれようしていたあの時。
あの時の印象が、立香のスイッチを形成する上での土台になっていた。
案外、香織とそう変わらない形成過程である。
「おっ、だいぶ開けた場所に出たな。そろそろ一休みといくか」
「そうですね。昼食のために休憩して以来、もうかれこれ数時間は歩き続けですから」
「あ、あの! じゃあ私、少し周りを……」
「却下だ」
「エミヤさん、でも私……」
「香織さん、気持ちはわかる……とは言わないけど、無理はしない方が良い。君はあくまでサポート役だし、ずっと魔力操作の訓練と並行しながら歩いてたんでしょ。
魔力を回している間は疲れにくいけど、それは自覚がないだけだ」
「はい、私も先輩たちと同意見です。あまり無理をすれば、身体を壊してしまいます」
「……わかった。なら……」
「もちろん、魔力も一度止めるべきだ」
「香織さんたちにとっても魔力は危険なもののようですから、疲労した状態での魔力の使用も控えるべきかと」
「つまり、今は大人しく休めってこった。例の坊主を見つけても、嬢ちゃんがくたばっちまったら元も子もねぇだろ」
「……………………………………はい」
正論であることはわかっているので、香織も最終的には諦める。
その間に、エミヤが主導となって食事の用意。日持ちする保存食しかないので限界はあるが、そこはシェフの腕の見せ所。古今東西、文化も風習も異なる英霊たちの舌を満足させ、時に特異点で碌に食料も確保できない中で腕を振るってきた男の技量は伊達ではない。
結果、出汁の取りようもないと思われる状況の中、割と和風な夕食が出来上がっていた。
「…………あれ、なんでだろ。涙が止まらないよ……」
「もう一ヶ月近く和食はご無沙汰だったのだろう? なら、無理もあるまい。
今はゆっくり食べて、心と体を休めろ。まだまだ先は長いのだからな」
懐かしい味に郷愁が溢れ出す。知らず知らずの内に張り詰めていた心と体が緩み、食べ終える頃には香織の身体は猛烈な眠気を覚えていた。それに抗うことはできず、間もなく彼女は夢の世界へと旅立っていった。
「それ、昨日の夕食でもよかったんじゃないの?」
「かもしれんがね。迷宮に入ればこうなることは予想できた。なら、むしろ今緊張の糸を解す方が良いだろうと思っただけさ」
「なるほど……」
夕食の始末を手伝いながらの問いに返ってきた答えは、実に彼らしい気遣いに満ちたものだった。
迷宮に入れば香織は絶対に無理をする、せずにはいられない。
だからこそ、その時にこのとっておきの和食(っぽいなにか)で緊張の糸を解きほぐしたのだろう。
実際それは功を奏し、今の香織は年相応のあどけない顔で眠っている。
この様子なら、明日からの探索でも暴走する可能性は低い。
焦る気持ちもわかる。今すぐにでも飛び出してしまいたいのも無理はないだろう。
だがそれでも、彼女が無事でいることが大前提。いくらハジメを見つけられたところで、彼女にもしものことがあってはせっかくの感動の再会が台無しになってしまうのだから。
エミヤの目論見通り、翌日からの香織は熱意と冷静さの双方を併せ持つようになっていた。
ハジメを見つけるために、次会ったとき彼を守れるようになるために必要なことは何でもする。
同時に、自分の中で一線を引き「ここまで」というラインを決めてそれ以上の無理はしない。
ただし、そのギリギリまでは攻めるが。
迷宮に入ったばかりの頃の危うさは最早ない。
地に足をつけ、自分にできる限りのことをして、彼女なりに進んでいく。
ただ、エミヤも想定していない事態というのもありはしたが。
「さて、では次は……白崎嬢、そこには塩をもう一摘み頼む」
「はい、先生!」
「……………………………その呼び方は何とかならんのかね?」
「だって、魔力の使い方だけじゃなくて、お料理も教わってるんですから……これはもう、先生と呼ぶしかないじゃないですか!!」
「なにが“呼ぶしかない”のか分からんのだが……」
「あ、あと私のことは香織で良いですよ」
「人の話を……聞く気がないな、あれは」
「すみません、エミヤ先輩。香織さんはこう……思い込んだら一直線なところがあるようで」
「まぁ、それが彼女の原動力の一端なのだから、否定はせんがね」
エミヤの料理に感銘を受けたようで、魔力関連に続き料理でも「押しかけ弟子」状態だった。
素直で憶えも悪くないので、エミヤとしても邪険に扱えない。
想い人に手料理、それも故郷の味を……と努力する姿を見せられては、応援するしかなかった。
そうしているうちにも、迷宮探索は順調に進んでいく。
流石に一つ一つの階層をくまなく探すためペースは速いとは言い難いが、それはあくまでも彼らにとっての話。
この世界の冒険者たちを基準にすれば異常な速さであり、到達深度だ。
実力差があり過ぎて立香と香織のサポートはいらず、戦闘時の二人はすっかり傍観者。
特にエミヤとクー・フーリンが競うようにして屠っていくので、マシュも割と暇を持て余している。
それでも、因縁のあるベヒモスが出てきた時は流石のマシュも猛った。
エミヤとクー・フーリンを下がらせ、一人前に出ると情け容赦なく撲殺したのである。
過去の因縁に決着をつけたマシュの顔は実に晴れやかだったが、返り血が頬についた状態の笑顔はぶっちゃけ怖かった。秘かに立香が「マシュは怒らせないようにしよう」と誓うくらいには。
ただ、もっと怖かったのはベヒモスに光の消えた眼差しを向ける香織だったのは、更なる秘密だが。こっそり「この子、清姫に近かったりしないよね?」とか思ったのも秘密である。
そんなこんなでオルクス大迷宮に潜ること早五日。
いよいよ、迷宮の最深部も近い。オルクス大迷宮は全百層からなると言われており、それが事実なら、だが。
しかし、そこまで来ても南雲ハジメの影も形も見当たらない。手掛かりすら皆無。
この状況には、一度は冷静さを取り戻した香織も心中穏やかではいられなかった。
もしや……あるいは“やはり”というべきか、ハジメは既に……そんな考えを振り払えずにいる。
だが、むしろエミヤとクー・フーリンに言わせれば、生存の可能性は高いという事になるのだが。
「そう暗い顔すんなって。俺としては、むしろその坊主はしぶとく生きてると思ってんだからよ」
「同感だ。ああ、無論慰めの類ではない」
「そう、なんですか?」
「死んでいるのなら魔物に食われて肉片すら残らんだろうが、衣服や装備品はどうだ?
いくら連中が悪食でも、流石にそこまでは食わんだろう」
「それは……はい」
「ああ、そっか。そういう“食べられないもの”が見当たらないってことは……」
「確かに。いまのこの世界で50層以下へ入れる冒険者はいません。なら、彼らが遺留品を持ち帰ることもない以上、それらは残されるはずです。なのにそういったものがないという事は、南雲さんが生きている何よりの証拠になります」
「話に聞く南雲少年の力量や性質では、これだけの下層から迷宮を登ってくることはほぼ不可能。なら、なんとか身を潜めていると考えるのが妥当だろうな。それでも、この状況で生き延びていることに変わりはない。大したガッツじゃないか」
普段のそれとは違う、本心からのエミヤの言葉。
彼はいま、心からの称賛を南雲ハジメに対して送っている。
この状況下で今も生き延びているとしたら、それはまがりなりにも英霊である彼をして、そう言わせるほどのことなのだ。
「おう、全くだ。鍛えりゃいい戦士になりそうだぜ。
だが、問題なのは飯だな。その坊主が落ちてかなりの時間が経ってやがる。水さえあればある程度飯がなくても何とかなるとはいえ、それにも限度ってもんがある。魔物の肉ってのは食えねぇんだろ?」
「はい。魔物の肉は人体にとって有毒らしく、過去食べた人は例外なく体がボロボロに砕けて死亡した、と」
「魔物の魔力が原因かもしれんが、はっきりとしたことは分からんな。マスターも、いくら毒に耐性があるとはいえ、迂闊なことはしないように」
「いや、エミヤの美味しいご飯があるのに、なんでそんなゲテモノ食べないといけないのさ」
その当然の反応に場が笑いで包まれる。
とはいえ、確かに食料の問題は深刻だ。ようやく見つけたら餓死していました、ではシャレにならない。
立香たちは相当な量を買い込んできたので、まだある程度余裕はある。
迷宮が全百層であることから逆算して消費してきたし、ここから一人連れて出るまでの分も確保してある。
まぁ、何かのトラブルで数日単位で足止めされるようなら少々危ないが、腹をすかせた青少年一人の腹を満たすなら全く問題はない。
しかし、そんな彼らの歩みも95層を超えたあたりから曇りだす。
餓死の可能性も高まってくるというのもあるが、それ以上に流石におかしいと思いだしたのだ。
本当に、南雲ハジメは生きているのか。まったく痕跡が見られなかったのは生存の証ではなく、もっと別の理由ではないのか、と。
それでもハジメの生存を信じて進み続け、やがて彼らは到達した。
オルクス大迷宮最深部。第百層、最後の最後の関門を前にして、彼らは何を見るのか……。
オルクス大迷宮(表向き)の最深部到着です。
ここに来るまで、エミヤとクー・フーリンが無双してくれたのでピンチな場面は皆無。たまにマシュも前に出て戦う程度。
本来なら香織は寄生状態なのですが、その分魔力・魔法関連で地道かつ昼夜問わずの無茶な訓練を続けていたので、そっち方面は出鱈目に向上しています。派生技能もたっぷり。
得意な回復・光魔法関係ならほぼ無詠唱・ノータイムで使える上に、効果も優秀です。
まぁ、戦闘担当が強すぎるので全く日の目を見ませんが。
ネックは戦闘を任せきりで経験が乏しいことくらい。
魔力・魔耐以外のステータスは低いのですが、魔力操作の派生技能で補えるので問題なし。
さぁ、次はいよいよ深層に突入……になるかな?
ハジメとの再会はどのタイミングになるやら……。