そも、ガーラント魔王国に存在する「神衛騎士団」とは何者なのか。
もっとも立ち位置として近いのは、人族でいうところの近衛騎士だろう。しかし、求められる役目は随分と違う。
何しろ、この国の王…すなわち魔王の名は「アルヴ」と言い、崇める神と同一なのである。
滅多なことではガーラント上層部の前にも姿を見せないし、声を聞くことも稀。基本的には文書や身の回りの世話をする侍従などが代弁する。神の代弁者ではなく神そのものであるが故に、逆らう者もその座を奪おうと考える者もいない。まぁ、いたところで問題にもならない。なぜなら、魔王にして神である「アルヴ」こそが絶対無比の存在なのだから。それは何も、権威だけに限った話ではない。単純な実力の上でも、「アルヴ」に並ぶ者はいない。
そのため、アルヴの身の安全など考える意味すらない。神衛騎士団の役目もアルヴを守ることにはない。
彼らの役目は、アルヴの手足となって働くこと。命令系統の上ではアルヴが全軍の頂点に立ってはいるが、直接指示を下すことはまずない。基本的には数名の将軍とその配下たちによって運営されている。だが、神衛騎士団だけは違う。彼らはいうなればアルヴが直接指示を出して動かす、まさに手足なのだ。
とはいえ、それも所詮は肩書の上での話。そもそもアルヴが直接指示を出すことが滅多にないため、基本的に彼らは常に暇を持て余し、やることといえば訓練くらい。部隊の性質上、ガーラント国内最精鋭でありながら活躍の場がないなど、戦力の無駄の極みだ。
とはいえ、彼らに対して命令を下すことができるのは国主であり神たるアルヴだけ。それは違えてはならない。
そこで考え出されたのが“要請”という方式だ。あらゆる命令系統から独立している彼らだが、将軍職にある者だけは彼らに対し協力を要請することができる。その代の団長次第ではあるが、積極的に通常任務に参加することもある。逆に、通常任務はおろか特殊任務や極めて重要な任務でもだれ一人派遣しないこともありうるのだが。
そして、今代の団長「フェリシア・グレイロード」は前者のタイプだった。
要請されれば任務の内容を鑑み、最適と思われる人材を必要な数だけ派遣し、必要と判断すれば自ら前線に立つことも辞さない。それどころか、場合によっては自分の方から将軍たちに掛け合い、より確実な任務遂行のために“要請を要請する”ことすらある。事実一年半前、魔人族最強との呼び声も高い大迷宮攻略者「フリード・バグアー」が生み出した魔物たちの性能テストを兼ねた中堅規模の人族の国への侵攻作戦にも参加し、魔物たちの性能評価から一般兵への教導、撤収時の殿などを務めている。
騎士団の立ち位置の関係で一般の魔人族の間では最大級の敬意を捧げられると同時に畏怖の対象でもあるが、そんな実態を知る兵や騎士たちの間からの人気はすこぶる高い。
最精鋭と呼ばれるに相応しい実力を有していながら、共に肩を並べて戦ってくれる英傑たち…というのが彼らの認識だ。団長職を務める傑物となれば、もはや崇拝の対象だろう。
そしてそれは、今もなお変わらない。それどころか、その名声はとどまるところを知らない。
魔王国ガーラント、その王都の一角。
特にこれと言って特徴のない建物に、一台の馬車が乗り入れる。誰も違和感など持たない。ここは治療院で、人と物の出入りが多くて当たり前。実際、定期的に物資搬入のために馬車は出入りしているし、今も治療を受けようと老若男女が訪れている。
だが、この治療院にもう一つ別の顔があることを知る者はほとんどいない。
新たに乗り入れた馬車は治療院奥のスペースへと招かれ、分厚い幌が外される。外部からは窺い知ることのできなかったその中には、折の中で厳重に拘束された魔物の姿があった。
「うおっ!? 何度見ても、こう間近で大型の魔物を見ると肝が冷えるな」
「おい、なにやってる。さっさと運び込め」
「わぁってるよ。にしても、こんなもん何に使うんだ?」
「さぁな。お偉い先生方の考えることは俺なんぞにはとんと……ま、魔物の内臓を薬にする研究とか、魔石の治療への応用とか、そういうのだろ」
「へぇ~、そういうこともしてるのか」
何歳か年上の男の言葉に、感心したように若い男がうなずく。
ただ、そんな若い男の反応にあきれのこえをもらす
「お前、下働きとはいえここで働いてるんだからそれくらい知っとけよ。そもそもここが、潰れかけだったことはさすがに知ってるだろ」
「まぁな」
「そこへ新薬やら新しい治療法の研究やらのために上から寄付金が下りたんだよ」
「そうだったのか。でも、だったらなんで今も治療院やってるんだ?」
「あのな、研究して結果が出たら“はい、おしまい”なんてなるわけねぇだろ。せっかくの研究だ、使わなきゃ勿体ねぇ。ここは、そんな研究成果を実地で試す場でもあるわけだ」
「え、じゃここでやってるのって人体実験?」
「ばぁか、んなことやったら大問題だっつーの。動物やらなんやらで散々試して、安全を確認できたもんを患者の任意でやってるんだよ。つまり、しっかり合法だ」
「だ、だよなぁ~」
拘束されているとはいえ、大型の魔物を前に些か緊張感に欠けるやり取りを続ける二人。
とはいえ、それでも作業を進める手を止めたりはしない。慣れた作業を慣れた動作で続けていけば、作業自体はすぐに終わる。物資は問題なく所定の位置に運び込まれ、男たちは次の作業のためにその場を離れる。
だから、知らない。
運び込まれた物資が、丸ごとどこかに消えてしまっていることに。
「グレイロード閣下、資材βの搬入が完了いたしました」
「そうですか、αの方は?」
「問題ありません。全員…いえ、すべて活動を停止しています」
「よろしい。では、早速“施術”に入ります」
そこは薄暗い部屋だった。いくつかの緑光石が放つ光だけしか光源がないため、部屋の隅は闇に包まれている。そのため、部屋の内装を詳しく窺い知ることはできない。
ただ、それでもいくつか言えることがあった。その部屋はそれなりの広さがあり、部屋の中央には大型のものと小型の物二つの台座があること。また、部屋の片側にはいくつもの檻が並び、反対側にはいくつものベッドが置かれていること。そしてベッドの上には、幾人もの魔人族が簡素な貫頭衣を着て並んで眠っていることだ。
そんな部屋の中央、二つの台座の中央に立っていたフェリシアは傍らの男に声をかけ“施術”とやらの準備を始める。
常に身にまとう漆黒の甲冑はなく、代わりに白衣のようなものを纏い、手には手袋をはめている。薄暗いため表情は判然としないが、その声音はいつになく厳しい。
フェリシアはそのまま両手を組み、胸元に充てて祈りを捧げる。これから行う所業の許しを請うため…ではない。いつの日か、この行いに相応しい罰が下ることを願って。
(我が神よ、どうか我が悪行をご覧あれ。そしていつの日か、正しき報いを)
「準備が整いました、閣下」
「検体の情報は?」
「こちらに」
「31歳、男性、天職なし、得意とする魔法系統は付与系統……」
渡されたバインダーに挟まれた書面に目を通していき、途中小さい方の台座に乗せられた魔人族の男性に視線を移すが、すぐに書面に戻す。
「犯歴、強盗及び殺人を数件。また、うち二件で放火」
いつものことだ。ここに“資材α”として運び込まれるのは、犯罪者として捕らえられた場合と、命を落とし何らかの事情で遺体の引き取り手がいない場合、そのどちらか。
しかし、だからと言ってこれからやることへの免罪符にはなりえない。なると思ってもいない。
「係累は…なし」
それが、せめてもの救いだろうか。天涯孤独の身であれば、悲しむ者は少ないだろう。
どんな悪逆の輩であれ、誰かにとっては大切な人であるかもしれない。そんな相手が異形の姿へと変えられるなど、受け入れられるはずがないのだ。例え、決して表に出ることのない事とはいえ、それでも縁者が少ないことにわずかに安堵してしまう。そんな己の浅ましさを、フェリシアは心の底から嫌悪する。
(なにを、今更! いったいこれまで、何人に施術を施してきた! どれほどの命を弄んできた! 今更、そう今更だ!! 今更、私に安堵する権利も、許しを請う資格もないというのに!)
「閣下、如何なさいました?」
「……何でもありません。施術を始めます」
渦巻く感情を胸の奥にしまい込み、首を傾げる助手を無視し、努めて平静を装う。
知られてはならない。悟られてはならない。僅かな隙も、見せるわけにはいかないのだから。
(彼という尊い犠牲が、より良き未来へ繋がりますように。
そしてどうか、私を許さないでください)
「素晴らしい、お見事です閣下! 神経系を魔物と融合させるという繊細な術式でありながら、この速度と精度はもはや芸術です!」
「経過を見なければ成功か失敗かわかりません、経過観察には細心の注意を。暴走するようであれば……」
「無論承知しております。失敗作は迅速に処分いたしましょう」
「……では、次の検体を」
「はっ、急ぎご用意いたします!」
この施術の目的は簡単だ、フェリシアが得意とする“人体変成”その完成度をより高めること。
単に魔物と人体を融合させるだけなら、彼女の手腕をもってすればそれほど難しくはない。だが、より効率的な、より強力な合成にはそれ相応の下地がいる、尊い犠牲という名の下地が。だからこそこうして、極刑を言い渡された犯罪者や引き取り手のいない遺体を使って実験を重ねているのだ。
無辜の民を実験に使うわけにはいかない。だが、犯罪者……それも死刑囚なら、それが上層部の見解だ。無意味に命を絶つか、最後にその命を有効に活用するか、その違いでしかないということだ。その理屈はフェリシアにもわかっている。だがわかった上で、胸の内でどう思うかは彼女の自由だ。
(ありがとうございます、ビル。貴方のことは、決して忘れません)
今日までに生贄としてくべられた命の数は二十人を超える。フェリシアはその全員…それどころか、引き取り手のない遺体すべての顔と名前を記憶している。彼らの尊い犠牲のおかげで、フェリシアの変成魔法の精度は著しく向上した。いわば、彼らの命と体はフェリシアのために捧げられたのだ。
ならば、彼らの命を喰らった自分だけでも彼らのことを忘れてはならない。そう思えばこそだった。
その後も施術は続き、今日予定されていたすべての実験が消化された。後は、結果が出るのを待つばかりである。
「それでは、後のことは頼みます。くれぐれも、経過観察は……」
「無論、心得ております。微に入り細を穿ち、詳細をレポートにまとめお届けいたします」
「何かあれば、すぐに呼びなさい」
「は、ですが……お忙しい閣下のお手をそのような些事に」
「私であれば調整もできます。そうすれば……」
彼らを、少しでも生かしやることができるかもしれない。そんな思いが口に出そうになるのを、必死に堪える。それは、口にしてはならないことだ。それに……
(生かして“やる”? なんて、傲慢! なんという恥知らず! 彼らが死ぬのは私のせいだというのに……)
そもそも、フェリシアは何かをして“やる”とか“あげる”という言葉が嫌いだ。そんな上から目線の物言いができるほど、自分は立派なのかと自問すれば即答できる。否である、と。
だが、そんなフェリシアの内心には気づかず、助手の男は自分にとって都合のいい形でその先を想像したらしい。
「なるほど、そうすればより有益なデータが取れますな。まったく、奴らも光栄なことでしょう。薄汚い犯罪者や身寄りのない分際で我らが神の礎となれるのですからな。むしろ、感謝してほしいくらいでしょう」
その瞬間、フェリシアの脳髄が白く染まった。今すぐ、この男の首をへし折ってやりたい衝動に駆られるが、辛うじて抑え込む。この男は、人間性はともかく助手、あるいは研究者としては優秀だ。そんな男が不審な死を遂げれば、フェリシアにも疑いの目が及ぶ。今の彼女の地位と権威をもってすれば握りつぶせるだろうが、それでも万が一ということはあり得る。万が一、彼女の本心に気付かれれば、すべてが水泡に帰す。それだけは、避けねばならない。これまでに犠牲にしてきたすべてを、無意味にしないためにも。
「ここにいると気分が悪くなります。私は先に失礼します」
「ああ、確かにあのようなごみと同じ空間にいるのは苦痛でしょうな。ええ、後のことはお任せを」
不快なのはこの男と同じ空気を吸うことなのだが、僅かでもそれを口にすれば歯止めを利かせられる自信がない。
いつもそうだ。彼女が本当に言いたいことをあえて口にせずに閉ざすと、周りが勝手に都合のいいように想像し、勘違いする。結果的にその誤解は都合が良いので訂正してこなかったが、都合が良いと気分が良いは別だ。
彼らがそうであってほしいと願う姿と、フェリシアがそうでありたいと願う在り方は天と地ほどに隔たっている。
この上なく不快で、これ以上ないほど都合のいい誤解。訂正することにはデメリットしかなく、訂正しないことのメリットは数えきれない。ならば、どうすべきかは考えるまでもない。だが、それでも……
(こんなことばかりしていると、いつか自分というものがわからなくなりそうですね)
つい、そんな自嘲をしてしまう。
そのまま用意された部屋でいくつかの書類を決裁し、白衣を脱いで着替えを済ませる。
彼女は軍内部の重鎮、当然それ相応に仕事というものがある。この後は王城で将軍級以上の幹部たちによる会議が予定されているのだ。騎士団を動かすためには将軍職からの要請が必要であることからもわかる通り、“騎士団長”という立場にありながら、その権限は将軍たちに並ぶ。忙しいのも当然だろう。
とはいえ、彼女は基本的にやることなすことすべてが迅速だ。施術も書類の決裁も、手早く進めたおかげで会議までにはまだある程度時間がある。
「お疲れ様です、閣下。馬車のご用意は……」
「……結構、次の予定まで時間があります。私は徒歩で向かいます」
「承知いたしました」
この場での秘書役の魔人族は、特に驚いた様子もなく恭しく頭を下げる。こうして、徒歩で王城や次の予定先へ向かうのも初めてではないからだ。とはいえ、その表情はどこか苦い。
「ですが、閣下」
「なにか?」
「差し出がましいとは承知しておりますが、そのお姿で向かわれるのですか?」
いま彼女が準備しているのは、常に身に纏う漆黒の鎧だった。言わんとすることはわかる。こんな見るからに厳めしい鎧を着て街中を闊歩すれば、徒に民を怖がらせるだけだろう。それに……
「自分で言うのもなんですが、私は無駄に背が高いですからね。加えて、体つきは女性らしさからはかけ離れています。鎧など着ていては、誰も女とは思わないでしょう」
「そ、そのようなことは……」
実際、フェリシアは180センチに迫る高い身長の持ち主だ。そのうえ、その体系は非常にスレンダーなモデル体型……といえば聞こえは良いし、それはそれで間違ってはいないが、絶望的に身体に凹凸がない。少し厚手の服を着ただけで、顔を見ないと性別の判別が極めて困難なくらいに。まったくないわけではないが、よほど薄着にならないと膨らみがわからないのだ。
彼女とて女性の端くれ、そのことにはコンプレックスを感じないでもない。いっそ変成魔法でその部分を作り替えようと思ったことも一度や二度ではない。まぁ、さすがに自重したが。
とはいえ、それでも彼女に鎧を着ないという選択肢はなかった。
(最近、特に眉間のしわと目つきの鋭さが増してきていますからね。クマも日に日に濃くなっていきますし……毎朝、鏡を見る度に私自身悲鳴を上げそうになるのです。この顔では、近くまで来た人を怖がらせてしまうだけでしょう。それならいっそ……)
鎧を着て初めから人を遠ざけた方がマシ、というのがフェリシアの結論だ。
その意味でいえば、素顔を見ても怖がらずにいてくれる秘書などには割と感謝している。
(まぁ、そもそも私服と呼べるものをほとんど持っていないのですが)
何しろ、10歳で集落を飛び出し軍に志願して以来、あとはずっと軍役についていた。おかげで、手持ちは軍服と動きやすさ優先のラフなものばかり。王都という都会を歩けるような服自体、碌に持っていないのである。
まぁ、我ながら女としていろいろ終わっている自覚があるので、誰にも言ったことはないが。
そうして、手早く鎧を着こんだ彼女は地下通路を通って治療院からやや離れた路地裏に出る。
念には念を入れて、彼女が治療院に出入りしていることを隠すのが目的だ。
路地から表通りに出れば、案の定周囲から好奇の視線が集まる。
とはいえ、そこは厳めしい鎧効果もあって長続きはしない。誰もがさっさと視線を背け、我関せずを貫く。
そのことに一抹の寂しさとそれ以上の安堵を覚えながら、フェリシアは王城へ向けて歩き出す。
散歩、というにはいろいろ問題のある状況だが、それでも彼女はこの時間が好きだった。
街を歩けば活気のある声が耳をくすぐり、人々の営みをわずかな距離を隔ててみることができる。決してあの喧騒の中に入っていくことはできないが、それでも人々の営みに近づくことのできる時間が好きだった。
(あぁ、そういう意味では惜しいことをしました。王都に来て間もない頃は周りを見る余裕なんてなくて、軍務についてからも同じ。一度くらい、兵舎を抜け出して遊んだり、屋台で買い物をしたりすればよかったのかもしれません)
遠い過去に置き去りにした日々。あの頃でなければできなかったこと、あの頃にはやろうとも思わなかったこと、それが今ならどれだけ尊いものかわかる。もし自分の未来がこういう形になると知っていれば、あの頃の自分はもっと違う時間の使い方をしたのだろうか……。
(いえ、私のことです。それでも結局目の前のことに一杯一杯で、他のことに目を向ける余裕なんてなかったでしょうね。おや、あれは……)
過去を懐かしみながら、今日までの自分を振り返る。ふと元気な声に誘われて視線を右手に向ければ、そこには数人の子どもたちが遊んでいる。
(ふふっ、元気ですね子どもたちは。戦争が近く、街にも徐々に緊張感が満ちてきている。でも、子どもたちにそんなことは関係ない。元気に遊び、無邪気に未来を信じている。ならば、それを守るのが私たちの……)
路地で遊ぶ子どもたちの姿に、自らの為すべきことを再確認する。それだけでも、こうして歩いた意味があった。できればもう少し近くで子どもたちの様子を見たいが、それは断念する。鎧姿でも素顔でも、どのみち子どもたちを徒に怖がらせてしまうだけだろう。それは、彼女にとっても本意ではない。
だから、こうして遠くから眺めるだけでいい。それだけで、十分心は満たされるのだから。
ただ、どうやらぼんやりしすぎていたらしい。左側から歩いてきた誰かとぶつかってしまった。
十年以上軍務につき心身を錬磨し続けてきたフェリシアは微動だにしないが、相手はそうではなかった。面白いほどキレイにしりもちをつき、15・6歳ほどの少年が目を白黒させている。手には串焼きが握られ、自身の鎧にべったりとソースがついている。とはいえ、フェリシアの感想は淡泊なものだった。
(これは、落とすのは少々面倒ですね)
元より、フェリシアはモノへの執着が薄い。第一、鎧など戦場に出れば泥や返り血で汚れるのが常だ。串焼きのソースが付いたくらい、何ほどのこともない。
そんなことより、少年の恰好は王都の垢抜けたそれからは程遠い、田舎っぽい服装をしている。恐らく辺境から上京して来て、王都の街並みに目を奪われてしまったのだろう。似たような記憶があるだけに、少し微笑ましい。
少年はやがて自分が何にぶつかったのか気付いたらしく、顔を青ざめさせ目じりに涙すら浮かべている。
厳めしい鎧を着こみ、自分がぶつかっても微動だにしない屈強な戦士。悪気がなかったとはいえ、そんな相手に粗相を働いてしまったことを、きっと心の底から後悔しているのだろう。
(気持ちはわかりますが、そんなに怖がられるとさすがに傷つきますね……)
「あ、あのあのあの! ぼく…えっと、その……ごめんなさい!! 鎧は綺麗にしてお返しします! ですから、その……」
「不要です」
(ま、まさかここで「無礼者!」って斬られちゃうの!? 今日王都に来たばかりで、まだ何もしてない、できてないのに……)
「急ぎますので、失礼します。……今後、よそ見には気をつけなさい」
「え? は、はい……」
(できれば励ますなりなんなりしたいところですが、これ以上声をかけても怖がらせるだけですね)
そう思ったが故に、フェリシアは足早にその場を後にする。彼がその後どうしたのか、それだけが少し気がかりだった。
「おや、如何なさいました団長殿。今日は随分と消沈しておいでのようですが」
「わかっているのなら流しなさい」
「ハハハ、大方団長殿を見た赤ん坊が泣いたとか、民たちが団長殿を見るなり進路を変えたとか、そのあたりでしょう?」
「……………………………………違います」
「当たらずとも遠からず、と。まったく、我らが団長殿は妙なところで繊細ですなぁ」
予定より幾分早く着いたこともあり、騎士団の詰め所に顔を出したのだが、出迎えたのは副長の訳知り顔。ぶっちゃけウザイ。とはいえ、詳細は違うとはいえ方向性は割と当たっているあたり、彼がフェリシアのよき理解者なのは確かだ。何しろ、いまだ彼女は兜を被ったままだというのに、何も言わなくても兜の奥の表情を言い当ててて来るのだから。有難いとは思う、心から思っている。だがやっぱり、知ったような顔をされるとイラっと来る。
「ふむ。ところで、随分とお早いお着きですが…もしや、小官と再戦をお望みですかな? もしそうなら、謹んでお受けいたしますが」
「貴方はまた私をカモにする気ですか」
「いやいや、敬愛する上官殿をカモにするなど、そのようなことするわけがないでしょう」
「そう言って、毎度毎度負けた私に書類を押し付けるのは誰です」
「ふぅむ、それはあれですな。やはり、勝負事は何かをかけてこそ真剣になれるもの。とはいえ、金銭をかけるのは不謹慎。そこで仕事を……というのは団長殿も納得されたことでは?」
「ぐぬぬぬぬ……つ、次は負けません!」
「その意気や善し。では、何で勝負いたしますかな。カードか、盤上遊戯か、それとも……」
「全部私が負け越しているものばかりじゃないですか!?」
「おや、だからと言って小官も全戦全勝というわけではありませんが?」
「私でなければ処理できない書類がある時だけ負けるくせに……」
「いやぁ、偶然とは恐ろしいものですなぁ」
もちろん、偶然などではない。負けても問題ないと知っているから負けているのだ。
初めのうちはそれに気づかず、場合によっては勝てるのだとぬか喜びし、まんまとカモられたものである。
「貴方を副長に任命したのは、私の最大の失敗です」
「失敬な。私は団長殿のさらなる成長を願い、心を鬼にしているだけだというのに」
「本音だとしても、そのニヤニヤ笑いを浮かべている限り説得力はありませんからね」
「ふっ、そこで本音だとご理解してくださるところが団長殿の素晴らしさですな」
「……まったく、要領のいい」
「それが一番の取り柄ですので」
フェリシアは団長職に就き、メルドとの再戦を終えた後から秘かに志を同じくできる者を探した。
その最初の一人がこの副長だった。前副長とは様々な面で折り合いが悪く、個人的にも好きになれない手合い……具体的には、何かと理由をつけて要請を断ろうとするタイプだった。当然他の将軍たちからの評判も良くはなかったため、慣れない搦め手で排斥しようとしていた折に、協力してくれたのが彼だ。その中で自分と同じ疑問を持ってくれる相手であることを知り、副長に任命したのである。
ただ、能力はあるのだがいかんせん変なところで要領がよく、うまいこと仕事を押し付けてくるのが悩みの種だ。
(まぁそれも、さして重要なものでないものばかりなので、可愛いものなのですが)
そういう選び方をしてくるあたりが、やはり要領の良さなのだろう。
カードや盤上遊戯で勝てないのも、同じような理由だ。生真面目なフェリシアと、のらりくらりとかわすのが上手い副長では相性が悪い。フェリシアとて、カードはともかく盤上遊戯は決して弱くないのだが……。
「それより報告を。皆の体調はどうです、何か変化は?」
「すこぶる順調…とは言いませんが、今のところ拒絶反応などは見られませんな」
「貴方も元気そうですね」
「団長と……彼らのおかげですな」
「ええ、本当に……彼らにはどれだけ感謝してもしきれません」
当然といえば当然なのだろうが、フェリシアが実験で培った技術は何一つとして無駄にはなっていない。
彼女は得られた技術とデータからより最適な施術方法を考案し、それを一部の配下に施している。この副長もその一人だし、先日殉職した騎士もそうだ。
ただ、フェリシアが自分自身に使うのであれば負担が少ない魔法でも、他者にかけるとなればその限りではない。例えば、一度変成させれば二度と元には戻せないなど、いくつもの制約が存在する。
また、対象の資質や性質を無視し画一的に変成させるのは、元の状態からよほど近い変成でない限りその生命の在りようを歪めるに等しい。元の在り様を残したままの変成となると、それぞれの資質や性質に合わせた微細な調整が必要になる。
それが可能になったのは尊い犠牲のおかげだ。
「しかし、そういう団長はいかがです? あまり、無茶はしておられませんか?」
「心配には及びません。限度は心得ているつもりです」
(そのような真っ白な御髪になられては、説得力などないのですがね)
フェリシアの髪は純白だが、これは生来の物ではない。変成魔法を得てからの変化であり、元は深い青色をしていたのである。人体の変成を得手とする彼女が最も得意とするのは、当然というべきか「自らの身体の変成」だ。本来、術者である彼女はどれだけ身体を異形に変えても元の姿に戻ることができる。
しかし、それにも限度というものがある。限度を超えた変成を重ねれば、当然術者といえど……彼女は外見こそ髪が白い以外には他の魔人族と変化がないように見えるが、その中身は如何程か。それは、副官の立場にある彼にもわからない。ただ確かに言えることとして、白くなった髪が戻らなくなるほどに、彼女の身体の中身は作り替えられているということ。
それこそ、彼女の身体に子を為す機能が残っているかすら疑わしい。
フェリシアがそれだけの覚悟を抱いていることを、彼は知っていた。知った上で、止めない。止めたところで聞かないことも知っているからだ。
(なら、小官にできるのは少しでも団長の心をほぐして差し上げることでしょうな。そのためならば、道化でもなんでも演じましょう。差し当たっては……)
その後、上手いことフェリシアを口車に乗せてカード勝負に持ち込んでしまう。結果は、フェリシアの勝利。ただし、フェリシアから押し付けられる仕事は特にないので、本人からすると試合に勝って勝負に負けた感があるが。
「むぅ……………………………………」
「ははは、あまり悔しそうにしないでいただきたい。そんな顔をされると……ますます揶揄いたくなりますからな」
「やっぱり私、貴方のこと苦手です」
「それはそれは、小官は団長殿のことを心から敬愛しているのですがね。
……ところで団長、気は晴れましたかな?」
その一言で、フェリシアは彼の意図することに気付いた。
要は、彼はフェリシアの気分転換に付き合ってくれたのだ。苦手なカードで勝つことができたのも、ある種の接待というわけだ。まぁ、それでもしっかり揶揄ってくるあたり、良い性格をしているが。
とはいえ、それでも少し気がまぎれたのは事実だ。これからのことを考えれば、ただでさえ気が重くなる以上、いまだけでも……彼なりの気遣いだろう。
「……………ありがとうございます」
「そう不満そうに言われては、素直に喜べませんな。ところで…………やはり、厳しいですか?」
「戦争は避けられません。我々と彼らとの間の確執は、最早どうしようもないほどに根深いですから。早いか遅いか、その違いでしょう」
「確かに……ならば、我らが有利なうちに始めて勝つ、道理は通っていますな」
「ええ。負ければ、待つのは悲惨な未来だけ。なら、勝つしかありません。勝たなければ、ならないのです」
「その悲惨な未来を人族に押し付けることで、ですか。業が深いですな」
「ええ、本当に」
勝たなければ話にならない。だが、勝ったところでどれほどの違いがあるだろう。どちらが勝ったところで、待っているのは似たような未来だ。ただ、立ち位置が違うだけの話。人族と魔人族、どちらが悲惨な未来を押し付けられるか、それだけの違いでしかない。
「…………………」
「団長、浅慮はいけません。あなたなら、確かに将軍たちに…あるいは陛下に“穏やかな支配”を進言することもできるでしょう。ですが、それをした後どうなります。各方面から睨まれ、遠からず排除されます。それでは、いったい誰がその未来に歯止めを利かせるのです」
「わかって、います」
「わかっておられるのなら、今は耐える時です。水面下で根を張り、同志を集め、いつかに備える。我らの代では為し得ぬかもしれません。ですが、子どもたちの代、あるいは孫の代、もしくはもっと先の代でそれは実を結ぶ。そう信じて根を張ることこそが、我らの役目でしょう」
「後の世代に押し付けろと、そういうのですか?」
「押し付けるのではなく、託すのです。我らの悲願を、子どもたちの未来を……」
「詭弁です」
「でしょうな」
「ですが、ここで私たちが潰えれば、同じ志を持つ者が生まれるのはいつになるか……その間に、どれほどの血が流れるか。そのためにも、私たちは残さなければならないのですね」
フェリシアにもわかっているのだ。いまことを急いだところで意味がない事は。最も避けねばならないのは、フェリシアたちが何も残せないこと。何か一つ、一つでも残しておければ、いつかの誰かが遺志を継いでそこから先に進んでくれる。それをより確実なものにすることこそが、フェリシアたちの役目なのだ。
そのことを彼女は重々理解している。
「それに、ある意味では魔人族による大陸全土の支配は好都合ではあります。そうなれば、人族や亜人族との接触が容易になりますからな。今では接触を図ることすら難しい彼らと、その時ならば容易に接触できましょう。まぁ、あちらからは相応に恨まれ、憎まれることになるでしょうが」
「そのためにも、彼らへの迫害が行き過ぎたものにならないよう巧く誘導する必要がある、と言うのでしょう」
「ええ。そして、それができるのはあなたを置いて他におりません。それが、我らにできる“一歩の前進”でしょうな」
(あれだけの命を犠牲にして、さらに多くの命を踏みにじって、それでも……一歩。一歩しか、進めないの……?)
それでも、一歩は一歩だ。戦争を迅速に終わらせることができれば、それだけ犠牲は少なくなる。フリードが生み出した魔物と、フェリシアが作り替えた兵による圧倒的戦力差を見せつけ、戦争を最速で終わらせる。これ以上に犠牲を少なくする方法はない。
フェリシアの実験のために消費される命も同じだ。今は死刑囚を使っているが、死刑囚などという存在がそういるわけではない。すでに、実験のために賊などを狩る計画が立案されているし、それすら枯渇するようなら民にその手が伸びるかもしれない。一分一秒でも早く戦争を終わらせることが、その悲劇を回避する方法なのだ。
ならば、どれほど微々たる進歩であっても、進むために立ち止まることは許されない。立ち止まれば、今日までの犠牲そのすべてが無意味になり、更なる犠牲を招くことになってしまうから。
(メルド・ロギンス。貴方は、答えが見つかりましたか? 私には、こんな答えしか出すことができなかった。同胞たちを犠牲にし、人族や亜人族を踏みにじって……下地を作る。それが正しいのはわかる、それしかないのもわかる。どれだけ考えても、他の方法は思い浮かばない。思い浮かんでも、途中で潰える未来しか見えてこない。だけど、こんなものを“正しい”なんて、言いたくない!!)
歯を食いしばり、震える肩を抱いてフェリシアは溢れそうになる涙を堪える。
彼女には、自分のために泣く資格などとうにないのだ。
(私は、こんなことのために集落を出たんじゃない!)
フェリシアが集落を飛び出したのは、もう十年以上も昔のこと。彼女はガーラント国内を転々とする遊牧民族の出だった。
牧畜を生業とし、季節に合わせて北へ南へ、東へ西へ。一所に留まることなく、常に移動し続ける流浪の民。そのため、魔人領限定ではあるが様々な土地の人々と出会ってきた。魔人族は奴隷制を敷いていないので、人族はもちろん亜人族にも会ったことはない。ただ、時折町や村で人族による襲撃の話を聞いた。今思えば、軍事行動ではなく野盗などの類が大半だったのだろう。それでも、当時のフェリシアにとって人族は恐るべき脅威だった。
泣いている人を見た。家を、作物を、友人を、家族を奪われて泣く人々を。
だから思ったのだ。彼らが泣かずに生きていける国になってほしいと。そのために自分にできることを考えて、答えはすぐに出た。
―――――――――善き営みを守るために、戦う。
フェリシアは正義感が強く、またその正義感を実現できるだけの力を持っていた。
魔法方面に高い適性を持つ魔人族の中にあって、なお抜きんでた魔力。さらに、常軌を逸した数の技能。その中でも、特に重宝したものが二つ。
一つは「魔力操作」。これのおかげで魔法の使用に詠唱はいらなかった。魔法を飛ばすのは苦手だったが、魔法を纏うという独自の使い方でそれを補った。また、身体強化を用いることで身体能力に優れた亜人族をも上回る身体能力を得ることもできた。
そしてもう一つが「昇華魔法」。これを用いると、あらゆるものの効果が倍加した。身体能力をはじめ、魔法や各技能の性能までもだ。どうやら「対象の効果を倍加する」のが昇華魔法の効果らしい。弱いものに使っても効果は微々たるものだが、強いものに使えば効果は絶大。かつては他の技能との併用はできなかったが、十年の歳月をかけて併用を可能にした今、個人戦力でフェリシアに並ぶ者は魔人族の中にはいない。
恩師であるフリードが相手でも、一対一で戦えば圧勝できるだろう。例え、彼の魔物たちを総動員しても肉薄できる自信がある。
それだけの天賦を備えていた彼女だが、家族を始めとした集落の者達からは猛反対を受けた。
今思い返しても、無理もないと思う。むしろ、当然とすら思う。
当時10歳の子どもが、王都に行って軍に志願するといえばフェリシアでも止める。たとえどれほどの逸材であっても、せめて5年経ってから出直しなさい、と。
しかし、当時のフェリシアは恐ろしく行動的な子どもだった。決心の揺らがぬうちに置き手紙だけ残して集落を出て、その足で王都へ飛び込み軍に志願したのだ。
当初は軽くあしらわれた彼女だが、ステータスの高さと技能の数を盾に押し切った。そこで
初めて実戦に出たのは、それから2年ほど経った頃のことだ。
当時12歳と、この世界基準で見ても成人とは言えない年齢でありながら、フェリシアの実力は当時既に突出していた。まぁ、それはあくまでもステータスの数値面が主で、技術的にはまだまだ未熟ではあったのだが、それでも人族の野盗程度なら問題なく討伐できるとフリードは踏んだのである。
むしろ、これ以上実力をつければ大抵の相手は容易く制圧できてしまう。そうなってしまうと、殺人の経験をすることが難しくなる。そう考えたフリードは、多少の危険は承知の上でフェリシアを討伐隊にねじ込んだ。
フェリシアの実力や精神にはまだ多少の不安はあったが、周りを歴戦の勇士を固めることで安全性を確保した。
とはいえ、物事に絶対はない。討伐戦の途中で人族との遭遇戦になるまでは想定のうち。
ただ、そこに悪天候が加わってしまった。正確に言えば、比較的近くの山岳地帯で大雨が降ったのが原因だ。上流の大雨が鉄砲水を生み、山岳地帯から続く川の下流で発生した戦いを分断したのである。
何人もの人族と魔人族が流され、フェリシアとメルドもそこに含まれていた。二人は辛うじて濁流からの脱出に成功。メルドとしては運良く生き延びたのだから生還を優先するつもりだったのだが、フェリシアはメルドをここで討たなければならないと考えていた。当時、人族を“脅威”と見ていたフェリシアとの認識の齟齬である。
結果二人は戦うことになったわけだが……そもそも濁流に流されたばかりの状態では万全とは程遠い。そして、そんな状況であればあるほど経験の差が勝敗を分ける。むしろ、そんな状態でありながらメルドを追い詰めることのできたフェリシアの非凡さこそが、凄まじいというべきだろう。
メルドとしても、そんな状態でありながら食い下がってきたフェリシアには脅威を覚えずにはいられなかった。本意ではない形で始まった戦いだったが、彼とて歴戦の騎士。殺すと決めれば殺すことに躊躇はない…ない、はずだった。決着の寸前、フェリシアの兜が割れ、その素顔が露わにならなければ。
「……ちいせぇとは思っていたが、ガキ…それも女じゃねぇか」
「くっ! それが、どうしたというのです! 戦場で老若男女に意味などありません!」
(あ~、なるほどな。つまり、子どもだの女だの言われるのはうんざりしてる、と。だから、こんな鎧着こんでたわけか……)
別にそれが理由の全てではないが、一端であるのは間違いない。
鎧を着こんでしまえば、多少の背の低さは問題にもならない。少なくとも、容姿や性別のことでとやかく言ってくる輩は格段に減る。実際、十年後に至るまでフェリシアが全身鎧を着こんでいるのは、他者から舐められないようにするためだ。22歳になったとはいえ、将軍たちの中では最年少。それどころか、史上最年少の神衛騎士団長だ。素顔を晒せば、いらぬちょっかいをかけられることになる。それを避ける意味でも、あの鎧の存在は有難かったのだ。
「どうしました、やるなら一思いにやりなさい人族! やらぬというなら、私が……!」
(自害する気か? いや、勘だがそういうタイプじゃねぇな。ってことは、ここから状況ひっくり返す気満々かよ。そういう足掻きは嫌いじゃねぇが……)
メルドとて、そうとわかっていればそう簡単に隙など見せない。
きゃしゃな体の上に馬乗りになっているので、体重をかけることで動きを制限できているのも大きい。
あとは首を斬るなり、へし折るなりやりようはいくらでもある。
当然、性的な暴行をするつもりはない。種族が違うというのもあるが、それ以上に十代前半の少女に手を出すような趣味は持ち合わせていなかった。
(というかこいつ、その辺の心配はしてねぇのか? いや、俺はやらねぇけど……体系は年相応っぽいが、顔は良いし、将来は美人になるだろうな)
「私の顔がどうだというのです! 魔人族の顔がそんなに珍しいですか! それとも、これまで殺してきた相手の顔など碌に見たこともないと、そういうのですか!」
(あ、こりゃ単にそういうことが思い浮かばないだけだな、こいつ。純粋というか、世間知らずというか……)
「な、なんですかその可哀そうなものを見る目は! わ、私が一体何だというのです!」
(殺すべき、なんだろうな。こいつは強い、まだまだ粗削りだが伸びしろは相当なもんだ。スペック頼りとはいえ、既に俺といい勝負。数年後には、俺じゃ勝ち目がなくなるだろう。そうなる前に、今ここで殺すべきだ)
そう、それは間違いない。まだ十代前半にもかかわらず、この実力。戦士、あるいは騎士として完成すればどれほどのものになることか。いずれ必ず、この少女は人族にとって最大級の脅威になる。その目を今ここで摘むことができるのは、いっそ幸運と考えるべきだろう。
それがわからないメルドではない。わかっている、わかっているのだ。だが、それでも……
(ガキを殺すのは、さすがに後味が悪ぃ)
敵であれば、女であろうと老人であろうと容赦はしない。だが、相手が子どもとなると……ましてやそれが、本当は怖いのに意地を張って虚勢を張っているとなればなおのことだ。
「なんの、つもりです」
「行け…ああ、いや、俺は行く。頼むから仕掛けてくるなよ、次かかってこられたらさすがに殺すしかねぇ」
「私を、見逃すと……情けをかけたつもりか!」
「まぁ、情けといえば情けなんだろうな」
「なに?」
「相手が何であれ、ガキを殺すのはな……ま、お前も大人になればわかる。だから、それがわかるようになるまで死に急ぐな」
「説教のつもりですか」
「ああ。年長者の言うことには素直に耳を傾けるもんだ。参考にするかしないかは、よく考えてから決めればいい。じゃあな」
「ま、待ちなさい! 貴方、名前は!」
「……メルド・ロギンスだ。あばよ、嬢ちゃん。剣やら槍やら振り回すのもいいが、次会う時は、せいぜい良い女になってるこった」
そう言い残して、メルドは本当に去っていった。フェリシアはしばしの間呆然とし、ようやく我に返ると姿を隠した。人族に追撃されることを恐れたというのもあるし、いい加減心身ともに限界が近く休息を必要としていたからだ。
だが、待てど暮らせど追手はかからない。そうして、丸一日が過ぎたころ、フェリシアは現実を受け入れた。メルドは、本当に自分を見逃したのだと。
それからさらに数日後、フェリシアは無事本隊に合流することに成功する。フリードからは叱責をはじめ山ほどお小言をもらったが、正直よく覚えていない。
それよりも、なぜ自分が見逃されたのか……そのことばかりが頭を駆け巡っていた。
魔人族の端くれであることから、彼女も魔王であり神である“アルヴ”の信徒だ。ただ、敬虔な信徒か……と問われると首を縦には振れない。一応アルヴの教えは諳んじているし、信仰心も持ち合わせている。ただ、王都の人々とは比べるべくもない。
だからこそ、彼女は軍に志願してからというものずっと違和感を覚えていた。上手く言葉にはできない胸の奥で燻るそれに蓋をし、ずっとずっと深い場所に押し込めてきた。だが、メルドとの出会いがその蓋を外し、心の底に沈めてきた疑問が顔を出す。
――――――人族とは果たして、自分が思っていたような存在なのだろうか。
それが最初の疑問。後はもう湯水のように疑問が後から後から湧いてきた。
その疑問はやがて人族だけにとどまらず、亜人族や同胞たる魔人族、ついには奉じる神にすら及ぶ。
そして、最終的に一つの問いに集約された。即ち……
―――――――――――私たちは、本当にこれでいいのだろうか。
どうしたらいいかはわからない。ただ、現状に対する強い疑念だけがあった。同時に、それが異端視されるであろう思想であることも。
だから隠した。表向きは魔王に忠実な騎士、敬虔な神の信徒としてふるまう。しかし、胸の内ではいくつもの疑問が渦巻き続け、秘かにその答えを模索し続ける日々。
その果てに、彼女は自分なりの答えを見出した。
人族との戦争は必要か――――否、そんなことをしなくても私たちは生きていける。
人族、あるいは亜人族との融和は可能か――――否、それをするにはあまりにも犠牲を出しすぎた。
では、魔人族は彼らとどう対するべきなのか―――――――そもそも、向き合う必要があるのか。
向き合わずに、どうするのか―――――――――無視する、いないものとして扱う。
我々は彼らも、彼らの土地も、何もかもを必要としていない。その逆も然り。ならば答えは簡単だ。互いが互いの存在を無視し、ないものとして扱う。接触がなければ軋轢は生じず、軋轢がなければ衝突もない。
問題は何も解決しないが、その代わり悪化もしない。そもそも、関わる必要のない相手と、どうして関わる。嫌いな相手には近づかない、子どもでも実践することだ。なぜなら、それが最も互いに無理のない、仮初だとしてもひとつの平和の形だと知っているから。
嫌いな相手を理解しようと努め、歩み寄る、それは素晴らしいことだ。だが、今の魔人族と人族、そして亜人族はそれ以前の段階にいる。とても、歩み寄れるような状況にはない。
だからこそ、互いに互いを無視し、ないものとして扱い……百年、あるいは千年、長い時間をかけて遺恨を風化させる。歩み寄るとしたら、それからだ。
それが、フェリシアが懸命に考えて出した現実にそくした理想だった。だが、現実は理想通りにはいかない。
敬虔な信徒とは言い難い彼女には理解が及ばないが、敬虔な信徒ならば異教徒とその神の存在そのものを許さない。排除以外の選択肢を持つこと自体を罪と考える。これでは、彼女の理想など実現するはずがない。
だから、フェリシアはさらに下方修正した。例えそれが、苦渋に満ちた道筋であったとしても、実現できない理想に意味はない。より現実的な、実現しうる理想をこそ彼女は求めたのだ。例えそれが、どれほど不本意なものであったとしても。
だからせめて、大義だけでも心からの理想を掲げたかった。
それは、彼女の集落で祭事をはじめ様々な場面で必ずと言っていいほど最後に紡がれる言葉。
押し込めていた疑問と共に思い出したそれは、彼女の同胞たちへの願いそのものだった。
――――――
そのためならば、いくらでも泥を被ろう。犠牲を積み上げ、悪行を重ね、非道を為す。その結果、地獄に落ちることも厭わない。
既に、その覚悟はある。どれほど苦しくても、歩みを止めるつもりはない。
ただ、一つだけ…………確かめたいことがあった。
「団長、間もなくお時間です」
「わかりました。ですが、最後に一つ」
「勇者の件でしたら、目新しい情報は何も」
「そうですか。ならばやはり、彼らと話をするには……」
「はい。フリード閣下配下の取り込み策が上手くいくことを祈るより他ないかと。しかし、なぜそれほどまでに勇者のことを?」
「……“異世界より召喚された”彼らはきっと、私たちの知らないものを知っている。見たことのない世界を、聞いたことのない何かを……私は、それを知りたいのです。彼らならば、そして彼らを率いる勇者なら、私に……別の道を示してくれるのではないか、と。そう、期待してしまうのです」
他力本願は承知しているのですけど、そう自嘲しながらも、フェリシアは期待せずにはいられない。
それは、最近の彼女がほとんど見せることのなかった年相応、あるいは幼さすら垣間見える表情だった。
そんな上官の姿に、副官たる彼もまた思わずにはいられなかった。
(どうか、団長の期待を裏切ってくれるなよ、勇者)
不本意な道を取らざるを得ないフェリシアにとって、勇者の存在こそが希望なのだ。
それを理解しているからこそ、彼はそれを裏切ることを許さない。例えそれが、どうしようもなく理不尽なものだとわかっていても。
しかし、残念ながら二人の願いはかなわない。二人が望むような答えを、勇者「天之河光輝」は持ち合わせてはいない。それを紡ぐには、彼の心はあまりにも幼い。そのことを二人は知らなかった。
「ところで団長殿、最近一番グッときた作品は何ですかな? 小官、後学のためにぜひ拝読したいのですが」
「私の趣味に何か文句でも? というか、別に泣いてませんし! 私、血も涙もない鬼の騎士団長で通ってますから!!」
「ハハハ、語るに落ちるとはまさにこのこと。小官、グッときた作品を聞いたのであって、泣いたとは一言も言っておりませんが?」
(プルプルプルプルプルプル…///)
「まぁ、実は良い年をして童話に号泣するほど涙脆いことは、団員たちはみな知っているのですが」
「え、嘘、みんな知ってるんですか? だって、みんなの前で読んだことないはずなのに……はっ、まさか貴方が!?」
「ハハハ、さてどうでしょうな?」
「ま、待ちなさい! いったいどこまでその話を広めたんです!」
「ですが団長殿。もう会議の時間ですが、よろしいので?」
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ! この件は、後できっちりしっかり聞かせてもらいますからね!」
「さて、小官も年ですので、最近は記憶力に自信が……よる年波には勝てませんなぁ」
「ず、ズルいですよ! こういう時だけ年寄りぶって!」
「では、団長。ご健闘をお祈りしております」
「お、覚えてなさい!! 団の外にまで漏らしたら絶対に、ぜっっったいに! 許しませんからね!! いいですか、絶対ですよ!!」
「団長殿」
「なんです!」
「それは、フリですかな? でしたら小官、全身全霊でお応えする所存ですが」
「フリじゃな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!」
ハジメたちの時代には先天的な神代魔法の使い手は一人もいませんでしたが、一人くらいいてもいいんじゃないかなぁと、思うんです。その中で、それ単体だと持っててもいまいちぱっとしない神代魔法を選びました。他の神代魔法とか持ってないうちだと「技能やステータス、魔法を強化する魔法」と誤解しそうですから。そして、フェリシアは思いっきり誤解したまま使ってます。
あと、彼女の変成魔法の使い方は龍太郎のそれに近いです。違いとしては、あちらと違い他者にもかけられること。ただし、ティオほど適性があるわけではないし、多数をまとめて特定の何かに作り替えるのは彼女の流儀ではなく、対象が同胞である魔人族なため必要な部分以外は弄りたくないことから、こんな感じに。ついでに、龍太郎と違い後戻りできないレベルで自分を作り替えていたりします。
そして、目的のためには手段を選ばないし、妥協してでも理想に近づけようとする人です。たぶん、切嗣に近いタイプだと思うんですよねぇ。
ハジメたちに近い部分もありつつ、根本的な部分ではベクトルが真逆。そんな感じの人です。