ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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その日、フェリシアは最近では珍しいことにじっくり腰を据えて王城の執務室で事務処理に勤しんでいた。

それどころか、ここ数日は最近の忙しなさが嘘のように王都から一歩も出ていない。さすがに王城の執務室に籠りっきりとはいかないが、それでも立場に反してフットワークが軽い彼女が大人しく執務室に入り浸っているのは稀有なことだ。

とはいえ、それも散々副官から「もう少し腰を落ち着けてください」とか、「下に任せるのも上の仕事ですよ」とか諭されたからではない。

 

彼女は、待っていたのだ。数日前に観測された天候や季節を無視した局地的な轟雷。小まめに団員を警邏に出していた甲斐もあり、国境線付近の村落から得たその情報をフェリシアは軽視しなかった。

多少の越権行為は承知の上で他の部隊から人を出してもらい、周辺を徹底的に調査。今はその結果を聞くために、こうして王城に腰を据えているのだ。

そして、待ちに待ったその報告がようやく訪れた。

 

「ご報告申し上げます!」

「開いています、入りなさい」

「はっ!」

 

入室を許可しながら、フェリシアはすぐに卓上に魔王国領の地図を広げた。人族側には精々国境付近の地図しかないが、当然フェリシアたちの下には詳細な地図がある。

報告に訪れた兵はフェリシアの指示もあって、挨拶もそこそこにもたらされた情報を読み上げていく。

フェリシアは口述される情報に合わせて地図上に目印となる駒を置いていく。それは、大雑把すぎる地図を手に悪戦苦闘しながらこの国の領内を旅する立香たちの道程を、かなりの精度で補足していた。

 

(やはり、人族側にはこちら側の詳細な地図はないようですね。持っているとしても、上層部だけでしょう。そして、行き当たりばったりとしか思えない様子で村落を訪ねる彼らは、国の上層部へのコネクションを持っていない可能性が高い。ただ、気になるのは……)

「……報告は以上となります」

「ありがとうございます。確認しますが、人間族の男女二名。男は中肉中背黒髪の少年、女は眼鏡をかけた薄紫の髪の少女、そして馬車などには乗っていなかった。間違いありませんか?」

「はっ! 報告ではそのようになっております!」

「なるほど……」

 

フェリシアが最初に立香たちの存在を知った時、彼らは最低でも五人以上の集団だった。その中には騎士だけでなく、亜人族や竜人族と思しき者までいたという。なのに、今はたった二人だけ。これは明らかに不自然だが、亜人族などは目立つので村落の外で待機させている可能性もある。だから、これは良い。

問題なのは、彼らの移動速度だ。

 

(各村や町から得られた目撃情報の間隔が異常に短いのが気になりますね。よほど優れた移動用のアーティファクトでも持っているのか、それとも何らかの技能、あるいは神代魔法によるもの?

 いえ、情報が足りません。それは一度横に置いて、考察すべきは彼らの行動でしょう。あらゆる人里で足を踏み入れる前に拒絶され、門前払いをされていながらトラブルらしいトラブルを起こしていない。拒まれれば大人しく引き下がり次へ、その繰り返し。つまり、彼らは魔人族(我々)との無用な衝突を望んでいない?)

 

人族が魔人族の領域に入ってまでやることなど三つに限られる。一つは村落を襲っての略奪。一つは王都を最終目標とした侵略。最後が、神代魔法の眠る大迷宮の攻略だ。

 

「もう一つ、国境線付近の村落で襲撃を受けた場所はないのですね?」

「はっ! 人族共も我らの力を警戒しているらしく、短絡的な行動は控えているようです。野盗などによる散発的な被害はありますが、大規模な襲撃はありません!」

(聞きたいのはそこではありませんが…まぁいいでしょう。とりあえず、人族による大きな被害は今のところなし。ではやはり、彼らの目的は略奪にはないと考えるべきでしょう。侵略が目的なら軍勢を率いてくるでしょうし、先遣隊ならもっと隠密行動を徹底するはず。

ならば、残された可能性は一つ。大迷宮が目的と考えて、まず間違いありませんね)

 

そうだとすれば、門前払いをくらいながらも何度も村や町を訪れていたのも納得がいく。彼らはきっと、情報が欲しかったのだ。大迷宮の正確な位置の情報が。

同時に、彼らが不自然なまでに世情…というか、人族と魔人族の軋轢に疎いことも伺える。普通なら、どれほど情報が欲しかろうと馬鹿正直に正面から尋ねたりはしない。そんなことをしても取り合ってもらえないことを、普通なら誰もが知っているからだ。

 

(確か、勇者の他にも多くの者が共に召喚されたとか。彼らなら、我々の軋轢に無知でもおかしくはありません。勇者は今もオルクス大迷宮に潜っているという情報もあります。恐らく、勇者とは別行動をとっている召喚された異世界の住人なのでしょう。

 ならば、先入観がない分まだ対話が成立する可能性が高い。領内を右往左往しているのは、王国や教会にもこちら側の詳細な地図がないから? あるいは、何かしらの理由から上層部と袂を分かっている?

 いずれにせよ、これ以上は彼らから直接聞くしかありませんね)

 

そう結論し、フェリシアは早速立香たちの今後の動きを予想する。

流石に何度も門前払いをくらって諦めたのか、一昨日以降の目撃情報はない。そのため、行動予測をするのは困難だが、最終的な目的地を「氷雪洞窟」と仮定するなら、ある程度網を張ることはできる。

 

「……副長に連絡を! 第4装備を準備の上、二刻後に我々は領内に侵入した人族の迎撃に出ます。人員の選抜は任せる、急げ!!」

 

第4装備とは、武力衝突以上に索敵・調査を目的とした動きやすさ優先の装備のことだ。また、ある程度以上の時間がかかることを前提に、食料なども多めに持っていくことを意味している。

建前上は領内に侵入した外敵の排除だが、もちろん本心は違う。フェリシアの本命は勇者だが、勇者ほどではないにしろ異世界出身の者達には興味がある。特に、国や教会の上層部と距離を取っている可能性があるということから、対話が成立する可能性が高いというのも大きい。

できるなら早々に見つけ出し、腰を落ち着けて話を聞きたいというのが本音だ。ただ、今の彼女の立場上そう簡単にはいかないが。

 

「では、私も同行させていただきましょう。フリード将軍が生み出した魔物の中から、機動力に優れたものを選別いたしますので、少々お時間を」

「……任せます」

「ありがとうございます」

(この様子だと、やはり同行するつもりですか。まぁ、事実上の監視役なら当然でしょうが)

 

フェリシアが他の部隊に働きかけたのと前後して、一人の魔人族がフェリシアの補佐のためにあてがわれた。名目上はフリードの生み出した魔物の管理。だが、その裏でフェリシアの監視を目的としていることはまず間違いない。

ただ、フェリシアはこれがフリードの恩情であることも理解していた。

 

(おそらく、あくまでも“疑いあり”という段階なのでしょう。逆に言えば、疑いを晴らすために彼がつけられたとも考えられます。慎重に、信徒としてあるべき振る舞いを徹底すれば、何も問題はありません。ですが、それをすれば……)

 

恐らく、彼らと対話はできない。対話を行うということ自体が、信徒としてあるまじき行いだからだ。

 

(彼らには申し訳ありませんが、捕虜にすれば話をする機会も設けられるでしょう。その上で、うまく手引きして逃がすことも……。とはいえ、それすら難しいようならば今回は諦めることも視野に入れるべきですね。それが対話か、あるいは彼らの命かは、わかりませんが)

 

できれば、相手の命を徒に奪うようなことはしたくない。だが同時に、ここで“疑惑”を“確信”に変えるわけにもいかない。そうなるくらいならば、殺害もフェリシアは視野に入れている。彼らとの対話の機会は貴重だが、それでもまだ彼女はここで斃れるわけにはいかない。異世界出身者は、他にもいるのだから。

より多くの同胞たちのため、僅かな犠牲を許容する程度の冷徹さは彼女も持ち合わせている。

 

(まぁそれも、私が勝てればの話でしょうが……)

 

相手は十中八九神代魔法の使い手。即ち、自身と同格かそれ以上の実力者だ。勝てる前提で考えを巡らしていたが、負けた時のことも考えねばなるまい。ただ、いっそ負けて捕虜にでもなってしまった方が、「対話」という意味では都合が良い。ただし、彼女が魔人族側から失われれば、それこそ歯止めを利かせる者がいなくなってしまう。ならばこそ、フェリシアは決して捕まるわけにはいかないのだ。

 

「団長、親衛騎士団20名。準備整いました」

「こちらも、選りすぐりの魔物をお連れ致しました」

「よろしい。では…………………出ます!!」

 

しかし、彼女は知らない。

確かに相手は神代魔法を習得した大迷宮攻略者だが、その実彼らはほとんど神代魔法を用いない。彼らが頼みとするのはもっと別の……異世界の神秘、その中でも最高峰に位置するであろう“英霊(サーヴァント)”たちだということを。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

ガーランド魔王国の辺境。人目に付きにくい岩陰にハインケルを停め、立香とマシュは窓からぼんやりと外を眺めていた。

国境を越えて数日を経ているので、それなり以上に内部に入っているはずだが、具体的な場所はわからない。人間族側に流通しているガーラントの地図は国境線付近に限られ、ある程度以上進むと極めて大雑把な地図しかないからだ。「この辺りに大きな森がある」とか「この辺は切り立った山があるので進めない」とか、その程度の代物だ。

正直、まるであてにならない。実際、町や村を見かける頻度が少ないことから「辺境」と推測しているが、実際のところはわからない。もしかしたら、案外近くに大きな街があったりするかもしれない。そのくらい、今の立香たちは情報弱者だ。

 

一応シュネー雪原の方角くらいは雑な地図にも載っているので、そちらに向かうことはできる。しかし、こんな状態では途中で確実に川や谷に行く手を阻まれてしまうだろう。

それを避けるため、見かけた街や村に足を運んで情報収集をしようとしたのだが、軒並み門前払い。

ステータスプレートに種族名が表記されないことからフードを目深に被って誤魔化そうとしたが、さすがにそう上手くはいかない。フードを取って顔を見せるよう言われ、取らないという選択肢がないことから指示に従えば、当然のように人間族であることが発覚。

相手に少しでも話を聞く気があれば芽もあるが、人間族とわかるや否や戦闘態勢では立香としてもお手上げだ。

そんなことを何度か繰り返し、いい加減正攻法では無理とあきらめがついたのが三日前のこと。

 

以降は町や村を発見する都度、こうしてハインケルを物陰などに隠し、斥候を出しての情報収集に努めている。

どれだけ警戒していたとしても、霊体化できるサーヴァント相手には無意味だ。まぁ、性格というか性質上、斥候には死ぬほど向かないサーヴァントというのもいるので、誰でもいいわけではないが。

それはともかく、今立香たちはその斥候が戻ってくるのを待っている状態だ。

 

とはいえ、正直に言えばあまり期待はしていない。

それよりも、今はとにかく……この天候を何とかしてほしい。

 

「雨、やみませんね」

「もう一週間近く降ってるよ。この辺って今雨季とかなのかな?」

「すみません、季節のことまでは……」

「あ、いや! 別にマシュを責めてるわけじゃないんだ! ただ、ほら…さすがにうんざりしてきたというか、ね」

「はい。ハインケルはかなりの広さがありますし、シャドウボーダーで慣れているとはいえ、さすがに息が詰まってしまいます」

 

生きていくために必要なものは一通り以上揃っているが、それでも閉ざされた空間に缶詰めになる精神的負荷は無視できるものではない。あの時とは違い、まだ状況が逼迫していないのも一因だろう。余裕がある分、ストレスを自覚しやすいのだ。

 

「それもこれも……どこぞの劇作家が余計なこと書くから」

「没収した原稿に、しっかり『天変地異』と記載されていましたからね」

「まぁ、この程度で済んでるんだからまだマシではあるけど」

「はい。それこそ嵐や地震、火山の噴火…そういったものが起こっても不思議ではありません」

 

ちなみに、没収した書きかけの原稿にはざっと目を通したが、実に業腹なことに状況も忘れて没入してしまった。

これから何が起こるのか、登場人物たちは無事進めるのか、ハラハラドキドキ先の展開が気になって堪らない……というところでこれが自分たちのことだと思い出し、思わず原稿を叩きつけたとしても仕方ないだろう。

流石のクオリティだとは、悔しいので言いたくない。

 

「……それで元凶から、何か言うことは?」

「ふ~む……“豊かさと平和は、臆病者をつくる。苦難こそ強さの母だ”とも申します。私はマスターのさらなる成長を願ってですな」

「刑期延長」

「フォウ!」

「はい。シェイクスピアさん、さらに二日間ミノムシの刑です」

「なんとぉ!? 惨い! それはあまりにも残酷ですぞマスター!! 作家にペンを握らせないなど、このような惨い仕打ちが他にありましょうか!?」

「……不満はそこなんですね」

「筋金入りだよねぇ」

「フォ~ゥ……」

 

普通、車内で簀巻きにされた挙句に宙吊りにされていることに文句を言うはずだが、この男の場合「縛られているせいでペンが握れない」ことが上回るらしい。もしも効き腕を解放してやれば、それで文句はないのかも。いや、それならいっそ……

 

「もういっそ口でペン咥えてみる?」

「おぉっ! その手がありましたなぁ! あ、我輩、今手が使えないのですが」

「じゃ、はい」

「はむ、ほれでふぁはっほく(それではさっそく)…………………………………紙がありませんぞ、マスター!?」

「うん、その方が反省するでしょ?」

「見縊らないでいただきたい! このシェイクスピア、こと執筆においては一切の妥協も微かな後悔もありません! 故に! 反省など以ての外!!」

「フォウフォウ、フォウ」

「言い切りやがったよ、このダメ人間」

 

わかってはいたつもりだが、つくづく筋金入りだ。反省を期待する方が間違っていたと実感するくらいには。

 

「仕方がない……それじゃ、令呪でこの旅のことを書くのを禁止するのと今のまま、どっちがいい?」

「マスター、あなたは悪魔ですか!? 我輩に死ねと!?」

「というか、普通にノンフィクションの旅行記とかでいいでしょ」

「ジャンルとして否定はしませんが、盛りあがりませんな」

 

つまり、そんなものを書く気はさらさらない、と。我が道を行きまくるのが大方のサーヴァントの在り方だ。無論例外もあるが、誰も彼もが自分なりの譲れない“何か”を持ち、その点に関しては何をどうしたところで譲らない。シェイクスピアの場合、“執筆”がそれにあたる。

彼の妥協を望めない以上、あとはもう立香が折れるしかない。

 

「……はぁ、わかった。俺の負け、もう好きにすればいいよ」

「ハハハハハ! さすがはマスター、実に器が広い!」

「そう思うなら少しは加減してほしいんだけど」

「それとこれとは別の問題ですな」

 

このまま拘束しておいてもいいのだろうが、反省を期待できない相手にそんなことをしても意味はない。令呪で強制するという手も残ってはいるが、元々そういうのは立香の方針に反する。本当に、どうしても必要というわけでもないのなら、サーヴァントたちの意に反する強制は好むところではない。

 

「よかったんですか、先輩?」

「まぁ、あんまりよくはないんだけど……そもそも、今の状況がシェイクスピアのせいかどうかわからないわけだし」

「そう、ですね……可能性はありますが、確証はありませんし」

 

彼ほどの文筆家の書いた文章なら、確かに現実になってもおかしくはない。が、だからと言って「書いたことが現実になる」という程の出鱈目の持ち主でもない。「なるかもしれない」あくまでもそれだけなのだ。

ならば、後は当人たちの気の持ちようだ。そして、立香はこの件をこれ以上引っ張る気はない。相手をしても疲れるだけだし。

で、せめて気分を切り替えようと席を立ちかけたところで、音もなく彼女が現れた。

 

「マスター、段蔵ただいま戻りました」

「あ、ご苦労様。それで……どうだった?」

(ふるふる)

「そっか……」

 

求めていた情報……ここは魔人領のどのあたりなのか、どの方角に何があるのか、氷雪洞窟の具体的な位置、何一つとして分からなかったらしい。まぁ、それ自体に驚きはない。これまでの町や村でもそうだったし、そもそも日常会話の中でそんな話が早々出てくるわけもなし。最後のものは特にだろう。

ただ、全く得るものがなかったわけでもないらしい。

 

「そういえば、ここのところ雨が続いているけどそれについては?」

「どうやら、この辺りは現在梅雨や雨期に相当する季節のようです」

「あぁ、やっぱりそうなんだ」

「シェイクスピアさんのせいではなかったのですね」

「ただ、これだけ雨が続くのも珍しいと」

((ジ~~~~~~ッ))

 

全ての責任があの髭にあるわけではないようだが、全くの無実かというと……。

立香たちだけでなく、何の関係もない人たちにまで影響を及ぼしていることを考えると、さすがに令呪を使ってでも制限するべきか……。

 

「ほかに何かめぼしい情報はありませんでしたか?」

「……申し訳ありませぬ。しかし、段蔵は忍の者。方法はいくらでもございます。尋問の許可をいただければ、いまからでも……」

「ダメでござる」

「フォウ」

「ですが……」

「ダメと言ったらダメでござる」

「フォウフォウ」

「……承知」

 

目的と手段を取り違えるような相手ではないが、なんだかんだでそこは忍。しかも絡繰り。いろいろと容赦がない。ここで許可を出したらいったいどうなることか……考えるだけでも恐ろしい。

 

「ですが、そうなるとまた人里を探すところから始めますか?」

「この様子だと、どこも似たような調子みたいだし…いっそ、諦めてまっすぐ向かった方がいい気もしてくるなぁ。どう思う?」

「む、吾か?」

「うん。アルトリアたちからは一通り意見は聞いたし、別の切り口が欲しいかなって」

「う~む、そうさなぁ……とりあえず、飯にするか! 何はともあれ腹ごなしだ!」

「フォーウ!」

「うん、だと思った」

「では、釜の用意をしてきますね。藤太さんは……」

「おお、任せろ! 行くぞぅ、美味しいお米がどーん、どーん!」

「フォッ!?」

「ちょっ、出し過ぎ!? こんなところでそんなに出したら、ガボガボ!?」

「先輩!? 先輩がお米の波に呑まれました!?」

「っはははははは! いかんいかん、少々やりすぎた!」

 

精悍な偉丈夫の肩に担がれた巨大な米俵から溢れ出した米が濁流となり、辛うじてフォウだけは避難させた立香を押し流していく。あっという間に車内が米や山海の珍味で埋め尽くされ、内圧で扉が押し破られた。

そのまま立香は車外まで流されて行き、文字通り這う這うの体で米の海を掻き分けていく。

が、掻き分けても掻き分けても出られない。さすがの立香も「これはちょっと不味いかも?」とか思いだしたところで、何かが彼の襟首をつかんで引っ張り上げる。

 

「ぶはっ!? げほげほ! ま、まさか米に溺れて死にかけるなんて……斬新過ぎる」

(ジーッ)

「ん? ああ、ありがと、助けてくれて。見ての通り大丈夫だから、心配いらないよ」

(ぷいっ)

「やれやれ……ぁ、雨弱くなってる?」

 

先ほどまでの土砂降りが嘘のように雨足が弱まり、分厚い雲の裂け目から日差しが降り注いできている。

 

「やれやれ、こういうのも幸先が良いっていうのかな?」

「先輩?」

「ま、何はともあれ腹ごなし。折角だから、外でパァッとやろう! で、食べ終わったら出発だ」

「はい、急いで準備してきますね!」

 

そうして、久方ぶりとなる屋外での食事を満喫した一行。

「聖剣の私ほど食事にこだわりはない」と言いつつやっぱりモリモリ食べるアルトリア、そんな騎士王やマシュに「アレ食いねぇコレ食いねぇ」とわんこ蕎麦のごとく盛り付けていくブーディカ、余った食材で緊急時用の兵糧(銘菓風魔まんじゅう・ご当地ver)を作成する段蔵、自著を引用しながら偉そうに食レポするシェイクスピア、その豊満な肢体を密着させながら甲斐甲斐しく立香の食事の世話をする頼光、時折マシュから突き刺さる冷たい視線に居心地悪そうにする立香、そしてそんな風景を肴に酒盛りを始める藤太。

 

まったくもって、自由な連中である……と、最後の一騎が思ったかどうかはわからない。

 

そんなこんなで、改めて俵藤太(兵站において最高の英霊)の有難みを噛み締めつつ旅を続ける。

窓を全開にし、多少の湿っぽさはあれどもさわやかな風を浴びながら進むことしばし。

日も大分落ち、夜も間近となってきた頃。日本であれば「逢魔時(おうまがとき)」と称すべき刻限だが、魔物が跋扈する異世界トータスでは割とシャレにならない。まぁ、遭遇したからと言ってどうということもないのだが。

 

「さて、マスター。今夜はどうするつもりなのです?」

 

ハンドルをブーディカに任せたアルトリアからの問い。

通常の旅であれば、夜になる前に適当なところで野営の準備をすべきだろう。いや、本来なら夕暮れ時では遅すぎるくらいだが……立香たちには関係のない話だ。ハインケル車内には寝床はもちろんキッチンも備え付けられ、シャワールームや大きくはないがバスタブまである。そもそも、夜間であろうと苦も無く進むことができる上に、ハンドルを握るのは睡眠を必ずしも必要とはしないサーヴァント……つまり、野営の必要がないのだ。

食事や睡眠が必要な立香とマシュは車内でそれらを済ませ、その間もアルトリアやブーディカがハインケルを走らせれば何も問題はない。

 

ただ、立香自身はあまりそのやり方に乗り気ではなかった。

確かにサーヴァントである彼女たちは食事も睡眠も必要ないのだろう。だが、「必要ない」と「いらない」は必ずしもイコールではない。そもそも、彼女たちもかつては生きた人間だったのだ。そのため、嗜好品的な扱いではあるが睡眠や食事を積極的にとるサーヴァントは多い。

交代しながらの運転でもいいのだろうが、ホルアドに向かう時のようにどうしても急がなければならない状況でもないのなら、仲間たちを酷使するつもりはなかった。休めるのなら、食べられるのなら、眠れるのなら、可能な限り一緒に……というのが立香の基本方針だ。

なので、悩むまでもなく答えは決まっている。

 

「じゃ、今日はそろそろ休もうか」

「いえいえ、少々お待ちをマスター。右手をご覧ください」

 

シェイクスピアに促されるまま右手に視線を向けると、そこには薄暗い中でもはっきりとわかる橙色の小さな点。

 

「……………………………………灯り?」

「フォウ?」

「はい、いくつかの灯りが確認できます」

「う~ん、でもそれって不自然じゃない?」

 

一度ハインケルを止めたブーディカの言葉に、全員が同意する。

この世界は魔物という脅威が存在する関係から、どんなに小さな村であろうとも必ず周囲を壁で覆っているからだ。そのため、人里の外から灯火を発見することは基本的に不可能。可能性として考えられるのは……

 

「野盗か軍か、あるいは商人を始めとした旅人か……いずれかの野営によるもの、と考えるのが妥当でしょう」

「そう、ですね。旅人なら問題ありませんが、野盗や軍隊の場合少々厄介なことになるでしょう。どうしますか、先輩?」

「う~ん……」

 

この集団内で最も非力なのは議論の余地なく立香だが、最終的な決定権は彼の手にある。だからこそ、皆の視線が立香に集中し彼の決定を待っている。

 

正攻法による情報収集は諦めたし、人里に段蔵を潜入させる方法も望み薄と言わざるを得ない。なので、敢えてあの灯火に近づいていく意味はないように思われる。

だがそうとわかった上で、立香は“魔人族”と話がしてみたかった。

 

「……行こう。門前払いされて当たり前、でも今までとはいろいろ違うからあまり詮索されない可能性もないわけじゃない。なら、彼らと話ができるかもしれないしさ」

 

旅人同士がたまたま出会い、一晩同じ火を囲む。そうなれば、お互いのプライベートに踏み込まない程度の雑談くらいはできる可能性がある。

まぁ、流石にそう上手くはいかないだろうが、そこは立香のコミュ力の見せ所。少なくとも、人里を訪ねるよりかはよほど可能性がある。

 

「ですがマスター、母は心配です。あなたを見た魔人族は誰も彼も殺気立ち、聞くに堪えない暴言を吐き、中には刃を向ける者までいる始末。マスターが止めなければ、一人残らず処理していました。次また同じことがあれば、わたくし何をしてしまうかわかりません」

「ぁ、うん……とりあえず、段蔵に事前調査してもらおうか…………あっちにいる人たちのためにも」

「ですね」

「フォウ……」

 

実を言えば、立香が人里を直接訪ねることをやめた最大の理由は、交渉することすらできないからではなく、剣呑な雰囲気に反応した頼光を止められる自信がいよいよなくなってきたからだ。本人の言う通り、あのまま続けていたらそれこそ町や村の一つや二つ焦土になっていたかもしれない。どれほど理性的に見えても、そこはバーサーカー(狂戦士)ということだ。

 

そんなわけで顔も知らぬ魔人族の安全のため、段蔵に事前調査に行ってもらったのだが…念輪による報告は思いのほか早かった。

 

『マスター、ご報告がございます』

『あれ、随分早いけどどうしたの?』

『あの灯りは野営によるものではありませんでした』

『え、そうなの? じゃあ一体……』

『どうやら、彼らは流浪の民の様で……』

 

段蔵からの報告を総合すると、彼らはモンゴルなどで見られる「ゲル」のような移動式住居に住み、馬や羊を主に牧畜を行っている遊牧民らしい。住居の数を見る限り世帯数は多くなく、10世帯前後と思われる。ただ、地球における遊牧民は通常1家族ないし数家族からなる小規模な拡大家族単位で生活しているので、10世帯近い規模というのは珍しい、とはマシュが教えてくれたことだ。まぁ、この辺りは魔物の有無などの影響があるのかもしれないが。

また、他にも気なる情報が……

 

『結界?』

『はい。集落を覆うようにかなり広範囲に結界らしきものが展開されております。ですが、段蔵にはどのようなものか判別できず、申し訳ありませぬ』

『気にしないで。とりあえず、一度戻ってきてくれるかな』

『承知!』

 

段蔵が戻ってくるまでの間に、件の結界とやらの性質について検討するが……答えは出ない。生憎と、今回は本職のキャスター(魔術師)がいない。シェイクスピアが一応キャスターのクラスにこそ据えられているが、生前は魔術とは無縁。正直、これっぽっちも役に立たない。

わかったことといえば、段蔵が調べた限り結界の範囲は一キロ近くあることと、害意・敵意のようなものは感じられなかったことくらい。その広さがやや気になるところではあるが……

 

「まぁ、とりあえず行ってみようか」

 

という立香の一言で方針が決定。

何かあっても、仲間たちがいれば何とかなるという信頼の表れである。

 

とりあえず、同伴者はこれまで通りマシュが務め、肩にはちゃっかりフォウが陣取っている。他の者は霊体化して同行ないしハインケルで待機。できれば藤太やアルトリア辺りも共にいければよいのだが、もしもステータスプレートの提示を求められたりしたとき、色々面倒なので避けた形だ

 

集落を目指してしばらく歩いていくと、徐々に灯りの一つ一つが立香の目でも視認できるようになり、夜の闇の中から集落の全体像が浮き上がってくる。

段蔵の報告通り、そこには馴染みはなくても知識としては知っているテントのような住居がいくつか。

ただ、いくら日が沈み夜になっているとはいえ、人の気配がなさすぎることが気になった。

 

(外に出ている人がいないのは良いとしても、いくらなんでも静かすぎない?)

(はい。こういった家屋を実際に見るのは初めてですが、決して遮音性は高くないはず。なのに、まるで物音も話し声も聞こえません。それに、夕食時の筈なのに煙も出ていません)

(でも、その割には料理の匂いはするんだよね)

 

生活感がない……と言えればいいのだが、むしろその逆だ。つい先ほどまで人がいたにもかかわらず、跡形もなく消え去ってしまったかのような不自然さ。どこかの住居に入れば、温かな夕食が湯気を漂わせていたとしても不思議ではない。

 

(もしや、この集落を覆っていた結界というのは……)

「マシュ」

「どうかしましたか、先輩?」

「誰か出てきた」

「っ!」

 

結界に対する考察を進めようとしたところで、立香に促されマシュもそちらの方を見る。

そこには確かに、右手に持った杖をつきながら進む……

 

「……ブルドックの亜人?」

「いえ、先輩。きっとシャーペイではないかと?」

「良く分からないが失礼な子たちだね。あたしゃれっきとした魔人族だよ。ボンクラども」

「す、すみません! そうとは知らず……」

「ごめんなさい。あまりにもしわくちゃだったんでつい……」

「謝る気がないね、アンタら。礼儀ってもんをどこに置き忘れてきたんだか」

 

ちなみに、シャーペイとは中国原産のものすごく色々なところの皮の垂れた犬種のことである。

そんなものに例えられるあたり、この魔人族がどれだけしわくちゃなのかわかるというものだろう。

 

「えっと……それでおじいさんは」

「一人称聞けばわかるだろ、あたしゃ女だよ! この節穴!」

「ごめんなさい。知り合いに『身体は漢、心は乙女』な人がいるのであなたもそうなのかと……」

「………………………………………」

 

呆れて物も言えない、しわくちゃ過ぎて表情はさっぱりだがなんとなくそんな気配がした。

 

「はぁ~……いい加減本題に入りたいんだが、いいかい?」

「あ、どうぞ」

「それで、アンタらうちの集落にいったい何のようだい?」

 

核心を突く問いだ。とはいえ、答えは何通りか用意している。立香は焦らず慌てず、あらかじめ決めておいた“理由”を口にしようとするが、老婆が先んじた。

 

「まぁ、大方の予想はついているんだがね」

「え?」

「アンタたちの目的はシュネー雪原、その奥にある氷雪洞窟…つまり大迷宮への挑戦、違うかい?」

「どうしてそれを……」

「ふんっ!  “大迷宮攻略者”がこんなところをウロウロしている理由なんて、それしかないだろう? そんなこともわからないほど頭の回りが悪くても攻略できるものなのかい、大迷宮ってのは?」

「「っ!?」」

 

今この老婆はいったい何と言った? 大迷宮攻略者……だが、立香たちはそれを見抜くヒントとなる物は何も見せていない。攻略の証も、攻略することで得られる神代魔法も、何一つだ。なのに、どうしてそれを見抜くことができる。

知らず知らずのうちに二人の警戒心が増していく。しかし、老婆はそれを気に留めた様子もなく、つまらなそうにしている。

 

「隠しておきたいのなら、もう少し腹芸を磨くことだね。これがハッタリだったら、アンタらは良いカモさね」

「……ハッタリで口にできる内容ではないと思いますが」

「かもしれないね。それで、大迷宮にいったい何の用があるんだい? ああ、神代魔法って答えはいらないよ。攻略者が大迷宮に挑む理由なんざ他にないからね。時間の無駄さ」

「神代魔法のことも知ってるんですか?」

「むしろ、この国でそれを知らない奴はいないさ。その理由は、アンタらも予想できてんじゃないかい? むしろ、予想していないとしたら類稀な阿呆だが」

 

さっきからチラチラと罵倒が混ざっているのだが、この老婆は相当口が悪いらしい。それとも、最後に罵倒を入れるのが魔人族の会話方法なのだろうか? いや、今まで町や村で門前払いをいくら食ってもそんなことはなかったので、この老婆だけに限った話なのだろうが。

まぁそれはともかく、老婆の言わんとしていることはわかる。

 

「ではやはり、魔人族が魔物を使役しているのは神代魔法によるものなのですね」

「ま、大迷宮を攻略して神代魔法を習得してれば、当然その結論に至るだろうね。そうじゃなかったら空前絶後の間抜けだが」

「あの、さっきから言葉の端々に罵倒が混じるのはなぜでしょう? 何かお気に障ることでも……」

「してないとでも? あたしのこと良く分からない亜人族と間違えてただろうに」

「そ、その節は大変申し訳ありませんでした」

「そもそも、あたしらがアンタたちに対して好意的である理由があるとでも? どんだけ頭がお花畑なんだい」

「あぅ……」

 

長年の確執がある以上、魔人族である老婆が人間族である立香たちに対して敵意を向けるのは仕方がない。

仕方がないが…ちょっと待ってほしい。立香たちはまだ目深に被ったフードを取っていない。この状態では、種族を特定できないはずなのだが。

 

「…………」

「なんでわかったのか、って様子だね。魔人族の間じゃ有名な話だからだよ。軍のお偉いさんが大迷宮を攻略して、神代魔法を手に入れたってね。それを知らないって時点で余所者確定さ。憶えときな、世間知らず共」

「な、なるほど……」

 

そして、亜人族が原則魔法を使えない種族である以上、あと神代魔法を求める可能性があるのは人間族のみとなる。

 

「それで、なんで神代魔法を求めるんだい?」

「それは、大迷宮の場所を知っているということでしょうか?」

「聞いているのはこっちだよ。まぁ、仮に知っていたところで教えるつもりはないがね。そのために、あたしが一人でアンタたちを出迎えたんだ」

 

それはつまり、ここで拷問してでも情報を得ようとすることすら織り込み済みということか。

大迷宮攻略者に並の者では相手にならない。それを知っているからこそ、一人で待ち受け被害を最小限にしようとしている。他の集落の者達は、結界に感知された段階で避難させたのだろう。

 

同時に、この事実から例の結界の大まかな機能も予想できる。恐らく、近づいてきた者を感知する機能の他に、何らかの方法で大迷宮攻略者かどうかも判別できると考えるべきだ。

そうでなければ、こうも迅速な避難ができるはずがない。

 

そして、もう一つ。似たような話を、立香たちはハジメたちから聞いている。亜人たちの国「フェアベルゲン」では、大迷宮攻略者が訪れた時に備えての口伝が残されていた。老婆の発言は、単に魔人族から大迷宮攻略者が現れ、手に入れた神代魔法で軍備を強化していることが当たり前の事実として周知されている、というだけでは考えにくいものだ。

 

そもそも、彼女はどうして立香たちを待ち構えていた?

相手にならないことも、情報を得るために拷問される可能性すら理解していながら。

つまり彼女には、それらのリスクを背負ってでも大迷宮攻略者に会わなければならない理由があるということだ。

 

ならば、話すべきだ。ハジメたちがフェアベルゲンでそうしたように、自分たちが知る限りのことを。

それはこの世界の神の話であり、神に挑んだ解放者たちの話であり、立香たちが異世界の人間であることや、神代魔法に帰還の可能性を見出していることもだ。さすがに、召喚された異世界から見てもさらに異なる世界の出身、であることはややこしくなるので伏せたが。

 

それら全てに、老婆は黙って耳を傾ける。

驚くこともなく、狼狽することもなく、いたって冷静なまま、顔色一つ変えずに。

しかし、それは異常だ。フェアベルゲンの長老の一人も落ち着いていたらしいが、「この世界は亜人族に優しくない」という彼の言葉が示す通り、亜人族にとっては「だからどうした」という話である。神が何者であろうと、彼らにとっては同胞たちを虐げる敵たちの信仰対象でしかない。それが狂っていようが、彼らには何の関係もない。

だが、魔人族である老婆にとっては違う。人間族がエヒトを信仰するように、魔人族もまた彼らの神を奉じている。その神の名までは立香たちは知らないが、解放者たちが討とうとしたのは魔人族の神さえも含んでいる。信仰対象が狂っているといわれて、どうして彼女はこうも冷静でいられるのか。

立香たちの疑問を察したのだろう、問いを投げかける前に老婆は口を開いた。

 

「別に、知っていたわけじゃないよ。あたしたちにもそこまでのことは伝わっていない。

ただ、驚くほどのことでもないってだけさ。あたしらにも“アルヴ”様への信仰はある。だがね、温度差……とでもいえばいいのか、あたしらと他の連中との間には信仰心にかなりの差がある。うちの集落のそれなりの年の連中は、他所とかかわった時に大なり小なり違和感を覚えたことがあるはずだよ、“なにかがおかしい”ってね」

 

聖教教会もそうだが、教義そのものは人々に受け入れられていることからわかるとおり、そう突飛な内容ではない。だからこそ、この集落でも基本的には“アルヴ神”の教えが基盤にある。

とはいえ、この集落における“アルヴ神”は必ずしも絶対の存在ではない。信仰する“神”であり、国の頂点に立つ“王”だからというのもあるのかもしれないが、この集落では時に平然とアルヴを批判する声が上がる。直近では「なぜわざわざ戦争なんて……」などがそれだ。

この集落では当たり前のことだが、他所では違う。他の人里では僅かでもアルヴの意思を疑うだけでも排除される。そして、それがガーラント魔王国の常識なのだ。

 

「だから、驚かないと?」

「そういうことさね。で、ここまで言えばいくら鈍いアンタたちでも予想できてるんじゃないかい?」

「ここは、解放者たちに縁のある集落なんですね」

「具体的なことは伝わっちゃいないが、十中八九そうだろう。敵意や悪意の他に大迷宮攻略者様に反応する結界、結界が反応した時に備えての口伝……他にもいくつかあるが、そんなもんが残っているんだ。そう考えるのが普通さね」

「ちなみに、反応したというのはこれのことでしょうか?」

 

マシュはオルクスとグリューエン、二つの大迷宮の攻略の証を見せる。

 

「さて、生憎結界の大本はあたしの手元にないもんでね」

(避難した方々に託した、ということでしょうか。確かに、そうすれば失われる可能性を下げることができますから、当然といえば当然ですが)

「紋章のことは伝わってないんですか?」

「昔は伝わっていたのかもしれんが、いまはないね。しかし……その様子じゃ、他にも聞きたいことがありそうだ」

「できれば、どんなことが伝わっているのか聞かせて欲しいなぁとは」

「…………まぁいいだろう、ついてきな」

 

そういって老婆は一つの移動式住居へと向かっていく。それなりには信用してもらえた、と見ていいのだろうか。

とりあえず、立香たちもその後を追い住居の中へ。内部は二本の柱が中心で支え、さらに屋根部分から放射状に梁が渡されている。また、壁の外周部分の骨格は木組みで菱格子に組んであった。

中々見ない構造の住居であり、敷物や壁掛けには独特な模様の織物が使われていて大変興味深い。

 

とはいえ、あまりキョロキョロしているわけにもいかない。

立香とマシュは老婆に勧められた座布団(っぽいもの)に腰を下ろし、振舞われたヨーグルト風味の飲み物に口をつける。

 

「さて、じゃあまず何から話すかね……」

 

そうして、老婆は一つずつぶっきらぼうながら集落に伝わる口伝について話してくれた。

代々集落の長に伝えられてきた結界を発生させるアーティファクトがあること。それが示した反応に合わせての対応があり、立香たちへの対応はその一つであること。アルヴに従順とは言い難いその姿勢に気付かれれば排除されかねず、移動ルートを特定されないため多岐にわたるパターンが用意されていること。集落に「魔力操作」の技能や固有魔法を持った子が生まれた時の対応など、かなりの数にのぼった。

 

「固有魔法や『魔力操作』を持った人が生まれるんですか?」

「ああ、極稀にね。ただ、そういう子に限って行動的というかお転婆というか、代々の長は頭を抱えていたようだが」

(もしかして、今の時代にもいるのかな?)

「いや、それはいい。それで、他に聞きたいことは?」

「シュネー雪原の大迷宮、氷雪洞窟への行き方を教えてください」

「まぁ、当然そうなるか」

 

当然といえば当然の問いだ。むしろ、大迷宮攻略者が聞きたがるような話などそれくらいしか思い浮かばない。

 

「…………生憎、詳細な場所まではわからない」

「そう、ですか……」

「だが、大まかな位置はわかる。アンタたちになら、教えるにやぶさかじゃない」

「つまり、何か条件があるんですか?」

「なぁに、そう難しい話じゃないよ。あたしの口を割ってみな、どんな手段を使ってもいい」

 

その言葉に、思わず立香とマシュの表情が強張る。なにしろそれは、極めつけに意地の悪い課題だからだ。

『口を割る』ことが話すための条件。そんなもの、条件として成立していない。要は、腕づくでしゃべらせてみろと言っているのと同じだ。そして、正攻法ではそれが不可能であることを立香は悟っていた。

 

「……そんなに俺たちが嫌いですか」

「アンタたち個人に含むところはないさ。アンタらが礼を弁えていることも、力に訴える輩じゃないこともわかってるつもりだよ。だが、人間族にはいろいろ思うところがあるんでね」

「民族対立ならぬ種族対立かぁ……」

「さぁ、どうする?」

「先輩……」

「フォウ?」

 

この老婆は、きっと何をされても口を割らない。少なくとも、尋問や拷問の類は意味がないだろう。

そう悟らせるだけの凄味が、その老いさばらえたはずの身体から滲み出ている。

 

「いこう」

「はい、先輩!」

「フォウフォウ!」

「おや、良いのかい?」

「ええ、あなた言ったことですよ。力に訴えるように見えないって。ならせめて、その評価くらいは守りたいですから」

 

無理矢理口を割らせる方法も、ないわけではない。本職のキャスターがいないので厳しくはあるが、時間をかければ立香の暗示で何とかなるかもしれない。本当に手段を択ばないのなら、段蔵に任せるのも手だろう。

だが、立香はそれを善しとはしない。そんなことをするくらいなら、あるいは仲間にさせるくらいなら、大人しく正確な場所のわからないまま氷雪洞窟を目指す。

 

「お人好しだねぇ」

「そうでもないですよ。今までいろいろ……本当にたくさんのものを犠牲にして、踏みにじってきました。でもだからこそ、できる限りそういうことはしたくないんです」

「……あぁ、人間族が…いや、みんながみんなアンタみたいな馬鹿ばかりだったら、世界はもう少し違ったのかもしれないねぇ」

 

噛み締めるように紡がれる言葉。老婆の過去に、いったい何があったのか立香には知る由もない。

ただ、なんとなく察することはできる。きっと彼女個人にも、人間族に対する確執があるのだろう。

厳密に言うなら立香たちとこの世界の人間族はイコールではないのだが、外見的には同じ区分になる。そんな理屈は通じないだろう。

 

「それじゃ、俺たちはこれで失礼します」

「貴重なお話、ありがとうございました」

「できるだけ急いでここを離れるので、早めに集落の人たちを呼んで安心させてあげてください。きっと、あなたのことを心配して……」

「おばあちゃ―――――――――ん!!」

 

住居から出ようとした立香たちの先手を打つように飛び込んできた、小さな人影。

それは転がり込むように…いや、文字通りゴロゴロ転がりながら老婆の手前で静止。

ガバッと体を起こすと、掴みかからん勢いで老婆に詰め寄ったのは一人の少女だった。

 

「大丈夫!? ケガしてない!? 痛いところは!?」

「セリス!? あんた、こんなところで何してんだい!?」

「何してるはこっちのセリフだよ! いきなりみんな血相変えて集落から離れるし! なのにおばあちゃんはいないし! 探しに行くって言っても止めるし! 抜け出すの大変だったんだから!!」

「あ~……ったく、その無駄な行動力は姉に似たのかねぇ?」

「お姉ちゃん? お姉ちゃんもそうだったの?」

 

頭痛を抑えるようにうめく老婆に、セリスと呼ばれた青髪の少女が可愛らしく首を傾げる。

見たところ、年は十歳前後といったところか。天真爛漫、という言葉が擬人化したように生命力に溢れた印象を受ける少女。顔立ちも大変整っており、将来はさぞ美人になるであろうことがうかがえる。

話を聞く限り、彼女はまだ口伝については詳しくないらしい。まぁ、外見年齢を見れば当然の話だが。そして、知らないからこそこうして老婆を心配して駆けつけてきたのだろう。それがどうにも微笑ましく、立香もマシュも口元が緩むのを抑えられない。

 

「お孫さんですか?」

「正確には、もうちょい離れてるんだけどね。こんな集落だ、どいつもこいつも肉親みたいなもんさね」

「……そういえば、あなた達なに?」

「なにって言われると……なにかな?」

「強いて言えば旅人、でしょうか?」

「そうじゃなくて、あなた達人間族でしょう! 私知ってるんだから! 顔が青白くって耳も丸っこいし!」

「あぁ、魔人族的に見るとそういう風に見えるんだ」

「はい。別の種からの視点というのは、中々に興味深いです」

 

緊張感の欠片もなく頷き合う二人。セリスの方は敵愾心を隠そうともしていないが、ぶっちゃけ二人からすればどうということもない。ことさら無視しているわけではないし、敵意を向けられていることもわかっているが、脅威を一切感じないのだから仕方ないだろう。まぁ、少女的にはそれが気に食わないのだが。

 

「なんで人間族がここにいるのよ! おばあちゃんに何するつもり!」

「え~っと、とりあえず何かするつもりはないというか……」

「はい、私たちは今から帰るところだったので」

「え? ほんと?」

「うん」

「はい」

「そ、そうだったの……それは、その…怒鳴ってごめん、なさい?」

 

自信なさそうに首を傾げつつ謝罪するセリス。そこには、既に敵愾心の欠片もない。言っておいてなんだが、こんなにあっさり信じてしまって大丈夫なのか心配になってくる。いや、別に嘘をついたわけではないし、信じてもらって一切問題はない……が、やっぱり色々不安になるのは如何ともし難い。

まぁ、こんな小さな女の子に敵意を向けられても困るので、立香たちにとっては有難い話だが。

 

「もしかして、この集落の人たちってみんなこうなんですか?」

「馬鹿をお言いでないよ。この子が群を抜いて人を疑うってことを知らないだけさね。まぁ、他の連中に比べれば隔意は少ないかもしれないが、それでもないわけじゃないんだよ。国中動き回っていれば、色々なものを見ることになるからね」

 

たしかに、それは当然だろう。魔人族の領域から外には出ないらしいので、当然ものの見方は魔人族寄りになる。ならば、どう上手くやったところで人間族への隔意と無縁ではいられまい。

それでも、今の時世を考えればセリスのそれは奇跡的なレベルだが。

 

「それじゃ、今度こそ失礼します」

「セリスさん、でよろしかったでしょうか?」

「なに…じゃなかった、なんですか?」

 

躾がいいのだろうか。丁寧に対応されれば、それに相応しい態度で返そうとしてくれている。

 

「ご心配なく、私たちはおばあさんに何もしていませんよ」

「そう、みたいね…ですね」

「おばあさんのこと、大事になさってください。それでは」

「…………お待ち」

 

そのまま去ろうとする立香とマシュを、老婆が呼び止める。二人が首を傾げながら振り向くと、老婆はセリスにあれこれと指示を出し始めた。

 

「セリス、紙とペンを用意しな。あと封蝋も」

「え? おばあちゃん?」

「いいから早くおし!」

「は、は~い!」

 

言われるがまま、慌てて用意を進めていく。何が何やらわからず突っ立っていることしかできない二人を尻目に、老婆は手早く紙にペンを走らせると羊皮紙製と思われる封筒の中へ。そして、青い蝋を蝋燭で溶かして封をすると、その上に右手にはめた指輪を押し付ける。

 

「持っておいき」

「もしかして、氷雪洞窟の場所ですか!?」

「違うよ」

「そ、そうですか……」

 

ばっさり切り捨てられ、さしものマシュも頬が引き攣る。

 

「さっきも言った通り、詳細な場所はあたしらにもわからない。だが、知っている奴なら知っている。これはまぁ、紹介状みたいなものさ。この子を前にして、それでも何もしないお人好しさに免じてね」

「例の、神代魔法を得た軍の幹部って人ですか?」

「まぁ、あながち間違いじゃない。いま、こちら(魔人族)側には二人神代魔法の使い手がいる。一人は『フリード・バグアー』、もう一人が『フェリシア・グレイロード』……って言っても、アンタらにはわからないか」

「あ、その人私のお姉ちゃん、会ったことないけ…クピッ!?」

「余計なこと言うんじゃないよ!」

 

勢いよく落とされた拳骨に悶絶するセリス。相当痛かったらしく、目は涙目でプルプル震えている。

だが、老婆はそんなことなどなかったかのようにさっさと話しを進めていく。

 

「氷雪洞窟を攻略したあの子なら、当然場所を知っているはずさ。ま、上手い事取り入ることだね」

 

つまり、知っている人物の情報と、その人物宛に一筆書いてくれる程度には信用してもらえたらしい。

 

「ちなみに、居場所は?」

「大体王都のあたりにいるはずだが、割とあちこち飛び回ってるらしいからね。落ち着きがないのは昔とちっとも変わっちゃいない」

「それ、会うだけでも一苦労なんじゃ……」

「いらないなら返しな」

「いえ、もらっておきます」

 

とはいえ、立香たちの場合王都に立ち寄ることはおろか近づくことすら難しい。いや、突入することもやろうと思えばできるが、当然それに比例した大騒動になるだろう。徒に魔人族を傷つけるのも、問題を引き起こすのも本意ではない。

というか、ここで立香たちが魔人族の政治的中枢に近寄ったりすれば、それこそ開戦のきっかけになりかねないのではないだろうか。それをわかった上でやっているとしたら、やはり相当いい性格をしている。

 

「最後に、一つ教えてください。その人は、この集落の出身なんですよね?」

「ああ。だが、セリスくらいの時に飛び出していった家出娘さ。あの年じゃ、今頃すっかり敬虔な信徒様になっていても不思議じゃない。それでなくても、軍の幹部様って話だ。精々口八丁手八丁で上手くやることだね。

 ま、それもこれも会うことができればだけど」

「色々ハードル高いなぁ……」

「はい。割と無理難題です」

「まぁ、それでもないよりマシだし、有難くいただきますけど」

「そうしな…………アンタらの未来が『自由なる意志の下にあらんことを』」

「あ、あの! もしも会えたら私のこと伝えてください! “いつか会いに行きます”、“頑張って”って!」

 

そうして、立香たちは解放者縁の集落を後にする。

迂闊に王都に近づくことはできないので、とりあえずはシュネー雪原を目指すことにして。

よもや、この日からそう間を置かずに件の人物と出会うことになるとは、夢にも思わない立香たちであった。




本編中では書かなかった、ないし書けなかった裏話。

・集落の性質上、フェリシアはいまどこに家族がいるのかすらわからないので、飛び出したっきり一度も里帰りしていません。一応探しているのですがそれでも見つからないのは、長年に渡ってエヒトたちの目を掻い潜ってきたからこそです。まぁ、取るに足らないので本腰入れて探していないというのもありますが。

・セリスの年は10歳、フェリシアが飛び出した後に生まれたので彼女は妹がいることすら知りません。でも、セリスの方は色々なところでフェリシアの噂を聞くので「自慢のお姉ちゃん」と思っています。

・集落の長の婆さん、実は昔弟妹を人間族に殺されてます。長い時間が経っているので激しい敵愾心こそありませんが、結構根の深い確執はあります。おかげで、こんな面倒なことに。

・実は、長は代々「ヴァンドゥル」を襲名しているが、それが何を意味するかは失伝しているので不明。

・本来、魔力操作や固有魔法を持つ子どもは神に利用されないために集落から出ること自体を禁じられるのですが、フェリシアは持ち前の有能さと行動力で抜け出してしまいました。もしも帰ることができたら、確実に大目玉をくらいます。


だいたいこんな感じ。次回、ようやく…ようやく? フェリシアと立香たち一行が出会う……はず。
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