ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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我が家のまっくろくろすけの宝具レベルが5に! レベルは聖杯も使って100、スキルマ済み、あとはもうフォウ君食わせて、ATK10000越えのパーフェクトアンリを目指すしかないですな!
にしても、今後アンリが出たらマナプリにするしかないわけですが……勿体ないなぁ。無記名霊基になったりしないかな? しないよなぁ……。


024

溢れ出る思いを噛み締め、目指す理想への道標を焼き付ける。彼女にとって何よりも尊いその光景を。

例え幾星霜を経ようと、地獄に堕ちようとも忘れることのないように。

 

そんなフェリシアの視線に気づいたのか。談笑していた立香たちの視線がフェリシアへと向けられる。少し驚いたように目を見開いた後、立香とマシュは安堵の表情を浮かべて歩み寄ってくる。二人と語らっていた騎士は敬礼の後、残る騎士たちを呼びに行った。

 

どうやら、ここからは忙しくなりそうだ。

 

一頻りフェリシアの回復を喜び合い、とりあえず動ける面々の天魔転変を解除したフェリシアは、立香を自身の天幕に招待した。経過はどうあれ、これでもう監視の目を気にすることなく言葉を交わすことができる。どうせ、ガーランド国内での彼女の立場は今更どうにもならないのだから。

なので、もう遠慮することなく聞きたいことを聞き、話したいことを話してやろうと意気込んでいたフェリシア。逸る気持ちを抑えながら、まずは筋を通すべく腰を下ろした絨毯の上で深々と頭を下げる。

 

「改めて、リツカ殿」

「あ、はい」

「同胞たちをお救いいただき、誠にありがとうございます」

「いえ、お気になさらず。困ったときはお互いさまと言いますか……あ、とりあえずこれをどうぞ」

「これは? ……!?」

 

立香が差し出した封筒を受け取り、封蝋に目をやったところでフェリシアの表情が固まる。

 

「お、長の印。何故、あなたがこれを……」

「フォウ?」

 

頬を引きつらせ、止めどない冷汗を流しながら、何とか声を絞り出す。

封筒を手にした手は盛大に震えており、相当に衝撃が大きかったことがうかがえる。

 

「少し前に、偶々ばったり」

「あの、どうかなさいましたか? もしや、まだ具合が悪いのでは……」

「ふふふ、お気になさらずキリエライト殿。団長殿は家出同然に飛び出した不良娘ですからな。色々とバツが悪いのでしょう。フフフフフフフフフ……」

(すっごい楽しそう)

(はい、どことなく上機嫌な英雄王を彷彿とさせる笑い方です)

 

副長同様同席したマシュは心配そうにしているのも、副長が「愉悦w」しているのも、立香が副長に割とドン引きしているのにも気づかないフェリシア。それだけテンパっているのだろう。

震える手で封を開け、ゆっくり目を通す。読み進めるうちに顔色は蒼白に、冷汗は脂汗に、加えて奥歯がカチカチなっている。何が書かれているかは不明だが、中々にショッキングなことが書かれているらしい。まぁ、フェリシア限定で、っぽいが。

 

なんとなく邪魔をするのもはばかられ、そのまま無言で待つことしばし。決して長くはない手紙の内容を読み切ったフェリシアは瞑目し、深く、深~~~~~~く深呼吸を繰り返す。

 

「す~~~~~~~~~~~~~~、は~~~~~~~~~~~~~~~……」

「フォ~?」

「あの、大丈夫ですか?」

「す~~~~~~~~~~~~~~、は~~~~~~~~~~~~~~~……」

(あ、もう一回いった)

「え、ええ、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です、ええ大丈夫、私はもう大丈夫。そう大丈夫、大丈夫……」

(せ、先輩! むしろご自分に言い聞かせているようなのですが!?)

(うん、全然大丈夫そうじゃないよね!?)

 

フェリシアは大丈夫と強調しているが、むしろ不安感が増した。正直、手紙の内容がすごく気になるところだが、果たして突っ込んでいいものかどうか。さすがの立香も悩んでいると、ようやく落ち着きを取り戻してきたフェリシアの方から話を振ってくる。

 

「リツカ殿、いくつかお伺いしたいことがあるのですが、構いませんか?」

「え、ええ、まぁ」

「では、あなた方の目的はシュネー雪原の氷雪洞窟…正確にはその奥に眠る神代魔法でお間違いありませんか?」

「はい。手紙には書かれていなかったんですか?」

「その、手紙には我ら一族の大まかな来歴と、あなた方のことについて少し触れてあるだけで、詳しくは……」

 

フェリシアは言葉を濁したが、正確には一族の簡単な来歴の他に、立香たちが信用に値することが書かれていた。

とはいえ、恩がある相手に向けてそのようなことを言うのは躊躇われたのも無理はないだろう。ついでに、勝手に集落を飛び出したフェリシアに対するお叱りの文言やもし帰省した時に待つ“オシオキ”についても触れられていた。というか、むしろそっちがメインだったりする。

内容については……フェリシアが血の気を失う程ということでご理解いただきたい。

 

「わかりました。えっと、まずは……」

 

話す内容は件の集落でしたものとそう大差はない。強いて言えば、解放者たちや彼らの語る神については敢えて触れていないことくらいだろう。長からの手紙にも、氷雪洞窟の制作者縁の一族としか書かれていないらしい。真実は自分自身の目で確かめるか、あるいは立香たちにでも教えてもらえということか。

 

とはいえ、フェリシアは現職の軍幹部だ。そんな彼女に「神は狂っている」とかいうのは流石に憚られる。ハジメたちがミレディと出会ったことで、彼らの話にも大分信憑性が出てきた。立香としては、彼らの話を概ね信じていいと思っている。

だが、せっかく良好な関係を築けそうなのに、それをいきなり挫くのは得策とは言えないだろう。まぁ、その配慮は既にあまり意味がないのだが……立香たちでは知るよしもないのだから仕方がない。まさか、既に彼女が軍内部で居場所をなくしているとは思うまい。

 

「なるほど、元の世界に帰るための手段として神代魔法を求めておられる、と」

「はい。付け加えるなら、私たちとは別ルートで大迷宮を攻略している仲間がいることくらいでしょうか。そのため、現在私たちは計三つの大迷宮を攻略していることになります」

「納得しました。お強いはずだ」

(俺たちの場合、こっちの戦力と神代魔法って全く関係ないんだけどねぇ……)

(ですね……まぁ、今は敢えて言わなくてもいいでしょう)

 

ここでそこにまで触れると話がややこしくなる。今はとりあえず、話を進めるのが吉だ。戦力については、まぁ追々でいいだろう。フェリシアたちを信用していないとかではないが、今すぐでなければならないわけでもない。

 

「ですが、だとすると氷雪洞窟の神代魔法はお役に立たないかと」

「それはやっぱり、生命に関する魔法ってことですか?」

「生命…ええ、凡そその認識で間違いありません。氷雪洞窟の神代魔法の名称は『変成魔法』と言い、簡単に言えば魔物を作り出し従える魔法とお考え下さい」

 

確かにそれは、立香たちが求める方向性の魔法ではない。とはいえ……

 

「それでも行かれるのですか?」

「詳しいことはわからないんですが、元の世界に帰るためにはすべての神代魔法を得る必要があるらしいので、とりあえず行くだけ行ってみようかなと」

「はい。それに、大迷宮の中には他の大迷宮を攻略していることが挑戦の条件になっているところもあります。もしかしたら、変成魔法を得ていなければ挑戦できない大迷宮もあるかもしれません」

「それに、解放…ごほん、一番奥の部屋に何かヒントになるものがあったりするかもしれないですから」

 

解放者という単語を使うと、そちらについても説明しなければならなくなるので今は誤魔化す。戦力についても、解放者や神についても、この情報交換が終わってからでいいだろう。

 

「…………そう、ですか」

「いやはや、それにしても『とりあえず』で大迷宮に向かわれるとは剛毅なことですな。まぁ、同行しておられる騎士殿や他のお歴々の実力を考えれば、大言壮語とも言えませんが」

「あぁ、なんかその、すみません……」

 

本来なら死を覚悟して向かうべき大迷宮に挑むには、確かに不適切な考え方だろう。人によっては、侮辱されたと思うかもしれない。そう察した立香は頭を下げるが、副長は特に気にした様子もなく笑い飛ばす。

実力が伴わない、あるいは実績のないものがそれを口にすれば別だが、立香たちにはそれを口にするだけの資格がある。いともたやすく蹴散らされた身としては、苦言など出てこよう筈がない。

 

「ところで……」

「なにか?」

「あ、いや、集落の様子とか聞かないのかなぁ、と」

「………………………………………気にならない、といえば嘘になります。ですが、それは私心です。私情を持ち込んでよい時とそうでない時の分別くらいは、ついているつもりですので」

(公私の区別はしっかりつけるタイプの方のようですね)

(うん、なんていうか……カッコいいよね、こういう人って)

(はい。一部サーヴァントの皆さんには爪の垢を煎じて飲んで欲しいです)

(私情挟みまくるタイプも、結構いるからなぁ……)

 

無論そういうタイプばかりなわけではないが、公私を分けるなんて言う分別のない連中もそれなりにいる。せめてそいつらだけでも“分別”というものを身に着けてくれれば、少しは振り回されることも減るのでは……というのは儚い希望だろうか。

まぁとりあえず、本人の方からは立場などもあって聞くに聞けないようだが、関心があることはわかった。なら、せっかくなので教えてしまえばいい。ちょうど伝言も預かっていることだし。

 

「大丈夫ですよ。俺たちが集落を訪れた時は、皆さん避難していたので大して話せることもありませんから」

「ですが……」

「わかることといえば、その紹介状をくれたおばあさんがとっても元気だったことと」

「あと、セリスさんから“いつか会いに行きます”、“頑張って”と」

「……」

 

セリスの名を聞いた瞬間、フェリシアの目が大きく見開かれた。続いて感慨深そうにその目が細められ、噛み締めるように「そう、ですか」とつぶやく。

 

「あれ? 会ったことがないって聞きましたけど?」

「確かに、私はあの子が生まれる前に集落を飛び出してしまいました。ですが、一度だけ手紙をもらったことがあるのです。その時に」

 

セリスの存在を知ったのだろう。集落の来歴を考えれば、相手がいくら身内とはいえそうそう手紙を出すわけにはいかなかったはずだ。彼らが一所に留まらず、常に移動し続けているのは神の目に留まらぬようにという配慮の結果なのだから

それでも、伝えたかったのだろう。飛び出していった家族に、新たな家族が生まれたことを。

 

「あの子は……元気にしていましたか?」

「はい、とても」

「すこし早とちりするところがあったり、人をすぐに信じちゃったりして危なっかしいけど、いい子でしたよ」

(ああ、そうだ。あの子が生まれると知って、まだ弟か妹かもわからなかったというのに、私は集落を飛び出したのでしたね。これから生まれてくるあの子や、その後に続く子どもたちが、安心して笑っていられるように……姉妹、だからでしょうか。あの子も私と同じで、少々前のめり過ぎるようですね)

 

顔も知らぬ、声も知らない妹との共通点に頬が緩む。それまでの真剣かつ真面目な表情が僅かに綻べば、年相応……いや、少々幼さすら感じられる可憐な微笑がフェリシアを彩る。それは、男女問わず“美しい人”という者に慣れたはずの立香をして、思わず見惚れてしまう程、本当に美しかった。

 

(ええ、セリス。私はこれからもちゃんと頑張っていきますよ。あなたが誇りに思えるような、胸を張ってあなたに会えるような、そんな生き方ができるかはわかりません。でもせめて、あなたが心穏やかに生きられる世のために……)

 

図らずも、自らの原点を再確認したフェリシア。動機は、本当に当たり前でちっぽけなものだった。

今はもうあの頃のように単純ではいられない。多くを背負い、多くを代償にしてきたこの道は、決してきれいなものではない。あの当時の自分が知れば、きっといい顔はしないだろう。今の自分も、すべてが正しかったとは思わないし、思えない。だがそれでも、決して後悔はしていない。

それを再確認できただけでも、立香たちから話を聞けて良かった。

 

「リツカ殿」

「あ、はい」

「重ね重ねの御厚意、誠にありがとうございます。数々のご恩、決して忘れはしません。

氷雪洞窟へ向かわれるというのであれば、少しでもご恩に報いるため、私自身がご案内するのが筋というものでしょう」

 

それは逆に言えば、フェリシアは案内しないということ。とはいえ、決してそれが隔意あってのものでないことは、彼女の苦い表情からも明らか。本来なら、自分自身の手で恩に報いたいところだが、今はそれができない。彼女の表情が、何よりも彼女の心情を明確に物語っていた。

 

「副長、地図を」

「はっ」

 

フェリシアの指示を受け、立香との間に魔王国領の詳細な地図が広げられる。それはシュネー雪原さえも含んでおり、フェリシアはまず現在地と氷雪洞窟に印をつけ、さらに向かうために適切なルートと注意点を次々に書き込んでいく。

 

「……大まかなところはこのくらいでしょう。後ほど、より詳細な案内をまとめたものと共にこちらをお譲りします。もちろん、迷宮内における注意点なども合わせてお渡しします」

「えっと…いいんですか? そこまでしてもらっちゃって……」

「いえ、本来ならせめて案内役の一人でもつけるべきところを、地図と案内だけで済ませるなど……この身の不義理を、どうかお許しいただきたい」

 

深々と、それこそ床に額がつきそうなほど深く頭を下げるフェリシア。傍らに控える副長もそれに倣い、深く頭を下げてくれる。

立香にとってはそれで十分だった。むしろ、詳細な地図と案内まで譲ってくれるだけで望外のことなのだ。いったいどうして、これだけしてもらって文句があろう。立香の方こそ、感謝に堪えないというものだ。ましてや不義理の許しを請うなど……。

 

(良い人、だよね)

(はい。とても義理堅く、生真面目な方なのでしょう。それに、何より自国の人々のことを案じていらっしゃいます。騎士とはかくあるべしでしょう。人妻に手を出したりするようなロクデナシとは大違いです)

(まぁ、それはちょっとねぇ……)

(フォウフォウ)

 

騎士云々というより人として。

ただ、だからこそ気になることがある。これほどまでに義理堅いフェリシアが、どうして自分自身で案内しようとしないのか。その理由が気になった。

 

「……あなたは、これからどうするつもりなんですか?」

「っ……それは」

「俺たちの事情は話しました。今度は、あなた達の事情を話してください」

 

少しズルい言い方と自覚しながら、立香は問う。立香とて話していないことがあるとはいえ、それでも自分たちの状況について話したのだから、相手の状況を聞く権利がある、と。それ自体は間違っていないのかもしれないが、こう聞けばフェリシアは話さざるを得ない。それをわかっていて聞くのは、やはりズルいだろう。

 

だが意外なことに、フェリシアはなかなか口を開こうとしない。

彼女の性格を考えれば、渋々であろうと話してくれると思っていたのだが……。

 

(つまり、俺たちには聞かせられないことがあるってことか)

 

それも、機密情報とかそういうことではなく、話せば立香たちに迷惑がかかる類の。機密情報云々であれば氷雪洞窟への行き方の段階で引っかかるし、話せない内容ならそう言うだろう。フェリシアの反応から、内容そのものは話しても問題がなく、立香たちに対し聞かせることが憚られるものと推察できる。

 

(これまでのリツカ殿の様子から考えれば、ここは話すべきではない。話せば、この方はきっと……だからこそ、話すわけにはいかない。私たちの事情に、この人を…このお優しい方を巻き込むわけには)

「……団長は王都へ戻るおつもりなのです。同志たちの身の潔白を証明するために」

「副長!」

「団長、我々はただでさえ不義理を働こうとしているのですよ。これ以上、恩義を蔑ろにはできますまい」

「それは……いえ、いいえ! それは違います! 恩義があるからこそ、このことは……」

「どういうことですか?」

「あの、身の潔白とはいったい……」

「どうやら、すでに手遅れのようですな」

「くっ……」

 

恨めしそうに副長を睨むが、彼は全く動じた様子を見せない。当然だろう。こうなることがわかっていたからフェリシアは口を噤もうとし、彼は立香を巻き込むためにあえて口にしたのだから。

 

(騎士にあるまじき卑劣な行い、というやつでしょうな。ですが、それでもあなたには必ずや生きていただかなければならないのですよ、団長。そのためならば、私はいかなる泥も被りましょう。あなたが同胞たちのために悪道を進むのと同じように)

 

フェリシアが死ぬために戻るわけではないことはわかっている。あるいは、立香たちとの出会いがなく、彼女の立場が決定的なものになったらそうしていたかもしれないが、今は違う。フェリシアは自身の理想が決して絵空事ではないことを知った。限りなく困難であろうとも、不可能ではないことを立香が示したのだ。

 

故に、彼女は生きるために全力を尽くすだろう。同時に、彼女の理想のためには一人でも多くの同志が必要だ。

だが、王都に残された同志たちはこのままではフェリシアの煽りを受けて粛清される恐れがある。あるいは、いま身柄を拘束している部下たちの中にもいる同志の家族にまで累が及ぶかもしれない。何としても、それは防がなければならないのだ。

 

「実は……」

 

已む無く、フェリシアは自身の置かれた状況について語りだす。当然、彼女がその胸に抱く思想についても。

正直、これには立香たちも驚きを隠せない。彼女は確かに解放者たちの末裔なのだろうが、それでも自身がそうだとは知らずに育ってきた。当然、僅かな口伝以外に彼らの思想に触れることもそうなかっただろう。

にもかかわらず、彼女は確かに解放者たちの遺志を継いでいる。彼らが目指した世界に向けて、確かな足取りで進もうとしているのだ。

 

(解放者たちが残したものは、なにも大迷宮と神代魔法だけじゃないんだ)

(はい。ちゃんと、ミレディさんたちの遺志はこの世界に受け継がれています。それは、とても素晴らしいことだと思います)

(うん。魔人族にも人無きにあらずってことかな。話すべきか迷ってたけど、むしろ……)

 

フェリシアには話すべきだろう。彼女の話を聞けば聞くほどに、その確信が強くなる。

神を斃す。それは本来立香たちのような部外者ではなく、この世界に生きる者たちの手でこそ行われるべきことだ。まぁこの点に関しては、必ずしも立香やハジメたちが関与したり、彼らの手で倒したりしたのでは意味がないということではない。あくまでも、彼らの手で倒すことが望ましい、というだけだが。

 

「私には、責任があります。だからこそ王都に戻り、裏切り者は私一人であることを示さなければなりません。そうしなければ同志たちが、その家族が、あるいは無関係な人々にまで累が及んでしまう。それだけは、何としてでも避けなければなりません。

 故に、あなた方をご案内することはできません。重ねて、不義理をお詫びいたします」

 

本当なら自らの手で案内することが、せめてもの恩返し。しかし、今はそれをしている時間が惜しい。不義理を承知の上で、フェリシアは立香たちの案内を放棄して王都に戻らなければならないのだ。

 

「死ぬ、つもりなんですか?」

「それはダメです! あなたがここで斃れたら、いったい誰が……」

「ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、死ぬつもりはありません。私にはまだ、為すべきことがあります。たとえ届かなくても、至るための道を少しでも開く責務があります。それを放棄するつもりはありません。この理想は間違っていない。決して、夢幻ではないのだと……ようやく、その確信を得たのですから」

 

フェリシアの身を案じる二人に、どこまでも透き通った笑顔で答える。綺麗な、一点の濁りも迷いもない澄んだ微笑み。強い覚悟と……なにより、あふれ出るほどの喜びに満ちた表情。死ぬつもりがないのは本当だろう。だが同時に、死を恐れてもいない。一目見るだけでそれを理解できる、そんな顔をしていた。

 

「……できれば、もっと多くを語り合いたいところですが、申し訳ありません。残念ながら、私にはあまり時間がないのです。いったいいつ、同志たちに手が伸びるかわからない以上、のんびりとは……」

「待ってください!」

「リツカ、殿?」

 

立ち上がろうとするフェリシアの手を、立香が握りしめた。

立香には話さなければならないことがある。フェリシアには知らなければならないことがある。

 

(この人は、万が一にもこんなところで死なせちゃいけない人だ。あの人がフェリシアさんの意思を無視して話したのは、そのことを知っているから。そして、俺もそのことを知った。なら……)

「聞いてください、フェリシアさん。私たちはオルクス大迷宮の最深部で、解放者という人たちのメッセージを受け取りました。確実な情報とはまだ言えませんが、それでもあなたは知らなければなりません。これは、あなたの理想のために必要な情報です」

「マシュ殿まで…………わかりました。恩人たるあなた方がそこまでおっしゃることです。私も、耳を傾けましょう」

 

そうして語られたのは、立香たちがこれまでに得たこの世界の真実について。狂った神のこと、大迷宮が解放者と名乗る者たちによって作られたものであること、そこに込められた彼らの願い、そしてフェリシアこそがその遺志を継ぐ者であることも。

 

「はっ! はは、ははははははははははははははははは!!」

「フェリシアさん……」

「なんですか、それは……なんなんだそれはぁ!!」

「団長、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられますか!! なんです、その茶番は! この世界は遊戯盤で、私たちはその駒? そんな、そんなことのために…いったいどれだけの血が流れたと思っているんです!!」

「お怒りはごもっとも。腸が煮えくり返っているのは、小官とて同じです。ですが、リツカ殿たちがおっしゃられるように、未だ確たる情報ではありません。判断を下すには、早計かと」

 

奥歯をかみしめながらも絞り出すように諫めの言葉を紡ぐ副長を前に、フェリシアの頭も徐々に冷えてくる。

確かに彼の言う通りだ。ライセン大迷宮で出会ったというミレディ・ライセンの言葉には、オルクス大迷宮で立香たちが見た手記を裏付けるものがあったが、それでもまだ確定とは言い難い。

少なくともまだ、解放者たちの側からの意見しか得られてはいないのだから。いや、第三者というべき竜人族の生き残りの言葉も含めて考えれば、限りなく黒に近いといえるだろうが。それでも、皆を率いる立場にある彼女は、軽々に判断を下すわけにはいかない。

例え、長年感じてきた違和感に対する答えとなり得るからと言って、それに安易に飛びついてはいけないのだ。

 

「………………………………………………みっともないところをお見せしました、お許しいただきたい」

「いえ、そんな……」

「気にしないでください。無理もないと思いますから」

 

むしろ、フェリシアならそう反応するだろうと思っていた。同胞たちを愛し、彼らが血を流すことに心痛める彼女が、そんなことを許せるはずがない事はわかりきっていたことだから。

 

「フェリシアさん、一つ提案があるんですけど」

「なんでしょう、リツカ殿?」

「俺たちと一緒に来ませんか」

「え? ですが、それは……」

「あなたは解放者たちの話の裏を取りたい。違いますか?」

「それは…はい」

「でも、彼らの手掛かりは事実上大迷宮にしかありません。それってつまり、俺たちと同じってことですよね」

 

大迷宮を攻略する、少なくともその点においては方針が合致する。神代魔法を得るためか、解放者たちの情報を得るためか、というのは些細な違いに過ぎない。それに、解放者たちの言葉が真実だとすれば、神と戦うための力は必要だ。そのためには、結局神代魔法の習得が不可欠。得た神代魔法の使い道には違いがあるが、それとて立香たちと対立するものではない。同行することには、全く問題はないのだ。

 

「だったら、どうせですから一緒に来ませんか? 俺たちと…というか、ハジメたちと合流すれば竜人族と、最終的にはハルツィナ樹海にもいくつもりなので、そこで亜人族とも繋ぎが取れるはずです。それは、あなたの理想にとって有益じゃありませんか」

「…………」

 

確かに立香の言う通り、彼らと同行することに対するメリットは大きい。

 

「それに、あなたはきっとしばらくの間、単独行動するつもりなんじゃありませんか?」

「なぜ、とお聞きしても?」

「えっと、志を同じくする仲間たちの潔白を証明するために王都に戻るって言いましたよね。それってつまり、彼らと無関係だってアピールするってことでしょう? それなら、その人たちとは別行動をとらないと意味がないじゃないですか」

 

立香の指摘は正しい。それに、これからは魔人族の追手もかかることになるだろう。同志たちに同胞と戦わせるのは忍びない。また、フェリシア一人でいた方が守る者がない分やりやすくはある。

 

「でも、俺たちと一緒なら全く問題はありません。元々魔人族から見れば敵方ですし、むしろ裏切りの信憑性が増すでしょう。加えて、俺たち……というか、俺を除いた仲間なら足手まといにはなりません。あ、今は一人戦力外がいますけど……とりあえず、デメリットは少ないと思うんですが、どうでしょう?」

 

というか、むしろデメリットはほぼないと言っていい。フェリシアが単独で動く場合のメリットは立香たちと同行しても同じメリットがあるのに対し、単独行動と比べてリスクは激減する。だが、それでも……

 

「ですが……」

「もちろん、タダじゃありませんよ」

「っ……何をお求めですか?」

「別に難しい事じゃありません。氷雪洞窟まで案内してください」

「え?」

「その代わり、俺たちもあなたに付き合います。王都に行って、ほんのちょっと暴れちゃいましょう」

 

立てた人差し指を口元に当て、悪戯っぽく笑う立香。それは、フェリシアにとって願ったり叶ったりだ。

せめてもの恩返しであった氷雪洞窟への案内ができる上、王都に出頭した後の脱出の可能性が高まる。正直、脱出できない可能性も覚悟していたのだが、立香たちの協力を得られればその可能性は格段に増す。

加えて、その後も同行できるとなれば先のメリットの数々が得られる。フェリシアには、立香の申し出を断る理由が見つけられなかった。いや、ある。それは……

 

「ですが! それでは私があなた方からもらってばかりではありませんか!」

「そうですか? どう思う、マシュ?」

「ふふっ、いいえ、私はそうは思いません。王都に同行するのはフェリシアさんという頼もしい案内役を得るための必要経費です。大迷宮の旅についても、旅は道連れというやつですから」

「だね。目的地が同じなんだから、別に対立しているわけでもなし、一緒に行けばいいだけですよ」

「………………」

 

こともなげに言われ、返す言葉が見つからない。思わず間抜けにも口をパクパクさせていると、横合いから笑い声が漏れてくる。

 

「くっくっくっく……団長の負けですな」

「副長……」

「渡りに船とはまさにこのこと。せっかくの申し出です、謹んでお受けになるがよろしいでしょう。それとも、恩人に恥をかかせるおつもりで?」

 

そう言われてしまえば、フェリシアにはもう何も言えない。確かに、これ以上理屈をこねるのは立香たちに対して非礼にもほどがあるだろう。とはいえ、もらってばかりということに変わりはない。

 

(ならばせめて、この槍を以てご恩に報いるのみ)

「どうでしょう?」

「謹んでお受けいたします、リツカ殿」

「ちょっ、え? いったいなにを……」

 

居住まいを正し、片膝をついて深く首を垂れるフェリシア。横手から副長が差し出した細身の長剣を抜くと、立香に対し捧げるように持ち上げる。さながら、臣下の礼を取るように。数々のサーヴァントと契約してきた立香だ、その意味が分からないはずがない。

 

「この身は同胞たちの未来に捧げております。故に、御身に身命を捧げることはできませぬ。ですが、御身の旅が終わるその時まで、誠心誠意お仕えさせていただきます、主様」

「え、ええっ!?」

「フォウ?」

「つ、つまり先輩のサーヴァントになる、ということでしょうか?」

「ははは! そう固くお考えになりますな。団長はこの通り律儀で融通の利かないところがありますからな。なぁに、堅物の用心棒を雇った、くらいに思っていただければよろしい」

「そ、そういうものですか?」

「そういものですとも」

 

サーヴァントとは幾人も契約してきた立香だが、生身の人に忠誠を捧げられるのは初めての経験だ。サーヴァントたちの人格を尊重して関わる立香だが、やはり生者が相手だと色々勝手が違うらしい。サーヴァントとの場合、一応とはいえ形式的な上下関係があることが前提だが、フェリシアの場合はそれすらないのだから、無理もないだろう。

 

「ええっと……とりあえず、よろしくお願いします」

「はっ!」

「あの、別にそんな風にしなくていいんで、普通にしてください、普通に」

「ですが……」

「団長、主がそうおっしゃっておられるのです。例え一時の主従とはいえ、それでも主は主。そのご意向には沿うべきでは?」

「……………………………確かにそうですね。申し訳ありませんでした、リツカ殿。これでよろしいでしょうか?」

「あ、はい。若干硬すぎる気もしますが、まぁその辺は追々で」

 

やや頬を引きつらせながらも、立香としては上手くとりなしてくれる副長には頭が下がる思いだった。まぁ、彼とていつでも手を貸してくれるわけではないが。

 

「では、私のことはフェリシアと」

「え、でも……」

「指揮系統の一本化は、リツカ殿がおっしゃったことの筈。同様に、上下関係ははっきりさせるべきです」

「むぅ……」

「でしたら、私はあなたのことを“主様”と……」

「わ、わかったわかったから! ほんと、それだけは勘弁してフェリシア!」

「ええ、では以後よろしくお願いいたします。リツカ殿」

「はぁ、なんでこんなことに……いやまぁ、“主様”よりはマシか」

 

終始あのノリでいられたら、正直気が休まらなかったことだろう。なので、フェリシアのことを呼び捨てにするくらいは許容範囲だ。

ただ、サーヴァントの中にはフェリシアのように律儀に主従関係を優先する人物はいるし、それには割と慣れているはずなのだが……フェリシアが相手だと、なんとなく居心地がよくないというか、落ち着かなかったのが若干不思議ではある。

まぁ今はそれ以上に、マシュの方から若干冷たい視線が飛んできている気がする方が問題なのだが……。

 

「残念でしたね、先輩」

「えっと、なにが?」

「フェリシアさん、お綺麗ですよね」

「え? あぁ、まぁ、そうかな」

 

サーヴァントたちとかかわっているおかげで、割と美人にはなれているので感慨も薄いが、それでもフェリシアが美人なことに変わりはない。厳しい表情を浮かべていることが多いこともあってか、冷たい印象を受けるがその美貌は本物だ。イリヤやクロ辺りが見れば「セラがさらに髪を伸ばした感じに似ている」と評するだろう、体型も含めて。

 

「女騎士に傅かれるというのは、グッとくるのでは?」

 

若干不機嫌そうにムスッと頬を膨らませるマシュ。ようやく、立香もマシュが言いたいことがわかってきた。

とはいえ、立香からしてみれば美人も傅いてくる相手も今までにいくらでもいたこと。「美人」の「女騎士」が「傅く」くらいでは動揺など微塵もしない。まぁ、先ほど一瞬とはいえ見惚れてしまったのは事実だが、それはそれとして……

 

「そうだなぁ。どちらかといえば、可愛い後輩がやきもち焼いてくれる方がグッとくるかなぁ?」

「っ! そ、そうですか?」

「まぁ、個人的な意見だけどね」

 

照れたように頬を染めながらモジモジするマシュの頭を撫でつつ、微笑む立香。

そんな二人の様子に穏やかな微笑みを浮かべていたフェリシアだが、いい加減動き出さねばなるまい。

 

「リツカ殿。我々は準備がありますので、これにて失礼させていただきます」

「あ、ごめん。俺たちももう行くから」

「ええ、ではまた後程」

 

そうして四人は天幕を後にし、立香とマシュ、フェリシアと副長とで歩みを進めていく。

 

「お二人は、仲が良いのですね」

「そのようで……ですが、アレは中々の難敵のようですな」

「? いったい何の話ですか?」

「いえいえ、あの間に割り込むのは厳しい戦いになりそうだと、そう思っただけですよ」

「何を馬鹿なことを。どうして私がお二人の間に割って入らなければならないのです」

「おや? 小官は別に団長殿が…などとは申し上げておりませんが?」

「……確かにそうですね。失礼しました、私の早とちりだったようです」

「揶揄甲斐がありませんなぁ」

「何を期待しているのです、あなたは」

 

ふざけたことを言う副長に、冷え切った眼差しを向けるフェリシア。そこには全く動揺の欠片も見られない。

 

「団長は、リツカ殿の事をどうお思いで?」

「あなたが一体何を聞きたいのか知りませんが、リツカ殿は恩人です」

「それだけですか?」

「それ以上何を求めているのやら。そうですね、もし感謝以外の感情があるとすれば……」

 

自分自身の内面と向き合い、藤丸立香という人物への印象や感情の分析を試みる。とはいえ、まだそう長い時間を共有したわけでもない間柄だ。また、フェリシア自身長く自問自答を繰り返してきたし、大迷宮を攻略したこともあって自己の内面と向き合うことにはなれている。分析はさして時間をかけることなく終わり、一つの答えを導き出した。

 

「これは……憧れ、でしょうか」

「ほぉ?」

「リツカ殿は不思議な方です。気付くと、長年の隣人と話すように、気安く言葉を交わしそうな自分がいます。私にあの方の十分の一でも他者と打ち解ける力があれば、もっと別の道もあったのではないか、そう思ってしまいます。リツカ殿の力は、武や魔法などよりもはるかに尊く得難い力でしょう。私たちが願う世界には、なによりもあの方の力こそが必要です。だからこそ、正直……憧憬と羨望を禁じ得ません」

「なるほどなるほど。まぁ、それが団長の本心であるのは事実でしょうな」

「ですから、あなたは何が言いたいのですか」

「なぁに、スタート地点は人それぞれ。憧れから始まる思いもあっていいと思うのですよ」

 

今のところ、彼が期待していたような感情は見受けられない。そのことが少しだけ惜しかった。せっかくだから、一度くらいは敬愛する団長の“年頃の娘らしい”ところを見てみたかったのだが。どうやら、それには時間が足りなかったらしい。

 

「まったく、何を言っているのやら。そんなことより、あなたにはやるべきことがあるでしょう。時間もありません、残すものがあるのなら急ぎなさい」

「ご温情、感謝いたします。ですが、それは不要です」

「…………………………なにも、言わないのですか?」

「さて、それこそ何の話か分かりませんな。これこそ我が本懐なれば」

「…………………………逃げるなら、今が最後の機会ですよ」

「逃げる理由がありません。元より、悲しむ家族もおりませんので」

「だとしても! こんなところで死ぬことが本望なわけがないでしょう!!」

 

それまで冷静であろうと努めていたフェリシアだが、いよいよ声を荒げて叫ぶ。

 

そう、そんなはずがないのだ。

彼は死ぬ、この場で死ぬ。他ならぬ、“フェリシアの手にかかって”。

それでどうして、こうも穏やかな顔をしていられるのか。

 

「わかっておられるはずですよ、団長。生きることが団長の務めであるように、ここで死ぬことが小官の責務。元より、礎となることは覚悟の上なのですから」

「…………あなたは、生贄になるのですよ」

「結構なことではありませんか。無駄死によりよほど良い。なにしろ、団長がそうはさせないのでしょう」

「………………………………………無論です」

「ならば、惜しむ命はありませぬ。さぁ、一思いにどうぞ」

 

振り返ったフェリシアに向けて、無防備に両腕を広げて見せる。とそこへ、間の悪いことに立香とマシュが駆けつける。先ほどのフェリシアの叫び声を聞きつけたのか、あるいは忘れていた用件でもあったのか、いずれにせよタイミングが悪いことに変わりない。

 

「フェリシア……って何やってるの!?」

「フェリシアさん! 副長さんも何をしていらっしゃるんですか!」

「マシュ、すぐ二人を……」

「やめなさい、マシュ。マスターもです」

「アルトリア?」

「いえ、ですが……」

 

二人の間に割って入ろうとする立香たちを、後ろに続いていたアルトリアが落ち着いた口調で制する。彼女にはわかっているのだ、二人が何をやろうとしているのかが。それはきっと、彼女もまた王という責任ある立場だったから。必要とあらば、部下を切り捨てなければならないこともある。それがわかっているからこそなのだろう。

 

(かたじけな)い」

「……どういうこと?」

「私たちが口出ししてよい問題ではない、ということです」

 

珍しく厳しい調子で問い質す立香から目を逸らすことなく、静かに答える。フェリシアとの話の場には同席していなかったものの、情報そのものは念話を通してほぼ全員で共有している。フェリシアの置かれている状況とこの先の展望を考慮し、なおかつ一人でも多くの同志の身を守り、さらに無辜の民を巻き込まないためにはどうするか…………取れる選択肢は、決して多くはない。

とはいえ、根本的に人の好い立香では、その結論を即座に導き出すことは難しいようだ。ならば、順を追って説明するより他にない。納得しない限り退いてくれそうにもない事は、その目を見れば明らかだ。

 

「無粋であることは承知しています。が、このままではマスターが納得しませんので、いくつか確認させていただきますが、構いませんね」

「やれやれ、仕方ありませんな」

「………………………はい。リツカ殿と確執を作るのは私としても本意ではありません」

 

当事者二人からの了解を得られたところで、「では」とアルトリアは確認作業に入る。

 

「フェリシア・グレイロード、あなたは裏切り者として認知されている、これは間違いありませんね」

「確認したわけではありませんが、状況的にそう考えるべきでしょう。具体的に何を考えているかまでは漏れていないはずですが、疑いの目は以前から向けられていました。今回の場合、直接的な監視もつけられていましたから」

「その監視はどうしたの?」

「当初は拘束しておりましたが、生きて戻られては余計な情報が漏れる恐れがあります。なので、救援活動のどさくさに紛れて処理しておりますよ」

「………………………………」

 

こともなげに言われて、さすがに立香の表情も苦くなる。だが、特に言葉にして非難したりはしない。その必要性や意味を理解できないほど、彼の目は曇っていない。

 

「監視からの連絡が途絶えれば、当然疑いは確信に変わります。最早、国に彼女が戻る場所はないとみていいでしょう。ですが、ことは彼女一人にとどまりません。責任ある立場にあった以上、下の者にも嫌疑がかかるのは必然です」

「わかってる。だからフェリシアは、戻る場所がないのに戻って何もかも全部自分一人で背負い込もうとしていたんでしょ」

「ですが、その件に関しては私たちも脱出に協力することで大幅にリスクを減らせるはずです。また、私たちが同行することでその…裏切りの信憑性が増すはずです。なら、それ以上は……」

「いいえ、それでは足りません」

「「え?」」

「それは……」

「お待ちください、アルトリア殿。そこから先は、私が」

「良いのですか?」

「はい。これは、私自身が語らなければならないことですから」

 

少なくとも自分以外の誰か、ましてや第三者に語らせていい事ではない。そんな逃避は許されない。他でもない、フェリシア自身が許さない。

 

「確かにあなた方の協力を得ることで、私の裏切りは補強されるでしょう。ですが、それは結局“私個人の裏切り”を証明するだけで、“同志たちが裏切っていない”証明にはならないのです」

 

確かに、これだと良くも悪くも同志たちは蚊帳の外だ。とはいえ、それでも彼らがフェリシアとつながっていると疑われていることに変わりはない。ならば、このままではフェリシアの道連れになってしまう。場合によっては、本当に無関係な人々にまで疑いの目が及んでしまう。それを覆すためには、この裏切りはフェリシア単独のものであり、つながりのあった全員と袂を別ったと判断するような、そんな要素が必要になる。

そして、ここまでくれば立香にもフェリシアたちがやろうとしていたことの意味が分かった。

 

「彼は、名実ともに私の腹心。だからこそ、“私自身の手で殺す”必要があるのです」

「……その人は、魔人族を裏切ろうとしたフェリシアを止めようとして殺された。フェリシアについていく人が一人もいないのは、その裏切りが他の人たちにとっても想定外のことだから……」

「副長さんを生贄の羊(スケープゴート)にする、ということですね」

 

伏し目がちなマシュの言葉に、フェリシアたちがそろって首を縦に振る。

一部の部下たちはフェリシアの思想に賛同してはいたが、腹心である副長ですら同胞を裏切るとは思っていなかった。だから止めようとし、あえなく惨殺。フェリシアは、同胞はおろか部下たちすらも捨てて人間族に寝返った。故に、他の部下たちはフェリシアの裏切りには一切加担していない。つまりは無実である。

要は、そういう筋書きなのだろう。多少苦しくはあるが、今彼らが打てる手は決して多くない。その中で、可能な限り多くの同志たちの命をつなげる、より説得力のあるシナリオがこれなのだろう。あるいは、もっと準備をする余地があれば、話は別だったかもしれないが……言っても始まらないことだ。

 

「そして、その役目は彼でなければなりません。私が最も信頼し、私を陰に日向に支えてくれた彼を私の手で斬るからこそ、そのシナリオに説得力を持たせることができるのですから」

「「…………」」

「ご理解、いただけましたか?」

 

問いかけるフェリシアの顔は、今にも泣きだしそうに見えた。そんな顔をされては、何も言えることなどありはしない。それに、立香にもわかってしまったのだ。それこそが、現状採れる手段の中で最も「犠牲が少なく」、「より説得力の高い」ものなのだということが。

これが光輝辺りであれば、状況を無視して「どんな理由があろうと殺していいはずがない」「今までともに戦ってきた仲間なんでしょう」といった綺麗ごとを口にするのだろう。そんなものは、結局のところは状況が見えていない戯言だ。日本の、一市民であればそれでもいいかもしれない。しかし、フェリシアはそんな甘いことを口にしていい立場ではない。彼女に果たさなければならない責任がある以上、是非もない。

 

そして、立香もまた自分の手が綺麗ではないことを知っている。

望んで手を汚したことなど一度もないが、それでもどうしても必要な時には良心に反した行動に出る覚悟はとうに固めている。その覚悟があるからこそわかってしまった、納得せざるを得なかった。フェリシアたちのやろうとしていることは、「どうしても必要なこと」なのだと。

ならば、せめてそれは口に出さなければならない。その罪を、フェリシア一人に背負わせていいはずがない。その場に居合わせて止めることを放棄する自身もまた、同罪なのだから。

 

「……わかった。俺が間違っていた、余計な横槍を入れて申し訳ない」

「……」

 

居住まいを正し、深く頭を下げる立香。マシュもそれに倣う。

そんな二人に、副長は感謝の念すら抱いていた。彼らならばフェリシアを託すに値する、そう思ったことは正しかった。

 

(……やはり、ただのお人好しとは違う。綺麗なだけでは団長と共に歩くことはできないが、彼らは清濁併せ呑む度量を持っている。その本質は善でありながら悪を成し、悪を許せる。善しか成せない者とも、ただ惰性で悪を成す者とも違う。貧乏くじを引いてばかりの彼らだからこそ、団長を良く導いてくれるに違いない)

「……邪魔をしましたね。私たちはこれで席を外します」

「いえ、こちらこそ……」

「いや、その前に一言よろしいか」

 

納得した以上、このまま居座り続けるのは無粋と思い席をはずそうとするが、副長に呼び止められ三人の足が止まる。振り返れば、そこにはどこか晴れ晴れとした表情を浮かべていた副長が、立香に向けて深く首を垂れる。

 

「リツカ殿。面倒をおかけするが、どうか後を頼みまする」

 

何を、とは言わない。それでも確かに、伝わるものはあった。ならば……答えは一つだ。

 

「…………全力を、尽くします」

 

それが、立香に返せる精一杯の答えだった。そして、彼にとってもそれで十分だった。根拠も何もなく、ただ大きなことを口にするのではなく、ありったけの誠意が籠っているからこその控えめな返答。それこそが、何よりも彼を安堵させた。

 

間もなく立香たちはその場を後にし、入れ替わるように動ける部下たちが周囲に集まってきた。誰も口を開かない。二人がこれから何をしようとしているのか、何のためにそれをするのか、すべてわかっている。

ならば、どうして口をはさむことができようか。

 

「…………………………残す言葉は、ありますか?」

「小官には何も…と言えれば格好もつくのでしょうが、そうですなぁ……」

 

顎を擦りながら天を仰ぎ、満天の星空に目を細める。「死ぬにはいい日だ」とは、こういう日を言うのだろうと思いながら。

 

「団長には、いろいろ苦労させられましたなぁ」

「むしろ、あなたに苦労させられた方が多いと思うのですが」

「ふむ、仕事面ではそうでしょうが……憶えておられますか? 小官に『この戦争、どう思いますか』と尋ねた時のことを。いやはや、小官は肝が冷えたものです」

 

なにしろ、現体制へ疑念があると言っているようなものだ。本心を語らないようフェリシアも慎重を期したつもりなのだろうが、それでも危険な発言であることに変わりはない。

 

「むぐっ……確かに直截的過ぎたとは思います。ですからあれ以降、言い回しにはさらに気を使いました」

「他にも、志を同じく出来そうな者を片っ端から引き抜こうとしたこともありましたなぁ」

「そ、そのことは途中で自重したではありませんか!」

「あとは……」

 

しばらくの間、昔話に花を咲かせる二人。如何に優秀とはいえ、まだ若いフェリシアでは色々と脇が甘いことも多かった。そんな彼女を時にフォローし、時に先手を打って根を回していたのが彼だ。百名以上の同志を得ながら、フェリシアが先日まで軍内部で嫌疑こそかけられてはいたものの、その立場を守れていたのは副長の存在が大きい。

だがこの先、彼の助力は得られない。そのことへの不安は、決して小さなものではない。

 

(わかっています。私はここで彼を斬らなければならない。ですが、本当にそれしかないの……?)

「そのような顔をなされるな。最早、団長にこの老骨は不要でございましょう」

「そんな、そんなこと……!」

「小官の小賢しい頭など、軍内部をのらりくらりと泳ぐことにしか使えません。ですが、団長はこれから遥かに大きな世界に飛び立たれるのです。小官では、これからの団長をお支えするのは荷が勝ちすぎましょう。その意味では、ここで小官が消えるのはちょうど良いタイミングでしょうな。適材適所、これからの団長に相応しい人材を改めてお探しなさい。頼りになる方々もおられるのです、存分に頼られるとよいでしょう」

「…………………………………まったく、この期に及んでも私の心配ですか?」

「他に心配する相手もおりませんので。ご存知の通り、妻を早くに亡くし、子にも恵まれませんでしたから。あの頃の小官は、生きながらに死んでるようでしたなぁ」

「その割には、下の面倒をよく見ていたようですが」

「それしか楽しみがありませんでした。ですが、あなたに出会えた。今だから言いますが、あなたのことを我が子のように思っておりました。子どもが成長するのを見るのは、こんな気持ちなのだろうかと」

「私は、あなたを父と思ったことはありません」

「ハハハハハハハ! これは手厳しい」

「ですが」

「む?」

「あなたといる時間は、集落にいた頃を思い出して好きでしたよ。閣下が年の離れた兄なら、あなたは伯父のような存在でしたから」

 

その言葉に、副長の相貌が崩れる。伯父というのも、それはそれで悪くない。

 

「団長……同胞たちのことも良いですが、くれぐれもご自愛を。どうせですから、子の一人でも設けてはいかがです。子どもは……良いですぞ」

「考えておきます」

「ええ、頭の隅にでも留め置いていただければ十分です」

「…………………………………………………………大儀でした。これまでのあなたの働きに、心からの感謝を」

「……………………………団長にお仕えした日々は、まっこと充実しておりました。一足早く……そして、再会の日が遠くなることを願いながら、お待ちしております」

 

その言葉を最後に、一人の勇士がその生涯を終えた。救うべき同志たちのため、寸前までの穏やかさが嘘のような苦渋に満ちた表情を“作って”。

そんな彼に、居合わせた騎士たちは深く黙祷を捧げる。

 

―――――この犠牲を無駄にしないことを。

 

―――――彼の遺志を正しく伝えることを。

 

―――――主のために、この命を捧げることを。

 

各々が言葉にすることなく、その胸に改めて誓いを刻む。

全ては、主と主の掲げる理想のため……いつかの時代、同胞たちが穏やかに過ごせるそんな世界のために。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

燭台の明かりにぼんやりと照らされた執務室。胸の内の言葉にならない感情を抑え込むように、職務に没頭するフリード。今日処理しなければならない書類はすでに終わっている。今手を付けているのは緊急性の低い……それどころか、別にフリードが処理しなくてもいいようなものばかりだ。部下たちからも「閣下のお手を煩わせるようなものでは……」と口にしていたが、それら全てを無視した。

仕事に没頭しているのは、単にちょうどよくそれらが目に入ったからにすぎない。正直言えば、何でもよかった。今はただ、何かに集中して余計なことを考えたくなかった。愛弟子の裏切りは、フリードにとっても心穏やかではいられないものだったのだろう。

 

(お前がいれば今頃仕事を取り上げ、ここから追い出していたのだろうな……)

 

今のフリードの配下に、彼に対してそこまでできる者はいない。フェリシアだけが、フリードに対してそこまで強引な姿勢を取ることができた。失ったことで気付くことがあるとはよく言うが、まさにその通りだ。

フェリシアが漏らす苦言や諫言、他のものでは恐れ多くてできないような実力行使。今となっては、そのどれもが懐かしい。今更ながらに気付く、己はあの日々を、あのやり取りを、心のどこかで楽しんでいたのだということを。

 

(なぜだろうな。部下たちに囲まれ、陛下は変わらず御座(おわ)し、民たちもいる。だというのになんだ、この孤独感は。まるで、一人世界に取り残されたかのような……)

 

それが錯覚だとわかっていながら、そう感じずにはいられない。その理由も、不本意ながら理解していた。

 

(いや、わかっている。お前がいないからだ、フェリシア。奴らのことを笑えんな、裏切られてなお弟子が可愛く思えるとは……)

 

将軍職に就く者達の中には、フリード同様弟子を持つ者もいる。様々な場面で彼らの弟子自慢を聞かされ「自分は違う」と思ってきたフリードだが、何のことはない。彼もまた、弟子を可愛く思っていたのだ。裏切られたと知ってなお、その喪失感に戸惑う程に。

 

とそこで、執務室の戸が「コンコンコン」と音を立てる。ただ戸がノックされただけにもかかわらず、フリードの顔が跳ね上がる。彼にはわかったのだ、今のノックが誰のものなのか。

ノックの主は返答を待つことなく扉を開く。そこには、フリードが想像した通りの人物が立っていた。

 

「まさか…………フェリシア」

「ご無沙汰しております、閣下」

 

几帳面な性格を表すように、折り目正しい敬礼で答えるフェリシア。あるべきピースがハマったかのような、そんな安心感がフリードの胸中を満たすが、即座に振り払う。いま彼女が身に纏っているのは、いつも着こんでいた甲冑ではない。あまり見覚えのない、民族衣装を思わせるゆったりとした服装だ。

足首近くまである長衣は穏やかな青系統が主になり、それとは対比するように鮮やかな黄色の帯が腰に巻かれている。下にはズボンとブーツを履き、動きを阻害しない作りのようだ。

いや、フリードは昔似たような服を見たことがある。まだフェリシアが王都に来て間もなく、士官のために受付の兵士と問答を繰り広げていた時、彼女が来ていた服とよく似ているのだ。

 

「お前の故郷のものか」

「正確には、ありあわせで模したものですが」

「……用件は何だ。裏切ったことへの弁明か? それとも、己の犯した罪の裁きを受けに来たか?」

「いいえ、そのどちらでもありません。此度は筋を通しに参りました」

「筋、か。そのために、こんなところまで忍び込んだと?」

「はい」

 

フリードの執務室は王城にあることもあり、その警備は厳重どころの話ではない。隠密行動に長けた天職や技能を持っているわけでもないフェリシアでは、ここまで誰にも見つからずに来られるわけがないのだ。

だが、現実として王城内には全く騒ぎが生じていない。つまり、フェリシアは誰にも見つからずにここまで来たということだ。

 

「ふん。なるほど、お前らしい話だ。それで、その筋とは?」

「重ね重ねの御恩を踏み躙ることへの」

「私のことなどどうでもいい! お前は魔王様を、我らが神を裏切ったのだぞ!」

「……神、ですか」

 

フリードの言葉に、フェリシアの表情から感情が消える。師弟としてではなく、軍を預かる将としてでもなく、ただ神の信徒として怒りをぶつける恩人に心が冷めていく。同胞を、仲間を、自身を裏切ったことにではなく、フリードは神から離反したことに怒っている。もし彼がもっと他のことに怒ってくれたなら、微かに抱いていた希望は砕け散った。これで、この場所への一切の未練を断ち切ることができる。

 

「…………閣下、一つ教えていただきたいことがございます」

「なに?」

「我々は、なぜ人間族と戦わなければならないのですか。攻めてくるなら迎え撃ちましょう、争う意思があるのなら徹底的に粉砕しましょう。ですが、彼らに戦う意思がなかったとしたら、あなたは……どうなさいますか?」

 

それは、ずっとフェリシアが聞きたかったことだ。だがフリードは、一切の迷いなく断言する。

 

「くだらん」

「…………」

「奴らに戦う意思がないとしたら、だと? 実に下らん仮定だ。どうあろうと、奴らがこの世界の汚点であることに変わりはない。奴らの存在そのものが、我らが神を辱めているのだ。粉砕し蹂躙し、壊滅させる。滅ぼす以外の選択肢があるはずがない。そんなことすら忘れたか!」

「……いいえ、忘れたことなどありません」

「ならば!」

「私は一度だって、神の為に戦ったことなどありません!!」

(なにを言っている……なんだ、その迷いのない目は。かつてのお前は、いつもどこか迷いを抱えていた。その迷いが晴れたのか? だが、その結果がこれだというのか!?)

「私が集落を飛び出し士官したのも、あなたに師事し力をつけ、戦い続けてきたのはすべて同胞たちのため! 彼らが少しでも血を流さない、自由な意思の下生きられる世の為です! 断じて、神の為などではありません!!」

「……それが、お前の本心か」

 

フリードにとっても衝撃が大きかったのか、彼は絞り出すように言葉を紡ぐが、フェリシアははっきりと断言する。これが、これこそがフェリシア・グレイロードなのだと。

 

「はい、これが私です。ずっと秘め続けてきた、私の本当の言葉です」

「……………………………………お前は、異端だ」

「承知しております」

「この、神敵めが!」

「己のために戦わぬ者を敵だというのなら、そのような神など私には不要です」

 

その目には、かつて秘めていた迷いはない。フリードも、嫌が応にもそれを理解していた。理解したからこそ、受け入れられない。全てとはいかないまでも、誰よりも理解していると思っていた愛弟子であったはずの女が、いまの彼には理解不能のナニカに見える。

 

「……ああ、私が間違っていた。お前のような“悪”をこの手で育てていたとは、我が生涯最大の汚点だ! ならせめて、この手でその過ちを正してくれる!!」

「いえ、それはおやめいただきましょう」

「!?」

 

魔法を紡ごうとしたフリードだが、背後から喉元に添えられた刃がそれを阻む。

フリードをして全く気付かれることなく忍び寄った手管、並の者ではない。

 

当然だろう。何しろ相手は、暗殺者のサーヴァント。中でも、間諜に長ける「忍」の者だ。隠密行動に不慣れなフェリシアをここまで誘導できたという点でも、彼女がどれほど傑出しているかわかるというものだ。

 

(声からして女か。だが、いったいいつどこから……)

「段蔵殿」

「フェリシア殿、お時間にございます。お急ぎを」

「陛下……魔王は確認できましたか?」

「姿だけならば。ですが、あまり近づいてはおりません」

「あなたほどの方が……」

 

なるほど、魔王の称号は伊達ではないのだろう。姿を確認した段階で戻ってきたのは、あれが今までに遭遇してきた魔物や魔人たちとは別格だと理解したからだ。フェリシアですら、その力は辛うじてサーヴァントに届くか否かという段階にある。その彼女を凌駕する存在となれば、慎重に行動して然るべきだ。少なくとも、今はまだはっきりと対立すべき時ではない。立香からも、あくまでもフェリシアのサポートが優先と言われている。

 

「間もなく、指定された箇所への攻撃を開始いたします。その間に脱出を」

「承知いたしました。これ以上、り……あの方にご迷惑はおかけできませんからね。

それでは閣下、もうお会いしないことを願っております」

「カトレアは死んだぞ」

「っ!?」

 

一度は背を向けようとしたフェリシアだが、フリードの言葉に思わず身体が固まる。

覚悟はしていた。しかしそれでも、彼女の死に衝撃を受けないはずがない。

 

「人間族の手にかかってだ。お前たちは親友だったはず、親友を殺した者達とどこへ行くつもりだ!」

「…………………………ありがとうございます、閣下」

「なに……」

「あなたのおかげで、カトレアの死を知ることができました。なら私は、彼女を悼むことができる。それで、十分です」

「待て、フェリシア!!」

 

フリードの制止を聞くことなく、フェリシアは段蔵と共に窓を割って飛び降りる。行きは隠密行動が必要だったが、帰りはその限りではない。

タイミングを同じくして、王都内数か所で爆音が響く。火事にはなっていないが、いくつかの建物が木っ端微塵に粉砕されたのだ。

 

「なに!? あれは……と軍の備蓄庫と魔物の飼育棟か、それに……」

 

攻撃されたのは、王都内にいくつか点在する軍の施設だ。魔王軍の軍備は着々と整いつつあり、総攻撃に出る日もそう遠くないことをフェリシアは知っていた。だが、全面戦争になれば多くの血が流れるのは必定。

仮に解放者たちの言葉が真実として、さらに神を討つことができたとすれば……この戦争を避けることも可能かもしれない。さすがにそれが早々上手くいくとはフェリシアも思っていないが、せめて少しでも戦争の開戦は遅らせたかった。その間に亜人族や竜人族、場合によっては人間族との交渉の席に立つことも可能かもしれない。そうなれば、戦争の回避は無理でも少しでもマシな落としどころを探ることができるかもしれない。それ故に、時間が欲しかったのだ。

その点については立香たちも賛同してくれたことから、いくつかの施設を破壊し、足止め工作を施すことにしたわけだ。もちろん、巻き添えになる者が少なくなるよう細心の注意を払った上で。

なにより、フェリシアとしては何としてでも消しておかなければならないものがあった。

 

「フェリシアの研究所、何も残さないつもりか……」

 

フェリシアが実験のために使っていた治療院。そこからも僅かだが白煙が上がっている。他と同じく火の手は上がっていないが、何らかの被害はあったのだろう。

無論、治療院で治療を受けている患者たちを巻き添えにするつもりはフェリシアにはない。あくまでも、彼女が消したかったのは自身の研究データだ。フリードならばあれを活用できる以上、彼の手の届くところに残しておくわけにはいかない。

 

そんな彼女の思惑を悟り、執務室を飛び出したフリードの顔が憤怒に歪む。最早弟子への情は捨てた、いまは裏切り者に報いを受けさせるのみだ。

 

「おのれ……全軍に通達! 動けるものは装備を整え、急ぎフェリシアとその共犯者どもを追え! あちらは人間族、容赦はいらん! 魔物も動かせるだけ動かして構わん!」

「はっ! か、閣下は如何なさるおつもりですか?」

「私は陛下のご無事を確認した上で追う! だが、深追いはするな。腐ってもフェリシアは大迷宮攻略者、神代魔法の使い手だ。私以外では相手になるまい」

「承知いたしました!」

(陛下、どうか御無事で。そしてフェリシア……この報い必ずや受けさせてくれる!!)

 

フェリシアたちの会話から、魔王の無事はほぼ間違いないだろう。そもそも、偉大なる神の代弁者たる魔王がフェリシアや人間族如きに後れを取るはずがない。無事の確認は念のためだ。

とはいえ、フリードは今回の失態の責任は自身にあると思っている。場合によっては、その場で首を落とされることも覚悟の上で彼は玉座へと向かった。

 

幸いなことに彼の首が落ちることはなく、フリードは魔王の命を受けて急ぎフェリシアを追う。

だがその道中、彼が見た風景は凄惨の一言だった。

彼が手ずから強化した魔物たちは尽く息絶えていた。焼け焦げ、ズタズタに引き裂かれ、矢のようなもので射抜かれ、場所によってはクレーター状の巨大な陥没だけが残る。そんな、信じがたい光景が広がっていたのだ。

 

(私の知らない神代魔法か! フェリシア、いったいいつから……)

 

最早、フリードの中でフェリシアの裏切りは既定のものとなっていた。というよりも、以前よりつながりがあり、今回のことも彼女が手引きしたと思っている。概ね間違ってはいないが、フェリシアが彼らと合流したのは成り行きに近い。無論、そのことを説明したところでフリードは信じなかっただろうが。

 

ただ不思議なことに、魔物たちはほぼ壊滅状態だったにもかかわらず、人的被害はほぼないに等しかった。その意味を、フリードは深く考えない。少なくとも、彼女が同胞たちに被害が出ることを可能な限り避けたとは、最早思いもしなかった。

 

その頃、立香たち一行はハインケルに乗り込み一路シュネー雪原を目指す。

既に追っ手の影はない。ブーディカに運転を任せ、追いかけてくる魔物たちを頼光の雷で薙ぎ払い、藤太の矢で射抜き、ロボとヘシアンの刃で引き裂いた。挙句の果てに、アルトリアの聖槍までぶっぱしたのである。いくら段蔵に調べてもらって人的被害を最小限にとどめたとはいえ、それでもとんだ蹂躙劇だ。

まぁその甲斐あって、魔人族側の戦力はかなり削ぐことができたはず。これで、しばらくは時間が稼げるだろう。

また、数日後には副長の遺体を携えた騎士団が王都に戻るだろうが、副長の死に加えてこれだけ派手に喧伝したのだ。フェリシアが彼らとも袂を別ったことは、そう疑われないはず。

 

そういう意味でいえば、今回の狙いは概ね達成できたといえるだろう。

とはいえ、当のフェリシアの表情は決して明るいものではなかった。

 

「ふぅ……」

「おや、如何なされましたか、フェリシア嬢」

「確か、シェイクスピア殿?」

「おお、覚えていただき恐悦至極」

 

芝居がかかった所作で仰々しく振舞う劇作家に、フェリシアの頬が引き攣る。正直、こういうタイプは割と苦手なのだ。

 

「何やら意気消沈しておられるご様子。よろしければ、我輩に話してはいかがですかな? 人に話すことで、気が楽になるものですぞ」

「いけません、フェリシアさん。少なくとも、シェイクスピアさんにだけは相談してはいけません」

「まったくです。この男に話したところで、作品のネタにされるだけでしょう」

「野良犬にでも話した方がまだましだな、うむ!」

「女王陛下、我輩の扱いが酷すぎやしませんか?」

「自業自得って言葉、きみ知ってる?」

「知っておりますし我輩の辞書にもしっかり載っておりますぞ、何しろ作品に使いますからな! ですが、我輩とは無縁の言葉でもあります!」

 

ここまではっきり言いきられると、あとはもう褒めるしかない気がしてくるから不思議だ。

 

「あらあら、ご友人を亡くされたということですし…みなさん、今はそっとしておいて差し上げましょう」

 

立香や金時が絡まない限り、割とまともな頼光の言葉に一部を除いて皆がうなずく。

だが、当然空気を読まないロクデナシはそれくらいでは止まらない。

 

「“後悔する! それこそ卑怯で女々しいことだ”」

「っ!」

「フェリシア嬢、あなたは後悔しておいでなので?」

「……………後悔、そうですね。あなたのおっしゃられる通り、女々しいことに私は悔いています。あの時ああしていれば、と。その無意味さくらい、理解しているはずだというのに……理解していながら悔いる、ああ本当に女々しい限りです。お恥ずかしい……」

「あっ、いつのまに!? だれか、あの髭止めて!!」

 

いつの間にかフェリシアの横に陣取っていたシェイクスピアに気付き、立香の指示が飛ぶがその間にも稀代の劇作家の口は止まらない。ついでに、手元のメモを取る手も止まらない。

 

「ふむふむ。ですが、あなたが暗い表情を浮かべる理由はそれだけですかな?」

「どういう、意味でしょう」

「例えばそう、同胞たちから裏切り者と後ろ指を指されること。あるいは、恩師と決定的に袂を別ったこと。はたまた、腹心の部下をその手にかけたこと。短期間のうちに、色々とありましたからなぁ」

 

案の定、デリカシーの欠片もないシェイクスピアの心ない言葉に、フェリシアの影がどんどん濃くなる。

 

「では、そんなあなたにこの言葉を送りましょう。“成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない”、と。この場合、敗北は失敗と言い換えても構いません。此度の結果は最善からは程遠いでしょう。ですが、あなたはそれで志を捨ててしまわれるおつもりか? あなたの志は、彼らから託されたものは、その程度のものだったと?」

「そんなはず、ありません!!」

 

この時点で皆が思った「あれ? なんかおかしい」と。いつもとノリは同じはずなのだが、フェリシアの顔に生気が戻ってきている。

 

「そうでしょう、そうでしょうとも! あなたはそういう人だ、そうでなければならない! なぜならあなたは、彼らが担ぐ神輿そのものなのですからな! そのあなたが俯いていては、担ぐ側もその甲斐がないというもの! なにより“人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いがあればわずか一里でも嫌になる”というものでしょう!! 誰が好き好んで、陰気な神輿を担ぐものですか!」

 

シェイクスピアが言い終わる頃には、既にフェリシアの顔から影は払拭されていた。彼女は決然と顔を上げ、その目には強い意志の光が戻っている。一時その心を覆っていた弱気の雲は晴れ、立香に見た太陽が燦々と光を放っている。

そのことに……というか、シェイクスピアが立ち直らせたことに、皆驚きを隠せない。

 

「しゅ――――――――――――――――――――――――ご――――――――――――――――――――――っ!!!!」

「フォ―――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!」

「シェイクスピアがまともなこと言ってる!? どうしたの、反転したの、明日死ぬの!?」

「お、落ち着いてください、先輩! シェイクスピアさんは本当にどうしようもない人ですが、文章“は”素晴らしいです。ですから、誰かを励ますこともできないことはないような気もするというかしないというか……」

「まったく、酷い言われようですな」

「と言いつつ、しっかりメモを取っているわけですが……」

「何しろ、彼女の物語は実に『面白そう』ですからな。良いネタになります。こんなところで足踏みされていては、それこそつまらない」

「シェイクスピア殿らしい話だな、うむ!」

 

まぁ、作品の為であろうとなんであろうと、結果良ければすべて良しということで……。




それにしても、書きたいことをかいているとどんどん長くなるこの不思議……なんなんでしょうね? 世の作家さん、あるいは二次創作に手を染めている方も、同じことを思うのでしょうか?

とりあえず、フェリシアはシェイクスピアのお気に入りに。シェイクスピア的に、フェリシアには大いに悩み、葛藤してほしいところ。ただし、しょぼくれているとつまらないので、一応励ましたりはします。ただし、自分の作品のために。ブレねぇなぁ、この髭。

P.S
最近、「立香」をカタカナ表記する機会が多いわけですが「リツカ」ではなく「リ”ッ”カ」と誤字報告が入ることがあります。でも、彼って「ふじまるりつか」ですよね? 違いましたっけ?

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