ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

31 / 48
Interlude04

フェリシア・グレイロード、フリード・バグアー。魔人族の両翼であった師弟が袂を別つ数日前まで時を遡る。

場所はハイリヒ王国の宿場町ホルアドの地下深く、彼の街が擁するオルクス大迷宮80層。記録に残っている範囲ではという注釈こそつくが、過去誰一人として足を踏み入れたことのない領域へと進んだ勇者一行。

 

そこで彼らは、初めてオルクス大迷宮に挑んで以来の窮地に晒されていた。

 

未踏破領域に踏み込み、さながら新雪に足跡をつけるような心持ちから、僅かだが地に足がつかなくなっていたことは認めざるを得ない。とはいえそれも、「慢心」や「驕り」と呼べるほどのものではなかった。そもそも、十数人というそれなりの規模の集団に対し、治癒師が一人しかいないという不安定さこそが彼らのアキレス腱なのだ。回復を事実上一人に頼らざるを得ないからこそ、彼らは慎重の上に慎重を期して堅実にここまで歩を進めてきたのだから。そんな状態では、慢心したくてもできやしない。少しばかり緊張感を緩ませるのが関の山だろう。

 

そして、多少気の緩みが生じていたとしても、その程度で崩れてしまうほど彼らが今日まで積み重ねてきたものは浅くない。事実、ベヒモスを下し前人未到の領域に入ってからも、特にこれと言って危うい場面もなく、ある程度以上の余裕をもって戦うことができていた。

むしろ、波に乗るかのように徐々に攻略ペースが増し、百層踏破も遠くないと思い始めた矢先……彼らは出会ってしまったのだ。

多種多様な魔物が跋扈するオルクス大迷宮でも出くわしたことのない、特殊な固有魔法を備えた強力な魔物を何頭も従えた一人の女に。

 

瞳と髪は燃えるような赤。艶のない黒一色のライダースーツのようなものを纏い、体にピッタリと吸い付くようなデザインは、彼女の見事なボディラインを薄暗い迷宮の中でも浮き彫りにしている。また、胸元は大きく開き、見事な双丘がこぼれ落ちそう。前に垂れていた髪を、その特徴的な僅かに尖った耳にかける仕草が実に艶かしい。

幾人かの男子生徒は思わず頬を赤くし、女子生徒さえも見惚れてしまう色香の持ち主だった。しかし、彼らの自失も長くは続かない。

 

彼女の容姿は特徴的だった。基本的な部分は人間のそれでありながら、僅かに尖った耳と浅黒い肌。見覚えはなくとも、教会から叩き込まれた座学で何度も耳にした特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵…………魔人族。いずれ対峙しなければならない、だがあまりにも早すぎる邂逅だった。

 

光輝たちの前に姿を現した目的は、勇者の勧誘。しかし、光輝は即座にこれを拒絶した。それ自体は別に問題ではない。ただ、彼はもう少し冷静に状況を分析するべきだった。あるいは、迎合するふりをして探りを入れるくらいの腹芸は身につけておくべきだっただろう。少なくとも、感情に身を任せて答えるべきではなかったのだ。違和感の種は、そこかしこにあったのだから。

 

第一に、光輝たちが女魔人と出会った一部屋を残して、この階層の魔物は痕跡すら残すことなく殲滅されていた。

第二に、女魔人は特に疲労した様子もなく、一人で光輝たちの前に姿を現した。

 

光輝たちが長い時間をかけてようやく到達できた階層に、なぜ彼女はこうも余裕をもって進むことができたのか。

痕跡すら残さずこの階層の魔物を殲滅するなど、どれほどの力があれば可能なのか。

何より、この階層に到達できるほどの人間族の集団を前にしても余裕のある振る舞い。

 

それらは一つの答えに集約される。どんな形であれ、彼女はそれができるだけの戦力を有しているということ。雫や永山重吾など、思慮のある者達はそのことに気付いていた。それが個人としてなのか、あるいは別の形なのかまではわからなかったが……すぐに答えが出た。

 

女魔人……カトレアが指示を下すと同時に姿を現した魔物たち。攻撃の瞬間まで気配を悟らせない隠蔽能力だけではない。攻守に優れ、回復系統の固有魔法を持つ個体までおり、バランスの良さは光輝たちを上回る。

個々の能力だけであれば、まだ辛うじて対抗することもできた。光輝や雫など、戦闘能力に優れた者が一体ずつ倒していけば、逆転とはいかずとも窮地を脱することもできたかもしれない。

だが、ここにきてバランスの悪さが浮き彫りになる。回復役を綾子一人に頼らざるを得ない勇者一行に対し、カトレア側には回復能力を有した魔物が十分に与えられている。この差が、戦況をあっという間に決定づけた。戦闘が始まって間もなく勇者側の回復が間に合わなくなっていったのだ。負傷や固有魔法の作用で戦闘能力を損なう、ないし失う者が続出。対して、カトレア側は多少の負傷はすぐに回復されてしまい、切り崩すチャンスを作ることすらできない。

このままではじり貧であることを、雫は苦々しくも冷静に理解していた。

 

(どうする……どうすればいいの! このまま戦っていても、遠からず押し切られるのは間違いない。ベストは撤退、それも仕切り直しとか中途半端なことじゃなくて、迷宮の外まで退避するくらいの……)

 

それは、いっそ“敗走”と呼んでいいレベルのこと。しかし、それが最善であると雫は判断する。戦い続けていても勝ち目はない。回復役の乏しさから、仕切り直そうにも負傷者や敵の固有魔法で石化した仲間の完全回復は望めない。ただでさえ不利な状況だというのに、さらに戦力が削られた状態で再戦してもどうにもならない。

だからこその撤退。被害を最小限に抑えられる今のうちに、敵が追ってこない地上まで退避する。その上で、王国や教会に事態を報告し、戦力を整えた上で再戦する。間違いなく、それこそが最善……だが現実は、それを許してくれるほど生易しくはない。

 

(退路は断たれている。強引に突破することもできるかもしれないけど、ある程度の犠牲は覚悟しないといけない。それを選べないのなら、イチかバチかで敵将を討ち取りに行くくらいしか方法はないけど、それを読めない相手じゃないでしょうね。少なくとも、私の考えていることくらいはお見通しでしょうし)

 

魔物たちの後方に控えるカトレアに余裕はあれども慢心はない。遠目から見ても、彼女が冷静に雫たちを観察し、分析していることが伺える。経験値ではあちらの方が遥かに上、戦場における立ち回りも熟知しているだろう。

つい数ヶ月前まで一高校生でしかなかった雫たちの考えることを読めないとは思えない。

 

(こんな時、南雲君がいてくれたら……)

 

窮地に立たされた雫の脳裏に浮かんだのは、いま彼女たちに最も欠けている回復能力に長けた治癒師の親友(香織)ではなく、非戦闘系の天職と平凡なステータスしか持たなかったクラスメイトの姿。

彼が奈落の底で超人的な能力を得たから、ではない。情報としては知っていても、実際に目にしたわけではないことから実感が薄いというのもあるが、雫は彼の有事における冷静さと機転に信頼を置いている。

初めて大迷宮に挑んだ日、ベヒモスを前に雫ですら冷静沈着からほど遠かった。メルドの指示通り下がるのが最善と理解できる程度の冷静さはあったが、それ以上のことには頭が回らなかった。下がった後、一体どうすればいいのか。一向に下がろうとしない光輝を、どう説得すればいいのか。雫はおろか、その場にいる誰一人として考えの及んでいなかった領域に対し、南雲ハジメは冷静に適切な解答を示して見せたのだ。

結果的に彼は奈落の底に落ちてしまったが、ハジメの示した答えはあの状況下における最善だったと今でも思う。あるいはもっと良い手もあったのかもしれないが、あの土壇場で出せる解答としては最良だったことに疑いの余地はない。少なくとも、他の誰にもあの場で彼以上の解を示すことはできなかったのだから。

 

仮に回復役が一人増えたところで、彼らの不利は明らか。敗北までの時間を引き延ばすか、あるいは仕切り直しを可能にするか……あとは、イチかバチかの成功率を多少引き上げるのが関の山だろう。いずれにせよ、駆けの要素が強いことに変わりはない。

だが、ハジメなら……もっと別の、起死回生の一手を示してくれるのではないか。そんな期待があった。南雲ハジメの、ステータス上では推し量れない能力の高さ。彼が奈落の底に落ち、自分たちとは別行動をとるに至ってしまったことが悔やまれる。

 

(ダメね。こんなこと考えるなんて、私も相当弱気になってる証拠か)

 

この場にいない相手を当てにするようでは本当に末期だ…と自らを戒める。

 

(南雲君は奈落の底で片腕を失って、魔物を食べて身体を作り替えてまで生き延びた。彼の孤独や絶望に比べたら、この程度で根を上げてちゃ笑われるわ!)

 

自らに活を入れ直し、雫は手にしていた王国から与えられたシャムシール型のアーティファクトを投げ捨てた。代わりに、腰に差したもう一振りを手に取る。

ハジメたちとの繋がりを示すこれを使えば、最終的には彼らの足を引っ張ることになる。それ故にできる限り隠しておきたかったが、最早そんなことを言っていられる状況ではない。出し惜しみをして死んでしまえば、それこそせっかく用意してくれた彼に申し訳が立たない。

 

「刻め、“爪閃”!!」

 

居合の要領で黒刀を抜き放つと同時に生じた風の爪が、ライオンの頭部に竜のような手足と鋭い爪、蛇の尻尾と、鷲の翼を背中から生やす奇怪な魔物…キメラを両断する。

雫はその結果を見届けることもなく背を向けると、背後に迫っていたもう一体のキメラの前肢を落とし、心臓を一突き。流れるような連続攻撃の前に、為す術もなく二体のキメラが絶命した。

 

「何度か隠れて試し斬りして切れ味はわかっているつもりだったけど、まさかこれほどとは…ね!」

 

まだ息のあったキメラの蛇尾が二方向から噛み付いてくる。心臓を貫いた黒刀を抜くことなく、身体ごと回るように横薙ぎに一閃。半ばほどで断たれた二本の蛇尾は僅かな時間その場で悶えた後、動きを止めた。

 

「雫、その刀は……」

「前に言ったでしょ、ホルアドで貰った掘り出し物って。それより、今はこの状況を何とかしないと……」

 

本当は、どうしなければならないかなどわかり切っている。雫一人の戦力が多少向上した程度では、根本的な状況の打開にはつながらない。ハジメが作り上げた黒刀は敵の魔物の外皮をものともせずに斬り裂く性能があるとはいえ、数の差は歴然。敵が十分な回復役を擁している以上、長引けば長引くほどに不利になる。故に、この状況を打開するためにできることは一つしかない。

それを分かっていながら口にできないのは、まだ雫の中でも覚悟が決まっていないから。やらなければならないことは以前からわかっていたが、いざそれを意識すると二の足を踏んでしまう自分がいる。ましてやそれを他者に「やれ」と唆すなど、できるはずがない。

 

(でも、今はもうそれしかない!)

 

覚悟できたかどうかはわからない。だがそれでも、雫は決意だけでも固めてカトレアに狙いを定めて走り出す。

 

「雫、なにをっ!?」

「はぁっ!」

 

黒猫型の魔物から伸びる触手を切り払いながら間合いを詰めていく。しかし、それも長くは続かない。雫の歩みを阻むように魔物たちが立ちはだかり、その対応に追われて足が止まってしまった。勇者一行の中でも特に優れた戦闘能力を有する雫だが、残念ながら火力に乏しい。一対一では一二を争う力量の持ち主であると同時に、集団戦において一息に敵を薙ぎ払う種類の火力は持ち合わせていないのだ。

それでも、何とかカトレアを必殺の間合いに捉えようと刀を振るう。誰かに重荷を背負わせるくらいなら……生来の苦労人体質の表れだった。

 

「どきなさい、奔れ、“雷華”!」

 

詠唱と共に雷の華が咲き、迫りくる魔物たちを牽制する。雷の衝撃で僅かに身を引いた隙を逃さず進もうとする雫だが、彼女の前に何かが割り込む。それは大口を開けたかと思うと、黒刀から放たれた雷を瞬く間のうちに吸い込んでしまう。

 

「くっ……“爪閃”! “爪閃”! “爪閃”!」

 

そこにいたのは、体から六本の足を生やした亀のような魔物。カトレアとの間に立ちはだかったそれに対し、雫は風の爪を纏わせ斬りかかろうとする。しかし、そのすべてが展開すると同時に魔物の口の中へと吸い込まれていく。

やむを得ずそのまま斬りかかるが、亀らしく甲羅の中に隠れられてしまえば、黒刀を以てしても甲羅に浅い傷をつけるのが関の山。無視して進もうにも、既に体勢を立て直した魔物たちに囲まれている。黒刀の能力で対処しようとするが、発動させると同時に甲羅の中から顔を出して吸い込まれてしまう。

 

こうなると、あとはもう通常の斬撃で対処するしかない。風の爪などを付与していない素の斬れ味でも、雫の技量があれば魔物たちを切り捨てること自体は可能。とはいえ、それはあくまでも対処できるというだけの話に過ぎない。敵将(カトレア)への道を開くには到底足りない。

 

「良い気概だ、アブソドがいなかったら万が一もあったかもしれないね。でも……やっちまいな、アブソド!」

 

指示を受けたアブソドと呼ばれた多足亀の魔物がゆっくりと口を開く。よく見れば、いつの間にか甲羅が僅かな黄色を帯びた白に染まっている。まるで、黒刀を介して放った魔法をため込んでいるかのように。

そんな考察を裏付けるかのように、次の瞬間背中の甲羅が激しく輝き、開いた口の奥に輝きが生まれる。雫は背筋を走る悪寒に従いその場から飛びのこうとするが、僅かに遅かった。

多足亀の口から放たれた何かが雫のわき腹を抉り、遥か後方へと消えていく。

 

「ゲホッ!? ゴホッ……」

「おや、ちょいとタメが足りなかったか。悪いね、即死していた方が楽だったろうに」

「雫!? くそっ、雫に何をする!!」

 

光輝は怒りに染まった雄叫び上げながら倒れた雫の下へ駆け寄ろうとするが、魔物の群れがそれを阻む。

 

「光…輝……」

「待ってろ、雫。いまこいつらを倒して、俺が助けてやる!」

「ハッ! あんたにできるのかい、坊や?」

「よくも俺の仲間を……お前は、俺が倒す!! 行くぞ、“限界突破”!」

(わかってるの、光輝? その人を倒すということは……)

 

いや、きっとわかっていない。わき腹を抉られ、止めどなく血を流しながら雫はその先の未来を想像する。

光輝ならば、雫と違い高い火力を持ち合わせる彼ならば、カトレアを守る魔物たちを突破して喉元に刃を突き付けることもできるだろう。そこから先は……わからない。ことは光輝がカトレアを倒せるか否かではない。光輝が自分のしようとしていることに気付くか否かだ。気付かないままなら勝てるだろう。だがもし、気付いてしまえば……

 

(あの人を斬れない。だって光輝は、“人”と戦っていると思っていない)

 

光輝にとって、魔人族とはイシュタルに教えられた通り、残忍で卑劣な知恵の回る魔物の上位種、あるいは魔物が進化した存在くらいの認識だ。実際、魔物と共にあり、魔物を使役していることが、その認識に拍車をかけている。自分達と同じように、誰かを愛し、誰かに愛され、何かの為に必死に生きている、そんな戦っている“人”だとは思っていない。あるいは、無意識にそう思わないようにしているのか。

だが、もしその前提が覆れば、彼は剣を振り下ろすことができないだろう。自分が手にかけようとした相手が魔物などでなく、紛れもなく自分達と同じ“人”だと気づいてしまえば、それが“人殺し”であることを認識せざるを得ない。光輝がそれを自覚した上で剣を振れるかといえば、答えは否だ。

 

(私たちが生き残るためには、光輝に気づかれてはいけない。でも、それでいいの? 人を人とも思わずに殺すことが、光輝にそんなことをさせることが……)

 

雫には、到底それを良しとすることはできなかった。せめて人として向き合い、人として命を絶つ、それが最低限の礼儀ではないだろうか。殺す側も殺される側も、それではあまりにも救いがない。

 

いや、それを言うならもっと早く、すべきことがあったのだ。認識の統一、すなわち自分達は人殺しをするのだと自覚する事を。

雫とて、人殺しの経験などない。経験したいなどとは間違っても思わない。だが、戦争をするならいつかこういう日が来ると知っていた。マシュからも指摘されていたことだし、剣術を習う上で人を傷つけることの“重さ”も叩き込まれている。

しかし、いざ、その時が来てみれば、覚悟など簡単に揺らぎ、自分のしようとしていることのあまりの重さに恐怖して恥も外聞もなくそのまま泣き出してしまいたくなった。それでも雫は、唇の端を噛み切りながら歯を食いしばって、その恐怖を必死に押さえつけ突き進んだ。

せめて、そのことを知っている自分がやるべきだと思ったからだ。だからこそ、雫は無茶を承知で突き進んだ。力及ばず雫の剣が届くことはなかったが、彼女にはまだ打つ手が残されている。

 

(使うしか、ない)

 

命が流出していく感覚が徐々に薄れていく。無論、治ってきているからではなく、取り返しのつかない段階がもう目の前に迫ってきているからだ。

不幸中の幸いというべきか、雫を死に体と見て限界突破を使った光輝への対処を優先しているらしく、彼女にとどめを刺そうとする様子は見られない。今ならまだ奥の手を使うことができる。多少発動までに時間はかかるが、無視してくれている今の状況はむしろ好都合だ。

 

「くそ、退けよ! このままじゃ雫が!」

「しずしず! お願い、返事をして!」

「やべぇぞ、光輝。このままじゃ……」

「くっそぉぉぉぉぉ!! “覇潰”!!

 

“限界突破”終の派生技能[+覇潰]。通常の“限界突破”が基本ステータスの三倍の力を制限時間内だけ発揮するものとすれば、基本ステータスの五倍の力を得ることが出来る上位技能だ。ただし、唯でさえ限界突破している中、更に無理やり力を引きずり出すのだ。効果時間は短くなり、その後の副作用も甚大。

とはいえ、覇潰を使った光輝を止められる者などまずいない。十中八九、彼はカトレアの下までたどり着くことができるだろう。しかし、雫はそれを望まない。少なくとも、怒りに任せて何も知らぬまま一線を踏み越えることなど、あってはいけないのだ。

 

(お願い、気付いて光輝。その人は、私たちと同じ……)

「よくも、良くも雫をぉ――――――っ!!」

「チィッ!」

 

ここにきて、ついにカトレアの顔に焦りの表情が浮かぶ。周囲の魔物をけしかけるが、光輝は一顧だにせず薙ぎ払い突き進む。魔物達には目もくれず、聖剣の一振りでなぎ払い、怒声を上げながら一瞬も立ち止まらない。頭の中にあるのは、幼馴染を傷つけられたことへの怒りと今にも雫が息絶えそうな現実への焦りだけだった。

 

「ウオォォォッ!!」

 

大上段に振りかぶった聖剣を、光輝は躊躇いなく振り下ろす。カトレアは咄嗟に魔法で盾を作るが……光の奔流を纏った聖剣はたやすく盾を切り裂き、その奥にいるカトレアを袈裟斬りにした。

盾を作りながら後ろに下がっていたのが幸いし、両断されることこそなかったが、彼女の体は深々と切り裂かれ、血飛沫を撒き散らしながら後方へと吹き飛ぶ。

 

背後の壁に背中から激突し、砕けた壁を背にズルズルと崩れ落ちた。カトレアは聖剣を振り払いながら歩み寄る光輝を見上げ、つまらなそうにつぶやく。

 

「まいったね……あの状況で逆転なんて……。まるで、三文芝居でも見てる気分だ」

 

傍にいる回復系の固有魔法を持つ白鴉がそれを発動するが、傷は深く直ぐには治らない。カトレアはいよいよ年貢の納め時と覚悟を決め、激痛に堪えながら右手を伸ばす。懐から取り出したのは、ロケットペンダントだった。

光輝はその意味を斟酌することなく、トドメの一撃を振りかぶる。だが、剣を振り下ろす直前に耳にした言葉が雷の如き衝撃を光輝に与えた。

 

「ごめん……先に逝く。幸せになりな、フェリシア。そして……愛してるよ、ミハイル」

 

愛しそうな表情で手に持つロケットペンダントを見つめながら、そんな呟きを漏らすカトレア。光輝は思わず聖剣を止める。カトレアは覚悟した衝撃が来ないことに訝しみ顔を上げ、自分の頭上数ミリの場所で停止している聖剣に気がつく。

しかしそれ以上に彼女の目を引いたのは、光輝の愕然とした表情だった。目をこれでもかと見開いて自分を見下ろすその瞳には、何かに気がつき、それに対する恐怖と躊躇いが生まれていた。その意味をカトレアは余すことなく悟る。

 

「……呆れたね……まさか、今になって漸く気がついたのかい? “人”を殺そうとしていることに」

(よかった。気付いたのね、光輝)

 

雫にはもう頭を上げて状況を確認する余力すら残されていないが、その声だけは何とか聞き取ることができた。

 

「まさか、あたし達を“人”とすら認めていなかったとは……随分と傲慢なことだね」

「ち、ちが……俺は、知らなくて……」

「ハッ、“知ろうとしなかった”の間違いだろ?」

「お、俺は……」

「ほら? どうした? 所詮は戦いですらなく唯の“狩り”なんだろ? 目の前に死に体の一匹がいるぞ? さっさと狩ったらどうだい? おまえが今までそうしてきたように……」

「……は、話し合おう……は、話せばきっと……」

 

光輝の言葉に、カトレアは心底軽蔑したような目を向ける。

 

「まったく、とんだ期待外れだ。アンタに、あの子に会う資格はない」

「な、なにを言って……」

(フェリシア、アンタは気づいていなかったかもしれないけど、あたしは気づいていたよ。アンタが、本当は何を考えていたか)

 

全てではないかもしれない。それでも、僅かばかりでもカトレアはフェリシアの本心に気付いていた。彼女が人間族との戦争を望んでいないことも、召喚された勇者に興味を抱いていることも。だからこそ、落胆を禁じ得ない。目の前の無知な少年は、フェリシアが求めていた相手ではない。

 

「それでもアンタの力は脅威だ。ここで、確実に潰させてもらう! 全隊、攻撃せよ!」

 

カトレアの命令に従い、動ける魔物たちが猛烈な勢いで動き出す。優秀な人材に首輪をつけて寝返らせるメリットより、光輝を殺す事に利用すべきだと判断したのだ。それだけ、光輝の最後の攻撃は脅威だった。

 

「な、どうして!」

「自覚のない坊ちゃんだ……私達は“戦争”をしてるんだよ! 未熟な精神に巨大な力、あんたは危険過ぎる! 何が何でもここで死んでもらう! ほら、お仲間を助けに行かないと、全滅するよ!」

 

自分の提案を無視したカトレアに光輝が叫ぶが、彼女は取り合わない。フェリシアも本心では話し合いを望んではいるが、少なくともこんな形では口にしない。今この状況で口にするということは、むしろ自らの格を下げる世迷言も同然だからだ。その程度のことすらわからない無知蒙昧に付き合うつもりはない。

 

光輝は青ざめて“覇潰”の力そのままに仲間たちを助けに向かう。まだ“覇潰”のタイムリミットまでは余裕がある。しかし、襲い掛かる魔物を斬り伏せていくが、数が多すぎる。後から後から姿を現す魔物の群れに終わりはなく、仲間を守りながらではできることが限られる。あるいは、今度こそカトレアを仕留めに向かえば違ったかもしれないが、最早光輝には彼女を殺すことはできなかった。

相手が自分と同じ人であることに気付いてしまった以上、光輝に“人殺し”ができるはずもない。彼は自らが“正しい”と思うことしかできない人間だ。自分が正しいと思うことが“正義”であり、正しいと思えないことが“悪”。そんなシンプルかつ一方的な世界しか持たず、悪を成す覚悟もない。日本で暮らしている分にはそれでよかったかもしれない。だが、このトータスではそうもいかない。ましてや、勇者として魔人族との戦いに身を投じるなら尚更。

 

「勇者とはいっても、所詮はこの程度かい。アンタの方がよっぽど、勇者と呼ばれるにふさわしい……っ!」

 

光輝と違い、殺すつもりで挑んできた雫に視線を向けたところで、カトレアの表情が強張る。

雫の手にはステータスプレートに似た何かが握られ、彼女の口からは掠れながらも確かな、だが聞き覚えのない詠唱が紡がれていた。

 

「―――告げる。汝の身は、我が下に…我が命運は、汝の剣に。人理の、よるべに従い。この意、この理に従うのなら―――――」

「アハトド、やりな!」

 

カトレアの指示を受け、最後方に控えていた馬頭の魔物が雫にとどめを刺すべく動き出す。だがそれは、あと一手遅かった。

 

「我が身に宿れ―――我が命運、汝が剣に預けよう!」

 

雫を中心に光が放たれ、迷宮内に猛烈な風が吹き荒ぶ。仲間たちはもちろん、カトレアや魔物たちですら一瞬足を止め、何事かと雫に視線が集中する。光と風は間もなく納まり、その中心には先ほどまで死に体だったはずの雫が力強く立ち上がっていた。ただし、その姿は先ほどまでとは一変している。

 

「雫、なのか?」

「しずしず、その髪……」

 

トレードマークであるポニーテールはそのままに、艶やかな黒髪は純白に、服装も和装へ。軽装の鎧も失われ、右肩に和風の鎧の一部が残るのみとなっている。

だが、そこに弱々しさや儚さといったものは感じられない。むしろ、普段の雫からも考えられないほどの存在感を放っている。

 

「まったく、こいつは飛んだ隠し玉があったもんだ……」

「……悪いけど、あまり時間はかけられないの。負担が大きいというのもあるけど、私じゃ“彼女の血”をどこまで抑えられるか自信がないから」

「なら、長期戦にできればあたしの勝ちってことかい?」

「やめた方が良いわ。長引けばどうなるか、私にもわからないもの」

 

それがハッタリなどではないことは、カトレアにも理解できた。今でも並々ならぬ存在感を示している雫だが、その奥に得体のしれない不気味さを感じてもいた。アレを目覚めさせてはならない、それだけは確かだ。

ならば、することは一つ。

 

「全隊、他の連中は無視していい。そいつを仕留めな!」

 

カトレアの指示を受け、配下の魔物たちが雫を攻撃目標に変更し襲い掛かる。

 

「雫…これは、身体が……!?」

 

雫の身を案じ助けに入ろうとする光輝だが、膝から力が抜け前のめりに倒れこむ。“覇潰”のタイムリミットがついに訪れてしまった。他の仲間たちも、とてもすぐに動ける状態ではない。

実質一人で魔物の群れを引き受けざるを得なくなった雫だが、その目に焦りの色はなかった。彼女は特に動じた様子もなく、真っ先に襲い掛かってきたキメラの爪を掻い潜って頭を鷲掴みにし、そのまま一息にねじ切ってしまう。

 

「なっ……」

 

続くのはブルタールと呼ばれる豚面の魔物に近い魔物。ただし、二メートル半ほどの身体は引き絞られスマートな体形をしている。雫は彼女の限界をはるかに超越した速さで間合いを詰めると、いつの間に手にしていた薙刀を一閃。さらにそれを横薙ぎに振るうと、彼女を中心に炎が燃え上がり近づく魔物を焼き尽くす。

 

それはカトレアの引き連れた魔物の力を考えれば、ありえないとしか言えないあまりにも一方的な蹂躙劇だった。

 

刀で、薙刀で、素手で、あるいは体から迸る炎で。近づく魔物を斬り、叩き潰し、焼き払う。一度は手も足も出なかった多足亀すらも、今の彼女には取るに足らない。溢れ出る炎を吸い込み切れずにいたところへ接近し、甲羅の上から拳を振り下ろす。ただそれだけで、黒刀を以てしても浅く傷つけるのが精々だった甲羅は容易く粉砕され、悲鳴を上げることすらできずに絶命してしまった。

 

炎の余波から運よく逃れた魔物たちは白鴉の固有魔法で火傷を癒そうとするが、その矢先に飛来した矢が白鴉すべてを一羽たりとも逃すことなく撃ち落とす。守りと癒し、双方の要がなす術もなく潰されていく様は、カトレアにとって悪夢に等しかったことだろう。

 

しかし、そんな快進撃は唐突に終わる。

何の前触れもなく雫の足が止まり、彼女は何かを抑えるように自分の身体を抱きしめる。

 

「鎮まれ……鎮まれ」

「……アハトド!!」

 

引き攣れた魔物の中でも特に強力な馬頭の魔物が足を止めた雫に襲い掛かる。

仲間たちが雫に危険を知らせようと声を上げようとしたその瞬間、雫の身体からそれまでとは比較にならない炎が噴出する。

 

「アァアッ!」

 

腕を焼かれながらも雫に向けて手を伸ばす馬頭の魔物。だが雫は自らも腕を伸ばし、それを真正面から受け止める。体格差を考えれば、雫に勝ち目はない。ましてや彼女のステータスは敏捷に長けている分、腕力などはそれほど高くない。この魔物と力比べなどしても勝ち目があるはずがない……本来なら。

しかし、馬頭の手を止めた雫は押し切られるどころか微動だにしない。それどころかその腕をねじり上げ、逆に魔物が悲鳴を上げる。

そこで、カトレアは雫のさらなる変化に気づいた。一度目の変化に比べたら微々たるもの。服装も姿形も大きく変化はしていない。だが、光輝たちと違い雫を正面から見ることのできる場所にいた彼女だけが気付いた。雫の額に出現した双角に。

 

「燃えろっ!」

 

それまでとは比較にならない熱量の炎が吹き上がり、周辺にいた魔物を一掃する。

辛うじてそれにも耐えた馬頭だが、いつの間にか無手になっていた雫は、空いた片手でその頭を掴むと勢いよく水平に投げ飛ばす。

 

聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)──私に、力を!」

 

馬頭の身体は為す術もなくカトレアに向かって飛んでくる。彼女は咄嗟に身をかわし、辛うじて衝突だけは回避する。だがその程度では、続く一撃から逃れるには到底足りない。

視線を上げれば、そこには見たこともないような剛弓に矢を番え、迸る炎の全てを鏃に収束させる雫の姿。そこから放たれる輝きは、太陽を彷彿とさせた。

 

「旭の輝きを! 『真言・聖観世音菩薩(オン・アロリキヤ・ソワカ)』!!」

 

灼熱の矢が放たれ、馬頭の身体を貫く。一切の抵抗なく矢は突き進み、迷宮の壁さえも粉砕して彼方へと飛んで行った。しかし、その余波は甚大だ。太陽に似せた魔力から放たれた炎と熱が射線上の存在全てを融解させている。最早、燃やすとか焼くといった現象とは別次元だ。

 

当然、その煽りを受けたカトレアもタダで済むわけがない。原形をとどめているだけでも運がいいというべきだろう。

薄暗い迷宮内では詳細はわからないが、倒れ伏したカトレアが動く気配はない。

 

それを確認したのと同時に、雫の転身が解け彼女本来の姿を取り戻す。

彼女はゆっくりと膝をつくと、深く息を吐きだした。と同時に、体が震えだす。

 

(私が、殺した……)

 

その事実を確認したわけではないが、余波とはいえあの一撃を受けて息があるとは思えない。

 

『巴御前』。それが、立香が雫に渡したカードに宿る英霊の真名。性別は同じ女性であり、容姿にも類似点が多い。また、数いる英霊の中でも特に精神性が近い人物の一人として、立香は雫に彼女のカードを与えた。愛情深く、方向性は違えど本当の自分を抑える傾向にある点などがそうだ。

実際、二人の相性はかなり良く、ステータスやスキルの再現だけでなく宝具すらも発動可能なほど。その分、鬼の血を御する必要が生じてしまったため若干の不安定さはあるが、それでもここまで英霊の力を引き出せる人物は稀有だろう。

 

だからこそ、この窮地を乗り切ることができた。

ただ、それを手放しに喜ぶことはできない。転身している間は巴御前の影響で躊躇や恐怖は薄らいでいたが、解けてしまえばその恩恵は受けられない。今雫は、どんな形であれ、相手が誰であるにせよ、自らの手で人を殺したという事実と向かい合わなければならなかった。

その重さ、恐ろしさが彼女の心と体を震わせる。

 

しかし、残念ながらまだ戦いは終わってはいない。大半の魔物は斃れているが、まだ少数とはいえ生き残りがいる。とはいえ、光輝は“覇潰”の影響で碌に身動きが取れず、雫も宝具を使用した反動で転身が解けてしまった。通常戦闘も、転身の影響で弱体化している今では本来の力からは程遠い。なにより、今の彼女の精神状態で戦えというのは酷な話だろう。

仲間たちにしても負傷者が大半を占め、中には敵の固有魔法の影響で石化している者までいる。このままではようやく生き延びたにもかかわらず、彼らの命は風前の灯火……かと思われた。

 

生き残った魔物たちが襲いかかろうとしたその瞬間、轟音と共に天井が崩落し同時に紅い雷を纏った巨大な漆黒の杭が凄絶な威力を以て飛び出した。

全長百二十センチのほとんどを地中に埋め紅いスパークを放っている巨杭を前に、雫や光輝を始めとした勇者一行はもちろん、生き残った魔物たちまでもが硬直する。

 

戦場には似つかわしくない静寂が辺りを支配し、誰もが訳も分からず呆然と立ち尽くしていると、崩落した天井から二つの人影が飛び降りてきた。片や漆黒の外套に純白の髪の青年。片や活動的な衣装に身を包んだ黒髪の少女。二人は、雫に背を向ける形で軽やか降り立つ。

 

「ぁ……」

 

少女の姿を目にとめた瞬間、雫は彼らが誰かを悟った。見慣れた長い黒髪ではなく、最後に見た白い法衣に似た服装でもないが、親友を見間違うはずがない。

我を取り戻した魔物たちは二人を新たな敵と見定めて襲い掛かるが、二人は動じることなく手にした銃を抜き放つ。迷宮内に響き渡る無数の轟音。十秒と経つことなく銃撃音は終わりをつげ、その頃には立っている魔物は一体も残されていなかった。

 

そうして、無粋な横槍を物理的に黙らせた人物の片割れ、黒髪の少女は雫の方へと振り返り花のような笑顔を浮かべる。

 

「ただいま、雫ちゃん」

「……おかえりなさい、香織」

 

数か月ぶりとなる、親友たちの再会だった。




とりあえず、第三章はあと二話にまとめる予定でいます。
次で大迷宮前半までを終わらせ、次の次でクリアでしょうか。今回は案内人がいるので、割とスムーズにいけるはず。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。