ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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ハジメたちがミュウを雫に預け、いずこかへと姿を消して早数日。

直接ミュウを預かった雫も、彼らが今どこにいるかは知らない。聞けば教えてもらえたかもしれないが、知っても意味がないし、知るべきではないと思ったから聞かなかった。神の力は未知数、これ以上を知るのは雫や周囲の身の安全に関係するし、ハジメたちの足を引っ張ることになるかもしれないと思ってだ。

 

とはいえ、凡その予想はつく。あれほどミュウに過保護なハジメが、わざわざ雫に預けてまで向かった場所だ。自ずと候補は絞られる。正確な位置はわからない。だがそれでも、確実に言えることが一つ。

 

「大迷宮、よね」

 

眠るミュウの髪を撫でながら、ポツリとこぼす。オルクス大迷宮…ではないだろう。あそこはもうハジメたちにとって攻略済みの場所、わざわざ立ち寄る意味がない。あるいは、仲間にあそこで得られる神代魔法を取得させる可能性もなくはないが、オルクス大迷宮に秘められた神代魔法は「生成魔法」だ。錬成師でもない限り、得たところで旨味の少ない魔法だろう。

ならば、残す可能性はあと一つ。ハイリヒ王国には、まだ知られていない大迷宮が存在するということだ。

 

「………………………場所と内容によっては、挑戦するのも一手かもしれないけど、厳しいでしょうね」

 

オルクス大迷宮の前半にすら苦戦している自分たちでは、到底他の大迷宮を自力で攻略できるとは思えない。時間をかけてさらに腕を上げるか、ハジメたちに協力を仰ぐより他あるまい。

前者はともかく、後者は彼らの目的を考えれば望むべくもないが。

 

「みゅ……パパぁ」

「……そうよね、本当は寂しいわよね」

 

寝言でハジメを呼ぶミュウに、雫の目が悲しげに揺れる。ハジメが大事な用があって自身を雫に預けたことを、ミュウは幼いながらに良く理解している。服の裾をギュッと両手で握り締め、泣くのを我慢しながらハジメたちを送り出したミュウ。雫に対しても我儘を言わず、されど努めて明るく振舞って見せている。

そう、“努めて”だ。周囲を心配させないように、幼いながらも精一杯気を使っている。それがかえって心配の種になってしまっているのは、なんとも悩ましい話だ。

とはいえ、それに気づいているのは雫とアレで結構察しのいい鈴や恵里くらいだろう。脳筋の龍太郎やただでさえ察しが良いとは言えない上に色々煩悶して余裕のない光輝などは、上辺だけ見て「いい子だ」と言っているが、「馬鹿ども」と怒鳴り付けたい気持ちである。

確かにミュウは良い子だが、今は「いい子でいようとしている」だけなのだ。とても、この年の子どもにできることではない。

 

「……この子も、色々あったんでしょうね」

 

詳しい話は雫も聞いてはいないが、状況を考察すればある程度は察しが付く。

本来、海辺の町エリセンで暮らしているはずの海人族の子ども。それがハジメたちに連れられ、この後は故郷へ向かうという。つまり、彼女は親と離れ離れになった上で内陸部にいたということだ。それが何を意味しているのか、分からない雫ではない。

 

どれほど怖かったことだろう、寂しかったことだろう。この年で親元から引き離され、知らない土地で、知らない大人たちに囲まれ、先行きの見えない不安に襲われる。雫には想像することもできない。

 

どんなに嬉しかったことだろう、安堵したことだろう。取られるはずのない手を取り、この世界で最大級の安全を保障し、わざわざ親元まで連れて行ってくれる存在に出会えた奇跡。ミュウがこんなにもハジメを信頼し、父と慕うのもわからないではない。

 

(まぁ、それだけじゃなさそうだけど……)

 

それでも、ハジメの優しさは本物だと思う。光輝のように万人に対して向けられるものではないが、それでも彼の中には確かに暖かなものが残っている。

外見も心も、雫の知るころからはかけ離れたものになった。知識としては知っていても、再会した時は誰だか分からなかった。むしろ、今でもイメージのズレが大きすぎて実感がわかない。服装も髪型も変わっていた香織のことは、一目でわかったというのに。

 

オルクス大迷宮の底で、それだけのことがあったということだ。きっと、一度は暖かな全てを捨て去ろうとしてしまう程に。敵に対して向ける容赦のなさ、冷たい視線がそれを物語っていた。

そして、一度は捨て去ったはずの温もりをユエが、香織が拾い上げたのだろう。あるいは、シアやティオの存在も関係しているかもしれない。

美女美少女を4人も侍らせていることについては、日本の倫理・道徳的に思うところはあるが、本人たちが望んでのことである以上、雫が口出しする道理はない。別に、それで誰が迷惑を被るわけでもないのだから。強いて言えば、男どもが美女美少女とお近づきにある機会が三人分減ってしまうくらいだろう。些末なことだ。

 

「そう、彼は優しい。きっと私の為ではないんでしょうけど、それでも……」

 

自らの右手に視線を落とし、弱々しく握りこむ。今でも、あの時の感触ははっきりと覚えている。命を刈り取る…否、焼き尽くすために放った一矢。ハジメは「しっかりトドメを刺せ」と言っていたが、アレはきっと嘘だ。

ハジメたちが姿を消してから少しして、雫もそのことに気付いた。あの炎を余波であっても浴びた以上、瀕死程度で済むはずがないのだ。それこそ、“バケモノ”レベルの耐久力でもない限りは。

死んでいるはずの者を死んでいないといい、意味のないトドメを刺して見せた。その意図を履き違えるほど、雫はバカではない。

 

「この黒刀といい……大きな借りが、できちゃったわね」

 

クスリと、頬をほころばせる。この数日、努めて平静を装いながらもどこか表情が硬く、笑顔のなかった雫の表に浮かんだ、久方ぶりの笑顔だった。それは“花”と称するに相応しいほどに可憐なもの

見る者のいないその笑顔の意味を知る者はいない。当の本人すらも含めて。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

「なんというか、ロシアの異聞帯(ロストベルト)を思い出すなぁ」

「そうですね。方角すらわからなくなるこの猛吹雪はよく似ています。フェリシアさんの案内がなければ、たどり着くまでにどれだけかかったか……いえ、いつまでたっても大迷宮を見つけられなかったかもしれません」

「ホントにね」

 

フェリシアの案内の元、ガーランド魔王国を超えてシュネー雪原に入って早数日。代り映えのしない、しかし退屈するには聊か危機感を煽られ過ぎる環境にもすでに慣れた。

様々な土地、時代、歴史を旅してきた立香たちにとってみれば、生命の生存を否定するが如き極寒の大地すら既知のモノ。ハインケルの車窓を白一色で染め上げる外界の猛吹雪に抱くのは畏れではなく、かつて踏み砕いた一つの歴史(セカイ)の記憶と共に喚起される、息苦しさを伴うやるせなさだった。

人理焼却を覆すための旅は、言うなれば「生きるため」の戦いだった。だが、濾過異聞史現象を巡る旅は違う。アレは二人にとって初となる「生存のために他者のそれを踏みにじる」、あるいは「何かを救うために何かを切り捨てる」戦いだった。それは片方が生き、片方が死ぬ、至極単純な生存競争。生きるためには相手を殺すしかなく、あるいは “生かすために死ぬ”、この二つ以外の選択肢などない。どちらを選ぶかなど、考えるまでもない。

そして、それを突き付けたのがロシアの異聞帯(ロストベルト)での戦い。車窓の外の光景は、嫌が応にもあの時のことを思い起こさせる。

 

疑いようもなく、辛く苦しい旅路だった。ただ生きるために、進むために全力を尽くせばよかった人理焼却の旅がぬるま湯に思えるほど。だが、それでも歩みを止めなかったのは、身を呈して己を庇い背中を押してくれた人の言葉(糾弾)があったから。世界のどこを探しても彼の痕跡はないけれど、彼が残した楔は今も残っている。

 

「“立て、立って戦え”“こんな、強いだけの世界に負けるな”…か」

「先輩……」

「……大丈夫、わかってるから。足踏みしたりしたら、また怒鳴られちゃうだろうしね」

 

遠き日の友を思い、郷愁にも似た思いが立香の胸を満たす。

思えば、随分と遠くまで来たものだ。かつて生きた世界は遥か彼方、戻る術はなく、この先も流され続けるのだろう。しかし、それでも最初の想いは忘れていない。“生きるために”、ただそれだけのために、昨日までと同じように今日も明日も進み続ける。

それが、それだけが、踏み砕いてきたもの達に対する責任の取り方だと思うから。

 

「ご歓談中のところ申し訳ありません。少々よろしいでしょうか」

「フェリシア? いいけど、な…に……?」

 

しっとりと過去に思いをはせていたところに、少しためらいがちにかけられる澄んだ声。

二人がそろって振り返ると、予想通りの人物がそこにはいた。そう、予想通りではあるのだが……思わず立香の目が丸くなる。

 

「? どうかなさいましたか?」

(ああ、そういえば昨夜は確か……)

 

不思議そうに首を傾げるフェリシアに対し、思い当たる節のあるマシュは何とも言えない様子で困り顔。

本人はどうやら気付いていないらしい。指摘することは簡単だが、さてなんと切り出したものか。

そんな立香やマシュの迷いには気づいていながらも、いったい何を迷っているのかわからないフェリシアは、とりあえず当初の用を優先することにした。

 

「そろそろこの“はいんける”でしたか? 止めた方がよろしいかと」

「そうなの?」

「はい。雪に隠されてこそいますが、このあたりは大地に無数の亀裂が走っているのです。このアーティファクトは大変素晴らしいものですが、ここからは降りて慎重に進んだ方が賢明でしょう」

「わかった。アルトリア、そういうわけだから」

「ええ、承知しました」

 

雪の上を滑るように走っていたハインケルを止め、降車の準備に入る。

ただし、立香はその前に、とばかりにフェリシアを呼び止める。

 

「フェリシア、ちょっといい?」

「はい」

「えっと…その……」

「?」

 

気まずそうに言葉を探す立香に、フェリシアは疑問符を浮かべるばかり。この数日で大分打ち解けたこともあり、生来の生真面目さに由来する硬さも大分ほぐれてきた。気を張っている時は「怜悧なできる女(キャリアウーマン)」然とした雰囲気が強いフェリシアだが、今の彼女はどこかあどけなさすら垣間見える。

強い意志と覚悟故に己に厳しく、手を汚すことをも厭わない彼女がその実、根は善良で純粋な女性であることは早い段階でわかっていた。それでも、こうしてふとした拍子に“素”が出た時のギャップから受ける衝撃は、並ではない。

こういう時の彼女は、普段の「綺麗」とは違う「可愛い」印象が強く前に出る。まぁ、だからこそこれを指摘するのはちょっと申し訳ないというか、なんというか……。

 

「…………顔」

「顔、ですか?」

「ちょっと、洗ってきた方がいいよ」

「その、なんというか…真っ赤です、目の周りが」

「……………………………………えっ!? ちょ、ちょっとお待ちを!」

 

瞬時に赤面し、猛ダッシュで洗面台へと駆け出すフェリシア。それでも隠し切れないほど彼女の目の周りは真っ赤になっていたので、鏡を見た彼女の声ならぬ悲鳴が聞こえてくるようだった。

 

「もしかして、昨日も?」

「はい。昨日は、ロミオとジュリエットを受け取っていたようでした」

「あ~……………………泣くね、フェリシアなら」

「はい。あの様子ですと、きっと大号泣だったのではないかと」

「うん、凄くリアルに想像できる」

 

打ち解けたということは、つまり彼女の趣味嗜好もある程度以上露見しているということだ。

本好き、読書好き……より正確には“物語好き”なフェリシアだが、同時に人一倍感受性が強く涙もろい、つまり大変涙腺が弱いことはすでに周知の事実。本人は隠そうとしているようだが、バレバレである。無駄な努力というほかない。

そんな彼女がロミオとジュリエットなど読んだりしたら、涙腺が崩壊して大号泣するのは自明の理だ。当然、その目の周りは盛大に泣き腫らすことになる。

 

「一応、あまり夜更かしされないよう声はかけたのですが……」

「本人もそのつもりだったんじゃないかな。まぁ、あの様子だと時間も忘れて没頭したんだろうけど」

 

既に何度かあったことなので、皆まで言わずともわかることだ。

普通なら大迷宮に挑む直前に夜更かしなど言語道断だが、フェリシアの場合その程度のことで精彩を欠くことはない。なにしろ、変成魔法で自身の体調くらいならある程度は“調律”できてしまうのだから。それでなくても、必要とあらば数日不眠不休で動くくらいものともしない女傑である。

サーヴァントたちを率いる関係上、立香は割と放任主義かつ成果主義なので、結果さえ出せばある程度のことには目をつむる傾向がある。フェリシアもしっかりやることはやってくれるので、立香としてもこのような些末事で彼女に苦言を呈する気はない。

ただ、それとは別に心配事が一つ。

 

「ロミオとジュリエットであれじゃあ、四大悲劇なんて読んだらどうなるんだろ」

「……涙が枯れてしまうかもしれませんね」

「否定できないのがなんともなぁ……」

 

フェリシアの場合、それが本当にシャレにならない。朝起きたら、フェリシアが干からびていた…なんてことになりかねない。

実際、マシュが「マッチ売りの少女」を語って聞かせた時など、危うく脱水症状になりかけたほどなのだから。純粋すぎるのも考え物である。

 

数分後に戻ってきたフェリシアは、目の周りの赤さなど嘘のように平時のそれに戻っていた。ただ顔を洗っただけではないことは明らかだが、そこは敢えて突っ込まない。彼女の尊厳の為にも。

何はともあれ、ハインケルを宝物庫に格納した一行は氷雪洞窟を目指す。

流石に徒歩では時間がかかるので、ブーディカが召喚した戦車に分乗してではあるが。

 

「う~ん、ここって一応峡谷なんだよね? 吹雪で全然壁見えないけど」

「そうですね。フェリシアさんの話ですと、ライセン大峡谷とはまた違い、大地の割れ目が幾条にも広がっているそうです。それが迷路のように複雑に入り組み、その奥に洞窟の入口があるそうなので、案内なしで進むとなると相当の時間を要するでしょう」

 

その意味でも、フェリシアという案内役を得られたのは僥倖だったと言えよう。

で、そのフェリシアはというと……

 

「フォウ殿、もう少しだけ辛抱してください。あと少しですから……」

「フォ~ウ……」

 

懐に入れたフォウの毛の隙間に入り込んだ雪を丁寧にかきだしている。あまり人になつかない傾向の強いフォウなのだが、フェリシアに対しては初期から好意的だ。今も、彼女に毛をすいてもらって気持ちよさそうに目を細めている。

 

「俺が言うのもあれだけど、良く寒くないよね」

「はい。なんでも、火属性魔法を体の表面にごく薄く循環させているそうですよ。魔力の消耗を抑えるという意味では理に適っていますが、非常に繊細な制御技術が必要なはずです。長時間の維持は、魔力はともかく神経をすり減らすかと……」

「それを平然とやってるんだからなぁ……」

 

改めてフェリシア・グレイロードという人物の凄まじさを実感する。見た目にも派手な武技や神代魔法にばかり目が生きがちだが、むしろ彼女の本領はこちらなのではないだろうか。今使っているのも極初歩的な魔法の応用らしいが、それをここまで繊細に操るとは……恐るべき精密さだろう。

魔力や魔法を離れた場所に飛ばすことを不得手にしているとしても、だ。

 

「ご本人は地味な性分と仰っていますが……」

「単純に比較はできないし、タイプが違うって言えばそれまでだけど、制御に関してはユエにも引けを取らないんじゃないかな?」

「かも、しれませんね」

 

魔力量や瞬間火力でなら間違いなくユエに軍配が上がるだろう。しかし、武と魔法の同時使用は思う以上に難しい。それは右手で字を書き、左手で絵を描くような作業だ。そのため、基本的に直接戦闘時には魔法は補助的な役割のものしか使えず、魔法の発動時には一瞬とはいえ足を止めて意識の大半をそちらに割かなければならない。これは、ティオや香織でも同じことだ。

だがフェリシアは、極めて展開・維持の困難な「悪鬼変生」を発動したまま戦うという離れ業をやってのける。魔法の性質上それができなければならないとはいえ、これは非常識極まりないことだ。悪鬼変生も基本的には補助魔法に分類できるが、他の魔法とは別物。あれは発動したらそれを維持しておけばいいだけの通常の補助魔法と違い、常に繊細な調整を必要とする。そうでなければ、即座に再構成のバランスが崩れ、かえって戦力をそぐことになりかねない。あるいは、再構築が粗くなれば自己崩壊を引き起こすこともあり得る。悪鬼変生とは、そんな繊細なバランスの上に成り立った、常に自滅の危険を孕んだ危険極まりない魔法なのだ。

 

それを維持したまま戦い続ける。

制御・調整できる技量も、同時に使用しながらも一切の翳りを見せない武技も……なにより、この二つを両立できる精神こそが、何よりも非凡なのだ。

 

「でも、それでも地味に消耗はするんだよね」

「そうですね、魔法を使い続けていることに変わりはありませんから」

(なら、せっかくだし渡しておこうかな)

「先輩、フェリシアさんの方に寄せますか?」

「うん、お願い」

 

まさに以心伝心というべきか。立香の意図を察し、フェリシアの乗る戦車へと寄せていく。

それに気づいたフェリシアが僅かに目を丸くするが、立香は身を乗り出すようにしてフェリシアに語りかける。何しろ、そうでもしないと吹雪が邪魔で会話が成り立たない。立香の顔が近づいたことにフェリシアが若干顔を赤くしているが、先日の出来事(露出調教プレイ)以来この調子なので、努めて立香も気にしない。むしろ、気にする方が色々不味い。

フェリシアも同じ考えではあるのだが、若干きょどって声が裏返ってしまうのはご愛敬だろう。

 

「ど、どうかなさいましたか!?」

「いや、魔法を使って防寒しているのは知ってるけどさ。それでも、寒くないのかなぁって」

「ご配慮、ありがとうございます。ですが、問題ありません。魔力消費は微々たるものですし、この程度であれば寝ながらでも維持できますので」

(さらっと凄いこと言ってるなぁ……)

 

自慢する風でもなく、当たり前の事実を当たり前のように語っている、といった様子のフェリシア。

とはいえ、本人がそういうのなら…と思って引き下がろうとした立香だが、そこへフォウが無謀にも戦車の間を飛び越えてきた。

 

「フォ―――――――ゥ!」

「ちょ、フォウ!?」

「フォウ殿!?」

「フォウさん何を!?」

 

慌てて手を差した立香の手にすっぽり収まるフォウ。三人が一様に「はぁ~……」と安堵の息をつく。

しかし、当のフォウはそんな面々など何のその。素早く立香の腕を駆けあがり肩まで来ると、その小さな前肢でペシペシと頬を叩いてくる。

 

「フォウフォウ、キュ――ッ!」

「えっと……なんて言ってるの?」

「おそらく、フェリシアさんのことについて訴えているのではないかと……」

 

フォウもしきりにマシュの言葉に首を縦に振っているので、そう取って間違いないのだろう。

ただ、やはりその意の全てを汲み上げることはできない。なので、足りない分はフェリシアを観察してあたりをつけるしかない。

……と思っていたのだが、答えは存外早く見当がついた。ヒントは、フェリシアの頬の赤味だった。

 

(あれ、何というか赤いことは赤いけど、赤過ぎるような……それに、よく見ると耳とか鼻もちょっと……)

 

ここまでくれば、そして彼女の性格を考えれば答えは簡単。

 

「フェリシア、もしかして実は結構寒い?」

「……なるほど、フェリシアさんなら効率を優先して最低限の熱量に抑えていても不思議はありません」

「いえ、そのようなことは決して」

 

それは十分にあり得ることだ。即座に取り繕った彼女の鉄面皮はその内心を伺わせないが、その完璧な仮面がむしろ推測の信憑性を増している。

とはいえ、フェリシアはかなり頑固だ。ここで追及してもそう簡単には折れまい。ならば、別の手を講じるまでのこと。

 

「フェリシア、これ」

「これは……あの、何やらすさまじい力を感じる気がするのですが?」

「サーヴァントの一人からもらったピアスの片割れ。持っておくといいよ、それは太陽の欠片みたいなものだから」

「太陽の欠片……驚きました。まさか、持っているだけで日差しを浴びているかのような温もりを得られるとは」

 

立香の差し出したピアスを寒さとは違う震えを伴いながら手に取ると、じんわりとした温もりがフェリシアの身体を包む。最低限の防寒にと全身に張り巡らせた魔法とは比べるべくもない。まさに、温かな春の日差しを浴びるが如くだ。

 

「もしや、リツカ殿がこの寒さに堪えられているのも?」

「うん。一応極地用の礼装もあるにはあるんだけど、今回は持ってきてなかったから。送ってもらうのも難しくってね。代わりにじゃないけど、いくつか使えそうなものを持ってきてて、これはその一つ」

 

他にも、某翁からもらった香炉や聖人にもらったチョーカー、掃除屋にもらったワイヤー等々……銃や鉄扇以外にも比較的持ち運びしやすい品を持ち込んでいるのである。

中には腕飾りや盃など、社交の場などで役に立つようなものもちらほら……ちなみに、候補には宝剣や槍、杖などもあったのだが、あれらは嵩張りすぎるので除外した。

この件に関して、一部サーヴァントがふんぞり返り、逆に不満タラタラだったのはご愛敬だろう。カルデアに戻った時、彼らに何と言われるかはわからないが。

 

「それ自体にはもう熱を発するような力はないんだけど、由来が由来だからね。その手の魔術とは相性がいいんだ。防寒と発熱に関連した術をかけたから、それこそ氷点下100度とかでもない限りは大丈夫だと思う」

 

むしろ、由来を考えるなら氷点下100度だろうが絶対零度だろうが何のそのの筈なのだが……そのあたりは、術者の腕故にということだ。また、性質上寒さには強くても暑さには何の恩恵もないので、グリューエン大火山では使えなかった。使えば、蒸し焼きになっていたかもしれないが。

 

「なるほど。確かにこれ一つあれば、この寒さも問題ないようですね。マシュ殿は……」

「私もサーヴァントなので、ご心配には及びません!」

 

場合によってはマシュに渡すべきでは、と視線を向ければ、マシュは力瘤を作るように頑丈さをアピール。

全く瘤ができていなかったのは、見なかった方向で……。

 

「……承知しました。でしたら、お借りいたします。ところで、その首に巻いておられるのも何か由来が?」

「これ? これはとある悪魔からの貰い物」

「悪魔……それにはどのような力が?」

「さぁ? でも、由来とか考えるとないんじゃないかな?」

「ない、のですか?」

「何しろ、自称世界最弱の英霊だからね」

「というか、実際に大変、その…弱いのですが……」

「な、なるほど……」

 

まぁ、ただ単に弱いだけではない所が、ある意味英霊らしいといえばそうなのかもしれない。

 

閑話休題(それはさておき)

やはり案内役がいるというのは有難い。

巨大なドーム状通路を抜け、400メートルはくだらないだろう谷を下り、いくつも枝分かれした道を迷うことなく進む。おかげで、特に足踏みすることなく二等辺三角形のような綺麗な形の縦割、シュネー雪原の最奥「氷雪洞窟」の入り口にたどり着くことができた。

 

その後も、特に苦労するような場面はない。洞窟に入る前から先制攻撃の如く現れたビッグフットのような魔物も、触れれば即凍傷を引き起こす雪も、飲み水の確保すら困難な環境も、倒せど倒せど再生するゾンビ軍団も、その他の氷でできた魔物たちも、それらを統率する氷の亀も障害にはなりえない。

何しろそれらはすべて、あるとわかりきっていた試練だ。

一度氷雪洞窟を攻略したフェリシアにとっては、ここに存在するすべての試練はすべて既知のモノ。当然対策などいくらでも取れる。そのためには相応の実力が必要だろうが、此度の同行者たちはほぼ全員が彼女の上を行く。むしろ、彼女自身は特にすることもなく、本当に案内をするだけで進むことができていた。

 

「……なんと言いましょうか、以前苦労して倒した敵をこうも容易く一蹴されてしまうと、自信を無くしそうです」

「それは、その……」

「相手が悪いとしか、言いようがないよね」

 

凍死しかねない寒さなど氷点下100度以下が基本のロシアの異聞帯(ロストベルト)で経験済みだし、無限に再生する魔物の群れは頼光にとってはカモに等しく、主級の魔物が要塞の様に硬いと言っても聖槍の一撃に堪えられるはずもなし。

かつて命懸けで挑んだ敵が雑魚扱いされてしまったフェリシアには同情するが、そういうものと思って諦めてもらうしかない。そもそも、この迷宮の本当の試練はここからなのだ。

強力な魔物をいくら倒せたところで、氷雪洞窟を攻略したことにはならない。

 

「問題は、ここからか」

「そうですね。フェリシアさんの話によれば、この迷宮のコンセプトはおそらく『自己との対面』。人ならば誰もが持つ負の側面、直視できない、あるいは不都合な、自己の矛盾……そういったものに打ち勝てるか」

 

“コンセプト”、それはハジメたちのパーティに新たに加わった竜人族のティオ・クラルスが、いくつかの大迷宮について聞いたうえで導き出した、大迷宮の存在理由。力ある者に世界の真実を伝え、自分たちの遺志と共に神代魔法を伝える……確かにそれが主目的ではあるだろう。だが、それだけではないことをティオは見抜いたのだ。

神に挑むために必要なのは、単純な戦力だけでは足りない。神と戦うために必要となるであろう多種多様な力、それらを試し、磨くための場として大迷宮は存在する。

オルクス大迷宮は数多の魔物とのバリエーション豊かな戦闘を経て経験を積むこと。ライセン大迷宮は魔法という強力な力を抜きに、あらゆる攻撃への対応力を磨くこと。グリューエン大火山は暑さによる集中力の阻害と、その状況下での奇襲への対応といった具合に。

そして、似たタイミングでハジメたちが挑んでいる神山であれば、神に靡かない確固たる意志を有することであり、この氷雪洞窟では自己に打ち勝つことというわけだ。

 

「はい。確かに出現する魔物も、寒さを中心とした環境も脅威ではあります。しかし、真に恐るべきは時に無意識化に干渉し、時に己の負の側面を現出させること。あなた方であれば無用な心配だとは思いますが、どうか心を強く持ってください」

(むしろ……)

(若干名、不安な方が……)

 

具体的には、頼光とかロボとかがそうだ。頼光はその内に「魔性」を宿し、これが表に出れば大変なことになる。ロボもまた人間に対する静まることのない憎悪を宿している。あくまでも立香たちが例外なのであって、彼は決して人間を許してはいない。まぁ、むしろそちらが表に出ているので、逆にどんな一面が出てくるかわからない部分はあるが……。

他にも、ブーディカも生前母国や愛娘たちを蹂躙・陵辱された経験があるので、濃い負の側面を有している。

 

英霊だからと言って、その精神は決して完全無欠ではない。むしろ、英雄らしい波乱万丈の人生があったからこそ、彼らには多くの光と、それと対を成す闇がある。「みんななら大丈夫」ということは簡単だが、信頼と妄信は違う。

マスターとして、立香は彼らの危うさを正しく理解している。精神を試す類の大迷宮では、如何に英霊であろうと足元をすくわれることがあるのだ、と。

また、サーヴァントである彼らには並の魔術やこの世界の魔法は効果が薄いが、相手は大迷宮の試練。神代魔法が絡んでいる可能性もあり得る。対魔力が高い者ばかりでもないのだ。

つまり、これに関しては一朝一夕で対策を講じられるものではない。

 

(さて、どうしたものか……)

 

ここまでは特に精神を試す試練はない事がわかっていたので全員で進んできたが、この先はどうすべきか。

答えが出ないままここまで来てしまったわけだが、答えは意外なところから提示された。

 

「マスター、少々よろしいでしょうか」

「頼光?」

「わたくしとヘシアン殿とロボ殿、それにブーディカ殿はいったん外に出て、魔人族の追撃に備えようと思います」

「え、でも……」

「マスター、これは昨日のうちに話し合って決めたことなんだ。あ、いや、ロボは話し合いには参加してないけど、ヘシアンがオッケーくれたから多分同意してくれてると思うんだけど」

(コクコク)

 

首がないので体で首肯するヘシアン。

考えてみれば当然の話だ。立香が懸念する程度のこと、彼らが気付かないはずがないのだから。

 

「よろしいですか、マスター。あなたの目的は、あくまでも大迷宮の奥に至ることなのですよ」

「そうそう。極論すれば、神代魔法だって別にいらない。目当ての魔法じゃないし、攻略の証も変成魔法もフェリシアが持ってるから無理に手に入れる必要もない」

 

そう、今回敢えて氷雪洞窟を訪れたのは、念のために過ぎないのだ。念のため、可能なら神代魔法を習得して、無理でも最奥の部屋を調査する。フェリシアは気づかなかったが、何かこの世界の真実についての情報があるかもしれないから。まぁそれとて、フェリシアが知らない時点でさして期待もしていない。

本当に、ここまで来たから確認だけでも……というのが実情なのだ。

 

「ましてや、わたくしたちが試練を乗り越える必要は全くありません」

「戦力は減るけど、マシュとアルトリア、それに藤太とフェリシアがいれば大丈夫でしょ? 最悪、無理そうなら引き返したっていいわけだしね」

「おや、我輩もおりますが?」

「「「「君/あなた/シェイクスピアには誰も期待してない」」」」

「ハーハハハハハハ! 皆さん我輩のことをよくご存じでいらっしゃる!」

「フォ~……」

 

全く堪えた様子のないシェイクスピアに、フォウも呆れ顔だ。

 

「ですが、ブーディカさんまで?」

「信頼してくれるのはうれしいけど、私もちょっと自信はないかな。色々あったし……別に、許したわけじゃないからね」

「……………………………わかった」

 

申し訳なさそうな表情を浮かべるブーディカだが、別に立香の彼らへの信頼はこの程度では揺らがない。

むしろ、今の状況を見据え、仲間の足を引っ張らないために冷静な判断を下せることを頼もしくすら思う。

ここで個人の名誉や意地を優先するような人物ではないからこそ、立香は彼らを頼りにしているのだから。

 

そうして多少予想外の事態が起こったりはしたものの、立香たちは大迷宮のさらに奥へと踏み込んでいく。

続いて現れたのは横幅目測10キロ、奥行きは雪煙のせいで判然としない広大な迷路。壁で区切られ上が吹き抜けとなっている、アスレッチクパークなどでよく見る迷路そのままだが、その規模は冗談のようだ。

この迷路を踏破するのが第二の試練のようだが、困ったことが一つ。

 

「あの、一つよろしいでしょうか」

「フォウ?」

「あ、はい、どうぞ」

「まぁ、なんとなく言わんとすることは予想できるけどね」

「その、大変申し訳ないのですが、順路の方が、その……」

「あんまり覚えてない?」

「恥ずかしながら……」

「これだけの広さだ、仕方がないな、うむ!」

 

申し訳なさそうに小さくなるフェリシアだが、藤太は豪快に笑い飛ばす。他の面々も、特に気にした風もなくちゃっちゃっと階段を下りて迷路の中へ。

藤太の言う通り、これほどの広大さだ。細かな順路を覚えていないとしても仕方がないし、それを責めるつもりはない。元々、案内なしで攻略しなければならなかったところを、こうして案内してもらえているだけで十分すぎるくらいなのだから。

 

一応、最短距離を進めないかと『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』で突破を試みたりもした。結果を言えば進めないこともなかったのだが、秒単位で氷壁が修復されてしまいそれほど進めなかった。結果、『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』で突撃したアルトリア一人が遥か前方で取り残される形に。そうそう宝具を連発するわけにもいかないので、地道に迷宮を進んで合流を図った。余談だが、合流した時のアルトリアがしょんぼりしたようにちょっと萎れて見えたのは、たぶん気のせいではない。

 

とはいえ、手間と時間こそかかるが根気の勝負となれば望むところ。この程度の迷路で音を上げているようでは、人理焼却も濾過異聞史現象も乗り越えられはしなかった。

それなりに時間を費やしはしたが、特に支障なく進んでいく。途中、四つのくぼみを備えた巨大な扉に阻まれたものの、フェリシアが大まかな鍵の在り処を覚えていたこともあり、二手に分かれてそれなりにスムーズに鍵を取得。こっそり、「こんな時はスキル『啓示』持ちがいると楽だったんだろうなぁ」などと思いつつ扉を開けた先は、いよいよ氷というより鏡の域に入ってきた氷壁に囲まれた迷路の続き。もうほとんどミラーハウスである。

 

その手のテーマパークにあまり縁のなかったマシュが若干ウキウキしたり、それを微笑ましそうにアルトリアや立香が見守ったりしつつ先へと進む。

 

ただし、いよいよここから大迷宮も本領発揮らしい。

進めば進むほど、自分にだけ聞こえる囁き声のようなものが響くようになる。

フェリシアから試練の詳細を聞いていなければ、大なり小なり混乱をきたしたことだろう。

とはいえ、試練の性質上わかっているからと言って容易く対策を打てるものでもない。

 

響くささやきの声は己自身のモノ。内容は、心のどこかで思っている本心の一端。

故に無視できない。するりと滑り込み、心の奥底に秘めた何かにゆさぶりをかける。

意識しないようにすればするほど絡めとられる、さながら底なし沼のように。

対する方法は一つだけ

 

「みなさん、繰り返しになりますが心を強く保ってください。隙を見せれば、引きずり込まれます」

 

注意を喚起するフェリシアに、(ロクデナシ一名を除く)一同真剣な表情で首肯を返す。

 

――――――――――どうして俺なんだ。

 

立香の脳裏に声が木霊する。どうして自分だったのか。魔術のまの字も知らない素人の自分が、世界の命運を背負うなんて。(カドック)も言っていた、「自分たちならもっとうまくやれた」と。ならば教えて欲しい。どうして、自分だったのか……。

 

―――――――――――もう十分やったでしょう。

 

ぬるりとマシュの中に何かが入り込む。どれだけ旅を続けても、何度繰り返しても戦うことは怖くて。できれば穏やかに過ごしたいのに、戦いは次から次へと追いかけてくる。また失うかもしれない、父のように兄のように見守ってくれたあの人のように。今度こそ自分自身が、あるいはかけがえのないあの人が、他の誰かが……。

 

 

 

心の中に入り込んでくる(言葉)

心を試す性質上、一度は攻略したフェリシアとて一筋縄ではいかない。人は変わる生き物だ。かつて挑んだ時と今では、彼女の心の在り様は些か変化している。ならば当然、その心に秘める闇もまた。

 

――――――――――――悼むことができればいいなんて綺麗事。

 

声が、フェリシアの中の何かを揺さぶる。かけがえのない友だった。同胞たちのため、理想と悲願を抱えて生きると決めたフェリシアが、唯一自分のために望んだ未来。その未来が訪れることはない。悲しくないはずがない。どれほど嘆いても足りるわけもない。自身の望む未来を壊した相手を、種族を、どうして……。

 

 

 

サーヴァント達も同じだ。それぞれがそれぞれにだけ聞こえる声に、各々眉を顰め、溜息をつき、困ったように頭をかく。ただ一人、意気揚々と言った様子で安全圏に身を置く文豪を除いて。

 

「ふむ……どうやら皆さん、しっかり迷宮の試練を堪能している様子。ですが不可解ですなぁ。我輩、声らしい声がとんと聞こえないのですが?」

 

フェリシアを除く全員が思った。「そりゃアンタ、好き放題生きてるし、裏表とかないもんね」と。実に冷め切った視線を向けて。

実を言えば少しだけ「本当にこんなことしていいと思ってるのか」的なことを囁かれないかと思っていたのだが、そんなことはなかったらしい。本当に、つくづくいい神経をしている。いっそ本心から称賛したくなるほどに。

 

大迷宮の試練が試練として成立しない男、文豪「ウィリアム・シェイクスピア」。

彼の心は自らの行いに一点の曇りもなく、今の己を全肯定するが故にどのような過去も影を作らない。

このような男がいるなどと、解放者たちは想像もしなかったことだろう。

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