ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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延々と、しかし手を変え品を変え繰り返される囁き声。

そのどれもが心の奥底に秘めた、あるいは深層心理に刻まれた澱。

故に無視できず、並々ならぬ不快感が湧き上がる。

 

そんな状況に、彼らは既に二日以上身を置いていた。

大迷路のところどころに設置されている小部屋で都度休息は取っているが、そんなものは気休めにしかならない。場所が場所だけに本格的な休息を取るわけにもいかず、戦闘用と比べれば拙いフェリシアの回復魔法や宝物庫から出した魔法薬で誤魔化しているのが実情だ。できれば仮眠ではなく熟睡して心身のリフレッシュを図りたいところだが、いくら旅慣れた立香やマシュでもそこまで図太くはない。

そして、濃い疲労の色が見られるのはサーヴァントたちとて同じこと。霊体であるからこそ、精神的な疲労が与える影響は大きい。

 

どこまでも続く代り映えのしない、終わりの見えないミラーハウス。

 

相変わらず、飽きもせず耳元で囁かれる抽象的な、されど必ず何かを想起させる不快な声。

 

散発的に襲い来るフロストオーガや嫌がらせのようなトラップの数々。

 

集中を途切れさせるような不手際は起こさないが、確実に彼らの精神を削っていく。

だが、そんな道行にもようやく終わりが見えた。

通路の先に巨大な空間が姿を現し、その奥には先に見た封印の扉によく似た意匠の凝らされた巨大な門。

 

「ここがゴール、でしょうか?」

「はい。とはいえ、まだ試練は続きますが」

「それでも一段落かぁ……なんていうか、地味にきつかった。いつも通り、俺は特に何もしてないけど」

「フォキュ~……」

 

『うへぇ』とばかりにうんざりした表情を浮かべつつ、背筋を伸ばす立香とそれに倣うフォウ。

見れば、同行しているサーヴァントたちも首や肩を回してコリをほぐしている。

百戦錬磨の彼らをして、この試練は中々に厄介な代物であることが良く分かる。

 

「段蔵は絡繰りですが、それでも……」

「私も神霊寄りの精神構造の筈なのですが、これにはうんざりします」

「吾もこういった搦め手は勘弁願いたいな、どうにも調子が出ぬ……」

「そうですなぁ……吾輩もこれにはがっかりです。山もなければ谷もなし、このシーンはカットでいいでしょう。いっそ、ジキル氏でもいらっしゃれば……」

「やめたげて、それはほんとにやめたげて……」

「趣味が悪すぎます」

 

そりゃこの劇作家からすれば退屈極まりなかったのだろうが、ある意味誰よりも負の面がはっきりしている彼をここに放り込むなど、人のやることではない。

何しろ、あの豪放磊落な藤太ですら今一つ覇気に欠けているのだから、推して知るべしというところだろう。

 

「それで、この後はどうなるんだっけ?」

「部屋の中央を過ぎたあたりで太陽のようなものが現れ、頭上から光線による攻撃が始まります。

 加えて、雪煙により視界が奪われ、氷のゴーレムと戦うことになります」

「頭上からの攻撃に対処しつつ、ゴーレムの相手ですか……」

「陰険だなぁ」

 

加えて、迷路を進んでいる間中聞こえていた囁きも継続されるらしく、さらに集中を乱してくるらしい。

救いなのは、敵ゴーレムが一体しか出てこないことか。ただし、耐久力は相当なものだが。

 

「おそらく、挑戦者に対し一体ずつゴーレムが現れるのではないかと……」

「おそらく、なんですか?」

「何分、ここまで辿り着いた時には私一人になっていましたので……閣下、フリード師の時も同様だったと」

 

つまり、複数で挑んだ時にどのような変化が現れるかは全くの未知数ということだ。

 

「マスター。いっそ宝具でまとめて粉砕し、突破してしまうのも手ではないでしょうか」

「……まぁ、別に馬鹿正直に試練をクリアする必要は今回ないしね。問題なのはその後だけど……」

「ここを突破すれば、残る試練はあと一つです。そちらは、自己の鏡像との戦いになります」

「ほぉ、興味深いですな。力のほどは?」

「ほぼオリジナルと同等かと。だからこそ、そのままでは決着がつきません。しかし己の闇と向き合い、これを乗り越える毎に弱体化していくので、実力に関係なく自力での突破の可能性があるはずです」

「おぉ! それは所謂“胸アツ”というやつですな! 是が非でも観戦しなければ!」

「フォ~……」

 

自分の時はどうしようとか全く考えない辺り、さすがである。

とはいえ、この試練でも彼の望むような展開は見られないだろう。何しろ……

 

「いや、シェイクスピアよ。それは無理だろう」

「なんと!?」

「トウタ殿のおっしゃられる通りかと。試練の性質上、他者が紛れ込んでは意味がありませんから」

「あ~、オルクスの時みたいに分断される可能性が高そうだよね」

「空間を遮断されるか、あるいは転移されるか……いずれにしろ、先輩には残っていただきたいのですが……」

「そういうわけにもいかないよ。ここまで来たら最後まで行かないとね。それに、この試練なら俺にもクリアの目があるみたいだしさ」

 

ここまで来て引き返すのも情けない話ということもあり、このまま進むことでマシュも納得する。

とはいえ、心配なことに変わりはない。幸い、もしもの時の切り札はちゃんとあるのだ。

 

「……わかりました。危ない時は、令呪を使ってください。必ず駆け付けます!」

「うん、ありがとう」

 

方針が決まったところで、巨大な門へ向けて進み始める一行。

念のため立香はアルトリアの後ろ、ドゥン・スタリオンの背に跨る。これなら、万が一にもはぐれる心配はない。

とはいえフェリシアの言う通り、この先に待ち受ける試練の性質を考えれば気休め程度、十中八九何らかの形で分断されるのだろう。それでも、一つ手前のこの試練においては意味がある。視界を遮るほどの雪煙が出るというのなら、こちらも分断を目的としているとみるべきだ。それだけが目的かはわからないが、空間魔法でも使われない限りはこれで十分対処できる。

一応雪煙に呑まれる前に宝具で敵ゴーレムを一掃するつもりだが、保険を掛けておくに越したことはない。頭上からの攻撃も、直感スキル持ちかつ騎乗しているアルトリアならお荷物がいても問題なく対処できる。

その分、アルトリアは敵の一掃には参加できないが、藤太と段蔵の二人がいれば十分お釣りがくるはずだ。

 

「じゃあ二人とも、任せた!」

「真名開放、スタンバイ。風よ集え……『絡繰幻法・呑牛(イビル・ウィンド・デス・ストーム)』!」

 

段蔵の腕が人体ではありえない方向に動きはじめ、猛烈な風が姿を現した計7体のゴーレムに襲い掛かる。

真空の刃に切り刻まれながら吸い寄せられていくゴーレムたち。それは“吸い寄せ”から“圧縮”へと至り、ついには間もなく粉砕される。

粉々にされ、徐々に頭上から降りてくる雪煙の先駆けとなって氷片を輝かせるゴーレムの残骸。

 

「これにて仕舞にございまする」

「おお、見事見事! さすがは音に聞こえし飛加藤! 7体まとめてとは、吾には到底叶わぬ繊細さよ」

「いえ、そのようなことは……」

「とはいえ、うぅむ……この番えた矢はどうしたものか。このまま弓を降ろすというのも、些か格好がつかんな」

「では、あの太陽など如何ですかな? 竜神の加護を得、数々の怪異・魔性を打ち払った豪傑の一矢ならば、太陽すらも落とせるのでは?」

「ハハハハ! なるほど、稀代の劇作家は口が巧い! お天道様を射るのは罰当たりだが、偽りの太陽ならばその限りではなし。うむ! では、やるか! 南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

構えた矢が水に包まれ、龍をかたどり偽りの太陽へと放たれた。

次々に光線が放たれるが、それら全てを飲み込んで水龍は駆け登る。

間もなく龍は太陽を飲み込み、燦々と降り注いでいた光が消えた。

どうやら、藤太の矢は見事偽りの太陽を砕いたらしい。

 

「改めて……凄まじいものですね」

「はい、段蔵さんも藤太さんもお見事です!」

「フォウ!」

 

呆気にとられた様子で頭上を見上げるフェリシアと、彼女の称賛を我が事のように喜ぶマシュ。

かつてフェリシアが氷雪洞窟に挑んだ時、頭上の太陽をどうこうしようとは思いつきもしなかった。

事前情報があったのは同じとはいえ、今回は擁する戦力が違うから余裕の差は著しい。

とはいえ、たとえ余裕があったとしてもこんなことは思いつきもしない。思いつける発想力、実行できる技量、それら全てをひっくるめて「凄まじい」の一言だった。

しかし、当の藤太に言わせれば上には上がいるということになる。

 

「なぁに、吾などまだまだよ。弓の英霊の中には文字通り、“星を落とす者”もいるのだぞ」

「え? 星を落とす?」

「イシュタルのことかな?」

「そう、ですね。確かに、イシュタルさんの宝具は金星の概念を抽出した概念惑星による一撃ですから、“星を落とす”と言っても過言ではないかと」

「さらには“星を砕く神技”の持ち主すらいるのだ。この程度、驚くに値せぬさ!」

「……………………」

 

言葉にならない様子で立香を見るフェリシアだが、言わんとすることはわかる。

ただ、できそうな心当たりが何人かいるので、立香の表情は妙に優しい。

付け加えるなら、“世界を斬り裂く”宝具を有する英霊もいる……のだが、ここは丁重に黙秘する。既にフェリシア的には許容量一杯らしく、虚ろな目で「英霊怖い」「サーヴァント怖い」「異世界怖い」とブツブツ呟いている始末なのだから。

立香たちはすっかり慣れてしまったが、まともな神経をしていれば当然の反応だろう。慣れるまで、ゆっくりと待つべきだ。

 

「マスター、雪煙は以前健在にございまする。お急ぎを!」

「ぁ、ごめん! みんな、急ごう!」

 

この試練における脅威を取り払ったことで、若干気が緩んだことは否めない。気を引き締め直した立香たちは、雪煙が下りてくる前に巨大な門の前に向かう。当然といえば当然ながら、妨害らしい妨害はない。迷路に入ってから常に聞こえている囁き声は相変わらずだが……。

しかし、今回強引な突破を選んだのはある意味英断だったといえるだろう。本来この試練は雪煙によって挑戦者を分断し、ゴーレムと頭上からの光線で攻撃する……だけのものではない。結果的に一人で攻略することになったフェリシアやフリードは知らないことだが、それらに加えて囁き声が意識を誘導することで仲間へ攻撃を向けさせるという仕掛けもあった。だが今回の場合、その仕掛けは効力を発揮し始める前にゴリ押ししたことで不発に終わっている。

視界が遮られている中、目前の敵と戦いつつ頭上からの攻撃に対処するだけでも厄介だというのに、本来ありえないフレンドリーファイアまで処理するのは至難の業だ。知らず知らずとはいえ、それをしないで済んだのだからこの選択は正解だった。

まぁ、そのせいで遠くない未来で誰かが割を食ったりするかもしれないが……所詮は可能性の話だ。

 

それよりも、一行が門の前に着くと降りてきていた雪煙が逆再生するように天井へと消えていく。代わりに、巨大な門がクリアを示すように燦然と輝き出し、開くのではなく光の膜を形成し始めた。

 

「この先が、最後の試練」

「十分に回復してから向かうべきなのでしょうが……」

「うむ、この囁き声は鬱陶しくてかなわんなぁ」

「宝具使用に伴い魔力は消耗しておりますが、それ以外では目立った損傷はありませぬ。ならば、このまま進むのも一案かと」

 

段蔵の提案は一考に値するものだ。氷雪洞窟攻略の鍵は、体力や魔力よりも各々の“精神”にある。

最後の試練は自分自身との戦いなのでできれば万全を期したいところだが、囁き声が続く迷路内にいて精神をすり減らす方が不味いと考えることもできる。肉体と精神、どちらのコンディションを優先すべきか。

 

「フェリシア、あなたはどう思いますか?」

「……消耗が少ないのであれば、このまま進むのがよろしいかと」

 

それが決め手だった。実際にこの大迷宮を攻略した者の意見に勝るものはない。

ただまぁ、それはそれとして……

 

「ところで……さっきからごそごそと何やってるのさ」

「いえ、このままですと分断されてしまうのでしょう? 吾輩は平和主義ですからなぁ。例え自分自身だとしても、戦うなどとてもとても……なので、離れ離れにならないよう最大限の努力をしようかと。フェリシア嬢、こちらを」

「は、はぁ……」

 

困惑するフェリシアを他所に、自分の腰に括り付けたロープを渡す。

 

「自分の代わりに戦わせることのどこが平和主義なのか、ちょっと言及したいけど……それよりも、なんでフェリシア?」

「そうですね。守ってもらうというのなら、アルトリアさんや藤太さんの方がよいのでは?」

「“輝くもの、必ずしも金ならず”と申します。輝いているからと言って金とは限りませんが、その点フェリシア嬢の志の輝き、黄金にも勝りましょう! ですが、同時に人は美しいものが汚されることに背徳の美を見出すもの。そして、この大迷宮は人の心の闇を浮き彫りにする悪辣極まりない場所!」

「似た様な宝具持ってる癖に何を言っているのやら……」

「フェリシア嬢はつい最近色々あったばかりですからな。守っていただく代わりに、心の支えになれればと愚考いたしました」

 

多少…多少? の穴はあるものの、言っていることはまっとうそうに聞こえないこともない。

しかし、この男に限ってそれだけの筈がない。

 

「それは殊勝だけど……本音は?」

「ぶっちゃけ、フェリシア嬢の悪堕ちとか超見たい!!」

「最悪だこいつ!?」

「シェイクスピアさん、最低です」

「ですが実際、フェリシア嬢のように志高い人物の失墜は大いに受けるのですぞ?」

 

確かに、だからこそ世にはバッドエンドで締めくくられる物語が数多く存在している。そのことは否定しないが、だからと言って目の前でそれが起こることを望むとか……クズにもほどがあるだろう。

まぁ、臆面もなくそれを言ってしまえる神経の図太さだけは、感嘆するより他にないが。だが、頭が痛いことに変わりはない。立香はコメカミを揉み解しながら、根本的な疑問をぶつける。

 

「前から聞きたかったんだけど、どうしてそんなにフェリシアに構うの? エンチャントをかけるのだって結構珍しいのに……」

 

なにしろ、名文付与(エンチャント)の効果はこの男のやる気によって左右される。正確には、どれだけ対象を、あるいはそれを有する人物を「面白い」と思うかだ。要はつまらない題材には筆が乗らず、興味を惹かれる題材には筆が乗る、実に作家らしい理由である。

 

「それは無論、“面白そうだから”に決まっているではありませんか!

信じた神こそが元凶の一端、師とは袂を別ち、親友を失い、腹心を手にかけてなお進む。手を汚すことを厭わず、裏切り者の誹りを受けても挫けることなく、すべては同胞の未来のため! そのためならば、祖国に背を向け仇敵とすら手を組む。それどころか、利用できるものは……」

「っ!」

 

ノリノリで語るシェイクスピアの言葉に、フェリシアが微かに硬直した。

それに気づいたのかはわからないが、立香は厳しい目で文豪を掣肘する。

 

「シェイクスピア」

「失敬。アンデルセンではあるまいに、人の心を暴き立てるのはあまりに無粋。吾輩、カルデア屈指の紳士と自負しております」

「いけしゃあしゃあと紳士って言える神経、凄いわぁ……」

「ともあれ、苦悩と煩悶の先に紡がれる物語は……実に面白い。彼女の物語が悲劇となるか、あるいは英雄譚となるか。いずれにせよ、さぞ見応えのある軌跡となりましょう。同時に、素晴らしいインスピレーションをもたらしてくれるに違いないと確信しております。吾輩、受ける作品のためなら助力を惜しみませんぞ」

「はぁ……もう、ほんと筋金入りなんだから」

 

方向性はどうあれ、サーヴァントなど皆何かしらの形で「筋金入り」なので、その点については今更どうこう言う気はない。言ったところで改善されるわけではないし、だからこそ彼らは英雄なのだから。

とはいえ、俯き肩を震わせるフェリシアにかける言葉に迷う。この大迷宮では、誰もが大なり小なり心を揺さぶられる。一度は攻略したフェリシアとて例外ではない。むしろ、つい先日シェイクスピアも言ったとおり色々あったばかりの彼女には酷だろう。立香も一応洞窟の外で待機してくれて構わない旨を伝えたのだが、本人たっての希望もあって現在に至る。

それに、今更引き返すわけにもいかない以上、選択肢などないのだ。

 

「フェリシア、大丈夫? なんなら、少しくらい休んでも……」

「フォ~ウ?」

「…………いえ、問題ありません。これが最後の試練、先を急ぎましょう」

「ですが、あまり無理をなさっては……」

「ご心配には及びません。お忘れですか、私は既にここを攻略済みなのですよ。一度は乗り越えた試練、何ほどのものでしょう。

それに、次に向かう海底遺跡では別行動をとっていた方々と合流されるとのこと。その際には、滅んだとされる竜人族や吸血鬼族の方を紹介してくださるのでしょう? 不謹慎であることは承知しておりますが、今から楽しみでならないのです。なにより、私と同じ生まれながらの『魔力操作』を持った兎人族のシア殿には、僭越ながら非常に親近感が湧きます。早く、お会いしたいものです」

 

一見すると自然な…だがその実、陰のある笑顔を浮かべるフェリシア。無理をしているのは明らかだが、これ以上は聞き入れてくれまい。それがわかるくらいには、立香たちもフェリシア・グレイロードを理解していた。

それに、これ以上留まって囁き声に晒され精神を疲弊させる方が、彼女には良くないかもしれない。

 

「じゃあ、行こうか」

 

その言葉と共に、一行は光の門の中へと踏み込む。

視界を染め上げた光が収まると、そこには予想通りの光景が広がっていた。

 

「やっぱりか……」

 

周囲に仲間の姿はない。念のためにマシュとは手をつないでいたのだが、気付かぬうちに手は離れていた。

 

「…………そういえば、完全に一人っていうのも久しぶりだなぁ」

 

亜種特異点や夢の世界などでは何度かあったことだが、それでも心細いことに変わりはない。

立香は自分の“戦闘能力のなさ”には絶対の自信がある。今大迷宮クラスの魔物に襲われれば、助けが来るまで逃げの一手しかない。

まぁ今回の場合、事前情報もあるし、そういったことにはならないとわかっているのが救いか。

 

「さて、周囲の状況は聞いていた通り、と」

 

視線を周囲に巡らせば、立香のいる場所は細い通路のようであることがわかる。二メートル四方のミラーハウスで、上下左右に自分の姿が映っている。後ろを振り返って見ても、あるのは突き当たりの壁だけ。出入り口らしきものは一切なく、前に進むしかない場所だ。

フェリシアから聞いた通りの状況であることに、少し安堵する。もし変化があったりすれば、不測の事態が起こる可能性が高まる。自衛能力が極めて低い立香としては、それは極力避けたい可能性だったが、その心配はなさそうだ。

 

「いつも頼り切っているのは事実だけど、だからって頼るのが当たり前ってのは健全じゃないよなぁ。何とかできることは、何とかしないと」

 

鏡のような氷の地面を歩きながらぼやく。

それは不安を紛らわせる行為であると同時に、自分自身への戒めだ。サーヴァントたちの力は、あくまでも彼らのもの。決して、彼らの力を自分のものと思い上がってはいけない。彼らは理由・思惑は様々なれど、“力を貸してくれている”だけなのだ。それを履き違えれば、彼らとの関係は根本から破綻する。立香はそのことを正しく理解しているし、それを忘れないために再確認を怠らない。

 

そうして歩くことしばし。分かれ道のない一直線の道を歩き続けて、中央に天井と地面を結ぶ巨大な氷柱のある大きな部屋に辿り着いた。鏡のような氷壁と同じく、円柱型の氷柱も曇りなく立香の姿を反射している。

それこそ、立香の姿だけではなく“心”さえも映し出すように。

 

「……よし!」

 

一度立ち止まり、覚悟を決めてから氷柱に歩み寄る。直径が大きいので、正面から相対しても映し出された姿が歪曲することはない。まるで鏡の奥の世界からもう一人の自分がやって来ているかのように、近づくにつれてその姿が徐々に大きくなっていく。

 

(何も知らなかったら、驚くんだろうなぁ)

 

この先の展開を知っている身としては、思わずにはいられない。本当に、フェリシアには感謝だ。緊張も不安もあるが、それだけで済んでいるのは彼女のおかげだ。

そうして、ついに氷柱に触れられるくらい近づき、映る自分の姿を見る。

 

「この氷柱が、“そう”なんだよな」

『ああ、“そう”さ』

 

独り言であるはずの言葉に返事がもたらされる。事前に聞いてはいても、やはり不気味なものだ。

 

『なんだ、つまらないな。少しくらい驚いたらどうなんだ? 鏡に映った自分が勝手にしゃべるとか、結構なホラーだろ?』

「知ってたし、なにより今更だしなぁ……」

『まぁ、それもそうか。カンニングしているんなら、答え合わせも解説も余計か?』

 

立香自身はやれやれとばかりに溜息をついているのに対し、鏡の中の立香が肩をすくめる。

しかし、その姿は刻一刻と変化していた。目は赤黒い光を放ち、全身が黒より尚黒く染まっていく。日本人らしい黒髪は白々しいまでに白く、日に焼けた肌は更に浅黒く、服の色まで全て漆黒を基調にしたものへと変わっていく。

 

「ん~……俺オルタ?」

『ああ、確かにそんなところだ。お前の一側面、という意味ではな』

「良く知ってるな、オルタなんて」

『俺はお前そのものじゃないが、ある程度はお前だからな』

「ややこしいな……」

 

そういうものだとは知っていたが、実物を目にすると尚更そう思う。

『同感だ』とばかりに皮肉気な笑みを浮かべながら、波紋を広げる氷柱から現世へと、もう一人の立香が鏡の世界から踏み出してくる。

 

『いいのか、攻撃しなくて』

「その瞬間…というか、同時に攻撃してくるんだろ? お前は俺で、俺と同じように思考して行動するらしいじゃないか」

『まぁ、そうだな』

「それなら俺に攻撃の意思がなければ、お前も攻撃してこない理屈になる。一応防御術式はしこたま施してるけど、銃弾にしろ鉄扇にしろこの距離じゃ直撃だ。ハジメが手を加えてくれた分、当たればただじゃすまないだろうしな。“戦わない”それが俺にとっての最良だよ」

『だからって、全く攻撃の意思を持たないとか……お前、頭いかれてるだろ』

 

武器を持った敵を目の前にして、一切の攻撃の意思を放棄する。それは、しようと思ってできることではない。人間…否、生存本能を持つ存在には極めて困難なことだ。

立香は決して自分の命を放棄しているわけではない。にもかかわらず、武器を持ち臨戦態勢の敵を前にして“戦わない”ことを実行している。それは一体、どれほどの胆力があればできることなのか。

 

「自分と同じ顔にそれを言われると、軽くショックだなぁ……俺としては、戦っても共倒れにしかならないからこうしてるだけなんだけど」

『まぁ、俺の技量じゃそうだろうな。この距離で外すほどヘタクソじゃないが、逆にこの距離で避けられるほど大層でもない。仕掛ければ当たる、お互いにそうなら相打ちにしかならない』

 

だからこその“戦わない”。立香は生きるため、大迷宮の試練を乗り越えるために、全身全霊で戦うことを放棄しているのだ。恐怖を、引き金にかけた指にこもりそうになる力を、全精神力を傾けて抑え込む。

 

『だが、それならどうする。逃げるか? それとも、誰かが助けてくれるのを待つのか? それじゃこの試練をクリアしたことにはならないが……お前には関係ないか。元々、無理に攻略する必要のない場所だ』

 

確かに立香にとって銃も鉄扇も、すべては生き残るための自衛手段に過ぎない。これで敵を倒せるなどと思い上がってはおらず、仲間が駆けつけるまでの時間稼ぎの手段だ。

だから、誰かが駆けつけるまでの間、膠着状態を維持するというのは何も間違っていない。だがそれこそが、藤丸立香の抱える心の澱だ。

 

『はっ、人類最後のマスターが聞いて呆れるな。戦いはすべて人任せ、健気な後輩を盾に逃げ回る、良い御身分じゃないか』

「……………さすが、俺だなぁ」

『……なぜ、否定しない。どうして引き金に力が籠らない。俺の言葉はお前の心の筈だ』

「いや、まったく以てその通りだよ。自覚はしてるつもりだったけど、言葉にされると想像以上にくるなぁ」

 

困ったように頭をかきながら、立香は目元を拭う。

 

『自覚している、だと? 馬鹿な。なら、どうして動揺しない。醜く、汚い自分を直視できないのが人間だろう。容赦なく晒されれば、それだけで目を閉じ、耳を塞ぎ、蹲って動けなくなる弱い生き物だ。それでも無理に直面させれば壊れてしまうような!』

「……どうかな。そりゃ目を逸らしたいし、耳だって塞ぎたい。でも……できない」

『……』

「俺は自分じゃ戦えない。俺が戦っても足を引っ張るだけ。俺にできることは、みんなの邪魔にならないように立ち回って、一人の時には何が何でも生き残ること。

 だからこそ、責任があるんだ。せめて、そんな自分を否定しちゃいけない。否定して言い訳したら、きっと俺は……大事なことを履き違える。みんなの力を、マシュの頑張りを、当然のものにしてしまう。それだけはしちゃいけない。それをした瞬間、俺はもう“マスター”ではなくなるんだと思う」

 

動揺はしている。わかっていたつもりでも、突き付けられた本音は胸を抉った。

でも、それでよかったとも思う。この胸の痛みこそが、自分がまだ踏み外していない証拠だから。

何をどうしたところで、藤丸立香は“誰かの力”を借りなければ前に進めない。今までも、そしてこれからも。

ならばせめて、その事実くらいは真摯に受け止めたい。そして、力を貸してくれるかけがえのない仲間たちへの感謝を忘れない。

 

(初めてかもな。この試練を“戦わずに乗り越えよう”なんて奴は。だが、まだまだ……)

 

これは己を乗り越える試練。故に、自らが抱える負の感情を乗り越える度に、負の虚像である己は弱体化し、逆に目を逸らせば逸らすほど強化されていく。これまで多くの者が挑み、数える程度の傑物だけが乗り越えることのできた試練。

しかし、その誰もが熾烈な自分自身との戦いの中で乗り越えてきたのだ。自分と同じ姿をし、自身の心の闇を現す存在を前に、心中穏やかでいられるものか。敵意を向け、排除しようとするのが当然の反応。仮に、はじめから「己の闇を乗り越えていた」としても。

にもかかわらず、藤丸立香はただ対話のみによってこの試練を乗り越えようとしている。それは、前代未聞の試みだった。

 

『……なるほど、それが人理を救ったマスターの気概か。大したもんだよ』

「嘘つけ」

『……』

「ほら、他にも言いたいことがあるんだろ。聞いてやるよ、だから思う存分吐き出せばいい。全部、余すことなくさ。『サーヴァント悩み相談室』室長なめんな!」

『……プッ! ハハ、ハハハハハハハハハ! なるほど、それがお前の戦いか。いいさ、お望みとあらばお前の心の澱、洗いざらい吐き出してやる!』

 

両者は示し合わせたように“ドカッ”とその場に腰を降ろして睨み合う。

 

「さあ、二回戦だ」

 

そうして禅問答の如き、武器なき戦いの火蓋が切られた。

 

――――――カドック・ゼムルプスは言ったな、「自分たちならもっとうまくやれた」と。あの時お前は思ったはずだ、「その通りだ」と。彼らなら、特異点で犠牲になった命はもっと少なくできたはずだ。だからこそこうも思った、「なら、どうして俺だったんだ」「お前たちの方が上手くやれるなら、どうして俺が……」と。

 

――――――そうだ。加えて言うなら、「何を勝手な」とも思ったよ。あの重圧を知らないくせに。終わりの見えない旅の恐ろしさを知らないくせに、ってさ。英霊や幻想種の前では魔術師ですらない俺なんて、吹けば飛ぶ塵みたいなもんだ。魔術師だったアンタたちには、自分自身の儚さもわからないんだろう、とも思った。あぁ、これもマシュには言えないなぁ……。

 

―――――――その割には、憤っていないんだな。

 

―――――――まぁ、結局のところ間が悪かっただけなんだ。俺も、マシュも、そして彼らも。俺が彼らに色々思うように、彼らも俺に色々思ってた。それはきっと、仕方がない事なんだ。人間なんだからさ、他人が羨ましかったり、妬ましかったりするのは仕方ない。サーヴァントだってそうなんだ。だいたい、もう全部終わったことだよ。今更、蒸し返したってみっともない。俺は彼らから色々奪ったんだ、これ以上は奪えない。奪っちゃいけないんだと思う。

 

―――――――奪ったといったな。そう、お前は七つの異聞帯から未来を奪った。お前が生きたいと望んだように、彼らも生きたかったはずだ。お前がやったこととゲーティアがやろうとしたこと、どれほどの違いがある? いや、奴は一つの歴史を終わらせようとしただけなのに対し、お前が終わらせた歴史は七つ。その上、奴は星の新生を目指したが、お前は今まで通りの世界を繋いだだけ。罪深い事じゃないか。

 

―――――――……それこそ仕方がない。だって、“俺が笑って生きられる世界の方が上等だ”“生き残るべきだ”った。何度聞かれたって、誰から言われたって、俺はそう主張するよ。それこそが、それだけが、パツシィが生きた証なんだ。俺は絶対に手放さない、忘れない。それが奪った俺の、義務であり責任なんだ。

 

問答は続く。紡がれる言葉、問いの全てが立香の心を抉り、見えない血が噴き出し零れる。

『完膚無きまでに完全な勝利を』と告げて消えていった人がいた。

『許さない』と自分を糾弾(激励)した友がいた。

多くの出会い、多くの別れ……それに伴い心に積もった澱。

 

そのすべてを詳らかにする問答は、しかし立香の心の澱を洗い流すようでもあった。

初めは耐えるような顔だった立香は、気付けば思い出話に花を咲かせるように穏やかな表情を浮かべている。

そんな彼と反比例するように、目の前のもう一人の立香の存在感が希薄になっていく。

 

「…………消えるのか?」

『……ああ、言いたいことは言い尽くしたからな。もう何も残っちゃいない。はじめから乗り越えている奴もいなかったわけじゃないが、まさか消えるまで付き合う馬鹿がいるとはな。もしも平穏な生活ってやつが手に入ったら、教師やカウンセラーになるのを薦めるよ』

「参考にしとく」

『ほら、もう行け。可愛い後輩が…待って、る…ぞ……ヘタレ』

「……………………悪かったな」

 

消え行く自分自身を見届け、立香はしばし瞑目した後ゆっくりと立ち上がる。

 

「あ~……それにしても、タイミングがなぁ。どうしたものか……」

 

そんなことをぼやきながら、大きくため息をついてから天井を仰ぐ。

『待っている』その意味を、履き違えたりはしない。しないが、どうにもタイミングを逸してしまった感が強いのが悩みの種だ。

まぁ、過ぎてしまったその“タイミング”とやらがいつだったのかは、過去を振り返ってもわからないのだが。

しかしそこで、背後から思いもかけない声がかけられた。

 

「お疲れさまでした、リツカ殿」

「っ!? フェリシア? え、いつからいたの?」

「30分ほど前からでしょうか」

「うわぁ……ゴメン、待たせちゃったよね。でも、声くらいかけてくれればよかったのに…って、試練の最中じゃそういうわけにもいかないか」

 

自分で言っておいて、さすがにそれはないかと否定する。試練が失敗に終わりそうならその限りではないが、順調なら多少時間がかかってもわざわざ横槍を入れたりはしないだろう。

 

「いえ、良いものを見せていただきました。まさか、この試練を“対話”を以て攻略されるとは。御見それいたしました」

「そんな大層なものじゃないよ。戦っても自滅するだけだから戦わなかった、それだけ」

「……………………それでも、私には到底できる気がしません」

 

自分自身の試練を思い出したのか、フェリシアの表情に影が落ちる。

見たところ無事に試練は乗り越えたようだが、何か思うところでもあったのだろうか。

 

なんとなく無言のまま、二人は部屋の壁の一部が溶け姿を現した通路を進む。

いまいち居心地のよくない沈黙が二人の間を満たし、立香としてもどうしたものかと首を捻る。

 

(試練のことを聞く…のはマナー違反かなぁ。これ、思いっきりプライバシーにかかわることだし)

 

途中からとはいえ、自分の試練は思い切り見られていたことは棚上げしそんなことを思う。

男と女では、プライバシーの重さが違うのである。

 

「……リツカ殿」

「えっ!? なに?」

「先日の誓いを覚えておられますか」

「誓いって、旅が終わるまでってやつ?」

「…………………………私に、騎士を名乗る資格はありません。そのことを、今回は思い知りました」

「そう、かな? そんなことないと思うけど……」

「あの時、私はありったけの誠意を以て誓いを立てたつもりです。ですが、他ならぬ私自身がその誓いを汚していた。受けた恩に報いたいという思いは嘘ではありません。ですがそれとは別に、頭の片隅でどうすればあなた方を“利用”できるか考えていました」

 

目を伏せ、噛み締めるように、自分自身を糾弾するように紡がれる言葉。それは、フェリシアの懺悔だった。

 

 

「忘恩の徒、とんだ恥知らずではありませんか。そんな私に、騎士を名乗る資格など……」

「どうして?」

「当然でしょう。恩に報いるどころか、仇で返すも同然では……」

「いや、そっちじゃなくて、どうして利用しようと思ったのかなって」

 

怒るでもなく悲しむでもなく、ただ静かに立香は問いかける。

だからこそ、有無を言わせぬ何かがそこにはあった。

 

「……かつて解放者たちは、神に戦いを挑み敗北を喫したそうですね」

「うん。だからこその大迷宮なわけだし」

「大迷宮を攻略することで得られる神代魔法は、元はすべて解放者たちのもの。七つの神代魔法をそろえたところで、結局はかつての彼らに並ぶだけです。つまり、七つの神代魔法だけでは神を斃すには足りないということ。神を討つためには、さらに先の何かが必要になります。例えば、異世界の知識を下地に生み出されたアーティファクトの数々、あるいは異世界の英傑たちの力。そういった、今までこの世界になかったものが必要なのです」

 

そしてそれらは、ハジメや立香たちだけが所有するもの。これらを手に入れるためには、彼らを何とかして囲い込む必要がある。

 

「俺たちが欲しかったの?」

「……………………………はい。私には…この世界には、あなた方の力や知識が必要です。

ですが、それは同時に私たち自身の価値を貶めることにもなります。無関係であるはずの誰かに救ってもらわなければ立ち行かないのなら、その存在にどれほどの価値があるのでしょう。私たちは、私たち自身の手で自分たちを救わなければなりません。そうでなければ、縋る相手が神からあなた方に代わるだけのこと。私たちは、一歩も前に進んではいないことになります。それはきっと、彼らが望んだ“解放”からはかけ離れたことでしょう」

 

フェリシアとて、そんなことはわかっているのだ。救われることに意味はない。自らの手で切り開いてこそ、未来には価値がある。それを誰かに任せた時点で、自分たちは存在する意味と価値を失う……否、捨てるのと同じなのだと。

だが同時に、自分たちだけではそれが困難極まりないことだとも理解している。困難だからこそ、闘う意味がある。しかし、失敗してしまえばすべてが無に帰す。解放者たちが遺したものも、フェリシアたちの道程も、あるいはこれから先の多くが……。

尊厳のために不可能に挑むべきなのか、あるいは尊厳を捨ててでも神を討つべきか。フェリシアには、どちらを選べばいいかわからない。

 

「私自身の問題であれば、前者を選びます。ですが、事はこの世界に生きる全ての者達の未来に関わること。私一人の拘りのために、リスクは犯せません……しかし、尊厳すらも捨ててしまえば、私たちにいったい何が残るというのでしょう」

「……そうか、だから利用なんだね」

「はい。縋るのではなく、頼るのではなく、あなた方を利用する……とんだ詭弁です」

 

自分たちの才覚で力と知識を引き出し利用するのなら、確かに“縋る”のとは違うだろう。

相反する二つの想いと、その末に導き出した苦し紛れの詭弁。なにより、恩人に対しそんなことを考えてしまう薄汚れた愚かな自分。それをフェリシアは突きつけられたのだろう。

こうして試練を乗り越えてきたということは、彼女はそこから目を逸らさずに受け止めたはずだ。いや、だからこそ苦悩している。無意識化で処理していた謀を、はっきりと意識してしまったからこそ苦しんでいるのだ。

 

「フェリシアは、俺にどうしてほしいの?」

「……裁定を下していただきたい。誠心誠意仕えるという誓いを裏切ったのですから」

 

それまで下に向けられていた視線を上げ、まっすぐ立香の目を見る。

そこにはすでに暗い影はなく、強い覚悟が宿っていた。何と言われようと、そのすべてを受け入れる覚悟が。

きっと、「消えろ」と言えばもう二度と彼女は立香たちの前に姿を現さないだろう。そう確信できる。

だからこそ、立香は……

 

「じゃあ、このまま俺たちと一緒に行動するってことで」

「………………………………は?」

「だから、現状維持。氷雪洞窟の次は海底遺跡、その後はハルツィナ樹海ね」

「で、ですが! それではケジメが……」

「でも、それが一番フェリシアにとっては苦しいでしょ?」

「………………………」

「罰してもらって許されようなんて甘い甘い。フェリシアみたいな人には、罰も許しももらえないことが一番きついんだ。でしょ?」

 

『ちゃんとわかってるんだから』とばかりに微笑んで見せる立香。

確かにそれは、フェリシアにとって何にも勝る「罰」となるだろう。

 

「それに、答えを急ぐことはないと思うよ。頼るか頼らないか、それとも利用するのか。もっとじっくり考えて、それから決めればいい。幸いまだ時間はあるんだし、気長に行こう。もしかしたら、何かの拍子に別の答えが見つかるかもしれない。その時にこの縁を切っていたら、それこそ後悔するかもよ?」

「それは、そうかもしれませんが……」

「フェリシアの言いたいことは良く分かるんだ。俺もみんなに助けてもらっているけど、それを当たり前と思わないように気を付けてるつもりだから。きっと、みんなの力を“俺の力”と思った瞬間、俺という人間に価値はなくなるんだと思う。だから……うん、フェリシアのことは放っておけない。勝手かもしれないけど、同じ悩みを持つ仲間…みたいに思っちゃったから」

 

フェリシアの葛藤と立香の自戒が、本質的に同じものだからこそ……。

 

「それに、利用大いに結構。響きは良くないけど、利用し合うのだって協力の一つの形だよ」

「……承知いたしました。それが、あなたの望みとあらば。私は変わらず、あなた方と共に行きましょう。その裏で、あなた方を利用する術も検討すると致します。どんな状況にも対応できるよう、万全を期すために。それで、良いのですよね?」

 

フェリシアの問いには答えず、立香は氷の回廊を進んでいく。

その背中を見ながら、利用しようと画策する者すら受け入れるその度量に自然と頭が下がった。

 

(私とは、器が違う。決して非凡な方ではない。突出して明晰というわけではなく、武にも向いていない。恐らく、魔法も同様。心、あるいは感性とてまっとうな人のそれ。どこにでもいる、善良な青年の筈なのに……)

 

立香の試練の一端を垣間見て、フェリシアはそのことを理解していた。

彼は当たり前のように悩み、苦しみ……かつての罪に押し潰されそうになる、普通の青年だ。それでも、藤丸立香は決然と立ち続ける。踏み躙り、切り捨てたものへの責任を果たすために。

恐らくはそれらの経験が、彼の度量の広さ・深さの由縁なのだろう。

 

(知りたい。もっとこの方のことを、リツカ殿の旅路を。何を見て、何を成し、何を乗り越えてきたのかを……私は、知りたい)

 

恩義はある。憧憬もある。だがそれ以上に、藤丸立香という一人の人間、その歩みを知りたい。例え、一時交わったにすぎない道だとしても。まだ彼らとの旅が続くことが、今はどうしようもなく嬉しかった。

 

「これが出口かな? あ、もうみんな集まってる。フェリシアー!」

「……はい、ただいま参ります!」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

本来、ガーランド魔王国の王城は神の代弁者たる魔王のおわす場所ということもあり、荘厳かつ静謐な空気が漂う、ある種の聖域めいている。しかし、いまは常の雰囲気を覆し、慌ただしげに魔人族たちが行きかっている。

そんな中を、一人の青年が荒い歩みで進んでいく。思わず振り返った人々は、その険しい表情に気圧されたかのように道を譲っているのだが、青年はそれを気に留めたそぶりも見せず進み続ける。

 

やがて、青年は一際重厚な扉の前で足を止めた。ノックする時間すら惜しみ、荒々しく扉を開け放つ。

本来ならば咎めを受けるべき無礼だが、部屋の主……フリードは青年の姿を認めると、不問に付すことに決めた。彼の気持ちは、痛いほどに良く分かる。

 

「来たか、ミハイル」

「フリード様! 神託が降りたとは真ですか!」

「ああ。神の代弁者たる親愛なる魔王陛下より勅命が下った―――――異教徒共を滅ぼせと」

 

厳かでありながら、隠しようもない狂気の宿った声。もしフェリシアがこの声を聞けば、その顔を悲痛に歪めたことだろう。今のフリードの声と表情は、彼女の知るそれからは大きくかけ離れたものになり果てていた。

だが、眼前の青年…ミハイルは気付かない。それどころか、彼もフリードの狂気に当てられたかのように、目に憎悪の炎を灯していた。

 

「おおっ! では、あの裏切り者も!」

「無論だ。とはいえ、フェリシア…あの背信者が残していった爪痕は未だ補い切れていない。計画に修正を加えた上で、準備が整い次第動くことになるだろう」

 

フェリシアの手引きにより行われた妨害工作の被害は、決して小さなものではない。本来なら、その損失分を補ってから計画を実行に移すべきだ。フェリシアの読みでは、少なくとも数ヶ月は時間を要する…はずだった。

だが、神託が下ってしまえばその読みに意味はない。神託の前では、あらゆる事情・現実が意味をなさない。

本来なら数ヶ月後になるはずだった魔人族による大攻勢は、目前にまで迫っている。

 

「やっと、やっとなのですね! カトレアの仇を討つためならば、惜しむ命はありません! なにより……我らを、神を、カトレアを裏切った売女に、その罪を贖わせてみせましょう!」

「……お前の気持ちはわかる。だが、フェリシアは私が始末をつける」

「なっ!? ですが……!」

「裏切り者であろうと、奴は正真正銘の大迷宮攻略者。お前の手に負える相手ではない。口惜しいが、一騎打ちとなれば私とて分が悪い」

 

忌々しそうに、憎悪と憤怒に染め上げられた瞳で、フリードは絞り出すように告げる。認めがたいことだが、それが厳然たる事実であることを、他ならぬ彼自身がよく知っていた。

 

「それは……」

「アレを育てたのは私だ。だからこそ、私の手で汚点に始末をつけねばならない。お前とカトレアの分まで、奴には神罰を与えると約束しよう。わかってくれるな」

「……承知、致しました」

 

絞り出すように、本当は自分自身の手で討ちたい思いを抑え込んでミハイルは指示に従う。

フリードの言う通り、フェリシアを討つためにはフリードをぶつけるより他にない。かつては“魔人族の両翼”と称された片割れの実力は、彼とてよく知っている。

 

「……お前には、樹海攻略部隊に参加してもらう。本来なら樹海・王国・帝国の三ヶ所を同時に攻める手はずだったが……戦力が足りん。先に樹海を落とし、神代魔法を手に入れる。この意味、分かるな」

「まさかっ!」

「神代魔法の使い手二人がかりとなれば、如何にフェリシアとて為す術はあるまい。違うか?」

「無論です! 必ずや亜人共を滅ぼし、神代魔法を手に入れて御覧に入れます! その暁には、どうか!」

「わかっている。良く励め、期待している」

「お任せを! ですが、フェリシアの所在は……」

「奴の行き先は氷雪洞窟だ。恐らく、手引きした人間族に変成魔法を手に入れさせるつもりだろう。だが、あの魔法は即座に戦力増強につながるものではない。まだ猶予はある。今は氷雪洞窟の出口に網を張り、行く先を監視させている。まぁ、奴の狙いは十中八九“勇者”だろうがな。つまり、向かう先はハイリヒ王国と見てまず間違いない。監視は、その確証を得るためだ」

「なるほど、好都合です。フェリシアと勇者、裏切り者とカトレアの仇、諸共討って見せましょう!」

 

実力的には神代魔法を手に入れる以前のフェリシアにも数段劣るミハイルだが、時に士気の高さは実力以上の結果を生み出すことをフリードは知っている。今のミハイルにフリードが強化した魔物のサポートがあれば、十分に大迷宮攻略の可能性があるだろう。

 

「その意気だ。私はその間に大火山の神代魔法を手に入れる。あちらは既に人間族の手が入っているが、如何なる罠があろうとも蹂躙してくれる」

 

グリューエン大火山は、魔人族と立香たちが最初に接触した場所。当然、大火山に秘された神代魔法が彼らの手に渡っていると考えるし、それは正しい。同時に、何らかの罠なり妨害工作なりが為されていると警戒する。人間族としても、みすみす神代魔法を奪われることを良しとするはずがない。実際、魔人族側も氷雪洞窟周辺に強力な魔物を放つなどして、同族以外の侵入を阻んでいる。まぁ、サーヴァントの前では無力だったが。相手が似たような対策をしていると考えるのは、自然なことだろう。

その点、魔法を使えない亜人たちの領域である樹海の方が危険度は低いとみての采配だ。

 

「次に会う時は王国を落とす時だ、吉報を待っているぞ」

「閣下も、御武運を!」

 

この直後、フリードの執務室にある報告がもたらされた。

氷雪洞窟の出口に配置されていた魔物が一掃されたこと。結果、フェリシアたちの行く先が不明であること。そして……赤雷を放つ黒竜が何処かへと飛び去ったと。




これにて第三章はおしまい。
次回からは第四章に入ります。ようやくハジメたちと合流ですね。

第四章「混沌蹂躙戦域 フェアベルゲン」 副題「狂騒兎」

何とか八月中にここまでこれました。
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