降り立ったのは半球状の空間。頭上を見上げれば大きな穴があり、どういう原理なのか水面が揺蕩っている。水滴一つ落ちることなくユラユラと波打っているあたり、大迷宮はどれもでたらめだ。
広間のようなその空間からは洞窟のような通路が伸びており、見たところ一本道。潜水艇を宝物庫にしまい、とりあえずは道なりに進むことに。道中、魔物による細々とした妨害はあったが、大迷宮攻略者とサーヴァントによって編成されたパーティの前ではさしたる障害にもならない。むしろ、大迷宮の魔物としては弱すぎるくらいであることに首をかしげたが、答えはすぐに知ることができた
通路の先には先ほどよりずいぶんと広い空間が広がっていた。そこで待ち構えていたのは魔石を持たない、しかし下手な魔物よりよほど凶悪なクリオネ型のナニカと、それが使役するこれまたゼリー状のナニカ。
部屋全体を覆うかのように展開したそれは、周囲の魔物を捕食しながら当然のごとくハジメたちに襲い掛かる。それ自体は難なく退けられるのだが、如何せん終わりが見えない。加えて、強力な溶解作用を有しているらしく、魔力さえも溶かしてしまうので、退けられはするが通常より効果が薄い。長引けば、いずれはじり貧になるかもしれない。
ならばどうするか、答えは単純。強行突破するしかない。
「いくらやってもきりがないか……」
「フォウフォウ!」
「先輩! 魔物だけではなく、水位も上がってきています!」
「このままはまずいな、ハジメ!」
「ダメだ、出入り口は全部ゼリーで埋まってる。魔力を溶かすなら、サーヴァントもやばいだろ」
「となると、あとは……」
「下だな。ゼリーは俺たちが処理する、お前らでぶち抜け!」
大型ライフル…ではなく、火炎放射器でゼリーを焼き払うハジメ。ユエとティオはハジメに背を向ける形で魔法による殲滅を実行し、そんな三人を香織が魔力操作の派生技能「他者強化」で支援する。
その間に、サーヴァントたちに加えてシアとフェリシアがそれぞれの得物を真下に向けて構える。
「ジーク!」
「ああ。俺が崩す、みんなで押し広げてくれ」
「お任せですぅ!」
「承知しました」
「いくぞ、
「皆さん、タイミングを合わせてください!」
「いっきますよぉ!」
「ウゥゥゥ……!!」
ジークの詠唱とともに、海水に覆われた床に光がほとばしる。
そこへ戦槌が、槍が、盾が、剣が、旗の穂先が、拳が同時に振り下ろされた。
より深く浸透させるために明確な破壊という形にはならなかったが、錬金術をベースにした最適破壊の魔力は確かに足元の地面を崩壊一歩手前にまで追いやっていたのだろう。続くダメ押しの一斉攻撃により、厚さ十メートルを超えるであろう岩盤は粉砕された。
次の瞬間、貫通した縦穴へ途轍もない勢いで海水が流れ込んでいく。すでに腰元まだ上がってきていた海水が勢いよく流れ始めたことで、皆も巻き込まれるようにして穴へと流される。
抜け目のないハジメはそれでも置き土産を忘れなかったようで、流されながらも立香の耳にはくもぐもった爆音が届いていた。
(やっぱり、アイツは敵に回したくないなぁ……)
改めてそう思う立香であった。
* * * * *
何とか巨大クリオネから逃れることに成功したものの、そこはさすがに大迷宮。中々思うようには進ませてもらえない。
落ちた場所は巨大な球体状の空間。壁には何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海水が噴き出し、あるいは流れ込み、まるで嵐のような滅茶苦茶な潮流となっている場所だ。
生憎と、今回召喚されたサーヴァントに正統派のキャスターはいない。水辺と縁深いとはいえマルタに水そのものを操る能力はなく、ティオは水系統には適性がない。いや、そもそもこの激流の中では全属性に適性を持つユエですら思うように水流操作ができないのだから、当然他の面々にもなす術はない。一応オリオン由来の水面を歩く能力をアルテミスが保有しているが、一度水中に没してしまえば意味はない。
結局、激流に翻弄されながらも何とか近くにいる仲間の傍に行こうとするも、潮流は容赦なく皆を引き離していく。それでも各々自分にできる範囲で仲間との合流を図り、幸いてんでバラバラになるという最悪の事態は回避できた。ある者は重力魔法や宝物庫から出した超重量の鉱石で潮流を乗り切り、またある者は自身の周囲の水流操作に集中することで流れをかき分ける。
そうして、いくつかの集団が吸い込まれるようにして岩壁の穴へと吸い込まれていく。
流されている間も岩壁に叩きつけられたりしながらかろうじて耐え忍び、水流が弱まったところで一気に浮上。正直、ハジメが立香やマシュの協力を得て作った空間魔法を付与した小型酸素ボンベがなかったら、生身の面々は溺れ死んでいたかもしれない。
そんな具合に割と大ピンチな場面を切り抜けてたどり着いたのは、真っ白な砂浜が広がる海岸線。
ただ、そこから先はそれぞれに違う展開が待っていた。あるグループは船の墓場ともいうべき場所を、またあるグループは海底都市ともいうべき廃都を……といった具合に、それぞれ別々の場所を探索することに。
しかし、目の当たりにした光景は実のところ大差がない。形は違えど、中身はどれも同じ。幻術かそれに類する魔法で再現された“戦争”。それも、領土や食料といった人が持って当然の“欲”に起因するものではなく、“神の御為”に行われる狂信の産物。
サーヴァントと人間の区別なく、誰も彼もが大なり小なりその狂気に充てられていた中……一人だけ例外がいた。
「うおおおおお――――! うぉおおおおお――――――! 死ねぇ! 死ねぇ――――――え!」
“彼”は狂気に気圧されることなく遮二無二槍を振るう。
目の前の光景に物理攻撃は意味がなく、逆に言えば魔力さえ伴っていれば効果を発揮するという理屈など頭にはない。当然、自身がサーヴァントであるが故に、無造作に振るった一撃だろうと魔力を伴い、紙屑のように狂信者たちを薙ぎ払っていることすら認識しているかどうか……。
何しろ“彼”は、幻たちの狂気に気圧されこそしていないが、そもそも幻の存在にこの上なく錯乱していたのだから。そう、そこにいたのは……
「うおおおお、幽霊こわい―――――! こわい――――! こわい――――!」
いたいけな、レオニダスⅠ世君だった。
「不覚、苦難の旅に臨むマスターとマシュ殿の力になろうと馳せ参じてみればこの地獄!?
私、物理が相手なら竜すらワンちゃんに見える男ですが! 幽霊だけは! 諸事情からダメなのです!
なのに払っても払っても幽霊が! 計算を! 計算をぉ~!?」
「ユエさん、確かサーヴァントって幽霊みたいなものなんじゃ?」
「……ん、自己矛盾も甚だしい」
「竜が犬に見えるとな? つまり、妾は牝犬…はぁはぁっ」
(ダメです、ユエさんはともかく他の人たちが致命的にダメダメですぅ!)
兜だけ被ってほぼ全らに近い格好の錯乱する男と勝手に気持ち悪い表情ではぁはぁする変態に挟まれ、目の前の幻とは別にシアの心の耐久力は限界が近い。よもや、こんなフレンドリーファイアがあろうとは。
「えっと…レオニダスさん! この人たちは幽霊じゃなくて、幻みたいなものなんですぅ! ですから……」
「幻ですと!? なるほど、つまり……筋肉が通じない相手! すなわち、理系……!?」
「いえ、そのりくつはおかしいですぅ」
「……ん、お前は何を言ってる?」
「いや、まだ、まだだ! 落ち着けぇ! 我々には……知恵がある! 計算、そう計算するのだぁ……」
二人のツッコミは、残念ながら錯乱したレオニダスには届かない。勝手に盛り上がり、勝手に追い詰められている。客観的に見れば、物理ならぬ魔力無双状態なのだが……恐怖に震える我武者羅にやりを振るうレオニダスは気づかない。
そのくせ技そのものは冴えに冴えているため、シアたちですら迂闊に近づくこともできないと来た。
「……暑苦しい」
「立香さん、よくこんな人たちと旅してきましたね。マジパネェですぅ」
「うむ、ご主人様が一目置くのもわかる気がするのじゃ」
別にそんな理由で一目置いているわけではないし、立香もそんな感心のされ方をしても困るだろうが。
ただ、好き放題やっているという意味ではどこもかしこも似たようなもの。
「つまり、この中から脱出口を探せということだろうか?」
「あぁ!? マジで言ってんのかよ? この船の数見ろよ、10や20じゃきかねぇぞ」
「そうですね。その間にも船は沈んでいくでしょうし、その中に脱出口があったりしたら手詰まりでしょう」
「めんどくせぇなぁ。とりあえず皆殺しでいいだろ、その方が俺好みだしよ」
「えっとぉ、そう…なのかなぁ?」
素で考えが物騒なモードレッドとハジメの意見に、ちょっとためらい気味な香織。
だが、その間にも二人は「そうに違いない」と決めつけ行動を開始。
ドンナーとシュラークから次々に魔力弾を発射。迫りくる兵士たちを遠慮呵責なく撃ち消していく。
同様に、モードレッドはクラレントを手に敵陣に吶喊。魔力放出による莫大な魔力の奔流で敵を薙ぎ払いながら、時に剣を投げ、殴り、蹴り、赤雷が敵陣を引き裂いていく。
両者の戦い方は洗練されていながらも荒々しく獰猛、スタイルをはじめ何もかもが違うはずなのに、どこか似たような印象を受ける。
「おら、どうした! チマチマ豆鉄砲撃つだけか、あぁ?」
「うっせぇ! てめぇこそ騎士のくせに剣投げていいのかよ!」
「馬鹿か、お前。要は勝てばいいんだ、勝てば。剣の技など戦闘における一つの選択肢に過ぎん。勝つためなら、殴るし蹴るし噛みついてもやるさ」
「……やべぇ、すげぇ共感しちまう俺がいる」
実はこの二人、結構相性がいいのかもしれない。
そして、たぶんこの人もなんだかんだで相性はそう悪くない。
「むむ、二人ともやりますね。これは私たちも負けてはいられません。行きますよジーク君、遠慮なく焼き払っちゃってください!」
「ああ。幻とはいえ、死してなおこんなことを続けるのは見ていて忍びないからな。せめて、少しでも早く楽にしてやるべきか」
早速邪竜に転身し、そのブレスで右翼を薙ぎ払うモードレッドを避け左翼を焼き払う。
その際に「焼き払えー」とかノリノリで言っちゃう聖女。霊基はルーラーに戻っているはずだが、まだ浮かれ気分が抜けていない…と思いたい。
そんなやりたい放題好き放題な暴走機関車どもを見送りながら、気が進まないながらも一応得意の回復魔法でできるだけ優しく……でもきっちり容赦なく幻たちを祓う香織は、何とも言えないため息をついていた。
「私もやってることは同じだからあんまり言えた義理じゃないと思うんだけど、いいのかなぁ?
というか、ジャンヌさんってああいう人だったの? なんというか、イメージが……」
名前と「聖女」というイメージくらいしか知らないので、実際彼女が結構過激なところがあったことは知らなかったらしい。まぁ、高校で習うレベルの世界史ではそう掘り下げはしない以上、知らなくて当然といえば当然だろうが。
ただ、やはりイメージとのギャップから受ける衝撃はそれなりのものらしい。微妙に釈然としない様子の香織だが、そこへ誰かが優しく肩をポンポンしてくれる。
「ウ?」
「フラン……」
「ウ! ゥナァ!」
「えっと…慰めてくれてる? それとも、励まし?」
「ウゥ!」
おおよそ解釈は間違っていないらしく、力強く頷くフラン。
実は、バーサーカーの彼女がこの場所で一番の常識人なのではないだろうか。
まぁ、彼女は彼女で群がる幻たちを戦槌で情け容赦なくミンチにしているわけだが。
ただ、それでもこの二つのグループはまだ穏やかな部類だろう。
何しろ第三のグループには、こういった光景に激怒せずにはいられないお方が二人ほどいらっしゃるのだから。
「うわぁ、これは私でもさすがに引くわ。っていうかない、これはない。そうだよね、ダーリン!」
「お前に言われちゃ世も末だな。まぁ、全面的に同感だが。でもよ、結構ギリシャも割とこんな感じじゃね? 人間にちょっかいかけて世を乱すのなんてお前らのライフワークじゃん」
「えぇ!? そんなことは……あるけど」
「あるんじゃねぇか!」
「あのお二人とも、かなりの数が来ているのでもう少し回転を上げていただけると……」
何しろ、火力に秀でたメンツの大半が他のグループに行ってしまっている。
マシュは防御特化だし、オリオン…というかアルテミスは弓は百発百中だが如何せん広範囲の火力はない。フェリシアも、基本的には接近しての槍撃が中心。となると、あと残されるのは海辺の聖女様なのだが……。
「……チッ」
(不味い。マルタ、めっちゃ不機嫌になってる……)
理由は容易に想像がつく。彼女の教義的に、「魂はすべて神の御心の下に」あらねばならないのだ。たとえ目の前にいるのが幻の類だとしても、幽霊的なものがポコポコ湧いて出てくるのはちょっと許せないのだろう。
なんとか聖女フィルターを外すまいとしているようだが、それも限界が近い。当初は祈りによる浄化で幻を消し去っていたのだが、少し前からそれもないのがその証拠。
たぶんきっと、もう間もなく……タガが外れる。
「……いえ、わかっています。ここは異世界、“あの人”が背負ったのは私たちの世界の原罪のみで、この世界は主の御心が及ばない地。ええ、そんなことは無論わかっています。……でも、なんでよりによって私の前に出てくるのよ! 悔い、改めろっての! タラスク!!」
「はーい、鉄甲竜さんはいりまーす」
「フェリシアさん、退避してください! 巻き込まれます!」
マルタの背後に姿を現したのは、角を生やした巨大な頭、鋭いトゲを持つ亀の甲羅、六本の脚、蠍のような長い尾といった特徴を持つ異形の竜種。
マルタは軽やかに宙返りを決めつつタラスクの背後に回ると、大きく愛用の杖を振りかぶり……
「せーのっ!」
―――――思い切りぶん殴った。
弾丸を優に超える速度で飛翔するタラスク。灼熱の炎をまき散らしながら高速回転しつつ突撃し、進む先にあるすべてを巻き込み、薙ぎ払い、焼き尽くす。
荒っぽいことこの上ないが、効果は絶大だ。万に及ぶだろう軍勢は二つに引き裂かれ、右翼と左翼を別つ極太の境界線が引かれていた。遥か遠方では着弾したタラスクが太陽にも等しいとされる灼熱の炎を吐き、長い尾で幻たちを蹂躙している。
とはいえ、その割には敵陣に大きな混乱は見られない。所詮は幻だからか、あるいは狂信者の集団だからか。
いずれかは判然としないが、特に隊列を乱すことなく進んでくる。だが、後背を蹂躙するタラスクと挟撃する形をとれば、幾分か楽になるだろう。
そう考え、まずは左翼から各個撃破に入ろうとしたところで、タラスクから退避したフェリシアが俯きながら立夏に進言する。
「リツカ殿、どうか右翼は私に任せてはいただけませんか」
「……」
「私情にかられるなど言語道断、それは承知しております。ですが、私はどうしても……」
目の前の光景を、許すことができない。そんな思いを、立香は言葉にせずとも察することができた。
きっと、フェリシアは程度の差はあれ、あの狂気をずっと間近で見てきたのだろう。もしかしたら、自分もまたあの狂気に呑まれていたかもしれない。あるいは今頃、恩師やかつての仲間たちは彼らと同じ目をしているかもしれない。今眼前に広がる光景は、立香たちと出会っていなければ幻ではなく現実として目の当たりにすることになったかもしれない。そんな、未来の可能性だった。
だから、どうしても見過ごすことができない。
貫き、切り裂き、打ち砕かなければならない。フェリシアがフェリシアであるために、望む未来を切り開くために……これは、あってはならないものだから。
俯いているために表情はわからない。しかし、声音には隠しようがないほどの苦渋と憤怒、そして憎悪が滲んでいた。きっと、今のフェリシアは声音からは想像できないほど、表情を歪ませているのだろう。
震える肩が、血の滴る槍を握る手が、溢れ出る負の感情を物語っている。
「……絶対に無茶はしないこと。危なくなったり、疲労してきたりしたら戻ること。その上で、きっちり気持ちの整理をつけてくる……これを守れるって、約束できる?」
「……無論。ここで果てるなど、無為の極み。我が悲願、このような道半ばで閉ざすわけにはまいりません。なにより、こんなところで死んでは彼らに合わせる顔がありませんから」
「そう。なら、行っておいで」
「ありがとう、ございます」
噛み締めるように感謝を口にし、結局一度も顔を上げることなくフェリシアは右翼へと向かっていく。
見せたくなかったのだ、きっと酷く醜く歪んでいたであろう自分の顔を。だから、自分の思いを察して深くは問わず、目を合わせない非礼を咎めることもなく、静かに送り出してくれたことには感謝しかなかった。
同時に、立香に背を向けると同時に心が切り替わる。
感謝と敬意の念を心の奥深くにしまい込み、溢れ出る激情に身をゆだねるために。
(許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか――――――――――――――――――――――――――私は絶対に、こんな未来を認めない!!!)
普段の物静かな彼女からは想像できないような、獣の如き咆哮。
それが何よりも雄弁に、フェリシアの悲嘆の深さを物語っていた。
彼らとて、家族や友人にとっては良き父であり、友であり、兄や弟であり、息子だったに違いない。そんな彼らが、狂気に染まり神の名を叫びながら恍惚の表情を浮かべて死んでいく。あるいは、きっと近しい間柄にあったであろう者を犠牲にすることに、一切の躊躇を見せず、むしろ喜びすら覚えている。
―――――そんなこと、あるはずがないのに。
死ぬのは誰だって恐ろしくて、大切な人を失うのはいつだって悲しい。
それは時代が違えど、種族が違えど、文化も常識も違ったとしても変わらない、遍く人に共通する感情のはずだ。
にもかかわらず、眼前の幻たちにはあるべきはずの感情がない。代わりに、彼らの心は神への狂信で塗りつぶされていた。
ハジメたちはそれを“気持ち悪い”と感じたが、フェリシアが抱いたのは“恐怖”だった。
恐ろしかった。自分が、周囲が、世界がこれに染まってしまうかもしれないことが。自分の死に、大切な人の喪失に何も感じない世界になることが。その違和感に気付くことなく、盲目的に殺し合う戦が始まろうとしていることが。
どうしようもなく恐ろしくて、だからこそ死に物狂いで否定したかった。そのために無謀を承知で突撃し、我が身を顧みずに自身を取り巻くすべてを薙ぎ払う。今ここでそんなことをしても何の意味もないと知りながら、全力で否定するために槍を振るう。
同時に祈りを捧げる。槍の一振り、魔法の発動と共に消える先人たちの幻に向けて。
(せめて、死後だけでもあなたたちの魂に解放を。
決してこれから先の時代を、あなたたちと同じにはしません。だから、どうか安らかに)
叫びながら、涙を溢れさせながら戦い続け……気付けば、彼女の周囲には何もなくなっていた。
残されたのは、傷だらけで満身創痍の身体と虚ろな心だけ。
「どう、やら……お言葉に、背いてしまった、よう…ですね」
無我夢中で戦い続け、いつの間にかこのありさまだ。
今にも倒れそうな体で、槍を支えにして立ち続ける。
正直、戦っている間は頭の中が真っ白になるほどの激情で、痛みも疲労もまるで気にならなかった。おかげで、全てが終わるまで突っ走ってしまった。結果、危うく死ぬ一歩寸前だ。さすがに万を超える軍勢、その約半数を相手取るのは無茶だったと自重する。
それでも、おかげで随分と気が晴れた。この機に乗じて、うちにため込んでいた色々な感情を発散させたことは、否定できないだろうが。
(ありがとうございます、解放者…偉大なる先達よ。おかげで私は、自らの為すべきことを再確認できました。
何より、先に知ることができてよかった。きっと私は、遠からずこれと同じものを見る。その前に、覚悟を決めることができた。私はもう揺らがない、たとえ誰が立ち塞がろうとも、どのように変わり果てていようとも。
私は、この道を進み続ける。新しい時代、まだ見ぬ世界で生きる同胞たちのために)
振り返れば、どうやら左翼の殲滅はすでに終わっていたらしく呆れたような、困ったような様子で立香たちが向かってきている。同時に気付く、自身の周囲に突き立つ無数の矢と何かが爆ぜたような痕に。
どうやら、アルテミスとマルタが支援してくれていたらしい。それに、立香とマシュの距離が微妙に離れているところからすると、彼女も助けてくれていたようだ。
フェリシアが無茶をしているのを承知で、彼女の心を、思いを尊重してくれたのだろう。だから「戻れ」とは言わず、支援するだけにとどめた。そんな一時の主の配慮が温かい。
一人では何もできない我が身の未熟を恥じながらも、支えてくれる人たちの存在への感謝が勝っていた。
(ああ、私は恵まれている。私は、一人ではない。たとえ一時のことであろうと、共に歩んでくれる人たちがいる。私を信じ、帰りを待ってくれる同志たちがいる。
なら、進まないと。進んで、進んで、道を作る。次の時代を作る人たちのための、道を……)
そこでフェリシアの意識は一度途切れる。次に目覚めた時には、大迷宮の最奥。
実を言うとちゃんと攻略できたのか不安だったのだが、彼女の心配は杞憂に終わる。おそらくは誰よりも奮戦したであろうフェリシアだ。しっかりと、そして正当に攻略が認められた。
新たに得た神代魔法の名は「再生魔法」。
最後の大迷宮「ハルツィナ樹海」に挑むために必要な「再生の力」。
そして、立香は気づく。
念のためにステータスプレートを確認したところ、それまで「■■」となっていた技能が「再■」となっていたことに。技能の詳細は虫食いだらけで判然としないが、それでもわかったことが一つ。この技能は、神代魔法と密接な関係がある。立香が習得していない神代魔法は「重力魔法」「魂魄魔法」、そしてハルツィナ樹海のそれの三つ。そのうちのどれか、あるいはいくつかを習得することでこの技能はその正体を現すのだろう。
興味がないと言えば嘘になる。とはいえ、あくまでも目的はハジメたちが元の世界に帰るための手段ないし手掛かり、そのための神代魔法だ。まずは、すべての神代魔法を揃えてからなのだから。
* * * * *
「にしても、ここでこの魔法か……大陸の端と端じゃねぇか。解放者め」
思い出すのは、ハルツィナ樹海の大樹の下にあった石版の文言。そこには、大迷宮に挑むには“再生の力”が必要と書かれていた。つまり、東の果てにある大迷宮を攻略するには、西の果てにまで行かなければならなかったということ。最初に【ハルツィナ樹海】に訪れた者にとっては途轍もなく面倒である。
ハジメが悪態をつくのも無理はない。
一応意識がある全員の神代魔法の習得は終えているが、まだフェリシアが目覚めていない。意識のない状態でやるとどうなるか分かったものではないので、念のために彼女が目覚めてから魔方陣に入ってもらうことにしたのだ。その間に、香織をはじめとした回復担当がフェリシアの傷の治療をしているので、すでに目に見える傷はない。まぁ、ある程度の治療は済ませていたとはいえ、割とぼろぼろのフェリシアを見た香織やシアは結構動転していたが。
それも、彼女がなぜ無茶をしたかを知れば悲しそうに目を伏せた。
細かな点は違えども狂った神によって引き起こされた悲劇の一端を目の当たりにした彼女たちには、フェリシアの思いが多少なりとも理解できたからだろう。
彼女はきっと、こんな未来を拒むために戦っているのだと。フェリシアと同じ志は持てないけれど、その高潔さ、志の高さには心からの敬意が湧いてくる。できる範囲でこの人の力になりたい、そう思わずにはいられなかった。あるいは、ハジメの存在がなかったら……そう思ってしまうほどに。
きっとフェリシアの同志たち、特に自ら死を選んだ腹心も同じ気持ちだったのだろう。
「フェリシアさん、早く目覚めるといいですね」
「何なら気付けでもするか?」
「ハジメ君!」
「……ハジメ、めっ」
「冗談だっての」
「ご主人様よ、妾ならいつでもバッチ来~いなのじゃ」
「黙れ駄竜、それ以上寄るんじゃねぇ。魚の餌か海の藻屑にするぞ」
「あふん♪ なんという冷たい視線と罵倒……やはりご主人様は最高じゃ。妾、もはやご主人様なしには生きていけん」
不気味な表情でビクンビクンする駄竜さんに、皆さんの軽蔑に満ちた視線が突き刺さる。もちろん、大喜びだ。気持ち悪い動きでクネクネして身悶えておられる。
ただ、いつも以上に向けられる視線が冷たい。どうも、フェリシアとのギャップがそうさせているらしい。
実は密かに「フェリシアがおると快感が倍率ドン! さらに倍!! というやつじゃな」とか思っているかは、定かではない。
「……そういや、さっき立香たちが面白いこと言ってやがったな」
「面白いこと?」
「なんでも、ユエの自動再生とシアの未来視は“再生魔法”の劣化版か、同系統のものじゃないかってよ」
「……ん、確かに近いかも?」
「ユエさんのはわかりますけど、私のもですか?」
実際、ユエの自動再生には同じ“再生”の文字がつくし、効果も割と似た部分がある。
ただ、再生魔法が過去の状態に巻き戻す魔法であるのに対し、シアの未来視は文字通り未来を見る能力だ。それだけとると、同系統とは思えないのだが……。
「なんでも、魔術的に見れば時間を巻き戻せるならその逆もできるはずなんだとよ。実際、サーヴァントの中には自分の体の中限定で時間を加速させたり減速させたりする奴がいるらしい。その観点で言えば、再生魔法はむしろ“時間魔法”と呼ぶべき代物なんじゃないか、とか言ってたぜ」
「……ん、なるほど。なら、未来を見るのも時間に関係する能力だから、同系統と言えるかも」
「なるほどのぅ。であれば、うまく使えば妾たちにも二人と同じことができるやもしれんな」
「私としては時間の加速とか興味ありますねぇ。魔法全般に適性ありませんけど、自分の体にかけるならワンチャンありますから。夢が広がるですぅ!」
「だったら、次に来てくれる人はそのサーヴァントさんだとありがたいかな? いろいろアドバイスとかもらえそうだし」
「いや、それどころか“時よ、止まれ”なことも……」
そのまま、新たに得た神代魔法の応用について語り合うハジメパーティ。
余談だが、再生魔法に最も高い適性を示した香織は、世界の時を止めるには至らなかったものの、時間の加減速程度なら遠からず習得するに至る。それどころか、シアのそれには及ばないものの一秒先の未来を垣間見る、なんてこともできるようになるとかならないとか……。
着実に、彼女も壊れ性能の段階を上げていくのだった。
カルデアからの技術及び知識提供のおかげで、再生魔法に関しては割と習熟というか発展が早くなりそうです。多分、原作以上に香織は色々やれるようになるんじゃないかなぁ?
時間の加減速についてはアサミヤがいるし、BBも「タ~イムスト~ップ」とかやっちゃいますしね……。