ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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ほとんど表記はしていませんが、マシュは基本的に眼鏡をかけています。
眼鏡を取るのは、戦闘時や訓練時などだけです。なので、前話まではずっと眼鏡キャラだったと思っておいてください。
やっぱり、マシュには眼鏡か盾ですよね!


002

「ダ・ヴィンチちゃん」

「……」

「あんまりこういう事言いたくないんだけどさ」

「…………」

「マシュがいなくなってもう一週間経ったよね」

「……………………」

「良いニュースも悪いニュースも聞かないんだけど」

「…………………………………………」

「何か分かったことある? いや、状況……進んでる?」

「……………………………………………………………………………………てへっ♪」

「ウンウン、カワイイカワイイ……って誤魔化されると思うなよ!!」

 

自分の外見の良さを知り尽くした上での「てへぺろっ♪」に、遂に立香の堪忍袋の緒が切れた。

ここで殊勝な態度……は性格上在り得ないとしても、せめて真面目に答えてくれれば立香も「邪魔してゴメン」と素直に謝ったことだろう。

だが、返ってきたのは自分の外見の良さを知り尽くした上での「てへぺろっ♪」。

 

これには、流石の立香もイラっと来た……それどころか、堪忍袋の緒が弾け飛んだ。

頭の片隅では無理を言っていると自覚していたのだが、そのことに対する申し訳なさは最早ない。

それどころか、申し訳なく思っていたこと自体に腹が立ってくる。

 

「わ~、立香君が怒った~! 徹夜で頑張る美女になんて心無いことを! 見給え! 玉の肌はガサガサ、髪に艶はなく、目の下には隈がくっきり!! これでは百年の恋も冷めるというものだろう!」

「美女なのは否定しないけど、別にダ・ヴィンチちゃんに恋とかしたことないし」

「う~わ~真顔で言い切ったよこの子」

「だいたい、サーヴァントに睡眠不足も栄養失調もないでしょ。どっちも嗜好品同然で、なくても問題ないけど、あった方が良いものでしかないんだし」

「心の栄養は不足するのさ!!」

「うん、普段なら俺も美味しい食事と快適な睡眠を推奨するよ。俺で力になれるなら、いくらでも力になる。心の潤い、大事だよね」

「そうそう」

「ただし、あくまでも“普段”ならだから! いま非常事態だから!! カルデア始まって以来、最大の危機だから!!! マシュの安否とダ・ヴィンチちゃんの心の平穏なら、マシュ一択だから!! 悩む余地も時間もないから!! ダ・ヴィンチちゃんだってそうでしょ!」

「全く以て同感だけど、それでもはっきり言われるとなんか悲しいなぁコンチクショウめ!!

というか、そんなにマシュが大事なら、何でものにしようとしないかなぁ君は!」

「そ、そそそそそれはいま関係ないだろ~~~~~~~~っ!」

「フォ! フォ! フォ~ウ!(特別意訳:ヘ! タ! レ~!)

 

カルデア、絶賛迷走中。

過去の蓄積から、容易くとはいかないまでもそう時間をかけずにマシュの行方を追えると思っていたが、思いのほか手古摺っている。

 

「立香君、それに所長代理……ちょっと黙ってくれません?」

「私たち、もう五徹なんですけど?」

「俺たちサーヴァントじゃないからさ、分かるでしょ?」

シェフ(エミヤ)も頑張ってくれてるけど、とっくに限界さ…フ、フフ、フフフフフフフフフフフフフフ」

「ぁ、はい」

「私も悪かった。だから、そんな目で見ないでくれ。ちょっと息抜きしたかっただけなんだよぉ~」

 

仲間たちの良い感じに光のない据わった視線に、二人は抱き合う様にして震えている。

伊達に人理の危機を救った者たちではない。

その迫力は十分すぎるほどに歴戦の勇士だ。まぁ、今はその方向性がちょっとおかしなところに向いているが。

 

「……ゴホン。真面目な話、進展はないに等しいのが現状だ。確かに立香君とのパスは辛うじて繋がっているんだが、事実上『あることがわかる』程度でしかない」

「つまり、辿るためにはもっと別の何かが必要ってこと?」

「あればいいんだけどねぇ。だが、正直当てはない。ならあとは、今あるか細い繋がりをどう補強するかだ。

 マシュの方で何らかのアクションがあれば、あるいは」

「でも、確か今のマシュは……」

「うん。君との契約がこれだけ弱まっていると、霊基も安定しないだろう。これでは、とてもじゃないが望み薄だ。無理に力を使おうとすれば、どんな反動があることか……」

 

マスターはサーヴァントが現世にとどまるための要石なわけだが、その意味は大きい。

どれほど魔力に余裕があっても、マスターがいなければスキル「単独行動」でも有していない限り、ものの数時間で消滅してしまう。彼らは強力無比でありながらも、同時に極めて不安定かつ儚い存在なのだ。

 

それは、デミ・サーヴァントであるマシュであっても例外ではない。

肉の器があるおかげで消滅の危険こそないが、マスターの有無が与える影響はやはり無視できないものだ。

マスターの有無、あるいは距離が霊基の安定に影響し、不安定になれば当然力を振るう事すら難しくなる。

 

レイシフトの適正こそ驚異の、あるいは奇跡の100%を誇る立香だが、それ以外の点について……特に戦闘能力に関しては素人に毛が生えた程度に過ぎない。カルデアからのバックアップのおかげで、数少ない使える魔術の効果こそ強力ではあるが、それさえなければ足手纏い以外の何物でもない。

そんな彼が前線に出ている理由は、ひとえにサーヴァントたちへの魔力供給と霊基の安定を図るためだ。

魔力供給もまた、基本的には距離によって効率が左右されてしまう。

こういった理由から、立香は足手纏いを承知の上で前線に出ざるを得ない。

 

だが今は、距離云々以前の問題だ。

世界まで隔てられてしまえば、当然魔力供給は不十分、霊基の安定など望めるはずもない。

今のマシュは“普通の女の子”とまではいかないまでも、大幅に弱体化してしまっている。

いったい何を目的とした召喚で、何が待ち受けているかわからない世界に、そんな状態のマシュが自分の手も声も届かない状態でいる。立香が焦るのも無理もない話だ。

 

(俺には、何もできることがない……!)

 

カルデアに来るまでの立香は、ごく普通の一般的な日本人だった。

魔術の薫陶など受けてはいないし、特別武芸の心得があったわけでもない。

カルデアが用いる機材をいじれるような、専門的な知識も技術もない。

彼にできることはただ一つ、サーヴァントをはじめとした他者と言葉を交わすことだけ。その中で、彼らの心や在り様を受け止め、信頼関係を築き、共に戦場を駆け抜ける。

しかし、いま彼が言葉を交わすべき他者はおらず、駆け抜けるべき戦場もない。

 

故に、今の彼は無力だった。

 

その事実を、立香は血を吐くような思いで飲み下す。

いや、“ような”ではなく実際に唇の端から血が垂れている。

歯を強く噛み締めすぎて、どこかを切ってしまったのだろう。

もしかしたら、握った拳の内側では爪が皮膚を割いているかもしれない。

立香のそんな精神状態もわかっていたからこそ、ダ・ヴィンチは敢えて空気を読まない発言をしたのだが、どうやらあまり効果はなかったらしい。

 

「立香君、分かっているとは思うが敢えて厳しいことを言わせてもらうけど、自分を責めちゃいけないぜ。

 君には君の、私たちには私たちの役目がある。今は私たちが無理をする番だが、いずれ君にも無理を、無茶を、無謀をしてもらう時が来るかもしれない。それまでに体調を万全に整えるのが、君の今の役目だ」

「…………わかってる」

「ならよし。ではサー・べディヴィエール、我らがマスターを寝室まで強制連行だ」

「お任せを、レディ! さぁ、マスターこちらへ。このべディヴィエール、騎士の誇りにかけてあなたを無事お送りいたします」

「いや、そんなことでかけていいの騎士の誇り!? 随分安くない!?」

「ほぉ、頼光殿や清姫殿がいつこちらにいらっしゃるかわかりませんが?」

「よろしくお願いします! 命だけじゃなくて、その他諸々纏めて守ってください!!」

「ああ、言っておくけど8時間は部屋から出ないでしっかり休むように。君がここのところまともに眠れていないことに気付いていないとでも?」

「ちなみに、もし万が一にも抜け出そうとしたり、しっかりお休みいただけなかったりした場合……」

「場合?」

「メッフィー殿に監視役をお願いしますので、そのおつもりで」

「それ最悪クラスの人選じゃないかな……!? 絶対休憩にならない!!」

「でしたら、しっかりお休みください。それとも、いっそ頼光殿たちにお任せしましょうか?」

「ハイ、大人シクシマス」

「よろしい。ま、モーニングにはシェフ(エミヤ)特製滋養強壮メニューが待ってるから、楽しみにしておきたまえ。その際、オカン(エミヤ)のお説教がセットでついてくるかは、君次第だが」

 

そうして、いい加減観念した立香は大人しく自室へと護送(連行)されていく。

何が一番の決め手だったかは……敢えて考えまい。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

異世界トータスに召喚されて早一週間。

生徒たちは魔法や武芸、あるいは技能の鍛錬に精を出す日々。

それはマシュも変わらず、「女子更衣室」代わりの一室で解放された宝物庫から選んだ装備を身に付けていく。

 

「なんていうかさ」

「はい?」

「キリエライトさんの装備って、何度見て物々しいわよね。いや、前衛…それも盾役なんだから仕方ないってわかってはいるんだけど、ね?」

「あぁ、それは私も思う。こんな外国人美少女がゴツイ鎧を着てるギャップがすごいのよ」

 

比較的親しい間柄の女子のコメントに、周囲の者たちも「うんうん」としきりに頷いている。

おしゃべりに花が咲いて若干手元がお留守な分、服がはだけていたり、下着姿だったりとあられもない格好の者が多いが、同性しかいないので問題はない。

 

「ま、私としてはマシュさんの格好を見た男子共の打ちひしがれたところがツボだったけど」

「わかるわかる。いったい何想像してたんだか……」

 

ビキニアーマーとまではいわないまでも、部分的に露出が激しかったり、無駄にスタイルが強調される謎鎧だったりを期待していたのだろう。例えば、マシュ本来の武装の第一段階のような。

薄っぺら過ぎて透けて見える男子たちの下心に、女子たちの目は自然と汚物へ向けるような色を帯びていく。

 

「ふっ…………男子ザマァ!」

「制服だと分かりにくいけど、マシュちゃんスタイル良いのよねぇ」

「出るところは出て引っ込むところは引っ込む、これが人種の差か……」

「着痩せするタイプって、ホントにいるのよね。私、都市伝説か何かだと思ってたもん」

「いやぁ、眼福眼福。目の保養っていうのはこういう事だよね」

 

流れに便乗して『デュフフフ……』なんて声が聞こえてきそうな眼差しを向けてくる鈴に、マシュは本能的な危機感を抱く。

気付けば体が勝手に動き、鈴の視線から柔らかな双丘を隠そうと身をよじっていた。

ただ、心に小さなおっさんを飼っている鈴的にはそれがさらにそそるらしく、ますます目つきが危なくなっていく。

 

「あの、鈴さん? 目が怖い気がするのは私の気のせいでしょうか」

「気のせい気のせい~」

「気のせいじゃない! アンタ、これ以上不埒な目を向けるようならセクハラで突き出すわよ」

「わ~!? シズシズ冗談だってば冗談!」

「そうであることを願うわ……まったく」

 

生真面目であるが故の苦労人気質を遺憾なく発揮する雫に、周りから同情の眼差しが集中する。

日頃の苦労が偲ばれるばかりだ。

 

「ところでマシュさん」

「はい?」

「今日こそ一本、取らせてもらうわよ」

「わぁっ、今日も雫ちゃんが燃えてる……」

「ア、アハハハハハ……」

 

王者(チャンピオン)に挑む挑戦者を思わせる眼差しを向けられ、マシュとしては笑って誤魔化すしかない。

スタイルこそ違えど、同じ前衛職という事もあり、訓練でも割と手合わせをする機会の多い二人だが、今のところ決着はついていない。

 

正確には、スピード重視で動き回りながら攻撃してくる雫に対し、マシュが徹底的に守りを固めるという形で膠着状態になるのだ。

マシュは自分からは攻めないので雫に負けはないが、同様に雫の攻撃も全て防がれるので勝つことができない。

ただ、実はやろうと思えば反撃できたタイミングもあるのだが、剣道全国大会で優勝するほどの腕前相手にそれをすると、どうしてそんなことができるのか詮索されるのは間違いない。

今のところ、自身の素性を明かすかどうか決め切れていないだけに、迂闊なことはできないのだ。

 

(そうすれば、あなたも本気になってくれるでしょ?)

(っ! さすが……と言えばいいのでしょうか。気付かれていたのですね)

 

ただ剣腕に優れているだけでなく、洞察力・観察力ともに秀でているらしい。

マシュ自身演技の類が上手い方ではないとはいえ、それでも見抜かれていたとは……。

 

正直に言えば、マシュとしては雫に対し多少なりとも罪悪感があった。

雫は真剣に訓練に取り組み、マシュから一本取るために全力を注いでいる。

そんな相手を騙し、実力を偽る様な不誠実なことをしていることが申し訳なかった。

 

だが、当の雫はマシュの姿勢を「不誠実」あるいは「侮り」とは捉えなかったらしい。

マシュにも何らかの事情があることを察し、本気を出すに値する相手であることを示そうとしている。

そんなだから、彼女を「お姉様」と慕う自称「義妹(ソウルシスター)」が増殖するのだが。

 

(まぁ、あんまりいい気分じゃないのは確かなんだけど、少なくとも彼女はわざと負けようとは一度もしなかった。実力を隠すつもりならそうすればいいのに、しなかったのは……マシュさんなりの誠意なんでしょうね)

 

それが、雫がマシュに対して抱く印象で、基本的にその認識は正しい。

問題点があるとすれば、たとえ一本取れたとしても彼女が人前で実力を示すことはないだろうという事。

少なくとも、何らかの決断が為されるその時までは。

 

「でも、鎧もそうだけど私はマシュちゃんの盾が一番ギャップあるかなぁ。

 体が見えなくなる大きさって……」

「確かに、いったいどんな巨漢がこんなの使ってたのかしら?」

「まぁ、その分安心感もすごいんだけどね」

「なるほど、治癒師の香織にはそう見えるのね。

手合わせの時にはまるで隙がないから、私としては絶望感すらあるんだけど……でも、実戦では盾の陰から飛び出して奇襲を仕掛けるとかするんだろうし、そう考えると頼もしいわね」

 

雫と香織、親友同士でマシュの盾についてそれぞれの感想を口にしている。

訓練の始まる時間はほぼ同じなので、更衣室ではこうやって前衛と後衛が一緒になることも多い。

反面、訓練が始まった後は中々会う事もないのだが。

しかし、マシュ自身としてはまた違った感想が浮かんでくる。

 

(確かにサイズの上では申し分ないのですが……心許ないというのが正直なところですね。

 とはいえ、これ以上のものはありませんでしたし、仕方がないのですが)

 

ハイリヒ王国の宝物庫が開かれ、皆がそれぞれに装備品を選んでいた時。

マシュはまず副武装となる細身の長剣を手早く選び、動きやすさと強度のバランスを考えて鎧を吟味するところから始めた。結果、視界を確保するために兜はなし、代わりに四肢や胴体の守りが固い重厚な鎧で決めた。

 

そして最後に、本命の盾選び。これがとにかく難航したのだ。

まず一通りの盾を流し見し、最も大きなタワーシールド(首から脛あたりまで覆えるサイズ)を手に取り一振り。

感想は一言「軽い」だった。そこから先は、近くにいた騎士団員に「もっと重いものを、出来れば身体が隠れるくらいの大きさで」と注文を付け続けることに。

最終的に残ったのが二つの盾。一つはサイズと重量的には満足のいく…ただし、アーティファクトとしての性能は皆の主武装より一段下がる大盾。もう一つが、マシュの首から腰あたりまでのサイズの一級アーティファクト。

性能を取るなら後者だが、使い慣れているのは前者の方。どちらを取るべきか散々悩んだ末に、マシュは前者を選んだ。

決め手は……

 

「どちらにしても満足のいくものではありませんから、使い慣れた大きさの方が良いと思って」

 

らしい。

彼女の基準で見れば、一線級のアーティファクトでも不満が残る。

満足のいく性能でないのなら、慣れ親しんだタイプの方が良いと考えての選択だった。

内心では「心許ないけど仕方ない」と思っていたわけだが、これは比較対象が悪い。

彼女本来の武装である盾の性能は、場合によっては星の地表を焼き払うほどの一撃すら防ぎ切る代物だ。

そんなものと比較されては、神代のアーティファクト(笑)が泣いてしまう。

 

「ぁ、みなさんそろそろ時間です。少し急ぎましょう!」

「わ、ホントだ!」

「魔法の先生、怒らないけど注意する時の笑顔が黒くてかえって怖いんだよねぇ~」

「香織、それじゃまた後で」

「うん! 雫ちゃんも怪我しないでね」

「した時は治してね、治癒師様」

「もう!」

 

姦しいやり取りをしながら、彼女たちは三々五々それぞれの訓練場所へと散っていく。

ただその道中、マシュは悩みながらも隣を歩く雫に一言告げた。

 

“今夜、会えますか?”

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

マシュたちの一日のスケジュールはそれほど過密なものではない。

訓練は基本的に午前か午後の片方で、もう片方は自由時間と言う名の自主トレーニング。

一応自由時間扱いなので、必ずしも全員が訓練に勤しんでいるわけではない。

 

だいぶ緩いように思えるが、それも今の内だろう。

初めの内からあまりスパルタで進めて、嫌気が差されては困るが故の配慮。

いずれ徐々に訓練時間が伸びていき、真実「訓練漬け」と呼べる日々になっていくはずだ。

 

とはいえ、今はまだ時間的な余裕がある。

折角なので、マシュはこの機に調べ物を進めるべく、訓練初日から空き時間さえあれば王立図書館に足を運んでいた。

訓練を軽んじているわけではないが、そちらは後からいくらでもできる。

対して、調べ物ができる時間は今だけ……どちらを優先すべきか、考えるまでもないだろう。

決して、趣味の読書に興じているわけではない。

 

ただ、ここ数日の間に王立図書館を訪れるクラスメイトが増えた。

それは……

 

「こんにちは、南雲さん。またお会いしましたね」

「あ、キリエライトさん……えっと、こんにちは」

「今日は何の本を?」

「はは、また錬成の教本を探そうと思って。戦闘では役に立たないけど、唯一の技能だからね。埋もれさせるわけにもいかないし」

「先日も言いましたが、南雲さんの錬成は大変有用だと思います。ですから……」

「うん、それはわかってるつもりなんだ。だからこそ、ちゃんと勉強しておこうと思ってさ」

 

銃器関連の話こそしていないが、マシュは一応自分なりの考えをハジメには伝えている。

彼の錬成の腕前が上がっていけば、今までこの世界になかった……だが地球にはある品を作り出せるかもしれない、と。そして、自分たちの生存率を上げる可能性があることも。

それは一応功を奏したようで、錬成に対して彼もそれなりに前向きな様子だ。

 

「あ、それと聞きたいんだけど、地図とかって何か心当たりある?」

「地図ですか……ちなみに、どういったものを?」

「えっと、出来れば各地域の特色とか、国の特徴とかがわかるような」

「それでしたら……」

 

ハジメより数日早く図書館に入り浸っていたマシュは、この世界のことについて徹底的に調べてきた。

まだ日数が浅いので徹底的にと言ってもたかが知れているが、地理と歴史が主。

それをハジメも知っていたからこそ、手っ取り早くマシュに尋ねたのだ。

以前より会話がスムーズなのは同じ図書館組だからなのと、マシュが彼の天職に対し期待し、技術向上に協力的だからだろう。

誰しも、自分を認めてくれる相手を無碍にはできないし、心を開きやすいものだ、普通は。

あまりグイグイ来るタイプが相手だと、逆に下がってしまう事もあるが。

 

ハジメはマシュに薦められた本を探しに行き、マシュはこの世界の歴史書を開く。

専門書と言うほどのものではなく、大まかな歴史の流れがわかる種類のものだ。

その分掘り下げられてはいないが、大筋の流れを知るには十分。

ここから注目すべき点を絞り、専門書へと進んでいくことになるだろう。

ではどんな方向性の歴史を調べているかと言えば、当然「魔人族」関連だ。

とはいえ、思っていた以上に難航しそうだが……。

 

(…………これは、厳しいかもしれませんね)

 

別に必要はないが、訓練や戦闘時以外は常につけている眼鏡の位置を直しつつ思う。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず、とは兵法書「孫子」の一節。

『敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない』と言う意味だ。

 

にもかかわらず、あまりにも魔人族に対する情報が少ない。

彼らが、人間族が信仰するエヒト神とは別の神を奉じていることはわかっているが、その神の名すら出てこない。

『ガーランド魔王国』と言う名前は出てくるが、どういった政治体制を取っているかも不明。

最大の敵国に対して、情報が少なすぎる。

 

(まるで、意図的に情報が隠蔽されているような……)

 

そうとしか思えないほどに、情報が出てこない。

これでは魔人族側の目的、狙いがまるで見えてこないのだ。

宗教的対立が問題の一因なのだろうが、この手の問題は理屈で解決することが難しい。

そもそも、どういった点が対立の原因なのかがわからないのでは、手の打ちようがない。

かと言って、他の対立要因も「これは」というものが出てこない。

 

(すこし、視点を変えるべきかもしれませんね。こんな時、ホームズさんがいてくれたら……)

 

色々と絡みにくい所のある人物だが、その「明かす者」の代表としての力は確かなものだ。

彼の協力があれば、この戦争の真実を明かすこともできるだろうに……。

とはいえ、通信ができない以上ないものねだりでしかないのも事実。

マシュは気持ちを切り替える意味合いもあって、一度席を立って別の本を探しに行く。

 

特に意図したわけではないが、ハジメが座る席の後ろを通る際、今彼が読んでいる内容が目に入る。

彼が読んでいたのは、「北大陸魔物大図鑑」という直球なタイトルの分厚い書籍だった。

 

(南雲さんは南雲さんなりに、出来ることをしようとしているんですね)

 

マシュとメルドのやり取りは上層部にも伝わっているはずだが、それでもこの国……ハイリヒ王国はハジメを前線に送るつもりでいるらしい。

いったいどういうつもりなのか、マシュには全く理解の外だ。

しかしそれでも、厳然たる事実として彼は訓練へ参加せざるを得ない状況にある。

いずれは実戦にも参加することになるのだろう。それに備えて、やがて戦う事になる魔物を少しでも知ろうとしているのだ。ステータス・技能共に戦闘向きではない以上、あとは知恵と知識が頼みの綱。そのための読書。

効果の薄い訓練や自主トレよりも、はるかに現実的かつ効果的な手段だろう。

 

出来ることは少なくとも、出来ることを妥協しない。

そんなハジメの背中に一瞬立香の姿が重なり、マシュの眼差しが柔らかく暖かなものになる。

がその瞬間、マシュは「すわ清姫か!?」と言わんばかりの怖気に襲われた。

 

反射的に身体が臨戦態勢を取りそうになる中、周囲に視線を配ると……

 

(あれは、白崎さ…ん?)

 

本棚の陰からこちらを除く、香織の姿があった。

疑問符がついてしまったのは、いつぞや見た陽炎がまたも彼女の背から立ち上っているからなのだが……気持ち、以前より輪郭がはっきりしてきた気がする。

こう、人型っぽい感じに揺らめていて、不穏さが半端じゃない。

アレをアレ以上成長させてはいけない、彼女の経験がそう告げているのだが、具体的な方策は浮かんでこない。

スキル「啓示」でもあれば、最適な行動を見つけることもできるのだろうが、生憎彼女は「啓示」も「直感」も持っていない。

見て見ぬふりをすると後がもっと怖そうなので、マシュはなんだか無性に回れ右したい気持ちを必死で抑えながら香織のもとへと歩み寄る。

 

「あの、白崎さん? そんなところで何を……」

「マシュちゃん、南雲君といつの間に仲良くなったのかな? かな?」

「え? …………何度かお話させていただく機会があっただけで、仲が良いかと言うと」

 

どうなのだろう、と言うのがマシュの率直な感想だ。

彼女としては特に苦手意識もないし、会話に苦労もしない。

普通に話し、普通に接することのできるクラスメイト、と言うのがマシュの認識だ。

マシュの様子から懸念が杞憂だったことを理解し、背後の陽炎と共に香織の不穏な気配が霧散していく。

その事に、内心ビクビクしていたマシュはほっと息をついた。

 

「ところで、白崎さんはどうしてこちらに? 何か調べものですか?」

「え? いや、その、特には……南雲君も何か調べてるの?」

「はい。図書館ですし」

「そう、だよね。えっと、どんなのか聞いても良い?」

 

その問いに僅かにマシュは思案するが、別に隠すほどのことでもないと結論する。

ハジメの調べ物は、胸を張って言えるものだから。

 

「錬成とこの世界の地図、それに魔物についてですね」

「地図と魔物?」

「はい。各地の特色を知っておくことで、戦闘時に地形や天候を活用するつもりなのではないでしょうか?

 地の利と言うのは、重要な要素(ファクター)ですから。

 魔物についてもそうです。どんな魔物がいて、どんな特徴があり、弱点の有無がわかれば勝率が上がります。

 それは、ひいては全体の生存率にもつながるでしょう」

「…………」

「南雲さんは、頑張っていますよ。できることを自分なりに、それはとても尊敬できることだと思います」

「……うん!」

 

マシュの言葉を香織は嬉しそうに噛み締める。

 

「もしかして、南雲さんに御用ですか?」

「ううん、何でもない。邪魔しちゃったらいけないし、私戻るね!」

「え、あの……」

 

何処か陰のあった様子から一転し、香織は軽やかな足取りで図書館を後にする。

結果的にマシュは訳もわからないうちに取り残されてしまった形だ。

だが、香織はそのことにはちっとも気付かず、ただ羽が生えたように軽い体と心で駆けていく。

 

「南雲君も頑張ってる! 私も、私にできることを頑張るぞ、おー!!」

 

白崎香織、特技「突撃」。

未だ気付かぬ胸の奥の想いのまま、彼女は今日も突き進む。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

その日の深夜。

皆が寝静まった頃、雫は訓練場の中央に立っていた。

得物として選んだ刀とシャムシールの中間のような剣を正眼に構え、精神の統一を図っている。

 

今か今かとはやる心を落ち着け、研ぎ澄ますために。

彼女の見立てが正しければ、心身ともに絶好調な上に、精神統一も万全な「これ以上ない」状態でかからなければ、勝ち目は薄い。いや、どれほど人事を尽くしても足りないであろう相手なのだから。

そして、やがて待ち人が姿を現した。

 

「お待たせしました」

「別に、たいして待ってないわ。むしろ、おかげで万全に近い状態に持って行けたと思うから」

「そうですか」

 

鋭い眼差しを向ける雫に対し、マシュは落ち着いた様子で応対する。

とはいえ、それは外側だけ。

その実、心臓は早鐘を打っているし、緊張と不安で胸がいっぱいだ。

本当にこれでよかったのか、いまだに自信が持てない。

 

それでも、もう決めてしまったのだ。

人前ではまだ、今の状態での本気を出すわけにはいかない。

しかし、半ば以上見抜いている雫一人しかいないのなら……。

 

「一つ教えてください。八重樫さんは、私のことを怒っていますか?」

「……そうね。気付いた時は色々思ったけど、でも私の知るあなたはそういうことをする人じゃない。

 ならきっと、何か理由があるんでしょ?」

「はい」

「そのことも、教えてくれるのかしら?」

「……信じてもらえるかは、分かりませんが」

 

力を見せれば、その理由を問われるだろう。

それも承知の上で、マシュは雫と一対一で会う機会を求めた。

この苦労性の、とても優しいクラスメイトへのせめてもの誠意を示したかったから。

 

「では、行きます!」

「っ!」

 

今まで防御一辺倒だったマシュが、初めて雫に対し前に出た。

雫が動き出すその寸前。絶妙なタイミングで機先を制し、マシュが仕掛ける。

 

雫と比較すれば、決して速いとは言えない踏み込み。

だが、無駄のない鋭さがある。

先手を打ったマシュが手にした大盾をかざして突っ込んでくる。

 

「はぁっ!」

「とっ!」

 

雫は十分な余裕を以て、軽やかなステップでそれを回避。

そのままがら空きの背中に剣を向ける。

本当に充てるつもりはない。いくら重装甲の相手とは言え、クラスメイトを切りつける気はなかった。

しかしその考えは、少々甘い。

 

(やばっ!)

「やぁぁっ!」

 

マシュは急ブレーキをかけ、右足を軸に体ごと回りながら大盾を振りぬいてくる。

あの重量、あの勢いでぶつけられれば、剣を持つ雫の方が不利。

弾き飛ばされるかへし折られるか、いずれにしろそこで勝負が決まってしまう。

故に太刀筋を強引に逸らし、剣と盾の正面衝突を避ける。

 

「その腰の剣は飾り!?」

「飾りではありませんがオマケです!」

(攻撃と防御、両方ともメインはあの大盾ってことね。

 あんな戦い方、いったいどこで覚えたのよこの子!)

 

衝突を避けた結果、すれ違う形で両者の距離が一度開く。

 

実家が道場をやっていることもあり、雫も使えるかどうかはともかく、武器術全般に割と詳しい。

だがそんな彼女から見ても、身の丈ほどもある大盾を用いた武術など聞いたこともなかった。

 

しかも、動きの一つ一つが洗練されて無駄がない。

一つの動作が次の動きに連結している……なんてもんじゃない。

マシュの動きは、何手も先の動きを睨んだ上で最適な体勢に持っていけるよう計算され尽くしていた。

 

実際、一度広めに距離を取ろうとした雫に対し、速度で劣るはずのマシュが肉薄してくる。

雫が距離を取ろうと下がる前に、既に体勢を整え距離を詰めてきているからだ。

いくら雫でも、体勢不十分のバック走で万全の体勢の全力疾走から離れるのは分が悪い。

 

(本当に、いったい何者なのこの子!)

「ふっ!」

(これだけ重量があれば、振り抜いた後に隙ができる筈なのにそれがない。

 力任せに降ってるんじゃなくて、先の先の、そのまた先まで考慮して身体を動かしてる証拠ね)

「まだです!」

「ここで蹴りぃ!?」

 

かすめるだけでも危険な大盾のフルスイングに意識を向けさせ、意表を突く足元への蹴り。

倒れこそしなかったものの、僅かに雫のバランスが崩れる。

 

このあたり、経験の種類の差が表れた形だろう。

雫の経験はほとんどが「試合」と言う形式に則ったもの。

使うのは手に持った武器だけで、狙える個所も限られている。

対して、マシュの経験はほぼ「実戦」だ。使えるものは何でも使い、狙えるものは何でも狙える。

 

実際にどれを選択するかは本人次第だが、条件は相手も同じ。

自分は選ばなくても、相手が選ぶ可能性はある。

故に、「考えられる全て」を考慮することが反射の域で身についている。

 

そういう戦いをしてきた彼女からすれば、この程度の駆け引きはできて当然。

仲間の中には「要は勝てばいいんだ、勝てば。剣の技など戦闘における一つの選択肢に過ぎん。勝つためなら、殴るし蹴るし噛みついてもやるさ」とか言っちゃう騎士もいる。

それこそ、正真正銘どんな外道な手段であろうと実行する暗殺者もいるのだ。

マシュなど、まだまだかわいいものだろう。

 

なんとか体勢を立て直そうと身をひねりかけるが、雫はすぐにそれを放棄。

崩れた体勢をさらに傾け、その場に倒れこむ。

直後、彼女の体のあった位置を大盾が風を切って通り抜けていった。

あのまま立て直そうとしていれば、今のが直撃していただろう。

 

(とはいえ、状況は最悪だけど!)

 

なにしろ、今彼女は床に倒れこんでいる、選べる選択肢はあまりに少ない。

起き上がるか、転がってはなれるか。

いくつかの選択肢が脳裏を駆け巡るが、時間はあまりに少ない。

マシュは大盾を振りかぶり、勢いよく振り下ろそうとしている。

 

(剣道に拘ってられないわね……)

 

無謀かもしれないが、転がる勢いを利用して剣を投げつける。

マシュはそれを盾で危なげなく弾くが、その一瞬で雫には十分。

彼女は最速で起き上がりつつ、今度こそ距離を取ることに成功した。

 

そして、盾を構えなおしたマシュと正面から向き合い、おもむろに両手を上げた。

 

「まいった、私の負けよ。さすがに、あなたを抜けて剣を拾うのは無理だろうしね」

 

潔く、自身の敗北を認める。

足搔こうと思えば足搔けるが、これ以上は見苦しいだろう。

もし実戦の場だったとしたら、剣を拾うよりも逃げる方を優先すべき場面と考えたからだ。

そんな彼女の真意を、マシュは正しく拾い上げている。

だからこそ、返された言葉は……

 

「いいえ、今回も引き分けです。私はあなたを倒しきれず、あなたは私に勝てなかった。違いますか?」

「あなたがそう言ってくれるのなら、私にはイエス以外の返事はないわね」

 

手合わせに一区切りをつけた二人は、雫の剣を回収した上で広い訓練場の壁際に背中を預け、隣り合って座る。

あらかじめ用意しておいた水に口をつけ、一息ついたところで雫が口を開いた。

 

「マシュさん、あなた本当に何者なの? 私、これでも一応全国で優勝したこともあるんだけど?」

「……実は―――」

 

詳細はぼかしつつ、マシュはかいつまんで自らの素性を言葉にする。

とある機関の施設で育ったこと。

そこで少々特別な訓練を受けていたこと。

そのため、今まで学校には通ったことがなかったこと。

今は機関での仕事が落ち着いており、仲間たちから「折角だから学校でも」と薦められて入学したこと。

マシュの関係者はほぼその機関の関係者とイコールであること。

そんな具合だ。

 

「……なるほどね。そりゃ話せないわ」

「信じていただけるんですか?」

「そうじゃないと、マシュさんの実力が納得いかないもの。

 それにあなた、嘘とか苦手そうだし」

 

嘘が得意ではないのは事実だが、実力に関しては微妙なところだ。

件の機関と無関係ではないが、訓練自体はあまり関係ないのだから。

彼女の今の力は、訓練とは別の要因によるものであることは……言わない方がいいだろう。

 

「いくつか聞きたいことがあるんだけど」

「私に応えられる範囲でなら、どうぞ」

「メルドさんはこのことを?」

「少しお話ししましたが、詳しくは」

「光輝と手合わせしないのって、やっぱりわざと?」

「はい。今の状況で天之河さんの影響力に影を落とすわけにはいきませんから」

「確かに、またパニックになったら事よね」

 

マシュはわざと負けて違和感を持たれないほど演技が上手くない。

下手に怪しまれないよう、光輝との接触は避けていたのだ。

光輝自身、雫以外の女子とは手合わせしようとしないのも好都合だった。

 

「……なんで、私には教えてくれたの?」

「一つは、八重樫さんに気付かれてしまったからです」

「一つってことは、他にもあるのよね?」

「はい。それを踏まえた上で、あなたが冷静に状況を理解しているように思えたからです」

「……………………………私たちはいずれ人を殺す、そうじゃなければ死ぬ。そういうことよね」

「はい」

 

多くの生徒たちは、まだそのことを正しく理解できていない。

あるいは、目を逸らしている。皆をまとめている光輝ですらも、だ。

 

だが一部には、それらを理解できている生徒がいる。

その一人が雫だった。

 

「いずれ、皆さんが自分たちの置かれている状況を理解して立ち止まる時が来るかもしれません。

 場合によっては、最悪の場所で。それは……」

「戦場、ね」

 

雫の言葉に、マシュは無言で首肯する。

戦場で現実を理解し、思考停止にしろ葛藤にしろ陥ればそれは生命取りだ。

 

「私に何をさせたいの?」

「八重樫さんには、皆さんを引っ張っていってほしいんです」

「光輝の代わりにリーダーになれってこと?」

「いいえ、そこまではわかりません。成り行きによってはそうなるかもしれませんが、今は何とも。

 お願いしたいのは、戦場から離脱するよう先導してほしいという事です」

「あなたはその時、どうするの?」

「私は、守護者ですから」

 

つまり、殿を務めて皆を守るという事か。

それは、あまりにも危険な役割。皆が逃げ切るまでの間、マシュには撤退が許されない。

彼女の守りの堅さは今まさに実際に体験したが、それでも危険であることに変わりはない。

 

「……すごいのね」

「え?」

「ううん、なんでもない」

 

本音を言えば、雫は怖いのだ。

見知らぬ世界に突然放り込まれたことが。

魔人族との戦争に身を投じなければならないことが。

生き物を殺さなければならなくなることが。

自分が、親友が、クラスメイトが死ぬことが。

死への恐怖、殺す恐怖。それらが胸の内でずっと燻っていた。

 

だからこそ、マシュの姿が眩しく感じられる。

しかし彼女は知らない。皆を守るために殿を務めると言ったマシュ自身が、雫と同じように恐怖に震えていることを。

 

マシュと雫の違い、それは経験でも覚悟でもない。

自らを奮い立たせる存在の有無。いや、雫にも自らを奮い立たせてくれる相手はいる。

しかし、マシュは彼の役に立てるのなら生命すら惜しくはない。それだけのものを、あの日から貰い続けている。

だからこそ、彼女は恐怖を飲み込んで戦う事ができるのだ。

 

いまもそう。

戦う事は怖い。いつも彼女を支えてくれた立香(先輩)がいないことが、恐怖と不安をさらに掻き立てる。

それでもなお戦おうとするのは、己が立香(マスター)のサーヴァントであると自負するが故だ。

彼ならきっと、みんなを守るために全力を尽くすだろう。

ならば、彼のサーヴァントである自分がそれを放棄してはいけない。

その思いの表れだ。

 

「わかった、わかりました。でも、流石に私ひとりじゃ荷が重いわ。

 他に、任せられそうな人っている?」

「そう、ですね……南雲さんでしょうか?」

「南雲君が? そういえば、一緒に図書館で本読んでるんだっけ?」

「正確には少々違いますが……それはともかく、なんというか南雲さんは大変現実主義な方のように思います」

 

自身のステータスが低いことも、戦闘向きでないことも、全てを受け入れた上でできることを模索している。

そして、出来ることを一つずつ抑えていこうとする堅実さ。

それらは、彼が冷静に現実を見据えているからこそだろう。

 

「なるほど、ね。私の親友の見る目は確かだったって事かしら?

 うん! それは、結構鼻が高いわね」

 

香織の人を見る目が確かだったことが、親友として誇らしいらしい。

本当に、仲のいい二人だ。

 

「あの……もしかして、白崎さんは南雲さんのことがお好きなのでしょうか?」

「本人に自覚はないみたいだけど、まず間違いないわね。というか、そうでもなかったらあんなに頻りに話しかけないと思うけど? まぁ、それを言ったらクラスのほとんどが鈍いってことになるわけだけど」

「そういう、ものでしょうか?」

「マシュさんだって経験あるんでしょ? ほら、大学生の恋人さんと……」

「恋人? あの、どなたのことを言って……」

(もしかして、この子も香織の同類? 恋人同士だと思ってたら、実は違ったってこと? また面倒な……)

 

そういうのはもう、親友だけで腹いっぱいだと言わんばかりにため息をつく。

願わくば、マシュには悪いがこちらにこれ以上負荷をかけないで欲しいと思ってしまう。

それだけ、普段からいろいろ苦労しているという事だろう。

まだ若いのに、ご苦労なことだ。

 

「はぁ~~~~~~~……」

「あの、なにか?」

「ううん、何でもないから気にしないで」

「はぁ……八重樫さんがそういうなら」

「あ、それ!」

「え?」

「その八重樫さんっていうの。前から思ってたんだけど、ちょっと一線引きすぎだと思うのよ。

 そりゃ、さっきの話を聞けばわからないでもないけど。それでも、私はあなたともっと親しくしたいし、みんなも同じはずよ。だから、まずその一歩。私のことは、八重樫じゃなくて雫って呼んで。マシュ」

 

気負いの欠片もなく、当たり前のように差し出された手。

それを前に、僅かに何かをかみしめる様に口元を引き結んだあと、マシュはその手を握り返す。

 

「……………………………はい、雫さん。これからも、お願いします」

「ええ、こちらこそよろしく!」

 




さて、問題は次回だ。ハジメがいじめられているシーンを入れるか否か……いっそぬいて、さっさとオルクスに突入するのもありなんですよねぇ。
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