あ、あと今回2話連続投稿になります。まだ前の方を読んでいない方は、一つ前に戻ってください。
魔人族は今回のフェアベルゲン侵攻作戦に絶対の自信を持っていた。
相手は所詮、身体能力と樹海という環境を頼みとする魔力を有さない劣等種族。対して、自陣は優れた魔力を有する神に選ばれた種族であり、大将軍フリードによって生み出された強力な魔物の軍勢もいる。加えて、ライセン大峡谷を抜けることで事前に察知されることなく奇襲をかけることができた。
失敗する要素など一つもなく、勝利を約束された作戦……だったはずなのに。
「なんだ、なんなんだコイツは!?」
「可愛い可愛い森のウサギで―――す! それが何か!」
「お前のようなウサギがいるかぁ!?」
「目ん玉かっぽじってこのウサミミを見やがれですぅ!!」
「「「ぐわぁ~!?」」」
戦槌一閃、魔人族・魔物の区別なく一撃の下に蹴散らされていく。全身骨折など生温い。叩きつけられた個所は木っ端微塵、跡形も残さず赤い霧となって消し飛ぶ。
外見は華奢な兎人族のはずなのに……魔人族からすればまさに悪夢のような光景だろう。
しかし、事情を知る者からすればむしろ当然の帰結だ。
なるほど、魔物たちは大迷宮攻略者フリード・バグアーが神代魔法“変成魔法”で生み出した存在、生半可な実力者では及びもつかない力を持っているだろう。だが、言ってしまえばそれまで。所詮は大迷宮攻略者の手勢に過ぎない。
シア・ハウリアもまた大迷宮攻略者の一人。適性の関係で彼女が神代魔法を戦闘に使用することはほぼないが、それでも大迷宮を三つ攻略した実力は本物だ。フリード自身が魔物たちを率いて戦うならいざ知らず、一山いくらの魔人族とフリードの手駒如きが束になったところで及ぶものではない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ…ですぅ!!」
鋭利な刃を通さない固い甲殻が一撃たりとも耐えることが出来ず、粉々になる。屈強な肉の鎧に覆われた魔物がシアを抑えにかかるも、鎧袖一触薙ぎ払う。人の形をした暴力の塊が、確かにそこにあった。
如何に自らの正義に目が眩んでいるとはいえ、その脅威に端を欲する恐怖は彼らの妄信の上を行ったのだろう。魔物たちに特攻させ、その間に魔人族たちはシアから距離を取る。
迂闊に近づくべきではなく、囮を使って退避するというのは正しい判断なのだろう。しかし、そんな彼らの振る舞いにシアはむしろ軽蔑したような目を向ける。
「まったく、命令に逆らえない手下を盾に、女の子一人から尻尾をまいて逃げ出すとは……フェリシアさんが知ったらあまりの情けなさに嘆きますよ。“盾になるから逃げろ”位言える気概のある人はいないんですぅ?」
「フェリシア、だと……」
シアの一言に反応し、それまでおびえすくんでいた魔人族の目に憎々しげな昏い火が灯る。
その間にも死角から姿を消す固有魔法を有した魔物が迫るが、シアは一瞥をくれることもなく裏拳でそれを粉砕。なんかまた頭に来そうなことを言われそうな気がするものの、一応聞くだけ聞いてやろうと自慢のウサミミをそばだててみる。
「そうか、貴様あの女の……!」
「まさかその力、神代魔法によるものか!!」
「そうだ、そうでなければ下等な兎人族如きに我々が後れを取るはずがない!」
「神をも恐れぬ悪逆、卑劣な奴め……」
「う~わ~……」
好き勝手言っている魔人族にまずドン引き。自分たちに都合の悪いことをする存在は悪で、意にそぐわぬ存在は卑劣漢とでも思っているのだろうか。まずその認識があり得ないし、あまりの身勝手さに得体のしれない気持ち悪さを覚える。全身の産毛だけでなく、ウサミミと尻尾の毛が総立ちだ。
(ねーですぅ、これホントありねーですぅ。フェリシアさん、こんな人たちに囲まれて踏ん張ってたとかマジパネェですぅ。私だったら一週間、いえ、三日で辞めてるに違いないですぅ)
とはいえ、ここまでだったらシアも生理的嫌悪感と敵意だけ、個人的感情抜きで戦えた。冷静さを欠くことなく、淡々と、事務的に……だが、これを聞いてしまえばちょっと黙ってはいられない。
「おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇ……あの、あの裏切り者めが!!」
「あ?」
「神を、同胞を裏切るだけではなく、獣などと通じていようとはなんという恥知らずだ」
「あの売女はどこにいる! 大方、後方でケダモノ共に尻でも振っているのだろう!」
「そうだ! 今こそ我らの手で神罰をくれてやる!」
「……おい、ちょっとその汚い口閉じがやれです」
その一言に、場の空気が凍り付く。敵意を燃え滾らせていた魔人族たちですら、思わず息をのみ口を閉ざすほどに、普段の彼女からは考えられないような無機質な声が出た。
「誰が、何の、裏切り者なんです?」
シアにとって、ユエや香織が“いずれ追いつきたいと願う目標”であったとすれば、フェリシアは夜空に浮かぶ月を見上げるような“憧れの女性”だった。
それはきっと、彼女に自身の母の面影を重ねていたからだろう。シアの母は元来臆病で争いごとが苦手なハウリア族には珍しく、敵から大事な家族を守れるような英雄に憧れる女性だった。そしてフェリシアは、そんな母親の願いを体現したような人だったから。
ハジメや立香の様に違う世界を知っていたわけでもないのに、世界の歪さに気付いていた聡明さ。そんな世界を少しでも変えたいと願い、敵対種族であるはずの亜人族や人間族との融和を進めようとした優しさ。願いのためにどれほどの困難にも挫けない意志力と行動力、同胞から後ろ指さされても毅然と背筋を伸ばして顔を上げるしなやかな強さ。
どれほどの力を手にしても、彼女のような強さを持てるとは思えなかった。それは、シアが目標とした強さとは全くベクトルを異にする強さだったというのもあるだろう。
どちらかと言えば、仲間の中ではティオが最も彼女に近い。だが、500年を生きる彼女の存在はある意味でどこか遠いものだった。途方もない時間の中で培われたものであり、高潔な一族の中で養われたもの。そんな、自分とは何もかもが違うからこそ“凄い”とは思っても“憧れ”へと昇華されることはなかった。
だが、そんなティオに比べてフェリシアはずっと自分に近かった。年も、生まれも、似てはいなくても近いと思った。初めて会った時は、ハジメたちと出会った時とはまた違う同族意識が芽生えた。
だからこそ、シアはフェリシアの“夢”を応援したかった。
いつか彼女の夢が叶えば、きっと同胞たちも広い世界を知ることができる。それはなんて素晴らしいことだろう。
今の自分たちのように、種族の垣根を超えて手を取り合えるかもしれない。それはなんて素敵なことなんだろう。
シアにとっての一番はハジメと仲間たちであり、その次には家族の存在がある。でも、フェリシアの存在が三番目くらいには位置付けられている。手伝うことはできないけど、彼女を応援したいし、夢が叶って欲しいと思う。
それはもしかしたら、繊細なガラス細工に触れるような心持ちだったのかもしれない。
あるいは、出会う順番が違ったら……自分もまた、彼女と同じ夢を見ていたかもしれないから。
だからこそ、他ならぬ同じ魔人族である彼らの言が逆鱗に触れた。
(何も知らないくせに、知ろうともしなかったくせに……!!)
あの優しい人を、強い人を、気高い人を……浅い言葉で否定するなど許しては置けなかった。
いったい彼女が、誰のために、何のために行動していると思っているのだ。
穏やかな微笑みの裏で、どれほどの涙を流してきたと思っている。
「全員まとめてかかってくるです。どいつもこいつも……ウッサウサにしてやんよぉ!!」
いっそ朗らかに、優しげに微笑みながらも、実際には極低温の面を張り付けて突進する。あんな聞くに堪えない暴言、万が一にもフェリシアの耳に入れてたまるものか。
この瞬間、シアの頭からは己が役目というものが完全に消し飛んでいた。
彼女や前線に出たサーヴァントたちの役目は、あくまでも組織立った行動を乱すための遊撃であり攪乱。であるならば、一部隊の殲滅などに一々かかずらわっているべきではない。フェリシアは仲間ではないが、大事な友人だ。ぶっちゃけ、フェアベルゲンよりよっぽど優先順位は上である。なんだかんだで、シアもハジメたちの同類なのである。
狂乱の宴が終わったのはそれから十分後、シアを除いて動くものが何一つなくなった時だった。
「ふぅ~、ちょっとだけスカッとしたですぅ」
血の海のど真ん中で、満足げに鼻を鳴らすシア。
海底遺跡での試練の時に思い知っていたつもりだったが、リアルタイムで見る狂信者の気持ち悪さは筆舌に尽くし難い。大事な友人への謂れのない罵倒にブチ切れていたというのは否定しないが……。
「放っておくと、これが世界に広がるんですねぇ。フェリシアさんには、ホントに頑張ってほしいですぅ」
見ず知らずの他人はまぁ置いておくとしても、ここは家族が生きる世界なのだ。少しでも良くなってほしいと思うのは、当然の感情だろう。
「見つけやしたぜ、シアの姉御」
「おや、パル君。どうかしましたか?」
「避難は概ね完了、次の作戦フェーズに移行しやすんで下がってくだせぇ」
「了解ですぅ」
「あと……」
「?」
「なんでも、ボスが腹いせに色々ばら撒くらしいですぜ」
「何事ですか、それ!? 下手したら樹海が消し飛びますよ!?」
「再生魔法を使えば実質被害ゼロ、ノー環境破壊、イエスデストロイ、なんだとか」
「え~……」
なんという暴論。何があったか知らないが、相当にフラストレーションがたまっているらしい。
まぁ、さっきまでウサミミの修羅と化していたシアに言えた義理ではないだろうが。
と同時に、右手遠方で盛大な稲光が立ち昇った。
「今のは金時さんでしょうか?」
どうやら、最後の置き土産とばかりにスパークをかましたらしい。周囲に目を配れば青白い炎やら耳を裂くような炸裂音やら……シグルドやブリュンヒルデも一時撤退に向けて一撃かましたのがうかがえる。シアも、ここらが引き時だろう。気配を探れば、海魔特有の気色の悪い気配が次々に消えていっている。魔力の供給を断てば自滅するというのは、なかなかに便利だ……ひたすらにキモイのが難点だが。
「さ、私たちも下がりましょう」
「あ、それと姉御」
「はい?」
「俺はパル君ではなく、“必滅のバルトフェルド”です。お間違えの無いようお願いしやす」
「…………わかりました、パル君」
「いや、だから姉御!」
「ほら、行きますよ パ ル く ん」
何が何でも、家族のこの風潮を正さねば。フェリシアを見習って、鋼の決意を固めるシアであった。成就するかはともかく、決意は固めたのだ。
その後、シアは百貌達と合流し彼らの誘導の下樹海中層を抜け深層にてシグルドたちと合流する。
しかし、それと前後するように自分たちが通って来た道からは悲鳴と混乱の声が……。
「うわぁ……ロビンさん、ただ軽薄なだけの人じゃなかったんですねぇ」
「然り。ことゲリラ戦において、ロビン殿は我らの中でも随一だ。惜しむらくは、準備時間に乏しかったことだろう」
「なんか滅茶苦茶混乱してるみたいですけど、これでも不十分なんですねぇ」
「むしろ、十分な準備期間があれば、ロビン殿単独で壊走に追いやることも不可能ではない」
「なるほど……ところで、シグルドさん。解説する余裕、あるんです?」
視線を転じれば、そこには今まさに喉元に迫らんとする巨大な槍の穂先を抑えるシグルドの姿。
「あぁ、シグルド。ごめんなさい、とってもごめんなさい。私、どうしても今すぐあなたを
「ふっ、どうやら魔人族は我が愛に勇士とは認められなかったらしい。これは、いわばその反動だ」
「つまり、勇士不足の禁断症状的な感じですぅ?」
「うむ、概ねそのようなところだ」
「好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
(うおぅ、目が逝っちゃってめっちゃ怖いですぅ)
ハイライトの消えた瞳でぼそぼそと、しかして延々と呟かれる“好き”という言葉。それに伴い、どんどん巨大化していく槍はすでに5メートルを超えている。そういう人だとはわかっているが、やはり間近で見るとおっかないことこの上ない。彼女一人で、ユエと香織二人分のプレッシャーに負けない圧を感じるあたり、流石というかなんというか……。
「よぉラビット、そっちもゴールデンに元気そうで何よりだぜ」
「あ、金時さ……ゴールデンさんも無事みたいですね」
白いシャツに血糊一つつけずに顔を出した金時に、まだまだ自身の未熟さを痛感する。あの大暴れがなかったとしても、流石に彼ほど身綺麗なままの帰還は無理だっただろうから。
ちなみに、訴えるような眼差しを受けてゴールデンと言い直したわけだが、同じく視線で何かを訴えるパルのことは全力で無視。なんと言おうと、彼はパルだ。“必滅の何某”とか知らない人である。ここは譲った方が負けだと、シアの本能が訴えている。
ところで、ずっと気になっていたのだが……
「な~んで、私から目を逸らすんですぅ?」
「いや、だってよぉお前さん…その、アレじゃん」
「アレ?」
「あるじゃん、そこにほら! ファッションっつーか、コーディネートっつかよぉ…あるじゃん!」
「はい?」
坂田金時、精神年齢小学生。兎人族の露出過多の格好を直視できない、微妙なお年頃であった。
そして、この格好が普通のシアは、当然金時の言いたことを理解できないのであった。
などという極めて緊張感に欠けるやり取りが行われている一方で、防衛ラインを抜けたと思った魔人族は、文字通り地獄を見ていた。
一人、また一人と気付けばその場に倒れ伏す仲間たち。ある者は毒に倒れ、ある者は罠に嵌り、時には十人以上の規模で部隊の一角が壊滅する。濃霧の中でも感覚を狂わされない魔物たちですら、察知できない巧妙に仕組まれた罠の数々。
一歩でも踏み出せばその瞬間にでも罠にはまるのではないかという恐怖と緊張感。今度こそケダモノ共を蹂躙してやろうと息巻いていたのがウソのように、どこもかしこも静まり返っていた。
それはさながら、小動物が捕食者を前に息を潜めるのに似ていたことに気付いたものが、はたしていたかどうか。
(なにが、何が起こっている! 罠そのものは単純だ。矢を射かけられ、縄に足を取られ、頭上から刃が降ってくる。その程度のはずなのに…なぜ見つけられない! なぜ対処できない!!)
部隊を率いる指揮官が、苛立たしげに歯を食いしばる。だが、どれだけ目を凝らし罠を探そうとしても、一向に手掛かりすら見つけられない。あるいはもう罠がないのかと思い一歩踏み出せば、その瞬間に本人が、あるいは別の誰かが罠の餌食になる。そんなことを、いったい何度繰り返したことだろう。
魔法や魔物で罠ごと周囲の木々をなぎ倒し、地面をひっくり返してみたが、それでもなおすべての罠を排除するには足りない。いったいどこに、どうやって罠を仕込んでいるのか。
もう彼らには、何を信じていいのかわからない。
(動かなければ罠にはかからない。しかし、それでは何の解決にもならんではないか!)
いや、むしろ時間をかけるほどに不利になっていくのは自明の理。そして、こうして足止めされているのは敵の思う壺なことも理解している。だからこそ、手玉に取られていることへの怒りに震えている。罠そのものは単純なものであることが、なお一層怒りに拍車をかける。まるで“お前たちにはこれで十分だ”と嘲笑われているかのようではないか。
しかし、少なくとも最後の一つは彼らの被害妄想だ。別段、罠を仕掛けたロビン自身はそんなことは露ほども思っていない。ただ彼は、今ある材料で、限られた時間の中、自分にできる範囲で罠を仕掛けたに過ぎない。生前、彼がそうしたように。
ただ、それがあまりにも巧妙に、彼らの心理や反応を読み切ったうえで仕掛けられていただけの話。だからこそ、シンプルな罠であるにもかかわらず尽くはまってしまう。
あるいは、もう少し時間があれば落とし穴をはじめとした時間と手間のかかる罠を仕掛けることもできただろうが……それならそれでやりようはある。
(よしよし、いい子で待っていてくれたようで、感謝感激雨霰ってね。そいじゃ、ご褒美をあげようじゃないの)
遠方から魔人族の舞台に動きがないことを確認したロビンは、最後の仕上げとばかりに短剣で一本のロープを切る。
すると、木のしなりを利用して何かが部隊中央に叩き込まれた。咄嗟に反応した魔人族はそれを魔法で迎撃するが……魔法で撃ち落とすと同時に液体のようなものが降り注いだ。そして、変化は間もなく訪れた。
「ふん、所詮は獣の浅知恵、この程度のものにかかる我々では……ガハッ! ゲホッ…これは……」
「目が、目が見えない! なにが、何がどうなってるんだぁ!?」
「イ゛ダイ゛、イ゛ダイ゛~……目ガ、喉ガ、焼ゲ…ル゛……」
「吸うな! これは、毒だ!!」
「お~お~、良く気付いた。でもダメダメ、吸わない程度じゃ全く足りないぜ」
叩き込んだのは、たっぷりと水薬を仕込んだズタ袋。それ自体に攻撃性などないし、そもそも液体で直接吸い込めるような類のものでもない。ただ、彼らの足元に仕込んだ薬と反応させることで皮膚や粘膜から吸収される類の毒を発生させる。
足元から発生し続けるが故に、風で散らしたところで意味がない。かといって息を止めたところで、それもまた無意味。鼻や喉を塞いだとしても、目などの粘膜、あるいは皮膚から吸収されていずれは彼らの命を奪う。有効な手段としてはその場から離れることだが……周囲を取り囲むのは無数の罠。ロープで首をくくられるか、足元から突き出した刃に貫かれるか、はたまた塗布された毒に侵されるか。いずれにしろ、一歩でも動けば命の保証はない。
「罠で死ぬか、毒で死ぬか。ま、お好きな方を選んでくださいよっと」
魔物たちなら突破も可能だろうが、そもそも魔物だけ抜けたとしても意味がない。知性に乏しい魔物など、格好の餌食だ。魔人族の指示があるからこそ、彼らは脅威足りえるのだから。頭の足りない魔物など、それこそじわじわと追いつめてやればいいだけの話だ。
「いざとなれば坊主がまとめて吹っ飛ばすって話だが……」
彼にもメンツというものがある。準備時間が足りなかったとはいえ、得意とするフィールドと戦場で後れを取っては、“しがない弓兵”から“真正の役立たず”に降格してしまう。そんなことになれば、後からほかの連中……電脳魔やピンク狐に何を言われることか。あと……
「赤いのとリップに見下されんのは、マジ勘弁だわ」
というわけで、その後もロビンは毒と罠の波状攻撃で着実に魔人族と魔物を壊滅させていく。
ただ、そんな彼にもちょっと気になることがある。
「………………………………なんなんでしょうね、あのウサギたち。まさか、
かなり距離が離れているはずなのに、それでもしっかりといや~な気配がここまで届く。
罠と毒がロビンの主戦力だが、ハウリア族はむしろ闇討ち・不意打ちが本分。罠は足止めや攪乱がメイン、念のために毒を塗り仕留められれば儲けもの位の感覚。真に頼みとするのは、気配操作による奇襲。罠で足を止め、あるいは仲間が囮となって隙を作り、容赦なくそこをつく。
一つの部族という数の利があるからこそできる戦法ではあるが、それにしたって……
「自分から一騎打ちを提案しといて、勝手にやってろ死ねってよぉ…えっげつねぇ」
具体的には、一騎打ちに応じたと見せかけて転身、唖然としているところへ死角からの狙撃で止めを刺す。流石にロビンでもそこまでは……どうだろう。案外、共闘できる仲間がいれば同じようなことをするかもしれない。
何分、単独で立ち回ってばかりだったので、その時どうするかは自分でも読めない。
「……いや、一番えげつねぇのは同族相手でも“皆殺し”を選べる嬢ちゃんか」
通信機を受け取り、フェリシアから作戦内容を通達された時は正直耳を疑った。海魔による足止めに並行してシグルドたちやシアが隊列を乱すべく前線に出る。そうやって稼いだ時間で避難を勧め、同時にロビンやハウリア族は迎撃の準備を進める。万が一に備え、ハジメやユエ、ティオといった火力に優れた面々が後詰に控え、最悪の場合には森ごと消し飛ばす。樹海への損害は、後から再生魔法で補う……ここまでであればまぁ順当なところだろう。結果的に敵軍を殲滅する可能性もあったが、撤退されたり逃亡する者が出たりすれば生存者は大なり小なり出るだろう。
しかし、フェリシアはそこにさらに一手を加えた。一度は情報収集と戦線維持のために散開させた自身とその分体を密かに敵軍後方に移動、挟み撃ちにする形での徹底殲滅へと切り替えたのだ。“結果的に殲滅”するのと、“狙って殲滅”するのでは意味合いが大きく違う。袂を分かったとはいえ仮にも同族、守りたかったはずの同胞を相手に下した非情な決断。まともな神経でできることではない。
「どういう考えがあっての事か知らねぇけど、覚悟決まり過ぎなんじゃねぇの?」
フェリシアの決断に弁明するのなら、彼女とて好きで同胞の殲滅を選択したわけではない。
ただそうすることが、最終的にはフェアベルゲンにとっても自身にとっても最善だと判断したからに過ぎない。
まずフェアベルゲンにとって、結果的にはこのタイミングで侵攻を受けたのは僥倖だった。奇襲を受ける形にはなったものの、ハジメ一行や立香たちがいたことで強力な味方を得ることができ、被害を大幅に減らすことができた。もし彼らがいなかったなら、当然多くの被害が出ていただろうし、ハウリア族との共闘もスムーズにはいかなかっただろう。とはいえ、デメリットもある。戦闘の詳しい内容がガーランド側に持ち帰られれば、本来いない筈の戦力を想定した規模での再侵攻が予想される。そうなれば、今度こそフェアベルゲンが落ちる可能性がある。それを防ぐためには、何があったか詳しい情報を持ち帰らせない必要があった。特に、ハウリア族の存在はジョーカーとなり得る。可能な限り秘しておくべきだ。
同時に、フェリシアにとってもガーランド軍の殲滅には意味がある。第一に、自身の居場所がバレることを避けるねらいがあった。フェリシアがこの時点でフェアベルゲンに渡りをつけていることを知られるのは、非常にまずい。あちらはハイリヒ王国に身を寄せていると思っているはずだが、この情報が本国にもたらされれば、王国とフェアベルゲンがつながる可能性に気付くだろう。それは現時点では完全な思い違いだが、ゆくゆくは実現されるかもしれない可能性。その芽を潰されるようなことになっては困る。さらに、ここでガーランド軍を徹底して叩くことはフェアベルゲン側からの信用を得ることにつながる。同胞だからと甘さを見せれば、かえって亜人族からの不信を買うが、逆に厳しい姿勢を見せれば彼女の目的により真実味を持たせられる。
そう言った事情から、フェリシアは自ら同胞たちの徹底殲滅を提案した。忸怩たる思いがなかったわけではない。それでも、先へと進むためには必要な決断だった。
故にフェリシアは、容赦なくその刃を振り下ろす。
「「「「…………」」」」
ガーランド軍の更に後方。彼らは真なる大迷宮に挑むため、主力となる魔人族の猛者たちをそこに残していた。
それ自体はフェリシアがまだ軍にいたころから予定されていた作戦の通り。ようやく視界に捉えたその一団は、樹海内での苦戦を現わす様に狼狽を隠せずにいる。
フェリシアは概ね予定通りに自体が推移していることを確信し、静かに覚悟を決める。その手を、同胞の血で染め上げる覚悟を。
「「「「―――“壊刻”」」」」
居並んだ分体と共に、一つの魔法を発動させる。
再生魔法“壊刻”。対象の過去の傷を再び発現させるというものだが、これは実のところフェリシアにとってうってつけの魔法だった。何しろフェリシアの奥の手は、傷を負えば負うほどに自らを強化する神代魔法。これほどまでに相性のいい組み合わせはない。
発動と同時に、全身の皮膚が裂け、肉を断ち、骨が砕ける。眼球をはじめ、内臓のことごとくが破裂する。それは、神経系であっても例外ではない。
脳の処理能力の限界を超える激痛が駆け回り、視界と意識を漂白する。消し飛びそうになる意識を辛うじて繋ぎ止め、フェリシアはもう一つの魔法を起動する。
「「「「―――“悪鬼変生”!!!」」」」
昇華・変成・再生複合魔法“悪鬼変生”。悪鬼変生には二つの欠点があった。一つは初期段階ではそれほどの戦力の向上が望めないこと。しかしそれは、壊刻と組み合わせることで初手から最大級の戦力を獲得することを可能にすることで克服。また、肉体を欠損してから強化修復するまでの刹那のタイムラグも再生魔法による時間加速で補うことで解決した。さらに、再構築の過程で魔物の特性を取り入れる“天魔転変”を組み合わせる。
その成果を示す様に、全身から噴き出した夥しい血が逆再生するかのようにフェリシアの身体に戻る。コンマ一秒の間に行われた破壊と再構築、それに伴う一瞬が永遠にも感じられる激痛の果て、フェリシアの異形化は完了した。
共通するのは右目の上から突き出した鋭利な角だけ。ある分体は六本足の馬のような下半身で地面を踏み鳴らし、またある分体は四対の蝙蝠の羽を生やして空へ、さらに別の分体は数を増やし伸長させた腕にいくつもの節を作りその間には無数の刃が並んでいる。
どれもこれも、かつての“モデル・キマイラ”を発展させた更なる異形。機動力・空戦能力・間合い……それらに特化させた今のフェリシアにとっての最大戦力。一切の油断なく、躊躇なく、容赦もなく、同胞すらも殺しつくさんとするフェリシアの決意の表れだった。
そして、本体もまたその例外ではない。一見すると普段の彼女とそう大差ない外見に見える。しかし、それはあくまでも上辺の話。その中身は……
「……変成、開始」
「あまり持続時間を伸ばしてはいけませんよ、私」
「そうです。見誤れば、かえって樹海に被害が及びます」
「ことは慎重に」
「……ええ、分かっていますよ」
自身の体内で、さらなる変成魔法を展開。元より、人の身に固執するつもりはない。例え魔物と成り果てようとも、進むと決めた道がある。にもかかわらず人の形から逸脱しなかったのは、自身の未熟さ故。
今の彼女では、“これ”をしながら自身の異形化を制御することはできなかったからに他ならない。
「……完了。行きます!」
「「「……」」」
返事はない。元は同じ一人だったのだから、考えることは同じだ。例え、模倣された疑似的な魂であったとしても。本体が動き出すのと、寸分違わぬタイミングで踏み出す分体たち。
陸戦型二体は左右に分かれ、空戦型は上から、そして本体は正面。涙をのんでなどと腑抜けたことは言わない。自らの意思、自らの選択の下、フェリシアはかつての同胞たちに向けて疾走を開始した。
(せめて、安らかに……)
手にした槍を自らの血で濡らす。だがそれは、本体だけに限った話ではない。分体たちもまた、散開する寸前にフェリシア本体の血で各々の得物を濡らしている。
だが、当然遅ればせながらフェリシアたちの接近に気付いた者たちがそれを気付くことも、その意味を知るはずもない。迎撃すべく展開してきた者たちに向け、フェリシアは槍を手にしていない左手を向ける。
「―――“蒼天”」
掌の前に直径7mに及ぶ炎の塊が出現する。それが飛ばされるのかと警戒する魔人族たちだが、そもそもフェリシアは自分の体から発動させた魔法を離すことを不得手としている。つまり、このまま飛ばすというのは現実的な攻撃手段ではないのだ。
だが、その代わりに魔力の流れを制御して火球それ自体に圧をかける。
「……やはり、ユエ殿の様には、いきませんか」
重力魔法によらない、力業による魔法の圧縮。当然、重力魔法によるそれとは比べ物にならない。それでも、本来のサイズから半分近くまで縮んだそれの一部を開放する。その瞬間……
「「「がっ!?」」」
逃げ場を得たエネルギーがかけられた圧の分だけの勢いを得て飛び出す。さながら、レーザーのように細い線が正面に伸びたかと思うと、フェリシアは左腕を振るう。それだけで、何十人もの魔人族の上半身と下半身が泣き別れとなった。
原理としては、高圧水流カッターと同じ。圧をかけられ、極小さな点から伸びた火線に貫けないものなどそうはない。そして、放出されたエネルギーが尽きる前に横薙ぎに振るうことで効果範囲を広げる。フェリシアは遠距離攻撃や広範囲攻撃といったものを苦手とするが、その弱点を補うべく考案した方法だ。
重力魔法ほどの高圧縮は望めないが、並の者が相手ならばこれで十分だろう。
そうしている間にも頭上と左右からフェリシアの分体が迫る。予想外の攻撃に隊列が乱れている隙を突き、一気に切り込んでいく。ただし、一々一人一人に止めを刺すような真似はしない。
むしろ、攻撃そのものは“当たればいい”という程度。掠り傷さえつけられればそれで十分とばかりに次の敵へと向かっていく。
当然、無視される形になったものは怒り心頭だが……それも長くは続かない。
「な、んだ? 眩暈、が……」
自身の身に何が起こったかわからない様子で、そのまま目や鼻、耳から血を流して倒れ伏す。男の心臓が停止するまで、それから十秒もなかった。
「まだまだ、“発症”までに時間がかかりますね」
「気をつけろ、毒だ!!」
さすがは大迷宮に挑まんとする猛者というべきか、その異変にも早々に気付かれた。
分体たちに僅かに遅れて切り込んだフェリシアに対し、僅かに距離を置いて警戒態勢を取っているのは、いい判断というべきだろう。同時に、倒れた仲間の状態を確認するべく駆け寄る者が数名。
普通なら、判断の速さと迅速な行動に称賛を送るべきだろう。だが今回に限って言えば、それは悪手だった。
「距離を取れ! 掠り傷でも致命傷になる!」
「おのれ、なんと卑劣な……」
(いいえ、違います)
なぜならこれは、もっと質の悪いものだから。
それを証明するように、倒れた者を助け起こした者たちのうち一人が倒れ伏す。
後方の異変に気付いた者たちが、また更に駆け寄っては倒れていく。自分たちが何か思い違いをしていることに気付くまで、そう時間はかからなかった。そしてその隙を、フェリシアが見逃す理由はない。
「なにが、起こっている?」
「これは毒ではなく病だった、ということです」
「しま…ごふっ!?」
気が逸れた者との間合いを詰め、心臓を一突き。続いて、自らの手首を切り裂き噴出した血を周囲に撒き散らす。
するとどうしたことか、フェリシアの血を浴びた者たちのうち数名が倒れ、痙攣し、やがて二度と動かなくなる。
「貴様、まさかフェリシア・グレイロード……」
「なぜ、ここに……」
「いったい我らに何をした!!」
「……感染から発症までの時間はまずまず。ですが、直接体内に入らなければ感染率はそう高くありませんか。発症するにしても時間がかかり過ぎる。感染制御を含めて、今後の課題ですね」
ようやくフェリシアの正体に気付いた者たちの詰問を無視し、周囲の状況を観察する。
直接フェリシアから傷を負った場合の発症率・致死率ともに現状100%。反面、血を浴びた場合の発症率は半分以下。感染者と接触した場合、さらに発症率は下がるようだ。
「かといって、あまり感染力を高くし過ぎると後に禍根を残しますか。分体を自力で運用することを考えても、やはり魂魄魔法の習得が喫緊の課題ですね。」
フェリシアが自身の体内で行っていたこと、それは自身の体細胞の細菌兵器化である。並行して抗体も作ることでフェリシア自身には無害だが、他者にとっては致命的な細胞へと変成魔法で作り変える。それを、血液と共に敵の体内に混入させているのだ。
体内に侵入した細胞は爆発的に増殖し、毒素を生産し、あるいは体内を破壊することで対象を死に至らしめる。それだけでなく、接触することで感染を拡大。正真正銘、病の如く人を殺す。仲間を案じ助けようとする、人の心を踏みにじるが如き悪魔の所業だろう。フェリシアが掠り傷程度で満足していたのは、これが理由だ。
特に、ウイルスや細菌といった存在への知識のないこの世界の住民にとっては、正に未知の脅威と言える。
フェリシアはそれを、ペイルライダーの存在から自力で考え出した。
今の彼女にとって最も足りていないものは“仲間”…すなわち“人手”だ。どれほど傑出していても、個人でできることには限度がある。同志との情報伝達にしろ、他勢力への諜報・根回しにしろ、あるいは戦闘行動をとるにしたところで数が多いに越したことはない。味方を増やせるに越したことはないが、現状それは難しい。
故に、それを少しでも補うための分体であり、戦闘時においては数の不利を覆すための“細菌兵器”である。付け加えるのなら、もしも神が“生物”であるのならこれは十分に切り札として作用しうる。そう期待してのことだ。
まぁ、着想を得て立香たちに相談した時は、大いに顔を引きつらせていたが。一応、空気感染などによる感染拡大の恐ろしさは、それはもう懇々と訴えられたのでフェリシアもそのあたりには大いに配慮している。だからこそ、基本的に接触感染でなければ広がらず、生産後数時間で自滅するように調整してあるわけだが。
とりあえず、魂魄魔法を習得し感染制御を確立することが当面の目標だ。
しかし、既にハジメが“科学兵器”と呼ぶべき代物を生成魔法で次々生み出している現状では、今更感は拭えないところでもある。
「さぁ、次は……」
感染し、次々に命を落としていく同胞たち。心を凍らせ、一切の感情を排してそれを見届けるフェリシア。
他者の目には、まるで虫けらを踏み潰すかのように彼女の姿は映ったやも知れない。
もちろんそんなことはない。ただフェリシアは、心に蓋をすることに慣れてしまっているだけだ。そして蓋をした心のうち、荒れ狂う感情すら鋼の自制心でコントロールできてしまう。
ステータスプレートには表れない、生まれ持った才能の産物だった。
(許しは請いません。存分に恨み、呪いなさい。あなた達の怨嗟も、種の遺恨も、ひとつ残らず持っていく)
だからどうか、次の世代には綺麗なものだけを……。それが都合のいい願いと知っていながらも、フェリシアは望まずにはいられない。そうでなければ、今までの犠牲も、この犠牲も、そしてこれからも積み重ねられるであろう全てがあまりにも浮かばれない。
「……いけませんね、今は感傷に浸っている場合ではないというのに」
胸に去来するものを振り払い、同時に見覚えのある首を断つ。知らないふりをするつもりはない。ここまでに一体いくつ見知った首を落としてきたことか。それでも、フェリシアの振るう刃には微塵も鈍らない。
迷いがないからではない。迷いを抱えながら、それでもなお自身を完全に統制せんと、フェリシアは自らに言い聞かせてきたのだ。
だから例え、誰が立ちはだかろうともフェリシアは止まらない。止まるわけには、行かないのだ。
「フェリ、シア」
(あぁ、本当にこの世界の神は最悪だ。どうして、あなたがここに……)
「見つけた、見つけたぞ! この、この裏切り者がぁ!!」
僅かな詠唱と共に放たれる無数の風の刃。しかし、フェリシアはそれを避けるでもなく、かといって防ぐでもなく、直立不動のまま受け入れる。避けなかったのではない、防げなかったのでもない。単に“その必要がなかった”だけだ。
その事実を示す様に、風の刃が通り過ぎた後には…纏う服だけが無惨に切り刻まれながらも、無傷のフェリシアが立っていた。
「おのれ……ならば、これでどうだ!! 潰れて死ね」
放たれたのは風の鉄槌。常人ならば直撃すればなす術もなく轢死体となるような一撃だが、それすらもフェリシアは無傷で受け切ってしまう。正確には、傷を負った端から変成魔法と再生魔法の複合で超速で再構成している、というべきだが…相手にとってはどちらでも同じだろう。
「……渾身の一撃ですら、その澄まし面を変えられんのか!」
「ミハイル……」
「気安く俺の名を呼ぶな、薄汚い裏切り者め!!」
壮絶な憎悪と憤怒に染まった形相で睨み、視線はまじりっけなしの殺意であふれている。
理由はわかっている。それを向けられて当然だと、他ならぬフェリシア自身が納得している。
だがそれでも……かつて姉のようにも思っていた親友を愛おしそうに見つめていた彼のそんな姿に、胸が張り裂けそうだった。
(余計な感傷だということはわかっています。それでも、これは私にとって……必要なことだ)
「お前は、昔からそうだ。そうやって、一人涼しい顔をして……その裏で、俺たちを、我らが神を、カトレアをずっと裏切っていたのか!! 答えろ、フェリシア! カトレアは、ずっとお前のことを……親友だと、自慢の妹分だと、そう言っていたんだぞ!! なのに、お前は!!」
「私も、ですよミハイル」
「なに……」
「私にとっても、カトレアは無二の親友であり、尊敬する姉でした。あなたと、幸せに、なって欲しかった。あなたたちの子を抱く未来を、何度夢見たことか」
噛み締めるように、絞り出すように言葉を紡ぐ。一音紡ぐ度に、蓋をしたはずの心があふれ出しそうになる。
僅かでも漏らせばもう抑えられなくなる、その確信があった。だから、懸命に蓋をする。たとえその結果、自身の言葉が彼に届かなかったとしても。
「は、ははっ! そんな冷め切った顔で、よくも図々しく言えたものだ! ああ、その神経だけは誉めてやろう! 他者の痛みを、心を、感情を平然と踏み躙る、その凍てついた魂でよく人のフリができたものだ! 神敵に相応しい邪悪、まさに氷の女だよお前は!!」
「そう、ですね。そうあれたら、どれだけ楽だったことか」
「もういい。貴様に、僅かでも暖かな心があればと期待した俺が愚かだったのだ。もはや一片の慈悲もないと覚悟しろ。神敵、魔王陛下への裏切り者として、相応しい罰をくれてやる。四肢を捥ぎ、
怒りのまま、憎しみのまま喚きたてる姿に、彼の変化を見せつけられているかのようだった。
怒るのは当然だ、憎むのもわかる。しかしそれでも、かつての彼であれば……そう思った矢先、思いもしない言葉が紡がれた。
「安心しろ。カトレアには…最後には改心したと伝えておく。お前のためではない、お前を友と信じたカトレア、への……」
それまでの激しさがウソのように、ミハイルの口が回らなくなる。まるで、あり得ないものでも見たかのように。
(なぜ、笑っている……)
「…………………………………………………ありがとう、ミハイル」
嘘偽りのない、心からの言葉だった。
悲しみだったら抑えられる。怒りも憎しみも、負の感情であれば制御して見せよう。だけど、だけどどうして……この喜びを、抑えることが出来ようか。
「な、に?」
「魔王のためではなく、神のためでもなく、あなたは今カトレアのために私に怒りを向けてくれている。それが私には、どうしようもなく嬉しい」
「お前は、なにを、言っている……」
「どんなに変わっても、あなたの愛は不変だった。カトレアがあなたを選んだのは、きっと正しかった。神であろうと、変えられないものがある。あなたにその気がなくとも、あなたはそれを教えてくれた。
―――――――――――――あなたに、万感の感謝を」
それは穏やかな、まるで幼い子どものように無垢な笑顔。ミハイルは一度として目にしたことのないはずなのに、だけどどこか引っかかる……
(ああ、そうだ。昔、カトレアが言っていた。本当に嬉しい時、フェリシアは……)
幼い笑顔を浮かべるのだと、そう言っていた。
最愛の恋人の言葉とはいえ、あの時は信じられなかった。だって彼の知るフェリシアは、いつだって毅然としていて、何があろうと怜悧な表情を崩さない、鋼鉄の女だったから。
「さようなら、ミハイル。どうか、今度こそカトレアと共に幸せに。
私は、あなたたちと同じ所には逝けないから。これが、永久の別れです」
「……ぁ?」
何をされたのか分からなかった。気付けば、フェリシアは自身のはるか後方。痛みもなく、苦しみもなく、眠るように、ミハイルの首は落ちていた。
崩れ落ちる身体を振り返ることはしない。まだ、自身の為すべきことが残っている。胸中で躯を打ち捨てることへの詫びを告げながら、決然と顔をあげる。
同時に、フェリシアは一つの決意を固めていた。
(このタイミングでフェアベルゲンへの侵攻が行われたということは、王国や帝国への侵攻にもそう猶予はない。できれば、ギリギリまで供をしたかったのですが……)
立香たちに同行することには、フェリシアにとっても大きなメリットがあった。最大のメリットとして、大迷宮攻略の可能性が高まること。続いて、異世界の知識を得られることがあげられる。自身の体細胞をベースとした万能細胞や分体の生成、そして細菌兵器化……どれも、不完全ながら実現できたのはカルデアやハジメたちの協力があったればこそだ。多くを得られる余地がある中で、彼らと別行動をするのは正直惜しい。
なにより、受けた恩をまだまだまるで返せていない。しかしそれでも、フェリシアは自分が岐路に立たされていることを理解していた。
「大迷宮攻略の機会はまだまだ残されている。でも、いま動かなければ……」
人間族側に、回復不能の大打撃が及んでしまうかもしれない。魔人族との均衡を保つためには、人間族と亜人族の協力が必須。どちらか一方でも大幅に弱体化してしまえば、もう時代の流れを止めることはできなくなる。
それは、なんとしてでも避けなければならないことだった。
立香やハジメたちの協力を得られれば、これほど心強いものはない。フェリシア一人では王国か帝国、どちらか一方しか守れないからだ。
だが、実際にいつ侵攻が行われるかは不透明。そんな中、ハジメに協力を求めることはできないだろう。立香たちにしたところで、自身の都合につき合わせるわけにはいかない。
「協力を得るとすれば、ハルツィナ樹海攻略後が最低条件でしょうね」
一通りの大迷宮を攻略した後ならば、可能性がある。今のところハジメたちが元の世界に変えるための手段、またはその情報は得られていないが、最後の神代魔法を得ることで何かきっかけをつかむ可能性はある。
それ次第の部分はあるが、とりあえずは彼らの旅に一つの区切りがつくのは確かだ。王国には彼らの関係者もいる、協力を得ることは不可能ではない。
(だとすれば、私が行くべきは帝国? いや……)
間違いなく、最大の戦力が差し向けられるのは王国の方だ。国の規模としては王国と帝国にさほどの差はないが、王国には大迷宮がある。また、未知数の脅威と言える勇者の存在も無視できないだろう。加えて、人間族の精神的支柱である聖教教会の総本山“神山”の存在が大きい。
王国を落とせば、一石三鳥が狙えるのだ。だからこそ、当初の作戦案でもフェアベルゲンは二番手、帝国の攻略にいたってはオマケ扱いだ。そして、主力は王国に向けられる手はずになっていた。
上手くいけば、帝国は自力での防衛も期待できる。だからこそ、フェリシアは王国だけは何としても死守しなければならない。
「…………存外、名残惜しいものですね」
だが、方針は決まった。この一戦が終結次第、フェリシアは一行を離れハイリヒ王国へと向かうことを決意するのであった。
* * * * *
かつては乾ききり、ひび割れた荒野が広がっていたはずの場所。
されど、今は一面の緑が地平線まで続く大草原。本来なら木々が生い茂り、数多の生き物が行きかっていたはずのことを思えば、まだまだ道半ばといったところではある。しかし、一時期の荒廃ぶりを考えれば、これでも十分過ぎる。加えて、まだまだ回復の勢いは衰えていないどころか、むしろ日増しに加速している。
つまり、往年の姿を取り戻す日もそう遠くないと期待できる。
そんな大草原の真っただ中に、偉容を放つ影があった。天を衝かんとするような巨木。葉はなく、枝は枯れ、幹にすら生命の息吹は感じられない。それでも、その雄大な在り様は微塵も陰りを見せてはいない。
そんな巨木に、男とも女ともとれる外見の小柄な人影が背を預けていた。
「………………………ああ、ついに彼らは君の下までたどり着いたんだね、アルト」
まるで古い友人に語り掛けるような親しみのこもった声音。同時に、深い感慨を感じさせる声だった。
「なら、彼らは知るだろう。自分たちが向かうべき旅の果てを、遥かな過去から続く高潔なる意思を。
その結果、世界は変わるのか、変わらないのか……同じことだ。もう止まっていた砂時計は動き出した、この流れはだれにも止められない。そう、エヒトにも、私にも……ねぇ、君はどう思うかな?」
枯れ果てた幹に手を添え、語り掛ける。返ってくる答えはない。わかりきっていたことだ。彼女の声が聞こえなくなって久しい、最後に聞いたのは果たしていつだっただろうか。
「君は…悲しむだろうか。エヒト達“外なる者”を受け入れ、変わりゆく世界を受け入れ、全ての小さき者たちを愛した君だ。きっと、悲しむんだろうね」
分かっている、自身にとって“最も古き友”がそんなことを望んでいないことくらい。
だがそれでも、小柄な人影……タスにもまた果たすべき責任がある。
「……たとえそれが君の望みに反するのだとしても……私は、在りし日の世界を取り戻すよ。世界の行く末を決める権利は、万人に与えられるべきだ。それは、子らもまた同じこと」
その言葉に賛同を示すかのように、遠い遠いどこかから、大小様々な声が届いてくる。
(…………まぁ、どんな結末を迎えるにせよ。私に敗北はない…というのは、些かズルいかな)
負けない、それだけは何があろうと変わらない。彼らには悪いと思うが、諦めてもらうしかないだろう。
これは元々、そういう“勝負”なのだから。
これにて本章は終了、次回より新章に突入します。
第五章「神聖極光大戦 ハイリヒ」 副題「光を放つ者」
そして、主人公交代……というか、次回からは主な視点がフェリシアになります。2章3章でやっていたように、冒頭か末尾のところで立香たち大迷宮攻略組の様子に触れる感じですね。
いよいよこのシリーズの主人公が誰なのかわからなくなってきた感じ。マシュ? 立香? それともハジメ? あるいはフェリシアなのか……作者にもわかりません。まぁ、群像劇(?)みたいなものとして見て下さい。