ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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新章突入じゃコラ―――――――――ッ!

というわけで、活動報告でフェリシアのプロフィールが(コッソリ)一段階解放されました。興味のある方はご覧ください。


第五章「神聖極光大戦 ハイリヒ」 副題「光を放つ者」
037


ガーランド軍によるハルツィナ樹海への侵攻作戦が失敗に終わったその三日後。

ことはあくまでも魔人族と亜人族の間の出来事であり、部外者たる人間族の目は依然ガーランドとの国境付近に向けられていた。そのため、魔人族と人間族の間で武力衝突が起きていない現状では、当然ながら王国と帝国を中心とした人間族の領域は平穏を保っている。

とはいえ、それが所詮“嵐の前の静けさ”でしかないことを知る為政者たちですら、実のところ“嵐”が目前にまで迫っていることを知る者はいない。

 

そんな仮初の平穏に包まれたハイリヒ王国の一角、見渡す限り地平線しか見えない平原のど真ん中に、所在なさげに佇む一人の青年の姿があった。

 

「………………………………………さて、これは…どうしたものかな?」

 

目深に被っていたフードを少し持ち上げ、ぐるりと周囲を見回してみるが……これといってこれからの行動の指針になるようなものはない。遠目にうっすらと山脈は見て取れるが、それ以外には地形的な起伏に乏しく、人里はの気配はおろか都合よく誰かが通りかかる、なんて幸運も期待できそうにない。

せめて、川でも流れていれば遡るなり降るなりして行けば、いずれ人里にたどり着けたのだが……まぁそれも、“生きた人”がいるのならの話か。

 

「弱った。“行く当てもない”なんて言うのはいつものことだけれども、流石にこれはない」

 

なにしろ、“何もない”ならないなりに“何かがあった”。それは襲い掛かる脅威だったり、どこからともなく現れた“愛と希望を担う誰か(星を救う勇気ある子)”だったり。

いずれにしろ、“とっかかりすらない”というのは初めてのことだった。

 

「見たところ四方は長閑(のどか)な平原、危険なモノは見当たらない。うん、平和なのは結構なことだ。一時の平和であったとしても、争乱や荒廃と比べれば幾万倍だ。

 だからまぁ、“なにか”あって欲しいと思うのは不謹慎なことなんだろう」

 

自分にとっては助かることだが、他の誰かにとってはそうではない。だから、一瞬でも考えてしまったことを戒める。

 

「…………仕方がないか。とりあえず、歩くだけ歩いてみよう」

 

生憎“啓示”のような、目標達成に寄与する類のスキルは持っていないが……ここは自身のそれなりに高い幸運ランクに賭けてみることにする。

できれば、早めに“誰か”と出会えるといいのだが……。

 

(なんとなくだけど、ただの寄り道とは思えない。ここに僕が喚ばれたことには、きっと()()がある)

 

詳しい仕組みはわからないが、彼の旅はそういうモノだ。世界を…正しくは()()()に仇為す獣の下へ、彼は導かれる。そうしていずれは、“(おお)いなる獣”へと至る。

ここがその終着なのかは、まだかわからないが。

 

その後、“彼”が魔獣に襲われる隊商に出くわすのは、これよりさらに2日後のことだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

同日夕刻。陽も傾き、影が長く伸びてきた時間帯。

もう小一時間もすれば太陽が地平線に沈むような時間になっても、一国の王都の外門ともなれば大勢の人が詰めかける。さすがに今から王都を出る者はほとんどいないが、商いのために訪れた商人や一仕事(魔物狩りを)終えた冒険者、あるいはここに居を構える庶民や貴族等々……外門を守る衛兵はこんな時間になってもてんてこ舞い。豪勢な馬車に乗る貴族や幾つもの荷台を率いる商人には専用のルートが用意されているので幾分スムーズだが、そうでない一般用のルートは長蛇の列をなしている。おかげで、一般用の門の警備はもっぱら下っ端の仕事であり、担当振り分けの中ではいわゆる“ハズレ”扱い。今日も今日とて、間断なく訪れる人の波に息つく暇もないとはこのことだ。

 

「おお、アンタか。毎日ご苦労さん、どうだい稼ぎは?」

「ははっ、今日はニードルフォックスの群れを見つけてな、魔石大量・素材がっぽりでウッハウハよ!

 仲間と山分けしても、一日の稼ぎとしちゃ大当たりだな」

「そいつは景気のいいこって…せっかくだし、どうだ。このあと一杯」

「やなこった。どうせ奢らせるつもりだろ?」

「良いじゃねぇか、昔の(よしみ)でよ、な?」

「な、じゃねぇっての。同業者ならともかく、勧誘されてさっさと辞めた野郎に奢る酒なんぞないね。今夜こそ愛しのパピーちゃんを口説いてやんのよ」

「ケチくせぇ男はモテねぇぞ」

「うっせぇ。いいから働け兵隊さんよ」

(……やれやれ、どうせ貢がされて終わりだろうに。もうちょっと堅実に生きられないもんかね、アイツは)

 

上機嫌に去っていく昔馴染みの背に呆れて視線を向けてから、順番待ちをしている若者に向き直る。

最低限の武装はしているが、身に纏う衣服は薄汚れ“みすぼらしい”一歩手前といった様子。不必要に肩に力を入れ胸を逸らしているのは、都会の空気に呑まれまいと自信を鼓舞した結果か。だがそれは、裏を返せば“虚勢”を張っているということ。その癖、時折不安げに周囲に目を配っているあたり、明らかに都会に慣れていないことがうかがえる。“俺はこんな田舎で燻って一生を終える器じゃねぇ”と一念発起して田舎から上京してきた、夢に燃える若人といったところか。

 

(……まるで昔の俺らを見ているようじゃねぇか。とはいえ夢は所詮夢、すぐに自分が“特別”じゃねぇことに気付くことになる。夢を追い続けられる奴でさえ一握り、“ホンモノ”になれる奴なんざ限られた数人の話。

 忠告してやりたいところだが、言っても聞きやしねぇだろうな)

「……おい、アンタ。いつまで待たせんだよ」

「っと、悪い悪い。じゃほい、ステータスカード」

「はっ、よーく見ておくんだな。これから王都で…いや、王国で知らねぇ奴なんぞ一人もいねぇってくらいでっかくなる男の名だ! 今日ここにいたことを、精々エヒト様に感謝するんだな!」

 

なんともまぁ、高圧的なことだが…別段気分を害したりはしない。こういう仕事をしているとよく見るタイプだ。

 

「はいはいっと……ん。ステータスカードには問題なし、通行手形は? ないよな、じゃコレ持って向こうの受付に行ってだな……」

「待てよ! 手形くらい持ってる、馬鹿にすんな!」

「そりゃ関所のだろ? 王都をはじめ、デカい街に入るには通行手形なり紹介状なり、信用できるところからの証明がいるんだよ。ま、冒険者登録してんなら話は別だが……そういうの持ってんの?」

「うぐっ……ね、ねぇよ」

 

大方、辺境で登録すると舐められると思ったのだろう。箔をつけるために王都で登録する、という輩は存外多い。

別に、どこで登録したところで大差どころか小さな差もないのだが。むしろ、王都などで登録した新人の方が周りからはシビアに見られるくらいだ。

 

「そいじゃ、向こうの受付に行って手続きを済ませな。そこで仮手形がもらえる。冒険者登録するか、一ヶ月問題なく過ごせば正規の手形が発行されるから、くれぐれも問題起こすんじゃねぇぞ。分かったな? わかったら、行っていいぞ。次!」

「ぁ、おい!」

「次がつかえてんだ、さっさと行け。……ああ、5番通りに“踊る縞狸亭”って店がある。飯はでねぇ、部屋は狭い、その上小汚いと来たもんだが、とにかく安い。ついでに、炊事は共用だから金がねぇうちは助かるだろ。

 ま、追加料金払えば大して旨くもねぇオートミールくらいは出るけどな。参考にしとけ」

「……お、おう。行ってみる、あんがとな」

(ハッ、存外素直じゃねぇか)

 

不貞腐れたように礼を言う若者の背中を見送りながら、大成は無理でも一角の人物にはなれるかもと思う。素直さは得難い美徳だ。向こう見ずな若者の場合、特に。

“年長者だから”と偉ぶるのはどうかと思うが、“年長者に”敬意を払うのは正しい。長く生きている分、自分が知らないことを知っている可能性が高いからだ。加えてその知識は“今の自分”、あるいは“いつかの自分”の役に立つかもしれない。

敬意などどんなに大盤振る舞いしても懐は痛まないのだから、いくらでも払ってしまえばいい。そして、それができる人間の方がしぶとくやっていけることを、この衛兵は良く知っていた。何しろ自分にはできず、つい先ほど見送った知人にはそれができた。その結果の“現在”なのだから。

 

「さて、お次は……」

「お願い致します」

(バカに丁寧なのが来たな。どこぞのお貴族様、か……)

 

提出されたステータスカードを受け取りながら、チラリと視線を向け思わず息をのむ。

砂や埃除けの外套で全身をすっぽり覆っているので服装や体形はわからないが、声で女なことはわかっていた。分かっていたが……

 

(驚いた、とんでもねぇ美人が来たもんだ)

 

小麦色に焼けた肌から健康的な印象を受けるが、鋭さを感じさせる切れ長の目に形の良い鼻、小ぶりな唇と細い顎はの組み合わせは怜悧な雰囲気を醸し出しているにもかかわらず、柔らかな微笑みが親しみやすさを感じさせる。肌の色から受ける印象と顔のつくり、そして表情のどれもがちぐはぐな筈なのに…不思議と違和感がない。むしろ、それらが混然一体となってミステリアスな魅力となり、彼女の美しさを際立たせていた。野暮ったい外套やくすみのない真っ白な髪も、その一助になっている。

さらに、あまり高貴な身分とは接点のない彼でもわかるほどに、洗練された立ち振る舞いが自ずと品位を感じさせた。

 

「え~……もしや、貴族様か名のあるお家のお嬢さんで?」

「ふふっ、お上手ですね。ですがご安心を、私は辺境の出ですよ。ただ、国の要職についておられた恩人の伝手で、些かばかりの教養は身につけさせていただきました」

「さ、左様で」

「ですので、あまり肩肘を張らず力を抜いていただければ幸いです」

「は、はぁ……じゃあ、その…王都には何の御用件で?」

 

いつも通りに振る舞えばいいとは言ってもらったが、無意識に丁寧な対応をしてしまう。気圧された…というのもまた違う。権威や実力とはまた違う、自然と首を垂れてしまう“何か”がこの女性にはあった。

 

「嫁に行った姉を訪ねて。あと、王都の方への手紙を預かっています」

「ははぁ、でしたら……」

「このままそちらの受付で手続きを済ませればよろしいですか?」

「……です」

「ありがとうございます。では、こちらを」

「は?」

 

極自然な流れで台の上に一本の瓶が置かれていた。

 

「あの、コイツは……」

「お酒ではありませんよ。旅先でいただいた果実水です、酸味とほのかな甘みで疲れた時にはちょうど良いかと」

「い、いやいや、コイツはいただけませんて!」

「賄賂にはなりませんよ。なにしろ、既にここでの手続きは終わっていますから」

「ま、まぁ、そりゃ……」

 

確かに、賄賂を渡すならステータスカードを出す前後だ。この場での手続きを終え、次に向かう際に出したのではあまりに遅すぎる。これでは、便宜の図りようがない。

 

「あなたと同じですよ」

「は?」

「先ほどの少年へのお節介、それと同じということです。お勤め、ご苦労様です」

 

微笑みながらそう言い残し、緩い三つ編みにした長い髪を靡かせて女は去っていった。

 

「……ヤベェ、惚れそう。ってかメッチャ良い匂いした」

 

残ったのは華奢な小瓶とふわりと甘い匂い、若干頬を紅潮させて呆けるオッサン。そして……額に青筋浮かべて苛立つ旅装のおばちゃんだった。ちなみに、おばちゃんの怒声が響き渡るまであと2秒。

余談だが、翌日から王都北側の一般ルートの警備任務が下っ端衛兵の間で無闇矢鱈と人気になり、上役が首をひねることになるのであった。

 

 

 

初めて訪れた人間族の町、それも最大規模のそれはフェリシアにとっても新鮮な驚きに満ちていた。

 

「百聞は一見に如かず、とはまさにこのことですね」

 

道行く人、人、人。四方に視線を向ければ、これまた数えるのもばからしくなるような人の海。今は変成魔法で外見を人のそれに変えているとはいえ、どうにも落ち着かないのは無理からぬことだろう。

 

まぁ、そんなことは些細なこと。今のフェリシアにとって重要なのは、目に飛び込んでくる人々の様子だ。

服装も年齢も千差万別。血糊のついた鎧を纏った冒険者と買い物帰りであろう子ども連れの母親が平然とすれ違っている。荒事と家事、まったく別ベクトルの仕事に励む者が混在している光景というのは、フェリシアから見ればかなり奇異に映る。

 

今思えば、魔国ガーランドの街割りはどこも徹底的に整理され、とてつもなく合理的だった。街の中心から四方に大通りが伸び、そこから等間隔且つ直角に小道が走る。東には軍事施設、北は職人街といったように機能的に配置され、中央に行くほど重要施設や高級な店・家が立ち並ぶ。衛兵の駐屯所や医療施設なども分散配備されるなど、とにかく効率重視。王都に限らずどこの街もそんな具合で、それが魔人族の気風だった。

だからこそ、冒険者と市井の民が同じ空間を歩いていることに驚きを禁じ得ない。棲み分けをした方が効率的だし、余計なトラブルも少ない。なにより、荒事に関わる者というのは基本的に潜在的なトラブルの源だ。為政者側からすれば、監視し、取り締まる上でも一纏めにしておいた方が都合がいい。

 

ちなみに、ガーランドの街並を見た立香は“碁盤の目”と評し、“京都みたい”とぼやいてから“迷いそう……”とうなだれていたものだ。実際、割と頻繁に案内標識が立ち、外部から来た者は一ヶ月かけて迷いまくることで道順を覚えるのが慣例となっていたほど。

幼い頃は流浪の民として効率そっちのけな集落で暮らしていたが、人生の大半をそんな“効率厨”な街割りの中で暮らしてきたフェリシアから見ると、人間族の街は“雑多”の一言だった。

 

(というか、気が昂った者が何かの拍子で婦女子に乱暴を働いたらどうするつもりなのでしょう?)

 

見たところ衛兵が小まめに配置されていたり、巡回していたりするわけではないらしいので、ちょっと心配になる。

実を言えば、同じような懸念はフェアベルゲンでも抱いていた。ただ、フェアベルゲンの場合は“樹海”という立地もあって“効率的な街割り”に向かないのは明白なことから、あの巨木を利用した三次元的な街割りの方が適しているのだろうと納得していた。加えて、被差別種族ということで亜人族は同族意識が強いというのも、内側の危機意識を下げる要因なのだろうとも。

 

しかし、人間族はそうはいかない。彼らには効率的な街割りを行える広い土地があり、逆に三次元的な都市を形成できる巨木はない。加えて、人間族はそのうちに多数の国家が成立している種族だ。人間族同士での戦争も、ないわけではないと聞く。それは彼らの多様性の表れでもあるが、だからこそ“街中での事故”をはじめとした危険性が高い。

とはいえ、見る限りそう言ったトラブルの前兆は見られない。はしゃぎ回る子どもに鬱陶しそうな視線を向けることはあれ、適当に流して通り過ぎている。中には、少し荒っぽく頭を撫でてやる武骨さと人懐っこさを兼ね備えた人物もいる。

それを見ると、この地に暮らす者たちの“善性”を信じているからこそなのかもしれないとも思える。だが同時に、フェリシアの脳裏に古い記憶がよぎった。

 

(…………“人の本性は悪である”か)

 

そうフェリシアに説いたのは、袂を分かった師であった。

まだフリードに指示するようになって間もない頃で、当時のフェリシアはその言葉に反駁こそしなかったが、今思えば随分とあからさまに眉をしかめたものだと思う。あの頃の彼女は、人とは誰しも“善き者”であると信じて疑っていなかったからだ。しかし、そんな彼女にフリードは繰り返し繰り返し、何度も丁寧に言い聞かせたものだ。

 

「“悪”だから、悪いことをして良いというのですか!」

「そうではない、むしろ逆だ。“悪”だからこそ、我らは強く自らを律さなければならない。“悪”故に“悪”を為すのなら、そんなものは“獣”と同じだ。“悪”であるにもかかわらず“善”であろうとする、それが我らの尊厳。それこそが、神の教えなのだ」

「……」

「納得がいかんか?」

「……はい」

「なら納得せんでもいい」

「え?」

「だが、そのことは心にとめておけ。“悪”であろうとなかろうと、それでも人を陥れる者はいる。傷つけ、奪い、騙し、虐げる者どもがいる事実に変わりはない。同じ魔王陛下の民、選ばれし種族であるというのにな……」

「先生……」

 

そう語る師の顔には、深い憂いの色があった。

 

「覚えておけ、フェリシア。私は、そしてお前もいずれは多くの責任をその身に負うことになる。力には大いなる責任が伴うものだ。

 だからこそ、我らは見えるモノだけを見ていてはいけない。その裏にあるものを熟考し、あるいは異なる角度から検証し、その上で発言し行動する。“見落としていた”“気付かなかった”などという言い訳は許されん。ならばこそ、疑ってかかるくらいがちょうどいいとは思わんか」

「…………」

「……恐ろしいか?」

「……」

「やはり、お前は頭が良い。だがな、恥じることはない。その恐怖は大事にしておけ。その“畏れ”がある限り、お前はきっと“義務”と“権利”をはき違えることはない。

 己が双肩に民の暮らしが、同胞の命運が乗っていること…努々忘れるな」

 

故に、上に立つ者は人が【悪】であることを前提に考え、行動しなければならない。それが、多くの責任を負う者の最初の心構えなのだと、師はそう言っていた。

 

元来、フェリシアは向こう見ずで突撃思考が強い。そうでなければ、周囲の説得を無視して集落を飛び出すような真似はしなかった。フリードは、そんなフェリシアの性質を理解していたのだろう。だからこそ、ことあるごとに言い聞かせてきた。思えば、集落の長もまたフェリシアには似たような注意をしていたように思う。

 

「アンタは一度決めたら譲らない上に、最短距離を突っ走ろうとするからねぇ。そんなだと、思わぬところで足を取られていつか派手にすっ転ぶよ。“急がば回れ”と言ってね、痛い目を見たくなきゃよ~く周りを見ることさ」

 

いったい、何度口を酸っぱくして言われたことか。ただ、フェリシアは自分が損をする分にはあまり気にしない性質だった。だから、長の言葉も話半分にしか聞いていなかった。しかし、フリードの言葉はフェリシアの心に強く響いた。自分一人が損をするなら別にいい。だが、守るべき存在である同胞たちまで巻き込んでしまうとなれば話は別だ。

以降、フェリシアは広く視野を保ち、多面的に物事を見るように努めてきた。都合のいい言葉を吐く者がいれば慎重に真意を探り、どこかに陥穽がないかと注意を払う。その結果、師と袂を分かつことになったのは、実に皮肉な話だが。

昔の自分から考えれば、随分と疑り深くなったものだと思う。だが、それを指して人は“成長”と呼ぶのだろう。少なくとも、純朴で無垢な…だからこそ無知な自分に戻りたいとは思わない。

ならばこそ、考えなければならない。魔人族と人間族、それぞれの都市計画の違いについても……どんな些細なことでも考え、知っていかなければ。そうでなければ、己が悲願にいつまでたっても近づくことはできないのだから。

 

「……まず考えるべきは、人間族と魔人族の違い。魔法への適性の差は…あまり関係ない? とすれば、やはり人口でしょうか。ハイリヒ王国一つとっても、ガーランドより人口は上の筈。見る限り、ガーランドの王都より活気があり、人の動きも活発ですね」

 

そうやって視点を変えていくと、“雑多”という第一印象も変化してくる。

ガーランドの街並は効率的であるからこそ、どこか窮屈さがあった。右を見ても左を見ても関係者や同業者しかいない。だからこそ周りの目を気にしなくていい気楽さはあったが、同時に空気が籠っているというか……息苦しい印象があったように思う。

そこへ行くと、こうして職種や年齢・性別を問わず行き交うことで空気の循環が促されているようだ。

 

「ふむ、効率一辺倒というのも考え物かもしれませんね。やはり、異なる文化を知るというのは貴重な体験です。今までとは違う見識、異なる発想が芽生えて来るというのは実に心地いい」

 

今まで見えていなかったものが見えてくるような、そんな爽快感と開放感がある。とはいえ、いいことばかりでもないのだろうが……。

 

「しかし、やはり不意のトラブルの危険性の高さも否定はできませんか。かといって、あまり監視の目を増やせば反感を買うのも明白。むむっ…中々にバランスが難しいですね。何事も一長一短、ということですか」

 

雑多な分目印が多いおかげで、考えながらでも目的地に向けて迷うことなく足を進められるのも長所の一つだろう。ガーランドであれば、小まめに案内表示を見ないと今頃迷っているところだ。

 

「ですが、やはり右を見ても左を見ても人間族ばかり……まぁ、王国は奴隷であっても亜人を忌避する傾向が強いそうですし、人間族至上主義たる聖教教会、その総本山のお膝元ともなれば、むしろ当然なのでしょうね」

 

単一種族だけしか暮らしていない国家、あるいは都市というモノにはさほど違和感はない。古巣であるガーランドも、つい先日まで滞在していたフェアベルゲンもそうだった。むしろ、海人族と人間族が曲がりなりにも共存している【港町 エリセン】がこの世界では特殊だったのだ。

あるいは、亜人族の奴隷を数多く従えている帝国であれば、ある意味では2種族が混在した光景を見ることができるのだろうが……。

 

(奴隷制…実際のところを見たことがないので、何とも判断に困りますね)

 

魔人族もまた奴隷であろうと亜人族を忌避する傾向が強いため、フェリシアも“奴隷”というモノを見たことがない。伝え聞く話とそこから受ける印象から、あまり気分のいいものではないと思う。しかし、又聞きの話と印象だけで判断するのもまた愚かしい。

なので奴隷制という制度の是非についてはいったん置き、もっと実際的なところに視点を移してみる。

 

(制度として成立しているということは、それが“必要”とされているということ。つまり、奴隷の存在によって支えられている産業ないし、社会構造があることを意味している。

 奴隷を解放するとすれば、最も手っ取り早くかつ確実なのは“制度そのものの撤廃”。とはいえ、いきなりなくなれば、現行の社会構造や産業は大きな打撃を受けることになる。当然、それに伴う混乱は直接関係のない人々にまで及ぶでしょう。なにより……)

 

上意下達で一方的に推し進めるのは、あまりよろしい流れとは言えない。好みの問題ではない、その後に大きな禍根を残す。まず、奴隷にかかわる仕事や奴隷を使役していた者たちから強い反発を受けることになるし、納得していない者たちが密かに動いたり、あるいは何かの拍子で制度が復活したりする可能性もある。

帝国に関して言えば、最終的には国家そのものを解体しても構わないと思っているので、強引に亜人族の奴隷を解放することにさほど問題はない。むしろ、旧支配者側に反感をぶつける形にしてしまった方が、新体制にとっては都合がいい。

問題なのはその後。現在奴隷に関わる者たちは、別に“悪”でも何でもない。彼らはただ、“奴隷”という商いをしていた商人や購買者に過ぎないのだ。奴隷制のない世界に、彼らが適応できるよう取り計らうことこそが、為政者側に求められる。そうでなければ、今度は彼らの生活が破綻してしまう。

制度をなくせば解決するというほど世界は単純ではないし、為政者にそんな短絡は許されない。

 

亜人族との関係を初期化するには、このあたりが極めて大きな課題として立ち塞がる。なにしろ、対亜人族だけでも、奴隷制はなくさなければならないのだから、この課題から目を背けることはできない。

 

「……弱りましたね。政治と軍事はまだしも、経済方面は正直苦手なのですが……」

 

経済の重要性は理解しているフェリシアだが、それはあくまでも“理解がある”のであって“明るい”ということではない。だから、“問題”は明らかにできてもそれに対する“効果的な施策”を講じることはできない。そもそも、全般的にあまり“数字”には強くないのだ。故郷で実験していた時は、知恵熱が出るくらい頑張って数字とにらめっこしていたのである。

というか、フェリシアにだって人並みに苦手なものはある。軍事にしたところで、兵站の重要性は理解しているものの自分で効率的な差配ができるかといえば自信はないし、前線指揮官としてはともかく軍全体の総司令官としては力不足を自覚している。少なくとも、戦術・用兵に関しては並より少し上くらいだろう。視野が広く先を見通せたところで、軍勢を動かす能力がなければ戦争に勝てるわけがない。

本来彼女は、“個人戦闘能力”と“課題を洗い出す”ことに長けているのであって、人を動かしたり使ったりすることはそれほどうまくない。その自覚があるが故に、彼女は仲間を募ったのだ。そしてこういう時ほど、国に残してきた同志の重要性が身に染みる。所詮、一人にできることなどたかが知れているのだと思い知る。

 

「とはいえ、人間族の習慣や文化に疎い魔人族では限界がありますし……やはり、人間族の人材も欲しいところですね」

 

まぁ、現状人間族側への伝手はないに等しいし、候補となる人材にも心当たりがないのだが。そう考えると、今後の前途多難さに気が滅入りそうになる。そんな自分を叱咤するフェリシアだが、周りから見れば独りでぶっつくさ喋っている姿は割と不審人物である。

フェリシアはその目立つ容姿から当然人目を惹くのだが、真剣な様子でブツブツ呟いている姿を見ると声をかけづらい。結果、若干の奇異の視線を向けられることになったわけだが、本人は全く気付いていなかった。

 

などと考えながらメインストリートを歩くうちにたどり着いたのは、王都でも一際立派な建物。王都の冒険者ギルドであり、全ての冒険者ギルドを束ねるギルド本部でもある。

庭こそないが、建物そのものはどこかの貴族の邸宅を思わせるほどに立派な造りで、相応の歴史と風格を感じさせる。見識のない者には“古い”“小汚い”としか映らないだろうが、実際には手入れが行き届き清潔感がある。ある程度見る目がある者なら、積み重ねた時間の重さに気付くことだろう。まぁ、冒険者に求められる能力にそう言ったものは含まれないので、気付く者は稀だろうが。

 

「フェアベルゲンの深緑の香りも良いものでしたが、古い木材ならではの味わいも捨てがたい」

 

ギルドに入ることで見えてきた内部も、外観に相応しい立派なものだ。ギルド全体を支える大きな柱に手を添え、その歴史に思いを馳せる。

元々文系気質というか、フェリシアの嗜好としては文化や歴史への興味が強い。集落もその性質上モノを長く大切に使う傾向にあったからか、古めかしいものを愛好する傾向がある。要は真新しいものより、古めかしいものの方が落ち着くのだ。

 

「……何してんだ、姉ちゃん?」

「あ、その…大変立派な柱だったのでつい」

「若ぇのに渋い趣味してんなぁ」

「……友人にも、よく言われました」

 

人好きのする笑顔を浮かべた壮年の男性に答えながら、今は亡き親友との思い出が脳裏をよぎる。彼女も、似たようなことを言ってよく呆れていた。趣味は合わないのに、なぜか馬が合ったのは今考えても不思議だ。

 

「冒険者って風でもないが、ギルドには依頼かなんかかい?」

「そんなところです。受付が複数あるようですが、どちらに行けばよいのでしょう?」

「いや、依頼は二階だ。一階は基本冒険者専用でね。依頼の受注や達成報告、報酬の支払い用だ。ほれ、両端に階段があるだろ。あそこを登っていきな」

「なるほど。ありがとうございます、助かりました」

「なぁに、何事も持ちつ持たれつってな。お、そうだ。まだ宿が決まってねぇんなら、うちなんかどうだい? アンタ美人さんだし、安くしとくぜ?」

「そうですね……」

「大通りに近いから治安は上々、飯も旨い! 全室鍵付き個室、女の一人旅にはもってこいだろ?」

「……わかりました。後ほど、伺わせていただきます」

 

しかし、利用するとはいっていない。あくまでも、“見る”だけだ。親切にしてもらったことは感謝するので優先はするが、それで決めるほど無防備ではない。

 

「ありゃ、しっかりしてんなぁ……ま、気に入ってくれること間違いなしだからよ。期待しててくれ」

「はい。その時には、知人にも紹介させていただきます」

「ははっ、そりゃ気合が入るってもんだ」

 

快活に笑って去っていく男を見送り、フェリシアは教わった通りギルド二階の受付に向けて階段を上っていく。

 

(外門を守る衛兵の質は悪くなかった。街行く人々には笑顔があり、見ず知らずの私にも親切にしてくださる。

 …………………なにが邪教の徒か。彼らのどこが劣等種だというのだろう。私たち(魔人族)と何も変わらない、どこにでもいる善良な人々ではありませんか)

 

直接顔を合わせ、言葉を交わしたからこそ確信する。結局彼らは、鏡に写った自分自身でしかないのだ。

国境とは少しだけ歪んだ鏡であり、あちらもこちらもそう違いはない。家族を愛し、友を慈しみ、隣人に手を差し伸べる、善良な人々。いったい魔人族と人間族、その間にどれほどの違いがあるのだろう。

外見、魔法への適性の高低……そんなものは些細なものだ。傷を負えば血を流し、失われた命は戻らない。親しい人が傷つけば嘆き、失えば怒り憎む。たった一つの命と、同じ心を持った者たち。ただ仰ぐ神が違うというだけで、どうして殺し合う必要があるのか。

 

(その神が殺せというから? ああ、なんてバカバカしい……!)

 

血を流すことが、命が失われることが許せないのではない。それらが避けられるのであればそれに越したことはないと思うが、避けられない衝突、必要な摩擦というのはあるだろう。

だとしても、これは違う。

争いや競争を否定したいのではない。それらは本来、何かを“得る”ための手段のはずだ。足りないものがあって、欲しいものが、必要なものがあるから争ってでも手に入れようとする。フェリシアはそれを否定しない。だってそれなら、流れた血にも、失われた命にも意味があるから。まだ自分を納得させられる。

 

なのに、この戦争にはそれがない。ただ、邪魔だから消そうとする。本当にただそれだけ。

ましてやそれが、神の遊戯でしかないとすれば、いったい何のために血が流れ、数多の命が失われるのか。あまりにも、あまりにも無意味ではないか。

 

(……そうだ。だからこそ、思うようにさせてはいけない)

 

今のところ、あちらに先手を打たれているのが実状だ。フェアベルゲンへの侵攻は幸運にも退けることができたが、最大規模の戦力が差し向けられるであろうハイリヒ王国への侵攻を許せば同じこと。

それは、何が何でも防がなければならない。そして、これはそのための最初の一手。

 

「ようこそ、冒険者ギルド本部へ。本日はどのようなご依頼でしょうか?」

「……“王国騎士団団長”メルド・ロギンスに手紙を届けていただきたいのです。それも、至急で」

「は、はぁ……ですが」

「こちら、金ランク冒険者の南雲ハジメさんからの紹介状となりますが、これでは不足でしょうか」

「き、金!? しょ、少々お待ちください! ギルドマスターに確認してまいります!」

「……素晴らしい効力ですね。ハジメ殿には感謝しないと」

 

生憎と、ガーランドには冒険者という職業そのものがなかったので最高ランクの“金”といわれてもピンとこなかったフェリシアだが、想像以上の効果に若干面食らう。

 

とはいえ、これは嬉しい誤算だ。

今回の事態に対応するにあたり、フェリシア一人ではあまりにも手が足りない。大迷宮を攻略した後、彼らとは合流する手筈になっているが、それまでにできる限りの備えはしておきたい。そもそも、彼らの攻略が間に合うかすら定かではないのだ。今できることを、一つたりとも疎かにはできない。

まぁ、立香たちと違ってハジメはハイリヒ王国や人間族には興味がなく、そもそもクラスメイトのことだってどうでもいいと思っている。ただ、香織が親友やクラスメイト達が傷つくことを悲しむだろうから、大切な人の精神衛生のために協力してくれるだけである。

まぁ、フェリシアにとってはどちらでもいいことだ。こうして、ハイリヒ王国では一切の後ろ盾を持たない上に、正体を隠さねばならない彼女のために“紹介状”という形で後ろ盾になってくれているのだ。いくら感謝しても足りないくらいである。これ一枚で、どれほど動き易くなることか計り知れない。

 

(まずはメルドに渡りをつけ、そのまま八重樫殿か畑山殿とも繋ぎを取る。事情を知るお二人の証言があれば、私の話にも信憑性を持たせられるはず)

 

念のためマシュや立香、香織からも連名で手紙を預かっている。フェリシアを信じられなくても、ある程度は何とかなるはずだ。

まぁ些か以上に希望的観測が強いのが不安材料だが、現状でこれ以上を望むことはできないだろう。そもそも、メルドが雫や愛子に話を通してくれるかさえ不明なのだ。だがそれでも、フェリシアは信じたかった。十年前、敵であるはずの自分を…いずれ脅威となるとわかっていたにもかかわらず見逃した彼を。

 

(師であれば、“不確かな未来を当てにするな”と叱責するでしょうね)

 

脳裏をよぎった師のしかめっ面に、思わず苦笑が漏れる。

不確定な物事を、限りなく確たるものに近づけるために根回しというモノがあるのだ。政治とは本来、“可能性”や“信じる”などという曖昧なものを当てにしていいものではないのだから。それでも、根回しをしている間に手遅れになってしまえば元も子もない。

物事には猶予期間というモノがある。念入りに調査・検証をした上で事に当たるに越したことはないが、そのために期限を過ぎてしまっては意味がないのだ。ならば、タイムリミットがわからない現状では、可能な限り迅速に事を進めていくより他にない。

 

「……お待たせした。ギルドマスターのバルス・ラプタです」

「お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございます。フェリシア・グレイロードと申します」

 

ステータスカードの提示を求められれば分かることなので、正直に本名を名乗る。

軍関係者ならともかく、一応は民間組織たる冒険者ギルドにまで名前が売れているということはないだろうという考えもあった。だが、流石にそれは少しばかり甘かったらしい。

 

「グレイ…ロード?」

 

聞き覚えがあるのか、探るような視線を向けられる。しかし、フェリシアとてガーランド軍において最年少で神衛騎士団の団長を務めた才媛だ。加えて、曲者揃いの軍上層部に身を置きながら、数年にわたり地下活動を続けてきた。腹の探り合いには慣れている、そう簡単にボロを出すような真似はしない。

第一、王国内でフェリシアの名を知る者はいても、顔まで知る者は一人しかいないのだ。白を切り通せばバレる可能性は極めて薄い。

 

「失礼ですが、どちらの出身で?」

「生まれはエリセンです。先日、ハジメさんが行方知れずであったミュウという海人族の娘を保護し、親元まで送り届けていただきました。あの子の母には、幼い頃から随分とお世話になっております」

「なるほど。姉のような存在、といったところでしょうか」

「……そうですね。お恥ずかしながら、私はズボラなところがありまして……彼女には度々注意されたものです。“せっかく素材は良いのだから、もう少し着飾りなさい”と。私は、いつも話半分に聞き流していましたが」

「それはそれは…では、さぞかしご心配なさったことでしょう」

「ええ。知らせを聞いた時は、我が身を切り裂かれるような思いでした」

 

本当に、心から苦しそうに語るフェリシアの様子を演技と見抜ける者はそうはいないだろう。何しろ、彼女が感じている心の痛みは本物だ。ただ、思い浮かべる相手が違うだけ。今は亡き親友を思い、その婚約者を手にかけた瞬間のことを回顧する。

演技をする時のコツは取り繕ったり嘘で塗り固めたりするのではなく、それに近い心情の時を思い返す方がずっと効果的だ。何しろそこに演技はない。ギルドマスターも、肩を震わせるフェリシアに痛ましそうな視線を向けている。まぁ、それが演技でないという保証も、これまたないのだが。

 

「なるほど……」

「これはフューレンのギルド支部からの指名依頼だったそうで、後日改めて報告されるそうです。今は手の離せない重要な御用があるとのことで」

「ふむ、左様ですか。では、報酬についてはその時に?」

「はい。よろしいかと思います」

「ですが、フェリシアさんはそのためにわざわざ当ギルドまで?」

「いえ、こんなことがあったばかりでしたので、王都に嫁に行った姉の安否が気になりまして。手紙で済ませればいいとわかってはいたのですが、居ても立ってもいられず……そこへハジメさんがものはついでだから、と」

「ああ、そこで今回の言伝を頼まれたわけですか」

「はい。王都近郊まで送っていただき、そこからは乗合馬車で」

「そうでしたか。魔人族との決戦が近いともっぱらの噂ですからな、人々の不安に付け込む者、混乱に乗じて悪事を働く者、そう言った不届き者が後を絶たず困ったものです。

どうです、エリセンは()()()()()と聞きますし、やはり大変なのでは?」

「? いえ、今のところ特に魔物が増えたとは聞いたことがありませんが……」

「おや、では私の勘違いだったかもしれませんな。いやはや、年を取るものではありません。どうにも、このところ記憶違いや物忘れが多くて…気持ちだけではやっていけませんなぁ」

「いえ、まだまだお若くていらっしゃいますよ」

「ははは、お美しいお嬢さんにそう言っていただけると、気持ちだけでなく身体まで若返りそうです。

 っと、すっかり話し込んでしまいましたな。詳しくお話を伺いたいので、こちらへどうぞ。君、応接室の準備を」

「は、はい!」

(どうやら、とりあえずは追求を躱せたようですね)

 

本来、エリセン周辺はさほど魔物が多いということはない。アレは“ひっかけ”だ。魔人族が魔物を多数使役していることから、怪しい反応がないか探ろうとしたのだろう。

幸い、上手く切り抜けられたようだが…油断は禁物。ブラフやかまかけ、その他諸々この後にもまだまだ何があるかわからない。少なくとも、フェリシアなら一度や二度躱した程度で手を止めたりはしない。

 

場所を変えたその後も一見にこやかな、その実えげつないどころではない探りを幾度となく入れられることに。

だがその尽くを、フェリシアは時に躱し、時に無知な娘を装い、場合によっては訂正を入れることで尻尾をつかませない。

彼女がギルド本部を出るころにはとっぷり日は暮れていたが、一応手紙はメルドの元まで届けられるだろう。

 

そうして、手紙の差出人とそれに付随するいくつかの名前を目にしたメルドが、フェリシアの泊まった宿に駆け込んできたのは、翌日早朝の事だった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

ハジメ一行と立香たちが大迷宮への入り口“大樹ウーア・アルト”へとやってきたのは、魔人族のハルツィナ樹海への侵攻を退けてから一週間後のことだった。

その間、フェアベルゲンの復興や負傷者への治療などを手伝ってはいたのだが、別段そのために時間を割いたわけではない。単純に、大樹周辺はとりわけ濃密な霧で覆われており、亜人族ですら感覚を狂わされて近づくことができないからだ。そしてそれは、ロビンフッドや百貌のハサンですら同じこと。

なので、霧が薄くなる“その時”が来るまでは足を止めねばならず、ならばもののついでということで復興や治療に手を貸したという次第である。

 

そうしてようやく最後の大迷宮へと踏み入った彼らを待ち受けていたのは……予想だにしないトラブルだった。

 

「ステイ! ここはステイだから!!」

「止まってください、ブリュンヒルデさん!!」

 

既に10mを超えるサイズへと巨大化した槍をぶん回す戦乙女の表情に、正気の色はない。

立香をはじめ総がかりで抑え込んでいるはずなのに、精々動きを少し阻害することしかできていないあたり、トップサーヴァントの出鱈目さが伺えるというもの。いや、例えトップサーヴァントといえど、今のハジメやシアが本気で羽交い絞めにすれば、早々動けるものではない。

にも拘らず、彼女が元気いっぱい暴れまわっているのはそれだけタガが外れているからに他ならない。

 

「ああ、シグルド、シグルド。私、分かります。分かってしまいます。たとえ姿形が変わっても、あなたなのでしょう。なら愛さなくっちゃ…殺さなくっちゃ!!」

「金時、いなして!」

「うぉらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

振り下ろされた巨大な槍を、稲光を纏った金色の鉞が打ち払う。

圧倒的な膂力を有するゴールデンの一撃なら、およそ大抵の攻撃は跳ね除けることができる。にも拘らず、辛うじて数十センチだけ軌道をずらすのが精々。

しかし、今はそれで十分。

 

「ナイス!」

「サンキュー、大将。でもよぉ、自信なくすぜぇ……」

「グギャギャ~……」

 

地味に凹んでいる金時だが、その後ろには一匹のゴブリンの姿。彼がいなしたことでギリギリ槍は狙いを外したが、それもあと数ミリ。もうすこし威力なりタイミングなりが足りなければ、真っ二つとはいかずとも手足の一本や二本宙を舞っていたことだろう。

 

「気持ちはわかるけど…今はそれどころじゃないから。次くるよ!」

「おうよ、任せろ大将!」

「シアも、金時手伝って!」

「は、はいですぅ!!」

「わりぃな、ラビット。3・2・1…ここだぁ!!」

「せりゃぁですぅ!」

 

そもそも、なぜ彼らが敵であるはずの大迷宮の魔物を助けているのか。それは……

 

「ったく、流石は最後の大迷宮ってか? のっけからやってくれるぜ!」

「……ん。ある意味一番面倒なのを選んでくるあたり流石解放者、やることがエグイ」

 

苛立たしげに吐き捨てるハジメに、ユエも心底同意とばかりにジト目に疲労の色が浮かべている。

まだ序盤も序盤だというのにこの疲労感……いや、全てとは言わないが半分くらいはメンバーの悪さが原因か。

 

発端は大迷宮へ入り口でのこと。再生魔法によって往年の姿を取り戻した大樹だったが、突如正面の幹が裂け数十人規模で入ることのできる巨大な洞が出来上がった。

入ってみれば転移の魔法が発動し、光が止むとそこは大迷宮の中…までは良かった。

問題は、転移する際に数名が別の場所に飛ばされ、その面々の代わりに変身能力を持った赤錆色のスライムが紛れ込んでいたこと。

 

姿形だけではなく、立ち居振る舞いすらも本物と遜色ない精度で模倣するそれは、観察力に優れた立香ですら一瞬気付けないほど。そのままであれば、それこそ隙をついて背後から襲われていたかもしれない。

とはいえ、その可能性が現実になることはなかった。ハジメとブリュンヒルデが、それぞれ香織とシグルドの両名が偽物と入れ替わっていることに気付いたからだ。二人は目の前の存在が己が“最愛”でないことに気付き、躊躇なく得物を振るった。

それに驚いたのは仲間たち。ほぼ毎日シグルドを殺しにかかるブリュンヒルデはまだしも、ハジメの突然の凶行に唖然とするのも無理はない。だが、そんな皆を困惑から立ち直らせたのが立香だった。

二人に僅かに遅れて真相に気付いた彼が発した一言が、皆を正気に戻した。それは……

 

「シグルドなら今のは凌いでる!」

 

それは、下手に“偽物”と訴えるよりも遥かに説得力のある言葉だった。

ほぼ毎日夫婦の営みという名の殺し合いを繰り広げながら、結局一度たりともシグルドが殺されたことはない。つまり、不意打ちに近いとはいえブリュンヒルデの一撃が容易く直撃したこと自体が、何よりの証明となる。

そして、ハジメの凶行もまた同じ理由からであることを皆が察するのは同時だった。

 

そのまま立香は残る偽物を見つけ出すべく仲間たちを見回す。小さな違和感だけであれば流してしまうかもしれないが、偽物がいるとわかっていればそれを見逃すはずがない。

変身能力を持ったサーヴァントの違和感すら気付く立香に、それができない道理などない。

 

入れ替わっていたのは香織・シグルド・ティオ、そして青髭の四名。

残る二人の偽物を排除し、本物を探すべく周囲の探索を開始したのだが……再会は思わぬ形だった。

なんと、姿を消していた香織がゴブリンになっていたのだ。それを一目で見抜いたハジメは流石というかなんというかだが……何も魔物になっていたのは香織だけではない。

 

先のやり取りからもわかる通り、シグルドもまたゴブリンになっていた。で、ハジメ同様一目でその正体に気付いたブリュンヒルデだったが、喜びのあまり……こうしてロマンシア()しているわけだ。

 

その後、これまたゴブリン化したティオが他のゴブリンに暴行されては“ビクンッビクンッ”と身も悶えている場面に遭遇してしまったのだが……

 

「……幸せそうじゃねぇか。よし、スルーしよう」

「フォウフォウ、フォウゥゥゥ」

「……ん。アレはティオによく似たゴブリン。世界は広い、そんなのもいる」

「いえいえ、いくら世界が広くてもあんなのがティオさん以外にもいたら大惨事ですよ?」

『ハジメ君、現実を受け入れよう』

 

念話石で頭に直接話しかけてくる香織の声には、深い諦観の色が宿っていた。

対して、なんか妙に優し~い感じでハジメの肩に立香が手を置く。

 

「ほら、馬鹿なこと言ってないでさっさと回収しよう」

「……………………………………おい、なんだそのツラは」

 

言っていることはまともなのだが、顔がセリフと全然合っていない。言葉にこそしていないが「仲間♪ 仲間♪」といわんばかりに“キラッキラ!”している。

なんだかムショーにイラッと来て殴ろうとすれば、マシュの盾がそれを阻む。

 

「先輩、あまりハジメさんを煽らないでください」

「いやぁ、なんか最近楽しくなってきちゃってさ」

「……お前、あれ見て何も思わねぇのかよ」

「何かって?」

「ただでさえブッサイクなゴブリン面だってのに……見ろ、あの恍惚とした顔! 放送禁止どころか、即BANされるべき冒涜的な生き物じゃねぇか!」

「だから?」

「キモイから連れて行きたくねぇ…ってかお前はアレを見てホントに何も思わねぇのか!?」

「ん~…男女問わず自分の性癖押し付けて来る海賊とか、手当たり次第に昔の妻の名前で呼んで来る王様とか、放送禁止用語は一切使ってないのに雰囲気だけで18禁な尼僧とか、自分の趣味でわざわざショタにしてくる神様とか、他にも……」

「もういい、頭がおかしくなる」

 

カルデアにはティオとは別ベクトルの、でも割といい勝負な変態がいくらでもいるということ。

そんな連中のマスターをやっている身としては、「一人くらいなら余裕余裕」という心境らしい。

 

「ならお前が引き取れよ」

『すまんのぉ立香よ。妾はやはり、ご主人様が一番なのじゃ。お主には悪いが、どうか諦めてたも』

「うん、それなら仕方がないね。気にしないで、ハジメと仲良くね」

『ふふっ、フェリシアが惚れ込んだ器の大きさ、まっこと見事。しかしなんじゃ、普通に祝福されるのはこそばゆいものじゃのぅ』

(どういう神経してんだコイツ……)

 

あのド変態にさも振られたみたいにあしらわれながらも、笑ってスルーする立香に戦慄を禁じ得ない。

ティオはティオで、内容はともかく表面的には照れ笑いする姿が大変魅力的だ。ゴブリンなのに一瞬そう思ってしまい位、“恥じ入る乙女”になっている。ちょっと普段見ない姿に“ドキッ”としそうになるが、すぐにそんなものは所詮一瞬の気の迷い、度し難い変態であると思いなおす。なぜなら……

 

『さあ、友の祝福を受けた妾を思う存分愛してたも、ご主人様~~~~~~~!!』

「果てろ、このド変態が!!」

「ああ、ティオさんが!?」

「フォウ!」

 

“グキッ”となってはいけない音をさせ、曲がってはいけない方向に首を折りながら着地するティオ。

 

「おぉ~おぉ~、綺麗な放物線を描いちまってまぁ……姐さん方、採点は?」

「良い錐揉み回転だ、9点!」「飛び散る唾液と血が光を受けて輝いていますね、10点」「絶妙に気持ち悪い表情…-8点で」「着地のコミカルさに拘りを感じますな、9点」「バク宙4回転半に、パートナーとの絆を感じた…8点!」

「合計28点っと。マシュ嬢ちゃんはどう思う?」

「す、素晴らしい演技でした、ハジメさん」

「マスターは?」

「次の演技への期待が高まりますね」

「えっらそうに論評してんじゃねぇ!!!」

 

“二度とやるか!!”とブチ切れるハジメであった。

ちなみにその後ろ……ピクピクと痙攣するティオの横には何やら熱心に訴えかける新手のゴブリン。

 

「グギギギ……ゴギャ――――――ッタ!」

 

訳するなら「おお…実にCoooooolではありませんか!」といったところだろうか。なにやら、ティオの表情や着地姿勢に、“美”を見出したらしい。まぁ、背徳的なものを好む御仁なので、趣味と合致しても不思議ではない……それ位、今のティオの顔は「見せられないよ!」なことになっているのだから。

 

「フォウ……フォ?」

「むむっ! フォウさん、ハジメさんにモフられるのは私の特権! それを奪おうというのなら…あなたも敵ですぅ!」

「なに小動物と張り合ってんだよ……」

「……ん。負けられない戦いが、そこにはある」

『ユエはユエでなんでドヤ顔?』

 

“大丈夫……モフる?”とばかりにハジメの肩に乗って尻尾をフ~リフリするフォウ君。そして、それに目くじらを立てるシアと、訳知り顔で“うんうん”と頷くユエに呆れ顔の香織。

こっちはこっちで、実にフリーダムなことである。




進まない!? 進まないけど…大迷宮組の方もちょこちょこ入れたいので、それはそれで都合がいいので……ま、いっか!
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