ありふれた職業と人理の盾   作:やみなべ

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復刻イベントで「ロゴスリアクト・ジェネリック」の話が出たので、ふと思いついた話。
「フェリシアがさっさと国を出て諸国放浪の旅に出た場合」という可能性を、ハジメがカルデアからガメ…もとい無期借用してきたロゴスリアクト・ジェネリックで検証していく話を、もしかしたらそのうちやるかも。
まぁ、特異点はできないですけどね。でも、当初は面白おかしく…次第に陰鬱に、設定をちょいちょい弄っては「あれ~?」になっていく様とかちょっとやってみたい。


038

時計の針を少し巻き戻し、ちょうどフェリシアたちがフェアベルゲンに到着した頃の事。

ハイリヒ王国の王城に、久方ぶりの吉報が舞い込んでいた。

 

「え、愛ちゃんたちが!」

「はい。つい先ほどお戻りになられたそうで、今は陛下との謁見中ですが…雫様っ!?」

 

専属メイドのニアからの知らせを最後まで聞く前に、突然走り出す雫。

驚かれただろうし、雫の姿を見たものは不審がるかもしれないが、そんなことを気にしてはいられない。今はとにかく、愛子と話をしなければならない。

 

(リリィの話だと、南雲君に異端者認定を降すなんて馬鹿げた話題が出たらしいけど、愛ちゃんがそんなことを許すはずがない)

 

“先生”として、また召喚された者たちの中で“唯一の大人”として、畑山愛子は生徒たちを守ることが自らの責任であり役割であると、強く自覚している。だからこそ、彼女が“守るべき生徒”の一人であるハジメに異端者認定の話が出たことを、看過するはずがない。

“勇者”である光輝ならともかく、雫達“その他大勢”の言葉では異を唱えたところでさしたる影響は与えられないだろう。だが、“作農師”という極めてレアな天職を有し、人間族の食糧事情を一変させ得る力を持つ愛子の影響力は光輝と同等かそれ以上だ。むしろ、着々と実績を上げ、“豊穣の女神”…最近では“繁栄の女神”として信仰の対象にすらなりつつある彼女の存在は、国王にすら比肩しうる。

特に、愛子は“ウル”の街防衛戦の当事者の一人だ。そんな彼女が擁護すれば、流石に表立ってハジメを非難することはできないだろう。

 

そう確信するだけの信頼を、雫は愛子に寄せている。大人だから、先生だからという肩書の話ではなく、彼女だけは戦争に駆り出されようとしている自分たちを守るべく、召喚当初から一貫して反対の姿勢を貫いてきた。おそらくはハジメやマシュと並んで、冷静に自分たちの置かれた“現実”を理解していた人物の一人だろうから。

とはいえ、それでもやはり直接彼女の口から結果を聞きたい。“もう心配いりませんよ”と、その愛らしい笑顔で安心させてほしい。

 

それに、急いで愛子と確認しなければならないことがある。

 

(香織たちから聞いた話だと、愛ちゃんは立香さんのことも“世界の真相”のことも知っている。なら、今後のことについてもちゃんと相談しないと……)

 

ハジメたちに神の目が向かないように勇者パーティとして華々しい実績を上げるよう努めてきたのも、“真相”を知っていることを悟られないよう行動してきたのも、今できる最善の選択だったと思う。それでもやはり、雫もまだ17歳の未成年だ。大人の視点から、自分の判断が正しかったと保証してほしいと思うのも無理からぬことだろう。

地球…あるいは日本に比べて生きるに厳しい世界だからこそ、この世界の成人年齢は15歳前後低いし、その分精神的な成熟具合もトータスの人々の方が進んでいるように思う。言い換えれば、子どもであることを許されない、ということでもあるのだが。

 

それはともかく、一度はハジメに対し異端者認定の話が出た以上、これまで通りの方針を継続することが正しいとは思えない。ハジメの存在は、最早誰の目にも無視できないものになっているだろう。

 

(というか、元の世界に帰ることを最優先にするなら、もうちょっと自重してくれないかしら……)

 

おかげで、愛子が帰ってくるまで雫は一人で色々と抱え込み、気を揉むことになってしまったのだ。マシュたちの方は全くと言っていいほど話題に上っていないのだから、少しは見習えと苦言を呈したい。

まぁ、行動範囲がほぼ人間族の領域に留まるハジメたちと、魔人族の領域に踏み込んだマシュたちを、単純に比較できるものではないとわかってはいるが……。ちなみに、人間族の間では知る者などほとんどいない立香たち一行だが、魔人族からは“怨敵”扱いされるくらい目立っていることを、当然ながら雫は知らない。

なので、実は立香たちもあんまり自重しているとは言えなかったり……。

 

「これは…雫様!」

「お急ぎのようですが、何用でございましょう」

 

敏捷性に優れたステータスを活かし、あっという間にたどり着いた謁見の間へと続く豪奢な扉は案の定固く閉ざされていた。警備の騎士が驚いたように問い質してくるが、少しでも不審がられないようにとあらかじめ用意していた答えを返す。

 

「愛…先生が帰ってきたと聞いていても立ってもいられなくて。まだ、陛下との謁見中ですか? 他にはどなたが?」

「はい」

「現在、陛下と姫殿下、ロギンス騎士団長、それに枢機卿がご同席されております」

「そうですか……」

 

教皇イシュタルは基本的に本山を動かないので、いくら愛子の帰還とはいえこの短時間で王宮まで足を運ぶことはできなかったのだろう。あるいは、元から報告程度なら王城に詰めている枢機卿任せでいいと思っているのかもしれない。

とはいえ、一番厄介な人物が席を外しているのはありがたい。加えて、国王はまだしもリリアーナとメルドはハジメに対して妙な偏見もおかしな敵意も抱いていない。むしろ、メルドはハジメを買っていた節があるし、リリアーナも自分たちの世界の問題に巻き込んだことへの負い目を感じている。あの二人なら、愛子を援護する形でハジメを擁護してくれるはずだ。

 

(この場で誤解を解消…とはいかなくても、王国上層部の流れは変えられるはず。それなら、南雲君のことについては一安心かしら)

 

いくら聖教教会が人間族の領域の事実上の支配組織であり、国王ですら首を垂れなければならない教皇がハジメを快く思っていないとしても、一つの国の意向を無視することはできないはずだ。

疑惑や警戒を解くのは無理でも、再調査・再検討となれば時間稼ぎにはなる。その間にハジメたちが何らかの成果を上げてくれれば、それこそエヒト神を当てにする必要すらなくなる。雫達が人間族と魔人族の戦争に向けて自己の強化を図っているのは、言ってしまえば徹頭徹尾自分たちのためだ。

 

・エヒト神は人間族の滅びを防ぐため、この戦争に勝たせるために自分たちを召喚した。

・だから、その目的を果たせば元の世界に返してくれるはず。

・そのために、戦争に参加して勝利する。

 

だがその前提も、エヒト神を頼ることなく帰還する方法があるなら根本から覆る。

世話になった王城やホルアドの人々、友誼を結んだリリアーナのことが気がかりではあるが、今でも可能ならば戦争など願い下げだ。

 

(そう。最近はようやく戻さなくなったけど、今思い出しても“あの時”のことは……)

 

命を刈り取る感触には、何度思い返しても吐き気がこみあげてくる。ましてやそれが、自分たちと同じ知性と感情を備えた“人”であったとなればなおさらだ。

何度夢に見ては魘され、跳ね起きたことだろう。日中であろうとも何かの拍子でフラッシュバックし、自らの行いへの恐怖から震えが止まらなかった。折り合いをつけ、何度も割り切ろうとしてきた。仕方のないことだったのだと、ああするしかなかったのだと……でも、できなかった。

 

仕方がないことで、ああするしかなかったのだとしても、もう二度とあんなことは御免だと思う。いつか“その時”が来れば躊躇うことなく、足踏みすることなく斬らねばならないとわかっているのに……。

幼い頃から剣術を学び、手にしたものが人を傷つける道具であり、学ぶものが人をより効率よく殺傷するための技術だと教わってきた雫でさえこうなのだ。他の者たちであれば、いったいどれだけの傷となって仲間たちの心を苛むことだろう。

だからこそ、自分と同じ思いをして欲しくないと思う。あるいは、自分にできるだろうか。あの時のハジメのように、不器用ながらも誰かの傷ついた心を守ることが。

 

(……本当に、彼には守られてばっかりね)

 

人伝に託してくれた愛刀がなければ、今頃生きてはいなかっただろう。稚拙と分かった上でついてくれた嘘がなければ、自分は果たしてもう一度立ち上がることができただろうか。

いや、それ以前に……オルクス大迷宮でベヒモスと対峙したあの時、彼の勇気ある行動がなければ……。

 

(エヒト神の正体がどんなものであれ、とりあえず見る目がないのは間違いないわね。“勇者”って、本来は“()気ある()”の事でしょうに)

 

脳裏をよぎるのは、メルドの指示を無視して目の前の敵に固執する光輝に向けて叱責した時のハジメの姿。

人との衝突を避け、大抵の場合は自分が譲ればいいと笑って誤魔化していた彼が初めて見せた“本気の顔”。親友(香織)が彼のどんなところに惹かれたのか、あの時本当の意味で理解できた。龍太郎などはハジメを“不真面目な軟弱者”と見ていたようだが、それはとんだ見当違いだ。彼はただ、“本気になるべき時”というのを知っていただけなのだろう。拘らなければならない事柄、譲れない時、そういう時にこそ本気になればいい。譲っても構わないことだから譲っていただけ、一見するとそう見えただけで本当のハジメは“不真面目”や“軟弱”からは程遠い“強靭(つよ)い人”だった。

同時に、再会した時の“敵には容赦しない”という“決然とした意志”を宿した背中。彼が人を殺すことに対し躊躇せず、殺してもなお揺るがないのは後天的な変化ではない。元から持っていた、強さが表に出てきただけなのだろう。だから不思議と、雫はハジメの外見はともかく内面に対してあまり“変わった”という印象を抱かない。

拘っているのは“故郷への帰還”、譲れないのは“大切なものを守る”という一点。そのためであれば、彼には万難を排する覚悟がある。だからこそ、今の雫のような無様をさらさない。

 

(そう、彼は今も昔も…最初から一貫して“強靭(つよ)い人”だった。絶望的な状況を前に、狼を羊に見せていた“余計なもの”が削ぎ落されただけでしかない。南雲君や香織にとっては、その方が良かったのかもしれないけど……)

 

そう思うと、なんだか無性に悲しくなる。

 

(私に持てるかしら? 彼のような覚悟が)

 

何度も自問したことだが、やはり分からない。分からないが、それでも守られてばかりではいけないと思う。

 

(そうよ。守られるお姫様なんて私の柄じゃ…………な、なんで顔が熱くなるのかしら?)

 

脈絡もなく厚くなってきた顔を冷ますべく、手を団扇代わりにして扇ぐ。並行して、精神統一することで雑念を祓い、頭を冷やそうとするも…一向にうまくいかない。

 

(まさか私…いやいやいや! そんなことあるわけないじゃない。こんなのは気のせい、一時の気の迷いよ! ちょっと助けてもらったからってコロッといっちゃうほど、安い女じゃない筈。そうよ、しっかりしなさい八重樫雫!)

「えっと……大丈夫ですか、八重樫さん」

「はい! 大丈夫で……ひょわっ!?」

 

声のした方を向いてみれば、そこには自分より幾分下にある愛子の顔があった。

 

「あ、愛ちゃん……」

「顔が赤いですけど、風邪なら休んだ方が……」

「いえ、赤くなんてありません」

「え、でも……」

「気のせいです」

「無理はしない方が……」

「気の! せい! です!!」

「は、はひ……」

 

誤解してはいけないので丁寧に説明すれば、ちゃんとわかってくれたようで安心する。そう、誤解はいけない。

 

「そういえば、陛下とのお話は終わったんですか?」

「あ、はい。まぁ、一応は……」

(ど、どれだけボーッとしてたのかしら……)

 

確認するのが怖いので、たぶん思いのほか早く謁見が済んだのだろうと思うことにする。愛子は長旅を終えたばかりだし、疲労や体調のことを慮ったのだろう、そうに違いない。

だがそこで気付く。愛子の表情が、どうにも浮かないことに。

 

「先生?」

「……八重樫さん、今からお話良いですか?」

「はい。私も、先生と話したいことがあったので」

 

そうして、二人は真剣な面持ちで宛がわれた愛子の自室へと向かう。そんな二人を見送る、夕日に反射してキラキラと輝く修道女の存在に気付くことなく。

 

「…………………………………優秀な駒なのですが、主の邪魔となるなら一時退場していただかねばなりません。この際です、主を差し置いて“神”を名乗る不敬を正すのも良いでしょう」

 

無表情というより能面のような顔で、それに相応しい冷たく無機質な声を紡ぐ。そこにいたのは、あまりにも非人間的な女だった。人間ではない要素など一切ないにも拘らず、あまりにも人間味がない。

大きく切れ長の碧眼、少女にも大人の女にも見える不思議で神秘的な顔立ち、それは名工が彫り上げた美術品のようで、だからこそ生気に欠ける。また、白磁のように滑らかで白い肌も、スラリと伸びた手足も、170センチ前後の身長に対し黄金比というべきバランスの肢体も、完璧であるが故に作り物めいていた。

 

その晩、愛子との再会を楽しみにしていた生徒たちの下に、思いもよらぬ一報がもたらされた。

 

「南雲ハジメの異端者認定について協議すべく、畑山愛子殿は神山に入られた。また、参考人を兼ねて八重樫雫殿も同伴されているので、心配には及ばない。だが、手続きや審議に時間を要することが予想されるので、数日お待ちいただきたい」

 

とのことだった。当然、雫と親しい勇者パーティや愛子の旅に同行しハジメたちの現在を知る園部優花たちは本山入りを主張。

しかし、異端者認定の対象となる人物と親交のある者を必要以上に入山させるのは好ましくない。加えて、オルクス大迷宮から()()()()後、二度あったハジメとの接触に両名がそれぞれその場に居合わせたことから、参考人は十分と判断する。

以上の理由を以て、彼らの主張は棄却されることになる。

 

もちろん、それに納得できず連日にわたって度々同様に主張が繰り返され、王宮はちょっとした騒ぎになるのだが……それに乗じるように、一人の人物が王宮から姿を消すのであった。

 

「……知らせないと、誰かに」

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

メルドがその手紙を受け取ったのは、王宮内でジワジワと広がる不可解な現象を内々に調査していた副団長との密会を終えた真夜中の事。

 

自室に戻り、ようやく張りつめていたものを緩めたところで少々乱雑に戸を叩かれ、眉をひそめた彼を非難することはできまい。騎士剣を手に警戒心を押し込めて表面上は平静を装って戸を開ければ、そこにいたのは恐縮のあまりガチガチに緊張したメイドの少女だった。

メルドはそれを責めようとは思わなかったし、むしろ小動物のように震える少女に申し訳ない気持ちになった。なんといっても、時間・身分・面相の三拍子が揃っているのだ。色々な意味で極度の緊張と恐怖を強いられたはず。年若い少女からすれば、それこそ悪夢のようなお役目だったことだろう。偶々そんな役回りが巡ってきてしまった少女の不運に、思わず同情してしまったほどだ。

 

なにしろ、まず訪ねるにはあまりにも非常識な時間だ。その上、いくら王宮とはいえ年頃の娘が真夜中に薄暗い建物内を歩くのはそれだけで怖かったはず。

加えて、自身の身分から考えればメルドは雲上人にも等しい相手だ。騎士団団長ともなれば国内でも上から数えた方がはるかに早い高官。偶に見かけることはあれども、面と向かって話をする機会などないに等しい。それは、豪放磊落を地でいく気さくなメルドであっても例外ではない。本来なら、騎士団員を通して渡るはずのところであり、今回が例外中の例外だったのだ。

そして、最後の不運はメルドが一回り以上年の離れた強面の男性であったこと。逆光になっていて表情は良く見えなくても、その鋭い目と厳つい顔を隠すには到底足りない。戸が開いて見下ろされた瞬間にかすかに悲鳴が漏れていたことを、メルドは丁重に聞かなかったことにした。

 

そうして、哀れなメイドの少女をこれ以上怖がらせないよう精一杯穏やかな声と表情で手紙を受け取り、涙目にさせながらもなんとか泣かせることなく戸を閉めてようやく一息つく。

王宮内の不穏な状況を考えれば送ってやるべきかとも思ったが……

 

(まぁ、そこは大丈夫だろう。異変が起きているのは下級の兵士や騎士が中心、最近では有力貴族や騎士団の分隊長達にも影響が出始めているとはいえ、それ以外の者たちにまで…とは聞かんしな)

 

それでも、様子のおかしい者たちによって…ということも考えられなくはないが、今のところはそういう話もない。なにしろ異変といっても、一言で言えばそれは“無気力症候群”とでも呼ぶべきもの。帰り道の途中で何か起こる可能性は低い。むしろ、同行する方が緊張と恐怖を長引かせてしまう。そう考えてのことだった。

 

(とはいえ、これが由々しき事態であることに変わりないのも事実なんだが)

 

王宮内で生じた異変をメルドは“虚ろ”と仮称した。その“虚ろ”になった者たちは、一応仕事はきちんと果たすし、受け答えも問題はない。ただ以前と比べて明らかに覇気が欠け、表情の変化も乏しく、部屋に引き籠りがちで周囲との付き合いが最低限になっている。それだけといってしまえばそれだけだが、それが徐々に王宮全体に広がってきているのだ。

この異変を、メルドは“単に気が抜けただけ”と流したりはしなかった。勇者一行が敗北半歩手前まで追い込まれ、数の利という人間族の生命線が覆されつつある状況にあるのだ。ウルの街での出来事をはじめ、国内で魔人族の動きが活発になっているとの報もある。とてもではないが、気を抜けるなどあり得ない。にもかかわらずそれが起きている。楽観など、できるはずもなかった。

加えて、その懸念を国王や宰相に訴え調査を具申してみても、彼らは取り合ってくれなかった。“余計なことにかまけていないで、軍備増強に専念しろ”の一点張り。だからこそ、内々に調査を進めているわけだが。具体的な証拠をそろえることができれば、きっと……そう信じて。

 

だが、それとは別に気になることがある。

 

「……王宮内で“虚ろ”が広がっているのに対し、陛下たちの覇気はむしろ増している。決戦の日が近いことを考えれば、不自然ということでもないが……」

 

“主の御名の下、魔人族の蛮行を許しはしない”それがエリヒド国王の言葉だった。主君の勇壮な姿に、その時はメルドも奮い立ったものだったが……今はむしろ不安の方が強い。魔人族と決戦に向けて意気込むのはわかる。心に僅かな“しこり”はあるが、それでも戦わなければ祖国を、無辜の民を、仲間たちを、そして…巻き込まれてしまっただけの子どもたちを守れないのなら、否やはない。

ただ、どうしても引っかかってしまうのだ。今のハイリヒ王国…否、人間族に魔人族以外に力を割く余裕はない。にも拘らず、なぜ……

 

(なぜ、坊主への異端者認定の声が日増しに強くなる)

 

それが、どうしても納得できないのだ。

生死不明だったハジメや失踪し行方知れずだった香織の無事が確認できたのは喜ばしいことだ。姿を見せなかったマシュも、別行動を取ってはいるが壮健らしい。ただ、ハジメたちは仲間であるはずの勇者たちと合流することなく、独自の行動をとっている。それは同時に、ハイリヒ王国や聖教教会とも距離を置くということ。ウルの街やオルクス大迷宮で数多の魔物を蹴散らしたその力は、かつて“無能”と呼ばれたのが嘘のようで、密かに“あるいは勇者をも上回るのでは”などと噂されるほど。

そんな戦力が、王国どころか教会にも従わないというのは、確かに看過できないことだろう。しかし、彼らは今のところ“人間族”に対し敵対的な行動をとったことはない。それどころかウルの街を救い、勇者の危機を救ったくらいだ。協力してくれればこの上なく頼もしい存在だが、少なくとも“敵”ではない。ハジメ自身、非協力的な姿勢は見せていても、“邪魔をしなければ敵対しない”との意向を示している。そして、その姿勢には一貫性がある。

味方につけるべく行動するならまだしも、なぜわざわざ敵に回すような真似をするのか。それが、メルドには理解できなかった。

 

だから、帰還した愛子と共にハジメへの異端者認定取り下げに向けて行動した。本音を言えば“かつての非礼を詫びて協力を仰ぐべき”と主張したいところだったが、それはむしろハジメに煩わしく思われると理解していたので口にはしなかった。

だが本来はハジメへの配慮で噤んだ言葉を、メルドは別の意味合いで口にしなくて正解だったと考える。

 

(それを口にしていれば“更迭”とまではいかずとも、だいぶ動き難くなっていただろうな)

 

そう確信するほど、謁見の間で国王と宰相、そして枢機卿がメルドと愛子に向けた視線は嫌悪感と不快感で満ちていた。“何故神に従わない者を、与えられた使命に反する者を擁護する”と、まるで怨敵を見るような目で。

 

「……いかんな、一人で考えていると悪い方にばかり考える」

 

一度気持ちをリセットさせるべく、深く息を吐きながら頭を振る。気分転換…にはならないかもしれないが、いったん別の事柄に思考を向けることで、切り替えを図るのが良いだろう。そう思って、受け取ったばかりの手紙に視線を落とす。

 

「しかし、ギルドマスターを通した緊急の手紙とは、また穏やかじゃないな」

 

民間組織とはいえ、冒険者ギルドは各国に大きな影響力を有している。その長だからこそこんな真夜中に、しかも騎士団長であるメルドへの手紙をほぼ直通で通すことができたのだ。他の方法の場合、不審物や危険物が仕込まれていないかの確認で数日を要したかもしれない。

言い換えれば、ギルドマスターを動かせるだけの人物が、その強権を必要とするほどの手紙ということでもある。正直、これまたあまり楽しい話題ではなさそうだ。と考えながら、とりあえずは差出人を確認して……ガックリと項垂れた。

 

「坊主、よりにもよってこのタイミングか……」

 

絶賛“異端者認定”に向けてまっしぐらな、悪い意味で時の人からの手紙だった。ハジメから手紙をもらったというだけでも、メルドの立場は随分と悪くなること請け合いである。

とはいえ、受け取ってしまった以上は後の祭り。そもそも、送られたことを知られた時点でアウトなので、この件に対してメルドにできることはないに等しい。なので、早々にそのことは頭から追い出す。見方を変えれば、あのハジメがメルドを頼ったということだ。オルクス大迷宮では“守ってやる”などと大口を叩いておきながら何もしてやれなかった負い目もあるし、正直に言えばメルドはハジメには密かに期待をかけていた。だから、頼られて悪い気はしない。

なので、“今度こそは……”と覚悟を決めて封を解く。そこに書かれていたのは……

 

「………………………………………………………あいつら、胃から俺を殺す気なんじゃないだろうな!」

 

つい先刻までの覚悟を返上したくなるような、そんな人物の名が書かれていた。

 

 

 

翌日早朝。

偶々冒険者ギルドで出会った宿屋の主が自慢した通り、フェリシアが泊まった宿は中々悪くなかった。大通りに近い分、夜中であっても喧騒が止むことはなかったが、それを差し引いても清潔感があり接客も丁寧。もし次があるのなら、あるいは機会があれば贔屓にして良いだろう。

余談だが、ギルドには怪しまれないよう「もう遅いので今日は宿をとることにします」と言ってある。

 

そんな宿の一室で、日の出と共に目を覚ましたフェリシアは早々に身支度を整える。

あの手紙を見たメルドがどう反応するかは、正直予想が難しい。だから、どのような対応をされても問題ないよう窓を開け、いつでも逃げ出せるようにしておく。窓を割るなり壁を壊すなりすることもできるが、世話になった身での不義理はできれば避けたい。まぁ、ことと次第によっては王都の民に迷惑をかけることになるので、気休め程度だが。

 

(さて、メルドはどう動くでしょう……)

 

普通に考えれば宿周辺を包囲し、精鋭を伴ってフェリシアを捕縛、不可能なら始末するのが妥当だろう。可能ならば情報を絞り出すべく生け捕りが望ましいが、欲をかいて被害を出しては元も子もない。少なくとも、フェリシアならそう考える。

些か強行的にも思えるが、最後にフェリシアとメルドが戦った時点で彼女の実力は彼を大きく上回っていた。個人的に確かめたいことがあったから意図的にハンデを抱える形で戦ったが、それがなければまず勝敗は揺るがない。加えて、あの時点で既にメルドは騎士として完成の域にあり、年齢を鑑みてもあそこからの急激な進歩が望めないことは本人が一番わかっていることだろう。対してフェリシアはまだ22歳、成長の余地は大いに残されていると考えるはずだ。彼女の情報を詳しく得ることはできていないだろうが、それでも最早単独での勝利は望めないとわかっているだろう。

だからこそ、可能な限りの戦力をぶつけようと考えるのは正しい判断だ。強いて言えば、人違いでないことを確認する手間をかけるか否かといったところか。

 

直接相対する戦力と宿を包囲する兵の質にもよるが、決裂した場合には逃げの一手で戦闘は極力避けるつもりでいる。それでも、多少被害が出ることは避けられないだろうが……。

 

(願望と予想を混同してはいけない。希望的観測で物事を図るのは愚者の所業。そう、分かっているのですが……)

 

信じたい、そう思ってしまう。彼は目を逸らし続けてきた違和感と向き合うきっかけであり、愚かと一蹴されてもおかしくない問いに真剣に向き合ってくれた男だ。フェリシアにとって、メルド・ロギンスは無視しえない存在だった。

特に、マシュやハジメから聞いた現在の彼の為人(ひととなり)を知れば、どうしても期待してしまう。

 

(弱くなりましたね、私は……)

 

国にいた頃の彼女なら、そんな淡い期待など早々に切って捨てていただろう。

今それができないのは、立香たちとの旅があまりにも楽しかったからだ。

 

彼らにはたくさんの希望をもらった。

多くの夢を見せてもらった。

理想を現実にする、手応えを感じることができた。

 

良いことが続くと、それが未来に向けても続いていくと思ってしまう。運命はいつどこで変転するかわからない。だから、常にそれに備えなければならないと教わったはずなのに。分かっていても、今ある奇跡が続いていくことを前提に考えてしまう。

 

(本当に、私は不出来な弟子ですね……)

 

恩師のしかめっ面を思い出し、思わず自嘲してしまう。最近は、ふとした拍子に懐かしい人の顔が脳裏をよぎる。

決定的な決別からさほど時間は経っていない筈なのに、随分と遠くまで来たと思う。故郷での日々が、遠い過去のようだ。

ミハイルを、親友の婚約者を手にかけたあの日からだろうか……昔のことを、よく思い出すようになったのは。しかし、それが悪いことだとは思わない。フリードの下で学んだことが、今の自分を形作っている。彼が惜しみなく多くを与えてくれたからこそ、こうして進んでこられたのだ。

今思い返していたことも、自分には必要なこと。だから、これでいいのだと思う。ほんの少しの胸の痛みと共に、進んでいけばいいのだ。

 

そしてそんなフェリシアの淡い感傷は、力強いノックの音によってかき消された。

 

―――ドンドンドン!

 

「どうぞ、空いていますよ」

 

誰かを確認する必要はない。たった二度の邂逅だが、それでもこの気配を忘れはしない。

同時に、自分の運はまだ尽きていないことを確信する。

 

「……お前、なんだその姿は……」

「おや、女の部屋を不躾に訪ねてきたかと思えば、開口一番それですか? 王国騎士団団長殿は、いつから無頼の輩になったのでしょう。もしや、知らぬ間にクビにでもなりましたか? 騎士団長ではないあなたに用はないのですが」

「……そういうお前は、しばらく見ない間に随分と口が回るようになったじゃねぇか」

「知らぬ仲ではないのです、お前はないでしょう“お前”は。まったく、久方ぶりの再会だというのに…まず初めに言うことがあるのではありませんか?」

(やり辛ぇ……)

 

元来武人肌というか、弁を用いての駆け引きというのは得意ではないのだ。

女の方が弁が立つ…と言い訳してみるが、フェリシアと話しているとむしろ王宮の文官たちを思い出す。剣の代わりにペンを携え、弁論という名の鎧を纏う彼らとの畑違いの戦いは、メルドの最も苦手とすることの一つだ。

武でも弁でも勝てないということを悟り、メルドは早々に白旗を揚げることにする。

 

「やめろやめろ。お前相手に腹の探り合いしても、勝てねぇことはよぉく分かった」

「おや、となると私の中であなたは“取るに足らない男”という評価が下ることになりますが?」

「……もうそれでいい」

「冗談です。あまり拗ねないでください」

「拗ねてねぇよ。ガキか、俺は」

「ところで……」

「あん?」

「あなた一人ですか。お連れの方は?」

 

メルドの下に届いた手紙だが、封筒に書かれた差出人こそ“南雲ハジメ”となっていたものの、中身はフェリシアがしたためたものだ。だからメルドも、待ち人がハジメではなくフェリシアであったことには驚かなかった。

でその内容なのだが、要約すると二点に絞られる。

 

一つ、“会いたいから時間を作って欲しい”。

一つ、“その際に八重樫雫及び畑山愛子の両名、またはどちらか一方を伴って欲しい”。

 

前者については、手紙の主がフェリシアなので早急に時間を作るだろうと思ってはいた。部下を伴ってこなかったのは、良い方向の予想が当たった形となった。

とはいえ、ある意味最も重要な二名がどちらもいないというのは……。

 

「あのな、そうほいほい連れ出せるか。ましてや、お前と引き合わせるなんてできるわけがないだろ」

「……まぁ、それもそうですか」

 

メルドの言っていることは正論だ。疑問点は多いとはいえ、素性が明らかだからこそフェリシアに会わせることはできない。メルドの立場を考えれば、少なくとも彼女の目的が判明するまでは無理な相談だ。

 

「では、行きましょうか」

「は?」

「せっかくなので、王都を案内してください」

「観光に来たとでもいうつもりか?」

「見聞を広めるのは大事ですよ。お礼に……」

「礼?」

「“そういう店”に連れて行ってください」

「なんだそりゃ?」

「良い年した男と女が行く場所なんて、最終的には一つでしょう。……まさか、ないのですか?」

「……いや、あるけどな」

 

まさか“抱け”というわけでもあるまいに、意味が分からず訝しそうに睨みつける。そんなメルドにフェリシアは肩を竦め、耳元に顔を寄せると小声で囁く。

二人の立ち位置を知らない者が見れば、まるで愛を囁いているように見えたことだろう。

 

(どこに耳があるかわかりません。詳しい話はそこで)

 

それでメルドも合点がいった。やたらと固有名詞を避け、男を誘うような言い回しをしたのはこのためか。

 

「わかったわかった。ここのところ忙しくてな、溜まってたから優しくはしてやれんぞ」

「それは楽しみです、期待していますよ」

 

内心では、自分の言い回しに羞恥で身悶えしまくっていることなどおくびにも出さず、妖艶な笑みを作って見せる。女だからということで侮られることもあったが、カトレアからはむしろ“女であることを武器にしろ”と教わった。これもまた、フェリシアが女であることを利用した策だ。

今のところ監視の目はなさそうだが、自分にはわからないだけという可能性もある。どの程度誤魔化せるかはわからないが、やったところで大した損にはならないのなら、やるだけやった方がいいに決まっている。

 

何があるかわからないということでメルドも一日時間を空けていたことから、二人はそのまま街へと繰り出す。予想外だったのは、メルドの演技が上手かったことだろう。あるいは、そういう経験が豊富なのかもしれないが、そんなことはフェリシアにとってはどうでもいい。

とりあえず、現場主義で面倒なことは副長を押し付けることが多いメルドなので、「任せた」の一言で丸投げしてもあまり怪しまれないと聞いた時は、フェリシアも流石に副長たちに同情した。彼らの苦労の代わりとばかりに、こっそり脇腹に肘を入れ、爪先を踏んで念入りに捩じり込んでやる。

 

「……痛ぇぞ」

 

そんなメルドの抗議を無視し、適当に散策してから昼食を取り、そのまま歓楽街へ。

案内されたのは、少し奥まったところにある建物だった。そのままカウンターで鍵を受け取り、3階の一番奥の部屋へ。窓がなく、脱出経路に乏しいのが不満ではあるが、あまり贅沢を言うものではないと自分を納得させたフェリシアは、ちょっと物珍しそうに周囲に視線を配る。

 

「なんだ、あんなこと言っておいてこういうところは初めてか?」

「っ! わ、悪いですか……」

(案外初心なのか? 顔に出ねぇからわかり辛ぇな)

 

などと思っているうちに、フェリシアは手早く結界を発動。あまり得意ではないが、まぁないよりはマシだろう。

 

「……さて、では改めて。お久しぶりですね、メルド・ロギンス」

「……………………………」

「どうかしましたか? 何を頭を抱えているのです」

「わかっちゃいたが、やっぱりお前…グレイロードか」

「? ああ、この外見ですか。では、これならどうです?」

 

顔を一撫ですれば、そこには褐色の肌に尖った耳という魔人族の特徴を有したフェリシアの姿があった。髪の色は逆にかつての色を一時的にでも戻すべきかとも思うが、必要ないと判断しそのままである。

 

「そんな魔法聞いた事ねぇぞ」

「でしょうね」

 

詳しく教えるべきか、今のところはまだ判断できる段階ではないのでそのまま流す。

 

「まずは、急な呼び出しに応じていただいて感謝します。よく、単身乗り込んできたものですね」

「無謀とでも言いたいのか?」

「……いえ。私ではなく、ハジメ殿たちへの信頼の結果でしょう。

 話をスムーズに進めるためにも確認したいのですが、例のお二人との合流は可能ですか?」

「お前の話次第、ってところだな。坊主の顔を立てはしたが、こっから先は別件だ」

「まぁ、そうなりますか」

 

フェリシアとしても、雫と愛子の同席はできたらいいくらいだったので、そこまで固執はしない。

証人として同席してもらえれば、色々と助かるので一応その旨を伝えてみただけのことだ。

 

「それでは、とりあえず私の話を聞いていただいても?」

「……こっちの質問にも答えてくれるならな」

「もちろん。ただまぁ、色々と信じ難い話だとは思うので、そこは諦めてください」

 

そう前置きして、フェリシアはどうして自分が敵中枢とも言うべきハイリヒ王国の王都に来ることなったのかを話し出す。

ガーランドで神衛騎士団の団長を務める傍ら、密かに同志を集め、ただ他種族を虐げるのではない、別の可能性のために行動していたこと。それが疑惑を生み、結果的に国を出るに至ったこと。その際にメルドも知るマシュと出会い、その後ハジメたちと共に行動するようになったこと。

そしてハルツィナ樹海を訪れた際に魔人族の侵攻が行われたことから、近いうちにハイリヒ王国にも大規模な侵攻が行われるだろうこと。

 

「……大規模ってのは、具体的にはどれほどのもんだ?」

「最低でも数十万規模の魔物の群れを率いてくることになるでしょう。それも、おそらくは王都を直接叩く形で」

「数十万……馬鹿な、それだけ大規模な動きなら……」

 

メルドがそう思うのも無理はない。国境線には常に監視の目が張り巡らされている。少数ならまだしも、そんな大軍勢の動きを見落とすはずがない。

実際フェリシアがまだ国にいた頃の作戦案は、大規模戦力で磨り潰すように侵攻上のすべてを薙ぎ払っていくというモノだった。だが、王都に着いて分かった。人間族は、魔人族の動きをまったくといっていいほど察知していない。大峡谷を進むことで間近まで接近できるハルツィナ樹海と違い、ハイリヒ王国の王都を攻めるにはどうしても人の目についてしまう。

ならば可能性は二つ。まだ動いていないか、あるいは……

 

「国境を超えることなく、直接王都に戦力を送り込める手段があるとしたらどうです?」

「あり得ん。そんな真似、どうやって……」

 

当然の反応だが、フェリシアには確信があった。だからこそ、彼女も腹を決める。できれば雫か愛子からの証言も欲しいところだったが、やむを得まい。ここで問答を繰り広げていても仕方がないのだ。

 

「できるんですよ、私たちには。あなたも知っているはずです、一瞬で全く別の場所に移動する術があることを」

「なに……まさか! いや、だがそれは……」

「これを見ても、そう言えますか?」

 

その瞬間、フェリシアの右手の指が伸び刃のように鋭利に尖る。そしてそれが幻ではないことを示すべく、左手を刺し貫く。

 

「っ!」

「変成魔法といいます。シュネー雪原の氷雪洞窟を攻略することで手に入れました。魔物を使役し、あるいは自身の身体を魔物へと変える…そういうものと考えてください」

「大迷宮……それが、魔人族が魔物を従えている理由か!」

「大迷宮は七つあり、それらを攻略することで特別な魔法を得ることができます。うち、私が把握しているのは変成魔法の他、生成魔法・重力魔法・再生魔法・魂魄魔法、そして空間魔法の六つ。これらを総称して、神代魔法と呼びます」

「…………………………………神話かお伽話の類だと思ってたんだがな」

 

提示された事実に理解が追い付かないのか、愚にもつかないことをぼやいてしまう。まぁ、気持ちはわかる。もうとっくの昔に失われたはずの魔法だ。そんなものが持ち出されているなど、想像できるはずがない。

そもそも、神代魔法の概要すら現代には伝わっていないのだ。

 

「……大迷宮は七つあるんだよな。七つ目は知らないのか?」

「そちらは今、ハジメ殿たちが攻略に向けて動いておられます」

 

できれば直接彼らに語ってもらえるといいのだが、ハジメのアーティファクトでも樹海の霧が濃い場所では通信が届かない。以前立香たちと連絡を取り合っていた時は比較的浅い場所にいたが、今は深部にいる。いつフェリシアがメルドと渡りをつけられるか不透明だったので、彼らの証言を必要としない方向で進めるつもりでいたからだ。

 

とはいえ、実を言えば七つ目に心当たりがないわけではないのだ。ただ、あまりにも他の神代魔法と毛色が違うので、正直フェリシアも自信がない。なにしろ、他の六つほどに劇的な効果を発揮するわけではない。ただ、強力な魔法や身体能力を得るほどに真価を発揮するその性質から、その可能性があると最近思うようになった。おそらく、ハジメたちも似たような考えは持っているだろう。

あとは、それが神代魔法の一つだとして、自分が増長してしまうのではないかと少し恐れているというのもある。他と違い、アレだけはフェリシアが持って生まれたものだ。それで自分を特別だと勘違いするのは、あまりにも危険すぎる。蓋を開けてみれば、実は違いましたという可能性も大いにあるのだから。

 

「坊主たちは、なぜ神代魔法を?」

「ハジメ殿は、そこに故郷へと帰還する可能性を見出されたのです。今のところ、明確な手掛かりはありませんが」

「なるほどな。神代魔法は“神の御業”と伝えられている。そいつの中には、アイツらを呼び出した魔法もあるかもしれんということか」

「空間魔法など良い例でしょうね」

「……その空間魔法は、どこで得られる?」

「グリューエン大火山」

「……まずいな。最近、アンカジ周辺で魔人族と思われる人影を見たって報告があったぞ」

「やはりですか……」

 

一度は立香たちとブッキングする形となり退けられたが、氷雪洞窟を除けば現状ではあそこが最も魔人族にとって挑戦しやすい大迷宮だ。そして、攻略者がいるとすれば最有力なのは……

 

「おそらく、攻略したのでしょうね。そう考えれば、今なお動きがないことにも納得がいきます」

「誰かわかるか?」

「大将軍フリード・バグアー。氷雪洞窟の攻略者であり、数多の魔物に手を加え使役する者、そして…私の師です」

 

最後の言葉に、メルドも静かに瞑目する。かつての仲間、ましてや恩師と袂を分かつ。そんなフェリシアの心中は、とてもではないがメルドに推し量れるものではない。

彼にできたのは思わず口にしそうになった安い気休めの言葉を飲み込み、話を先に進めることだった。

 

「つまり、そいつが習得したであろう空間魔法で軍勢を送り込んでくると?」

「その可能性を否定すべきではないでしょうね」

「そうか……しかし、変成魔法ならお前も習得してるんだろ。同じことはできないのか?」

 

数には数をぶつける、それが戦の常道だ。

だが、それが卑怯な問いかけであることはわかっている。フェリシアが国を離れたのは、同胞と敵対するためではない。あくまでも、より流れる血の少ない、滅ぼし合うよりもマシな未来があると信じたからだ。

そんな彼女を、魔人族侵攻の盾にするというのは……あまりにも卑劣ではないか。それでも、メルドは聞かねばならなかった。彼にも、守らなければならないものがある。

 

「残念ながら…私の変成魔法への適性はかなり偏っています。人体を造り変えることに特化しているが故に、その点では師を上回ります。反面、魔物の使役となると……」

「そうか。すまん、酷なことを聞いた」

「いいえ、当然の質問でしょう。私でも同じことを聞きますよ」

 

同時に思う。即座にそのことに考えが及ぶあたり、やはり“力”だけの人物ではない。いや、その力にも些かの衰えもないようで安心した。彼がいるのなら、ハイリヒ王国の力もある程度あてにできるだろう。

 

「……しかし、私の話を信じる前提で進めていますが、良く信じられましたね」

「一応証拠を見せられたしな」

 

まぁ、ここまではそうだろう。問題なのは、“神”についてだ。正直、二人がいない状況で話すのは得策とは言えない。

 

「ああ、そうか。あの二人はそのことを知っているのか?」

「ハジメ殿たちから神代魔法については聞いておられるはずです。なので、同席していただきたかったのですが……」

「…………」

 

探りを入れがてら、二人に繋ぎを取ってもらうために話を振ってみる。しかし、返ってくる言葉はなく、むしろメルドの表情は重苦しいものに変わっていた。

 

「どうしました?」

「…………………………………………よし、俺も腹を括る」

「?」

「一つ確認だが、お前何故まず俺に手紙を出した。坊主の名を使えば、雫や愛子殿にも届けられただろう」

「ああ、そこはやはりあなたとは面識がありましたから。それに……」

「それに?」

「神の使徒相手の手紙となれば、ほぼ確実に検閲されるでしょう? 重要な情報は書いてはいないとはいえ、念には念を入れた次第です」

「そうか……」

 

実際、検閲は確実にされていただろうし、ハジメへの異端者認定がなくてもフェリシアの名前があるだけで、二人の立場が悪くなっていた可能性が高い。最悪の場合、握り潰された上に魔人族への内通の疑いをかけられていた可能性も否定できない。

特に、今の状況ならなおさらだ。

 

「グレイロード、お前が思っているより状況は悪い」

「……どういうことです」

「まず、坊主に異端者認定が降される寸前だ」

「それは……」

 

言わば、ハジメもまたガーランドでのフェリシア同様、人間族の敵として扱われつつあるということだ。

 

「それともう一つ」

「まだなにか?」

「雫と愛子殿は今神山にいる」

(しまった、既に遅かった!)

 

その言葉で、フェリシアは裏の事情をおおよそ把握した。ハジメが異端者認定されようとしていて、加えて魔人族の侵攻も間近に控えている。そんな状況で、数少ない理解者である二人が神の御膝元にいる。

それを偶然で済ませるほど、フェリシアの頭は緩くない。

 

「……面会は?」

「坊主への異端者認定についてって体での召還でな。終わるまでは行くのも戻るのも不可だ」

「やってくれる……!」

 

ここまで絶やさずにいた微笑みの仮面がはがれ、歯噛みするフェリシアにメルドも何かを感じ取る。

ただ理解者、協力者が厄介な場所に囚われているというだけとは思えない反応だからだ。

 

「……お前、何を知った?」

「………………………………」

 

今度は、フェリシアが長い沈黙に沈む。メルドは急かすことなく辛抱強く待ち、おもむろにフェリシアが口を開いた。

 

「……メルド、いつかあなたに問いましたね。“私たちは本当にこれでいいのか”と」

「ああ」

「あの時、私はこうも言いました。“いつか、あなたの答えを聞かせてほしい”とも」

「……いまが、その時だってか?」

「……」

 

メルドの問いに、フェリシアは答えない。今問うているのは、フェリシアの方だからだ。

長い、本当に長い沈黙が場を満たす。いつまでも続くかのような重苦しい静寂を、心底申し訳なさそうな表情でメルドは破った。

 

「すまない」

「……」

「俺には結局、お前に示せるような大層な答えは見つけられなかった」

「そう、ですか」

 

その言葉に、残念そうに顔を伏せる。

分かっている、仕方のないことだ。そう簡単に答えを出せるような問いではない。そもそも、問いとしてはあまりにも曖昧過ぎる。加えて、場合によってはこれまでの自分を全否定することになりかねない。そんな答えを、易々と出せるはずがないのだ。フェリシア自身、主流派から外れる時には随分と葛藤したし、迷いもした。だから、メルドの気持ちもわかる。

 

だが、答えを持たない者に打ち明けるわけにはいかない。

世界の真実、神の正体。それらはあまりに衝撃的過ぎる。それこそ、今までの人生、その土台、根幹を覆すほどに。到底、信じられるような話ではない。むしろ、話した瞬間に決裂してもおかしくない。それほどまでに、この世界の人間にとっては危険な情報なのだ。

せめて、雫か愛子がいればフェリシアの言葉を裏付けてくれるだろう。あるいは“答え”という名の、“神”に変わる芯、土台となるものがなければ……。

 

しかし、メルドの言葉はまだ終わっていなかった。

 

「だが、一つだけ言えることがある。俺は……俺はこのままでいいとは思わない」

「ぇ?」

「エヒト様に召喚された奴らを見ていて思った。どうしてあいつらだったのかと。

 戦いとは無縁の、平穏な世界の中で生きていたはずの子ども。そんな連中をこっちの都合で呼び出し、死地に送り、人を殺させる。そりゃ違ぇだろ。そんな理不尽があっていいのか?

 ……なぁ、お前にとってエヒト様、人間族の神は敬うべき存在じゃないんだよな」

「はい」

 

フェリシアの答えを聞いて、深く息を吸って…吐く。これから言うことは、とてもではないが部下や同僚、ましてや教会関係者には言えないことだ。

エヒト神への信仰を一切持たず、かといって召喚された子どもたちのように慈悲に縋らねばならないわけでもない、そんなフェリシアにだからこそ言えること。

 

「……俺はな、何度も祈ったんだ。どうか、今からでもアイツらを元の世界に返してやってくれと。

戦争は俺たちがやる。国のため、民のため、神のため、魂だって捧げる。俺程度の全てを捧げた程度でできることなんぞたかが知れてるだろう。だがそれでも! アイツらを戦わせるのは違うだろ! 大人はガキを守るためにいるんだ、ガキに守られてどうする! 俺は、そんなことのために騎士になったんじゃねぇ!

……同族への裏切りかもしれねぇがよ。生きるために全力を尽くしてその結果滅びるんなら、それが俺らの天命ってやつなんじゃねぇか? 下らねぇ、騎士道なのかもしれねぇがよ」

 

言わんとすることはわかる。だが、まだ足りない、それではまだ足りないのだ。

酷なことなのかもしれない。そうとわかった上で、その先を促す。他ならぬ、メルド自身の言葉で彼の本心を聞かねばならない。

 

「……わかりません。あなたは何が言いたいのです。簡潔に言いなさい」

「俺は…………………………………俺は、不信心者だ。俺にはもう、以前のようにエヒト様を信じることが出来ねぇ。無関係のガキどもを巻き込むんじゃんねぇと、そう…文句を言ってやりたいと思っている」

 

苦々しく、吐き捨てるようにその言葉を口にした。

フェリシアにはメルドの気持ちが良くわかる。彼女もそうだった。魔人族において“主流派”とはすなわち、より敬虔な信徒ということ。逆に、主流派から外れるということは神の意に背くことと同義だ。

神は自身以外の神を信仰する者を許さない。それらは世界の汚点、抹消すべき害悪。それが魔人族における、他種族への認識だ。

にも拘らず、滅ぼすのではなく共存や融和、あるいは不干渉の方針を模索するということは決定的な背信を意味する。その道を模索すると決意したあの瞬間、フェリシアもメルドと同じように苦しんだ。

そしてあの時のフェリシアと同じように、メルドは答えを出したのだ。

 

フェリシアとは全く違う経過を辿った末に、彼なりの答えを。

 

「情けねぇ。そう思っていても、俺は結局何も行動に移せなかった。お前とは大違いだ、違う道を探す…言うのは簡単だが、俺にはできなかったことだよ」

「いいえ。いいえ、そんなことはありません。私とて一人では何もできなかった。仲間が、同志たちがいたから今の私がいるのです。あなたが何もできなかったというのなら、それはまだあなたが一人だったからだ。ですが、それはもう違うのです」

「なに?」

「あなたの血を吐くようなその“答え”、確かにフェリシア・グレイロードが聞き届けました。

 メルド・ロギンス、あなたに私の知る“全て”を話しましょう。神の示した道とは別の道を望むあなたと私は、きっと手を取ることができる。

十年前のあの日、あなたと出会えてよかった。おかげで私は、自らの本当の望みを知ることができた。今こそ、その恩に報いる時。一人では無理だというのなら、私が手を貸します。別の道を、望む未来を…どうか、諦めないでください。私たちは“自由な意思の下に”未来を掴むことができるはずだから」

 

最早、証人など必要ない。神に疑問を持ち、与えられるのとは異なる未来を望むメルドなら、きっと“真実”を受け止められる。そう信じて、フェリシアは意図的に隠していた全てを語る。

神の正体を、立香たちの存在を、自らの本当の目的を。

 

それらは当然メルドにとっても衝撃的なもので、にわかには信じがたいものだった。

とてもではないが、“それなら共に戦おう”などと言えるはずもない。噛み砕き、受け止めるには相応の時間がいる。しかし、それでいいのだ。与えられた情報を鵜呑みにするようではいけない。自分で考え、判断し、未来を描く。それこそが、人の人たる所以のはずだから。

 

それでも、一つ確実なことがある。今王宮で起きている異変、そこに神の手が及んでいる可能性は否定できない。

フェリシアですら、王宮に何らかの魔法をかけられる人物に心当たりはない。ならば、直接確かめる以上の方法はないだろう。それはメルドにとっても多大なリスクを負う危険な賭けだが、手を拱いているよりよほどいい。

そう判断した彼は、フェリシアが王宮内に潜り込むその手引きをすることを決意するのであった。

 

同時に、思う。数日前、密かに異変を察知したリリアーナの王都脱出を幇助したのは、正しかったのだと。

 

(これからは王都も安全からは程遠い。もし何かあったとしても、姫殿下はご無事だ。それならまだ、国の命脈が途切れることはない)

 

これから先、自身の立ち位置がどうなっていくかはまだわからない。正直、フェリシアの描く“夢”には“命を捧げる”に値する魅力があると思う。しかし、長年に渡って国と民に捧げてきた忠誠を、そう易々と翻すこともまたできない。

だから、見定めねばならない。フェリシアが目指す道、進む先……

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

小鳥が囀る爽やかな朝。窓からは春風が吹き込み、優しく頬を撫でる。お手本のような気持ちの良い一日の始まりはしかし、それら全てをぶち壊す不協和音によって引き裂かれた。

 

―――♪ 恋はドラクル(朝は弱いの)優しくしてね 目覚めは深夜の一時過ぎ ♪

 

「立香ー! 朝よ、早くそれ止めなさーい!」

「むにゃむにゃ…あと三年……」

 

特に設定した覚えのない騒音(断じて歌ではない)に、朝から母が悲鳴を上げる。それを聞き流しながら、再度の夢の世界に飛び立つべく戯けたことを宣う黒髪の青年。

 

―――カチッ

 

まぁ、流石にこのままあの騒音を垂れ流し続けるのはご近所迷惑の極み。なので、一応は慣れた手つきで目覚ましを止め、頭から布団を被って鉄壁の守りを敷く。すると間もなく、カーテンの隙間から入り込む朝日を受けて、鋭い輝きを放つ何かが振り下ろされた。

 

「ゴッフ!?」

「あら、いつの間にあなたはあのヒゲ面肥満体形のお仲間になったのかしら?

 仕方のないアルブレヒト。ちょうどいいから、私の踵でその駄肉を削ぎ落してあげる!」

「ちょっ! メルトちょっと待っ!?」

「行くわよ行くわよ行くわよ!!」

 

静止の声など聞こえちゃいねぇとばかりに腹の上でタップダンスが如きステップを踏み始める華奢な少女。

その真下では「うごごごごごごごごごご……」と、何らかのうめき声だけが漏れてくる。軽いので一撃一撃のダメージ量は軽微だが、とにかく早くて数が多い。しかも場所は、ピンポイントに鳩尾の上。腹に力を入れても伝わってくる衝撃に苦悶の表情を浮かべれば、“火に油”どころか“火山に核ミサイル”が如き勢いで腹上のバレリーナのテンションがうなぎのぼり。

 

「ああ、たまらないわ!! その顔最ッ高! もっと、もっと私に苦痛に歪んだ顔を見せて頂戴!」

 

本当に心底愛おしそうに、嬉しそうに語るのだから真性である。しかし、そんな彼女にも悩みの一つくらいある。

 

「……困ったわね。どうして私には足が二本しかないのかしら。もう二本あれば、あなたの頬にこのヒールを捩じり込んであげるのに……いいえ、分かっているでしょうメルト。この無駄のないフォルム(身体)こそ至高、これ以上足しても減らしても損なうだけ。

でもやっぱり…少しだけもどかしいわ。だってそうでしょ? そうすれば、醜く歪んだあなたの顔をもっと堪能できるでしょ? もっともっと私を感じさせてあげられるでしょ? うふふ…さあ、力を抜いて。怖がらなくていいわ、ドロドロに溶かして溶けて、一つになるの」

 

ゾクゾクと恍惚に身を震わせる姿は、いっそ妖艶ですらあった。とはいえ、彼女の発言が徹頭徹尾本気であることも知っている。それこそ、このままでは彼女なしでは生きていけない身体にされかねない。

いや、たぶん何を言ったところで彼女は実行するだろう。だって、メルトリリスはそもそも藤丸立香に何も求めていない。語り合いも、触れ合いも、愛されることすらも。彼女の本質は「快楽」と「奉仕欲求」、愛し捧げることこそが本懐なのだから。

 

「愛の行き着く果て、究極の快楽は相手と一つになること…だから、ねぇ?」

 

怪しく舌なめずりするメルト。”これはそろそろマズイかなぁ“なんて呑気に考える立香だったが、その瞬間、弾かれた様に自室の扉が開け放たれ細身の人影が飛び込んできた。

 

「ホールドアップ! そこまでです、メルトさん!」

 

ステンレスのお盆を携えメルトに向けてフライ返しを突き付けるのは、高校の制服の上からエプロンで武装した、新年度から留学生としてこの家にホームステイしている頼もしき後輩、マシュだった。

その姿を見て時間切れを悟ったのか、存外あっさりとメルトは立香の上から降りてくる。

 

「チッ、面倒なのが来たわ。今日のところはここでフィナーレ、続きは……」

「週末のステージ、楽しみしてる」

「……ふーん、そう。別に、だからどうしたって話なわけだけど……」

 

そういう割には、満更でもない様子で照れているが言わぬが花というモノだろう。

 

「アマリリス、用意しておくよ。花束で紫……とはいかないけど」

「ふふっ、ええ今はそれで満足してあげる。でも、いつかちゃんと、ね」

 

そう言い残し、メルトリリスは颯爽と去っていった。

残されたのは、いまだにダメージの残る腹をさすりながら起き上がった立香となんだか不機嫌そうなマシュ。しかし、今はそれより優先することがある。メルトがいる時は後が怖くて明らかにできなかったが、とりあえず布団をめくると……

 

「お、おはよう、ございます」

「 ♡♡♡好き(愛拶(あいさつ))♡♡♡ 」

 

なぜか布団に清姫と静謐が潜り込んでいたので……窓からペイッ。

 

「あ~、旦那様ぁ~~~!?」

「ご一緒できて、嬉しかった、です」

 

普通、二階の窓からうら若い乙女を投棄するなど鬼畜生の所業……なのだが、心配には及ばない。二階はおろか、十階から落とされても多分無傷だ。愛故に、そう、()()()!!

 

「愛、怖いなぁ……」

(ジ~……)

「おはようマシュ、良い朝だね」

「はい、おはようございます先輩。それで早速ですが、なぜ先月出会ったばかりのメルトさんが先輩のお部屋に?」

 

微妙に不機嫌そうに問い質してくるマシュだが、先の光景をスルーしているあたり、彼女も大概である。

 

「朝 起きる いた 腹の上」

「……なぜ片言なのかは一端保留しますが、チケットというのは?」

「昨日帰ってきたら机の上にあった」

「セキュリティがスカスカです! もう少し危機感を持ちましょう先輩!?」

「でも静謐も清姫も、頼光だって潜り込んでくるし…今更じゃない?」

「……先輩、慣れてはいけないこともあると思います」

 

一応常識的な見解を述べるが、目を伏せる様子からは深い諦観の色が滲んでいる。侵入を阻むべく努力する、ということを放棄していることからも、何があったか窺い知れるというモノだろう。

 

まぁ、いつまでもそうして問答を繰り広げていても仕方がないので、二人は連れ立って階段を下り居間へ。そこには、ホカホカと湯気を(くゆ)らせるトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、オニオンスープ、牛乳という和の欠片もないが実に美味しそうな朝食たちが並んでいた。

とはいえ、それも仕方のないこと。何しろ、料理人が料理人だ。むしろ必然の結果だろう。

 

「おはよう、シャルロット。今日も美味しそうだね」

「おはようございます、マスター。もちろん、今日も()()()のために腕によりをかけましたから」

「わ、私も! 私もドレッシングを作るのをお手伝いしました! 是非ご賞味ください!」

「そっか、ありがとうマシュ」

 

家政婦のシャルロットに負けじと、マシュも頑張りを主張する。何しろこの家政婦、ことあるごとに色々アピールしてくるので、しっかり自己主張しないとあっという間に全部持っていかれてしまうのだ。

藤丸家にホームステイするようになって早一月、マシュもいつまでもやられっぱなしでいるわけではない。

 

「とりあえず……シャルロット」

「はい、なんでしょうマスター」

「雇い主は俺じゃなくて父さんじゃなかった?」

「そうですが?」

「なのに、俺がマスター(ご主人様)なの?」

「はい」

 

“何かおかしなことでも?”といわんばかりの不思議そうな表情でコテンと首をかしげるシャルロット。大変かわいらしいしぐさだとは思うのだが、今はそれに誤魔化されるわけにはいかない。

 

「なんで?」

「私が決めました!」

 

“ドヤァッ”という効果音が聞こえてきそうなくらい自信満々に答える。でも、やっぱり意味はよくわからなかった。

それにしても疑問なのは、父の収入をどうやりくりすれば家政婦など雇えるのだろうか?

 

「まいっか」

「スルーしてしまっていいんですか!?」

「マシュさんは、トーストにバターとジャム…どちらになさいます?」

「あ、ではジャムを」

「かしこまりで~す」

 

ちなみにその後、立香に遅れて起きてきた父は我が家の美少女率の向上に鼻の下を伸ばし、それを見た母にお盆でどつかれるなど、相変わらずの仲の良さを披露。ただそれを見て、なんだか無性に涙が出そうになったことを不思議に思う立香であった。

 

その後、玄関先までシャルロットに見送られるという、毎日恒例の…でも非常に気恥ずかしいイベントを経て、マシュと連れ立って通学路を歩く。

 

「どう、学校には慣れた?」

「はい、皆さん大変良くしてくださるので。それに……」

「ああ、オフェリアさん?」

「学年が違うのに、何度も様子を見に来てくださるので」

 

マシュと同じ留学生であり、留学前からの友人関係なわけだが…マシュは知らない。立香の隣のクラスにいる彼女だが、実はクラスに馴染めなくてむしろマシュの下へ逃げ込んでいるということを。

まぁ、本人は全力で取り繕っているようなので、その努力を蔑ろにするようなことは言わないが。

 

(上手くいってないというより、どう答えればいいかわからないって感じなんだよなぁ)

 

以前教室をのぞいてみた感じ、周りの生徒からは結構頻繁に話しかけられている。ただ、自分に自信がないのか何なのかはわからないが、とにかく中々胸襟を開けずにいるらしい。

 

――― ~♪ ~♪

 

おしゃべりしながら通学路を歩いていれば、その流れを断ち切るように流れる着信音。“失礼します”と一言断ってスマホを手に取ったマシュの顔が、液晶に映し出された名前を見た瞬間に盛大に顰められた。

そして、渋々といった様子で通話状態にすると開口一番……

 

「働きなさい、穀潰し」

 

そう言って、容赦なく通話を切った。

 

(ランスロット……)

 

時差があるとはいえ、まだ完全無欠に就業時間の筈。にも拘らず、娘の登校時間に合わせて電話を入れてくるあたり、マメなことと感心すればいいのか空気が読めないと呆れればいいのか。

とりあえず、今夜もまた彼の相談に乗らねばなるまい。駆け込み寺扱いされても困るのだが。

 

所変わって、立香とマシュの通学路途上にある曲がり角。その陰で、金髪ツインテールの少女と、黒髪短髪の青年が、なにやら自信無さそうにヒソヒソボソボソと相談し合っていた。

 

「ど、どどどどうするのだわ! もうじき二人ともきちゃうのだけど!?」

「おおおおおおおちっ、おちちゅけ!」

「噛んでる! 思いっきり噛んでるのだわ!? あなたこそ落ち着きなさい!」

(……すんません。所詮俺みたいな陰キャが、女子に偉そうにアドバイスしようってのがおこがましいんっスよね。というか、そもそも近くにいるのが迷惑っスよね。偶々同じ場所に居合わせて、偶然同じ奴に話しかけようとしてたってだけで……いや、それ言ったら俺がアイツに話しかけること自体迷惑だし、この人の隣に立つのも邪魔なんだよな。もうなんか、生まれてきてすんません……)

 

今のですっかり心が折れてしまったらしく、陰キャらしく心中で延々と謝罪と自虐を繰り返しながら鬱々とするマンドリガルド。豆腐のメンタルだが、仕方がない。だって陰キャだもの!

だが案ずることはない、その辺に関してはお互い様だ。

 

「そんなことはないのだわ! 私は今、あなたにとっても励まされているもの!」

(スゲェ! 陽キャのエアリード機能ってのは、そこまで読み取っちまうものなのか!?)

「見て、あなたがいなくなったらと想像しただけでほら……」

「?」

 

盛大に震える手、緊張と不安から滲む脂汗、顔も青褪めており、むしろ“一人にしないでほしいのだわ”と全身で訴えている。マンドリカルドは理解した、彼女エレシュキガルもまた自分と同じ友達の居ない陰キャであると。

 

「……そっスね、所詮俺ら陰キャは一人じゃなんもできないけど……」

「そうなのだわ。一人で無理でも二人なら!!」

「頑張ろうぜ、知らない人!」

「頑張りましょう、知らない人!」

 

とりあえずお前ら、名前くらい名乗れ。

 

とまぁそんな感じで妙な連帯感を醸成していた二人だったが、カーブミラーで目当ての人物が迫ってきていることを確認。頑張って息を整え、勇気を振り絞り、いざゆかん!

 

(“せーの”で行くのだわ。お願いだから、タイミングをずらすなんて酷いことはしないでほしいのだわ)

(もちろんっス。いくぜ、せーの……!)

「「ぐ、偶然だな/なのだわ、マイフレ/立……」」

 

そこで、二人の声が尻すぼみに消えていく。なぜならそこには、まったく見覚えのない女性の背中があったから。

 

((え、だれ?))

「ああ、母は心配です。忘れ物はありませんか? お弁当は? 保冷材は入っていますか? まだ過ごしやすい気温とはいえ、食中りは怖いものです。そうだ、お昼休みに母がお弁当を届けるというのはどうでしょう」

「もしもしポリスメン、母を名乗る不審者が通せんぼしているので何とかしてください」

「ヨヨヨ……なぜそのような冷たいことを言うのです。母は、母は泣いてしまいますぅ……」

「先輩のお母さまではないからだと思います」

 

ちょっと予想だにしない光景に、すっかり度肝を抜かれてフリーズする二人。

しかもその間に、不審者の数はさらに増していく。

 

「母と聞いては黙っていられません! 母がいるのなら姉もいる、つまり私があなたのお姉ちゃん♪」

「おや、道行く素敵なメカクレのお嬢さん。どうかな、今から一緒にお茶でも。ああ、そこの君もよければどうだい? その際には、ぜひこのウィッグを付けてほしい。んん、想像するだけで下腹部に熱が……」

「あら、中々可愛い男の子がいますわ、そうは思わなくてメアリー」

「そうだねアン。なんか変なのに絡まれてるし、ここは大人として保護しないと。まぁ、うっかり汚部屋に連れ込んじゃったり、間違えてアルコール入りの清涼飲料水を飲ませても事故だよね事故」

「そうそう、間違いは誰にでもありますもの」

「ヒヒン、呂布ですが何か?」

「先輩の貞操は私が守ります! マシュ・キリエライト、吶喊します!!」

 

あまりにも増えすぎて通行の邪魔だったので、力づくで押しのけるべく手近なところにあったゴミバケツをフルスイングするマシュ。

ちなみにその瞬間、なんかあんまり関係がないのも偶々通りがかって巻き込まれることに。

 

「デュフフフフフフ……ついに、ついに手に入れてしまったぜ。だが誰にも知られてはいけない、まさか紳士の中の紳士たる拙者が、BBAのお宝写真に手を出してしまったなどと知られるわけにはいかんのでござる。だがしかし! ポッと出のニワカに先を越されたとあっては黒髭の名が廃るってもんよ。へっ、ホーキンスの野郎、偶にはいい仕事しやが……いってぇぇ――――っ!!」

「うぅ、あんすべたぁ。誰がナメクジじゃ。次会うたら覚えちょれよ……なんじゃ――――――――――!?」

 

ん~、まぁ五十歩百歩っぽいので気のせいということでいいだろう。

 

「ミッションコンプリート、今日も先輩の平和は守られました」

 

爽やかに汗をぬぐい、“やり切った”とばかりに満足感を噛み締める。

そして、そんなアグレッシブすぎるマシュに、すっかり圧倒されてしまった陰キャが二名。

 

「あわわわわ……ど、どするのだわ! ここで出て行ったら、私たちまでぶっ飛ばされちゃわない!?」

「やっぱ、俺みたいな陰キャが、なれなれしく話しかけようってのが間違ってたんスよ」

「お願い! 一人にしないでほしいのだわ!?」

「あ、マンドリカルド、エレシュキガル、おはよう」

「おはようございます、お二人とも」

「「お、おはよう」」

 

なんか、色々テンパってたりシミュレーションしてたのが馬鹿らしくなるくらい、さらっと今朝の目標は達成された。まぁ、本人たち何もしてないけど……満足そうならいいのだろう。

 

((……………………グッ!))

「ふむ、皆仲が良いのだな。皆が仲良しだと私もうれしい、うれしみ」

((ビクッ!?))

 

その後は特に足止めされることもなく、順調に通学路を進んでいく二人だったが……偶にはこんなこともある。

 

「まーちゃ~ん! 締め切りが、締め切りが~!」

「ん、学校終わったら救援物資持って行くからガンバ、オッキー」

「頑張ってください、刑部姫さん!」

 

アパートのテラスから身を乗り出す様にしてヘルプを求めるオタサーの姫とか……

 

「みんな朝から元気っすねぇ。さて、エリートニートのジナコさんも早速布団を守るお仕事に精を出すとするっすよぉ…ってなんすか、カルナさん。言いたいことがあるなら言ったらどうっすか」

「ふむ、求められたとあっては忌憚のない意見を言わせてもらおう」

「いや別に、求めてはないっすよ。ただ、ジ~ッと見られてるのもいい加減鬱陶しかったというか……」

「布団、すなわち寝床とは約束された安息があってしかるべき場所だ。なるほど、それを守らんとするのはお前の言う通り重要なことなのだろう。だが気付いているか、ジナコ・カリギリ。お前はこの一週間、一歩たりとも部屋から出ていないのだということに」

「……別に、死ぬわけじゃないっす」

 

その隣でゆる~い攻防を繰り広げるニートとその保護者とか……

 

「びっくり! 見て、ゲルダおねえちゃん! いま、人が飛んでたの!」

「ほらアーシャ、急がないと遅刻してしまうわ」

 

どこかで見覚えのある、褐色の肌に茶色がかった髪の女の子とその子より少し年上の白磁の肌に金髪の女の子とすれ違ったり……

 

それらは本当に、なんてことのない、平凡でありきたりな筈の、でも間違いなく得難い日常で……

 

「先輩?」

「……いや、何でもない」

 

心配そうに見上げてくるマシュに微笑みかけ、改めて前を向く。

さあ、学校はもう目の前だ。ああでも、そこにいたのは……




とりあえず、オフェリアはボッチ(失礼)。

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