2.6
少女はいた。
幾重にも張り巡らされた檻の中に。
自らの心が生み出した拒絶を篭められた鎖と檻。
その檻は、頑丈でその少女の心を護るもの。
少女の瞳は昏(クラ)く濁っていた。
『で、聞きたいことは何?ウェルヒム君』
"彼女"は言う。
改めて"彼女"を見ると
赤銅色の髪に
鮮やかに輝く紅瞳。
仕草や話し方、
細々した所が全て違って
それだけなのに
声も、顔の造作も
同じはずなのに
違うとウェルヒムには判断できた。
その声にはどこか
聖母のような響きが混ざっている。
さすがのウェルヒムも少し躊躇いを見せたようだ
が、意を決し尋ねる。
「…あなた‥いえあなたたちはいったい何者
なんですか?」
"彼女"は全てを話すわけではなかったが
質問に答えた。
『彼ら風にいうと天女ですね。
名前は真名は言えないけど、私の名(メイ)は満月(ミツキ)。
ただし、一族の前ではフェリアと呼んで下さい。
でこちらも同様で
〔名(メイ)は風華。
一族の前では空と呼んでくれ。〕
…風華人の話遮るのやめてもらえます?
ウェルヒム。あなたに頼みたいことがあります。
鬼凛を支えてあげて欲しいの。
人は鬼凛を強いというけれども違うの、鬼凛は自分の殻に閉じこもっているだけ…。
本当は、とても弱くて優しい子なの。』
躊躇いもせずウェルヒムは満月に返事を返した。
「…鬼凛が弱いそんなことこの3日間で嫌というほど知っていますよ。
意地っ張りで、人形みたいに表情が変わることは少ないけど、
笑うと凄く幸せそうで、他人行儀だけどとても思いやりがあることも。
心に深い傷があることも…。
あいつがどれだけ兄が好きで、信頼していたかも。
だから、鬼凛を支えてあげるなんて当たり前じゃないですか。」
満月はまるで母が子に笑いかけるような優しい笑みを向けた。
『ありがとう』
体は鬼凛のハズだけど
やはりその微笑も話し方も、全てが違った。
でも違和感は不思議となかった。
これはこれで"彼女"でありまた、
鬼凛とは何か縁があることを。
どこまでも優しく包み込む存在。
それが満月なのだ。
〔おい、満月。そろそろお前、限界だろその体。
俺というかこいつは慣れてるからまだ平気だが…
お前は慣れていないに加えて、薬くらってるんだからな〕
そう風華は言う。
「わかってるっ風華。もう少しだけよ。
ウェルヒム今鬼凛は自らの辛い過去に…手酷い裏切りに心を囚われ自ら閉じこもっている。
だから私があの子の世界に誘(イザナ)うわ。
鬼凛を助けてあげて。お願い。
そしたら私もいくから…。
私は余り関われないから」
そして満月はウェルヒムの手を取った。
その手に淡い朱い光が宿る。
ウェルヒムの意識は沈んでいった。
紺碧の闇へと。
ウェルが立っていたのは
ウェル自身は知らないが、3日前の鬼凛に出て来た世界
そのままだった。
朱い空間。
空は、夕焼けより少し陰っている。
まるで血のように辺りには、炎が駆け巡っており、
まるで鬼凛の心の内を反映しているかのように、
漆黒の一点が見える。
ウェルはそこに鬼凛がいると直感を感じ、そこへと疾(ハシ)る。
「‥っ鬼凛待ってなよ…っ」
一面、漆黒の闇の中に
鬼凛はいた。
自らが生み出した鎖に繋がれ、
自らの檻に篭っていた。
"もう何も見たくない"
周りに浮かんでは消えるのは、
鬼凛(カノジョ)の記憶 の断片(カケラ)。
クラスメートのイジメ
父、母の言葉の暴力
慰めてくれる兄の急変…
"もう…生きていたって私には何もないんだから。"
「っ鬼凛っっ!!」
声が聞こえた。
眠らせてよ。お願いだから
何度も何度も声が
私の名前を呼ぶ声が
鬼凛に届く。
この声はウェル?
"眠らせてよ、ウェル。
どうせ、私なんて
誰にも必要とされていない存在、いらない存在
なんだから。
だから…戒兄だってっ"
檻の中で鬼凛は叫ぶ声がウェルヒムの脳に直接響く。
「ふざけるなっっ!!」
ウェルヒムは檻の外に張り巡らされた鎖に手をかけながら言う。
その手からは血が流れる。
鎖をつたって
赫い血が滴り落ちる。
その声に鬼凛は少しだけ
目を開く。
目に写るその血の赫に
はっと目を見開いて言う
"ウェル怪我してるっ!早く
その手を離してっ"
「っ鬼凛がこれを消せばいいんだろ。
ここはお前のセカイなんだから」
鎖は自らを捕らえるもの
鎖は自らの哀しみ
鎖は自らを護るもの
ウェルヒムは言葉を続ける。
率直な言葉を。
「っ…今はそのままでいい。だから人の話をちゃんと俺の目を見て聞きなよ。
逃げるなよ。
現実から。
お前がどれだけあいつを‥戒を信頼していたか知ってる、お前が悲しむのも」
"分かったようなことを
言わないでっっ!!
私には戒兄以外いなかった
ずっとずっと…。
戒兄は私の全てでセカイ だったのに…"
それは魂切るような悲痛の叫びだった。
「分かってるに決まってるだろっ。
そりゃ完全に他人の感情を感じられるわけがない。
けれど、俺は知ってる。
お前が本当は優しいってことも。
お前さ分かってる?
戒に会えると分かった時、自分がどんな顔をしたか…。
会ったばかりだった俺でも分かるくらい1番嬉しそうだったな。
だから裏切られてどんなに辛かったいや辛いだろうとも思う。
でもな、だからといって心のセカイに閉じこもっても裏切られた事実が消えて失くなるわけじゃないし
哀しみは消えないんだよ」
少し冷たい言い方かもしれないがウェルヒムが言ったことは紛れも無い事実だった。
"私なんか居たって
何にも変わらないよ。
役になんか立たないし、
親も必要としなかった
兄も私を利用しただけだった。
こんな私を誰が必要としとくれるのよっ"
鬼凛は叫ぶ。
人形のような顔なんてない。
それはヒトのカオだった。
哀しみと絶望に染まった
--誰かに必要とされたい --
それは、人なら誰でも持っているネガイ。
ウェルヒムは、金茶の髪を振り乱しながら言う。
「っ俺が必要としてる。
年上なのに抜けてて
世間慣れしていなくて
年下の俺にまでいろいろ注意される。」
ウェルヒムの脳裏にも
鬼凛の脳裏にも
浮かぶのは、この3日間
「表情はほとんど変わらないし、愛想がいいわけでもない。
けれど、たまに浮かぶ微笑はとても綺麗でかわいらしくてはかなげだけど励まされる。
それだけって思うかもしれない。
でも、一緒にいる理由なんてそれだけで十分だろ。
俺は‥僕は刈野鬼凛という人間が必要なのであって
刈野家とかいうのは
後付けされるただのものだっ」
12歳だからこそなのだろうか。
飾り気のない言葉。
だからこそいやウェルの言葉だからこそ鬼凛の
心に響いた。
鬼凛を包んでいた
ウェルが握っていた
鎖は消え、
檻の鍵が開く。
ウェルは、中へと入り、
鬼凛に手を差し延べる。
「…帰ろう。現実の世界に」
その手を鬼凛は取る。
そして泣き叫んだ。
裏切られた哀しさと
新しく居場所ができたことへの喜び。
それら2つが入れ混じった涙。
一筋の涙しか涙を流さなかった鬼凛は
今心の扉を開け放ち、
感情は涙となり溢れ出す。
ウェルは無言でじゃがみ、座り込んだまま泣く鬼凛の首に腕を回し、
自分の胸や肩の部分に押し付ける。
「存分に泣いときなよ、
泣き顔は見ないから。
でも止まない雨がないように
いつか泣き止んで、次は笑うんだ。
鬼凛は、少しくしゃりとした顔をしながら、
でもとても綺麗に
しかし、人形のようにではなく、普通のただ一人の人間の女の子のように笑った。
今、太陽のような心を持つ少女が完全に目覚めた。
曇りきっていた心は、完全に消え去る。
今までの孤独感全てが、
簡単に消えることはないだろう。
でもきっと大丈夫
どんなことがあっても
乗り越えられるだろう。
『ウェルヒム、ありがとう。鬼凛を救ってくれて』
鬼凛がようやく泣き止んだ頃、満月がやって来た。
「…誰?この人、ウェル」
「あー簡単に言うとお前の中の天女だな」
鬼凛にとって初めての顔合わせだった。
『初めましての気はしないんだけど、初めまして。
真名は言えないけど、
名(メイ)は満月。
でも、神野家の前とかでは、フェリアと呼んで下さいな、鬼凛。
私がここに来たのはあなたたちの無事の確認と
ある人達からの言葉とそれにまつわる真実を映(ミ)せに来たわ。』
鬼凛の姿を借りたのではなく、おそらく本来の彼女なのだろう。
赤銅色ではなく朱い髪を持ち、同色の瞳を輝かせ、
鬼凛に似たしかし、細部の異なる所は多い容貌。
「‥誰から」
戸惑いがちに鬼凛は自分の中の他人に話しかける。
『刈野綾乃と悠馬、のよ。鬼凛』
「何を今更っっ‥神野家のために死ねとか捕
まれとでも」
鬼凛は言う。
満月はその言葉に答えず
そのまま告げた。
『"生きろ、幸せになれ"と』
少しずつ狂ってしまった
心の歯車が戻る。
しかしてそれを知り、抱くのは何?