「~それから~ again ゆかりむつび」    作:高尾のり子

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第10話

 

 

 

 ベルリンに来て一ヶ月、本当に双海さんの言うとおりだった。オレは今、ドイツ語でものを考えている。ごく自然にドイツ語が思考に入っている。

 いまだに知らない単語は多いけど、日常のことやユカリの行方を他人に訊ねるくらいの会話なら、完璧にドイツ語だ。そしてカフェで読書してる双海さんとの会話もドイツ語が主体だったりする。

「中学一年から6年も英語を習ってもダメダメだったのに……」

「日本の英語教師は最低レベルですから」

 とくに双海さんは英語教師を嫌ってるみたいで、いつも酷評する。けど、オレにドイツ語を教え込んだ手際を考えれば納得もできる。しばらくはオレが困ったとき日本語で説明してくれたけど、今ではドイツ語のわからないことをドイツ語で説明してくれる。オレも独和辞典や和独辞典じゃなくて、独独辞典を調べたりする。

「ユカリや南先生も英和辞典じゃなくて、英英辞典を調べてたからなァ……カナタも歌詞を考えるとき、英英辞典を眺めてたし…」

「結局のところ、言語を完全に他言語で説明しきることはできないからですよ。関西弁でさえ、関東弁に変換してしまうと会話の流れや勢い、さらには意味合いまで変わってしまうことがあるでしょう?」

「なるほどねぇ。そういえば、ドイツ語って方言あるの? たまに、語尾が妙に変化する人がいるけど?」

「ドイツ語はドイツ、オーストリア、スイスの一部で使われていますが、ここベルリンは北方低地ドイツ語に分類されます。もう一つがミュンヘンなどの南方高地ドイツ語ですね。語尾の母音が変化するのが特徴的ですね。白河さんのドイツ語も南方高地系でオーストリア訛りがあったでしょう?」

「そんなこと言われても、フランクフルトで会ったときはオレぜんぜんだったしさ。本当に、双海さんのおかげだよ。ありがとう」

「………………、なんだか、弟にお礼を言われたようで照れくさいです」

 双海さんが手元の本に視線を移した。

 彼女が読んでるのはドイツ民法典だから、オレとはレベルが違う。きっと、オレは日本の民法でも読む気がしないだろう。

「どうして、民法なんか読んでるんですか? 小説のネタ探し?」

「ドイツの法律で養子縁組による義理の兄弟姉妹間での結婚が許されるか、外国人がドイツで結婚する場合に、どのような手続きが必要か、一夫多妻制は許されるか、興味がないですか?」

「ある!」

「やはり一夫多妻制に興味がおあり…」

「違うって!」

「わかっていますよ。まず、ドイツは日本ほど簡単に結婚できません」

「…そうなの? って、どう違うわけ?」

「日本では最低限、婚姻届さえ受理されれば婚姻関係になります。もちろん、詐欺や結婚の意思のない届出は無効ですが、それをチェックする機能さえわずかです。あまりに簡単なために最悪の場合、自分が知らないうちに届出が受理されていることもあります」

「そうなんだ……」

「ドイツでは厳格な手続きが用意され、身分吏という特別の役人がいることをもってしても、日本が市町村役場の住民課の一業務として行っているのに比べ、まったく扱いが違います」

「へぇぇぇ…」

「とくに外国人が婚姻締結する場合は母国の婚姻障害に服する、とされています」

「どういう意味?」

「つまり、母国で結婚できないようなカップルはドイツ国内でも結婚できないということです。たとえば、兄と実の妹は日本でも認められていませんね。他に実の親子、伯父と姪などです。このような二人はドイツでも受理されません。もともと、母国の官庁に婚姻能力を証明する書類を発行してもらい、これを提出した後でなければ婚姻することを許されないのです」

「…………日本では義理の妹とは許されてますよね?」

「一番気になるところですね」

「もったいぶらないで教えてくださいよ」

「大丈夫ですよ、もともと日本の民法は多くをドイツを手本にしています。どちらの国も養子縁組による義理の兄弟姉妹での結婚を認めています」

「よかったァ……って、ドイツがダメなら日本に連れ戻せばいいだけじゃない?」

「そうです。しかも、普通はわざわざドイツの官庁に提出せず、日本大使館ですれば簡単です。この法律は大使館が無い場合を想定しているのでしょう」

「……………………」

「ちなみに、ドイツも単婚の原則により一夫多妻制は認められません。残念でしたね♪」

「だから、別に、それはいいって!」

「他にも面白い法律がありますよ。1300条にもとづく請求権とか」

「ドイツ民法って、1300以上もあるのかよ。日本は?」

「日本で民法に編入されている条文は1044条ありますが、一概に条文の数が多さを比較することにはなりませんよ。どちらの国も特別法が多数あり、しかも民法の中でも現代では機能していないものや、古くさくなったものもあります。この1300条も、とても古風で雅やかです」

「どんな感じ?」

「純潔な婚約者が相手に同床を許した場合、女性は婚約を解消されたとき、精神的な損害についても金銭賠償を請求することができる、というものです」

「……古いというか……怖いというか……」

 いのりのことは大丈夫だよな………婚約してなかったし、いのりから別れを言い出したし……そもそも日本でのことだから。

「この1300条は相手に身を捧げて棄てられた婚約者が、社会的に軽蔑されて結婚の可能性も減少するという状況にやられた時代の遺物です。この条文は男女平等を掲げた現代ドイツ憲法からみて違憲ではないかと疑義をもたれていますが、面白いことに1300条は前憲法的規定だから、という理由で決断を避けられてもいるのです。日本の法常識から見ると興味深いですよね」

「さ…さあ? どうかな? ぜんぜん、わからないよ」

「逆に見れば、日本の陸海空軍すべての戦力を保持しない、と規定しつつ、世界有数の戦力を持つ自衛隊が存在している状況も外から見れば面白いですよ」

「う~ん……なるほど……日本の常識が非常識か……その逆もありだし…」

「陵さんとは大丈夫ですか♪」

「ぅっ……だ、大丈夫さ! 婚約してないし! っていうか、いのりから別れてきたし!」

「その後、ヨリを戻したんですよね? それから、また………私は鷺沢兄妹へ肩入れしていますが、陵さんも気の毒といえば気の毒ですね。……飛田さんが……ま、過ぎたことです。……過ぎたことを過ぎたことにしないから余計に……と、いう話となれば、ナチス犯罪については時効が成立しない、という奇妙な規定もありますしね。いっそ、広島長崎の原爆にも適用すればいいのに……あ、それだとアメリカに対して露骨だから、核兵器すべてについて時効を排除するとか…」

 双海さんは自分の小説を書くためのネタを考え始めたのでオレは席を立った。始めの頃こそ、双海さんに付き添ってもらってドイツ人たちにユカリの行方を訊ねて回ってたけど、今では一人で会話できる。ほとんどのドイツ人は親切なんだけど、何度かオレを騙して金を盗ろうとしたり、危険な場所に誘導された。そのときは、双海さんが毅然とした態度で断ってくれた。今では、そういう連中の雰囲気もわかるから大丈夫だ。

 

 

 

 ドイツへ渡って三ヶ月、いまだユカリの手がかりはない。

 今はベルリンから北西の都市ポツダムにいる。ベルリンを二ヶ月ほど捜した後、ドレスデン、デッサウと巡ってポツダムに来た。

「今日からポツダムか……ポツダム宣言は知ってたけど本当にポツダムって名前の都市があるんだなぁ」

「ヘルシンキ宣言はフィンランドの首都ヘルシンキで行われましたよ♪」

「………京都議定書は京都なんだよな。……当たり前すぎてビミョーだけど…。…ま、そんなことより、ポツダムの人口は13万か、これなら三日くらいか」

「そうですね。藤川市の三分の一、そのうえ捜すのは日本人ですから、いらっしゃれば早いでしょうし、そうでなくても判断しやすいでしょう。可能性は低そうですね……」

 双海さんの言ったとおり、ポツダムでもユカリの足跡はつかめなかった。

 それから、バルト海に面する港町シュトラールズントやロストック、さらにリューベックを回ってドイツ第二の都市ハンブルクも訪ねたし、ブレーメンや北端でスウェーデン国境に近いキールにまで足を運んだけど無駄だった。

 一度ベルリンに戻るべきか、いっそライプリヒやフランクフルト方面へ行くべきか迷ってから、結局はベルリンを綿密に捜すことにした。

 

 

 

 もう季節は春になっている。

 日が長くなってくれたのは捜索活動にはありがたいことだけど、実は手元の資金も淋しくなっているし、双海さんが滞在してくれる時間も残り少ない。

 ベルリンに再び戻ってきたオレは不甲斐なくも風邪を引いて寝込んでしまった。双海さんが「日は長くなっても緯度的には北海道ほどです。平均気温も5.6℃は低いのですよ」と夕暮れ遅くまで街を歩いていたオレを叱りながらも看病してくれた。

 三日間も無駄にしてしまったオレが回復した頃、はじめて双海さんが自分の都合を言ってきた。

「明日、ミュンヘンに友人が遊びに来るので、ドライブに付き合ってください」

「ミュンヘン? ベルリンから千キロくらい南じゃ?」

「交通費も食事代も、すべて私が持ちますから付き合ってください」

 ここまでの旅費をワリカンで済ませてくれている双海さんの誘いを断ることはできなかったけど、思えば、この時点で予想しておくべきだった。

 翌朝、双海さんが借りてきたレンタカーはメルセデス・ベンツの、しかも流線型のスポーツタイプだった。

「……双海さん、ベルリンとミュンヘンって、青森と博多くらい遠いよね?」

「いいえ、東京と博多くらいですよ」

「…………」

 京都議定書への取り組みが早いドイツでは鉄道やバス、チャリが発達してたので、ここまでクルマに乗ったことはないけど、もちろん、普通にクルマも走ってる。

「さ、行きましょう」

「………交通ルールは、守りますよね?」

「もちろんです♪ 郷に入っては郷に従え、鉄則ですよ」

 双海さんの運転は普通だった。

 高速道路にあがるまでは。

 きぃーーーーーん…

 ジェット機みたいな音がエンジンから響いてる。

 すでに時速300キロは超えてる、カナタのおかげで分かりたくもないのに変な感覚がついて、アスファルトの流れで予想できてしまう。

 あっという間にポツダム市をすぎて、もうデッサウ市だ。たしか、ベルリンから100キロあったはずなのに。

 ああ、どうしてドイツの高速道路には制限速度ってものが無いんだろう。無制限ってさ、絶対ありえないって、非常識だって。

 そのうえ、無制限だからって最高速度を出さなくてもいいのに、双海さんはアクセルを全開にしてる。エンジン音が高回転すぎてクルマの音じゃない、ジェットエンジンみたいな音になってる。

「………」

「♪」

「……………………」

 唯一、救いなのか、それとも不幸なのか、周囲のクルマもカナタ並みだったりする。無制限ってことで他のクルマも200キロくらい出してる。さっき追い抜いたポルシェも白髪の老人が運転してたのに300キロ以上だった。さらに後ろからアッパービームで迫ってきたフェラーリなんて500キロ近い感じ、すぐに双海さんは道を譲った。

 きぃーーーーぃん…

 世界が違う。

 200キロが遅いと思える。

 カナタの場合、周囲が100キロなのにカナタだけ300キロ出すから、ものすごく怖いけど、ここだと無制限なのが前提になってるから、怖さが少ない。

 けど、やっぱ怖い。

 だって、もうライプリヒ市が見えてるし。

 日独合弁のライプリヒ製薬の看板が読めないくらいの速度で流れていった。

「……」

 双海さんに話しかけるのはやめておこう、命が惜しいから。

 彼女の集中力を削ぎたくないし、免許を持ってたことが意外なくらいのペーパードライバーかもしれないし。黙っていれば、ニュルンベルクも通り過ぎて、とうとうミュンヘンに着いてしまった。

 飛行機より………早いだろうな、搭乗手続きがない分。

 やっとクルマが高速道路をおりてくれる。

「ふ~っ……」

「中央駅で友人を拾いますね」

 一般道路を走るときは普通に走ってくれる。カールス広場を曲がってミュンヘン中央駅に着くと、人を乗せる。駅前で待っている女性を見て、オレは驚いた。

「ほたるさん? 友人って、ほたるさんのことだったのか?」

「はい、そうですよ。フランクフルトで会って以来、連絡を取り合っていました。呼んできてもらえますか? 駐車禁止の取り締まりは厳しいですから」

「あ、ああ」

 オレは助手席から降りると、ほたるさんへ手を振った。

「ほたるさーん! こっちだよ!」

「あ、一蹴くん!」

 ほたるさんが気づいて駆けてくる。ハンドバック一つの身軽な姿だ。まあ、オーストリアとミュンヘンなら千羽谷と名古屋くらいの感覚だしな。

「お久しぶり♪ すっかりドイツ語うまくなってるね」

「双海さんのおかげですよ。二人で居るときもドイツ語を強要されましたから」

 そういう今だって、ほたるさんとドイツ語で会話している。もう逆に意識しないと日本語が出てこないくらいだ。

「やっぱり、ほたるさんのドイツ語は訛りがありますね」

「む~ぅ、ほたるから聴くと、一蹴くんの方が気取った感じがするよ。お貴族さま、って感じ」

「ここはミュンヘンだから、ほたるさんの訛りの方が自然なんでしょうけど……。クルマ、あっちですよ」

「え? クルマでいくの?」

 ほたるさんが意外そうな顔をした。

「双海さんがレンタカーを借りてさ」

「…………。しおにゃんの…」

「しおにゃん?」

「詩音ちゃんのこと」

「ああ…」

「しおにゃんの運転って、……普通? お姉ちゃん程度?」

「………」

 静流さんの運転も非常識だけど、カナタよりマシだったな。

「ちゃんと交通ルールは守ってくれますよ♪ オレが保証します」

「なら、よかった♪ カナタちゃんみたいだったら、どうしようかと思ったよ」

 高速道路に乗るまでは、ほたるさんは得意のドイツ語ほたる的ギャグをかましてくれたけど、カナタを超える世界に入ってからは双海さんを笑わせようなんて、度胸は欠片もなくなってくれて、よかった。

 一時間後、ミュンヘン市から300キロ西のバーデンバーデン市に着くと双海さんが問いかけてくる。

「ここのカジノは世界一美しいといわれていますが、行きますか?」

「カジノか……」

「ほたるは賭けはしないかな……見たい気もするけど、見るだけは遠慮したいし、だからといってポーカーもスロットも興味ないよ」

「オレも。っていうか、お金は大切にしたいし」

「では、すぐ温泉に入りましょう」

「温泉なんて、あるのか? ドイツに」

「温泉は世界各地にありますよ。日本の専売特許ではありません。ローマ時代から軍の保養施設として栄えてきました」

 双海さんはレオポルド広場を回ってフリドリヒスバートという公衆浴場へ連れて行ってくれる。入場料の21ユーロをオレの分まで払ってくれて、男女に分かれて脱衣所へ進んだ。

「温泉か………たまには、いいか……」

 ゆっくり一人になって、これからのことを考えよう。とくに貴重品は持っていないので簡単に服を脱いで裸になった。

「………」

 裸になると一段と人種の違いを意識する。オレの毛は茶色っぽい黒で肌は中間くらいだから日本人か、中国韓国人に見えるだろうな。周囲は、ほとんどが白人で、たまに中央アジア系の人種もいる。やたら胸毛が濃い人とか、すごい毛深いのに毛色が白だからシロクマにしかみえない人とかもいる。イタリア系の人なのか、ものすごい割れた立派な顎をしてる金持ちそうな人もいれば、北欧系の女の子みたいな美少年までいる。

「双海さんも北欧系だからなァ……」

「私が北欧系だから何だというのです?」

「色が白いかな、とか………………………って! なぜ、ここにいる?!」

 しかも、全裸。

「混浴だからです」

「そういうこと♪ 一蹴くんも、なかなか筋肉質だねぇ。旅焼けしてるけど」

 ほたるさんまでいた、全裸で。

「…………………………」

 周囲を見ると、たしかに混浴だ。みんな裸で、しかも男女混合だ。

 ほたるさんと双海さんも慣れてるみたいで、堂々と二人ともオレの前に並んで立ってる。

「二人とも恥ずかしくないんですか?」

「ここでは水着を着ている方が恥ずかしいでしょうね」

「修学旅行の小学生かよ……」

 けっこう男としてはコンプレックスがあるんだぞ。白人って必ず割礼してるから、あれだけど。日本人の男は普通は割礼なんてしないし、平均的には仮性包茎が平均なんだ。だいたい雑誌の広告が悪いんだ。仮性の方が衛生的なのに儲け主義で問題みたいに書きやがってよ。

「一蹴くん、恥ずかしいと思うから恥ずかしいんだよ。普通だと思えば……」

「ほたるさん?」

「っ…やっぱり! 恥ずかしいよっ!」

 ほたるさんがイタリアのトマトみたいに赤面して双海さんの背後に隠れた。

「白河さん? さっきまで平気だったじゃないですか?」

「外人に見られるのは平気だけどっ! 一蹴くんに見られるのはイヤ!」

「「………」」

「しおにゃんのバカっ! 健ちゃんに言い訳できないよ!」

「言い訳する必要はないでしょう。それから、外人という表現は好きではありません」

 双海さんは手桶をもって、ほたるさんの身体を流してあげると恥ずかしくて座り込んだのを立たせて、湯に入れた。

「ほら、これなら、鷺沢さんの視線も気にならないでしょう」

「ぅ~っ……。お湯にタオルつけちゃダメかな?」

「それは日本でもマナー違反ですね。鷺沢さん、なるべく白河さんの方を見ないように」

「言われなくても……」

 オレは背中を向けて湯に入った。ほたるさんは日本人女性として、かなり可愛い方だし、双海さんは色素の薄い人種が混じってるから、本当に真っ白な肌をしてたし………思いっきりピンク色だったのが、忘れられない。

「一蹴くんのエッチ」

「そっちから………ふ~っ………いい湯だ」

 オレは話を逸らした。

 いい湯だ。

 それだけは本当に、いい湯だ。

 安いホテルに泊まってるからシャワーだけで過ごしてきた。お湯につかるのは何ヶ月ぶりだろうか。

 とくに温泉なんて初瀬温泉以来だ。

「一蹴くん、エッチなこと考えてない?」

「ないっ!」

「ふ~ん………つまんないの」

「あんた酔ってるのか?!」

 思わず振り返って怒鳴ると、酔ってるどころか、呑んでる。

「ドイツといえばビールだよね♪」

「鷺沢さんも、呑みなさい」

「命令形かよ?! っていうか、ほたるさんみたいに肩まで入ってくれよ!」

「急に湯に入るのは心臓に悪いのですよ。半身浴が基本です」

「じゃあ、胸を隠せ!」

「やっぱり、よからぬことを妄想して…」

「妄想じゃなくてリアルに目の前にあるからだ!」

「そのうち見慣れますよ」

「…………」

「エスキモーは異性に腕も見せませんが、アフリカ人は女性もトップレスです」

「アフリカ人は、それが普通だし! オレはアフリカ人に欲情したりしないからな!」

「黒人差別というわけですか」

「差別とかじゃないし!」

「いいえ、差別です」

 言い切って、さらにビールを呑み干してる。オレにまでジョッキが注文されてた。

「まあ、呑みなさい。そして聴きなさい」

「………」

 ドイツは面白いことにワインとビールは16歳から、ウイスキーやブランデーなんかの蒸留酒は18歳から呑める。高校を卒業した夜、鷺沢衛のビールを断ったのは、日本の法律を尊重したからだけど、今は断る理由がない。

「鷺沢さん、いまだにドイツに来てビールの一杯も飲んでいないでしょう。反ドイツ的ですよ」

「節約してるからだよ」

「これは私の驕りです」

「……」

 強引にジョッキを持たされてしまった。

「さきほどの白河さんの発言も同じ差別意識に根ざしています」

「「?」」

「白人に裸を見られても動揺しない、黒人の裸を見ても動揺しない、自分に近い人種の異性にだけ動揺する、というのは差別です。しかも、かなり深刻な」

「………そうなのか?」

「…そうなの?」

「大戦中に英国は捕虜にした日本兵を奴隷として使用していました。土木作業をさせる場合もあれば、屋敷の中で掃除をさせる場合もあり、英国人女性は室内で裸体でいるとき、日本人捕虜が入室して掃除をしても平気だったそうです」

「「…へぇぇ……」」

「その英国人女性が日本人捕虜を異性ではなく、異種の下等な猿程度にしか考えていないからです。その英国人女性も同じ英国人男性が入室してきたなら、女性らしい反応をして怒るなり泣くなりしたでしょう。つまり、鷺沢さんは黒人女性を異性と思っていないのです」

「ぅっ……………」

「もしも、鷺沢さんが強烈な差別主義者で純粋な日本人しか興味の対象としない人間であれば、私の裸体を見ても、死体を見ても動揺しなかったでしょうね」

「…死体って……」

「ナチス幹部はユダヤ人の死体を見ても気分を害さなかったのです。鷺沢さんも白河さんも解体された牛肉を見ても気分を害さないどころか、食欲が湧くでしょう?」

「……いえ、……解体工場はグロいし…」

「ほたるも……ステーキになってると、お腹空くけど、解体されてるのは…」

「そうですか。……ちなみに、アメリカ人は牧場で牛を見ても、食欲が湧くそうです」

「アメリカ人って……」

「鷺沢さんだって、水族館でタイやマグロを見ると、食欲が湧きませんか?」

「あ、それはある。鯛とか美味そう」

「アメリカ人は水族館で可愛いと思うことはあっても、美味しそうとは感じません。食生活の違い、食欲の対象となるものの違いですね。フィンランド人の系譜である私はトナカイを見て、美味しそうだと思いますよ」

「トナカイって喰えるのか?」

「日本人だって鹿やイノシシを食べますよ」

「…………ほたるさん、食べたことある?」

「うん♪ ボタン鍋! パパと日本料理屋さんで食べた♪」

「へぇぇ…」

「朝鮮人は犬も食べますね」

「「犬まで……」」

「だからといって朝鮮人が野蛮だと思うのは早計ですよ。牛や豚を食べることを禁忌にしている人々から見れば、日本人は野蛮に見えてしまうのですから」

「文化か……。オレ的にはユダヤ人の件をのぞけば、ドイツ人は好きだけどなぁ~。ベルリンで過ごしてわかったけど、ドイツ人も日本人に好意的だしさ」

「どうしても国境を接している国とは対立しやすいのです。その点、ドイツと日本は遠いですし、先の大戦での同盟国でもありますから」

「たまに、ユカリの行方を尋ねて世間話になったとき、オレが日本人だってわかると、次はイタリア抜きで戦おうぜ、とか言われるし」

「ほたる的には戦争反対っ!」

 ほたるさんが、のぼせた上に酔っぱらって湯から出てきた。身体が真っ赤だ。

「私としてはドイツはフランスと組むべきですね。そこに日本が混ざれば、面白いでしょう」

「フランスとは仲悪くない?」

「両者は似ているのですよ。フランス革命とヒットラー政権は同じです」

「………オレ、世界史は苦手だけど、とんでもないこと言ってない?」

「ほたるも音楽史しか知らないけど、フランス革命って、いい革命じゃ?」

「民主的で急進的な改革という点において、そして結果として恐怖政治へ移行した点において、両者は本質的に同じ現象なのです。そして、ユダヤ人虐殺は広島長崎と同じ意識によるものです」

 双海さんは何杯目になるかわからないビールをぐいぐい呑んだ。ちょっと肌が桜色になるだけで、ほたるさんほど真っ赤にならないのは白人特有のアルコールへの強さだろうな。ほたるさんは茹ですぎた餅みたいにヘバって完全に湯からあがってる。

「そもそも革命と名の付く歴史事件に良い結果があったためしは無いのです!」

「そうなんだ?」

「連綿と続く伝統には浅慮な革命家には理解できない合理があり、政治とは一朝一夕に成し遂げられるものではありません。ドイツにだってビール純粋法があるじゃないですか!」

「ああ、あの原料に混ぜものをするなっていう法律な」

「歴史上、評価できる急速な変化は、私が知る限り一つだけです!」

「それは?」

「維新です!」

「……日本の?」

「そう、明治維新です! 日本の侍ほど歴史上の役割を終えた時点での自主的な解体と速やかな終焉を迎えた組織階層は存在しません。騎士ともローマ兵士とも違います。むしろ、その本質においてギリシア兵士に近いのですが、また別個の…」

「ビール、呑みすぎじゃ?」

「ドイツには6000種のビールがあるのです!」

「……」

 呑みすぎだ、顔に出ないけど、明らかに酔っぱらってる。さっきから言ってることが支離滅裂なような同時並行のような、たんに言いたいことを言いたいだけ言う、酔っぱらいの典型的パターンだ。

「鷺沢さんこそ、さっきから呑んでませんね!」

「うわっ…」

「私のビールが呑めないのですか?!」

「呑む! 呑むから離れてくれ!」

「勧められたら呑むのが礼儀ですよ。この無礼者」

「雅のマネをしない! 呑むから手を離してくれよ! 自分が裸なの覚えてる?!」

 暑くて頭が溶けそうだから一気に呑み干した。

 美味い。

 ビールが、こんなに美味いものだとは思わなかった。

「……………………」

 もし、あのとき、あの鷺沢衛が勧めてくれたビールを呑んでいたら、今の結果は違ったのだろうか。もっと、別の方法で時間をかけて告白をしていたら、あの両親は許してくれたんだろうか。

「何を考えているのですか?」

「急に優しく問いかけないでくださいよ」

「私はいつでも優しいですよ、一蹴」

「急に呼び捨てにしない」

「くすっ…ふふ、ふふふふ♪」

「酔ってるな………」

「入浴中に飲酒すると酩酊しやすいので注意が必要です」

「……わかってるなら、しろよ! ほたるさん潰れてるじゃん!」

「介錯してあげてください」

「介抱だ! 殺すな!」

「はいはい、じゃあ、そっちを持って」

 ほたるさんが倒れてるのを二人して持ち上げる。涼しいところまで運んで冷たいタオルをかけた。

「う~っ……健ちゃん……もう、呑めないよ」

「「………」」

「ほたるを酔わせて、どうするの♪」

「……どうしましょう? 成敗しますか?」

「………捨てていきたくなるな」

「やだァ…、健ちゃんたら、ほたるを捨てないで」

「ビミョーに切実なことを……」

「切実なのですか?」

「どうだろう? まあ、伊波先輩は浮気するような人じゃないしね。大丈夫だと思う。日本とウイーンでも、お互いの居場所がわかってるなら、こんなに近いんだからさ」

「出発してから24時間以内に出会えますからね」

 双海さんが空を見上げた。すっかり暗くなってる。

 星空は北半球だから日本と変わりない。

「双海さん」

「はい?」

「今日は、ありがとう」

「いいえ、私が付き合わせたのですよ」

「オレが気分転換できるように、ユカリがいる可能性がない南ドイツまで連れてきてくれたんだろ? ここなら気を張って無くていいから」

「気づきましたか……この頃、食欲もないようでしたから心配したのです」

「パンとソーセージに飽きたんだよ」

「誤魔化さないでください。弟を心配するのは、姉の役目です。それもあと少しなのですから」

「ありがとう」

 双海さんが帰国してしまうまで、残り少ない。けど、たとえユカリが見つかっていなくても、ちゃんとドイツ語を話せるようになったから、きっと大丈夫だ。

 

 

 

 翌々日、南ドイツへの小旅行でリフレッシュさせてもらったオレはベルリン市街を綿密に捜すという作業を再開していた。ユカリの写真を見せてドイツ人に次々と声をかけてみる、地道な作業だ。ときどき警察官に挙動不審者として職務質問されるけど、ちゃんとドイツ語で説明してパスポートを見せると逮捕されたりしない。むしろ、同情してくれて情報があったら教えると約束してくれる警官さえいる。

「人口300万人か……」

 とはいってもベルリンは広いし、人口も多い。

 まっさきに捜した日本人学校にはユカリの手がかりは無かったし、日本人大使館は今までの旅の中で一番非協力的な組織だった。ストーカー防止法とか、個人情報の保護って、いったい何のためにあるんだよ、チクショー。

 トントン

 誰かに肩を叩かれた。

「はい?」

「♪」

 振り返るとピエロが立っていた。

 バカみたいに派手な化粧をしたピエロが、細長い風船をオレに差し出してくる。

「これが何か? ……あ、この写真の少女を知りませんか? どこかで見かけたことはありませんか?」

 大道芸人なら、可能性は大きい、そう思って問いかけたけど、ピエロは肩をすくめて身ぶりで「知らない」と伝えてくる。たまに、ドイツ語を話せない移民もいるから、苦手な英語でも問いかけたけど答えは同じだった。もしかしたら、英語もわからないのかもしれない。となるとフランス語やイタリア語、アラビア語はオレの守備範囲外だし、双海さんとは別行動中だ。

「どうも、ありがとう。じゃあ」

「♪」

 ピエロが立ち去ろうとしたオレの肩を引き止めた。

「え…? なにか?」

「♪」

 オレは少し警戒したけど、ピエロは細長い風船をオレに持たせる。

「これをくれるのか?」

「♪」

 ピエロは、さらにポケットから出した風船を膨らませると、あっという間に風船を曲げたり、捻ったりして、犬のプードルを作った。ああ、やっぱり大道芸人か。

「♪」

 手ぶりでオレにも同じことをしてみろ、と伝えてくる。オレはポケットから1ユーロ硬貨を出した。

「ごめん、悪いけど人捜し中なんだ。付き合えないよ」

「♪」

 ピエロは硬貨を受け取らず、神業的な速さでオレのポケットからユカリの写真を盗った。

「っ?! 返せ!!」

「♪」

 オレの手をすり抜けたピエロは逃げたりせず、ユカリの写真をオレの胸に押し当てるとテープでシャツに貼り付けた。

「なっ? なにするんだよ?! ふざけてるのか?」

「♪」

 さらにピエロはサインペンでオレのシャツに「WANTED」と書きつけた。

「……英語? ……お尋ね者か……なるほどね」

「♪」

「そりゃ、君のやってくれた通り、こうすれば早いかもな」

 ピエロはオレに捜すならシャツに貼り付けていた方が早いと教えたかったみたいだ。オレはポケットから紙幣を出そうとしたけど、ピエロは風船を膨らませてる。

「♪」

「おおっ? コアラか、これ?」

 今度は風船でコアラを作ってくれた。

「♪」

「オレに同じことをしろって? 無理だよ」

「♪」

 ピエロは逃げ腰なオレを離してくれない。どうしても、オレに風船細工をチャレンジさせたいみたいだ。

「……仕方ないな……やってみるか」

「♪」

「う……やっぱり、難しいな……割れそうだ…」

「♪」

 ピエロが手ぶりで捻り方や曲げ方を教えてくれる。何度も風船を割ってしまい、五回目に成功した。

「やった! できた!」

 プードルより簡単そうな蝶の細工で成功した。

 パチパチパチっ!

 ピエロだけじゃなくて、いつのまにか立ち止まっていた数人のドイツ人が拍手をくれた。

「は、はは、どうも。……じゃ、これは君に」

 日本人としてオレは照れを覚えて、近くにいた子供に風船で作った蝶をあげる。

「ありがとう、お兄ちゃん」

「どういたしまして。じゃ、オレは…」

 恥ずかしいので立ち去ろうとしたのに、ピエロがオレの肩を握った。

「まだ、オレに…」

「♪」

 ピエロがオレの胸を指して、それから立ち止まっていた人たちの注目を集めるよう大袈裟に腕を振った。

「あ、ああ。なるほど……。すいません! この写真の少女を知りませんか? オレの恋人なんです! ドイツにいるはずなんです!」

「「「……………………」」」

 誰もが一度は記憶をたぐってくれたけど、知らないって顔をした。

「そうですか、ありがとうございました」

「♪」

 ピエロが肩を叩いてくれる。諦めるな、という意味だ。

「ああ、ありがとう」

「♪」

 あっという間にピエロは風船で王冠を作るとオレの頭にかぶせてくれる。これで、さらに目立つようになった。

「♪」

「うっ……まだ、作れっての? プードル? ……わかったよ、やってみる」

 せっつかれて今度はプードルに挑戦する。何度か失敗した後、不恰好なプードルができあがった。

 パチパチパチパチパチっ!

 さっきより拍手をしてくれる人の数が増えてる。

「♪」

「あ、ああ。じゃあ、これは、そっちの君にあげる」

「ありがとう、中国人のお兄ちゃん♪」

 出会った頃のユカリくらいの少女にプードルを渡した。

「おいおい、オレは日本人だしね。そこんとこ、よろしく♪」

「日本人? うん、わかったよ」

「あ、そうそう、この写真の子を知らない? オレの捜してる人なんだ」

「う~……ん、……ごめんなさい、知らないわ」

「そっか、ありがとう」

「♪」

 ピエロが次の風船を渡してくる。

「いつまで続けさせるんだよ?」

「♪」

 ピエロは太陽を指して、それが沈むまでだと示した。

「マジで………。ま、この方法もいいか…」

「♪」

「じゃあ、もう一回プードルで、さっきよりカッコいいのを」

 オレはピエロに教授されつつ、色々な風船細工に挑戦して、その都度まわりのドイツ人にサービスして、さらにユカリのことを質問してみた。

 残念ながらユカリの手がかりをつかむことはできなかったけど、いつもの数十倍の人間に質問することができたと思う。

「ありがとう、ミスターピエロ」

「♪」

 ピエロは路上に置いていた帽子から、投げ入れてもらった小銭の一部をオレに差し出してくれる。

「い、いいよ!」

「♪」

 強引にオレのポケットに小銭を入れると、夜空を指した。

「……日が昇る? ……また、ここにこいって? 明日も?」

「♪」

「………………………。わかったよ。じゃあ、また明日」

 ピエロと約束して別れたオレは宿に戻った。今は一流ホテルじゃなくて安いユースホステルに泊まってる。すでに部屋に双海さんが戻っていた。

「おかえりなさい」

「ただいま。今日は変な日だったよ」

「変、とは?」

「ピエロに捕まってさ…」

 オレは今日のことを双海さんに話した。

「なるほど、いよいよ鷺沢さんも恥も外聞もないということですね」

「ぅっ……まあね。それに、ほら、報酬もあったよ。今日の飯代くらいにはなるさ」

 小銭と言っても、けっこうな量があるから食事代くらいになる。

「この方法なら、無限にユカリを探し続けられるかも……大道芸か…」

「いい方法です。ですが、せっかくのところ水を差すことになりますが、大道芸の世界も厳しいですよ。今日のように春先の天気の良い日なら多くの人に会えますが、悪天候の日は無理です。ユカリさんのことを尋ねるにしても、チップをもらうにしても、かなり不安定な方法だということは覚えておいてください」

「そっか……なるほどな。双海さんの言うことも、もっともだ。……ふ~っ……資金の心配が無くなると、思ったんだけどなぁ……」

「…………」

「ふ~っ……疲れた。腹も減ったし」

「……………、あと旅の資金は、どのくらい残っているのですか?」

「う~ん………一万ユーロちょい、かな」

「…そうですか…」

「さて、飯にしよ。今日はオレが驕るよ」

「いえ、ワリカンにしましょう」

「いいよ、今日は臨時収入もあったしさ」

「私は夕食をごちそうしてもらった男性と同じ部屋で寝るのはイヤです」

「ぅっ………いろいろと、こだわりがあるんだな…」

 いつも通りソーセージとパンの夕食を済ませると、少しテレビを見てから眠った。

 

 

 

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