「~それから~ again ゆかりむつび」    作:高尾のり子

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第3話

 

 ユカリを探して街を歩き回ること、三日目。

「とうとう見つけたぞ」

「? ……中森先輩?」

 ドギャスっ!

 いきなり街角で出会った中森先輩に力一杯殴られ、吹っ飛ばされる。

「うがっ?!」

「立てよ」

「なにするんですか?!」

「一発でオレの怒りが治まると思うな」

「ぁ……あのこと…」

 南先生に乱暴したことを思い出した。

 激……ヤバ……。

「あ…あれは誤解っす!!」

「お前に正義があると思うなら反撃すればいい。正義の女神が、どちらに微笑むか、拳で決める!」

「ま…待ってください!」

「問答無用っ!」

 ぼこぼこに殴られた。

 骨こそ折れなかったけど、全身アザだらけで体力値もゼロに近い。

 それに泣きそうだ。

 ちょっと回復しなければ捜索活動はムリだ。

 オレは日暮荘へ、トボトボと歩いた。

「ワン! ワン!」

「よぉ…ショーゴ、お前は元気そうだな」

「ワン! ワン!」

 いつも通り、日暮荘の前でショーゴは元気に吠えている。

「は~ぁ……ユカリ、どこにいるんだろうな……」

「ワン! ワン!」

「お前もユカリに会えなくて淋しいだろ?」

「ワ~ぉン!」

「そうか、淋しいよな」

 ショーゴだってユカリに会いたいだろう、会いたいに決まってる。

 

 

 

 自分の部屋で目を覚ましたとき、身体中が痛いことと、手首が不自由なことに気づいた。

「なんだ、これ?」

「目が覚めましたか」

 見たことあるような女性がオレの部屋にいる。

「あ……えーーっと……ハーフかなにかの…」

「クォーターの双海詩音です」

「ああ、そうそう! で、その双海さんが、なぜ、オレの部屋に?」

「さあ?」

 とても重要なことに答えてくれない双海さん、しかもオレの手首には鎖が巻かれていて、その鎖は双海さんの手首にもつながってる。5メートルほど長さがあった。

「なんで、オレと双海さんがつなげられてるの?」

「さあ?」

 不愉快そうに答えて、双海さんは本を読み始めた。

 オレの存在なんか無視ですか。

「………」

「…………」

 女の子と二人っきり、しかも鎖で拘束って、相当に変な状況じゃないか。

「…………もしかして、オレと双海さん、許嫁にされた?」

「バカですか? ………まあ、それも発想としてはアリでしょうか。とりあえず、私の身体に触れたら攻撃します。容赦なく、人体の急所を」

「…はい……」

 また、本を読み始めた。

 つまりはヒマつぶし。

 オレはトイレに行きたい。

「トイレに行きたいんだけど」

「どうぞ」

「……この鎖、つながったまま?」

「5メートルありますから、このままで大丈夫です。でなければ、私が承知するはずがないでしょう?」

「あ、…ああ……誰かに頼まれて?」

「さあ?」

「…………とりあえず、失礼します」

 オレはトイレで用を足して、部屋に戻った。

 もしかしたら、変な夢の中の出来事で双海さんは消えているかも、と思ったけど、やっぱり部屋にいて本を読んでる。

「……あのぉ……いいっすか?」

「何ですか?」

「それ、なにを読んでるんですか?」

「サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、です」

「面白い?」

「それなりに」

「………オレ、外出したい。腹減ったし、用事もあるし」

「食事なら冷蔵庫にサンドイッチがあります」

「双海さんが作ってくれたの?」

「いいえ、ルサックの残り物です」

「信か?!」

「否定はしません」

「この鎖も?!」

「……。肯定しておきましょう」

「オレはユカリを探しに行くんだ!!」

「まあ、今日はケガもしていることですし、サンドイッチでも食べて落ち着いてください。私は目的地もなく歩き回るのはイヤです」

「…………」

 とりあえず、オレはサンドイッチを食べて、冷めた紅茶を飲んだ。

「…美味い……この紅茶、うまいな…」

「私が淹れました♪」

 さっきまで無愛想だった双海さんが可愛らしく微笑んだ。

「そ、…そうなんだ。ありがと……ごちそうさま」

「お粗末様です。もう一杯、熱い紅茶を淹れましょう。冷めたものとは別次元の味わいですよ」

「あ…ああ、…どうも…」

「そもそも紅茶というのはですね…」

 流暢な日本語でペラペラと喋り始めた双海さんの紅茶講座をとめることはできなかったし、鎖でつながれているから逃げることもできかった。

 日が暮れる頃になって、信くんが帰ってきた。

「信くんっ!! 説明しろ!!」

「まあまあ、デカイ声を出すな、近所迷惑だろ」

「これが黙っていられるか!」

「こっちで話そう」

 信くんは部屋の外に出て、ドアを鎖だけ残して閉める。ちょうど双海さんに聞こえないような声になった。

「本当に、すまん」

「……なにか、事情があるんですか?」

「大きな声を出すなよ」

「…はい……」

「絶対に、双海さんに聞こえるような声を出すなよ」

「……はい…」

「彼女、ちょっと病気なんだ」

「なっ…」

 オレは自分の口を押さえて信くんを睨んだ。

「病気って?! 感染する?!」

「違う、心の病だ」

「なんだ、心か…。って! どんな?!」

「まあ、うつ病というか、なんというか、ほっとくと何するかわからないから…」

「そんな女の子とオレを?!」

「だから、すまん!」

「なんで病気なんですか?!」

「それは…まあ……彼女、幼い頃に母親を亡くしていたり……日本になじめなかったり……まあ、そんなこんなで、ほっとくと自殺したり、するかもしれないし、他人をケガさせるかもしれないし……まあ、でも、誰かが見張ってれば安全なんだ。おとなしく本を読むか、紅茶を飲むか、小説を書くか、それくらいしか、しないから」

「…………。……」

 たしかに、さっき紅茶のことを延々と6時間も語ってくれたのは、病的かもしれない。オレの制止も無視して、鎖でつながってるのをいいことに自分が満足するまで一方的にマシンガンみたく喋るのは、明らかに正常人の域を超えてる。たんなる紅茶好きでは説明できない異常さだった。双海さんから紅茶を取り上げたら、ボストン茶会事件どころか、貿易センタービルにミサイルを撃ち込むかもしれない。

「…………信くんが見張ってればいいでしょうが?」

「オレはバイトあるし」

「オレもバイト……」

「お前は長期休暇を静流さんに申請しただろ?」

「それはユカリを探すためなんだ!」

「頼む、ほんの少しの間でいい! 協力してくれ!」

「ほんの少しって、あと、何時間?」

「……ま…まあ、…それなりに……あと少し…」

「精神病院にでも入れればいいでしょうが?」

「友達として見捨てるようなことはしたくない! 精神病院の実情を知ってるのか?」

「……いいえ…」

「ただの収容施設だ! よっぽどの精神科医に友達でもなければ、ロクな治療は受けられない。ただ、異常者を閉じこめるだけの施設で、入院すれば、もっと悪化するんだ」

「………まあ、…入院生活って苦しいだろうし……身体が元気なら、……余計…」

「だろ? だから頼む!」

 信くんが一生懸命に頭を下げるので、仕方なく納得した。すると、今度は双海さんが外に呼ばれて、オレが中に入らされる。窓から見ている限り、オレにしたのと同じように信くんは平身低頭の勢いで双海さんに頭を下げる。まあ、うつ病の女の子を見ず知らず同然の男に鎖でつなぐんだ。むしろ、悪化しないか、心配だな。

 他人として可能な限り優しくしよう、男女の関係にならない範囲で。

「……は~ぁ……ケガが治るまで……仕方ないか…」

 夜になって、狭い部屋で可能な限り離して、隅と隅に敷いた布団で眠った。

 

 

 

 双海さんと鎖でつながれること一週間、やや人見知りの傾向がある彼女だったけど、今では普通に会話が成立するようになった。

「そっか。……海難事故でお母さんを…」

「はい、日本でも報じられましたが、忘れもしない1994年9月28日、フィンランド沖のバルト海で…………戦後最大の海難事故といわれています。大型フェリー・エストニア号が沈没、909人が犠牲となりました。……その中に母も…」

「つらいだろうね」

「いえ、鷺沢さんこそ、ご両親を亡くされて…」

「うん、まあね。でも、物心つく前だったから、会えなくて悲しいとか、こいしいとか、そういう想いは無いんだ。あ、なんか、事故で死んじゃってるのか、……そんな感じ」

「……………………。聞けば聞くほど、鷺沢さんは数奇な人生を送ってこられたのですね。ご両親のことも、リナさんのことも、そして、縁さんと養父母とのことも……」

「ああ、だから、そろそろ探しに出たいんだ」

「…………」

「この鎖を解いてほしい。この一週間で気づいた。双海さんが心の病気なんていうのはウソだ」

「…………」

「双海さんは正常だ。そして、双海さんは信くんに頼まれて、オレを見張ってるんだ。オレがユカリを探しに行かないように、って」

「…………」

 双海さんが顔を背けた。

「わかってもらえなくても、オレは行く」

「…なにをするつもりですか?」

 オレは台所から包丁を持ってきた。本当はペンチとか、大工道具があれば簡単だろうけど、包丁で鎖を断つことにした。何度も打ち付ければ切れるだろう。

 ギンッ! ギンッ!

 刃こぼれしていく包丁に比べて、鎖はカスリ傷しかつかない。

「クソッ!」

 ギンッ! ギンッ!

「無駄ですよ。その包丁はステンレス製でしょう。この鎖はチタン配合の合金です。硬度も耐久性も、圧倒的に勝っています。そんなこと100年しても、この鎖は断てないでしょう」

「……ハァ………ハァ………オレはユカリを探しに行くんだ!!」

「………」

「ハァ…ハァ……目的のためには手段を選ばないって言葉を知ってるか?」

「マキャベリズムですね」

 座っていた双海さんが本を手にして、腰を上げた。

 オレが包丁で襲いかかっても、本で防御できる姿勢だ。

 何度か、試したけど格闘戦で双海さんに勝つことはできなかった。

「ハァ…ハァ…そんな上等な言葉は知らない」

「武器を捨て、無駄な抵抗はやめてください」

「双海さんに勝てないことはわかってる。……けど」

 オレは自分の親指に包丁をあてて、力を入れた。

 ズッ…

「…くっ! ハァ…ハァ…」

 猛烈に痛い。指を根元から切り落とすなんて、簡単じゃないんだな。

「なんてことを?!」

「親指を落とせば鎖が抜けるからだ!!」

「やめなさい!!」

 包丁を持っている手に本を投げつけて、双海さんが取り押さえにくる。いとも簡単にオレは組み伏せられていた。

「クソッ!」

「幸い、浅いようです。まったく、なんて愚かな行為を…」

 怒りながら双海さんは水色のハンカチを包帯代わりに巻いてくれる。ここ数日、双海さんは医学書を中心に読んでいたので詳しいだけに怒ってくる。

「親指は五指のうちで、もっとも大切な機能をもっているのですよ。そもそも、指にも太い動脈があり、切断したまま逃亡するなど体力の…」

「オレは!! オレはユカリを探しに行くんだ!!」

「…………」

 オレの血がついた手を見つめて、双海さんは深いタメ息をついた。

「………わかりました。つながれたまま、外を歩くのは絶対にしたくなかったのですが、妥協しましょう。一週間も部屋に閉じこもっていたのでは気分も滅入りますから」

「ハァ…ハァ…」

「傷は痛みますか?」

「こんなの平気だ!」

「日本男児らしい、いい答えです」

 包丁を片付けた双海さんはオレが通学に使っていたカバンを用意して、そこに5メートルある鎖を入れた。それを二人で持って、外に出た。

「う…まぶしいな。久しぶりの外の空気だ」

「そうですね。日本では日光浴を意識しませんが、日照時間の少ないフィンランドでは、よく日光浴をしたものです」

「へぇぇ…」

「日光を浴びないと人体はビタミンDを生成できず、骨にカルシウムが着かないのです」

「へぇぇ…」

「ほかに季節性うつ病などもあり、やはり心の病の治療には適度な日光浴が肝要ですね。………ただ…」

 双海さんが唇を噛んで恥ずかしそうにした。

 っていうか、オレも恥ずかしい。

 今どき手首を鎖でつないだ男女なんていない。

 通行人が奇異の目で見たり、女子中学生に「キャー♪」とか言われた。

 タイミングが最悪なことに日暮荘の一階に住んでるワック店員のお姉さんに目撃されて「クスッ…羨ましぃ♪」なんて微笑まれてしまった。

「鷺沢さん……少し離れませんか?」

「あ、ああ…離れよう。オレが持つよ」

 鎖の入ったカバンをオレが持ち、双海さんは50センチほど離れる。いっそ道の端と端にまで離れたいけど、それをすると通行人に激しく邪魔になるどころか、子供とかを転ばせてしまう。

「……」

「……」

「ショーゴ、いないな? 珍しく信くんが散歩に連れて行ったのかな」

「………。……散歩…」

「……散歩……」

「……………」

 日暮荘から歩き始めて5分ほど、双海さんがオレに近づいてきた。

「やはり、ケガをしている鷺沢さんに鎖の入ったカバンを持たせるのは酷でしょう。私が持ちます」

「いいよ」

「私が持ちます!」

 双海さんが真っ赤な顔をして訴えるから、オレはカバンを手渡した。

「ど…どうぞ。…どうして、そんなに赤くなって?」

「だって………、……鷺沢さんから少し離れて鎖でつながれていると、御主人様に散歩させてもらっている趣味の女みたいに……しかも、中途半端な度胸しかなくて首輪は恥ずかしいので手首から慣らしている……みたいに、他人から見える気がしませんか?」

「………見えるかも…」

 いや、むしろ普通の人は、オレが義妹を探しに行くのを阻止するため拘束されている、と真実を理解するより、双海さんが恥ずかしがった通りの疑惑を持つだろう。

「あのさ……オレは男同士のくだらない会話で、そういう知識を得るけど、双海さんって、どうして、御主人様とか、散歩とか、知ってるわけ?」

「読書量は多いですから」

「……どんな本で仕入れた情報?」

「日本文化を吸収するためにマンガも読むのですよ。少年マガジンの、女子大生家庭教師濱中アイ、とか、同じ作者の、妹は思春期、などです」

「ふーん……オレはジャンプ派だから。家庭教師と妹ねぇ…それって、どんな話?」

「四コマ形式を主として、天然ボケの女子大生家庭教師や、変に思春期を迎えて性的なことばかりに興味を持っている妹が、ごく普通の男子生徒をビックリさせつつ、少年誌として18禁ネタにならないギリギリの展開を繰り返すワンパターンな漫画です」

「………ふーーん……」

 なんだか、そこはかとなく女子大生だった南先生とユカリを思い出させる設定だ。

「………………」

「………………」

「あのさ…やっぱり…」

「……これも…恥ずかしいですね。私が鷺沢さんを散歩させてあげているようで…」

 双海さんが鎖の入ったカバンを持って、オレが鎖につながれて歩いてると、これはこれでオレが忠犬みたいで通行人に注目されてる。

「双海さん……やっぱり仕方ないし、ラブラブなカップルの散歩っぽく歩かないか?」

「…そうですね……。散歩させてもらうのも、散歩させてあげるのも、他人の目に変に映るようです。まだ手をつないで普通の男女の散歩ように歩く方がマシですね」

「じゃあ、偽りのカップルの散歩ってことで」

「はい。………一度、帰りましょうか」

「…あ……ああ…」

 とても、このままユカリを探そうという気にはなれない。っていうか、双海さんと鎖で結ばれたままユカリを見つけても、ユカリが悲しむだけな気がする。

 双海さんも疲れた様子でオレの手を必要最小限度に握ってくれた。いのりやユカリとの握り合い方じゃなくて、触れているような握っているような、ごく微妙な力加減なのが、むしろ中学生同士のカップルみたいで気恥ずかしい。ああ、やっぱり鎖を切ってから外出するべきだった。

「…ふ~ぅ……」

「深いタメ息っすね」

「恋愛感情のない男性と手を握り合うのは、日本人女性として気疲れします」

「…どうも…すいません…」

「まったく稲穂さんには困ったものです」

「信くんは、どうして自分でオレを見張ってないんだ?」

「詳しくは知りませんが、忙しいとのことです。バイト先の女の子をフォローしなくてはならないとか、なんとか…」

「自分は女のケツ追いかけてるのかよ…」

「いえ、恋愛感情はないらしいですよ」

「……あの人も、損な役回りが多いな」

「今回は私もです」

「ぅ……すいません…」

「大学も三年生になると、時間の作り方は心得ていますから平気ですが…やっと着きましたね」

 ごく短い時間だったのに鎖でつながれていたせいで、長く感じた散歩が終わって日暮荘に戻れた。見れば、ちょうど4月の上旬に引っ越してきた男子大学生がヒマそうにショーゴの小屋を見つめてる。

 けど、小屋にショーゴはいない。

「まだ帰ってないのか、信くんにしては珍しく長い散歩だなぁ…」

「あん?」

 男子大学生が振り返って睨んできた。

「………」

「………」

 なんでオレが睨まれなきゃならないんだ。新参者のくせに、それが挨拶かよ。

「「………」」

 黙って睨み合いになる。

 この大学生、たしか部屋に連れ込んだ女の子を泣かせてた物音がしたヤツだ。

 オレは双海さんを背中にかばって、前に出た。

「オレに文句でも、あるんっすか?」

「ああ、あるね」

 あるのか………騒音とか、ゴミ出しとか、かな。同じアパートの住人とのトラブルは長引くから、ヤダなぁ。

「できればケンカしたくないですけど」

「チッ……クズ野郎。弱い者イジメしかできないってか」

 ムカ。

 オレがいつ弱い者イジメなんかしたってんだ。

「なにか誤解してませんか?」

「あん? ……クズ野郎のくせに、女連れやがって」

「………」

 まあ、普通に双海さんが恋人に見えるだろう、しかも美人だ。うらやましくも見えるかもしれない、だったら自慢してやる。

「男の嫉妬はみっともないですよ」

「なっ…てめぇ!」

「彼女に逃げられでもしたんですか?」

「ぃ、言わせておけばっ!!」

 殴りかかってくるかと思ったけど、拳を握って自制してる。暴力反対ってタイプか。

「………」

「てめぇみたいな最低野郎は殴るに値しな…っ…」

 セリフの途中で大学生の目が、双海さんとオレを結ぶ鎖でとまった。

「……な………なんてことを…」

「………」

「…自分の女に……なんてことを……」

 あ、誤解してる。オレが悪者で双海さんを鎖でつないでる、とか、しかも、双海さんはイヤイヤ従ってる可哀想な女の子で、オレは極悪非道のヘンタイ野郎って誤解を膨らませてる。ありがちかつステレオタイプな誤解を。

「………」

 どうしよう、誤解を解くのも面倒だ。

「てめぇ……、……暴力で女を縛りつけて楽しいかっ?!」

「………」

 いえ、そんな趣味はありません、誤解です。どちらかというと強い双海さんに弱いオレが捕まってます。って、説明したら大学生は納得するだろうか。

「もう許せねぇ!!」

「………」

 いや、待ってくださいよ、たとえ誤解が真実でも、それはオレと双海さんの問題だから、いちいち他人が口を差し挟むことじゃないと思うけど。

「オレは犬なんて世界で一番苦手だけどよ!! だからって虐待するようなヤツは許せねぇんだ!!」

「……」

 あ、やっぱり双海さんを犬あつかいして散歩させてるって誤解をしてる。

「困ったな……じゃあ、どうしろって? 切れるなら、この鎖を切ってみたらどうです? 望むところですよ」

「う…うおおおらっ!!」

 って、鎖じゃなくてオレに殴りかかってくるな。

 ガッ!

 顔を狙ってきたパンチを腕で受けて、蹴る。

 ダッ!

 相手の右足を蹴ったけど、浅い。

 ブンッ!

 蹴られた相手がガッツで殴ってくるのを、見切って避けた。

 悪いけど、最近、ケンカ慣れしてるんだ。いのりの件で扉とも一戦してるし、鷺沢衛にも殴られたし、中森先輩にも、カナタにも膝蹴りもらったし、さらに双海さんに稽古をつけてもらってるからさっ。

「だっ!」

 パンチを空振りした後の無防備な身体に蹴りを入れて、さらに回し蹴りを入れる。

 ガッ! ボスッ!

 見事に決まった。

 売られたケンカを買っただけだ、勝ち誇ろう。

「サッカー部だったんでね。名前も一蹴、蹴り技は十八番だ」

「ゲホッ…ぐっ…くっ…」

 地面に這いつくばった相手を見下ろした。

「それに、言っておくけど彼女を虐待してるわけじゃない。……同意、みたいなものもあるんだ」

「ぐっ…てめぇが…恐怖で支配してるだけだろうがっ! ゲホッ……」

「勝手な妄想しないでくれ。色々と事情があるんだ!」

「事情だと?! はっ! ふざけんな! 鎖でつながれて逃げることもできないのに、蹴りつけて骨を折るのに、どんな事情があるってんだ?!」

「は? 別に双海さんの骨なんか折ってないし、っていうか妄想癖ないですか? どっか病院いった方がいいですよ。ケガじゃない方の」

「トボけるのも、いい加減にしやがれ!!」

「はいはい、ナイト気取りで女の子を助けたい気分は、立派だけど、もうちょっと鍛えたらどうです? 頑張らナイト♪」

 オレってイヤな奴だなぁ……色々とストレス貯まってるし、カナタの影響があるかも。

「てめぇ!」

 這っていた大学生が立ち上がってくる。

 ガッ!

 殴られる前に蹴り倒した。

「ゲホッ! ぅ…うう…この暴力野郎…」

「……」

 先制攻撃しようとしたの、そっちだし。

「ぅ…ぐぅ……弱い者イジメが、そんなに楽しいか?」

「別に」

「だったら、なんで?!」

「ケンカ売って来たの、そっちでしょ?」

 オレの肩を双海さんが押さえてきた。

「双海さん?」

「男同士の決闘に口を挟むのは、気が引けますが、すでに決着はついています。そして、話が噛み合っていません」

「…?」

「やはり、本当に記憶がないのですね」

「……双海さん?」

「一階の河合さんが怒っていらっしゃるのはムリもないことなのです」

「………どうして?」

「トモヤ…いえ、ケン…いえ、…鷺沢さんにとってはショーゴである稲穂さんの飼い犬、まぎらわしいので稲犬としましょう」

「イナケンって……」

「稲犬は入院しています。動物病院に」

「ショーゴが?! 入院?! どうして?!」

「横腹を蹴りつけられ、肋骨を3本も骨折し、肺に刺さってしまったのです」

「蹴られ……って、誰が、そんなことを?!」

「…………」

 双海さんは静かにオレを見つめて、指さしてきた。

「あなたです」

「……は…、…は? ……はは、…は? オレが?」

「はい。あなたに蹴られた稲犬は肺からの出血で失血死寸前だったそうです」

「オレが、そんなことするもんか!」

「河合さんの目撃証言、鷺沢さんの服に着いていた血痕、まったく疑いようもなく鷺沢さんの行為でした」

「………ウソだ!!」

「事実です」

「ウソだ!! ウソだ!! ウソだぁ!!!」

「………………………」

 双海さんが犬小屋の周囲を指した。

「……ウソだ……」

 言われてみればわかる程度だけど、血の痕がある。そして、オレのジーンズにも。

「…こ……この血の痕は、さっき自分で……包丁で切ったから…」

「色の濃淡が違うでしょう? さきほどの鮮血と一週間も前の血痕では」

 ジーンズに残ってる血痕は、二種類ある。腰のあたりが新鮮っぽくて、脚の方は古そうだ。

「ヒトの血とイヌの血で差もあるでしょう」

「……ウソだ……だ…だいたい、オレが、なんで、そんなことするんだよ?!」

「あの犬が傷つけば、縁さんが心配して来るかもしれない、そんなことを虚ろな表情で口走っていた、そうです」

「……………………ウソ……だ……」

「では………ついてきてください」

 双海さんは乱闘で散らかった鎖をカバンに片付けるとオレの手を強く握った。

「ど、どこへ?」

「事実のあるところです」

 そう言った双海さんがオレを連れ込んだのは動物病院だった。そこの奥にある入院施設まで入る。そこに、ショーゴがいた。

「…ショーゴ……」

 一メートル四方ほどのゲージの中にショーゴがいる。横っ腹の毛が剃り上げられ、なにか白いテープみたいなものが無数に貼り付けられ固定されてる。痛々しい姿だった。

「……ショーゴ…おい、…ショーゴ?」

「…きゅ……きゅぅぅん…」

 オレを見たショーゴは怯えて耳をふせ、後退りもできない狭いゲージなのに1センチでもオレから遠ざかろうとしてる。

「…ショーゴ……」

 オレは脚から力が抜けて床に崩れそうになった。

「この怯えようを見れば、誰が犯人か、わかりますね?」

「………」

 双海さんが痛いほど強く手を握って見つめてくる。

 認めたくない事実だけど………事実だ。

「……け……けど、オレは覚えてないんだ!!」

「それも鷺沢さんの正直な見解なのでしょう。だからこそ、あなたは病気なのです」

「オレは病気じゃない!!」

 叫んだオレを双海さんが睨んで、動物病院の外に連れ出した。

「ご自分が病気でないと本当に、そう思いますか?」

「……………………」

 黙っているオレの鎖につながれた手首を双海さんが持ち上げた。

「これを医学的には自傷行為といいます」

「これは! これは逃げようとしたからだ!」

「ええ、そうでしょう。ですが、正常な人間なら指を切り落としてまで逃走を図ったりしません。他に、もっと合理的な判断をするでしょう」

「……………」

「冷静に、冷静に自分の行為を振り返ってください。あなたは悪くない、なにも悪くない。けれど、ちょっとばかりムチャをし過ぎていませんか?」

「……………………」

「学園に押しかけて女性教師とトラブルを起こしたり、心配してくれる友人から逃げてしまったり、可愛がっていたはずの犬を蹴りつけたり、自分の手を切ったり、あなたの主観の中では、どれも理由がある正当なことなのでしょう。ですが、少し客観的に振り返ってください」

「……オレ………オレは………病気、なのか?」

「病的な行為を繰り返していますが、正確には病気とまではいえないかもしれません。病的傾向がある程度です。理由は、わかりますね?」

「……………………ユカリが……いないから?」

「でしょうね」

「…………………………。オレはユカリを探しに行きたいんだ!!」

「どこを、どのような手がかりで探すのですか?」

「見つかるまで、どこだって探すんだ!!!」

「千羽谷市、澄空市、桜峰市、藤川市、シカ電沿線だけを捜索するにも、何ヶ月かかるでしょう?」

「何ヶ月でも探す!!」

「芦鹿島方面かもしれませんよ?」

「どこだって探す!!」

「神奈川県で無ければ?」

「静岡だって山梨だって東京だって探す!!」

「東京23区を探すのに、はたして何年かかるでしょう? そして近隣県でしょうか? 関西かも、四国かも、九州かも、北海道かもしれませんよ?」

「たとえ何年かかっても!! 探すんだ!!」

「…………。それが冷静な答えでしょうか?」

「………」

「合理的な判断のできる人間なら、歩き回るだけで見つかると思うでしょうか?」

「………………それでも! それでも探すんだ!!」

「…………………ふーーっ…」

 深々と双海さんはタメ息をついて、オレを見つめた。

「あなたの意気込みには負けました」

「…双海さん……」

「きっと、あなたは日本中を、世界中を探して回るでしょう。とても合理的ではなく天文学的な確率でしかありませんが、それをなされるというなら……もはや、私にとめだてすることはできません。むしろ、ここにとめおくことで鷺沢さんの病根を悪化させるでしょう」

「…………」

「鎖を断ちましょう」

 そう言った双海さんは中目町にある自宅までオレを連れ、リビングにある暖炉の前まで案内してくれた。

「鎖は断ちますが、断った後、一つだけ約束をしていただきます」

「……どんな?」

「………」

 オレの質問には答えず、双海さんは暖炉の上に飾ってあった日本刀を手に取った。

 暖炉の上に日本刀ですか、日本かぶれの西洋人みたいですよ。

「動かないでくださいね」

「ぅ……まさか…」

 イヤな予感がしているオレを無視して、双海さんは日本刀を構えた。

 これ以上はケガしたくないオレも観念して心構えする。

「……………………」

「…………………………………………断っ!!」

 抜刀して一閃、見事に鎖は切断された。

「……すげぇ……チタン合金とか、いってたのに…」

「また、くだらんものを斬ってしまった♪」

 チャキン…

 刀を鞘に戻して、ポーズをとってる。

「………」

「………」

「お、…お見事!」

「それほどでもありません♪」

 ご機嫌良く双海さんは日本刀を片付けると、今度はスカートのポケットから鍵を2本とりだして自分の手首と、オレの手首を拘束している錠を外した。やっと手首が軽くなる。

「……、あ…あのぉ…質問、いいですか?」

「どうぞ」

「鍵があるなら、日本刀で斬る意味は?」

「気分です」

「……気分って…」

「物事の展開を無視して、やりたいからやってみた、それだけです。だから、言ったでしょう?」

「…なにを?」

「くだらんものを斬ってしまった、と」

「………く……くだらねぇ…」

 ちょっと扉の口癖が感染しそうなほど、くだらなかった。

「鷺沢さん」

「はい?」

「約束していただきます」

「……」

「あなたの成し遂げようとしていることは、容易ではありません。覚悟してください」

「………覚悟…?」

「忌むべきは不覚悟、あなたは不覚悟ゆえ、自らの熱情と渇望で煮詰まり、他者と自分を傷つけています。ここから先、志半ばで戸惑い、困難に負けるは不覚悟。覚悟とは迷いを去り、道理をさとること。たとえ、目的が完遂されずとも後悔せず諦観せず粛々と努力をつづける覚悟です」

 まっすぐに見つめてくる双海さんの目は真剣で揺らぎがない。

「おのれを覚悟し、その所業の責任を背負い、自棄にならず、気持ちの熱さに負けず、明晰な行動をつづけることを誓ってください。すなわち、エリートであってください」

「……エリート…?」

「真のエリートです。気の遠くなるような長い道のりを精進しつづけ、報われる日が来なくとも腐り者にならない。この国のオールド・タイプである武士こそ、人類の革新、真のエリートです」

「…武士……」

「士道覚悟、旅立ちにあたって約束してください」

「……………………覚悟………不覚悟……、………迷い………責任……自棄……」

「話はお終いです」

「……………………………………………」

 しばらくオレは考え込み、双海さんに「はい」と答えていた。それから、責任について気づいたことを問いかける。

「ショーゴの治療費は、どうなってますか?」

「よく気づきましたね。稲穂さんが困っておられました」

「………いくらくらいでした?」

 動物病院は健康保険がきかないから高額になることはユカリとの経験で知っている。責任というなら、最低限これだけは果たしてから旅立ちたい。

「消費税を含めて82万円だそうです」

「わかりました」

 オレの本当の両親が遺してくれた財産を切り崩して、双海さんの言葉を胸に刻んで、ユカリを探す旅に出た。双海さんが託そうとしてくれた日本刀だけは丁寧に辞退して、気持ちだけをもらって。

 

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