オレがユカリを探す旅に出て、もう一ヶ月になる。千羽谷市内を探し尽くしたと実感できた後、日暮荘は引き払った。もしもユカリの方から戻ってきてくれたなら、信くんと連絡がつくようにしてある。バイトをしていない今は1円でもお金は節約したいし、まだ300万円ほどあるけど、この財産は大切にしたい。
「さて、今夜の宿はどうするか、だな」
今日から千羽谷市に隣接する澄空市を捜索する予定だ。その前に泊まるところを確保しておきたい。千羽谷市内でもアパートに帰らず野宿することもあったけど、そういうムチャは避けたいし、かといってビジネスホテルの宿泊費も痛い。
「とりあえず、飯だな」
近くのコンビニに入って、弁当を選ぶ。
選ぶといっても、時間帯が悪かったのか、一つしかない。選択の余地なく、その一つを手に取った。
「もりもりスタミナ弁当か…」
「ぁ…、ぁっ…」
「え?」
振り返ると、オレンジ色の上着を羽織った女の子がオレを見てる。いな、オレが持ってる弁当を見ている。そうか、これが欲しかったのか。サンドイッチくらいが似合いそうな、細くてキレイな人だけど、たくさん食べたい日もあるだろう。オレは遠慮して、弁当を棚に戻した。
「……………………」
「………………」
弁当を戻したのに、女の子は手を伸ばさない。なんだ、オレの勘違いか。じゃあ、やっぱり、これはオレが買おう。また、弁当を手に取った。
「ぁ…」
「?」
「……」
困った顔でオレを見てくれる。やっぱり、欲しいのか。もう一度、棚に戻した。
「………」
「……」
なのに、女の子は手を伸ばさない。おいおい、やっぱり、オレが喰うぞ。もう食べると決めて、オレは弁当を持った。
「ぁ…ダメっ」
「え……っと、…」
思いっきりダメとか言われたから、それまで視野の横で見ていた女の子を、まっすぐ正面に入れて、弁当を向けた。
「あなたが、買いますか?」
「ぁ………ううん…。ごめんなさい……なんでも、ないの…」
ユカリみたいな大きな瞳をした女の子は、瞳いっぱいに弁当を映してるのに、首を横に振った。右目のあたりが神経質っぽくピクピクと攣ってるし、キャミソールとジーンズの間だから見えるお腹のあたり、可愛らしいヘソとかまで弁当を欲しそうにしてる感じだけど、手を伸ばしてこない。もう、いいや。これ以上、相手にするのはやめた。オレはお茶と弁当をもってレジに並んだ。買い終えて、どこで食べるか、手頃な公園を探す旅に出る。
「あ、さっきの…」
少し前をオレンジ色の上着が歩いてる。フラフラと頼りなげな足取りで、重みが感じられないから、人間よりも衣服が歩いてる感じだ。追い抜こうか、迷っていると、女の子はアパートの階段を見上げて顔色を悪くした。
「…ぅ~………もう、ダメ……死ぬ…」
つぶやいた女の子は弱々しくアスファルトに膝をついて倒れ込みそうだ。
「大丈夫ですか?!」
「……ぅ…」
「どこか痛みますか?!」
助け起こすと、顔に血の気が少ない。うつろな目で訴えてくる。
「…か…階段…」
「階段?」
「……階段を…登る……力が……出ない…」
「は? ………」
このアパートの階段を登りたいのに力が出ない、ということだろうか。でも、どうして? 病気かケガには見えないけど。とにかく、オレは女の子に肩を貸して二階まで連れてあがった。そして、うすうす気づいていたけど、女の子が倒れた原因は空腹だったから、オレの弁当を食べさせてる。
ガツガツ…
女の子なのにガツガツ音が響くほど、一心不乱に食べてくれてる。
うん、うん、分かる、分かるよ。彼女の育ちの悪さが知れる。はっきり言って、オレも育ちは悪い。なにしろ、孤児院出身だ。飯時といえば戦争も同然、男も女も関係ない、喰った者勝ちの世界だ。初対面の男を前にして、見栄とか遠慮とかを忘れてガツガツ喰えるのは、育ちの悪さによって磨かれた能力だ。これは誉め言葉である。
女の子が30秒くらいで半分まで弁当を食べて、箸をとめた。
「……あなたのお弁当…」
「いいよ、全部、食べて」
「ありがとう!」
いい子だ。逞しい育ちだけど、天然の性格の良さを持ってる。人間を決定するのは、生まれだけでも、育ちだけでもない、生まれ持った性質と育った環境の両方だ。もしも、環境だけで決定されるなら、真昼の子供園卒の子供は、みんな同じ性格ってことになるからね。きっと、この子も孤児なみの育ちだろうけど、生まれ持った性質の良さがある。オレはペッドボトルのお茶を飲みつつ、彼女の食べっぷりを見ていた。もう、ほとんど残ってない。最期の一口を頬張ると、もぐもぐしてる。頬に米粒がついてるのも約束通りで、幸せそうな顔は子供みたいだ。
「もぐもぐ…んぐ…ううう!」
「あ、喉詰めた?」
「うう、ううう!」
「お茶、飲む?」
「うう!」
慌てて食べるからだよ、ありきたりなことを思いつつ、ペッドボトルでの間接キスになってしまったことには触れないようにしよう。やっと、落ち着いた彼女は居住まいを正して、名のった。
「私は仙堂麻尋といいます。……その……お腹空いて、見苦しいところを、どうも、……ごめんなさい……ありがとう」
気恥ずかしそうに謝意を伝えてくれるから、好感を覚える。
「オレはサギサ…いや、一蹴。ただの一蹴で、よろしく」
「多田野一蹴くん?」
「いや、そうじゃなくて、ただの一蹴。なんでもない、一蹴ってだけ」
オレは彼女の部屋のフローリングに指で一蹴となぞった。
「一、蹴くん? 日本語うまいけど、中国人なの?」
「……イ・シュウじゃなくて……一蹴! ああ、もう! ごめん、ややっこしいこと言って! 本当は鷺沢一蹴っていうんだ! だけど、鷺沢の苗字は使いたくない気分なんだよ。もう、家を追い出された身だし」
「家を追い出された……そう、それで苗字を……」
オレの言葉で彼女が気の毒そうにしたから、わざと茶化した話題を選んでみる。
「師匠は、ただの一蹴じゃなくて侍一蹴って名のれっていったけど、バカみたいだしね」
「サムライ一蹴? ……お師匠さんがいるの?」
「師匠って呼べ、とかいうから仕方なくね。ちょっと変わった日本かぶれの外人さんに恩義があるんだ」
「恩義って……また、時代錯誤な言葉……でも、悪い人じゃないみたいね。私も自分の苗字は好きじゃないから、ただの麻尋で、よろしく♪」
「じゃあ、麻尋さん、どうして飢えてんだよ? それに、さっきもコンビニで、かなり挙動不審だったけど、もしかして万引き?」
「むっ! どんなに飢えても、万引きだけはしないわよ!」
「それはご立派だけど、さっきの挙動不審は?」
「あ……あれはァ…」
麻尋さんが恥ずかしそうにオレから目をそらした。
「そのぉ………手持ちのお金が、もう300円しか、なくて…ね」
「300円、そりゃきついな……って、買えないじゃん、この弁当」
この弁当は590円だから、どう考えても買えない。
「だから、待ってたの!」
「待ってた? なにを?」
「あそこのコンビニ、賞味期限の2時間前になると半額にしてくれるから! ずっと待ってたのに一蹴くんが買おうとするから!」
「なるほど、それで……」
ホームレス一歩手前な行動だよ、オレは口に出さずに納得して、さらに問う。
「どうして、金欠なの? けっこう、いい部屋に住んでるのに」
「うーー…ん……色々あってね。バイトも辞めて、引っ越そうと思ったんだけど……」
「だけど?」
「引っ越すお金もなくて♪」
「………無計画だね」
「色々あったの!!」
「ここの家賃は?」
「なんとか払ったけど……」
「食費が無かった、と?」
「そうなの」
「………大変だね…」
言われてみれば、この部屋にはテレビもない。お金に替えられそうな物は全てリサイクルショップに売った後って感じだ。
「バイトとか、仕事は?」
「今、新しいのを探してるとこ。でも、事情があって、すぐには……あまり人に見られる業種とか、接客は避けたいし…」
「人が苦手なの?」
「ううん、そういうんじゃなくて……ま、ちょっと人に追われてて…」
「もしかして、借金取り?」
「そうじゃないの。まあ、女には色々あるのよ」
「借金じゃない色々ねぇ…」
「追求しないのっ! だいたい、お金なんて借りられないし」
「そうなのか?」
「運転免許証も健康保険証もない20歳なりたての無職の女の子に貸してくれるとこなんて、まともな会社じゃないよ」
「そうだね……。万引きしないってポリシーがあるなら、女の最期の手段もしないだろうしね」
「売り? そんなことするくらいなら首を吊って死にます」
麻尋さんが軽く両手をあげた。
「売春してまで生きのびたいとは思わないわ。そうなる前に清いまま、パトラッシュと天に昇ります」
「じゃあ、新しいバイトが見つかるまで……見つかっても給料日まで、どうするの?」
「…………。……お願いがあるんだけど」
麻尋さんが神社でも拝むようにオレへ向かって両手を合わせてきた。
「お金貸してください!」
「………。……初対面で、それ、言う?」
「切羽詰まってるの」
「………それは知ってるけどさ……」
麻尋さんは所持金300円、オレは所持金300万円、かなりの差がある。万単位だ。これを知られたら、すがりつかれそうだ。
「うーーん……困ったなあ…」
「お願いっ! きっと返します!」
「………いくらくらい、…借りたいの?」
「バイトが見つかって給料もらえるまで、ご飯が食べられる分だけでいいから!」
「……………何日分の食費?」
「えっと………一日、300円で乗り切るとして、せめて二ヶ月くらい…。…えっと…2かける300で……600の…」
「計算遅いね。300×30×2で、18000円だよ」
「う、…悪かったわね。どうせ、おバカで有名なイッコー卒ですよ」
「千羽谷第一かァ…」
「なによ、そう言う一蹴くんは? 大学生? どこの学校よ?」
「オレは高卒だよ。浜咲学園」
「むぅ……けっこう偏差値の高いとこね…」
「別に自慢にならないよ、成績は下から数えた方が早いし」
「あ、私も♪」
「……イッコーで?」
「イッコーで!」
「訊いたオレが悪かったよ。でもさ、18000円で二ヶ月、もつかな?」
「う~……正直なところぉ……10万円くらい貸していただけると、あなたのことを神さまの化身だと思います」
「オレはイエス・キリストでも仏陀でもないし♪」
「じゃあ、何者なの? ……そういえば私が倒れたって、いきさつがあるから当然のごとく部屋にいるけど……。…さっきもサムライ一蹴とか、意味不明なことをいってたし…」
「まあ、サムライってのは意味不明だけど、フリーターとも違うかな。……バカな言い方だけど、あっさり言うと旅人かな」
「旅人?」
「うん、……まあ、カッコつけずに身も蓋もない言い方をすれば、麻尋さんと同じで無職。しかも、住所不定」
「………犯罪者の典型的な履歴なんですが?」
「お金には困ってない。今のところ」
「………。旅人ねぇ……自分探しの旅、とかいうヤツ?」
「自分探しか……違うよ。恥ずかしい言い方だけど、恋人探しの旅だよ」
「…………」
麻尋さんがオレから2メートル離れた。誤解してる。ナンパだと思ってる。
「あのさ、不特定の女性を漁ってるわけじゃなくて、すでに一人に決まってるんだ。その行方を捜してるんだよ。言っておくけど、ナンパじゃないしね」
「………ストーカー?」
「……………ストーカーを直訳すると追跡者だから、その通りだったりするけど、ユカリとは愛し合ってる。家の事情で離ればなれにされたんだ!」
「家の…事情…ね………。どんな?」
オレは麻尋さんに訊かれるままに説明していた。別に隠しているわけじゃないし、なにより細かく詳しく話してしまったのも、麻尋さんが訊きたがったのも、二人とも会話ってものに飢えていたのかもしれない。オレも旅に出てから孤独だったし、麻尋さんもバイトも辞めて外出も控えて、たった一人で部屋に引きこもり状態だったらしいから、誰とでもいいから話をしたかったみたいだ。孤児院から引き取られたこと、いのりとリナさんのこと、ユカリとの経緯や追い出された夜には鷺沢衛に殴られたことなんかも話したら、麻尋さんは聴きながら目を潤ませてくれた。そして、今の旅が行方の知れないユカリを探す旅だと説明し終えたら、ハンカチで顔を拭いた麻尋さんが提案してきた。
「じゃあ、私の部屋に泊まらない? 一泊1000円で、どう?」
「……売春はしないんじゃないの? せっかくだけど、ユカリを裏切る気は…」
「違うっ!!」
真っ赤になった麻尋さんがフローリングを叩いた。
「今日から澄空市を探索するんでしょ?! その宿に、私の部屋に泊まればって話よ!! もちろん、一蹴くんが寝るのは床っ!! ベッドは私っ!」
「あ…ああ、そういう話か、…よかった…」
「よかったってねぇッ! だ、だいたい1000円って何よ?! いくらお金に困っても1000円で身体売らないわよ!!」
「1000円は麻尋さんが言い出した話だろ?」
「だから! 素泊まりの話よ!! 1000円で私が買えるなんて誤解するなっ!!」
「…あ……これは失礼…」
「ものすごく失礼よ!!」
ずいぶんと失礼な誤解をしたから、麻尋さんの機嫌が直るのに時間がかかったけど、オレにとっては提案として悪くない。麻尋さんにとっても所持金がないのを乗り切れる提案ってわけだ。
「たださ、……一泊1000円で泊めてくれるなら、すごくありがたいよ。けど、……もちろん、オレには、まったく、そんなつもりは無いけど……オレは男で、麻尋さんは女の子だろ? ……マジでいいの?」
「ええ」
ジロリと睨みながら頷いてくれる。
「さっきの話を聞いてればね。ユカリさん以外には手を出さないでしょうし」
「……信用されたんだ?」
「ええ、激安投げ売り価格の1000円でも即答で断ってくださいましたしね。どうせ、私の身体なんて500円でも願い下げでしょうよ」
「だから、それは、ごめんって」
「ふんっ……で、どうするの? 泊まるの、泊まらないの? 言っておきますけど、マジで床よ。布団もないしね」
「寝袋なら持ってるよ」
「泊まるのね?」
「お願いします」
「じゃあ」
麻尋さんがオレに手を向けてくる。
「1000円になります」
「これで、よろしく」
オレが千円札を渡すと麻尋さんは幸せそうに夏目漱石にキスして微笑んだ。福沢諭吉なら、けっこう頻繁にキスされる機会もあるだろうけど、夏目漱石へのキスは少ないだろうなァ、と思いつつ、麻尋さんの部屋の隅で眠った。
翌朝、旅に出てからの生活習慣で早朝に目が覚めたオレは麻尋さんを起こさないように「ユカリを捜しにいきます。お昼には戻ってくるけど、麻尋さんの気が変わらなければ、今夜も泊めてください」と書き置きして外出する。
「さて、どこから捜すか、だな」
オレは一番に澄空学園を訪ねた。ユカリは四月から高校3年生だ。引っ越し先でも通学している可能性は高い。
「今日は南門、明日は北門にしよう」
早朝から遅刻までの時間帯、ずっと校門で見張ることにする。あまり目立つと不審者あつかいされるから、目立たないように登校してくる生徒の中にユカリがいないか、探し続ける。
キンコンカンコーン♪
結局、予鈴がなっても、ユカリは見つからず、遅刻が決定した生徒たちが駆け込むのを見ていても発見できず、さらに10時まで粘ってみたけど、空振りだった。
「さて……帰りは2時くらいからでいいか」
校門を離れて、澄空市内の構造を頭に入れつつ歩き回る。12時近くなって牛丼のチェーン店で並盛りを二つ買った。麻尋さんが欲しがったら分けてあげられるし、要らないようなら二つともオレが食べられる計算だ。アパートに戻ると、麻尋さんは、まだベッドにいた。前のバイトが深夜勤務だったから、まだ生活習慣が戻ってないのかもしれない。
「…………」
起こしたら悪いかな、そう思っていると麻尋さんの鼻がヒクヒクと可愛らしく動いて、目を開けた。
クゥーー♪
素直な胃袋をしてる。
胃袋の持ち主が顔を赤くしてる。
「お…おはよう…」
「おはよう、よかったら、食べる? 二つあるし」
「……ありがと♪」
さすがに昨夜と違って麻尋さんはガツガツ食べたりしないで、女の子として普通な範囲で幸せそうに食べてくれたし、お茶も淹れてくれた。
「じゃあ、また、オレは外出するけど、今夜も泊めてくれる?」
「1000円ね♪」
「よろしく」
オレは前払いで千円札を置いて、また澄空高校の校門で生徒の流れからユカリを捜す。朝と違って帰宅時間には幅があるから、校門が閉鎖される日暮れまで探し続けた。
「……見つからず、か。よし♪ 明日は北門だな」
簡単に見つからないからといって腐ったりしない、双海さんに言われたとおり、オレがやろうとしていることは奇跡を起こすことなんだ、簡単に起こらなくても諦めないぞ。
「夕飯は、どうするかなァ……。麻尋さんのケータイ番号、訊いておけばよかった」
オレ的には節約モードで夕飯も牛丼でも平気だけど、麻尋さんはどうするだろう。もちろん、オレが食べさせてあげなくても、オレの宿代から彼女が好きな物を食べればいいわけだけど。コンビニか、レストランか、定食屋か、いろいろ悩みながら手ぶらでアパートに戻った。
「……………寝てるの?」
部屋に入ると、麻尋さんはベッドにいた。
どうも部屋の様子からして牛丼を食べた後は、そのままベッドで過ごしたみたいだ。
「どっか具合でも悪い?」
「ううん、平気」
横になったまま麻尋さんが返事してくれた。
「じゃあ、やっぱり昼夜逆転してるんだ?」
「そうじゃなくて節約中なの」
「節約中?」
「エネルギーの節約中。どうせ、起きてもすることないし、外出もしないし。だったら無駄なエネルギーを使って、お腹を空かせるより、こうしてエコロジーな生き方の方がいいでしょ?」
「…………」
言われてみれば、麻尋さんはピラミッドに眠るツタンカーメンのごとく、動かないように横になってる。冬眠ならぬ、この夏を眠って過ごす気の女が、ここにいた。
「………夕飯、どうする?」
「おごってくれるの?」
「あのさ……毎食、オレがおごるわけ?」
「………やっぱり、ダメよね」
「宿泊費として2000円あげたじゃん。自立してよ」
「は~い。う~……さすがに一日、じっと寝てると腰が痛いわ」
起きあがった麻尋さんがポンポンと腰を叩いてる。ウエスト細いなぁ。
「どこを見てるのよ?」
「いや、細いねってさ」
「まあね、ウエスト58だったけど、もう50切ってるかも♪」
「それって、喜ぶところ? 正直、可愛いってより、可哀想に見えるよ」
「美味しいもの食べたい♪」
「どうぞ、宿代の2000円で好きな物をお食べ下さい」
「む~……一蹴くんは、どうするつもり?」
「オレはコンビニか、レストランかって迷ってるとこ」
「ファミレスでも一人1200円くらいになっちゃうよね」
「そうだな。麻尋さんを見習って節約モードで牛丼にすれば280円で済むけど」
「牛丼とかいってるけど、豚丼じゃなかった?」
「ああ、狂牛病のせいでね。けど、牛丼だと思って食べれば牛丼だよ」
「おおざっぱな味覚ね」
「だいたいオレは牛より豚が好きだしさ。豚のショウガ焼きとか、自炊もしてたんだ♪」
「へぇぇ♪ 感心ね」
「自炊の方が安くあがるしさ」
「じゃあ、材料費は一蹴くんもちで、私が料理するってのは?」
「…それが狙いかよ」
「狙いって、失礼ね。一人分を自炊すると品目も限られちゃうし材料費も割高だけど、二人で外食することを考えたら自炊なら二人分も一人分も大差ないでしょ? 持ちつ持たれつ、いい提案だと思わない? 一日中ユカリさんを捜して疲れてるでしょ?」
「……ふーっ……負けたよ。じゃ、テキトーに買ってきて」
オレは五千円札を麻尋さんに渡した。
「嫌いな物は?」
「温かいパイナップル」
「ご安心を、そこまで手の込んだ料理はしません♪」
ずっと閉じこもっていた麻尋さんは外に出る理由があることがうれしいみたいで、軽い足取りでスーパーに出かけて、売れ残って半額になったものを中心にした和食を作ってくれた。
「おお、ブリの照り焼きだ。こんな手の込んだ料理ができるとは」
「まあね」
「けっこう躾がよかったかな」
「……別に……」
「本当に、美味しそうだ。いただきまーす♪」
久しぶりに家庭的な料理をいただけたオレは皿を洗ってくれてる麻尋さんに問いかけた。
「料理は、どこで習ったの?」
「本屋」
「ホンヤ?」
「立ち読みしたの」
「ふーーん……そういえば、麻尋さんって一人暮らしだけど、ご両親とかは?」
「話したくない」
「そ……そう……、ごめん、立ち入ったこと訊いて」
「……。ううん……一蹴くんと…同じようなものだとでも、思っておいて」
「麻尋さん……」
「ようは、あんまり幸せな家庭じゃなかったし、いまは私が所属すべき家庭は、この世に存在しない。そういうことよ」
「……ごめん…」
「謝らないで♪ 一蹴くんが悪いわけでも、私が悪いわけでもないから。そう考えることにしてるの」
「そっか……」
その後は、疲れていたこともあって、すぐにオレは眠ったけれど、一日中ベッドにいた麻尋さんは、すぐに眠れなかったみたいだった。
翌日、オレは澄空学園の北門を見張って空振りし、昼食を麻尋さんと夕べの残り物で済ませて、さらに放課後の北門を見張って空振り、明日から捜す場所を考えていた。
「やっぱり、しらみつぶしか」
千羽谷市でやったみたいに端から端まで一軒一軒探し回る方法をとろう。そう決めて麻尋さんのアパートに戻った。
「あ、おかえり」
「…ただいま」
「……」
赤面して照れるな! 先に「おかえり」とか言ったのは、そっちだろ、そっちが照れると、こっちも困るんだよ、オレは味噌汁の香りをかきわけて、フローリングに座った。
「……」
「……」
麻尋さんがミニテーブルに豚のショウガ焼きを置いてくれる。オレが好きだって言ったものを作ってくれる彼女に感謝したいけど、恋人ごっこならぬ夫婦ごっこみたいで少し落ち着かない。それは麻尋さんも同じみたいで咳払いしてる。
「きょ、今日の夕飯の材料費は、昨日ので足りてるから」
「あ、ああ。…あ、じゃあ、今夜の宿泊費を」
オレは千円札を麻尋さんに手渡した。
「毎度あり♪ 本日の夕食は豚のショウガ焼きとホウレン草のお味噌汁、藤川産の白米となっております」
旅館の女将をマネた麻尋さんが、ご飯をよそってくれる。
「どうぞ」
「いただきまーす♪」
「いただきます」
二人して夕食を終えると、テレビもない部屋だから自然と会話することになる。
「今日は、どうだったの? ユカリさんの手がかりはあった?」
「ないよ」
「そう……諦めないで頑張ってね」
「あ……ありがと…」
意外なことを言ってくれる。
「どうしたの? そんな珍しいものを見る目で……私、寝癖でもついてる?」
「あ、…いや……意外だったから…」
「意外? かな?」
「だってさ、普通の人なら、手がかりも無しに人を捜すなんて不可能だって、オレに諦めるよう言ってくるのに、あっさり積極的に捜すよう言ってくれるなんて……意外じゃない?」
「う~………ん、……言われてみれば、そうね♪ でも、私のまわりにも、そういう不可能を可能にする男になりたがる人がいたから」
「へぇぇ……不可能を可能に、か…」
「サーフ・クラムって知ってる?」
「ビーム・サーベル?」
「…………。ぜんぜん合ってないんですけど…」
「あ、いや、サーとムが…、ね?」
「……。貝の一種よ」
麻尋さんは妹のために見つかるはずのない貝殻を探して、とうとう探し当てた男の話をしてくれた。
「東北でしか見つからないはずなのにね。あの映画バカは見つけてくれたの」
「そっか。……ところで、気になるんだけど、その彼って、……妹さんと、どういう関係? ペンダントを渡すなんてさ、特別な感情があったのか?」
「……。私が知る限り、実の妹さんだったし、……その、まあ、……恋人とは思えないよ。かなりのシスコンだったとは思うけど………見つけて婚約するとか、そういう話は出なかった……。あ、でも、どうかな……もしかしたら、そうかも……かなりハンサムなのに彼女がいなかったのも、怪しいし。……妹の方も、映画ばっかりで自分にかまってくれないから拗ねるなんて子供っぽいっていうより、女の子っぽい感情かも……実は、あの二人、心の底では愛し合ってたかも……う~う、……どうなんだろ…」
「オレが言うのも何だけど、実の妹に、そういう感情って湧くのか?」
「私に訊かないでよ」
「麻尋さんって兄弟とか…あ、いや、ごめん」
家族の話題に触れない方がいいのに、うっかり訊いてしまった。
「別に気にしないで。兄弟も姉妹もいないよ。一人っ子。そうそう一蹴くんと同じでお母さんの顔も知らない」
「そっか…」
「ついでに言うと、お父さんも死んじゃったし。ホント、一蹴くんと同じ天涯孤独の身よ」
昨日は「話したくない」って言ったことを、さらりと話してくれる。女心って、わからねぇ。オレは話題を変えようと思って部屋のポスターを見上げる。
「KARINのファンなの?」
「うん♪ 超カッコいい人でしょ。今度、葛西陽心に抜擢されて写真集も出るのよ! それまでにはバイト見つけて、お金貯めないとね♪」
「写真集くらい、貯めるってほどじゃなくても、買えるだろ?」
「普段見る用と、枕元に飾る用! それに永久保存用に最低でも3冊は買うの!」
「………」
真性のファンだ。これはオレが花祭さんと知り合いで、彼女の行きつけのカフェに勤めたこととかは話さない方がいいだろうな。押しかけて迷惑させたり、そういうことになりそうだから黙っておこう。なにより、光栄なことに彼女の初恋の相手がオレであることも、知らせない方が麻尋さんの夢を壊さないで済むだろう。人の夢は儚いって、ほたるさんも言ってたことだし。
「話を戻すけどさ。人の夢は儚いって考え方と、さっきの願いは諦めなければ、願い続けて、そのために努力すれば叶うって考え方、どう思う?」
「難しいことを訊くのね。………願いは叶うっていっても、あんまり大それたことは願えないよね。たとえば、死んだ人を蘇らせてくれ、とか」
「それはそうだね。っていうか、そういう願いって、すでに心のどこかで諦めながら願うから叶わないかもよ」
「う~……なるほど……本気で死んだ人間が蘇るなんて願わないし、そのためにする努力って、意味不明……。そうなると、人の夢は儚いっていうより、人の命は儚い、かな。でも、夢は儚くない夢もあると私は思う」
「たとえば、どんな?」
「ほら、映画とか、芸術とか、なにかの事業とかでも。最初の発案者が死んじゃっても、夢を引き継ぐ人間がいれば、命は儚くても夢は儚くない。チャップリンが死んでも、彼の映画は遺ってるし、たとえ、脚本しか遺ってないような未完成でも、引き継ぐ人がいれば、夢は叶う。儚くなんてない。どう?」
「たしかに、そういう夢は引き継ぐ人がいれば、儚くないね。けど、…」
「けど?」
「オレがユカリを探し当てることは、誰かに引き継いでもらえる種類のことじゃない。オレ自信が頑張らなくちゃな、ってね」
「………本当にユカリさんのこと……好きなのね。それだけじゃなくて、ユカリさんが一蹴くんを好きでいることにも、自信を持ってる。……すごいね」
麻尋さんは感心してから、ベッドに潜り込んでオレに背中を向けた。
「………」
「………」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女の背中は細くて小さくて、まるでユカリみたいに頼りない。けれど、オレが探しているのはユカリの背中であって、麻尋さんの背中じゃない。オレも彼女に背中を向けて、寝袋に入って、眠った。明日のために。
一週間、澄空市を探し続けていた。そして、ユカリが見つからない代わりに、日暮荘の一階に住んでるはずの男子大学生を何度か、街角で見かけていた。まるで誰かを捜しているみたいな行動が、オレと同じだったから目を引くけれど、すでに探し疲れているのか、彼の目に生気は乏しい、かなりボロボロの状態に見える。
五回目に彼と街角で遭遇したとき、歩道で正面から向かい合うような形だったので、オレから声をかけていた。
「あの、すいません」
「はい? …あ…」
向こうもオレに気づいた。不機嫌そうに睨んでくる。
「なんだよ、お前?」
「以前は、どうも、すいませんでした。蹴ったりして」
「………」
不愉快そうに顔をそむけられたけど、どんな小さなチャンスでも確かめておきたいオレは、ユカリの写真を見せる。
「ちょっと訊ねたいのですが、この写真の女の子、見かけませんでしたか?」
「………」
ジロリとオレを睨んでくる。
「てめぇ、その子を探して、また鎖でつなぐのか?」
「……。それは誤解ですよ。ショーゴのことは全面的にオレが悪かったっすけど、女の子を鎖でつなぐ趣味はありません」
「………ケ……どうだか…」
「………。この子、見かけませんでしたか?」
「…………。知ってても教えねぇけど、見かけてねぇよ」
「そうですか……ありがとうございました」
礼を言ってすれ違おうとしたら、呼び止められる。
「…ぉ、おい」
「はい?」
「お前……、このあたりで……いや、なんでもない」
「?」
話しかけて中断されて気になるけど、あまり相性も良くないし、ケンカした相手でもあるから、曖昧な感じで離れていくことにしたし、相手も追いかけてこなかった。
今日もユカリを捜して澄空市を巡った後、麻尋さんのアパートに帰ると、彼女は幸せそうに自転車に頬ずりしていた。
「ん~♪ ん~♪」
「……あの……なにをしてるの?」
「黄昏号が帰ってきたの♪」
そう答えてくれつつ、顔全体でオレンジ色の自転車に頬ずりしてる。理解不能だ。
「おかえりなさい、私の黄昏号♪」
「…………」
頬ずりばかりか、キスしたうえに、抱きしめてクルクル回り始めた。とうとう空腹で頭が変になったのか………いや、材料費オレもちで自炊してるから、それはない。
「……あのォ………なんというか………そんなに大切なチャリ?」
「聞いてくれる? 聞いてくれる?」
「え、…ええ、……説明は聞きたいところですよ」
「とうとう黄昏号が帰ってきたの! 無事に!」
「………旅に出た? チャリが?」
「うん!」
「…………」
「なに、その哀しい目」
「いえ……」
「聞いてよ!」
「聞きますよ」
「無事にね、戻ってきたの。私の黄昏号が!」
「……旅から?」
「そう、旅から」
「………」
「だから、そんな目をしない!」
「……そんなこと言われても………。あ、誰かに貸してたとか?」
「ちょっと違うけど、そんな感じ」
「どう違うって? 盗られたとか?」
「そうじゃなくて、………そのォ…私、食費にも困ってたでしょ?」
「ええ、かなりの金欠ぶりでしたね。金欠で貧血ってくらい」
「う………、うまいこと言って私を……まあ、いいわ。実はね、このチャリを質に入れてたの」
「質に? 今どき質屋さんなんてあるのか?」
「質屋さんじゃなくて、自転車を扱ってるリサイクルショップさんに頼み込んで、なんとか、この黄昏号を1万円の質草にしたの。でも、今日までに払い込まないと、質流れで店頭に商品として並べられるってところ、なんとかギリギリ! 間に合ったの♪」
「ああ、それでオレがあげた宿泊費を使わずに、寝てばっかいて節約してたのか」
「そうよ♪」
「よく我慢して節約を………あれ? オレって、まだ七日目だから、7000円しか払ってないのに? どうやって1万円を?」
「ぅ………ごめんなさいっ!」
麻尋さんが両手を合わせて頭を下げてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「………」
「怒らないでください! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「…………とりあえず、話してみて」
「実は………その…夕べもらった二人の食費を………ちょっと…流用、というか…」
たしか、夕べ5000円を渡した。それを合わせば、12000円だから、チャリを取り戻せる。
「…はぁ~ぁ……」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
謝ってるうちに頭を下げていた麻尋さんが土下座に近いほどの姿勢になってるから、もう怒る気にもなれない。よっぽど悪いと思ってるんだろう、ちょっと肩が震えてる。その彼女の肩に手を置いた。
「っ…」
「もう、いいよ。……」
肩に手を置いたのは、ちょっと馴れ馴れしかったかもしれない、まるで人になれてない猫みたいに、麻尋さんはビクッと身をすくめたけど、振り払おうとはしないで、恐る恐る顔をあげてくれる。
「……一蹴くん…」
「大切なチャリだったんだろ? 横領といえば横領だけど、まあ、怒らないよ。もう謝らなくていいから、頭を上げて」
「…一蹴くん……、……」
「もう、いいよ。ほら、立って」
「……ごめんなさい……信頼を裏切るようなことを……して…」
「もう、いいって。ほら、部屋に入ろうよ。人が見たら変に思うし」
往来で女の子に土下座させる男なんて、ちょっと変な構図だし、誰かに見られたら、また誤解されるかもしれない。麻尋さんの背中を押すようにして部屋に入った。
「…ごめんなさい……本当に…」
「いいって。それよりさ、今日の夕飯は?」
「っ…」
麻尋さんの顔が引き攣った。同居して七日目だから、この顔の意味はわかる。うっかり忘れの麻尋さん、略して、うっかり麻尋、旅の友にはしたくない人だ。
「ごめんなさいっ! 忘れてました! すぐ! すぐ作ります!」
「はいはい」
「すぐに作るから許して!」
麻尋さんは冷蔵庫を開けて、さらに顔を引き攣らせた。
「っ…………」
「どうかした? あ、材料が無いんだ?」
オレも冷蔵庫を彼女の背後から覗き込んで、何もないのに気づいた。そりゃ、そうだ、食費を横領してチャリを取り戻したんだから。オレは、もっと奥を見ようと何気なく冷蔵庫の扉に手を伸ばした。
「ひっ…」
「麻尋さん?」
「ぃ、ぃぁ……許して……許してください。ごめ…ん…なさい……ごめ…」
「麻尋さん?」
空っぽの冷蔵庫の前で、麻尋さんが本当に土下座を始めてる。
「ごめん…なさい、…ごめん…なさい、…許して……許してください……明日から、ちゃんとします…っ…夕飯の支度……忘れません…っ…許して、…もうしません……お金も、誤魔化しません…っ…許して……許して…」
「…………」
こんなに土下座して謝らなきゃいけないほどことだろうか、それとも自転車の代価以外にも、オレに顔向けできないようなことを………まさかっ?! この人、オレの通帳をっ?! オレは急いで部屋の隅に置いてあるカバンを開けた。三日目くらいから油断というか、信頼というか、つい重いから部屋に置きっぱなしにしてユカリを捜しに出たのは失敗だったのか、ここまで麻尋さんが土下座するからには、相当なことをされたのかもしれない。
「ぁ、なーんだ、あるじゃん」
ちゃんと通帳も判子もある、しかも、残高も、そのまま、ぜんぜん大丈夫だった。
「…許して……許してください…」
「………」
「……ごめん…なさい…、…ごめん、なさい…」
「……麻尋さん、……その謝ってるのは、もしかして、夕飯を作り忘れたことと、食費の5000円のこと、だけ?」
「はひっ…それだけっ! ほかに、隠してないから! なにも! なにも!」
「………」
「だから、殴らないで! お願い!」
「あのさ……そのくらいのことで殴ったりしないし。っていうか、宿泊費は払ってるけど、ある意味オレは居候だしさ」
麻尋さんは、かなり動揺して呼吸も速くなってる。なんだか、様子が変だからオレは落ち着いてもらおうと、夕暮れで暗くなってる部屋を明るくして、お茶を淹れた。
「ほら、飲んで。落ち着いてよ」
「…………」
部屋を明るくしたからか、もう麻尋さんの呼吸は整っていて、今は取り乱したことを恥ずかしそうにしてる。
「オレは怒らないし殴ったりしないからさ」
「………うん。………だ……だいたい、ここは私の部屋なのよ! 夕飯だって作る義務はないはず! 食費のことは悪かったけど、なんで私が謝らなきゃいけないのよ!」
「………勝手に謝ったの麻尋さんだしさ」
急に今度は大きな態度で虚勢を張ってくれるけど、まだ膝が震えてますよ。もしかして、前に付き合ってた彼氏とかが、いわゆる暴力亭主系の男だったんだろうか、だから追われてるのを逃げて暮らしてるとか、ありそうな話だ。お腹が空くと凶暴になるバカがいるから、とくに酒飲んで暴れたり………って、なぜ、ここでオレの脳裏にはカナタが浮かぶ……カナタはオレの亭主か。
「は~ぁ……」
「なによ、そのタメ息」
「いえ、別に。ちょっと女友達……それも悪友を思い出しただけだよ」
「ふんっ……。どうせ、やらしい友達でしょ」
「ええ、そりゃもう、こーーんな短いスカートはいて、上半身もスケスケのエロエロなお姉さんだよ」
「…………そんなに短いの? ……って、パンツ見えるよ?」
麻尋さんが自分のジーンズでカナタのスカート丈を計って、その短さに驚いてる。
「ここまで短いと、歩くだけでパンツ見えない? パンツと裾まで1センチしか無い」
「そこまで短いのに、ほとんど見せたことが無いのが、彼女の神業なんだ」
「……見たいの?」
「そりゃ、どちらからといえば見たいよ」
「…………」
麻尋さんがオレから三歩遠ざかった。
「信用してたのに」
「……あのさ、オレはユカリだけを愛してるけど、普通の男性だということを忘れないように」
「………私のこと、どういう目で見てるの?」
「なにも。変な気を持ったことはないよ」
「…………。悪かったわね。魅力無くて!」
「どっちを答えりゃいいんだよ?!」
「………………。ふんっ……」
「………。麻尋さんって男を挑発するタイプだね」
「私がいつ挑発したっていうの?」
麻尋さんは足首まで丈のあるジーンズを叩いて威張った。下半身の露出度が少ないことを変に誇張したいみたいだ。
「そっちの挑発じゃなくて。ケンカを売るのが早いってこと」
「あっそ」
「ほら。そういう態度をとると、世の中には気の短いバカな男もいるから殴られるよ?」
「っ……、…ぉ…脅しのつもり? いっとくけど、一回でも私に手を挙げたら、この部屋から出て行ってもらうから!」
「女の子を殴ったりしないって。少なくとも、オレは」
度胸がないのに麻尋さんは硬い態度をとる。睨んで怒鳴って警告してくれるけど、膝が震えてるのに……………………よっぽど酷い目に遭ったことがあるんだろうな、せめて安心させてあげよう。
「絶対に信用してくれていい。オレは絶対に女を殴らない。殴ったら切腹しよう!」
「……………ホントに切腹させるから」
「承知つかまつった!」
「………ふんっ………。……私のシャワーや着替えを覗いても切腹だから!」
「不可抗力ってものがあることを覚えておいてくださいよ。二日前だって…」
「あのことを言うな!!」
麻尋さんがケータイを投げつけてきた。
「危なっ!」
なんとかサッカーで養った反射神経で受け止めたけど、ケータイが壊れるところだった。二日前はシャンプーのボトルだったのに。だいたい、あれだって入浴中に悲鳴をあげるから、助けに行ってあげたらムカデがいて、二人で駆除するのに集中してて、気がついたら麻尋さん、なにもかも丸出しだったって不可抗力なのに、ムカデの次にオレを駆除しようとするし。
「…………」
「…………」
なんだか、ちょっと険悪な雰囲気だなぁ。たぶん、二人ともお腹が空いてるからイライラしやすいんだろう。ここはオレが譲歩しよ。
「気分を変えて外食ってことで、どうかな?」
「………そんな、お金無い」
「おごるよ。まあ、黄昏号とやらが帰ってきた記念ってことで♪」
「ほ…ホント?」
「ええ」
「一蹴くん、大好きっ!」
「ぇ………、じゃ、行きましょうか」
「ま、待ってよ。い、いまの好きは本気じゃないからね!! 勢いで言っただけだから!」
「わかってますよ」
真っ赤な顔で否定しないでほしい、せっかくオレがスルーしようとしたのに、否定するなら、赤面しないでクールにしてくれよ。カナタなんて本気か冗談かわからない好きを平気で言ってくれるけど………あれも困りものだな。まだ、麻尋さんの方がいい、オレは彼女に背中を向けた。
「大喜びしてくれたけど、ファミレス程度っすからね」
「わかってるわよ。一蹴くんの財布の中身くらい」
「………」
わかってなさそうだな、オレはさりげなく通帳と判子をポケットに入れた。二人で外出するんだし、不用心だろうから。うっかり麻尋はドアの鍵も閉め忘れたりするし。
「じゃ、近くのルサックなんて、どうです?」
「ダメっ!」
「あ、ああ、前のバイト先でしたもんね。顔出しづらいか……」
「そういうわけじゃないけど……、そんな感じ」
「駅前の福々亭は?」
「ラーメンなの? もぉちょっとだけでいいから、贅沢なもの食べたいです」
麻尋さんが可愛らしくネダってくる。この人、恋愛のことになるとダメダメなくせに、こういうとこ天然だから、こっちは困るのに。
「じゃあ、回転寿司は?」
「うんっ! いい! 賛成!」
満面の笑みになってくれた。わかりやすい性格かもしれない。二人して国道に出て歩く。しばらく歩いて回転寿司店についた。
「一蹴くん……どのくらい食べていい?」
「寿々奈級でなければ、好きなだけ、どうぞ」
「スズナ級って?」
「うちの高校でさ、有名な……」
オレが昔話をしているうちに夕食は終わって、麻尋さんは最期に280円のパフェを子供みたいな笑顔で幸せそうに食べてる。一口ずつ楽しみながら頬を撫でたりしてる。
「……」
「ん~♪ 幸せ~ぇ♪」
よくも寿司の後に甘い物を喰えるよなぁ………いのりも、ユカリも、麻尋さんも、っていうか、カナタも…………ああ、女の子みんなか、甘い物が好きだよなぁ。
「子供っぽくて悪かったわね」
「……オレ、そんなこと言った?」
「顔に描いてあるの」
「オレの内心まで読んで、文句をつけないでよ」
「……。内心って、いえば、さっきの話」
「寿々奈先輩の内部の?」
「ちがうっ。一蹴くんの私に対する……その…なんていうか、……やましいこと考えてない?」
「……」
言い出しといて、途中で赤面しながら訊くな。どういう答えを想定してるんだろう……いや、きっと何も想定してない天然なんだろうなぁ……きっと、この人は男から映画を誘われただけでも小学生なみに慌てたりするタイプだ。
「………どうして、急に?」
「私と、まがりなりにも同じ部屋で寝てるわけでしょ。一蹴くんがユカリさんに一途なのは信頼してるけど、さっきだって普通の男だとか言ってたから、気になるの」
「……なるほどねぇ……」
「私の寝込みを……ぉ、…襲ってやろうとか、そんな考え、一回も持ってない? 二日前だって、思いっきり私のこと見てたし」
「男なら誰だって視線が凍りつきますよ」
けっこう麻尋さんはスタイルいいし、おっぱい大きいから、ということは黙っておく。
「それ! それよ!」
「どれ?」
「それ! その男なら誰だって、っていうの!」
「……つまり?」
「男って、女なら誰でもいいって感情があるんでしょ?」
「いえ、ある程度、相手は選びます」
「……たとえば…?」
「オレの場合、三つ以上年上はスルー、年下は……まあ、ユカリが中心で……まあ、三つまでとしておきましょうか。中学生には興味ありません。あと身長によりますが、体重も60キロを超えると、フェイドアウト、アウト・オブ・眼中かな」
「じゃあ、やっぱり私は、そういう感情の対象なわけ……?」
「守備範囲ではあるようですね。っていうかさ、どんな答えを想定してる? オレが麻尋さんに興味ある、っていったら、どうするの?」
「…っ…も、もう泊めない! 部屋に入れない!」
「流用した5000円の借金があるのを忘れないように」
「ぅ………あと、五日も泊まるの? ……っていうか、いつまで居る気?!」
「あと、五日もあれば澄空市は完全に探し尽くせると思ってるから。そのとき、出て行きます」
オレは少し麻尋さんに頼りすぎたかもしれない。彼女の迷惑も考えよう。
「もし、本気で麻尋さんがイヤなら今夜からでも出て行きますよ」
「…あ……でも、……それだと、5000円が……」
「いつか返してくれればいいです。信用して貸しておきます」
「でも、一蹴くん、旅を続けるんでしょ? どうやって返せばいいの?」
「日本全国、どこにいてもオレの銀行と口座番号さえわかれば、振り込めるよ」
「あ…そっか………」
「で、どうします? 今夜は」
「…………………………」
麻尋さんが考え込んで悩んでる。
「………。私のこと……守備範囲っていったけど……気はないの? あるの? 変なこと、しない?」
「オープンリーチで話しましょうか」
「オープンリーチって?」
「本心、何も隠さず、そのまんま、丸出しってこと」
「………なにか、隠してるの?」
「いいえ、ただ、認める認めないって問題を、全部丸出しにするとってことですよ」
「……………話してみなさいよ」
「なんで命令形なんだか………ま、いいや。オレが愛しているのはユカリだけ、これは変わらない。けど、麻尋さんにも女は感じたりする。まあ、可愛いし、魅力もあるし、絶世の美女じゃないけど、けっこうイケてる。でもやっぱり、オレはユカリを裏切りたくないし、泊めてもらってる立場で、ややこしくなりたくないし、女を感じるっていっても、その衝動を抑える術はもってますから」
「………どんな術?」
「考えないようにして背中を向ける。ユカリのことを考える」
「……………」
「もっと、ぶっちゃけて話せば、一泊1000円で材料費のみで手料理つきってのは、すごくありがたかったし、この一週間、とても感謝してます。だから、このまま、あと五日も泊めてもらえれば、うれしい。麻尋さんが女性であることは意識する瞬間もあるけど、今日まで変な気は起こさなかったし、今夜から急にオレが凶暴になるってことは、無いと思う。けど、麻尋さんだって迷惑でしょうし、出て行けと言われるなら、もう5000円も、いいです。って、この条件で、あとは麻尋さん次第で、考えてください」
「一蹴くん……………………」
麻尋さんは考えてから結論を伝えてくる。
「…こ……今夜も……私の部屋……泊まって、…いいよ」
「………」
だから、そこで赤面したり、言ってることの意味の取り方によっては、かなり積極的な女になってしまうこととか、………ま、オレが冷静であればいいんだ。
クールに、武士道で、さすらいのサムライ一蹴でいこう。
「ありがと。じゃ、これ宿泊費1000円。と、明日からの材料代5000円」
「………………………一度、裏切ったのに、信用してくれるの?」
麻尋さんは千円札と五千円札を見て、オレを見上げた。
「私………あなたの信頼を…裏切って……自分勝手なこと…」
「もう裏切らないでくださいよ」
「うん……絶対に誓います」
「じゃあ、そろそろ出ようか」
オレは伝票をもって立ち上がった。精算を終えると麻尋さんが礼を言ってくれる。
「一蹴くん、ごちそうさま♪」
「どういたしまして」
店を出て、来るとき通った国道を歩いて帰る。
麻尋さんは鼻歌を唄いつつ歩いてる。
「ん~♪ んん~♪」
「お腹がいっぱいで機嫌がいいと唄うって、ユカリみたいだな。それ、何の唄?」
「これは……マイ・ソング……麻尋頑張れの唄」
恥ずかしそうに答えてくれた。
きっとユカリと同じで作詞作曲すべて自分なんだろう、そして、それを恥ずかしがる程度にはユカリより大人なんだ。
「ま…前に話したでしょ。見つかるはずのないサーフ・クラムを探してた人のこと」
「あ、ああ」
「その人が私を主演に映画を作りたいっていってたから………つい、主題歌とか……考えてみたり……なんて…」
「………」
自分で自分が主演の映画の主題歌を考えたのか………恥ずかしい人だ。しかも題名が「麻尋頑張れ」って、ヒネりも何もない。カナタは日本語でも英語でも歌詞とか、題名とか、かなり自分で考えてるらしいけど………まあ、プロ歌手と素人映画のヒロインを比べちゃダメだな。
「どんな歌詞?」
「ぅ……聞いても笑わない? 約束できる?」
麻尋さんが警告気味に睨んできたので、オレは軍隊式に敬礼して答える。
「いえ、内容によっては爆笑する危険がともないます。非常に危険な不発弾であります。解体作業を実行しますか?」
「…………絶対教えない。…っ!」
拗ねて国道の先へと顔をそらした麻尋さんが息を飲んで動揺してる。
「どうかした?」
「…ぁッ……ぁぁ、……ぅ…」
落ち着き無くキョロキョロと逃げ場を探してるみたいに視線を彷徨わせた後、オレに飛びついてきた。
「か、隠して!」
「隠してって……言われても」
コートでも着てる春先ならともかく、もう真夏も近い時季でTシャツ一枚だから、隠しようがない。ユカリにやったみたいなカンガルーモードも不可能だし、まさか、Tシャツの中に麻尋さんを入れるわけにもいかない。
「……」
「お願い、隠して! 会いたくないの!」
「………わかったよ」
どうやら前方から歩いてくる人物に会いたくないみたいで、オレは仕方なく麻尋さんを抱きしめるような形で歩道の端に寄った。
「「……………………」」
こんな密着した距離まで女の子と接近するのは………いのりとユカリ………あと、カナタ以来だ。ただし、カナタは除外したい気分でもある。仕方がない、変な気は起こさないように全力でユカリのことを考えよう。ユカリ、ユカリ、ユカリ、ユーカリ、コアラ、こあらん、ああ、やっぱり信くんに、さよりんの苗字を訊いておけばよかった。
「………」
くだらない妄想を膨らませることで腕の中にいる麻尋さんの感触を忘れる。
忘れる。
ユカリより、はるかに大きい胸の感触も、忘れる。感じない。
麻尋さんの首筋から薫ってくる女の子と子供の中間みたいな柑橘系のオレンジっぽいような香りも、忘れる。感じない。
「……っ………ごめんなさい……ごめんなさい……」
「………………………」
泣き出しそうなのを噛み殺して震えてるのも………感じない……感じないことにする。
そのうちに歩道を歩いてきた男の顔がオレに見えた。
「ぁ…」
日暮荘の一階に越してきた例の男子大学生だった。
「……………」
「…ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……」
オレは絶対に麻尋さんの顔が見えないように両腕で彼女の頭を包み込み、しっかりと隠した。Tシャツが濡れてくる感触がするのは、きっと麻尋さんの涙だ。
「……ごめんなさい……」
「………」
大学生がオレたちの50センチ横を通り過ぎていく。その歩調に合わせて麻尋さんを隠すようにオレは動いた。うまく隠しおおせてオレも顔を見られないように、やり過ごした。
「もう、大丈夫。ずっと遠くにいったから」
「………っ……グスッ……」
啜り泣いていた麻尋さんが顔を上げてくれた。
「あいつから逃げてたの?」
「…………」
答えたくなさそうに麻尋さんが顔を背けた。
「話してくれなくても、いいです。だいたい想像がつきますから」
「………」
「部屋に戻りましょう。まだ、不安なんでしょう?」
「…ありがと…」
麻尋さんの手を引いて、アパートへ急ぐ。
不安に啜り泣く女の子を導くことに、強い既視感を覚えるけれど、麻尋さんはユカリじゃない、そしてユカリは、この星空の下でオレを待ってくれている。
星恋の丘で誓ったから。
「着いたよ。鍵は?」
「これ…」
麻尋さんの手から鍵を受け取りドアを開けて、部屋に入る。オレは何度か、途中で後ろを振り返っていたけど、例の大学生が気づいている気配は無かった。
部屋の電灯をつけて、あえて明るい声を出す。
「紅茶を淹れるよ。バイト先で鍛えた上に、師匠に叩き込まれた手際でね♪」
「………………………ありがと…」
「このレベルの紅茶を飲めば、缶なんて飲めなくなる♪」
「…………」
麻尋さんはベッドに座り込んで、クッションを抱いて啜り泣いている。その姿が可哀想でオレは胸が痛み、抱きしめてあげたいと想ったけれど、それはしない。お湯を沸かして、紅茶の準備をする。
「サムライ一蹴の紅茶講座なぞなぞタィ~……ム!」
うむ、やっぱり気恥ずかしいものだ、自分でアホなことを言ってると感じると、最期の「ム」が言いにくくなってしまう。いのり、師匠、オレに力を貸してください。
「…えーっ……えっと……」
「……………………」
「えーっ……」
くっ、しまった。なまじナゾナゾも紅茶も付け焼き刃なのに、合体させてしまって、ぜんぜん先が続かない。紅茶講座でありつつ、ナゾナゾなんて師匠でも、いのりでも難しい高等テクかもしれないのに、無謀にも言い出してしまった。
「…えっと……えっと……」
なにか、なにか無いか?! 他に武器は…………あ、……オレの目に棚の奥に置かれた紅茶のネームが入ってきた。よしっ! これだ。
「真冬に飲む紅茶って、な~ぁんだ?」
「………なにそれ?」
「だから、ナゾナゾだよ! ナゾナゾ! 真冬に飲む紅茶って、なぁ~んだ?」
「……………知らない…」
「答えはっ! アッサム・ティー♪ ああ、寒い、あ、寒っ、アっサムっ、アッサム!」
「…………………………寒っ……。サイテー。最悪」
「一生懸命考えたんだ! 最低とかいうな!!」
「………クスッ……」
あ、なんとか笑ってくれた。よかった。話題にしたアッサム・ティーを淹れて麻尋さんに渡す。
「はい、紅茶も淹りました♪」
「……ありがと……一蹴くん…」
「いえいえ、これでも喫茶店勤務でしたから」
「私はファミレス勤務だったけど、紅茶の淹れ方なんてテキトーだったよ」
「当店は知る人ぞ知るスィーツの名店でしたもので♪ それに、師匠は武士道以上に茶道にこだわりのある方でした」
「いただきます」
ゆっくりと紅茶を飲んでくれた麻尋さんは落ち着いたみたいで顔色もいい。
「一蹴くん」
「はいさ?」
「……さっき、だいたい想像がつくって…言ってくれたよね?」
「ええ、まあ……」
さっきの麻尋さんの様子を見れば、鈍いオレにだってわかる。
「どういう想像したの?」
「………。それは……まあ…」
「いいよ、もう平気だから遠慮無く、言ってみて」
「…じゃあ………、麻尋さん、あの男と付き合ってたんだろ?」
「…ええ…」
「けど、別れた」
「……」
沈黙が肯定だったので、オレは先を続ける。
「あの人、普段は善人に見えるけど、怒りっぽいんじゃないかな? そして、怒ると手が出てしまうタイプ」
「………」
「つい、女の子でも殴ってしまう。でも、それを終わってから後悔する。後悔するけど何度もやってしまう、くだらないこと、夕食を作り忘れたとか、そんな些細なことでもカッとなって暴力的になる。そんな男に耐えかねて、麻尋さんは関係を断とうと逃げ隠れしてる。そんな想像だけど………大丈夫?」
麻尋さんが頭を抱えてるからオレは彼女を覗き込んだ。けど、その顔色は思ったほど悪くない。彼女はタメ息をついた。
「……ハァ~……。……正解に近いといえば近いし……大外れといえば、大外れよ」
「大外れ?」
「ええ、春人くんは一度も私に暴力なんてふるってない。まず、それが大誤解」
「………」
「聞いてくれる?」
「…ええ」
「でも、その前に背中を向けて」
「え?」
「だって、きっと私は泣いちゃう。なにかに縋りつかないと話せないような………不発弾より危険な私の身体中に埋め込まれた地雷だから」
「麻尋さん……」
「背中になら……すがっても……いいよね?」
「……………。聞きます」
オレは彼女に背中を向けてベッドに座った。
それから、麻尋さんが話してくれたのは、父親のこと、日名雄介さんのこと、河合春人さんのこと、日名あすかさんと雄介さんの母親のこと、黙って聞いていたオレは、振り返って麻尋さんを抱きしめたくなる衝動を抑えるために、膝を握って耐えた。
背中から響いてくる麻尋さんの声が痛い。
「…別れたくなかった………っ……別れたく……なかった……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「………」
謝り続けて泣いていた麻尋さんが眠ったときには、もう夜明けだった。