予定通り五日間、ユカリを捜して澄空市内を回ったオレは麻尋さんが作ってくれた最期の朝ご飯をいただくと荷物を持った。
「ごちそうさま。本当に美味しかった」
「お粗末様。……駅まで送る」
「いいよ」
「送りたいの」
「………じゃ、駅まで」
澄空駅からシカ電に乗って隣接してる桜峰市へとユカリを探しに行くオレを麻尋さんは駅まで送ってくれる。
「一人旅なんだから健康に気をつけてね」
「麻尋さんだって一人暮らしだろ。ちゃんと食べていける?」
「………。一人じゃ不安、って言ったら、ここに残ってくれる?」
「……………ごめん」
「ほらね♪」
「……………」
「あ、電車が来たよ」
下り線にシカ電の車両が入ってくる。
「麻尋さん……元気で」
「………。ふんっ…」
麻尋さんは少し怒った顔を作ると、タメ息をついた。
「ハァ~…」
「麻尋さん?」
「映画の主人公じゃないんだから」
「…え?」
「カッコ良すぎってこと」
「…………」
「惚れちゃったじゃない。バカ」
「……………………」
「雄介くん、春人くん、一蹴くん、みんな私の前から消えてく。いつのまにか、ハートを盗んで」
「……………」
答えに困ったままオレは停車したシカ電に乗った。
「もう私のハートは財布と同じで、すっからかんね」
「…………」
やっぱり言おう。決意した。
「麻尋さん!」
「…?」
「オレの立場で……」
言い回しを考えている間にシカ電のベルが鳴ってる。
もう時間がない。
結論だけを伝えるんだ。
「麻尋さんは河合さんとヨリを戻すべきだ!! オレは、そう思う!」
「っ…一蹴くん………」
泣きそうな顔をした麻尋さんは、頷いてくれた。
「もしも……春人くんと、次に偶然、会えることがあったら………そのとき私を許してくれるなら………一蹴くんの言うとおりにする!! 今日からバイトも探すね! だから、安心して旅立って! 元気で!!」
途中で自動ドアが閉まったけれど、麻尋さんの声はオレの耳に届いていた。
「「さようなら!! ありがとう!!」」
そして、お互い、見えなくなるまで手を振って、別れた。
桜峰市を探し尽くし、藤川市も探索し終え、さらにシカ電沿線から離れて、いくつもの駅と街を巡ったオレは初瀬という街を歩いていた。
「朱雀堂か………………………何を売ってる店なんだろう。気になるな」
夕暮れの街角の商店を覗いてみるけど、あまり活気はない。活気が無い代わりに風情のある建物が多い。道ばたに置かれた朱雀堂という看板を通り過ぎ、道なりに歩いていると、もう薄暗くなっている。
「今夜は野宿かな……。こんな旅館に泊まれたらなぁ…」
街道から日本旅館を見上げた。こぢんまりとしてるけど、よく掃除された感じで、うだつが上がっている。
「ダメだな。贅沢は敵だ。野宿かカプセルホテルにしよう」
旅館を諦めて、通りを曲がったときだった。
「ひゃー…お助けぇ!」
若くない女性の声が響いてきた。
若くない、かなり若くない、いや、はっきり言うと老婆の声が暗い街道に響いている。
男として興味はないけど、人間として助けよう、オレは状況を把握するために声の主を確かめる。
「どうかし…」
問いかける前に理解できた。
路上に倒れている老婆と、オレに向かって走ってくる帽子をかぶった男、その手には明らかに男の物とは思えない巾着袋が握られている。
ひったくりだ。
「どきやがれ!!」
「…」
瞬時に判断し、行動に出る。
男がオレの肩を突き飛ばすのと同時に、右足を出した。
「うおっ?!」
ビターン!
もんどり打って倒れてくれた。走ってくる相手を止めるのはサッカーの基本だし、今はレッドカードも関係ない。ケンカ慣れもしてきたオレにとって、ひったくりの一人や二人は問題にならない。
「動くなっ!!」
「うぐっ…ぅう………か、カンベンしてくれぇ…」
倒れている相手の背中を膝で踏みつけて取り押さえる。もう相手は諦めていて抵抗しなかった。
「お婆さん! 大丈夫ですか?」
「ハァ…ふーっ…ありがとうござんした、お若いの。ちょい驚いて腰が抜けただけじゃて、もーう大丈夫。ふーっ…はーっ…」
とくにケガはない様子で、お婆さんは犯人が手放した巾着袋を拾い上げた。
「よかった、よかった。これは私の婆ちゃんが婆ちゃんに作ってもらった品じゃて、大事にしとったんてよ。ほんにありがとうござんした」
「婆ちゃんの婆ちゃんが……婆ちゃんに? …それって、いつの時代?」
「ここに刺繍があるよって、嘉永5年じゃて」
「……西暦で言うと?」
「1852年じゃね」
「…………ここは時の流れが止まってるのか……」
「物は大事につことったら、ええ運がつくもんでの。今も危うく盗まれるところを、旅の人が助けてくだしゃった。ありがたや、ありがたや」
お婆さんが巾着袋を数珠みたいに持ったまま、オレに手を合わせた。
「オレを拝まないでくださいよ」
オレとお婆さんが話しているうちに、110番で呼んでおいたパトカーが来てくれ、犯人を逮捕してくれる。
「お手柄だったね。君は学生?」
「いえ、オレは…」
簡単に警察官に経緯を話していると、困った顔をされた。
「…ということは、言い方は悪いが、君は住所不定無職、ということかな?」
「そういう言い方もできますね」
「………困ったなぁ……」
「別にオレは犯人じゃないですよ。それとも共犯だとでも?」
「いや、そうじゃないが、もしも、あの犯人が途中で容疑を否認したりと……色々と刑事訴訟のうえでもめたとき、現場で取り押さえた人間が行方不明、というのも困るんだ………できれば、書類の上だけでも、君の住所はないかな? 本籍地でもいい」
「………本籍地……」
オレに、そんなものあるんだろうか。きっと、飛田扉の本籍地は真昼の子供園だろうな、オレは、どこだろう。考え込んでいるオレの腕を、お婆さんがクイクイと引っぱってきた。
「うちの旅館に泊まっていきゃんせ」
お婆さんが、さっき通り過ぎた旅館を指した。どうやら、あそこの関係者みたいだ。
「そんなら宿帳に名前が残るで、居場所になろう?」
「…あ、…でも、お金が無いわけじゃないけど節約したいから」
「かまわん、かまわん。恩人からお代をいただことは思わしゃん。もう夜も更けとおて」
「君、ご老人の好意は受けるものだ。我々も君が定着してくれるなら、それを書類に残せるのでありがたい。決めてもらえないか?」
「………。じゃあ……お言葉に甘えて」
警察官とのやりとりを終えると、オレはお婆さんに導かれて旅館に入った。お婆さんが軽い足取りで奥から、熊みたいな男性を連れてくる。
「うちの母を助けてくれたとか」
「いえ、そんな大袈裟なことじゃないですよ。ちょっと足をかけただけで…」
「今どきの若い人にして、精悍なええ顔をされて」
「外ばっかりだから日に焼けちゃって…」
「旅の途中という話なら、ぜひに客室に泊まっていただきたいところが……実は、正規の客室は満室で、準備途中の空き部屋しかなくてな…」
申し訳なさそうに熊みたいな身体を小さくしてくれるのが可笑しくてオレは苦笑して答える。
「橋の下でも眠れますから気にしないでください。屋根があるだけありがたいです」
「夕食もお客向けのは数が限られておって、まかないで申し訳ないが、そっちは量には融通がきくもんでな。ワシらと、いっしょでもええかな?」
「はい。そっちの方が落ち着きますし」
「なら、こっちへ」
熊さんに案内されて従業員たちが夕食を摂っている場所に連れて行かれる。お婆さんと熊さんが、ひったくりを逮捕した顛末を従業員たちに説明してくれ、久しぶりに人と会話しながら食事をいただいている。仲居のお姉さんがオレの皿に料理を盛ってくれつつ、微笑えんでくる。
「恋人探しの旅なんて、ロマンね。私じゃダメかな♪」
「ユカリ一人と決めてますから」
「くぅ~♪ 一人ノロケぇ~…」
「おいおい、あんまり軽いこと言ってるんじゃないぞ」
熊さんが諫めてからオレを見てくる。
「そんじゃ、一蹴くん。今しばらくは初瀬を探し回るつもりかい?」
「はい、そのつもりです」
「宿は?」
「その日、その日でテキトーに……どこか格安のところでもあれば紹介してもらえませんか? 手持ちの資金も限りがありますから」
「あるともさ!」
「どこですか?」
「ここだ♪」
「だよねぇ~♪ お姉さんの部屋に泊めてあげる」
「お前は黙ってろい。一蹴くん、客室は予約が日々あるけどよ、これから案内する準備中の部屋なら半年先でも予約なし。いくらでも、泊まっていってくれ。もちろん、無料でいい」
「そんな……ありがたいですけど、無料ってのは問題がありませんか、せめて1000円でも払います」
「別に女の部屋にしけ込むわけじゃねぇんだ。ちみっちゃい支払いで人間関係に予防線をはる必要があるのかい? 水くさいじゃねぇか」
「あ……そう…ですね」
麻尋さんの部屋とは意味が違うし、ご厚意はありがたい。けど、やっぱり養子育ちのせいか、口をついて遠慮が出てしまう。
「じゃあ、少しでも旅館の仕事を手伝います。喫茶店でのバイト経験ならありますし、掃除、水まきくらいできますから、ユカリを探しに行く時間以外は使ってください」
「母ちゃんの恩人をつかっちゃぁな………」
熊さんが髭をしごいて考え込むと、お婆さんが笑った。
「お給金を出してやらんしゃい。お探しの人が初瀬で見つかるとええが、そうとも限らぬ旅じゃて、いくら路銀があっても足りなかろう。な?」
熊さんとオレの両方に納得させるように問いかけてくる。オレにも熊さんにも異存はなかったから、今夜から、しばらく逗留させてもらうことになった。宿泊場所が確保できた上に、バイト代までもらえそうなので本当にありがたい巡り合わせだと感謝して、案内された部屋の布団で気持ちよく眠った。
初瀬を探し回ること三日目の夜、疲れて眠っていたはずなのに真夜中に目が覚めた。
「……………………」
(……くす…………くすっ…)
「?」
かすかな声みたいな音が流れてくる。
(………くすっ…)
「……」
隣の部屋からかな、夕べも聞こえていた気がする。布団から抜け出したオレは静かに立ち上がって、壁に耳を当てた。
(…くすん…………くすん………)
「…………」
女性が啜り泣いているみたいな声だ。
(……くすん……………ぅぅっ………くすん………)
「………………………」
たしか隣室も準備中の部屋で宿泊客はいないはずだけど………意外に、あの仲居のお姉さんが泣いてるとか……なわけないよな。そういうタイプじゃない。何にしても他人のプライベートをこれ以上盗み聞きするのも悪いし、明日も旅館の掃除を手伝ってからユカリを探しに行く予定なんだ。早く眠ろう。もう一度、布団に入るとオレは起きるべき時間まで休むことができ、朝食をいただいて旅館内を雑巾がけする。
「う~む、働くって気持ちいいな♪」
「あ、少年♪ 感心感心」
仲居のお姉さんが通りがかりに声をかけてくれる。
「あとでデートでもしない?」
「しませんよ。そろそろ諦めてくださいよ」
「え~ん♪ またフラれちゃたよ。お姉さん悲しいなァ」
泣き真似をして着物の袖で目元を拭うから夕べのことを思い出した。
「夕べ、泣いてませんでした?」
「泣いてたよ。シクシクと、一蹴くんが恋しくて」
「冗談じゃなくて、オレの隣の部屋にいた?」
「…あたしの部屋は別館の二階よ。夜這いに来るときは部屋を間違えないでね」
「だからしないし!」
「残念♪」
「オレの部屋の隣って、お客さんいたんですか?」
「…いないよ。どうして?」
「夕べ、啜り泣くような声が聞こえて」
「それって、アレじゃない?」
「幽霊とか、そういうくだらない話ですか?」
「違う違う♪ ユカリちゃんが一蹴くんを待ちこがれて淋しくて泣いてるのが、ピピッとテレパシーで一蹴くんにまで伝わって……、ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたわ」
「…………………別に……」
「本当に、ごめんなさい」
それほどオレは不愉快な顔をしたつもりはないけど、お姉さんは頭を下げてくる。
「ごめんなさい」
「別に、怒ってませんから」
「…でも…」
お姉さんの視線はオレの右手に流れてる。気がつけば雑巾を握り締めていた。よく搾ったはずなのに廊下に水滴が零れている。
ぽたっ……ぽたっ……
「………」
ユカリ………。
「ごめんなさい」
「いいですって。もう行ってください。仕事の途中でしょう」
「……ごめんなさい」
お姉さんが行った後、廊下をキレイにしてから、オレは探しに出た。今日こそ見つけてやる、そう思ったけれど、空振りだった。
「ユカリ………。双海さん……」
わかってます、師匠、簡単に成し遂げられなくても、腐るな、自棄になるな、ですよね。旅館に戻って、まかないでの夕食を従業員みんなと食べるとき、お姉さんの様子は普通だったけど、もう余計な茶化したことは言わないでくれた。
お風呂をもらって部屋に戻ると眠気が襲ってくる。
「寝るか」
電灯を消して布団に入った。真夜中になって、啜り泣く声を聞いたような気もするし、幻聴だった気もする。けれど、ユカリの夢を見た。どこか遠い場所にいるユカリが窓から外ばかり見つめている夢だった。
初瀬に滞在して六日目、大雨が降っていたことと旅館が忙しそうだったことで、オレは外出せずに手伝いをしていた。
「ユカリのユは~♪ 湯疲れのユ♪ ユカリのカは~♪ カリウムのカ♪ ユカリのリはリラックスのリ♪」
ユカリ唄温泉バージョンを唄いつつ廊下の掃除をしていたら、熊さんがずぶ濡れでやってくる。
「お、一蹴くん。ちょうどいい」
「仕事っすね?」
「悪いが、いっしょに雨樋を修理してくれないか? ずぶ濡れになっちまうけど」
「いいですよ。大工仕事なら得意です」
いのりと教会を修繕した経験が、こんなところで活きるならお安いご用だ。濡れたら風呂に入ればいいし、熊さんも同じつもりで二人分のバスタオルと浴衣を裏口に用意してる。庭に出ると雨の中での作業は二人がかりでも苦労だった。
「一蹴くん、そっち持ってくれ」
「はい」
材料を支えているとき、不意にガラス越しに部屋の中が見えた。たしか、ここはオレの部屋の隣のはず………誰かいる?! 室内には人影があった。障子が閉まっていて人物まではわからないけれど、誰かが部屋にいて、その真ん中に正座してる。雨で外が暗いから、室内の様子がわかる。
「………」
「おい、一蹴くん」
「…………」
人影は、とくに何をするでもなく、テレビを見ているわけでもなく、ただ正座しているだけで一人きりみたいだ。あの袖の形からして洋服じゃなくて和服姿か………いったい、誰がいるんだ。そんな気配、まったく無かったのに。
「おーい、一蹴くん! 斜めになってるぞ!」
「あ、すいません! これで、どうです?」
「よし♪ 終わった。いいぞ」
「はい」
「うひゃー濡れちまったなァ」
「大雨でしたね」
「風呂いこう、風呂。お客さんに会っても、こっちも客みたいな顔してればいい」
「今日は大雨だからお客さんも、旅館内にいる人、多いですね」
「その分、こっちは忙しいってな。ま、でもワシらは大仕事したし、ちょいと休んでもバチは当たらないだろうさ」
裏口で濡れた服を脱いで浴衣になって大浴場に行くと、運のいいことに誰もいなかった。
「お、一蹴くんと二人だな」
「広くていいですね」
熊さんは、やっぱり背中にも毛が生えていて、熊さんだった。表面積の違いなのか、身体を洗い終わるのはオレの方が早くて、湯船に入ってから気になっていたことを熊さんに訊く。
「オレが居さしてもらってる部屋の隣って、誰かいるんですか?」
「…どうしてだい?」
「さっき庭から人影が見えたんですよ」
「…人影ねぇ」
いつも歯切れのいい熊さんが石鹸の泡がついた髭をしごいてる。
「…アレじゃないか」
「幽霊とか、くだらない話ですか?」
「いやいや、座敷童子さまだ」
「似たような発想じゃないですか」
「座敷童子さまだと思えば、ありがたい、ありがたい♪」
「はぁ~………疲れた。明日は晴れるといいな」
「…ああ、晴れるといいな」
「…………」
全身が白い石鹸の泡でつつまれた熊さんは、シロクマだった。ユカリが見たら喜ぶだろうなぁ………座敷童子って、実は動物の一種で、それの見間違いとかじゃないかな。納屋にあった辞典で調べてみよう。風呂からあがったオレは百科事典を開いた。ユカリがメリッサを虐待してしまったときや双海さんとの経験で、自分の知識だけで判断せず、新しい情報を得ることが大切だと学習していたから、インターネットの代わりに百科事典をあてにする。
「ざしきわらし…ざしきわらし、と。……お、あった」
ざっと読んでいく。
「東北地方を中心にか……………生息地区はサーフ・クラムと似てるな」
旧家に住むと信じられている精霊・家神で顔が赤く、髪を垂れているという。枕返しなどのイタズラもするが、居なくなると家が衰え、居る間は家が繁盛する。蔵にいるものは蔵童子。関連項目、コーボルト。
「……ふーーん、……………………コーボルトも調べてみるか」
カ行のコを開いてみる。
「お、あったあった」
コーボルト、ドイツの家の精。日本の座敷童子、イギリスのゴブリンに類する。本来、鍛冶に結びついた地霊と思われ、ゲーテのファウストにも登場する。
「…ふーーん………イギリスといえば紅茶だよな」
そして、紅茶といえば双海さんだよな………あの人に相談してみよう。ケータイで電話をかけてみる。
(This is Futaim Sion speaking.)
「ハ、ハロー! アイ・アム・イッシュウ!」
(Hello)
「プリーズ・ヘルプ・ミー! ドゥ・ユー・ノウ・ザシキワラシ?」
(Yes, Japanese hobgoblin.)
「イエス! イエス! アイ・アム・ルック! ルック!」
(It is worth a look. Sounds like fun.)
「え……………………。すいません、生半可な英語で喋って………日本語で話してもらえませんか? っていうか、なんで英語なんですか?!」
(ちょっとフィンランドで父に会ったついでに、イギリスの友人に会っていたものですから、郷に入っては郷に従えというでしょう)
「ちょうどイギリスに?! もしかして、紅茶も飲んでる?!」
(淹れていたところですが、それがなにか?)
「ジャストタイムっすよ!」
(いえ、時差を考えてください。実は迷惑な時間なのですが、大切な話ですか?)
「す…すいません……。でも、フィンランドのついでにイギリスって、無理がないですか?」
(スカンジナビア半島からグレート・ブリテン島までは、ごく近いですよ。たしかに、フィランドへ海路から攻め込もうとしたイギリスは通過しなければならない中立国スウェーデンの許可を得られず、大戦中ついに戦火を交えることはありませんでしたが、平時ならば空路で問題なく到着できます)
「は……はぁ……」
(それで、座敷童子が、どうかしましたか?)
「あ、そうだ」
オレは今日までのことを簡単に話してみた。
(なるほど、気になりますね。部屋を覗いてみたら、どうです?)
「でも、障子があって…」
(庭からではなく、正面から戸を開けて入ってみては?)
「それは、ちょっと……もし、誰かいるなら迷惑だし…」
(ノックしてみればいいじゃないですか?)
「あ、なるほど」
(幽霊の正体見たり枯れ尾花、私は唯物論者です。幽霊など信じません)
「言い切りますか?」
(もしも、幽霊が存在しているなら、なぜユダヤ人が虐殺されているときにヒットラーは呪い殺されなかったのでしょう? なぜ、広島長崎で20万人を焼き殺したB29は無事に着陸できたのでしょう? 科学的に幽霊が存在してると仮定した場合、歴史上の事件は不可解です。よって、存在しません)
「………なるほど……でも、よく、座敷童子がイギリスでいうとゴブリンだって、ご存じで…」
(物語としては面白いじゃないですか♪)
「さすが若手小説家……」
(誉められたと思っておきましょう。もう、よろしいですか?)
「はい、どうも、ありがとうございました」
電話を切ってから今月の電話代が気になった上に、くだらない相談をしてしまったと後悔しつつも、せめて枯れ尾花を確かめてみる。廊下を進み、隣室の前に立った。
「誰かいますか?」
コンコン…
双海さんに言われた通りノックをしてみたけど、返事がない。
「もしもーし」
コンコン…
二度目のノックでも返事がない。よし、開けてみよう。
「失礼しまーす」
戸を静かに開けて、ゆっくり覗き込む。
「っ…?!」
いたっ?! いた?! ざ、ざ、ざ、座敷童子だ! マジでいた?!
「わ、わ、わ、わわ?!」
「……」
部屋の真ん中に、和服を着て赤い髪を垂らして、ぽつんと正座してる。オレに気づいているのか、いないのか、ぜんぜん反応しないけど、たしかに居る。
「……」
「し、しし、…失礼しました! い、家を繁盛させてください! し、失礼します!」
慌てて逃げるように廊下に出て戸を閉めた。
「ハァ……ハァーっ……ハァ……本当に、いるなんて…」
息を整えてるオレを仲居のお姉さんが見つけて来る。
「少年、どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「座敷童子がいたんだ!」
「あらそ♪」
「あらそって……この部屋に! 赤い髪を垂らして! マジで!」
「いいんじゃないの。家が栄えるっていうし」
「………お姉さんも見たことあるの?」
「た、ま、に、ね♪ おイタしちゃダメよ。そっとしときましょ。祟られると家が廃れるって言われてるし、実際、祟りくるかもよ。藤川あたりから」
お姉さんはクスクスと笑いながら行ってしまった。
「藤川? なんで藤川市が関係あるんだ?」
オレは色々と気になったけど、もう戸を開ける気は無くなって、旅館の手伝いをしてから、いつも通りに布団へ入った。
「もう座敷童子は忘れよう。明日はユカリを捜すぞ! 座敷童子さま、どうか、ご加護を! 今日は覗いて、ごめんなさい」
双海さんほどの唯物論者になれないオレは、ソウチンニャン人形であれ、座敷童子であれ、とりあえず祈っておけば祟りは無いだろうと両手を合わせておいたけど、やっぱり、真夜中に啜り泣く声は聞こえたりした。
まくら返しはされなかったけど、落ち着かない眠りだった。
翌々日の午前中、オレは熊さんから生け垣の剪定を頼まれて、旅館の庭木にハサミを振るっていた。玄関や大きな松の木はプロの職人に頼むらしいけど、生け垣はサッパリすれば、センスは問わないって言われてる。初瀬の街を探していく予定は、やや遅れてるけど、その分はバイト代で応えてもらってるから、今後の旅でバイトを見つけられると限らない分、働けるときに働いておく。
「ユカリのユは~♪ ユーカリのユ♪ ユカリのカは~♪ ユーカリのカ♪ ユカリのリは~♪ ユーカリのリ♪」
ユカリ唄ひねり最少バージョンを唄いつつ、庭木を切って二時間ほどしたときだった。旅館の方から着物姿の女性が二人、庭に出てくる。
「たまには、外の光も浴びなさい。いつも、いつも部屋に閉じこもってばかり」
「……………………」
「ほら、こんなに晴れてる」
「……………………」
「また痩せて、ぜんぜん食べてないでしょう? 私も仕事があって毎日はこれないけれど、少しは元気になってね」
「……………………」
一方的に話しかけてるのは、たしか、熊さんの妹さんだったはず……話しかけられてるのに答えない人は…っ?! ざ、ざざ。
「ざ、座敷童子!」
「The座敷童子って、何かしら? 座敷童子に定冠詞を付けてどうするの? 居候くん」
熊さんの妹さんが呆れた顔で、大声を出したオレを見てるけど、その隣には座敷童子さまがいる。
「み、……み、み、見えるんですか?!」
「なにが?」
「座敷童子さまが!」
オレは赤い髪を垂らしてる和服の座敷童子さまを指した。
「……はぁ~……」
熊さんの妹さんが大きなタメ息をついて腰に手をあててる。
「あんまり雅ちゃんがおとなしいから、居候くんが座敷童子だと思ってるよ?」
「……………………」
「座敷童子じゃないんですか?! 家を栄えさせる! いなくなると家が衰えるって!」
「っ………」
反応が無かった座敷童子さまがビクッと震えた。
「ヤバいっすよ! いなくなったら家が滅びますよ! 失礼なこと話しかけちゃ! っていうか、庭に連れ出すなんて、もってのほか! 家に戻ってもらわないと!」
「っ……っ……」
座敷童子さまの様子がおかしい。庭になんか出すからだ。
「ほら、ヤバい気配ですよ! 早く家に帰さないと! 家が滅びますって!! 奥座敷に閉じこめておかないと!!」
「居候くん、うるさいっ!」
ぴしゃりと平手で頭を叩かれた。熊さんの妹さんだけにベアー・クローだ。妹といえば、熊さんは奥さんに先立たれって話だけど、妹さんを好きになったりしないんだろうか、けっこうステキな妹さんなのに、つい妹という単語を聞くと反応してしまうのは病気か、もちろんオレ的には年齢制限の………、落ちつけ、迷走するなオレ、冷静になろう。冷静に。
「静かにしてちょうだい。雅ちゃんが動揺するようなこと言わないの!」
「は…はい…」
熊さんの妹さんが、すごい迫力でオレを睨む。
「それから!」
「はい?!」
「とおこ!」
「は?」
「柏崎とおこ! 熊さんの妹さんって顔しない!! あいつは熊のままでもいいけど、私のことは、とおこさんって呼びなさい!!」
「はい、とおこさん!」
「よし」
オレを一喝しながら、とおこさんはミヤビちゃんの背中を撫でてる。具合が悪くなったみたいで、顔色が良くない。とおこさんは庭にある陶器製の椅子へとミヤビちゃんを導いた。どうやら、座敷童子さまじゃなくて、人間の女の子みたいだ。一言も喋らないし、赤い髪が垂れていて、よく表情も見えない。とてもはかなげで折れそうなほど弱々しい少女だ。
「大丈夫、大丈夫よ。誰も雅ちゃんを家に戻したりしないから」
「……………………」
「大丈夫、大丈夫よ」
まあ、座敷童子さまじゃないなら、連れ出しても、家に戻さなくても大丈夫だろう。ミヤビちゃんか、たしか、そんな名前のクラスメートもいたような気がする。なんだか、遠い昔の話みたいだ、ほんの数ヶ月前までは高校生だったのに。
「………」
今は、さすらいのサムライ一蹴……サムライといえば、そうそう雅って名前の女の子が剣道部の主将を倒したりしてたよな、なんて名前だったかな……山王雅……いや、ちがう……あ、そうそう藤原雅とか。扇子を拾ってあげたのに怒ったり、ちょっと見てただけで怒ったり、短気な人だった。でも、最期の自由登校では元気がなかったな、まるで今のミヤビちゃんにも通じるような雰囲気だった。
「大丈夫、ね、安心して。雅ちゃん」
「……………………」
「………」
いのりみたいに髪を垂らしてるから、わかりにくいけど、けっこう藤原雅に顔立ちが似ているかも。もうちょっと頬がふっくらしたら、そっくりだ。ただ、雰囲気は別れを告げてきたときの、いのりみたいに俯いて髪を垂らしてるから、かなり暗い印象を受ける。藤原さんはポニーテールだったし、やっぱり別人だな。
「あの人形の家に雅ちゃんを戻したりしないから」
「……………………」
「……」
人形の家か、たしかに、人形みたいな子だ。和服姿だし、動かず喋らずにいられたらオレじゃなくても人形か、妖怪のたぐいだと思うって。もうオレは仕事に戻ろう。なんとなく可哀想な身の上の少女みたいだけど、オレには無関係だし、ユカリを捜さないといけないんだ。オレは庭木の剪定を仕上げて、午後いっぱいは初瀬の探索に出かけた。