「~それから~ again ゆかりむつび」    作:高尾のり子

6 / 11
第6話

 

 

 まかないでの夕食のとき、とおこさんが座敷童子さまにお供え物……じゃなくて、ミヤビちゃんに食事を持って行ってるのに気づいた。しばらくしてタメ息をつきながら、とおこさんが戻ってきた。その手にある御膳は、ほとんど減ってない。拒食症じゃないかってくらいに食べてないみたいだ。大丈夫かな………かなり痩せてたし。オレの個室と同じ構造ならトイレも小さな風呂もあるはずだから、まったく部屋から出ないで過ごすこともできるけど、明らかに健康的じゃない。

「とおこさん、ミヤビさんは大丈夫なんですか?」

「どうからしらね……。お医者にも診せたのだけれど、身体が悪いわけじゃないから」

「心の病気か、なにかですか?」

「………」

「いえ、すいません。立ち入ったことを訊いて…」

「それは、いいわ。居候くんも、ここに馴染んできたし、教えておいた方がいいわね。とくに昼間みたいに雅ちゃんを刺激するようなことは、言わないでほしいから」

「は……はい…すいませんでした」

「いいのよ、……それにしても本気で座敷童子だなんて思い込むなんて……クスッ」

 暗い話になりそうなのを、とおこさんは失笑して雰囲気を軽くしてくれた。

「あの子は、雅ちゃんはね。私のお姉さんの娘、つまり姪ね」

「ああ…少し似てますね。髪の色とか」

「ええ、この髪は柏崎の血筋ね」

 とおこさんは自分の髪を少しいじった。ちょっと話しにくい内容みたいだけど、もう他の従業員も知ってるみたいだ。気を遣って夕食の片付けをしてくれてる。

「ありていに言ってしまえば、雅ちゃんは家の都合で結婚させられることになっていたの。本家の跡取り息子とね。でも、息子っていっても、私より年上よ。雅ちゃんは、まだ二十歳にもなっていないのに……逃げ出して当たり前ね」

「よかったじゃないですか? 逃げてきて」

「…………。そう簡単な話でもないのよ。藤原の分家として、美智子おばさまの立場もあるでしょうしね。それを雅ちゃんもわかっていて、わかっていても、逃げ出してしまった。あの子は逃げたことを誰よりも後悔している」

「……………………藤原? ………」

「あ、それは、あちらさまの苗字よ。名門中の名門、中臣鎌足が645年に大化の改新をおこして藤原氏を名のって以来のね。藤原道長を挙げるまでもなく、居候くんも少しくらい日本史のお勉強はしてるよね?」

「…え……ええ……」

 藤原………………………ミヤビ………って、あの藤原雅………なのか。まさかね。

「今では本家も分家も呉服商をしているの」

「呉服商なんて、今どき繁盛するんですか? ……あ、すいません。とおこさんの染めてるのはキレイだと思うけど………その…」

「いいのよ。着物業界には大きく分けて京都の京友禅と金沢の加賀友禅があるけれど、京友禅の売り上げは1970年代前半をピークに、今では20分の1にまで落ち込んでいるから、居候くんが心配してくれるのも、よくわかる。最盛期には1600万反を超えたのに、今では過去五年100万反に届く気配さえないの。私のところも楽じゃないけど、なんとかやってるくらい」

 とおこさんは軽く笑った。

「藤原とは名ばかりで分家は苦しいみたいよ」

「……」

 藤原……分家の苗字も藤原………………………藤原ミヤビ……。話の腰を折っても悪いし、あとで訊いてみようかな、でもな、オレのクラスメートが、こんなところに居るわけないし。浜咲から初瀬まで、いったい何本の路線を乗り換えなきゃならないことか。

「でもね、居候くん。日本の百貨店業界は大別して呉服店起源のものと、私鉄ターミナル起源のものがあるの。そして、藤原の本家は前者。まあ、こちらもスーパーやコンビニに押されて苦しいわけだけど、分家とは経済規模も影響力も違うわけ。わかる?」

「ええ……なんとなく…」

 ちょっと、わかる気がする。花祭家みたいなものだろう。花祭香憐が千羽谷の市議会議員になったのに、アホ校長へ超高級ピアノや芸術品を送ってたり、選挙区内の孤児院に寄附したりしてたのが、明らかな公職選挙法違反だってウワサもあったのに、結局は逮捕されなかった。一部の野党議員に騒がれてから孤児院への寄附は止めたらしいけど、脱税の容疑もあったのに。オレも孤児院育ちだから他人事とは思えなかったし、どこの孤児院かまではニュースで紹介されなかったけど、気になるニュースだった。それに脱税は犯罪だろ、オレなんて、ほんのちょっと、ならずやでバイトしただけで静流さんに「源泉徴収だから、ごめんね」って言われて、いくらか引かれてた。なのに、超豪邸に住んでてリムジンで登校させる家が脱税しても捕まらない、それが世の中って、ことだろう。そういう力が世界に働いてることは、なんとなくわかる。そういう種類の力で結婚したくもない男の家に、二十歳にもならない女の子がムリヤリ嫁がされるとしたら逃げ出すのが当たり前だ。強姦より最低だ。

「雅ちゃんは本家に嫁ぐのがイヤで高校の卒業式当日に逃げ出してしまったの」

「高校生……。余計に逃げて当然ですよ」

「ええ、そうね。でも、おかげで本家は面目丸つぶれよ。せめて、雅ちゃんに恋人か、片想いでもいいから男の子との噂でもあれば、まだ、よかったのに」

「……それだと、どう違うんですか?」

「二人で逃げたなら、ああ、仕方ないわね、駆け落ちね、今どきの子だものね、現代でなくても古典でも、よくある話ね。と、こういう落としどころがつくわけ」

 とおこさんは自分の小指と小指をからめて、指人形みたいに駆け落ちを描写してくれる、それが可愛らしくて可笑しいけど、実際のところは重たい話だ。

「……一人だと?」

「他に好きな男がいたわけでもなく、ただ、単に、本当に、心の底から、何が何でも、着の身着のまま逃げ出すくらいに、本家の跡取り息子が嫌われていた。若い娘の心一つ掴めない若旦那では世継ぎとして情けない。そして、そうなったのは分家のせい、育て方が悪い、この分家はいらない、本家を侮辱した。こういう話になってしまうわけ」

「……そんなのミヤビさんのせいじゃないでしょう?!」

「ええ。今どき常識ってものがあれば、単に一人の女の子として雅ちゃんが嫌がっただけ、ごく普通のこと、って理解できるはずなのに………伝統的に呉服商っていうのは、女にモテないといけないの。いつの時代も成功者は魅力的でなければ、ならない。女に逃げられるなんて人望がない証拠………………………くだらないわね」

「……くだらねぇ……くだらねぇよ!!」

 オレはテーブルを叩いた。

「家とか! 家族とか! オレは大っ嫌いだ!!」

「…居候くん……」

「家のために娘を犠牲にして、なにが家だよ?! 本末転倒じゃないか?!」

「大きな声を出さないの」

 とおこさんが軽くベアー・クローしてくる。

「一番悩んでいるのは雅ちゃんなんだから」

「……はい…」

 藤原……ミヤビ……ああ、…やっぱり、気になる。あの藤原雅も上等の扇子を持っていたり、和風な感じもしたし、本人じゃなくても何か関係があるのかもしれない。

 訊いてみよう。

「とおこさん。あの子……ミヤビさんは、風雅のガ、雅やかって漢字を書くんですか?」

「ええ、そうよ」

「………。藤原雅さんって、高校は神奈川県の浜咲学園だったりしました?」

「ハマサキ学園? どうかしら? 神奈川県は神奈川県だけれど、学校名までは………どうして?」

「その……偶然かもしれないですけど、オレも神奈川県から来てて、浜咲学園って高校に同姓同名で藤原雅ってクラスメートがいたんです。ただ、オレの知ってる藤原雅さんは、薙刀の名手で、ここの藤原雅さんとは違う気もするんですけど……気になって…」

「………………………。うちの雅ちゃんも薙刀をしていたはずよ」

「……………………」

「ちょっと待ってて。居候くん」

 とおこさんは納屋から木箱を持ってきた。それを開いてくれると、中には汚れきった浜咲学園の女子制服と擦り切れた革靴が入っている。その靴にも見覚えがあった。

「っ…これ、浜咲学園の制服じゃないですか?!」

「そう……やっぱり…」

「いったい、何があったら、ここまで汚れるんですか?」

 浜咲学園の生徒でなければ、この制服が浜咲学園だって、わからないほど汚れてきってる。焦げたような匂いと、灰にまみれて、さらにベッタリとゲル状の何かが染み込んで、そこに灰がこびりついて、本当に酷い有様だった。革靴も底が擦り切れてる。

「まだ、3月の寒い朝だったわ。私が玄関を開けると、戸の前に倒れていたの。すっかり凍えて震えていたわ」

「………」

「うちの玄関が引き戸で、よかった。開き扉だったら、ケガをさせていたかもしれないくらい近くに倒れていたから……でも、戸を叩くことはしなかったみたい」

「…………」

 開くタイプの扉だったら、危うくケガをするところだ。そのケガが因縁で名前を付けられても……あ、すでに雅って名前があるか。

「呼び鈴を鳴らすか、戸を叩くか、………助けを求めてくれればよかったのに……本当に不器用な子、持ち合わせの小銭が無くなった後は、電車を降りて、ここまで歩いたみたい」

 とおこさんが擦り切れた革靴を撫でた。オレもユカリを捜す旅に出た最初の頃は、よく靴をすり減らしていた。今では旅慣れて歩き方のコツを掴んだけど、神奈川県から初瀬まで、ポケットの小銭じゃ到着できなかったのかもしれない。

「…雅さん……」

「タクシーでここまで来るとか、電話をかけてくれるとか、いくらでも方法がありそうなものなのに………汽車賃が無くなった後は、歩いて……到着しても、戸を叩くことはしなかったの。私たちに迷惑をかけることを雅ちゃんは最期まで悩んで……あの子……ここまで一人で……遠かったでしょうね……」

「…………」

 言葉がない。

 どんな想いで藤原さんは、ここまで一人きり歩いて来たんだろう。

 あの卒業式の夜はオレにとっても最低の夜だったけど、同じほど苦しんでいる人間がいたんだ。

「……どうしたら、こんなに汚れるんだ? ………まさか、暴行でも…」

 逃げ出すとき親に虐待されたのか、一瞬、麻尋さんの顔が浮かんだけれど、とおこさんは首を横に振った。

「雅ちゃんから聞き出した話では卒業式の途中から、学校の焼却炉に隠れたらしいわ。美智子おばさまに見つからないよう。灰をかぶって息をひそめて」

「………浜学の焼却炉に……って、ことは、これ……プリンだな」

 ベッタリと制服に付いているゲル状の汚れの理由がわかった。

「プリン?」

「この汚れ、プリンです。うちの学校には、くだらない小さな伝説があって、学校の焼却炉に投げ捨てたプリンを男子に送ると、告白が成功するっていう、小さな伝説があるから。卒業式の前後、わざわざ手作りプリンを一度投げ入れてから、無事だった分だけを取り出すっていう作業をする女子が毎年、何人かいるそうですから………。雅さんは、小さな伝説は知らなかったのかも、しれないけど……」

 オレは、ほたるさんにさんざん聞かされたし、とおこさんに大きな伝説を語るのは別の機会にしよう。ちなみに大きな伝説は、全校生徒の前で愛を叫ぶ、だ。

「焼却炉自体は、夏の草刈りくらいしか使わないで、教室でのゴミは業者に出してますから、たぶん、雅さんは、そのことは知っていたけどプリンのことは知らなかったんでしょう。………隠れるには、うってつけかもしれないけど…」

「灰かぶりに王子様は現れず……ね。この段階では妖精かな」

「灰かぶり?」

「知らないの? フランス名ではサンドリヨン、有名な童話よ。日本でも類似の昔話は多いわ、鉢かづき、糠福、などね」

「………桃太郎と、かぐや姫なら知ってますけど、……はちかづき、ぬかふくは知らないです」

「シンデレラのことよ」

「……。ガラスの靴なら擦り切れなかったろうに…」

 少し踵のところに血も滲んでる。電車賃くらい、誤魔化して乗る方法もあるのに、それさえしないで、最期は徒歩………………………誰にも頼れず助けを求めることもしなかった。

「彼女は、これから、どうなるんですか?」

「……………………」

 とおこさんは答えずタメ息をついた。

「どうなるでしょうね。……どうなるにしても、せめて元気になってほしいわ」

「……そうですね…、あんなに暗い顔、……学校では、凛とした人だったから、今の雅さんとは別人に見えたわけだ……」

「居候くんは雅ちゃんと面識があったの?」

「え…ええ、同じクラスでしたから、挨拶くらいは」

「そう。……」

 とおこさんは少し考えてから勝手に頷いた。

「明日から、居候くんが雅ちゃんに食事を持っていってあげてちょうだい」

「オレが?」

「いっしょに食事をして、できれば、色々と話しかけてほしいの」

「………」

「やっぱり同じ世代の子の方がいいでしょうし、これも何かの縁だと思って、お願い。雅ちゃんを助けてあげて」

「……………」

 何かの縁、とかいわれても、オレとしては何かの縁より、ただ一人の縁を探しに行くって使命があるんだ。

「………。でも、オレはユカリを探しに行かないと…」

「雅ちゃんのお世話をしてくれてる時間は、仕事中って見なすように言っておくから」

「…………………」

「しかも、お給金は二倍計算で」

「…お金の問題ってわけじゃ……」

「でも、この先も旅の資金は必要なんでしょう?」

「………それは、そうですが………………」

「お願い、雅ちゃん、あのままじゃ可哀想。かつてのクラスメートとして、協力してよ」

「………。わかりました。一人のクラスメートとして、接してみます」

 ひょんなことからオレは雅さんの世話係に任命されてしまった。

 

 

 

 少し早起きしたオレは任命された通り、二人分の朝食を用意している。すでに旅館の手伝いで調理場にも慣れているので「これと、これ、もらいますね」と余っていて、まかないに回される予定のものを、いくつかチョイスして御膳に並べて、雅さんの部屋に持っていく。

 コンコン…

 ノックをして声をかけてみる。

「おはよう、雅さん。朝食をもってきたよ」

 返事が無い。

 けれど、拒絶という感じもしないから、ゆっくり襖を開けてみる。

「ちゃんと起きてるんだね」

「………」

 雅さんは、いつから起きていたのか、ちゃんと和服を着て、部屋の真ん中に正座してる。まるで、座敷牢に留置されてるみたいに、身じろぎせずにいる。自力で着物を着付ける気力はあるみたいだ、というより生活習慣なのかな。でも、学校ではポニーテールに結い上げていた髪を垂らしてるから、すごく印象が違う。

「冷めないうちに、食べて」

「………。いただきます」

 挨拶だけはするんだ、よっぽど躾のいい育ちなんだろうな。でも、顔が暗い。垂れた髪で顔の半分も見えない。目元を見ることもできないくらい、暗い。一口か二口、卵焼きを食べて、減ったように見えないのに、ご飯茶碗を置いた。

「食欲、ないの?」

「……はい……ごちそうさまです……」

 箸を置いた雅さんは頭を下げて大半を残したことを謝ってくれる。オレも箸を止めた。

「もうちょっと、食べてみない?」

「………」

 雅さんは丁寧に頭を下げてくれるだけで、返答する気力もないみたいだ。

「………」

「………」

「オレのこと、覚えてる?」

「………」

 返事が無い。

「は…はは……、まあ…、雅さんとは親しかったわけじゃないしね。ほら、浜咲学園で、いっしょだったじゃない? クラス」

「………」

「……。席も離れてたけど……」

「………」

「……。……、また、お昼に。……お昼ご飯、食べたい物とか、ある? 好きな物とか」

「…どうぞ、おかまいなく……」

「………」

 重症だ。

 ものすごく重症だ。

 これなら無意識にメリッサやショーゴを傷つけてしまう方がマシってくらい重症だ。昔の雅さんに戻ってほしいってのは無理でも、せめて普通の会話くらい成立してほしい。オレは食べない彼女の前で食べ続けることができなくて、二人の御膳を持つと部屋を出た。それから、いつも従業員たちと食べているテーブルで二人分を残飯にせず食べきって洗い物をしてから、自分に与えられている部屋に戻った。

「雅さんのことはおいて、ユカリを捜そう」

 オレは身支度を調えて外出し、初瀬からの最寄り駅である長谷寺駅でローカル線に乗り、二駅目になる桜井駅で降りた。そのまま図書館まで歩いて、もう何度も通っている資料棚に立つ。

「今日から県外だな」

 棚にある電話帳を引っぱり出して、ケータイを使っても迷惑にならない場所まで移動する。

「さてと、かったっぱしからかけてやる」

 オレは電話帳で地域の高校の電話番号をピックアップして順々にコールしていく。

「あ、もしもし」

(はい、星林高校です)

「鷺沢衛と申しますが、娘の鷺沢縁に急ぎで伝えたいことがありまして」

 ウソだけど、高校の事務員は疑いもしない。

(サギサワさんの学年とクラスを言っていただけますか?)

「申し訳ありません。ついつい娘のクラスを忘れてしまいました。学年は3年だと思います」

(わかりました。少々お待ち下さい)

 しばらく待たされて事務員が困った声を受話器から響かせてくる。

(職員室に問い合わせましたが、サギサワユカリという生徒は、いないと……サギサワ、ユカリさん、というお名前で間違いないですか?)

「はい、鷺沢縁です。急ぎの用事なのです、すいません、お手数ですが、もう一度お願いできますか?」

(わかりました。学年主任に問い合わせてみます)

 さらに待たされて、事務員が応答してくれる。

(学年主任にも問い合わせ、こちらでコンピューターも調べましたが、サギサワユカリというお名前の生徒さんは在籍しておりません。なにか、お間違いではないでしょうか?)

「そうですか………すいません」

 オレはケータイを切って、次の高校にかける。

「あ、もしもし」

(はい、智辯学園です)

「鷺沢衛と申しま…」

 さっきと同じ問い合わせを繰り返していく。すでに初瀬での滞在日数は長いから周辺は探し尽くしている。今は足じゃなくて耳でユカリを捜している状態だ。この方法は麻尋さんに教えてもらった。麻尋さんも自分の経験から、探している相手の大学と氏名までわかっていたのに、ものすごく効率の悪い探し方をしてしまい、もし次に同じことがあったら学生課に問い合わせる、その方がよっぽど効率がいいって話してくれた。おかげで澄空市を出てからの動きは速くなってる。たとえ、日本に高校が何千校あっても、全てにかけてやれば、いつかユカリが通っている高校にコールできるはずだ。麻尋さんは「一蹴くんが足で探してるのは、ロマンを求めてるのかと思って…」と言ってくれたけど、オレはロマンを求めてユカリを捜してるわけじゃない。ロマンより現実のユカリに会いたい。はっきり言ってサーフ・クラムは東北で探せ、南京錠は店で買え、ソウチンニャン人形は自分で作れ、だ。

(当校には、サギサワユカリとおっしゃる生徒さんは修学しておりません。大変失礼ですが、なにかお間違いではないでしょうか?)

「そうですか……すいません」

 これで13校目の空振りだ。けっこう時間がかかる。一つの学校あたり速くて5分、遅いと20分も検索に待たされる場合がある。もちろん、待たされる時間が長いほど真剣に探してくれたのかもしれないし、そもそも在学している生徒を捜すのは速くても、在学してない生徒をしてないと結論するには、時間がいるだろう。でも、足と目で探すのに比べたら、はるかに効率がいい。澄空学園とかの校門に張り込みしていた日々が無駄に思えるくらいだ。

 気がつけば正午をすぎている。

「もう、こんな時間か……雅さんにお昼ご飯をもっていかないと…」

 オレは電話帳から午後の分の電話番号をメモって図書館を出た。

「この分だと和歌山県の全ての高校に電話をかけ尽くすのに何日か、かかるな……ふ~…」

 神奈川県を出た後、オレは西へ進路をとっている。

 東か、西か、どちらへ行くべきか迷って、ただの勘で西を選んだ。

 ただ、なんとなく、ユカリがいそうな気がして西へ、西へと探している。千羽谷市から澄空市、桜峰市、藤川市と神奈川県内での進路が西へだったことも影響しているかもしれないけど、本当になんとなくユカリは西にいる気がするんだ。

「……ユカリ、待っていてくれよ」

 ローカル線で初瀬に戻って、調理人が用意していてくれた昼食を雅さんに持っていったけど、やっぱりほとんど食べてもらえず、話しかけても返事ももらえず、午後も高校に迷惑電話をかけてユカリを捜して、夕方は旅館で働いて、夕食は雅さんと食べたけれど、彼女の反応は相変わらずだった。

「じゃあ、おやすみ」

「……おやすみなさいませ…」

「………」

 挨拶だけは返してくれるんだよな、もはやパブロフの犬かってくらい。犬、犬か……ショーゴは元気になったかな。信くんからは心配ないってメールをもらってるけど、いつか千羽谷に帰ってショーゴにも会いたい。そんなことを考えていたからなのか、布団に入って眠ったオレはユカリの夢を見た。

 

 

 

 朝の目覚めは悪かった。

 ユカリの夢を見たからだ。夢の中のユカリは、まるで雅さんと同じように何もせず、何も食べず、どんどん痩せ細っていた。ただ、窓辺から外ばかり見ている。オレを待ってくれているユカリの夢………どんなにオレが叫んでも声は届かず、ただ見ていることしかできない歯がゆい夢だった。

「……顔を洗おう。そして、飯を喰おう」

 洗顔して朝食の用意をしていると、とおこさんが声をかけてくる。

「あら、居候くん、おはよう」

「おはようございます」

「寝不足かな?」

「そうでもないつもりなんですが、ちょっと寝覚めは悪かったです」

「そっか。……雅ちゃん、どう?」

「どうにも………あいかわらずです」

「そう…………、今日ね、私がお弁当を作ってあげるから、二人でピクニックにでも、出なさいよ」

「…………。オレはユカリを捜したいし、旅館の手伝いも…」

「雅ちゃんのお世話は給金の対象♪ しかも、二倍」

「……わかりましたよ。じゃあ、誘ってみます」

「ムリヤリにでも引っぱり出してよ。日光を浴びないと身体に悪いんだから」

「はい」

 オレは喋ってくれない雅さんとの朝食の席でピクニックに誘ってみたけど、のれんに腕押し、糠に釘、まったく手応えがなかった。それでもムリヤリ外出すると決定すれば反論する気もないみたいでついてくる。

「さてと♪ どこへ行こうか?」

「………………………」

 どこへなりと、いっそ別世界へ、そんな返事が聞こえてきそうな暗い顔だ。

「近場をグルッと歩いてみようか。オレ、初瀬の人間じゃないけど、詳しいよ」

「……………………」

「かなり歩き回ったからね」

「………」

「初瀬小学校をまわって、ダムでも見に行こうか」

「……………」

「……。さ、行こう」

 オレが歩き出すと雅さんもついてくる。

 なかなか……いや、まったく会話が弾まず、オレが一方的に喋りつつ初瀬小学校を通り過ぎ、北東へ歩くと長谷寺がある。その寺の境内を少し歩いて、さらに川沿いの道を進むと初瀬ダムが見える。ダムといっても小さなものだけど、ここは少しだけ思い入れがある。

「雅さんは中谷って覚えてる?」

「……………………」

「クラスは違ったけどさ。サッカー部の友達でね」

「…………」

「でさ、この初瀬ダムの向こうの集落って、なんと中谷って名前なんだ。別に珍しい名前じゃないけど、なんとなく中谷の祖先が住んでそうな気しない?」

「……………」

「……。…はは、別に、どうでもいい話なんだけどね」

 やっぱり外したか、雅さんの頭に中谷の記憶はないみたいだ、あったところで同じ名前の地名だから、どうだって話だし。ちなみに、鷺沢っていう地名は無いみたいで、調べても見つからなかった。もしかしたら、鷺沢衛の出身地かもしれないという一縷の望みを託して検索したけど無意味だった。

「どうでもいい話ついでに、陵っていたじゃない? ちょっとオレと付き合ってた子、覚えてる?」

「……………………」

「ああ、まあ、結局は別れたんだけどね」

 ついでに陵も調べたら、天皇の墓所という意味だった。天皇の墓所で祈る、ちょっとイメージじゃない。

「陵って天皇陛下のお墓って意味らしいよ。このあたりは古墳も多いよね。関係あったりするのかな?」

「…………」

「それにしても、そう考えると陵って苗字はビミョーかな。だってさ、エジプトにピラミッドさんがいたら、ちょっとビックリしない?」

「……………………」

「まあ、寺田とか、寺谷みたいな感じとも思えるけど、墓田とか、墓村みたいな感じでもあるしさ。夜は墓場で運動会、とか♪ ははは…はははは…」

「………………………」

「…………………」

 ごめん、いのり、こんなこと考えるつもりはなかったんだ。

 ただ、あまりにも一人で喋るのがつらくて、雅さん相槌もくれないし、ついつい話題の無さからムリヤリなことを話してるオレの声は虚しくダムの水面に吸い込まれていった。

「……………………」

 いのり。

 どっちかというとオレの記憶では、いのりは教会とセットになってる。本当はリナさんを連れて行きたかったらしいけど、その記憶は無い。一番強い記憶はユカリとの縁日だ。ユカリの手を引いて彷徨った。そして、あの南京錠。縁日でユカリと結ばれた、まさにユカリ記念日とか、卒業式の前に笑って話していたのに。

「……………」

「……………」

 オレが話さないと雅さんはダムの水面を見たまま動かない。飛び込んだりされないよう、少し距離をとっているけど、そういう気力さえ無いみたいだ。

「さて♪ 弁当でも食おう。とおこさんが作ってくれたんだってよ」

 つとめて明るく話しながら座るのに適当な石と丸太を見つけて、雅さんのためにハンカチを敷いた。このハンカチは双海さんにもらったものだ。オレが親指を切りつけたとき、巻いてもらって血が付いたから、双海さんには別のハンカチを送った。

「お♪ 美味そう! いただきまーす♪」

「………いただきます……」

 そうは言ってくれても、ほとんど食べないでいる。とおこさんが持たせてくれた重箱には三人分くらい入ってるから、一人でいただくのは苦しいのに。

「う~ん♪ やっぱ、外で食べると食欲が湧くよな」

「……………………」

 湧かないみたいだ。

 このままじゃ雅さん、近いうちに本当の病気になるんじゃないか。

 無理にでも食べさせよう。

 オレは重箱から卵焼きを箸で摘み、雅さんの口にもっていく。

「ほら、これ、美味しいよ」

「…………」

「せっかく、とおこさんが作ってくれたんだからさ」

「……………」

 仕方なく、逃げる気力もないから、そんな雰囲気で雅さんは少し口を開けてくれた。そこに卵焼きを運ぶ。

 はむ…

 ほんの3分の1ほど囓ってくれた。それを飲み込んでくれるのを待って、さらに食べさせようとするけど、口を開けてくれない。

「せめて一個、食べきろうよ」

「………もう、充分いただきましたから……申し訳ありません……」

「……………………」

 そう言われるとムリヤリ食べさせるのも可哀想でオレは箸をさげた。

「……………………」

「……………………」

「卵焼きがダメならさ。え~……次は…」

 重箱の中で食べてくれそうな物を探す。さっぱりした物の方がいいかも、山菜の和え物を摘んだけれど、雅さんは口を開いてくれない。こうなると天の岩戸だな。

「お、この山菜、けっこう美味しいよ」

「……………………」

 オレが食べてみせるけど、反応が悪い。いっそ、これなら、どうだ。

「とおこさん、おちゃめだよね。ウインナーこんなタコさんにしてくれてさ」

「……………………」

「はい、タコの踊り食い♪」

 タコの形を模したウインナーの炒め物を雅さんの口に持っていく。

「ほら、食べてみて」

「……………」

 はむ…

 おお、食べてくれた。

 食べやすいサイズなのが幸いしたか、まるごと食べてくれた。こんな些細なことが嬉しい。この調子で勧めてみよう、そう思ったけれど、これが最期の一口になって、残りはオレ一人で食べることになってしまった。

 うう、この大量の食料を麻尋さんに届けてやりたいよ、オレは。

 

 

 

 雅さんと食事をするようになって三日目の夜だった。

 とおこさんが工夫して、だんだん雅さんの好みを見抜いて作ってくれるおかげで、半人前くらいは食べてくれるようになった。ただ、意外なことに好みは、お子様的だったけど、それには触れないことにする。

 その夕食が終わった後、初めて雅さんから話しかけてくれた。

「あなたは……私のクラスメートでは……ありませんでしたか?」

「あ、…ああっ! 思い出してくれたんだ?!」

 うれしい、存在を思い出してもらえることが、こんなにうれしいなんて知らなかった。

「そうだよ、オレ! 一蹴! 浜咲学園でいっしょだった! クラスの窓際!」

「…………そう……ですか……」

 反応は鈍いけど、オレがオレだと気づいてくれた。

「なつかしいっていうかさ! 久しぶりっていうか! 卒業して時間も経ってないけど、あれだよな! うん!」

「……………………」

 つい興奮してしまったオレを雅さんは興味なさそうに、でも、それなりに観察していて、さらに問いかけてくる。

「……なぜ、……あなたは、ここにいるのですか?」

「それは……、話せば長くなるけど、短く話すと、旅の途中で居候させてもらってるんだ」

「……………………居候……そうですか……………………。……………………私は…なぜ、……ここにいるの……」

 つぶやいた雅さんが寒そうに着物の袖を握って自分を抱いた。

「……雅さん……戸、閉めるね。そろそろ寒いから」

「………はい……………」

「もう秋か……」

 庭へと通じる戸を閉めて、障子も閉める。秋風は気持ちいいけど、長く吹かれていると身体を冷やしてしまう、そんなことを南先生がマシルトの代わりに自習監督に来たとき、囁いてた。あれは誰にでもなく一人言だったんだろうな。

「……………………」

「……………………」

「……オレ、もう行くよ……また、明日。……おやすみ」

「…おやすみなさいませ……」

「………」

 その夜は季節を先取りされたのかと思うほど冷え込んで………隣室から聞こえてきた啜り泣く声も、いつもより長く聞こえていた。

 

 

 

 さらに数週間が過ぎて、とうとうオレは近畿地方の全ての高校にユカリ探し迷惑電話をかけ尽くし、いよいよ兵庫県への進出を明日にして、夕方は旅館を手伝い、莫大になるだろう電話代の足しにしてから、雅さんと夕食をとっていた。

「とおこさん、料理うまいよな♪」

「……とおこ伯母様……」

 雅さんは「いつも申し訳ない」とか一人言みたいにつぶやいてから、オレを見て問いかけてくる。

「………一蹴さん、あなたは……昼間……なにをしているのですか? ………電話ばかり、おかけになって……どこへ?」

「あ、ああ……」

「…いえ……詮無いことをお訊きしました……忘れてください。詮索したご無礼、どうぞご容赦くださいませ」

 雅さんは丁寧に畳へ両手をついて謝ってくれるけど、かつてのクラスメートに些細なことで平謝りされると、居心地が悪い。

「そんな、オレと雅さんは同級生だったじゃないか、そんなことで気を遣わないでよ」

「…………」

 では、どうすればいいのか、それが分からないって顔をされた。とりあえず、電話の件から説明しよう。

「実はさ、ユカリを捜してるんだ」

「………妹さんの?」

「ああ、そうだよ」

「…………行方が知れないのですか?」

「ちょっと家族の中で、ごたごたがあってね。………いや、誤魔化さないで話すよ。実はオレ、養子だったんだ」

「……御養子……一蹴さんは御養子さんで……いらっしゃったのですか…」

「うん……」

 今までの養子人生で、初めて「御」を冠してくださられましてオレもかしこまってしまいそうだ。

「………おうかがいしてよいならば……実のご両親さまは? ………」

「顔も覚えてないけど事故で死んだって話だよ。気にしてないけどね」

「……すいません……」

「だから、気にしてないって。そっちは、いいんだ。ただ、問題があったのは……養親との関係でさ」

「…………どのような?」

 いつもオレが提供する話題には興味を示さないのに、今は珍しく反応してくれる。それもそうか、彼女も家族との関係を苦にしてるんだから。オレだけ、とおこさんから事情を聞いているのもアンフェアだ、全部話そう。

「ユカリは養親の実子だったんだ。で、7歳からオレといっしょに暮らしていた。妹として」

「……」

 雅さんは無視してるわけじゃなくて黙って聞いてくれているから、オレは先を続ける。

「でも、ユカリは妹であり……オレの世界一大切な人でもあったんだ。いのりと付き合ったりして誤魔化してきたけど、ずっと、ずっと、出会った頃からオレの中でもユカリの中でも何よりも誰よりも世界より大切な存在だったんだ」

「…………」

「でも、ユカリの両親は、その関係を許してはくれなかった。言われたよ、私の血統に、負け犬の血はいらない。ユカリを渡すつもりは10億分の1ゼプトもありはしない、ってさ」

「……………」

「少しは母親だと思っていた人に叫ばれて、父さんと呼んでいた人に初めて殴られたよ。で、家を追い出された」

「っ……」

 同情してくれて雅さんは着物の胸元を押さえて震えた。

「いっそ駆け落ちでもしていればよかったよ。そんな考えにオレが至る前に、ユカリの両親の方が動きは速かった。家を売って、どこかへ引っ越してしまった。どこかわからない、だから、探してるんだ」

「……………………」

「昼間、バカみたいに電話をかけ続けてるのは、ユカリは高校三年生のはずだから全国の高校にかければ、どこにいるかわかる、せめて都道府県だけでも特定できれば見つけられる確率はグッとあがる。だからさ、父親のフリをして娘への取り次ぎを高校に頼んでみてるんだ。これで、話はお終い♪ ちなみに、明日からは兵庫県制覇を目指す♪」

「………そう……でしたか………そのような……こと……で………」

 雅さんが顔を伏せたから、オレは明るい声で続ける。

「とおこさんから聞いてる。雅さん、したくない結婚をさせられそうになって拒否したんだよね?」

「……………はい……」

「奇遇だね。こんな二人が、ここにいるなんてさ。ま、もっとも雅さんにとっては親戚なんだから当たり前か♪ イレギュラーなのはオレだな」

「…いいえ………一蹴さんは私以上に柏崎にも初瀬にも馴染まれて………私は……何も………ただ、姪という血のつながりだけで厄介になって……」

「気にしない、気にしない♪ そんなこと気にしたら熊さんが水くさいって嘆くよ。熊さんも、とおこさんも心配してるんだから、雅さんのこと」

「……………………」

「さてと、話し込み過ぎたかな。もう休もうか」

「……はい……」

 あまり一気に話し込んだりすると逆効果かもしれないから、オレは立ち上がって部屋を出る。

「おやすみ、雅さん」

「っ…おやすみなさいませ……」

「どうかした?」

 少し様子が変だから気になって振り返る。ほんの少しだけど雅さんの息づかいが乱れたから。

「…………。……あの……、一蹴さん、申し訳ありませんが……」

「なにかな? 遠慮しないでいってよ」

「……私を、……雅さん、と呼ぶのは……やめていただけませんか?」

「え……うん、いいよ。……馴れ馴れしかったね」

「いえ、そのような意味ではなく……私の…苦手だった祖母を思い出すのです……勝手を言ってすいません」

「なるほど……」

 きっと彼女を「雅さん」と呼ぶ人間は限られていたんだろう、そして、その呼ばれ方をすると反射的に思い出すんだ。オレみたいに。

「じゃあ…藤原さん、でいい?」

「……………それも、……すでに私は家名を捨てた者です。藤原の名を冠する資格も気概もありません……」

「そっか……。オレも鷺沢の名は捨てたからね。その気持ち、少しはわかるよ。じゃあ、……なんて、呼ぼう? 雅…ちゃん?」

「……ちゃん……」

 できれば避けたいって、顔に浮かんできた。ちょっと表情が出るようになったみたいだ。

「とおこさんは、そう呼んでるけど……オレ的にも高校を卒業した歳になって、チャンづけは痛いかな。いっそ、アダ名にする?」

「……綽名……」

 今、この人はアダ名を漢字で発音された。やっぱり学年トップは伊達じゃないよな。

「う~ん、雅、ミヤビだから……みゃーたん、とか」

「………みゃー……たん……」

「でもって、オレのことは、いっちゅー、とでも呼んでくれ♪」

「……いっ…ちゅー……」

「…………みゃーたん♪」

「……あ、…綽名で呼ぶのは……やめにしませんか…? ……いっちゅー」

「……」

 そう提案しつつオレをイッチューと呼んでくれる義理堅さに頭が下がるよ。

「そうだね。……でも、苗字も無しだから……どう呼ぶか…」

「……雅と、そのまま……呼び捨てにしてください……」

「雅さ…雅が、それでいいなら。じゃ、オレのことも一蹴って、呼び捨てにしてよ」

「……一蹴さんでは……いけませんか?」

「うん…、クラスメートだったしね、対等でいいじゃない」

 違う、これはウソだ、本当は世界ただ一人「一蹴さん」とオレを呼んでくれたユカリを思い出してしまうから。だから「一蹴さん」は封印しておいてほしい。

「オレも苗字で呼ばれるのも今さらイヤだしさ。一蹴で、よろしく♪」

「…はい……一蹴……、おやすみなさいませ……」

「おやすみ、雅」

 オレは部屋に戻って、布団を敷いた後、夜空を見上げた。

「………一番近いシリウスまででも、八年か……」

 星恋の丘で誓った星々は今も見えている。この瞬間、ユカリも同じ星を見ているかもしれない。もし、とんでもなく科学技術が進んで、地球の様子が星を反射して見られるとしたら何十年、何万年も過去の地球が見られるって、双海さんが言っていたことがあるけど、オレは過去よりも未来よりも現在のユカリの位置が知りたい。

「シリウスまで光の速さで8年……往復で16年か、………寝よう」

 明日のために、眠ることにした。

 

 

 

 翌日の夕方、オレと雅は近所の長谷寺に来ていた。

 こういう古風な建物を見ていると雅が落ち着くということもあるし、夕方になると学校に迷惑電話をかけて父親のフリをして娘を捜してもらうのも変だからだ。

「へぇぇ……長谷寺って、初瀬寺とも、いうのか」

「……そのよう……です……」

 二人して寺の歴史を簡単に紹介している石碑を読んで感心している。

「ああ、なるほど。はせでら、と読むけど、初瀬を、はつせ、または、はせ、と発音するから、初瀬寺と書いて、はせでらとも読ませるのか」

「………ちょうこくじ…と、読む場合もあるようです…。…建立されたのが727年……奈良時代から……そのため、漢字の音読み、訓読み、両方で謳われたのでしょう……」

「みたいだね」

 静かだ。

 けして都会ではない、むしろ田舎といっていい場所で、しかも寺院となると静寂は岩にしみいる。蝉の音さえ今はない。

「………」

「………」

 こうして神聖な建物で女の子と時間を過ごすのは、いのりとの経験を思い出させる。ユカリを教会に連れて行かなかったのは…………たぶん、神さまに怒られる気がしたからだろう、妹……なんだから、……怒りに触れたのは、神さまではなく、ユカリの両親だったけど。

「………」

「………」

 雅は何を考えているだろう、どう想い、何を感じているだろう。垂れ下がった髪で顔が隠れているから、表情がわかりにくい。

「………」

「………」

「…美しいですね…」

「え? な…なにが?」

「……紅葉……です…」

「あ、ああ」

 見上げれば、紅葉が赤く染まっている。

「………似合うね」

「はい? ……一蹴、なにか、おっしゃいましたか?」

「紅葉と、雅がさ。赤い髪してるから、よく似合うよ」

「………埒もないことを……」

「お世辞じゃなくてさ。お寺、和服、長くて赤い髪、紅葉、まるで一枚の絵みたいだ。カメラがあったら撮影したいくらいに」

「……撮られたく……ありません。……私は……存在しない方がいい人間なのです…」

「………雅……。……オレも、そうかもな。鷺沢家にとって」

「一蹴……」

「日も暮れる、帰ろうか」

「…はい…、少し寒いです…」

「うん」

 神奈川の冬より、初瀬の冬は寒くなりそうな気がした。帰り道で、夕焼けは星空に変わっていく。

「いつか、シリウスに人間は到達するかな」

「………光の速度で……8.6年………」

「仮に、光速の50%で飛ぶロケットでも16年もかかるよな♪ サッカー部の先輩に宇宙が好きな人がいてさ。いろいろ教えてくれたんだ。ベテルギウスって知ってる?」

「はい……シリウス、プロキオンとともに冬の大三角形をつくる……」

「そうそう♪ でもさ、シリウスは8光年だけど、ベテルギウスは700光年先らしいよ。今から700年前といえば、西暦1300年か……えっと、平安時代じゃなくて…え~……」

「一蹴……、神奈川育ちなのに……忘れてしまったのですか? ……1300年頃は澄空幕府後期です……、源氏が平家を滅ぼして……今の澄空市に澄空幕府を……クスッ…」

 雅が笑ってくれたのを、日本史をド忘れしたオレを笑ってくれたのだと思って、照れ笑いを返そうとしたけど、様子が変だ。

「………」

「…くす………くく、……く……くすくす……」

「……、……雅?」

「……くす……くす…くす…くく…」

 自嘲といったらいいだろうか、雅はクスクス笑いながら、啜り泣いてもいる。

「……雅? 大丈夫?」

「…くす……くく、……失礼しました……」

 笑うのをやめた雅は袖で涙を払い、感情を押し込んでしまった。

「………オレ、変なこといった?」

「いえ………一蹴はベテルギウスの和名を、ご存じですか?」

「……いいや、……星に和名とかあるの?」

「………平家星といいます。……く、くすくす……くく………皮肉なものですね。……ちょうど、私たちが見ている平家星の光が、平氏滅亡の後から光ったもの……くす…くす…」

「……………………」

 どこが笑いどころなのか、オレには分からず、雅も笑いながら啜り泣いている。ようやく会話してくれるようになった彼女だけれど、少しも癒されていないのだと、よくわかった。

 

 

 

 とうとう12月になり、そしてオレのケータイを持つ手は震えていた。

「はい、空を飛ぶ鷺、三水偏に尺で、鷺沢。ユカリは縁日の縁です」

(ほんほん、ほれでサギサワユカリと読むと………。ん~…………そちゅー名の生徒は、おらんとよ)

「お手数ですが、もう一度調べてもらえませんか?」

(手数もなんも、うちゃの石垣島分校にゃ三年生は5人しかおらんと。うち女子は2人、安室ちゃんと知念ちゃんだけじゃよ)

「……そうですか……すいません……」

 電話を切ってタメ息をついた。

「これで沖縄県で電話してないのは、あと一校だけか………ここにユカリが転校してるとは思えないけど、……でも、生徒数は多いし可能性はある」

 リストアップしてある最期の番号にかける。

「あ、もしもし」

(はい、沖縄女子宇宙高校です)

「鷺沢衛と申しますが、娘の鷺沢縁に急ぎ伝えたいことがありまして、呼び出していただけないでしょうか? お願いします)

(娘さんの学年とクラスは?)

 しばらく待たされて、返答される。

(当校にサギサワユカリという生徒は在籍しておりません)

「そんなはずは………お手数ですが、もう一度調べていただけませんか?」

(サギサワユカリさんですよね。………はい、やはり登録されていません。なにか、お間違いではないでしょうか?)

「そうですか………すいません……」

 これで沖縄にユカリがいる可能性もゼロに近い。

「………………………。……………………」

 ケータイを畳に投げ捨てて、立ち上がった。

「……さて♪ 仕事、仕事!」

 気合いを入れるために顔を叩いて、夕方で忙しい旅館の手伝いをこなしていく。ビールを運んでいると、仲居のお姉さんが声をかけてくる。

「お♪ 働いてるね、少年」

「そりゃもう! 居候っすから♪」

「居候どころか、もう、すっかり馴染んでるじゃない」

「おい、二人とも忙しいのに喋べってんな!」

 調理人に怒られて、二人とも任務に戻る。まるで戦場の補給部隊みたいな忙しい時間帯が終わり、まかないでの夕食になると、とおこさんが用意してくれた御膳を雅の部屋に運び込んだ。

「遅くなって、ごめん。お腹空いただろ」

「……大丈夫ですか?」

「え? なにが?」

「お顔の色が……悪いです…」

 見上げてくれると、垂れ下がった髪から雅の目が見える。本当にオレを心配してくれているみたいだけど、別に疲れてはいない。

「平気、平気♪ ちょっと忙しかったけどね。腹減って血がまわってないかも♪ さ、食べよう食べよう」

「………。………」

「ほら、食べて。食べないと元気になれないぞ♪」

 強引に箸を持たせてから、オレも箸を持つ。

「いただきまース♪」

「……いただきます…」

「お♪ 美味そう」

 大根とブリの煮付けを頬ばりつつ、ご飯を掻き込む。

「……一蹴……そんなに急いで食べると……」

 雅が心配してくれた通り、喉に詰まらせかけたけど、みそ汁をガブ飲みして通した。

「う~ん、美味い! やっぱ、飯を喰うと生きてる感じがするよな!」

「…………一蹴……なにか、あったのですか?」

「別に、たいしたことじゃないよ」

「でも……」

「雅こそ、ぜんぜん食べてないじゃん。また、とおこさんを心配させるなよ」

「……一蹴…………、……」

「そんな顔しないでよ。別に何もないからさ♪」

「……………………」

「あ~もぉ、わかったよ。白状する! ちょっとヘコんでるんだ。さっき、沖縄県内の高校ぜんぶに電話し終えてさ♪ でも、ユカリはいないって。まいったよな!」

「…………それでは……全国どこにもユカリさんの足跡が……」

「ちゃうちゃう♪ 神奈川県より西には、いないってこと。オレは神奈川から、こっち静岡、愛知、三重と旅しつつ、電話も西へ西へとかけてたから、九州・四国・中国、近畿、東海地方にはユカリが通ってる高校は無いってこと♪ まいったよ。勘が外れたな♪ 最初から東へいけば、すぐ見つかってたかもしれないのに……は~ぁ……と、タメ息をつきつつも、落ち込んでる時間がもったいないってこと! 明日からは北陸・甲信越・関東へ迷惑電話しないとな♪」

「………一蹴………大丈夫ですか? ……」

「大丈夫、大丈夫♪ どうせ、一校につき一回しか迷惑電話してないから、問題になることはないって。いっそ、北海道からかけた方が早いかな? はは、はははは」

「…一蹴……」

「まあ、大丈夫か、どうかっていえば今月も電話代が、とんでもない金額になってるだろうってことだけどね。はは、はははは」

「……一蹴………笑いながら……お泣きになるのは…………。……どうか、……無理をなさらないでください…」

 雅がハンカチをオレの頬に押しあててくれる。

「はは、オレは泣いてなんかないぞ。これは、みそ汁が目に入ったんだ♪」

「……一蹴……」

「こんなことで武士は泣いたりしない。ははは、オレはサムライ一蹴だ♪ これでユカリがいるのは東日本だってわかったから、うれしくて目の玉が汗をかいているだけじゃ」

 詰まりそうな喉にムリヤリご飯を流し込んで、夕食を終えた後は顔を洗って、一人で庭に出た。

「……ふーっ…………」

 軽く息を吐いて、拳を構えた。

「明日のために、その一!」

 何もない空気を殴る。

 ビッ! ビビッ!

 オレの拳が空を切る。

 なにか解決するわけではないけど、身体を動かしていると少し気分が晴れてくる。さらに、サッカーボールがあると仮想してシャドーボクシングの後はシャドーリフティングをする。

「よっ♪ たっ♪」

 実際のリフティングと違って、とんでもなく難しいテクニックでもあっさり成功させられる。肩から、爪先へ、それを背後へ蹴って、踵で蹴り返して頭で受ける。こんな超人的な技だって、シャドーだから成功する。

「とっ♪ サッカーが巧くてもダメなんだよ、私の場合はね♪」

 決めのセリフで終わった。12月の寒い庭でも、激しく動いたおかげで少し身体が火照っている。ウォーミングアップの後は、再び拳を握った。

「双海流葬兵術」

 師匠から教わった護身術を復習する。

「攻撃は必ず二度続けて!」

 世界各国を巡ってきた双海さんがあみだした独自の拳法だ。一子相伝とか言われたけど、それは単に今のところ弟子がオレしかいない、という話だと思う。

「はっ!」

 その特徴は二連打コンボにある。必ず攻撃は二度する、肘打ちから裏拳、蹴りから回し蹴り、膝蹴りから手刀、とにかく二回一組で仕掛ける。おそらく一発目が外れても二発目が当たる可能性があることと、二連打で決まれば瞬殺できることが狙いだろう。しかも、取り入れている拳法は多彩だ。世界各国から少しずつ、テコンドー、ムエタイ、カポエラ、マーシャルアーツ、空手、まさに総合格闘技だけど双海さんは「誰も私に奥義を授けようとしないのです。私は天才なのに」とか言ってた。当たり前だ。滞在期間が短いときは2週間で体得したいとか滞在先の格闘家に無理な注文するから、誰だって奥義を授ける気にならないだろう、っていうか奥義ってあるのか。

「…ハァ………ハァ……よし、終了」

「………一蹴……その拳法は、いったい? ………」

 いつの間にか見ていた雅が不思議そうな顔をしている。

「…ハァ……ハァ…」

「……いわゆるKワンというものですか?」

「う~ん……そんなもんだけど、これは世界で二人しか知らない拳法なんだ」

「………、汗が冷えますよ」

「ありがとう」

 手渡してくれたタオルは、白梅香の薫りがする。

「さて、風呂に入って寝よう♪」

「………挫けないのですね………」

「師匠に言われたんだ。報われなくとも腐るな、それが真のエリートたる武士だってさ」

「…………今の時代に、そのような男らしい人がいるとは……驚きです」

「………………、ま、まあ、…そうかもね」

 説明しづらいので詳しく話すのは後日にして、休むことにした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。