「~それから~ again ゆかりむつび」    作:高尾のり子

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第7話

 

 とうとう12月も終わり、まさかクリスマスを初瀬で、しかも雅と過ごすことになるとは予想外だった。過ごすと言っても、日課になってる散歩をするくらいだ。クリスマスと同時に学校は冬休みに入るから、ユカリ探し電話もできなくなる。

「う~っ…寒いなぁ」

「……初瀬の冬は冷え込みますから……」

「和服って夏は我慢大会してるのか、って思うけど冬は暖かそうだね」

 雅は和服だから、ぜんぜん寒く無さそうだ。この頃、ようやく一人前を食べてくれるようになったから、少し頬もふっくらとしてる。でも、まだ一年前の雅に比べれば、別人みたいに覇気もないし、赤い髪も結い上げてないから、顔も見えにくい。

「いっそオレは走ろうかな」

 散歩だと身体が冷え切るから、オレは無意味に走り回って新しい発見をした。

「おおっ?!」

「……一蹴?」

「すげぇ! 白河川だってよ!」

 なんと、白河川って名前の川が流れてる。このあたりに白河っていう地区があるのは知ってたけど、なんと白河川なんて、ほたる的な川があるなんて! ここに、あの元祖オヤジギャグ好きの天才ピアニストを招いたら、いったいどうなるだろう? いや、もしかしたら白河家の祖先は、ここに住んでいたのかもしれない。

「…一蹴……白河川が、どうかしたのですか? ………」

「ほら、思い出してよ! オレらが一年生のときにさ、校庭チュー事件を起こした人!」

「……………………ああ、あの…」

「あのカップル! あれの女子の方が白河っていうんだ!」

「………一蹴………ただの偶然の一致が、それほど嬉しいのですか?」

 雅は理解できないって顔をしてる。

「いや、何となく嬉しくない? ルーツかも、とかさ」

「……ルーツ……」

 俯き加減だった雅が余計に下を見てしまう。話題としては悪かったかもしれない。いまだ彼女は藤原家のことに拘っているから。

 話題を変えよう。

「いっそ、このまま初瀬山まで登ってみる? 川沿いにさ」

「…………私は、そんな元気はありません……すいません…」

「そっか♪ じゃ、いつも通り、お寺を見に行く?」

「…はい…」

 これには色よい返答をくれた雅と長谷寺を詣でる。いつものコースを歩いて、やたら大きくて立派で日光東照宮の何とか門を思い出させる仁王門まで歩いたときだった。

「ちゃうちゃう! 愛ちゃん、もっとレフ板あげて! 松っぁんも!」

「「……………………」」

「貞やんの立ち位置っ! 美海ちゃんが指示したって!」

「「……………………」」

 澄んだ冬の空気に、よく通る声が響いてくるけど………ここ、初瀬だよな。なぜ、あの人がいるんだろう。

「雅、ちょっと、ここで待ってて」

「…はい…」

 素直に待っていてくれる雅を置いて、静かな寺に不似合いなことをしているグループへ近づいて声をかける。

「あの……木瀬さん、ここで何してるの?」

「撮影や、ちゃんと寺院にも許可を…って?! あんた、なんで、ここにおるの?! 鷺沢やん!」

「なんで、ここにいるのか、ってのはオレのセリフだよ。ここ、初瀬だぞ」

 卒業した後、まず千羽谷市内から探索したオレは千羽谷大学へ進学していた木瀬さんと街で何度か顔を合わせているし、そのときオレから声をかけてユカリを見かけたことがないか尋ねているから、高校在学中より面識があったりする。

「せやから、なんで鷺沢が初瀬におるんよ?!」

「……。オレはユカリを捜して、ここまで来たんだ」

「っ、まだ頑張ってんの?! 見つからんの?!」

「ああ……で、木瀬さんは?」

「鷺沢! あんたはえらい!」

「うわっ?!」

 いきなり木瀬さんが肩を組んできたのでビックリする。女子高生だった頃とはスキンシップの取り方が飛躍的に変わってる、というか関西の人が持つ性質だろうか。

「えらい! くぅ~っ…ほんま浪花節や! まことの男や! いや、漢や!」

「…ありがと…」

 オレのことで涙まで浮かべないでほしい。どうもスキンシップだけでなく感情表現も大胆になって、涙モロくもなってるみたいだ。高校の頃は武道場の端っこで「ちっ…ムカつくわ」とか言ってる程度の人だったのに。

「オレの質問にも答えてくれ。なんで、木瀬さんが初瀬にいるんだよ?」

「私が初瀬におったら、あかんの? 見ての通り、自主製作映画の撮影中や」

 たしかに、木瀬さんの他にも女子ばかり6人いる。みんな台本とかカメラとか、それっぽい物を持ってる。知らない人ばっかり……あ、顔を見たこともある人がいた。

「あの三人は……たしか…」

「愛ちゃんらか? 大学はちゃうけど、お願いしたんや」

 見たことあると思ったら、高校の頃に木瀬さんと行動を共にしてることが多かった三人組だ。

「って、そんなことより! 千羽谷から初瀬まで偶然で来たなんて言うなよ! よく、こんなところまで! いったい、どうしてさ?!」

「なんや、そんなに偶然に私らに出会うのが、気に入らんの? いけずやね。このこの!」

 木瀬さんが肩に回してた腕を首に回してくる。

「うっ…苦しいって! っていうか、女の子だろ! もうちょっと慎めよ!」

「あはははは♪ はいはい、逆セクハラは、ここまでにしといたろ。つい、あんたが無害やと思うと、こっちは一人もんの女ばっかりの道中やったしね」

 逆セクハラって認識はあったのかよ、お軽い女子大生め。

「ったく…」

「ははは、怒りなさんな。私も、こんなところで鷺沢に会うなんて意外で嬉しゅーてね。あんたが偶然におるなんて、デキ過ぎた話やで」

「オレこそ、そうだよ」

「いやいや、鷺沢がおるのが私からしたら、意外や」

「……オレとしては木瀬さんがいるのが予想外さ」

「あんたなぁ~……私の出身、知ってる?」

「……関西? だとしても、偶然に初瀬…」

「奈良」

「へ?」

「私の出身は奈良」

「…そうなんだ…」

「ほんで、ここは初瀬、奈良県桜井市初瀬」

「まさか初瀬の出身? そういえば初瀬の瀬と木瀬の瀬は同じ…」

「どんな超電磁合成やねん。こまかい私の出身地は奈良県木瀬郡鮎村や。桜井市の初瀬には、撮影の舞台として長谷寺を選んだから来てるんや」

「舞台に……わざわざ? 神奈川から?」

 きっと大学は冬休みだろうから時季的には納得できるけど、距離的には神奈川と奈良はかなり遠い。いくら出身県でも……話がデキすぎてないか、必然性が弱いぞ。

「はは~ん♪ あんた、その様子やと二つの長谷寺を知らんね?」

「二つの長谷寺? なにそれ?」

「ふふふ♪ 説明しようっ!」

 芝居がかった調子で木瀬さんが語り始めた。大学生になって弾けてるんだなぁ。

「あんたも澄空幕府のお膝元、澄空市にある長谷寺くらい知ってるやろ?」

「…う~……あったかも? ……和田塚とか、鶴岡八幡宮なら知ってるけど…」

「神奈川県澄空市長谷の長谷寺、この単立寺院は聖武天皇の勅願で藤原房前によって開山された坂東三十三所第4番の札所や!」

「……四国のお遍路さんみたいな?」

「質問はあとや! ここ、奈良県桜井市初瀬の長谷寺は天武天皇の頃、道明が開山したと伝えられ、女性の信仰を集めとった西国三十三所観音霊場の第8番札所や。源氏物語にも初瀬詣でちゅーて紹介されるほど有名やで」

「へぇぇ……」

「この二つの寺の本尊は同木やと伝えられとる。つまり、同じ木から切り出した本尊さまちゅーことやね」

「へぇぇ……本尊がねぇ…」

「これが映画のネタにも使えるエピソードがあるんよ。黙ってきいとき!」

「はい」

「奈良時代に初瀬の長谷寺の徳道がクスノキでつくった十一面観音像を海に投じたんや、それから…」

「それから?」

 黙って聞いてろと言ったわりに相槌を求めてるから、打ってあげると木瀬さんは少し陶酔気味に自分を抱いた。

「それから、なんと16年後っ!! 海を流れ流れて澄空に漂着したんや。そこで本尊として創建されたのが澄空市の長谷寺、新長谷寺とも称されとる。以来、北条氏、足利氏、徳川氏にも保護されて今に残っとるわけやね。く~っ…浪花節や」

「浪花節…なんだ…」

「というわけで、私らは二つの長谷寺を舞台に、純愛映画を撮ってるとこや」

「……純愛に、どんな関係が?」

「よくぞ訊いた! 訊きたいやろ?」

「……話してください」

「実は鷺沢の影響や。あんたがユカリちゃんを探して諦めん姿を見てるうちに、私は純愛映画を撮りとぉなった! どうせなら、私の出身である奈良とも関係させたい! 図書館で色々と調べとるうちに、なんと澄空の寺と初瀬の寺にナイスなエピソードがあることを知った! あとは美海ちゃんと語り合ううちに、引き離されて16年も待ち続けてハッピーエンドを迎える主人公を描くことになったんやぁぁああ!!」

「……そうなんだ……」

「なんや、その反応の無さは?! 16年越しの純愛やで!」

「………ああ、まあ、すごいね。っていうか、オレをモデルにして16年とかしないでくれ。シリウスまで行って帰ってこれるじゃないか。光速で」

 ユカリに再会できるのが16年後だとしたらオレは34歳でユカリは33歳だ。

「ふ~ぅ……」

「その様子やと、ユカリちゃんの手がかりは?」

「…ないよ…、捜索そのものは全国規模で進捗してるけど…」

 オレと木瀬さんを遠巻きに見ながらカレーを食べていた女子大生が近づいてきた。

「おい、歩。いつまで話し込んでる? 逆ナンはやめろ、カッコ悪いから」

「誰が逆ナンやねん! 同級生ですよ! っていうか、こいつですよ、こいつ! 光の本尊のモデル!」

 光の本尊って、なんだろう、まさか映画のタイトルじゃないよな。

「歩、そのタイトルは不採用になったはずだぞ」

「だから、仮称ですって」

「そのあたりのセンスの無さは、どうにもならないな。それにしても、同級生? 小学校のか?」

「高校ですよ。せやから、こいつが鷺沢一蹴、妹モエ…やなかった、義理の妹さんと純愛しとる熱血男ですって! どうやら、偶然、ここにおったらしいです」

 木瀬さんはオレを紹介してから、女子大生を紹介してくれる。

「この人は観島香月さん、一つ上のサークルの先輩や。今は私が製作する映画を監修してくれてはる。ついでに、そっちが早蕨美海ちゃん、私が考えた発想にちゃんとしたストーリーをつけてくれはったんや。まだ、高校生やけどサークルの一員でもある。もう一人、高校生のカメラマンと、あとは愛ちゃんらや。この三人は紹介せんでもええね」

「ああ、高校にいた三人衆だろ」

「せや、スタッフが足りんとこを頼んで来てもろたんや」

「木瀬ちゃん、待ってよ。気になるとこなんだけど、鷺沢くんって、私らの名前、知ってる?」

「「……」」

 愛ちゃんと呼ばれてる子が不審の目でオレを見てくる。そうさ、知らないさ、オレの脳内で君たちは木瀬三人衆もしくは取り巻き三人組だからね。

「やっぱり知らないんでしょ?」

「あ、…ああ、ごめん。クラスも違ったしさ…はは…」

「まったくもうっ。私は黒井」

「黒井さん?」

「ええ、黒井愛華、愛の華って書くの。ハナは難しい方の華で、アイカじゃなくてアイガって読むのよ、よろしくね♪」

「ああ、よろしく」

 卒業してしまってから同じ高校だった人と交流を持つのも変な気分だけど、次に松っぁんと呼ばれてた女子が名のってくれる。

「私は松詩由よ。松竹梅のマツ。下の詩由、詩歌の詩に、由来の由よ。それで、シユって読むの」

「マツシユさん、だね」

 詩音の詩で、シユか、ありそうな名前だけど、苗字が短いな。まあ、樹名が苗字に使われることって、よくあるからな。さらに、三人目が名のってくる。

「私は、織田信長の織に、留学の留で、織留と書いてオル。それに貞子の貞と、萌芽の芽で、サダメと読みます」

「オルサダメさんだね?」

「そうよ、間違っても貞芽をテイガなんて読まないでよ」

 ちょっと変わった苗字だけど、いくらなんでもオルテイガとは読まないだろう。名前を反芻してるオレの肩を木瀬さんが叩いた。

「よろしゅう頼むわ。私らは長谷寺のお坊さんに頼んで、あそこに見えてる庵に泊まらせてもろてる。澄空市の長谷寺との縁を映画のネタにする言うて撮影許可をもろたときに、許してもらえてん♪ おかげで旅費はめちゃくちゃ助かってるんよ」

「ちゃっかりしてるな」

「鷺沢の宿は?」

「オレは、かしわや、っていう温泉旅館に居候させてもらってるよ」

「旅慣れた感じやね。ええ男になって♪」

 もう一度オレの肩に腕を回そうとした木瀬さんの手を黒井さんが叩いた。

 ぺちっ…

「木瀬ちゃん、横恋慕しないの。鷺沢くんの身体は大切なユカリちゃんへの生け贄なんだから」

「オレを生け贄とか言うな! 養子は生け贄じゃないぞ!」

「せやで!」

 木瀬さんが叩き返したけど、黒井さんも笑ってる。この四人、高校にいたときは木瀬さんがボスで三人は付き従ってる部下って感じだったけど、今は大学生になって対等な友人関係みたいで、とても自然な雰囲気で和気藹々としてる。人間は時間とともに変化することもあるみたいだ。オレは偏見から在学中は、いい印象を持ってなかったけど、あらためて見ていると自分の愚かさに気づいた。

「クスっ…」

「あ、鷺沢、何を笑てんの?」

「クク…まあね、木瀬さんの出身地が村だったとは、ってさ。村人だったのか…クスクス」

「村人いぃな! 現代は村民ちゅーんや!」

「市町村合併で消えないことを祈るよ」

「鷺沢! そこに名折れ! とりゃぁあ!」

 木瀬さんが脚本を丸めてオレの脳天を狙って打ち込んできたのを、とっさに左手で受けて間合いをつめた。けど、木瀬さんの打ち込みが寸止めだったから、オレも化粧が似合ってる鼻っ柱に軽く裏拳を変化させたデコピンを寸止めした。

「な……あんた、いつの間に…」

「技あり♪ 木瀬ちゃんの負け!」

「む~……反撃があるとは思わんかったとはいえ、私の一撃を避けて裏拳で返り討ちやなんて、さすが武者修行の旅をつづけて奈良まで来ただけのことはある」

「別に武者修行じゃないし。ま♪ 本気だったら間合いをつめた時点で肘打ちから裏拳へのコンボだけどね」

「ふんっ♪ 本気やったら私の打ち込みが入っとる」

「木瀬ちゃんも私も卒業してから、ぜんぜん練習してないもんね。腕もナマるって」

 そう言えば、四人とも薙刀部なんだっけな、雅と同じ。あ、雅を待たせたままだ。オレが振り返って見ると、雅が困っていた。和服を着ている彼女が珍しいのか、サークルの一員らしい女子にカメラを向けられて顔を伏せている。

 カシャ…

 しかも、勝手に雅を撮影してる。ビデオカメラじゃなくて写真カメラみたいだ。

 カシャ…

「………やめてください……私を……撮らないで……」

 カシャ…

「おい! ちょっと!」

 オレはユカリと同じくらいの身長の女子が持っているカメラレンズに手をかざした。

「なに、勝手に撮ってるんだよ! 困ってるだろ!」

 二人の間に立つと、撮影していた女子がカメラから顔を離した。

「…つい……ごめんなさい。……あまりにも、いい絵だったから……つい…」

「ついって、なァ…」

 謝りつつも、本当に悪いと思っているのか、わからない。ほどんど感情が表に見えてこないクールな顔で言われて、ちょっとムッとする。

「とにかく、本人が嫌がってるのに撮らないでくれ」

「……いい絵……、……絶望に瀕している少女がパンドラの箱を開けるべきか、煩悶している……そこにあるのは、絶望? それとも希望?」

「っ……」

「おい、わけわからないこと言うな! カメラを構えるなっての! ちょっと! 木瀬さん! この子、仲間だろ?!」

 木瀬さんを呼ぶと、ゆっくり歩いてくる。

「せやで、仲間やけど……ああっ?! また勝手に他人様を撮ったんやなッ! すんません! この子、なんぼ言うても癖で。ほんま、すんません!」

 木瀬さんが強引にカメラ少女の頭をつかまえた。

「ぁゥッ?!」

「あんたも頭下げい! めずらし和服やからって勝手に撮るんやない!」

「きゃゥッ?!」

 ムリヤリに立礼させるから、カメラ少女がバランスを崩して倒れそうになるけど、運動神経のいい木瀬さんは腕力で支えてあげてる。う~ん、まるで母と子、もしくは姉妹だ。髪型も似てるし、瞳の色も近いから関係あるのかも。

「ホンマすんません! 不愉快やったでしょ?! あとでよぉゆうてきかせますよって、堪忍してください!」

「ぁゥッ! ぁゥッ!」

「なんやったらフィルムも取り上げますよって!」

「ぁゥッ~…」

 それだけは嫌だって感じでカメラ少女がカメラを抱きしめた。オレは背中に庇っている雅を振り返る。

「どうする? フィルム、消去してもらう?」

「…………そこまで……してくださらなくても……………もう、撮らないでくださるなら…」

「雅が、そう言うなら。……気分は大丈夫?」

「……はい…」

「みやび? 鷺沢、その女性は、お連れさん?」

「木瀬さん……」

 ああ、やっぱり雅の面影も雰囲気も、あまりに変わってしまってるから、かつての部員でさえわからないのか。

「木瀬さん、もう少し、よく顔を見てみれば……、…雅?」

「っ……一蹴……やめてください…」

 木瀬さんたちに教えてあげようと思ったのに雅はオレの背中に隠れてしまう。ああ、そうだよな、オレが無神経だった。今の姿を学校の仲間に見られたくないって気持ちが働くのは当然だから。

 なんとか、誤魔化そう。

「え~……っと、……りょ、旅館のお嬢さんなんだ!」

 ウソじゃないぞ。

「鷺沢……………まさか、……その人……藤原さん?」

「ぐっ……」

「藤原さんと、ちゃう?」

「違う! 別人だ! 木瀬さんとは無関係な人だよ! 撮られるのも見られるのもイヤなんだって! 映画の撮影だろ?! そろそろ再開しないと初瀬の日暮れは早いよ!」

「……鷺沢……………」

「木瀬ちゃん? ………あれ? もしかして、藤原さん?」

「違うって!」

「え、でもさ、めちゃくちゃ似てない? 髪型は違うけど。ねぇ、詩由ちゃん」

「うん、似てる。でも、藤原さんが初瀬にいるわけないけど? 雰囲気違いすぎぃ」

「けれど、他人のそら似と言うには、あまりに…」

 例の三人組まで雅を取り囲んで、次々に覗き込もうとしてくる。それを木瀬さんが止めてくれる。

「さだやん! 松っぁん! 愛ちゃん! もぉええから! 撮影再開しよ!」

「でもさ、木瀬ちゃ…」

「ええから! 再開や! 監督命令やで!!」

「「「………は~い」」」

 木瀬さんが引いてくれたので、三人も離れていく。オレは隠すように雅を庇って旅館へと戻った。

「……雅、大丈夫?」

「……………」

 あまり大丈夫ではなさそうだ。勝手に撮影された上に、こんな風に弱っているところを見られたら平気なわけない…………でも、かつての部員なら、いっそ助けを求めてもよかったんじゃないか………いや、それも無理か、それをしたら木瀬さんたちに迷惑がかかるし、それも分かっていて雅は隠れたんだろう。

 イタズラな再会の運命のために、せっかく回復しかけていた雅の食欲もゼロに戻ってしまった。ほとんど食べられていない御膳が悲しい。

「食べないとさ………、……」

 今夜は無理か、強いるのも気の毒だから、オレは御膳をさげた。洗い物を手伝って、自分の部屋に戻ったら、ケータイが鳴ってる。

「誰だ? …あ、木瀬さん……もしもし?」

(私や)

「あ、うん、オレ」

 ユカリを探して千羽谷にいた頃、木瀬さんとも番号を交換したことがあるから名のってもらわなくても登録されてる。

(さっきは、ごめんな)

「いや、いいよ。別に、謝ってもらわなくても」

(………)

「?」

 どうも、声のトーンが低くて、ついさっきまでサークル活動をエンジョイしていた大学生って感じじゃない。

(……藤原さん、なんで、初瀬にいはるの?)

「…………あ、…あの人は藤原さんじゃないよ。浜咲の藤原さんが奈良の初瀬にいるわけないじゃないか?」

(誤魔化さんといて。あんたと違うて同じ薙刀部やったんよ。見たらわかる)

「…………」

 確信されてるから、誤魔化しようが無くなってくる。

(なんで、藤原さん、初瀬にいはるの?)

「…………誰だって、人に知られたくない事情とか、心境ってあるだろ?」

(っ…………。……)

「そりゃ、同じ部活の仲間だったなら、気になるかもしれないけど………今はソッとしておくのがいいとオレは思ってる。……あえて、質問にちょっとだけ答えるなら、ここの旅館と親戚関係だったから、逃げて…、い、いや、その……都会より田舎の方が落ち着くしさ! 詳しいことは言えないけど、療養中みたいなものなんだ!」

(………、………、…藤原さん…ちゃんと、ご飯とか、食べてはる?)

「…あの痩せようを見ればわかるよね。……これでも、だいぶ良くはなったんだ。半年前は、もっとひどかったよ。どこも身体は悪くないんだけどね、ほとんど拒食症みたいな感じだったんだ」

(………私らのせい…や…)

「さっきは急に木瀬さんたちに出会ったから動揺したんだと思う。オレもビックリだったしね。学校にいた頃の彼女とは、ぜんぜん雰囲気も変わってるから………まあ、あまり詮索しないであげてよ。気になるのはわかるけどさ」

(…………。……鷺沢……また、かけるわ)

 小さな声で、それだけ言われて電話が切られた。

「ふ~っ……」

 タメ息をついてからオレは一人で眠った。また、かけると言った木瀬さんからの電話は無かった。

 

 

 

 翌日、旅館の庭を掃除していたオレに木瀬さんたち四人が声をかけてきた。

「鷺沢、ほんまに働いてるんやね」

「あ、ああ。この先の旅費をチャージしてるんだ。よく、ここだってわかったね?」

「昨日、旅館の名前教えてくれたやん、そう広い街並みでもないからわかるよ」

「映画の撮影は、いいの?」

 昨日のメンバーとは違って、浜咲出身の四人だけで来てくれてる。ただ、様子は少し違う。

「ちょっと撮影は休憩なんよ」

「そっか」

「…………。藤原さん、いはる?」

「いるけど………あまり会いたくないんじゃないかな?」

「「「「……………………」」」」

 ものすごく微妙な空気が漂う。四人が気まずそうに顔を見合わせたり、居心地悪そうに立ちつくしたりしてる。

「………」

「……木瀬ちゃん…」

「わかってるよ。………あのな、鷺沢」

「ん?」

「………私ら、…藤原さんに謝らなあかんことが…あるんよ」

「謝る?」

「実は………その………、高校におった頃、私ら……藤原さんのことイジメとってん…」

「……イジメ?」

「せや。……男子は気づいとらんかもしれんけど、集団でシカトしたり、剣道部の部長をけしかけてみたり、いろいろヤっとてん」

「…………、それ、冗談じゃなくて?」

「冗談やない」

「……けど、同じ薙刀部だったんだろ? それに、藤原さん、めちゃくちゃ強かったはず…そりゃ、多勢に無勢でケンカ売れば…」

「男子とちゃうんよ。ケンカの強い弱い、薙刀の強い弱いで、弱い者イジメをするわけとちゃう。現に薙刀の腕前では、私は勝てんかったし」

「私たちも3対1で挑んでも負けて……」

「藤原さんをイジメとったのは、たんに気に入らんから………そういうことや」

「……………………木瀬さんって、そういう人?」

「…っ……今になって自己嫌悪してるんよ。なんでイジメなんかしたんやろって。夕べ、みんなで話しおうて、謝ろうって。藤原さんが、あんな風になってるの、私らのせいやねん」

「…………よくも、イジメなんか……最低だ!」

「っ…、……きっかけは、つまらんことやってん。……大学生になった今ならわかるけど、受験も迫ってて、高校生って視野も閉鎖的やん。……私ほんまは経営学部に行きたかったけど、学力が足りんで……せやのに、学年トップの藤原さんが進学せんちゅーのも気に入らんで…」

「理由になってない。それに、理由があっても人をイジメていいなんてことない」

「鷺沢の言うとおりや………。……あんなに気落ちしはると……思わんかってん……私らが何をしても傷ついた風に見えんかって…」

「オレ……」

 竹箒を握っていた手に力を込めていた。

「女を本気で殴りたいと思ったのは、初めてだ」

「っ……殴ってくれてもええよ。……殴ってほしいくらいやもん」

「オレが女だったらなっ!!」

 怒りで血が煮えたぎったオレは竹箒を投げ捨てて怒鳴っていた。

「彼女はなっ! 実家の都合で好きでもない男と許嫁にされてたんだぞ!!」

「っ……そんな、今どき…」

「本当なんだ!! それがイヤでイヤで仕方なくて、ここまで逃げてきたんだ!! なのに、実家にかかる迷惑を考えて雅は痩せ細って、ほとんど会話も…」

「一蹴……」

 背中から聞き慣れた声が流れてきて、振り返った。いつのまにか、雅が庭に出ていたらしく、所在なげに立っている。

「ぃ、いつから……そこに…」

「……立ち聞きするつもりは………なかったのです……」

「藤原さん、ごめんなさい!」

「「「ごめんなさい!!」」」

 木瀬さんたちが一斉に頭を下げた。

「ほんまに悪かったです! ごめん、ごめんな!」

「…今さら………」

 雅が困惑して一歩、下がった。そんな彼女の弱気な姿に木瀬さんたちは土下座ほど頭を下げて、泣き出した。

「「ごめんなさい…ごめんなさい…」」

「「…ごめんなさい…本当に、ごめんなさい……」」

「頭を…あげてください…」

 雅が作り笑顔を見せて、木瀬さんの肩に手をおいた。

「…一蹴が言ったように、………私は自分の事情と軽挙によって………消沈しているだけのことです。……あなた方のせいではありません…」

「せやけど、私ら、しつこう嫌がらせしたし……家のことで藤原さんが悩んではったなら、余計に追いつめて…」

「……たしかに、不愉快な思いはしました……ですが、もう、どうでもいいのです…」

「…どうでもええって……藤原さん?」

「失礼な物言いをした私も………愚かだったのですから」

「………そんでも、私ら集団で…」

「……では、今の謝罪で、すべてを水に流すことにします。……それで、精算してください」

「藤原さん…」

「「「藤原さん」」」

「精算、願えますか?」

「そんなん……こっちのセリフよ」

 木瀬さんたちは雅の手を握ったし、弱々しいながらも雅も握りかえしていた。女同士で決着がつくならオレの出る幕はない。やや投げやりな言い方が気になったけど、いつもより、はっきり話してくれた雅の様子も安心できるから。

「…一蹴…」

「オレ?」

「少し……付き合ってもらえませんか……五駅ほど……」

「あ、ああ。いいけど…」

 唐突に、木瀬さんたちを置いて、雅は駅へと歩き出した。心配だし、誘われたから、ついていくと電車に乗り、大和朝倉駅を過ぎ、桜井駅で乗り換えると香久山駅を過ぎて畝傍駅で降りた。

「どこへ、行くつもり?」

「……夢のあと…」

「………」

 のんちゃん並みに不思議なことを言ってくれて歩いていく。約10分ほどで目的地に着いたらしく雅は足を止めた。

「……ここは…」

 やたら広い公園というには殺風景な何もない場所、ただ敷石が複数の長方形を作っている。その中心には小さな屋根のある案内板があった。

「……藤原宮跡……。……雅?」

「…ひさかたぶりに、…あの方々が、…藤原、藤原と連呼するから……自分が藤原だということを思い知らされて……つい……。…どう、思いますか?」

「どうって……言われても…」

 オレにとって藤原家とか、さらには694年から710年まで都だった場所の跡とか、そんなことは正直、どうでもいい。

「……一蹴は、……どうでもいい、と思いませんか?」

「あ……ああ、正直なところ、オレにとって、どうでもいいよ。……実の親がいないからかな、それとも養子だから、かな………いや、そうじゃなくて普通の家庭で育ったとしても、どうでもいいって感じる気がする」

「……クスクス…」

 雅が袖で口元を抑えて失笑した。

「私も同感です………、世をときめいた名家……平氏、源氏、北条、足利、徳川、みな武家は潔く滅びたというのに………私の小さな藤原の分家に、いかほどの価値があるというのでしょう? ……私がお祖母様の指示と、本家の所望通り……嫁いでいれば…クスクス……いったい、何が重要で、何が、どうでもいいのですか、一蹴?」

「……………………」

「何もかも、どうでもよくなってしまいました。……あの人たちも、素人映画など撮影して、なにが面白いのでしょう? 私は口が悪いので嫌われていましたが、それも改まらないのかもしれません。くだらない、実にくだらないことをしていると内心で軽蔑しているのですから」

「雅……」

「雅と言う名も、……嫌いです。誰彼かまわず、歯に衣着せず、誰にでも噛みつく牙をもっているから、雅。そうは思いませんか?」

「………思わない…」

 扉の前に捨てられていたから扉、に比べたら何かしら想いを込めて命名されたはずだよ。でも、その祖母にとって雅は道具でしかなかったし、実の両親は子を捨てたのかもしれない……いや、この場合、捧げたというべきか。

「一蹴……あなたは家を意識したことがありますか?」

「……どうかな……わからない」

「失礼ながら、あなたは自身の出生も知らない、養家とも絶縁されている……今の心境は?」

「…………。……家なんて、どうでもいい……と、思ってるかな…」

 どう答えれば満足してくれるのか、わからず、オレは正直なところを述べた。

「…クスクス……」

「雅……そうやって、笑いながら泣くの……やめろよ。……見ていて、…つらい。…泣くなら泣けばいいじゃないか?」

「……一蹴だって、同じでしょう? やせ我慢は武士の心得ですか?」

「………………………」

「……………………」

「……………オレは……」

「……帰りましょう……くだらないことに、お付き合いさせて申し訳ありませんでした」

「…雅……」

「この都の跡が如く……何もかも……クスクス…」

「……………………」

 雅が帰路についたからオレも旅館に戻ったけど、様子が変だった雅が夜になって狂うとは、そのときは予想もしなかった。

 

 

 

 夜、いつも通り眠っていたオレは強い白梅香の刺激で目を覚ました。

「一蹴……」

「ん……う? ……」

 枕元に雅がいた。

「……どうして、ここに? ……ここは…?」

 起きあがってみると、いつものオレの部屋だ。雅の部屋と同じ造りだから一瞬だけ戸惑ったけど、やっぱりオレの部屋だ。ということは雅がオレの部屋に訪ねてきたのか……時計を見ると午前2時だ。

「こんな時間に……オレに用?」

「はい、ご迷惑でしょうが、どうしてもお願いしたく存じます。ご無礼、お許し下さい」

「……。別に、いいけど……それで? 用事って」

 木瀬さんのことか、それとも藤原家についてだろうか。

「一蹴は男女の交わりをご存じでしょうか?」

「…まじわり…って……。セックスのこと?」

 寝ぼけているせいか、ずばり反問してしまったのに雅は頷いた。

「はい、ご経験はありますか?」

「……あ、あるけど…」

 こういう質問をされて、いのりの顔と裸体が脳裏に浮かぶあたり、いのりのことを忘れきってもいないのかもしれない。オレは一人いのりとしか経験がないからだと、言い訳しておきたい。

「ご経験がおあり……それは好都合です」

「好都合って…」

「私を相手にしてください」

 言うが早いか、着物の帯に手をかけた雅は脱ぎ始めた。

 するり…するり…

 和服独特の脱衣音が現実感を喪わせる。

 これは夢か。

 ほの暗い室内で、真っ白い雅の肌が顕わになっていく。止める間もなく裸になってしまった雅が視線を向けてくる。

「どうすれば、いいですか?」

「…ど…どうって…」

 これは夢か、オレは欲求不満か、起きたら夢精してるのか、……自分で洗おう。ありえない事態にオレが凍りついていると、強烈な白梅香の匂いが近づいてくる。

「っ…」

「この傷痕は、いつの?」

 柔らかい雅の唇がオレの額に口づけしていた。

「お話になってくださった養父から殴打されたときの? それとも幼い日の事故で?」

「あ…ああ、…話っけ……事故だよ」

 混乱しているオレは素直に質問に答えていた。額にキスされたこと、その瞬間に目前まで来た初めて見る雅の胸、すべてがオレを混乱させる。

「どうぞ、私を抱いてください」

「…だ……あ、…ぐ……ま、待って! ちょっと待ってくれ!」

 ようやく理性が働いて、押しとどめる。

「オレが、どうしてここにいるか、知ってるだろ?! ユカリを探してるんだ!」

「存じています。ですから、ご迷惑を承知で、お願い申し上げています」

「な、な、なこと言われても! せ、責任とれないし!」

「別に責任など取っていただかなくてけっこうです。一夜限り慰めてください」

「ひとよ…って…」

 オレの上に雅が乗ってくる。かしわやに泊まって以来、オレも旅館の浴衣を貸してもらって寝ているから、寝相の悪さから乱れたところに雅の肌を感じる。その感触で理性が飛びそうになる。

「オ…オレは…」

「男の貞操は軍旗であり、女の貞操はヌカ袋である」

「……なにそれ? 誰かのセリフ?」

「福沢諭吉の言葉です。軍旗は破れれば破れるほど、それを誇ってよいのです。ヌカ袋は一度破れれば、それでおしまいです。殿方たる一蹴がためらうことはないでしょう? 据え膳喰わぬは武士の名折れ、ともいいます」

「……………」

 あの一万円札男め、脱亜入欧とか、けっこう前時代的なヤツなんだよな。まあ、前時代の人なんだけどさ。雅が身体よりも言葉で迫ってきたから、オレは冷静になれた。

「私の準備はできています」

「…準備って……」

 あまりの急展開でオレは男としての反応をしてない、ぜんぜん勃ってない。ドキドキしてるけど、これは動揺であって興奮じゃないからだ。なら、きっと雅だって。

「…じゃあ、触るよ」

「………、はい…」

 少し怯んだ雅の大切なところに、あえて触れた。

「っ…」

「………」

 やっぱり濡れてない。きっと、保健体育でしか知らないから、こんな迫り方するんだ。どんなに淫乱なフリをしたって身体は正直さ。

「雅も、その気なんて、ないね」

「なぜそんなことを? 私は一蹴に身を任せるつもりです」

 そう言いつつ、触られて腰が引けてるあたりが可愛い……って、いかん、いかん。ちょっとでも可愛いとか思ったら、オレの準備ができてしまう。ゆっくり乱暴にならないよう雅の身体を押し離した。

「どうしてオレとしたいんだよ?」

「………。…女に、そのようなことを言わせるつもりですか?」

「はぐらかさないでくれ」

「………………。……お慕いしています…」

 目を泳がせた後、顔を伏せて答えてくれた。

「思いっきり、とってつけたような解答。さっき、一夜限りでいいとか言った」

「……それは……ユカリさんのことに遠慮があり、ただ、私を相手に慰め………いえ、正直に話します。………とても、浅はかではありますが、……この身、藤原の本家に捧げられる前に、他家の男に穢されたと知れば………ささいな復讐になるかと……それだけのこと。ですから、あなたに何かを期待しているわけではありません。ただ、私を破いてくだされば、それでいいのです。その程度の行為なら、ユカリさんへの裏切りにもならないでしょう」

「雅」

 彼女が脱ぎ捨てた和服を拾って、肩にかけて身体を隠した。

「もしも、同じことをユカリが、どこかでしていたら、オレは悲しい」

「それは男と女では貞操の意味が違うと…」

「女とか、男とか、関係ない。遊びとか、慰めとか、一回限りでも、絶対にイヤだ」

「…………。……居場所もわからない、見つけられる保証もない恋人ではありませんか」

「たとえ、見つけられなくても。……そう、たとえ、死ぬまで再会できなくても、次に生まれ変わったとき、後悔したくない」

「……輪廻? ……やくたいもないこと……」

「ユカリが言ったんだ。一度、握った手を離されるのは、痛い。魂をひき千切られるくらい、痛い」

「…………」

「たとえ、ユカリと引き離されていても、魂まで引き離されたつもりはない。何年でも、何百キロでも、何十年でも、何千キロでも、何百年でも、何万キロでも、たとえベテルギウスにいたって、諦めるつもりも、裏切るつもりもない」

「…………………………くすっ…」

 雅が肩を揺らして吹き出した。

「笑いたいなら笑ってくれ。自分でもバカだってわかってる」

「…ぷっ…くすっ…、くすくす……」

「………」

「くすっ……くっ…くく、…ふふ…く、…く、ふふふっ!」

「…………」

「ふふ…ふふふふっ……くっ…あはっあははははははっ!!!」

 俯いて耐えていた雅が大声で笑い始めた。

「あっははははっ! あああっははっははは!!!」

「……笑いすぎだ」

「ああっはあはははあはーっ!! ひっは、はあはははあはっ!!!」

「…………」

 狂笑いとでも言えばいいのか、雅は彼女らしくない大口を開けて天に響くような声で笑い続けた。はだけた白い腹部を痙攣させて、笑い涙を零して、初瀬の夜陰に狂笑が響きつづけて、そして静寂が訪れた。

「………」

「…………。そろそろ服を…」

「滑稽すぎて、笑い死ぬかと思いました」

「……悪かったな。そこまで笑うことないだろ」

「勘違いしないでください。滑稽なのは私です」

「………?」

「あわれな家を追い出された男と、あわれな家出女、多少なりと共通項を感じて、私は愚かにも、あなたに対して同情もしていたのですよ? これが滑稽でないなら何でしょう」

「……………意味がわからない」

「頭が悪いですね。それとも、わからないフリをしてくださっているのですか? 私への同情で」

「………そうさ、頭は悪いさ。一科目たりとも、敵わなかった。勝てるとしたらサッカーくらいだね!」

「いいえ、あなたは天才です。天賦の才を持っている。そして、私は愚か者、どうしようもない、愚か者です」

「…………」

「くっ…くくっ……奇遇というか、運命の皮肉? いえ、よほど神は私にとって冷笑的な存在なのでしょう。ある男と結婚させられるのがイヤでイヤで家を逃げ出した女と、ある女と結ばれたいと願ったがために家を追い出された男、この似て非なる好対照が神の意図なら、私は神を呪ってやり、あなたに同情した自身を嘲笑うしかないでしょう!」

「…………」

「まだ、わかりませんか? 私には何もない! けれど、あなたには不動の信念がある! ユカリさんを愛している、たとえ、なにがあっても、変わらない。真実がある。なのに、私は似た境遇にあると勘違いして、あなたに同情したのですよ? 何もない私が、全てに勝るものを抱いている相手にッ…く、くく、…これが笑わずにいられますか?」

「………………」

「目が覚めました。ありがとう、一蹴」

 そう言った彼女は立ち上がって、庭へ通じる戸を開けた。

「お、おい?! どこへ行くんだ?! そんなカッコで!」

「どこへ、なりと」

 肩に羽織った着物一枚で素足を庭へ踏み出している。今は12月で、しかも深夜だ。そんな姿で外を歩いたら強姦される前に、15分で凍死する。

「凍え死ぬつもりか?!」

「ええ、あわれんで忘れてください。さようなら」

「待ってて!」

 力任せに捕まえて部屋に引き戻した。狂ってる、そう言うしかない。

「なぜ、止めるのです? ……ああ、あわれみと同情ですか……遠慮していただけませんか?」

「もう喋るつもりはない」

 戸を閉めて、布団の上に雅を座らせた。それから彼女の背後に回って着物と布団をかぶせて抱きしめる。

「何のつもりなのです?」

「いいから、もう寝ろ。子供は寝る時間だ」

「………くだらない……」

「くだらなくても、寝ろ」

「……離しなさい」

「離さない」

「くっ…」

 何度か、雅は逃げだそうと試みたけど、細い腕では着物と布団でグルグル巻きにされた状態から脱出できないと悟って、諦めてくれた。そのままオレは腕の力を緩めず、彼女が本当に眠ったと確信できるまで起きていることにした。

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