原作とは少し時系列が異なります
「くそっ…あの鳥頭め、俺に一言もいれず調査に向かうとは…」
ついそうこぼしてしまっていた。武藤大佐を軍のトップに就かせ、美味しいところだけ握ることを目標としていた俺は、D機関への出向中ももちろん大佐周辺に何が起こっているか把握するようにしている。
行動が早すぎてなんの対策も講じることはできなかったが、あろうことか大佐はスパイ容疑の掛かったゴードン邸へ強引に調査に踏み込み、かつ何の成果もあげることができなかったようだ。そのまま大佐は素知らぬ顔で、D機関にゴードン邸への調査を命じる伝達係として俺を本部へ呼び出した。
D機関を嵌め、かつ俺を厄介払いするつもりなのだろう。俺個人の有用性は痛感していると思っていたのだが、それを切る決断をするということは俺以上のカードを手に入れたらしい。
今回のことではっきりと分かったが、大佐はおそらく俺のことは優秀ではあるが、使い勝手の悪い手元においておくには手に余る部下だと思っている。
出世欲だけは一人前の武藤大佐だ、そして厚顔無恥。そういう人間だからこそ俺みたいな人間は使うだけ使い、信頼はせずとも信用し出世に利用していくと思っていたのだが、今回はⅮ機関に出向している間に、俺のことを目の敵にしている誰かにそそのかされたのだろう。
俺以上に証拠隠滅、情報操作など尻拭いが得意で、かつⅮ機関を敵視しているとなるとだいたいの見当はつくが。
「さて、どうしようか。」
結城中佐がゴードンの事を把握していないとは思えない。何せ武藤大佐が直々に動くほど信憑性も完全性も高い情報なのだ。
とにかく大佐に出された指令を中佐に伝え、その反応をうかがってから調査について考えることにした。毎度毎度、全くもって面倒なことをしてくれやがるな、あの野郎。
───
「……ということでゴードン邸を調査し、証拠を掴めとの命令です。」
俺は大佐に言われたことを繰り返した。結城中佐は眉一つ動かさずに聞いていた。
やはりと言うべきなのか、中佐がどこまで把握しているか推し量ること不可能だった。
「証拠を確保してどうする?」
「大佐に命令されたまで、証拠をどうするか自分の知るところではありません。」
軍で出世させるためにはやはり目に見える物的成果があった方がいい、周囲の阿呆を納得させ易いと思いつつも黙っていた。
中佐は何も言わずに俺を見てくる、俺の何を見透かしているのだろうか恐ろしい背筋をつうっと冷や汗が流れるのを感じた。
ちょうど三好が俺の持ってきたゴードンについての資料に目を通し終わったようで、中佐の視線はそちらに向かって助かった。いくらか言葉を交わした後、三好は憲兵隊を偽装して踏み込めと命じられていた。
中佐ともあろうものが、ゴードンを調査することに対しての無意味さを理解できていないとは思えないし、素直にその無意味な命令を聞くとは思えない。
ここは貧乏所帯と聞いている、武藤大佐を財布にすることが目的なのだろう。俺の財布の中身が少々減ってしまうのは痛いが、俺とてこの諜報機関の重要性はよく分かっている、そこは目をつむるつもりだ。
「本田さんはこの資料に目を通しておいでで?」
三好に横目で見られながら、尋ねられた。
「ああ、だいたい把握してある」
「憲兵隊長役をお願いしても?」
「自分がする必要性を感じられないが、」
憲兵隊長役なんかやらせる意図が見えないが嫌な予感はする。証拠が見つからなかったり、部下が失敗した場合責任を取らせるような流れを作る気なのだろう、俺も似たようなことをしたことがあるのでその考えはよく読める。
はあ、このままじゃ武藤大佐やそのバックに居る人間にうまく嵌められ、Ⅾ機関の連中にもいいように使われた挙句、俺が一番損をすることになりそうだ。三好と中佐の無言の圧力も恐ろしい。
大人しく、ゴードンについて知っていることについて白状することにした。
「……、分かりました。白状します。ご存知でしょうが大佐がすでにゴードン邸を調査しておられます。しかし何の証拠も見つけられなかったようです。その上で機関への命令を出しています。」
そして俺と機関両方に消えてもらおうと思っている、中佐も三好も言わずもがな理解しているだろうが。
「証拠がなければどうする?」
「大佐自ら指揮をとり調査しているということは、ゴードンは所持している可能性は高いでしょう。そして軍人が見落としてしまう、もしくは無意識に探そうとしない場所にあるはず。」
「くどい、端的に言え」
「まあ、つまり、十中八九証拠があるなら、御真影の裏にあるのでは?」
ゴードンについての調査書を見たところ、一番行動で不自然なのは、毎日柏手を打つというところであった。
アメリカでは多元性というものが尊ばれ、発展の源泉となっている。そんなアメリカ人である彼が、日本の単一民族のシンボルである御真影に柏手を打つためには、何かしら彼の価値観を変えうる劇的な経験があるはずと予測される。
しかし、それらしきものは何もなかった。あまりにも彼個人の行動とそれを裏打ちする経歴がミスマッチなのだ。周囲から浮かないよう溶け込もうとした結果、逆に不自然さを強調している。
そして、心理学的側面からも隠し場所について予測がたてられる。人間は隠したものがそこにきちんとされたままなのか無意識のうちに気にかけてしまう。日本人から見て、毎日チェックしてもおかしくない、かつ調べそうにもない場所と言えばもう確定したようなものだ。
全てを口に出す気はない、重要なのは御真影の裏にあるだろうという予測のみだ。
おそらく彼らは俺が利用価値のある人間かきちんと見定めようとしている。
詳細は口に出さず、証拠があるであろう場所について伝えたところ、中佐は無言でニヤリと笑った。お気に召されたのであれば僥倖です、魔王閣下。
────
ゴードン邸の調査は滞りなく終わった。スパイでない俺から見てもド三流であるゴードンの調査を憲兵隊に扮してやっていた連中は、こんなくだらないことをさせるなと顔には出さないものの、不満を遠回しにぶつけてきた。仕方ないじゃないか、基本的には軍じゃ上の命令は絶対なのだから。
中佐に報告して部屋を出ると、三好が壁にもたれかかっていた。今回の原因である武藤大佐の失態について洗いなおすかと思い、外に向かおうと横を通り過ぎようとしたところ三好に話しかけられた。
「これから街に遊びに行くんですが、本田さんもどうですか?奮発して料亭にでも。」
「…どういうつもりかは知らないが、遠慮しておく。料亭に行くのに貴様らみたいな容姿端麗な連中と行く気にはならないな。そもそも同伴する人間が誰であろうと、美人のいる料亭には一人で行く方がいい。」
「…そうですか。」
わざわざヒントを出されたことに驚き、眉をひそめながらそう答えた。こいつらに借りを作るなんて真似絶対にごめんだ。武藤大佐の失態の調査は自分一人で行うので、手出し無用であると釘をさす。三好は去って行く俺を見ながら中佐の部屋に入っていった。
「どうだ三好、やつは。」
「我々がどこで武藤大佐の失態を知ったかについては大方予想がついてた、と見てよいでしょう。それに手出しは無用、と釘刺されてしまいましたね。」
「そうか。…武藤を御しているつもりだろうが、情報を漏らす失態を許してしまっている、詰めが甘い。」
三好は彼のことが分からないままでいた。おそらく語学は堪能、洞察力もあり頭の回転の早い、そして何より考え方が柔軟である。
幼少のころから軍人学校で学んでいたと聞いていたが、偽りであるとしか思えない。軍教育というものは基本的に上の命令は絶対、そして何度も同じことを繰り返させることによる思想の硬直化を招くものだ。
軍組織としては必要なのは理解できるが、そこにいる人間と関わりたいとは思えなかったし入りたいとも思わない。おそらくお互いに異邦人を相手に会話をしている気分となるだけだ、と考えていたが、彼はそうではなかった。
講義を受ける際、天皇機関説などといった現在の国の政体に批判的な学説を説明されても、興味深そうに聞くだけであった。他の連中も、逆上した軍人をからかう気でいたのか彼を気に掛けていたようだが、何も言わない彼に少し驚いていたように思う。
今回でその違和感が決定的なものとなった。大佐の失態を知り、大佐が彼を嵌めようとしていることを知った上で結城中佐に辞令を伝え、此方がどうでるか様子を伺っていた。
自らが嵌められ利用されたという事態ですら全く動じていなかった。大佐のことは体のいい隠れ蓑、財布としか考えていない、彼は人でなしだ。
三好は自然と口角が上がるのを押さえられなかった。
───
大佐が二日酔いであったのは分かっていた、料亭で飲んだということはそこで自らの失態をこぼしてしまったのだろう。
そう、美人のいる料亭にはD機関の男前連中だろうと、大佐のような羽振りのいい上司だろうと共に行くのは気が進まない、ゆっくり一人で行きたいものだ。
俺の情報網は武藤大佐周辺に関してだけは一日の長がある。しかし、結城中佐は武藤大佐の周囲についての情報を俺より先に掴んでいた。つまり、人づてではなく直でその発言を聞いたはずだ。
武藤大佐の通う料亭は俺も大佐と共に何度か行ったことがある。他の客についてもある程度把握していたが若い男など限られていたはずだ。いったい誰がどうやって……
大佐の行きつけの料亭である花菱へと向かい事情を聞いた。女将が言うには隣の席では調子のいい小さな貿易会社の社長が飲んで眠りこけていたと。そしてその人物が武藤大佐の落とし物を拾ったのでと、預けられたらしい。
「つかぬことをお聞きしますが、その社長さんはどちらの手でこれを拾ったのか覚えていらっしゃいますか。」
指紋を調べたところ予想通り何も検出されず、これを拾った人間が誰かはっきりと分かった結果、盛大にため息を吐いた。
結城中佐が直接動くとは考えていなかった、あの人は今でも現役のスパイなのだ。例え身体にハンディキャップを負っていても自ら動くことのできる人間、そういう印象を全く俺に与えなかったことも恐ろしい。
中佐に対する俺の印象は、動きが不自由な分、どっしりと構え上手く部下を使う上司という感じだ。脚を引きずるのは演技だと分かっていても見事に騙された、素晴らしい印象操作である。
おそらく結城中佐は大佐を財布にするためにかなり前から探っていたのだろう。そして、今回の失態を知った。
D機関に今回の調査が回って来たのは、棚ぼたであろうがそれを利用し、ゴードンのスパイの証拠も身柄も、大佐という財布も手に入れたということだ。完全に一人勝ちである。
「あーー完全に後回しにしてしまっていたが、大佐に報告に行くか。」
確実に怒髪天を衝くが、まぁそんなことはどうでもよい。むしろ失態をおかしたのにちょっと懐が痛むだけで、出世街道はそのままなので喜んでもらってもいいのだが。
俺を切り捨てようとしたことについては少しづつ嫌がらせをしようと思う。方向性としてはもう二度と俺を切り捨てようと思わない程度には、失態を演じてもらい俺の助けが必須であることを刷り込み依存させるという形で行こうと思う。
それよりも今回、俺を敵視し、かつD機関嵌めようとした人の名前はなんといったか、確か…
「風戸大佐」
以前、武藤大佐の失態を揉消すために少々濡れ衣を着てもらった人だ。それはうまく躱され、有耶無耶になった。その後、何を血迷ってか、スパイ機関を設立するから自分の下に来てその設立準備をしろと俺に言ってきた。それに対しては、そんな面倒な上に対して美味しくもない仕事をしてたまるかと断固拒否の態勢を貫いた。それから恨まれている気がしないでもない。
偉い人の弱みは欲しくとも不興は買いたくなかった。利用したくなる気持ちはよく分かるのだが、あまり武藤大佐にちょっかいを出さないで欲しいものだ。
ある意味、風戸大佐やら結城中佐やらから大佐を守ってやるような構図になっているのは皮肉な状況である。
さっさと武藤大佐の側近に戻って、出世のために暗躍したいとのんきに考えていた俺は、その後カードゲームに巻き込まれ、いらないプライドを守り、結果的にD機関の訓練に参加させられる。
そして勝負に勝って試合に負ける、ジョーカーを引かされることなど知りもしないのだった。