地方人本田さん   作:スーも

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機関員の本田さん

武藤大佐を立派な張りぼてにし、実態は俺という目標に結城中佐も反対しているようには見えなかったのだが、どういう風の吹き回しなのだろうか。あれよあれよという間に俺は機関へ舞い戻ってしまった。軍人としての自分は完全に消し去られ、正真正銘スパイの一員としてそこへ迎え入れられた。

 

「おかえりなさい、いえ、ようこそと言った方がよろしいですか?」

あの気弱そうな雰囲気は風と共に去りぬ、今なんと名乗っているかは知らないが、実井はそう言ってにこやかに笑った。

 

「俺は帝国の忠良な一臣民に過ぎないのだが、何故こんな場所に居るのやら。まあ過ぎてしまったことは仕方がない、よろしく頼むよ、少尉殿」

これくらいの意趣返しは許してほしい、軍人の立場を負われ完全に死人となったのだ。機関員の連中も一応少尉としての階級は与えられている、ある意味立派な帝国陸軍の軍人なのだ。案の定実井は不愉快そうな声で言葉を返してきた。

 

一体何が原因なのだろう、中佐は俺の事を俺が思っていたより買っていてくれたのだろうか。取引通り、風戸大佐の失態が武藤大佐にまで影響してくることはなかったが、全く別の案件で失脚した。

きちんともみ消してはいたのだが、武藤大佐の無能っぷりと機関の粗探しの優秀さ、それに俺個人の隠蔽工作の能力を総合した結果、まあ大敗を喫した。

次の隠れ蓑兼財布を探すのも良いが、近年の情勢が悪化する一方なのを見るとそう悠長なことはしてられなかった。少しだけ立ち止まって悩むことも必要かと思っていたのにこれである。

 

 

 

 

 

 

「中佐はあんなに手数をかけて本田さんを引き入れようとしたんだろうな、実井はどう思う?」

「以前僕も似たようなことを思って、尋ねてみたことがあるのですが、最近になってようやく答えていただきましたよ、聞きます?」

「もちろん」

若干食い気味に神永は言った。

 

「要約すると、『武藤のやつを出世させるのは構わんが、本田はそれを自己目的化してしまっている、達成した暁には玩具に飽いた子どものようにそれを捨てるだろう。その危険を放置しておく訳にもいくない。』と言う感じでしたね。本田さんが好き勝手やった挙句居なくなった後、軍内の混乱がいっそう深まることを懸念したのでしょう。」

「なるほどな、確かに権力の空白は不毛な争いや組織の暴走の原因となり得る。本田さんには似たようなものを俺ら全員が感じていたとは思うが、考えていたよりもよっぽど似非軍人だったというわけだ。いや、軍人というか人として……」

神永は誰かが近くにいる気配を感じ話をやめた。そう間も置かず件の男が、食堂へと入ってきた。

 

「二人とも何を話ていたんだ?随分と楽しそうだったじゃないか、俺も混ぜてくれないか?」

「そう聞こえましたか?最近舞い込んできた厄介ごとの話だったので、そう楽しい話でもなかったですよ。ああそうだ、伝え損ねていましたが先ほど結城中佐が呼んでいました、早く行った方がよろしいのでは?」

「………本当にいい性格をしているな、貴様。」

 

 

 

────

 

 

 

あの性根の捻くれまくっているであろう男、実井は俺にわざと結城中佐に呼ばれていたことを伝えていなかったようだ。

中佐の執務室に登場した瞬間睨まれた、そして何があったかも察せられた。実井にでも遊ばれていたのだろうと、そうなると分かった上で実井に物を頼む中佐も中佐である。もう散々だ、さっさと別の隠れ蓑探しておくべきであった。

その後、早速だがという前置きもなく任務を命ぜられた。他の連中と違って卒業試験代わりの任務はしていないけどいいのか、これまで2年間の暗躍を認めてくれたのかもしれない、と楽観的に考えていた。

 

「これが貴様のカバーだ、今ここで覚えろ」

「はあ、雪村、ですか。」

「そうだ。ドイツの日本大使館の防諜体制を整えろ」

「了解しました」

 

そうして俺は中佐と共に陸大以来の欧州へと渡ることになった。つい一週間前まで、軍人生活を送っていたのに中佐はこき使う気まんまんである、欧州経験者で、ドイツの情勢や地理、文化にも造詣が深いからなのだろうか。そして中佐にとって非常に都合がいいことに、風機関に形として所属していた俺は髪を伸ばしたままであった。正直、丸刈りは俺の顔に合わないし、自身の美学に反するがただの軍人に戻るならば仕方がないと思っていたので、そこだけは少し感謝をしなくはない。

 

結城中佐との船内生活はとてもきつかった、一言で言ってしまえば物凄くしごかれた。精神的に来るものが多く、語彙が消失してしまっている。船内という閉鎖的空間の中で、人間関係をひっかきまわし、誘導し情報を聞き出す課題を出され、人心を操る術を再度確認させられた。

中佐は事あるごとに俺が情報を聞き出しやすい立場に収まろうとするのを妨害してきた。例を挙げれば、俺が人妻を誑かし、夫の仕事の機密を聞き出そうとしては、奴は間男だと夫の方に漏らす等だ。中佐と俺は偶然船内で意気投合したくらいの設定であったので常に一緒に居た訳ではないことだけが救いであった。

 

そうしてやっと船から下り、ドイツに辿り着いた俺はそれから任務だと言うのに、解放感でいっぱいであった。精神的な余裕を持ちながら迎えた初任務は、特に大きな失敗もずれも無く、無事に終えた。

任務後、真木というカバーであっても非常に顔の整った男と話をした後俺は任務のあったベルリンから撤収した。相も変わらず奴とは皮肉の応酬であった、D機関の連中と話すとこれだから非常に疲れるのだ。ひとまず、それ以上に会いたくない相手である中佐と合流しなければならない。

 

 

────

 

 

その後細々とあった他の欧州での任務は完璧に完了した。中佐と共に日本へ帰る予定である。真木が中佐に報告へ向かうのを遠目に見ながら、カフェへと入り新聞を読んでいた。中佐と二人で再度長期間船旅をしなければならないのだ、今くらいゆったりとした時間が欲しい。

報告を終えた真木がそそくさと駅へと向かうのが目に入る。さすがの存在感の無さである、いや存在感が薄いというより、目立つことなく凡庸な、目に留まらない雰囲気を作るのがうまいのだろう、人混みの中を誰にもぶつからずすいすいと進んでいく。俺も同様にしてその背中を追いかけた。

 

「これから街に行くんですが、どうです?一緒に飲みませんか。」

真木に追いつき、かつて俺がかけられた言葉をそのまま返してやった。あの時受けた借りを返す時だ、武藤大佐が料亭で失態を犯したというヒントを貰った。俺もドイツに置き土産くらいは置いていこうと考えた。

自分は断ったがさて、真木はどうするのか。真木には少し睨まれた、妥当な反応だ。スパイとスパイの接触など無いに越したことはない、共倒れになる危険性が増すだけだ。

 

「せっかくですが、遠慮しておきます。僕とあなたはそんな関係でもないでしょうし」

予想の通りすぎる返しだ。確かに以前は機関員の連中とは一線を置いていた自覚はある。本田と三好が、任務の連絡でもないのに飲むような仲ではないのは確かだ。雪村と真木は言わずもがな、何の接点も無い。

しかし、俺はもう機関員としての立場しか残っていない、帝国陸軍人の俺はもういないのだ。ろくでもない野望はついえた。スパイといういずれは消える立場に立つことで、何かに拘泥することなくこれまで以上に自分の思うままに生きていこうと思っている。任務を果たさなければいけなくなり、人格や振る舞いを指定され、しがらみが増えたはずなのに、以前より自由と言う物を謳歌できているような気がする。非常に逆説的な考えではあるが、この享楽的な生き方も嫌いではないことに気づかされた。

何が言いたいのかというと、現在のスパイとしての俺は軍人として猫かぶっていた自分の数段性格が悪いぞ、ということだ。

 

「つれないですね。真木さんは美術商をやっておられるんでしょう?いえ、ついこの間良くさせていただいた知り合いから彫刻を譲り受けるという話になりまして。古代ローマの神をモチーフにしたものだそうですよ、えーっとなんて言ったか…日本に持って帰れやしませんしどうですか?話だけでも」

美術好きの真木克彦なら食いつかなければならない話題だろう、こんな剣呑な思いをしてまで真木と飲みたいかと言われると否だが、最早意地である。開戦を知らせるラッパのように、列車の汽笛が曇天へと響き渡る。かの軍神マルスもこんなくだらない駆け引きのだしにされるとは思っていなかっただろう。

 

「それはそれは。どんなものなのか少々お聞かせ願えますか?」

 

 

 

 

結果としては一応真木の勝ちであった。結局飲みに行くことはせず、立ち話をしたあと真木は駅のホームへ向かっていった。しかし、俺もマルスの像をくれる相手の存在という置き土産は残せた。相手は他国のスパイである、ローマの建国を助けたマルス、イタリア人の男だ。

 

真木の乗る予定の列車の時刻は過ぎていたようで、別れ際時計を見て少し苛立ちを感じていたようであり、多少胸のすく思いがした。

降り続いていた冷たい雪は、話をしているうちにいつのまにか止んだようだ。少しだけ晴れ間が見えてきた、俺は空を見上げながらこれからのことを思案した、スパイとして刹那的に生きるのも一興だ、次は何をやらされるのだろう。

少しではあるが弾む心を感じている自分に笑ってしまった。とにかく中佐のもとへ向かうことにしよう、俺の任務は既に完了しているのだ。

 

 

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