これはどういう状況なんだろうか?
今日、僕はニュゥべえを連れて学校に向かい、授業を真面目に受け、昼食をいつものメンバーと取って、放課後に魔女退治へ僕とニュゥべえを連れて行ってもらえるように皆に頼んだ。
ニュゥべえに魔女を近くで観察し、新たに得たエネルギーでより詳細に魔女を研究するという目的があったからだ。
そのことを巴さんたちは承諾してくれたが、代わりに少しだけ付き合ってもらうと言われ、やってきたのがここ、織莉子さんの自宅だった。
細長く大きなテーブル……恐らくは来賓と食事を取るためのものであろうが、そのテーブルとセットのお洒落なデザインの椅子の一つに座るよう促された。
内心で小首を傾げながらも、言われるがままに僕はその椅子に座ると、他の皆も椅子に無言で座った。
そこにはうまく言葉にできない怖さがあった。
唯一、僕の味方であるニュゥべえはテーブルの上に鎮座して、僕と同様に皆を怪訝そうに見つめている。
これに近いものを僕はテレビで見たことがある。
裁判だ。犯罪者を裁く法廷での裁判。まさにそんな雰囲気だ。
「あのさ、これはどういう……」
僕が言葉を発した時に、それに被せるように正面に居る織莉子姉さんが口を開いた。
「ねえ、まー君」
その声は穏やかで静かだったが、有無を言わせない圧力を含んでいた。
「率直に聞くわ。――貴方は私たちを頼りにしていないでしょう?……いいえ、もっと言うなら、まるで庇護者のような目で見ている。違う?」
僕を見つめる凛々しい織莉子姉さんの顔には、悲しげな瞳が
シャンデリアを模した電灯の光の反射したものだろうが、彼女のなかなか表には出さない感情が映像になったような錯覚をさせる。
「……言っている意味がよく分からないです。僕は皆のこと頼りにしてますよ」
嘘だ。意味は理解している。
本当に織莉子姉さんたちを信頼しているなら、そもそも一人で黙ってニュゥべえを作ったりはしていない。
彼女たちに何もかも知らせずに、全てを自分の内に秘めて『ワルプルギスの夜の日』へ向けて準備を整えようとしている。
それが一番だと思うし、そうしなければいけないとも思っている。
「嘘だよ」
よく通る中学生にしては幼さの残る声が僕の心を言い当てた。
僕は内心を覗かれたような気がして、とっさにその声を上げた彼女へ顔を向けた。
「……鹿目さん」
その声の主、僕の右隣の席に座る鹿目さんはまっすぐな目で僕を見て、怒っているような声で言う。
「政夫くんはいつも私たちを優しい言葉をかけてくれるよね……? 私の事もたくさん助けてくれた。病院にグリーフシードを抜いた時も、あの工場で大勢の人に襲われそうになった時だって、政夫くんは自分の命を懸けて私を逃がしてくれた。ほむらちゃんから聞いたよ。マミさんやさやかちゃんも支えてくれたって……でも」
強い感情を吐き出すように一度言葉を区切って、僕に向けてぶつけてくる。
「政夫くんが自分を
感情的で力強く、優しい鹿目さんらしい台詞だ。
そして、そんな彼女を見て、彼女たちが何のために僕をここに連れてきたのか理解した。
ずっと僕のことを気にしていてくれたのだろう。鹿目さんだけじゃなく、ここに居る他の女の子たち全員が。
皆の顔を見回すと、鹿目さんと同じように僕のために怒ってくれていることが表情から読み取れた。
皆、優しくて、温かくて……そして、お節介だ。
「ほむらさんも口が軽いな。何でそこまで鹿目さんに話したの? ……そんなに人のこと、ぺらぺら喋るような性格だったっけ?」
右隣の鹿目さんのその言葉には何も返さず、左隣に座っている暁美を責めるように言う。
鹿目さんに余計なことを喋れば喋るだけ、要らない心配させることぐらい暁美なら理解していると思ったのに。
「……それについては謝るわ」
「それで、皆もこんな風に集まって何がしたいのさ。あと一週間もしない内に大きな魔女がこの見滝原市にやって来るって話は聞いているんだろう? こんなことに使う時間なんてないと思うけど」
「こんな事って……政夫、私たちはアンタの事思って……!」
「それが余計なお世話だって言ってるんだよ。美樹さん」
鹿目さんの隣に居た美樹が僕の言葉に反応して椅子から立ち上がるが、僕はそれに冷ややかな視線を送る。
美樹の勢いが止まり、熱を持ち始めていた場の雰囲気が一気に冷却していく。
それらを見回して、さも馬鹿馬鹿しいと言外に滲ませながら言う。
「ねえ。君らは僕に頼んでもいないお節介をしていられるほど暇なの? この街で多くの人間が死ぬかも知れないって時に、ここまで僕一人に構っていていいの?」
この場において、年長者の一人である巴さんに顔を向ける。
真正面に座っている織莉子姉さんの隣に居る巴さんは、気まずそうな顔をしながらも、僕から視線を逸らさなかった。
「巴さん。あなたはこの街で多くの人を護りたいって言ってたじゃないですか? それが街を護る正義の魔法少女の役目だと。今、僕にかまけていることがあなたの正義なんですか? 答えてくださいよ」
一番このメンバーの中で魔法少女の役目に責任感を持っている巴さんならば、責任を強調させる言い方をすれば負い目を感じて、引き下がってくれると踏んでいた。
しかし、巴マミという女の子の芯は僕の想像よりも強くなっていた。
「夕田君。……私は心が圧し潰れそうだった時、あなたに助けてもらったわ。そして、同時に教えてもらったわ。自分が都合のいい正義の味方なんかにはなれないって事を。私は自分が護りたい、助けたい人のために戦うわ。その一人が夕田君なの。だから、今こうやって皆で集まって夕田君のために話す事が無駄だなんて思っていないわ」
それは、僕がかつて彼女に言ったことだった。
『魔法少女としてではなく、一人の人間として戦えばいい』と言ったあの言葉を彼女は大切にしてくれていた。
胸の中で温かさを生まれそうになるが、それを振り払うように言った。
「巴さんのお心遣いは大変嬉しいですが、僕は助けてもらう必要があるほど困っていません」
「そうは思えねーな」
口を挟んだのは杏子さんだった。
僕は杏子さんに目だけ向けると、彼女は語り出した。
「アタシの目には政夫は人を無理やり壁を作って遠ざけてるように見える。でなきゃ、わざわざショウを尋ねて来てまでほむらの事で悩んでたアンタがあそこまで下手くそな振り方する訳ない」
「内心まで語られるほど杏子さんと親密になった覚えはないんだけど……?」
杏子さんの発言で僅かに自分の目がきつく細まるのを感じた。
「アタシもそうだったから分かるんだよ。政夫、アンタは自分が嫌いなんだ。だから、そんな嫌いな自分を好きだって言ってくれてる奴を認められない。そうだろ?」
「否定はしないよ。僕は自分が嫌いだし、こんな自分のことを好きだっていう人の気がしれない……」
ちらりと隣に座る暁美の横顔を見た。
下唇を浅く噛み締める暁美は今何を思うのか。想像はついたが、意識させずに杏子さんとの会話に戻る。
「皆、男を見る目がないよ。はっきり言ってあげる。僕は君らが思ってるような人間じゃない」
この子たちの目を覚まさせてあげよう。彼女たちは僕を仲介せずともお互いに絆を作っている。
もう彼女たちは、僕が居なくなっても平気だ。それどころか、こんな
僕は彼女たちと縁を切ってもそれほど困らない。そして、彼女たちもそれは同じはずだ。
――ここらで思い切り嫌われよう。それが彼女たちのためだ。
「僕は君らが大切だから手を貸していたと思っているようだけど、そうじゃない。僕は自分の世界が護りたかっただけ」
「政夫くんの世界……?」
鹿目さんがぽつりとそう言った。
「そうだよ。僕が信じたい、そうであってほしいと思う『優しい世界』だ。道徳的で倫理観に溢れていて、真面目に清く正しく生きている人間が正当な報酬を得られるそんな世界。それが僕にとって何にも代え難いもの」
母さんがまだ生きていた時、当たり前のように信じていた世界。
スイミーを殺された時にそんなものはどこにもないのだと理解させられた世界。
「でも、そんな優しい世界は児童向けの絵本の中にしかないってことに気付かされた。真面目に生きていてもそれを足を引っ張り邪魔する人間が居るし、清く正しく生きていてもそれを騙して貶める人間が居る。道徳的で倫理観に溢れた人間は正当な報酬を得られない」
世の中は驚くほど理不尽だ。何の落ち度もない人が脈絡もない悪意に当然のように踏みにじられる。
現実は理解不能なまでに醜く、視界に入れたくないほど
そんな世界で生きていくことが辛くて辛くてしかたなかった。
そして、その醜悪さにじわじわと慣らされていく自分が何よりも耐え難かった。
「だから、僕は自分で作ることにしたんだ。『優しい世界』を」
「どういう事……?」
尋ねてくる暁美に僕は笑顔で答えた。
「自分の周囲に居る人間の行動を『清く正しい選択肢』へ誘導して行ったんだよ。その人間の性格や行動を調べて、『清く正しい行動』を取らざるを得ないように仕向けるんだ。……大変だったよ、ねえ
ぞっとしたような強張った表情を暁美は浮かべた。
気付いたのだろう。暁美も僕にそうなるように変えられていったということに。
大抵の人は自分のことしか考えていない。自分の幸せに飢えてるからだ。
ならば、満たしてあげればいい。他者に優しくする余裕ができるまで。
アンパンマンが顔をちぎって、お腹を空かせた子供を満たすように。
優しくなるまで。清く正しい行動に出るように『調整』してやればいいのだ。
利己的な意見や行動を正論で否定して叩き潰し、利他的な行動に出た時のみ褒めて、報酬を与えてやる。
基本的にはそれの繰り返しで、人は『善良』になっていってくれる。
「本当に大変だったよ。どうしようもなく利己的で、欲深で、情けない人たちに『清く正しい選択肢』を選ぶようにさせるのは。そのために心理学を必死に学んだし、コミュニケーション能力を上げる努力をしてきた」
会話に必要な話題を一つでも多く得るために人気な漫画、ゲーム、スポーツ、ファッション、芸能人……他にもたくさんの流行しているものを周囲の人間に合わせて調べたり、どういう表情をすればどういう反応を取るのか研究した。比喩ではなく、死に物狂いでだ。
『好意的な印象を得る笑顔』なんか、本当に気が狂ってしまいそうになるほど鏡の前で練習した。
「そして、僕自身『清く正しい選択肢』を選びながらね。でも、人の行動を誘導している人間が『清く正しい』訳がない。自分が見たい世界を作るために生きていたら、気が付いた時には自分が見たくなかった汚い世界の一部になってたよ」
笑える話だ。純粋で善良な人間が勝利する世界が見たくて頑張っていたら、自分が一番それから程遠いものになっていた。
だから、諦めた。自分を勝利するべき人間の欄から除外した。
ただの『優しい世界』を作るためのパーツでいいと思うようにした。
「鹿目さん。自分を命を懸けて逃がしてくれたって言ってたけど、あれは鹿目さんのためにやった訳じゃない。あそこで君を見捨てたら僕が僕自身の『優しい世界』を否定しちゃうからだ。他の皆もそう、君らが大切だから命を懸けて助けたんじゃない。そうしなければ『優しい世界』が保てないからだ」
「……じゃあ、私に優しくしてくれたのも」
いつもハイテンションな様子とは違って、おずおずと聞いてくる呉先輩に僕は容赦なく、言葉を返した。
「そうですね。普段は『友達』認定した人以外は面倒を見ないんですけど、たまたま見滝原では珍しく僕と同じ髪色だったから『優しい世界』に入れただけです」
「……そ、んな……」
肩を落とす呉先輩を
「さっき、織莉子姉さんが僕に言っていたこと大体当たってます。でも、それは織莉子姉さんたちだけじゃありませんよ。『友達』と認識した周囲の人間全てです。僕はただの中学生ですから、手の届く場所はそれほど多くありません。だから、限界を作りました」
「それがまー君の言う……『友達』なの?」
「はい。僕が責任を持って面倒を見れる範囲に居る周囲の人間、それが僕の『友達』です」
平然とそう答えると、織莉子姉さんは唇を震わせて微かに言った。
「……貴方、歪んでるわ」
言われなくてもそんなことは自分が一番よく知っている。
だから、嫌いで嫌いで仕方がないんだ。
僕は内心で毒づくと、椅子から腰をあげて、テーブルに両手を付き、体重をかけて皆を見下ろした。
「これで分かった? 君らが僕にどんな幻想を抱いていたかは知らないけど、僕は聖人君子とはかけ離れた人間だ。僕は自分が見たい『優しい世界』を護るために何度も命を懸けてきたんだ。君らのためなんかじゃない」
そこで鹿目さんをあえて真似するように言葉を区切る。
「だから、僕なんかにそこまで
部屋一杯に広がった僕の大声が響き渡った。
ようやく政夫の歪みっぷりが魔法少女たちに伝わりましたね。
いやー、これで彼女たちがどうするのか見ものです。
政夫を聖人君子な主人公だと思っていた方々、残念な展開ですね(まあ、そんな読者は居ないと思いますが……)
政夫って、下手をすると世界創造系のラスボスみたいな思考ですよね。やっている事が穏やかなだけで、今の現状の世界が醜くて仕方ないって彼の心の叫びは結構危険です。