日差しが
朝日がいつになく眩しいと思って、薄目を開いてそちらを見ればカーテンが開かれていて、窓から直接光が侵入していた。
何であんなに開いているんだと、中途半端な半覚醒の意識の僕にほんのりと甘い香りが
それは黒い綺麗な髪を惜しげもなく放射線状に広げて、僕の隣ですやすや寝息を立てている整った顔立ちの女の子から漂ってくる香りだった。
見滝原中指定の制服姿のまま、
昨日までの強張った表情はどこへ行ったのか、歳相応の少女らしい寝顔だった。心なしか、嬉しそうな笑顔にも見える。
昨日の夜に僕の部屋に襲来してきた暁美は家に帰らずに僕の部屋に泊まり、あろう僕のベッドで一夜を過ごした。
いや、別に変なことは一切していない。誓ってもいい。……ディープキス以上のことは何も。
暁美の告白を受け入れてから、以前の彼女からは想像もつかないほど甘えられ、仕方なく添い寝をしただけだ。そう、仕方なく!
……些細なことだと思う。多分。
それにしても、暁美は眠っている時は本当に素直な顔をしている。
「…………」
何となく頬を軽く指先で突付いてみた。
「う、ううん……」
口元から小さな寝言を漏らしただけで、起きる気配はまったくない。思った以上に柔らかな感触に僕の方がびっくりしたくらいだ。
明らかに男性の肌とは別の素材でできているとしか思えない張りのある肌に、人間の神秘を感じつつ、今度はおふざけなしで暁美を起こす。
「ほむらちゃーん。朝ですよー。起きなきゃ駄目ですよー」
肩を掴んで揺すっていると、ゆっくりとした動作で両目が開き――――何事もなかったかのようにまた閉まった。
「何で二度寝しようとするんだよ! 今、目開けてただろう! 起きろ、とっとこホム太郎! ひまわりの種を食べさてあげるから!」
さっきよりも強く揺すると、ようやく目が覚めたようでパチクリと盛大に瞬きをして僕の顔を見つめる。
次第に表情が驚愕に彩られていき、震える口元から言葉を吐き出した。
「……ゆ、夢じゃなかったの……? え、じゃあ昨日の……」
「君の激しいファーストキスも夢ではございません。現実です。あれも現実」
冷めた目で淡々と答えてあげると、頬へ急激に赤みが差して暁美は掛け布団を頭から被り、僕の視線から逃れようとする。
昨日の暁美のテンションは色々とおかしかったから、勢いでやってしまったことに対してようやく冷静になり、羞恥心が
正直、あそこまではっちゃけてしまったら、今更どうあがいたところで変わりないと思うが。
「あ、あれは……その一時の気の迷いよ! あれは普段の私ではなかったわ!」
「え? じゃあ、昨日の告白も気の」
「そこは本心からの言葉よ!!」
再び、布団の中から顔だけ浮上させ、激しく言った。何なんだ、この子は。
苦笑いをしながら、目覚まし時計を見るとまだ五時半だった。どおりでアラームも鳴り響かなかった訳だ。
「もう朝なんだし、ほむらさん家に帰った方がよくない? いくら何でも家から登校するつもりじゃないだろう?」
「そうね。シャワーも浴びてないままだから家に帰った方がいいかもしれないわ」
制服を着たままだから多分そうだとは思ったが、十四歳の少女が入浴もせず、男の家に一晩泊まるのはいかかがなものだろうか。幸い、彼女の両親はまだ東京に居て、暁美は一人暮らし状態なので、親御さんは心配していないと思うが道徳的によくない。
「というか、ほむらさん。お風呂まだだったんだ……女の子なのに汚いなー」
ちょっとからかいを混ぜて、笑って言うと、暁美は憤慨したような目で睨む。
「そこまで汚くないわよ。汗もほとんど
「いや、それはちょっと遠慮します……」
僕が少し身を引くと、さっきまでの恥じらいはどこかにやったのか暁美は掛け布団を離して、僕に詰め寄ってくる。
「変な臭いなんてしないわ」
「そういう問題じゃなくてね……」
男が女の子の身体を嗅ぐなんて色々と倫理的にまずいだろう。なぜそれが分からない。僕に変態のレッテルを貼るつもりなのか!?
じりじりと距離を詰めようとしてくる暁美から離れるために、
「っつぅ……」
「だ、大丈夫? ごめんなさい、そこまで嫌がるとは思ってなかったわ……」
頭を押さえて
別に嫌がるという訳ではなく、女の子の匂いを嗅ぐという行為が変態的だったから拒絶したのだが、それを説明するのは恥ずかしかったので止めた。
代わりに暁美に気にしないでと言って、軽く笑いかけた。
僕が彼女の告白を受け入れたことで暁美は前にも増して自分を取り繕わなくなった。あの他人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた少女はもうここには居ない。
居るのは、寂しがり屋で不器用で、そして甘えるのが下手な可愛い女の子だ。
「そうだ。ほむらさん、家に帰ったらしてきてほしいことがあるんだけど」
「してきてほしいこと?」
「うん」
暁美にそのことを話すと、彼女は少し照れながらも了承してくれた。
きっと僕の真意を勘違いしてくれているだろう。それでいい。
まどかさんと暁美の間に亀裂が入らないようにするには、暁美に落ち度がなかったことを証明しなくてはいけない。
僕が嫌われることになろうとも、暁美が友達をなくすよりは百倍マシだ。
それにしても、ニュゥべえは帰って来なかったな。いざとなれば、基本的に何でもできる彼女のことだ。心配はいらないと思うがどこで何をしているのかは気になるところだ。
着替えて父さんと共に食事を取り、歯を磨いて、いつもの待ち合わせの場所に歩いて行く。……暁美と手を繋ぎながら。
僕の家に今度はちゃんと玄関から訪ねて来てくれた暁美と一緒に待ち合わせの場所に着くと、先に来ていたまどかさん、志筑さん、美樹の三名がこちらを一斉に向く。
美樹が僕の隣に居る暁美を見て、怪訝そうに顔を歪めた。
「おはよう、政…………えっと、
「私よ。さやか」
「……え? その声って、まさか……ほむらぁ!?」
暁美は平然と何事もないかのように語るが、美樹は目を限界まで見開いて驚く。
無理もない。暁美はいつものストレートヘアを三つ編みにしており、眼鏡まで付けている。加えて、表情もいつもよりも明るく柔和だ。
僕だって一度見たから暁美だと分かるが、初めて見る人には別人のように映るだろう。
「本当に、ほむらちゃんなの?」
「……ええ。おはよう、まどか」
負い目があるせいか、暁美はまどかさんからそっと目を逸らした。
結果的にまどかさんから僕を取ってしまったことに深い罪悪感を感じているようだった。
僕は暁美の手をぎゅっと握る。
僕の方に顔を向けた彼女を安心させるように微笑んだ。
――大丈夫。仲違いなんてさせないから。
声には出さなかったが、心の底でそう囁く。
「それよりも、政夫さんはどうしてほむらさんと手を繋いで仲良く来たんですか?」
こころなしか、志筑さんは棘のある言い方で言った。暁美の変貌を驚いていないところから見て、この前のデートに手を貸していたのは彼女で間違いないようだ。
それなら、ここまで志筑さんが暁美
だから、あれだけ手酷く暁美を振った僕が、こうやってまた暁美と仲良さそうにしているのがあまりにも身勝手に見えてしまうようだった。
「それはもちろん、ほむらさんと付き合い始めたからだよ」
三人とも程度の差はあるが、皆驚いた顔を浮かべた。
「ほ、本気で言ってるの? 何で?」
美樹が震える声で僕に尋ねる。まどかさんを横目で一瞥してから、再度僕の顔を見る美樹は言外に「何でまどかじゃないの?」と言っているように思えた。
それに僕はやや軽薄にも見えるように頬を緩ませて、暁美を引き寄せて言った。
「ほら前にも話したよね。僕の理想のタイプの女の子って、三つ編みで眼鏡の似合う女の子だってこと。今のほむらさんの見た目がまさにそれ! 前にデートした時に一度見たんだけど、この格好のほむらさんが本当に僕好みで可愛くてさぁ、それを思い出して、この前は断っちゃったけどやっぱり付き合ってもらえないかってお願いしたんだ」
まずは交際を申し込んだのが、暁美ではなく僕の方からということにする。
理由としては少し弱いかもしれないが、満更嘘と言う訳でもないし、前から皆知っていた理由ならある程度は道理が通っている。
もっとも、こんな理由で女の子を振ったり、寄りを戻したりする男は最低だが。
そして、デートのことを知っているだろう志筑さんなら、ここまで言えば確実に『デートの件』について僕を声高に糾弾するはずだ。
「最低ですね、政夫さん。前にほむらさんを
予想通りにその話をしてくれる志筑さんに内心で感謝しつつ、僕は黙って口を
僕が直接何かを話すより、第三者から最低な烙印を押してもらった方が『暁美は悪くなかった』という雰囲気を作りやすい。
後は志筑さんに暁美を擁護するようにさせつつ、全ての泥を僕が被れば、まどかさんと暁美の友情に
「政夫さんがそんな軽薄な殿方だったとは思いませんでした。私、あなたを心底軽蔑致します!」
「仕方ないだろう。見た目が好みなら飛びつくのが男だよ。美樹さんはどう思う?」
蔑みの目を受け止めながら、美樹にも話を振る。
美樹の想い人だった上条君も暁美に一目惚れしていたことを考慮すれば、恐らく美樹は僕の意見に肯定し、そして性格上志筑さんに同調して僕を責めるはず。
「政夫……ほんとにそんな理由でまどかよりもほむらを選んだの?」
しかし、美樹は怒りではなく、真面目な表情で僕に尋ねてきた。
意外な反応に思えたが、彼女も彼女できっと成長しているのだ。いつまでも周囲に考えなしに義憤を振りかざしがち美樹は、冷静に物事を見つめられるようになっていた。
嬉しい反面、少しだけやりづらさを感じた。
「そうだよ」
「嘘だよ。私には……ううん、私
「何でそう言い切れるの?」
そう切り返すと、美樹は僅かに押し黙り、答えた。
「政夫は見た目とかじゃなく、ちゃんと中身を見てくれる奴だから。私はそれを知ってる」
断言するような物言いに僕は美樹への尊敬と、込み上げてくる嬉しさを感じた。
出会った時よりも、ずっと強く、賢く、しなやかに成長した美樹がとても美しく見える。
「だったら、僕が意外と頑固だってことも知ってるよね。例え君の言ってることが正解だったとしても、僕がほむらさんを選んだ事実は変わらない」
それに敬意を表して、嘘ではない正直な言葉で美樹にそう返した。
すると、美樹は諦めたような寂しげな顔でまどかさんに目を向ける。
それは自分ではどうしようもないから、まどかさんに後を任せるような視線だった。
「……政夫くんは、ほむらちゃんの事が好きなの?」
今まで何も言わずにじっと黙っていたまどかさんが、美樹の無言のバトンに応えるかのように口を開いた。
他意のない、純粋に僕の本心を聞いてくるような声。千の罵倒よりも僕の心を抉ってくる。
その声を受けて、たじろがずに真正面から、言葉を返した。
「好きだよ。傍に居て、支えてあげたいと心から思ってる」
「そっか……。なら仕方ないね」
何かを堪えるように下を向き、すぐに顔を上げたまどかさんは笑顔を浮かべた。
まどかさんは僕ではなく、暁美に視線を移す。
「ほむらちゃん!」
「……何かしら?」
暁美はその真っ直ぐな視線から逃げそうなるのを耐えて、まどかさんの目を見返す。
「政夫くんをよろしくね」
見えない手が暁美の顔を下げされるように俯きそうになる暁美は搾り出すような声音で答えた。
「……ええ。任せて」
そのやり取りの後、僕らは肩を並べて見滝原中学校に登校した。
まどかさんの笑顔が酷く痛々しく見えて、僕はその間、何度も彼女から目を逸らしてしまいそうになった。
本当にこれでよかったのかと、頭のどこかで問いかける自分を無視して、僕も笑顔を浮かべる。
こんなにも辛い思いをする笑顔は久しぶりだった。
今回は大きな転機はありませんでした。あるとすれば次回です。
まどかの役目は辛いですね……。作品タイトルだというのにこの扱いは酷いです!
次回は早めに更新できる気がします。