まあ、あそこで終わるもの先延ばしすぎかなと思った次第です。
前の話を見ていない人はそちらから読まないと話が分からなくなります。気を付けて下さい。
早く。一刻も早く、彼女を助けなくては!
両手で水を掻き分け、足をひれの様に動かして水底の暁美へと近付く。
急いでいたせいで脱ぎ忘れた学ランを水中で脱いで、少しでも抵抗をなくして下へと潜り続ける。
急激な気圧変化で耳が痛くなるが、そんなことはどうでもいい。
傍によると暁美が口や鼻からは気泡の一つもなく、呼吸が完全に止まっていることが見て取れた。
――暁美!!
近付いて、彼女に張り付く水晶球を掴むが、まるでびくともしない。よく観察すれば、服越しから皮膚に抉りこむように密着している。
これは僕には引き剥がすことは不可能だ。僕には。
『ニュゥべえ……
隣に浮いているニュゥべえの瞳を見て、尋ねた。
『任せて、政夫』
頼もしい返事と共にニュゥべえは一瞬で白髪のツインテールの女の子に姿を変える。
首に巻きついていたオレンジのハンカチは少女然としたファンシーな衣装へと形を変化させた。
人間態、いや、魔法少女態になったニュゥべえは暁美に張り付く水晶球に触れると、目を閉じた。
『なるほど。これが織莉子の魔法か。うん、大丈夫。魔力の構成パターンは把握したよ』
その言葉と共にニュゥべえが触れた水晶球が粒子状の光に分解されて、ニュゥべえに吸い込まれていくように削られていった。
僕はその光景を見て、改めてニュゥべえの恐ろしさを実感した。
今のニュゥべえには感情エネルギーを魔力に変換する事はもちろん、逆に魔力を感情エネルギーに戻すことも可能なのだ。
そして、分解できるということは当然ながら、再構築も可能ということ。
恐らく、魔法少女にできることならば、何でもニュゥべえにはできる。
『政夫。織莉子の水晶球は全て消したよ』
そのニュゥべえの言葉を聞き、僕は暁美の肩を掴んで再び、浮上していく。
誰かを抱えて泳ぐ時は、抱えられている方が混乱して暴れるために非常に危険だが、今の暁美は意識がないのでそこだけは助かっていた。
もっともだからこそ、余計に不安を煽っているのだが。
比較的に僕が水泳が得意でよかったと心から思った。前の中学で性格の悪い体育教師に潜水で二十五メートル泳がされた経験が今まさに活きていた。
ニュゥべえも後ろから押して泳いでくれたおかげもあり、すぐに水面に出ることができた。
酸素が鼻から入ってくるこの感覚がここまでありがたいと思うのは久しぶりだった。
ニュゥべえは水面が近付くと元のマスコットの姿に戻っていた。僕が前に皆には隠しておいてと言ったことを忠実に守ってくれているのだろう。
川原に上がり、暁美を砂利の上に寝かせようとした時にニュゥべえが心の中で声をかけた。
『政夫、これ』
見れば、ニュゥべえは水中で脱ぎ捨てた学ランを咥えて引きずっていた。
人型だった時に川の中から持ってきてくれたのだろう。
「ありがとう。ニュゥべえ」
僕は感謝の言葉を述べて、ニュゥべえから学ランを受け取ると砂利の上に敷いて、その上に暁美を寝かせた。
口元に手をやるとやはり呼吸は止まっていたが、胸元に耳を押し付けて聞くと心音も微弱にながら聞こえてきた。
良かった。心臓はまだ止まっていない。
涙が出そうになるほど安堵したが、呼吸をしていないということは脳に酸素が行っていないということだ。
早く回復しないと、脳や身体に障害残る危険性がある。
早急に心臓マッサージが必要だ。
胸の真ん中に手の付け根を置き両手を重ねて、肘を真っ直ぐ伸ばし、三十回ほど継続出来る範囲で強く圧迫を繰り返す。
人工呼吸は気休め程度にしかならないと聞いたことがあったが、今は気休めでもよかった。
暁美の鼻を押さえ胸部がふくらむよう息を約一秒ほど吹き込む。
そして、また三十回心臓マッサージを繰り返す。
今日ほど、保健体育の授業を真面目に聞いておいてよかったと思うことはない。体育で筆記試験なんて馬鹿らしいと言っていた奴らはこういう事態を想定していないのだろうか。
手が疲れてきても、休まずに心臓マッサージの手は弛めない。
頬に張り付いた髪から水滴が流れ落ちてくるのが不快に感じたが、今は余計なことなどしている暇がない。
心臓マッサージと人工呼吸を三十対二の割合で数十セットほど繰り返していると、暁美がゴホゴホと咳き込み始め、口から川の水を吐き出した。
身体を横にして、水を吐き出させやすくしてやると、暁美は僕に気付き、名前を呼んだ。
「ま、さお……?」
「ああ……政夫だよ。大丈夫? 意識ははっきりしてきた?」
背中を擦りながら、ゆっくり一言一言聞くと暁美は弱々しくもこくりと小さく頷いた。
「苦しくはない? 痛いところとかは?」
「大丈夫よ……魔法少女はそんなに
「柔かどうかなんてどうでもいいんだよ。彼氏が彼女を心配するのは当然だろう?」
水底ですっかり冷えてしまった暁美の手を握り締める。
この温もりが消えてなくならなかったことに心から安心している僕が居た。
同情でも、憐憫でもなく、ただ純粋に暁美の無事が嬉しかった。
ニュゥべえは僕の足元で、そんな僕を無言で眺めている。
「随分と嬉しい事言うのね。まだ夢の中に居るのかしら?」
「現実だよ。否が応でもね」
どこにも異常がないかを再三聞いて、ソウルジェムにも変わったことがないかを確認した後、僕は織莉子姉さんと呉先輩が居る場所を見る。
ふつふつと湧き上がってくる怒りを胸に織莉子姉さんに文句が口から噴出した。
「貴女は自分が何をやったのかを理解しているんですか!?」
織莉子姉さんは何も言わずにうな垂れてこちらを見つめるばかりで、何も言おうとしない。
代わりに傷だらけの呉先輩が喋り始めた。
「政夫。織莉子のやった事を許してあげてくれないか?」
「できません。呉先輩には今回のことで大変ご迷惑をかけてしまいましたが、それとこれとは話が別です」
それだけ、見た目が傷付いているということは織莉子姉さんとの激しい戦闘があったのだろう。
僕のために傷付きながらも戦ってくれたことについてはとても感謝している。
けれど、今回の織莉子姉さんの行動はそれを差し引いても許せるものではなかった。
織莉子姉さんは、暁美を殺そうとした。
比喩でも冗談でもなく、命を奪おうとしたのだ。
「呉先輩に喋らせていないで、自分の口から聞かせてください。織莉子姉さん、なぜこんなことをしたんですか?」
「政夫……織莉子は」
「『おねえちゃん』!!」
昔の呼び方で織莉子姉さんを呼んだ。
呉先輩の隣に立っていた織莉子姉さんが、ビクッと弾かれたように顔を上げて僕を見た。
その顔は涙に濡れていて、何があったのだろうかと一瞬心配しそうになるが、それを振り払いに怒りを持続させる。
「答えて、おねえちゃん。何でほむらさんを殺そうとなんてしたの?」
敬語を止めて、静かな口調で再び問う。
呉先輩ではなく、織莉子姉さんと話しているんだと教えるために昔の呼び方であえて使った。
「……暁美さんがどうしても許せなかったから」
織莉子姉さんらしくない、覇気のない声に僕は耳を傾けた。
後ろでは横になっていた暁美がよろよろと起き上がって来ようとしているので、顔をそちらに向けずに手を貸した。
水から上がったせいで気圧がまだ慣れておらず、三半規管の調子がおかしいようで僕に寄り掛かるようにして立つと彼女も織莉子姉さんを見つめた。
「それは、私が……まどかと政夫の間に割って入ったから、かしら」
「ええ。そのせいでまー君はまた他人を優先して、自分の幸せを諦めた」
暁美に返答した織莉子姉さんは複雑な表情でこちらを睨んだ。
確かに僕はまどかさんへの想いを捨てて、暁美の恋人になった。
だが、僕は暁美のことを完全に同情だけで選んだ訳でもない。
「もう一つ。もう一つだけほむらさんを選んだ理由を思い出したよ」
二人の会話を遮るように僕がそう言い出す。
織莉子姉さんも暁美も、呉先輩さえも唐突な台詞に不思議そうな顔をした。
構わずにそのまま続けて話し出した。
「ほむらさんは大切な友達のまどかさんまで押し退けて、僕を好きだと言ってくれた。誰よりも好きだと。だから、僕は彼女を選んだんだよ」
寄り掛かる暁美の腰に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。
「ふわぁっ」と暁美の口から出るには珍しい言葉を聞きながら、僕は宣言するように力強く言った。
「彼女が今までずっとまどかさんのことだけ考えていたほむらさんが、まどかさんよりも僕を選んでくれた。これほど冥利に尽きることがある?」
横目で暁美を見ると、ほんのり頬を朱色に染めて、そっぽを向いた。
酸素が供給されて、血行の流れがよくなっている。取りあえずは本当にどこにも問題はないようだ。
「それは友達よりも、男を優先する最低な女である証ではないの?」
「そうかもしれない。でも、僕は彼女がまどかさんよりも僕を選んでくれたことが嬉しいと感じたんだ。それだけ真摯に求められたら応えない方が失礼ってものだろう?」
自分勝手な意見かもしれないが、それだけ僕を必要としてくれている暁美に応えてあげたいと思った。
自分を必要としてくれる人を嫌いにはなれない。それだけ、本気ならなおさらだ。
だが、僕の言い分に納得できない織莉子姉さんは反論する。
「たとえ、まー君がそう思っていても、暁美さんはまー君を不幸にするわ! なぜなら彼女は自分の事しか考えられないもの!」
「だったら、僕は不幸でいい」
「なっ!!」
開き直ったような発言に織莉子姉さんはうろたえて目を見開く。
その隣に居る呉先輩も、僕に寄り掛かる暁美も驚いた顔をしている。
何だ、その表情は。僕はそこまでおかしなこと言っているつもりはないぞ?
「自分で選んで納得した不幸なら、降って湧いたような幸福よりもよっぽど上等だよ。一緒に居たい女の子くらい自分で選ぶさ」
平然とそう断言する。
そして、最後にこう付け足す。
「文句があるなら僕に言え! 気に入らないなら僕に矛先を向けろ! だから、――僕の彼女に手を出すなっ!!」
織莉子姉さんの瞳の奥まで睨みつけながら、そう大きく叫んだ。
織莉子姉さんは諦めたように言葉を返した。
「分かったわ……」
それ以上僕には何も言わずに暁美に謝罪の言葉を述べた。
流石にここまでされた暁美はそう簡単に許さないだろうと思っていたが、思いの外あっさりとそれを許した。
正直に言うと、まどかさんや美樹のこともあるために殺人未遂についてはあっさりと許して欲しくはなかったが、原因が僕にある以上あまり強く出られずに言葉を飲み込んだ。
川原からの帰り際に暁美が僕にそっと囁くように言った。
「織莉子の言う事も間違っていなかったわ。私は自分の事しか頭になかった」
「最初は誰しもそんなものだよ。そうそう他人のことまで気が回らないよ」
慰めにそう言って笑うが、僕が言っても説得力に欠けると自分でも思った。
しかし、暁美はその台詞を冗句として捉えたようでくすりと小さく笑う。
そして、表情を固めて僕に言った。
「今度からは私はもっと政夫に何かしてあげられるように頑張るわ」
その真人間のような言葉に僕はちょっと感動した。
最初にあった頃は平然と銃を付き付けて来るようなイカレポンチだった暁美が、ここまで更生するとは誰に予想がついただろう?
よくぞ成長してくれたと盛大に褒めてあげたい。
「その言葉だけで十分だよ。ほら、いつまでも濡れたままだと風邪引いちゃうからさっさと帰ろうよ」
身体に張り付く水滴と寒さのせいにして、照れた気持ちを誤魔化した。
そういうに思ってくれるだけで十分すぎるほど嬉しかった。
僕の傍に居たニュゥべえはふるふると身体を震わせて、水滴と飛ばす。
「ニュゥべえもお疲れ様。今回は助かったよ」
「どうしたしまして。なら、今日は
耳から生えた
織莉子にはきついかもしれないけど、やった事を考えると政夫の言い方も妥当な気がします。
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