僕は誰よりも暁美を大事にしたいと思っている。何に変えても彼女を第一に考えて生きていき、彼女を幸せにしてあげたいと心から感じる。
もちろん、僕自身だって暁美を居ることで幸せになるつもりだ。
何だかんだで、彼女ほど放っておけない女の子も居ないし、一緒に居たからか、彼女の良い所もたくさん知っている。
人付き合いが下手だけど、他人に思いやりがない訳ではない。感情を表情に出すのが苦手なところがあるが、よく観察すればむしろ感情豊かな人間だと分かる。
恥ずかしがり屋だが、時々思いもよらないほど大胆なことをする。
嫌いじゃない……というか今では結構好きだ。
たとえ、織莉子姉さんが何と言おうとも、僕は暁美の味方であり続ける。
「政夫、私は明日見滝原市の自衛隊駐屯地に押し入って、武器を取りに行くわ」
「よっし! 別れようか」
昨日の夜から、付き合い始めた恋人に僕は笑顔でそう言った。
自分でも意外なほど、明るく元気なトーンだった。心には爽やかな一陣の風が吹いているようだ。
あれほど暁美に対して思っていた感情が一気に氷点下まで下がっていくのが分かる。
何で僕はこんな奴と付き合っているのだろうか。光の速さで後悔が駆け抜ける。
「……待ちなさい。これには理由があるの」
「どんな理由があった自衛隊へのテロ行為が許されるんだよ!」
テーブルを丸めた拳でどんと叩き付けた。
川に飛び込んで暁美を助けたあの後、家に帰りシャワーを浴びて着替えてから、僕は暁美の家に来ていた。
一応、あの場で確認してものの、時間を置いて身体に何らかの異常が出てないか心配だったからだ。
背景で巨大な振り子が踊る、実にイカれたコーディネイトのされた部屋で、僕は丸いテーブルを中心に輪になるように置かれたソファに座り、暁美の言動に頭を抱える。
どう考えてもおかしいだろう。何で「明日のデートコースを決めました」みたいなテンションでテロ予告をするんだ、こいつは。
犯罪者か? ……そういえば犯罪者だった。
一時間に織莉子姉さん相手にあれだけの
織莉子姉さん、僕が間違ってました……。政夫ははとんでもない地雷女に引っ掛かってしまいました。
こいつは地雷の中の地雷、クレイモア地雷女です……。
暁美と付き合い始めたことを内心で後悔しながら、改めて聞く。
「で、それは本気で言ってるんだよね? 弾丸が一発足りなくなっただけで総出で一晩中探すような自衛隊の皆さんから、日本国民が汗水垂らして払った血税で作られた武器を盗んでくると――君はそう言ってるんだよね?」
あえて嫌味を踏まえて言うと、暁美は眉の端を下げて表情を渋くする。
眼鏡を外し、三つ編みを止めて、いつも通りのストレートロングヘアになっていた。服装は白いブラウスと膝丈くらいの薄紫色のスカートだ。
「そこまで悪意を込めて言う事ないじゃないない……。私だって好き好んでこんな事する訳ないのよ」
「だからって、自衛隊にテロテロしちゃうの?」
「『テロテロ』って……」
ちょっとでも可愛く言って、やろうとしていることを穏やかにしたつもりだったが、暁美は呆れている。
僕はお前のやろうとしていることに呆れているけどな。
責めるような視線を返すと、暁美は髪をファサッと盛大にかき上げて誤魔化した。
「それはともかく、必要なのよ……『ワルプルギスの夜』と戦うにはね」
それを言われると僕も何も言えない。
顔も知らない自衛官より、自分の命の心配をしなくてはいけないのは当然と言えば当然だ。
手の届かない人の不幸よりも明日の我が身か。自分の手の届く範囲外のことは気にする方が無駄かもしれない。
それに……。
暁美の顔をじっと見つめる。怪訝そうに首を傾げる暁美がちょっと可愛かった。
「仕方ないか。まあ、知らない自衛隊の人たちよりも、ほむらさんたちの方が今の僕には大切だしね」
「政夫……!」
パッと明かりが点いたように輝く笑顔を見せる暁美。
この子はこういう甘い言葉に
自分を肯定してもらえるのが途方もなく嬉しいのだろう。境遇故に酷く歪んでしまった彼女の感性が僕の目には切なく映った。
「でも、最低限罪悪感くらいは持とうね」
「そ、そうね」
暁美は目を背けて相槌を打つが、本当に分かってくれているかは
そもそも法の精神が存在しているのかどうかすら怪しい。ぜひともモンテスキュー先生に謝って欲しいところだ。
しかしながら、もう僕の中で暁美の存在は大きなものになっていた。今更、この程度のことで嫌いになれそうもない。
仮に今この場で暁美に殺されたとしても、こいつを嫌いになれる自信がなかった。
なぜここまでこの迷惑を掛けられていても嫌いになれないのだろうか?
疑問を解消すべく、目の前に居る暁美を眺めて回してみる。
すると、その視線をくすぐったそうにして暁美は耳に掛かった髪をいつもよりも大人しく弄り出す。どうやら恥らっているようだった。
不安な時や照れている時は暁美は髪に触る癖があった。自分の感情を抑える一種の精神安定のようなものだ。
しばらく、
無言のままで髪を指で絡ませて視線を逸らす暁美は次第に頬を朱に染めていく。
そして、ふっと僕の脳裏に一筋の光明が差し込む。
――そうか。そういうことだったのか。
僕が暁美を嫌いになれない理由は……。
「ナイチンゲール症候群だ」
「え?」
突然の僕の言動に暁美は髪から指を離して、
そんな暁美に僕は人差し指をピンと真っ直ぐに立てて説明を始める。
「こんなにも僕がほむらさんを好きでいる理由だよ。看護提供者が患者に対して、基本的なケア以上の関係がないにもかかわらず、恋愛感情を抱いてしまう状況のことだね」
ナイチンゲール症候群とは、端的に言えば献身的に自分が尽くしている相手のことを必要以上に信頼や愛情を感じるようになることをいう。
この効果は、十九世紀後半の看護先駆者フローレンス・ナイチンゲールに因んで名付けられた。
ナイチンゲールさんの名誉のために付け加えると、ナイチンゲールが患者に対して恋に落ちたという記録は全くない。実際、複数の求婚者が居たにもかかわらず、看護学の探求の妨げになると恐れ、結婚をすることは無かったそうだ。
「前から不思議に思ってたんだ。何でこんなにも僕はほむらさんのこと嫌いになれないんだろうって」
「……それは私の内面や隠れた人間性に惹かれたとかでは」
「それは本気で言ってるの?」
おずおずと切り出して来た暁美に真顔で突っ込む。
それだけはない。客観的に暁美に対する僕の印象は最悪とまではいかないが、かなり悪い。
確かにある程度、見直した部分はあったが、そのどれもが僕に好意を持たせるほどのものではなかった。せいぜい、マイナス分がゼロになるのがやっとだ。
「思い出しても見てよ、君が僕にしてきたアプローチを。夜に家に来て、押し倒して唇を奪うなんて軽い性的暴行ものだよ?」
「性的暴行って……」
ショックを受けたように声を上擦らせるが、あの行為に対する私的な意見は変わらない。
むしろ、客観的に思い返せば普通に犯罪的行為以外の何物でもない。
「だって、第三者視点で見れば、ほむらさん相当嫌な女だし」
「た、確かに私のやり方は正しくはなかったわ! そこは認める。でも、そこまで酷かったかしら?」
慌てたように弁明する暁美を見ながら、再度頭の中で昨晩の出来事を
夜更けに男の家に侵入し、その男が自分の友達と相思相愛だったことを知った上で押し倒し、あまつさえ無理やり舌まで入れて
驚くほど自分勝手で道理に反する行いだ。僕が第三者だったなら、間違いなく暁美を批判する側に立っていただろう。
「うん。やっぱりほむらさんの行いは改めて考えると酷いね。我ながら、よくあれで彼氏になったなと思うよ」
「政夫は私の事、好きなのよね!? 愛しているのよね!?」
若干、暁美への愛が揺らいできた僕を、正面から移動して隣に来た暁美がシャツを掴んで揺する。
うーん。魔法少女関連でここまで暁美と行動を共にして、理由や過去を知って同情しなかったら間違いなく好きにはならなかった気がする……。
流石に今更、別れる気は毛頭ないが。
「もちろん、ほむらさんのことは愛してるよ」
「そう。よかった」
ほっと一息吐いて、僕のシャツから手を離した暁美に、続けて言葉を付け足す。
「でも、ほむらさんは客観的に見て、間違いなく酷い女の子だと思う」
「そんなに酷い……?」
「酷いよ。『
「政夫、貴方実は私の事嫌いでしょう!?」
暁美は半分泣きそうな顔でそう叫んで僕の胸板を両手でぽかぽかと叩いてくる。
少々、虐めすぎたようだ。二人きりで居る時は暁美はたびたび感情を露にするのでついつい、からかい過ぎてしまう。
僕は苦笑いを浮かべて、暁美のその言葉に対して首を大きく横に振って否定した。
「このくらいで嫌いになれないから困ってるんだよ」
汚かろうと好きだ。
凶悪であろうとも愛してる。
最低だろうと手放したくない。
悪魔であろうとも一緒に居たい。
イカれてようが僕の彼女だ。
僕を叩く暁美の手首をそっと握り、困ったような笑顔を浮かべた。
「好きになった経緯が心理操作でも、どれだけ嫌なところ
涙で縁取られた紫の瞳が驚いたように広がって、僕の顔を映し出す。
その自分の表情は予想以上に幸せな顔をしていた。
改めて感じる。僕は暁美……いや、ほむらが心から好きなのだということを。
たとえ、過去に戻って昨日からやり直せるとしても、何度だって彼女を選ぶだろう。
本当にどうしてこんなにも女の子の趣味が悪くなってしまったのか見当も付かない。
「政夫……」
僕の名を呼ぶ『D4Cな彼女』の口を自分の唇で塞いだ。
女の子にしかない、特有の甘い吐息が口内に入り込んでくる。
お互いに目を瞑ると、示し合わせたかのように柔らかい舌先が巡り会う。
昨夜の時とは違って激しいものではなく、お互いの形を確かめ合うような揺るやかなものだった。
唾液と唾液が混ざり合い、循環するように流れ出すその行為は生命の営みを感じさせた。
ほむらが女であること。僕が男であること。そして、どこか深いところで求め合っていることを強く理解した。
時の流れさえも止まったような長い長いキスの後、僕はほむらから顔を離す。
舌と舌を結ぶ透明な唾液の糸がぷつりと途切れた。
「ねえ。覚えてる? 僕と君があのショッピングモールで出会った時のこと」
「……忘れはしないわ。あの時に政夫を強く記憶に刻み込んだのだから」
僕を見つめるほむらは上気した頬と潤んだ瞳が十四歳とは思えないほどの色気を放っていた。
人形のように整った美貌に、人形では表せない生命の輝きを放つ彼女に身体の中の芯が熱くさせられる。
「『君と出会ったのは運命』だって、僕はそう言った。あの時は口から出任せだったけど、今は違う。君に出会えたことを心の底から運命だと信じてる」
「私もよ、政夫」
両腕を背中に回して、ほむらを抱きしめる。彼女もそれにあわせて僕の首に手を回した。
服越しから伝わる体温を心臓の鼓動を噛み締める。
身体に染み込むその温かさが心へじんわりと収束していく。
きっと、これが――『愛』というものなのだろう。
今回はいちゃいちゃ回でした。それと政夫が内心でほむらを名前呼びするイベントでもあります。
あと、政夫自体はほむらの事好きだと思ってないのではという意見があったのでこの話を書きました。
何だかんだ文句や皮肉は言いますが、政夫はほむらの事を気にいってます。
織莉子によって、ほむらが死に掛けたからこそ、改めてほむらの存在を体感でしょう。
何が言いたいかと言うと、「織莉子さんのおかげ」という事です。
残り八話くらいで終わらせる予定なので皆さん、もう少しお付き合いを。