魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第百九話 メーデーの朝

「政夫。あれが最悪の魔女とも呼ばれているワルプルギスの夜だよ」

 

 マスコットの姿から、魔法少女の姿になったニュゥべえが虚空を指差し、物憂げな顔でそう僕に告げた。

 隣に居る僕はニュゥべえにこう答える。

 

「ごめん、ニュゥべえ……僕には見えないんだけど」

 

 ニュゥべえが指し示す方向には暗雲が渦巻いているようにしか見えず、魔女らしき物体の姿は確認できない。

 緊迫した状況とそれを語るニュゥべえだが、生憎と僕には彼女と同じものを観測できていないので温度差が生じてしまう。端的に例えるなら、コントのワンシーンのようだった。

 

 

 街路樹を揺らすほどの強風が街中に吹き荒れる中、避難所から出てきた僕はとあるビルの屋上に来ていた。

 ここはかつて巴さんが羽の生えたナメクジのような魔女が結界を張っていた場所であり、ニュゥべえが魔法少女になった場所でもある、僕らに縁のあるビル。

 そこで僕とニュゥべえは空を見上げていたのだが、僕にはワルプルギスが視認できず、盛り上がっていたニュゥべえに水を差す形になってしまった。

 僕の困惑した様子を見て、ニュゥべえは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「そ、そういえば政夫は普通の人間だったね。いつも平然と魔法少女の出来事に介入して解決していたからすっかり忘れていたよ。……それじゃあ、少しだけ目を瞑ってて」

 

「いいけど何をするつもり? まさかとは思うけどキスとかじゃないよね?」

 

 目を瞑るように言うニュゥべえに、僕はそんな冗談を口にしながら言うとおりに従う。

 

「……その、してもいいのかい?」

 

「いや、ほむらさんに殺されちゃうんで簡便してください」

 

 期待した声音が耳朶(じだ)に響いたが、流石に遠慮しておいた。ふざけている暇はないし、何より僕はこう見えて一途な男だからだ。

 

「……そうかい。まあ、それは置いといて」

 

 目蓋(まぶた)に何かが押し付けれた感触がした。大きさと形から言って、恐らくはニュゥべえの手のひらだろう。

 密着した手のひらから、目蓋に、そしてその下の眼球に何か熱のようなものが送り込まれてくるような錯覚がする。時間にすると十秒くらいだ。

 手のひらが離された後にニュゥべえの声が聞こえた。

 

「もういいよ。目を開けて」

 

「うん。……なっ、これ!」

 

 

 言葉に従い、目を開くと空に巨大なドレスのようなものを着た逆さまの物体が映った。ドレスのようなもの(すそ)からはこれまた巨大な歯車が見えている。

 

「あれがワルプルギスの夜だよ」

 

 ほむらから前に話で聞かされていたが実際にこの目で見るとやはり壮観だった。今まで見てきた魔女よりも明らかに巨大で、比較的姿が『魔女』らしい。

 

「なるほどね。あれはすごい。ほむらさんが不安になる訳だ」

 

 やはり命を懸けても『ここ』に来ておいて正解だった。今まで計画していた『あれ』を使うために。

 

『夕田政夫。こんな場所に来たりしてどういうつもりだい?』

 

 屋上の隅から頭に響くような不自然な声と共にゆっくりと現れたのは旧べえこと魔法少女のマスコット、インキュベーター。

 その不快で可愛げのない無表情には「何の特別な力も持たないお前が何をするつもりだ」という嘲りが含まれているのように僕の目には映った。

 

「君に会いに来たんだよ、旧べえ」

 

『ボクに? 一体何の用だい?』

 

 笑顔で応対しつつ、横目でニュゥべえを見やる。ニュゥべえは僕に黙ってこくりと頷く。

 準備は万端という様子だ。三日も時間を掛けていたことが功を奏したのだろう。ならば、僕らも始めよう。

 最も重要な――前哨戦を。

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 

『皆! 今すぐ、ワルプルギスの夜の周囲から退避して!!』

 

 比較的近くに居た織莉子が肉声ではなく、脳にテレパシーとして入ってきた。唐突過ぎる内容だが、私には分かった。

 織莉子はワルプルギスの夜が反撃を始めた未来を予知したのだ。

 それを理解した私は、構えていたRPGを担いで、織莉子に続き、皆に退避を伝えながら私自身も動こうとした。

 しかし、次の瞬間、私の足元はアスファルトの大地ではなく、暗雲の渦巻く空だった。

 ただ一際大きな暴風が吹き荒れたかと思ったら、周囲の風景ががらりと変わっていた。そう表現するしかないほどあまりにもあっけない出来事だった。

 自分の身体が舞い上げられていたと気付いた時には、瓦礫の海と化した地面に叩き落された後だった。

 

「……――ぐぅっ!?」

 

 咄嗟に魔力で全身で覆い落下の衝撃を少しでも和らげようとしたが、それでも殺しきれない衝撃が私の内臓を襲う。痛みが電流のように脳髄に流れ込む。

 痛みをシャットアウトしたい衝動に駆られたが、身体のどこにどのくらいのダメージを受けたか確認していない内にはそれはできない。

 口元から漏れ出した血のせいで(むせ)ながら私はどうにか立ち上がる。少なくとも立ち上がる事が不可能なほどではないようだ。

 

「そ、そうだ。み、皆は……?」

 

 私の周囲でマスケット銃で弾丸を撃ち出していたマミや水晶球で未来を視ながらオペレートしていた織莉子。それから、直接近距離武器で応戦していたさやかとキリカ。少し後ろの方で使い魔でワルプルギスの夜を撹乱していた魅月ショウと彼を護衛していた杏子。

 彼女たちの安否を知るために周囲を見回すが、目に付く範囲には誰も居ない。

 皆今の一撃で吹き飛ばされてしまったのだろうか。中距離に居たマミや織莉子は私と同程度のダメージで済んだかもしれないが、近距離に居たさやかたちは無事では済まない。

 

『皆、無事!? もしも意識があるなら返事をして!!』

 

 テレパシーを飛ばすが誰も反応してくれない。強烈な不安が脳裏を()ぎる。

 何故こうなるの……? 私たちはほんの少し前まで優勢だったはずなのに……。

 己の使い魔の思いがけない裏切りに撹乱され、その隙間を縫うように私とマミが銃で狙撃していた。そして、織莉子が未来視でワルプルギスの夜の動きを読み切り皆にそれを伝えて、離れた魅月ショウは杏子を通して使い魔を援護させ、さやかとキリカが剣とカギ爪で直接攻撃していく。

 皆が皆がそれぞれの役目をこなし、ワルプルギスの夜にダメージを与えていたはずだった。少なくとも、私が今まで時間軸での交戦よりも遥かにうまくやれていたという確信があった。

 それなのに……たった一撃で見事にひっくり返された。前回のワルプルギスの夜以上だ。

 

『……暁、美さん』

 

 (かす)れたような思念が私に届く。この声は織莉子だ。

 私はその声に希望を抱いた。

 

『織莉子? 無事なの!? マミはまだ傍に……?』

 

『上から……ビル……そこから逃げ、て』

 

 私は言葉をすぐにその意味を理解し、上空のワルプルギスの夜を確認して反対方向に全力で走り出す。数十秒後に私が居たその場所に折れたビルが突き刺さる。

 織莉子が伝えてくれていなかったら間違いなく直撃してただろう。

 

『ありがとう。助かったわ。それで、そちらの状況はどうなってるの?』

 

 お礼を言うが向こうからの反応はもう既になくなっていた。念話ももう通じていない。

 

『織莉子!? 返事をして!!』

 

 叫ぶように思念を送るが伝わってくるのものは何もない。

 愕然とした気持ちにさせられたその時、私の傍に人影が舞い降りてきた。

 

「無事だった……?」

 

 メンバーの内の誰かだと思い、振り返って見ると、そこに居たのはワルプルギスの夜の使い魔だった。

 魅月ショウが支配し、操っているはずの使い魔。それが何故私の前に降り立ったのか。

 その疑問は使い魔のステッキのような武器を私に向けた瞬間氷解した。

 

『キャハハハハッ』

 

 使い魔が支配から解き放たれたのだ。恐らく、魅月ショウの身に何かあって。

 使い魔のステッキから黒い魔力が(ほとばし)る。

 私は応対しようとするが持っていたRPGは既に手元にはなかった。吹き飛ばされた時か、地面に落下した時に無意識に手放してしまったようだ。

 

「くっ……なら」

 

 時間を止めようと手の首に付いた楯を弄るも、楯の中の砂時計は全て落ち切っていた。

 

「そんな……」

 

 言葉をこぼすのと同時に黒い魔力に吹き飛ばされ、私は地面を無様に転がった。

 直撃したせいでただでさえ、ダメージを負っていた内臓に更なる負荷がかかり、酸素と共に血液が口から漏れ出す。

 意識すら揺らされた私は瓦礫の海へと頭から突っ込んでいった。ガラスの破片や鉄の棒が手足に突き刺さる。

 仲間とは連絡も取れず生死すら確認できない。ワルプルギスの夜どころか、その使い魔さえも解き放たれてしまった。事態は最悪だ。

 しかし、時を止める力すら残っていない私には希望が潰えていた。

 痛みよりも絶望が脳を染め上げていく

 ――これだけ頑張ったのに無駄だったの?

 無力感と絶望感がない交ぜになった感情が胸の内で膨らむ。気が付けば私は涙を流していた。

 

「ごめん、まどか。ごめん、政夫。……私は今回も――」

 

 手の甲に嵌められたひし形のソウルジェムが静かに端から黒く濁っていく。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ねえ、旧べえ。おかしいとは思わなかった? 君らインキュベーターにとってこの状況はまどかさんを魔法少女に勧誘するのに絶好の機会のはずだ。にも関わらず、君はまどかさんの傍ではなくこんなところに居る。まったく何のメリットもないのに」

 

 僕の言葉に旧べえは下らないなそうに淡々と言う。

 

『何を言ってるんだい? 別にボクの身体は一つだけじゃない。まどかの傍にだって――』

 

「そうだね。君らはたくさんの身体を持ってる。でも、やっぱり今この場で居る理由はないよ」

 

『……政夫は何が言いたいんだい?』

 

 そこで僕は一度話を変えて、カマキリとハリガネムシの話を始めた。

 

「知ってる? ハリガネムシっていう寄生虫は寄生したカマキリやバッタを操って水辺に行かせてお尻を水に着けさせるんだ。水辺で繁殖するためにね。宿主のカマキリは自分が操られていることなんてきっと気付いていないんだろうね」

 

 まったく関係のない話に「だから、何?」という疑問を浮かべている旧べえ。僕はそれに哀れみを覚えて親切に教えてあげた。

 

「この場合も同じ。可哀想なカマキリちゃんは君で、賢いハリガネムシちゃんはニュゥべえだ。君はね、ここに来るように仕向けられたんだよ」

 

『政夫、君はまさか……』

 

 ようやく気付いたようで声に恐怖が過ぎるのが分かった。でも、もう遅い。致命的に遅すぎる。

 ニュゥべえは自分の背中のハッチから見覚えのある物体を取り出した。それは三日前にニュゥべえが取り込んだインキュベーターだ。もっとも、もう意識は持っていないが。

 

「ハリガネムシは酷いよ、政夫」

 

 文句を言うがそれほど怒っていないことは一目で分かった。

 小さく「ごめんね」と謝ると、再び旧べえに目を落とす。いや、正確にはもう『旧べえ』ではなくなりつつあるインキュベーターに。

 

『そ、ゥか、あのととととときに……ボクらを君らは』

 

 ノイズ交じりに台詞を痙攣(けいれん)しながら語る旧べえに僕は冷めた目で見つめる。

 

「そのとおり。コンピュータウイルスのようなものと考えてもらえばいいよ」

 

 あの時にニュゥべえは旧べえの一個体を取り込み、その個体を通してインキュベーターの集合意識にこっそりとアクセスした。そして、慎重に慎重に三日間の時間をまるまる使い、ニュゥべえの意識を広げていった。つい先ほどすべての下準備を終えた。

 だからこそ、インキュベーターの意識がワルプルギスの夜に集中している今日この瞬間まで待っていたのだ。

 これが『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)計画』。旧べえがリンクからニュゥべえを切り離した時に僕が考えた――一番冴えたインキュベーターの殺し方。

 

「今までよく頑張ってくれたね、旧べえ君。いや、『オールド』・インキュベーター。けれど、僕は新しいもの好きなんだ。過去の遺物はもう要らない。今、この時を持ってインキュベーターの基盤はニュゥべえになる」

 

 元々のインキュベーターの意識をニュゥべえの意識で上書きする。

 感情から逃げ続けた旧べえと、エントロピーすら凌駕する感情を取得したニュゥべえ。どちらの自我の方が強いかなど論じる必要すらない。

 殺せないなら乗っ取ればいい。ご大層な魔法少女システムもこうすることで丸ごと掌握できる。生憎と愛と勇気で勝つような真っ当な戦い方はできそうにないので、悪意と小細工で勝利させてもらう。

 

『ボクららららは――?』

 

 言葉足らずな旧べえの言葉だが、僕には何を言いたいのかしっかりと理解できた。

 故に僕はにっこりと笑顔を浮かべて答えた。

 

「ああ。当然、君の意識は掻き消えるだろうね。ある意味、君らの『死』と言っても過言じゃない。要するにお勤めご苦労様、永遠に休んでいいよってこと」

 

『そそそそそ、んな』

 

 ニュゥべえと違い、存在してから初めて感じる絶対的な死に旧べえは怯えたような声を出す。ニュゥべえの感情が流れ込んでいるから、それに呼応して恐怖が刺激されているのかもしれない。

 けれど、それには同情も憐憫も沸いてこなかった。

 

「安心して。君らが作り上げた魔法少女システムは僕らが有効に使ってあげるよ。宇宙のためのエネルギー集めも引き続き行うつもりさ。良かったね、オールド・インキュベーター。大好きな宇宙のための(いしずえ)になれるんだよ。……幸せだろう?」

 

 なぜなら、宇宙の寿命のためなら、こいつらは年端もいかない女の子を燃料にしても、心を痛めない高潔な存在なのだ。自分が宇宙のためのエネルギーを生み出す燃料になれるのならさぞ本望だろう。

 

『わ、けが――――』

 

 お決まりの台詞が出る前にそれを潰して、人差し指を突き付ける。表情はにこやかなまま、目だけを皿のように開いて恫喝するかのように言い放つ。

 

「大丈夫。訳なんて分からなくていいよ。理解する必要なんてない。僕が君ら要求するのはたった一つだ。――『くたばれ』」

 

 僕の最後の一言を聞いた後、痙攣していた旧べえの身体はピタリと動きを止めた。首が前にかくんと下がり、数秒後に顔を上げた。

 

「同期完了したよ、政夫」

 

 その言葉は隣に居る魔法少女姿のニュゥべえではなく、目の前に居るマスコット姿のニュゥべえ(・・・・・)の口から聞こえた。

 

「ご苦労様、ニュゥべえ。後のことは段取りどおりでお願いね」

 

「「「うん。分かってるよ」」」

 

 僕らが居るビル屋上に今までどこに居たのかと疑うほど大量のニュゥべえがぞろぞろと現れる。その誰もが眩い光を発しながら僕の隣に居るニュゥべえと同じ魔法少女の姿へと変わっていく。唯一つ、違う部分があるとしたら着ている服がオレンジではなく白というところだけだ。

 これがほむらにも秘密にしておいた対ワルプルギスの夜用の秘密兵器、魔力消費することで穢れをも還元することのできる魔法少女部隊『メーデーの朝』。

 祭りの名称の方のワルプルギスの夜の次の日にある「五月祭(メーデー)」から名付けた彼女たちならきっとこのほむらたちを明日へと導けるだろう。

 僕の隣に居たニュゥべえは魔法少女の姿からマスコットの形態に変化する。ただし、大きさは虎ほどもある。

 

「せっかくのお披露目の姿がそれでいいの?」

 

「政夫を乗せて運べるならボクは姿なんて気にしないよ」

 

 どこまでも頼りになる相棒の言葉に甘え、僕がニュゥべえの背に(またが)ると、首に巻かれたオレンジのハンカチは形状を変えて手綱の形になった。

 僕はそれを掴むとニュゥべえは羽根もないのに軽やかに屋上から飛び上がる。

 今もほむらたちが攻撃を与えているワルプルギスの夜を強く睨んだ。

 

 さあ、いつまでも居座り続ける『夜』にはいい加減退場してもらおう。明けない夜など、ないのだから。

 




ようやく、この回が書けました。実は結構前から政夫がキュゥべえを掌握する話は考えていたのですが、ここまで来るまでが非常に長かったです。
ニュゥべえもこのために存在したようなものですね。次回が本編最終回になると思います。

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