特別編 神との対話
ワルプルギスの夜をどうにか退け、この街の魔法少女を「普通の女の子」に戻した僕らだったが、街が半壊され、水浸しになり、当然のことではあるが、住居を失ってしまった。
こればかりは今後の街の復興を待つしかないだろう。ニュゥべえの力を借りればどうにかなるかもしれないが、都合の良い奇跡や魔法に頼らず、人の力だけで一つ一つ直していくべきだと思った僕はそれを彼女に頼まなかった。
……ただ、ほむらが自衛隊から盗んだ重火器だけは発見されると困るので、それだけは回収してもらった。
ほむらたちをまどかさんに引き合わせた後、ニュゥべえとも一旦別れ、避難所の一スペースに横になる。実は昨日の夜から計画に穴がないかニュゥべえと何度も練り直していたため、徹夜をしていた。
一応の目的が達成できたので、気が抜けて疲労と眠気が僕を襲ってきて仕方がない。耐えられずに、僕はそっと目を閉じた。
一休みしたら、ほむらたちにニュゥべえのことをちゃんと説明してあげないと……。
そう思いながら、耐えられないほどの眠気に身を任せ、夢の中へと落ちて行った。
「……うん? あれ……?」
気だるい思いを抱えながら僕が目を覚ますと、両腕を枕にして顔を埋め、机の上に座っていることに気付く。
「え!? 何で? 学校に居るの!?」
顔を上げて見回すと、そこはワルプルギスの夜によって瓦礫に変えられたはずの、見滝原中の透明なガラス張りの教室の中だった。
在り得ない光景を目の前にしながら、机から立ち上がって、呆然としていると隣から声を掛けられた。
「政夫くん」
横を向けると隣の席にまどかさんが座っている。にこにこと柔和な笑みを浮かべる彼女に僕は強張った表情で名前を呼ぶ。
「まどかさん……?」
言ってから、何か違和感を感じすぐに言葉を撤回する。
「いや――貴女は『誰』だ?」
うまく言葉に言えないが目の前に居る『鹿目まどか』からは僕の知る『まどかさん』とは違う異質なものを感じたからだ。
雰囲気というか、纏うオーラのようなものがまどかさんとは違う。妙に自信満々というか自負に満ち溢れているような、成功して莫大な資産を築いた事業家や有名になった映画俳優などが纏うような常人とは多少ずれた浮世離れしたものを笑みの中に漂わせている。
それが悪いとは言わないが、僕がかつて恋をした彼女にはそんなものは持ち合わせていなかった。
いつも自分の力でできることをしようと健気に前を見据えて、一歩一歩たどたどしくも進んでいった彼女だからこそ、僕は憧れ、尊敬した。
目の前の彼女にはそういったものとはまったく違う、「何か大きなことを成し遂げた人間」の表情をしている。
「すごいね。やっぱり分かっちゃうんだ……」
僅かにピンク色の瞳を大きくさせ、そして、口の端をより一層優しく引き上げ、目を閉じる。再び、その目を開いた時にはその瞳はピンクではなく、黄金に輝いていた。
ツインテールだった髪も足元まで伸びるロングヘアに変わり、身に纏っていた見滝原中の女子制服から白いワンピースタイプのドレスに変わっていた。
「うわっ……足元まで」
目の前の彼女の変化だけに目を奪われていた僕は周囲の光景まで変化していることに気付き、声を上げた。
教室の映像が書き換えられていくように、宇宙のような背景へと姿を変えていく。元々、教室なんて存在しなかったのように背景の星々が光っていた。
足元には床のようなもの痕跡は跡形もなく、宙に浮かんでいるような浮遊感に包まれる。夢のよう、というには五感がはっきりし過ぎていて落ち着けそうにない。
そんな僕の心を読んだかのように目の前の彼女は微笑んだ。
「大丈夫だよ。ここは政夫くんを傷付けたりはしないよ。私が政夫くんの夢に繋げさせてもらって、ちょっとお邪魔させてもらってるって感じかな?」
夢と繋げさせてもらって?
ということはつまり、この目の前に居る彼女は僕の夢の中で作り出されたあやふやな幻想ではなく、確固たる存在が僕の夢にアクセスしてきたということか。
敵、というには目的が今一理解できない。もし敵であるならば、この状況では手も足も出ない。まずは僕に接触した目的を聞き出して見極めた方が良さそうだ。
「……先ほどの言葉を繰り返すようですが、どちら様でしょうか?」
「『魔法少女になった鹿目まどか』って言えば、頭のいい政夫くんなら分かるんじゃないかな?」
「……!」
ほむらから聞いた話によれば、『魔女になった鹿目まどか』が僕の居る世界とは別の世界に今もなお存在し続けている。ならば、鹿目まどかが魔法少女になったままの状態で居た場合は……。
「あり得ない。もしそんな世界があるなら僕の世界にほむらさんが居ることが矛盾してる。『鹿目まどか』が魔女にならずに居られたのなら、ほむらが世界移動する必要なんてなくなっているはずだよ」
もしも、目の前に居る彼女が『魔女になった鹿目まどか』ならば話は別なのだが……。
俄然、目の前の存在が怪しく見えてくる。
「まあ、私はもう魔法少女ではないからね」
「じゃあ……」
「魔女でもないよ。うんと……これ自分で言うのちょっと恥ずかしいんだけど……神様になったの」
目の前の彼女はそのどこか大人びた表情に似合わない子供ような照れを浮かべた。
神様という突拍子もない単語と、その照れた顔に毒気を抜かれ、僕は呆れた目をする。
これがほむらや織莉子姉さんの言っていたワルプルギスの夜さえ凌駕する最悪の魔女だと言うのなら、これによって滅ぶ人類は非常にシュールだ。
「神様、ですか……」
「簡単に信じられないのは分かるけどその反応はちょっと酷いよ、政夫くん」
ちょっとショックを受けたようで微笑みが苦笑いへとランクダウンした。こういう表情は僕の知っているまどかさんに酷似している。
それにしてもこの神様、当たり前のように僕の名前を呼んでくる。非常になれなれしい神様だ。
「私じゃなく、政夫くんの世界の方が本来はあり得なかった世界なの。本当だったら、その世界でも私……『まどか』は魔法少女になって魔女になってしまう
『はず』だった?
色々と聞きたいことはあったが、話を途切らせることなく、黙って話を聞く。
「そして、次の世界……私の、今ここに居る『まどか』の世界で「過去と未来の全ての魔女を消し去りたい」って願いで魔法少女を超えて神様になったんだよ」
僕の隣の何もない空間から突如として、お洒落な装飾のされた額縁が出現し、その額縁の中でモニターように映像が流れ出す。
その映像にはファンシーな魔法少女の衣装になった『鹿目まどか』が弓矢を空に向けて打ち出し、空に巨大な紋章を描いた光景が映し出されていた。
そして、過去の魔女になりかけていた魔法少女の元に現れ、魔女になる前にそのソウルジェムを消滅させていく様子が克明に映る。
僕は映像を見たまま横を向いていたが、彼女は構わず話し続ける。
「私の願いは私だけの世界じゃなく、ほむらちゃんが私を助けられなかった世界にも及んだの。その時に私はたくさんの魔女になる
額縁の中の映像は切り替わり、巨大な歪んだ円錐を引き伸ばしたような複雑な形状をした魔女が街や都市を飲み込んでいく様に変わった。
建物を壊し、人間を己の中に流し込むようにして進む魔女はワルプルギスの夜よりも恐怖と嫌悪感を感じざるを得なかった。
見ているだけで背筋が凍り、息が苦しくなる。これと対面したらなど想像もしたくない。
もしもこれが夢の中でなかったのなら、胃液の中身をぶちまけていたかもしれない。
「魔女になった私に取り込まれた人は、その人が最も望むものを与えてもらえるようだった。まるで天国のような世界で全てを飲み込んでいったよ」
これが天国だというのだろうか。
例え、喉から手が出るほど渇望しようと、こんな訳の分からない存在に与えられた幸せなんてお断りだ。
言葉には出さなかったが、僕の嫌悪の表情は彼女には伝わったようで、懐かしむような瞳を僕に向けた。
「そんな中で取り込まれても『天国』を拒む人が一人だけ居たんだ。その人は亡くなったお母さんや友達の子猫を与えられてもその幸福を、救済を否定したの」
「それって……まさか」
「うん。その世界の政夫くんだよ。魂が押し潰されるその一瞬まで政夫くんは「こんな天国なんて要らない」って都合のいい幸せを拒絶したの」
きっとその世界の僕も思ったのだろう。失ったものは戻ってこないからこそ尊いのだと。
だからこそ、そんな奇跡を許してはいけないのだと。
「まさか、私と同い年の男の子がそんな風に天国に耐えられるなんて思ってもみなかったから驚いたよ」
「へそ曲がりなのが幸いしたんでしょうね」
軽口を口にすると、彼女はくすりと笑みを一つ漏らした。
「どの世界でも政夫くんは天国を拒絶したよ。私はそれを見て思ったの。もしこの男の子が居たら私は魔法少女になったのかなって……」
「…………ひょっとして僕の父さんが、いや僕が見滝原市に来たのって……」
「ごめんね。全ての世界の魔女を消し去る前に、人の手で起こした奇跡が見たかったの。神様にならなくてもただの人間のままで何かを変えてくれる光景が見たかった。もしもどうにもならなかったら、その時は他の世界と同じように私がどうにかするつもりだったけどね」
この話が真実であれば、僕が何度か死ぬような思いをしたのはこの神様のせいということになるのか?
いや、どっち道、どこに居ても結局は死ぬのなら、チャンスをくれただけありがたいか。
取り合えず、疑問を述べておかないといけない。
「あの、だとすると僕が今居る世界ってどういう扱いになるんですか?」
「政夫くんの世界は『円環の理』から、私のルールから切り離された唯一つの世界になると思うよ。……そのせいでその世界の魔女は消せないけど」
僕はその言葉を聞いて、ほっと安心して息を吐く。
よかった。皆で頑張って手に入れた結果が塗り潰されてなくなってしまうのではなかと冷や冷やした。
「仕方ないですよ。もう『なってしまったもの』まで面倒を見る気はありませんよ。そんなことまで背負う気はないですから」
顔も知らない相手のためにそこまでする気はない。言ってしまえば、僕は奇跡に頼った魔法少女という存在のことをあまり好ましくすら思っていない。
どんな理由があろうと、訳の分からないものに縋れば、その時点で自業自得だとも思う。
この街の魔法少女とは仲良くなったから、助けたいと思っただけで、『魔法少女』という存在全ての境遇に同情するつもりもない。
現存する魔法少女を普通の女の子に戻してくれるようニュゥべえに頼んだのは助けられる手段があるのに助けないのは気分が悪いからと、魔女を新たに発生させないためでしかない。
僕は昔から手の届かないところのものまでは背負おうとはしない。僕が手を伸ばすのは自分の命を担保に入れて届く距離だけだ。
逆に、目の前の彼女には、手が伸びすぎてしまった故に背負わなくていいものまで背負ってしまったのだろう。
「ううん。別に責めた訳じゃないよ。政夫くんは私の想像よりもすごい事をやってくれたんだもん。むしろ、お礼を言いたいくらいだよ。ありがとうね、政夫くん」
「いえ、自分のためにやったことですので。神様からお礼をされる謂れはありませんよ」
僕の知るまどかさんのような普通の女の子ような仕草でお礼を言うが、そんなことをしてもらう義理はない。
頼まれてやったのではなく、僕が自分の意志でやったことだ。
「あの、政夫くん。何でさっきからずっと敬語なの? 余所余所しいよ? あとずっと私の事を「まどか」じゃなくて「神様」って呼んでるのも……」
「神様は目上の存在ですからね……名前の方は僕にとっての「鹿目まどか」はまどかさん一人だけですので」
余所余所しいも何も普通に他人だから仕方がないだろう。それに僕が神様という存在があまり好きではないのも起因している。
恐らくはこんな人間だからこそ、天国とやらを拒絶したのだろう。
「私も一応、まどかなんだけどな。そこだけは政夫くんの世界の私が羨ましいよ」
寂しげにそう言う彼女に僕は逆に聞きたくなった。
「僕なんかにどうしてそこまで拘るんですか?」
すると、超越的な雰囲気にそぐわない恥ずかしげな表情を僕に向けた。
「最初に政夫くんの事を好きになったのは『まどか』は私だから、かな?」
「……え!?」
この場所に来て何度か驚くことがあったが、ここまで衝撃的な驚愕は初めてかもしれない。
まさか、神様から好意を向けられる日が来ようとは……。人生何があるか分からない。来週あたり、阿修羅に告白されても僕は驚かなくなっているだろう。
「どの世界でも都合のいい奇跡を拒否し続ける政夫くんを見て、私は政夫くんに憧れたんだよ。見滝原市に呼んだのも『まどか』と引き合わせたかったって意味合いもあったんだ」
「ひょっとして、ですけど。まどかさんが割りと出会ったばかりの頃から僕に好意的なのも、神様の影響だったりするのでしょうか?」
それなら、何だかんだでまどかさんが僕に告白してくれたことも彼女本人の意思ではない可能性がある。
もしも、そうだったら嫌だ。あの告白はまどかさん本人のものであってほしい。
紛れもなく、あの時に僕は初めて人を好きになれたのだから。
「最初の頃は影響してたかもしれないけど、あの世界の私が政夫くんへの告白する頃にはもう関係なくなっていたと思うよ」
「そうですか。それなら良かったです」
胸を撫で下ろした僕を少しだけ見つめた後、彼女は聞いてきた。
「ねえ、政夫くん。何でほむらちゃんの事を選んだの? 別に責めてる訳じゃないよ。ただちょっと知りたくて」
言葉どおり、責めている風もなく、単純に不思議だから尋ねていると言った様子だった。僕はそれに答えるべきか悩んだが、結局素直に話すことにした。
「あの時、まどかさんは僕にとって、『一緒に居たい人』でした。ほむらさんの方は『一緒に居てあげたい人』だったんです。二人ともとても大事で大好きだったけど、まどかさんの方は僕が居なくても平気だと思ったから、ほむらさんを選びました」
してもらいたいという欲求よりも、してあげたいという欲求の方が僕の場合強くなってしまった。詰まるところ、もらうよりもあげる方が好きなのだ。そういう人間なんだとほむらが家に駆け込んで、僕に泣きついてきた時に理解した。
「後悔はしていないの? 『まどか』の事も好きだったんでしょ?」
「自分で選んだんですよ。後悔なんてしてません。もし、あの瞬間に戻って選び直せるとしても僕はほむらさんを選びますよ」
「そっか。政夫くんらしいね」
そう言って彼女は微笑むが、知らない相手に「らしい」などと言われても困る。向こうは一方的にこちらのことを知っているが、こちらにはまったく関わり合いがないのだから。
この人が好きになった僕は、今ここに居る僕ではないのだ。
「貴女は神様になったことを、自分の選択を後悔していますか?」
僕ならば神になるなど、絶対に御免だ。ただの人間であることを僕は誇っている。
特別なものに起因しない、平凡な生き方が何よりも尊いということを知っている。
彼女はそうだろう? 本当に神様であることを心の底から肯定できるのなら、魔法少女にならずに済んだかもしれない自分など想像するだろうか?
だから、つい聞いてしまった。自分の選んだ選択に納得しているのかと。
彼女はほんの少しだけ押し黙った後、こう答えた。
「後悔なんてあるわけないよ。私が自分で決めたことなんだから」
ああ。この人は強い人だ。
僕の知るまどかさんよりも気高く、高潔で、神々しい。
それでも、人間であることを、僕を信じて魔法少女にならないと言ってくれたまどかさんの方がずっと好きだ。
この人の思いを否定する気はない。けれど、この人の強さは常人には着いていけない
――だからこそ、神様などになってしまったのだろう。
「……そうですか。なら、最後までやり通してください。絶対に弱音なんか吐いては駄目ですよ」
本人が納得をしているのなら、部外者が口を挟むことではない。だったら、せめて哀れみの言葉ではなく、叱咤激励の言葉を送ろう。
僕の言葉が意外だったようで少し驚いた顔を覗かせた後、今まで見た笑顔の中で一番まどかさんらしい笑顔を浮かべた。
「政夫くんとこうやって話ができてよかったよ。……ひょっとしたら誰かに肯定してほしかったのかもしれない。本当にありがとう、政夫くん」
感謝の台詞と共に周囲の宇宙が収束していくように形を変え、消えていく。眩く光る星々やその後ろの広がる暗黒の宇宙が解けていくように消滅する。
最後に僕は彼女に一言だけ述べた。
「頑張って、もう一人の『まどかさん』」
もう彼女の顔は見えなかったが、僕には彼女が嬉しそうに微笑んだように思えた。
「さお、ん……政夫くん、起きて」
目を覚ますと片手を枕に横になっている僕の周りを皆が取り囲んでいた。目を擦りながら、視線を動かすと僕が居る場所は避難所のスペースの一角だった。
眠気が完全に取れないままで前を見ると、そこには怒った表情のまどかさん。
「政夫くんたら、私には何も言わずに一人寝ちゃうなんて」
「あ。ごめんね。眠くて仕方がなかったんだ許してよ」
申し訳なく手を合わせて拝むと、いつもの可愛らしい表情に戻ってくれた。
そして、僕にずっと言いたかったであろう言葉をかけてくれた。
「お帰りなさい、政夫くん」
「うん。ただいま、まどかさん」
僕が見たものが本当に夢じゃなかったのかは確かめる術がない。本当はただ単に疲れて変な夢を見ただけかもしれない。
それでも僕が守りたかった笑顔はここにある。それだけで十分だ。
番外編なので深く考察すると矛盾しているところがありますがご容赦下さい。