書いている内に長くなってしまいそうなので前編だけまず上げます。
※特別編なので色々とパラレルなので時系列は気にしないでください。一応はワルプルギスの夜編の二日前という設定で書いておりますが、気にしだすとそもそもif世界自体が矛盾そのものになってしまうのですが。
今日、僕はとても幸せな気分に満ち溢れていた。
正直に言えば、今日だけじゃなく、昨日も、一昨日も愛する彼女に出会えたその日から幸福が続いている。
可憐な三つ編みに厚めのフレームの眼鏡を掛けたこの世で最も可愛い僕の恋人、ほむらさんと出会った時から僕の人生は絶頂期を迎えていた。
ほむらさんの家に向かい、一緒に学校に登校し、一日を共に過ごす。これほど満ち足りた生活はない。僕はきっと世界一、いや、宇宙一幸せな男だろう。
そんなことを考えながら、僕はほむらさんを迎えに彼女のマンションへ向かっていた。
浮かれて鼻歌すら歌いながら、軽くスキップまでしてしまっている。クラスメイトに見られてしまったらどうしようとかなどは一切考えていない。もしも道中に会ったら、思い切り惚気話をしてやろうとすら思っていた。
そんなルンルン気分の僕だったが、すぐ傍の道端に大きな姿見のようなオブジェが設置していることに気が付いた。
「鏡……? こんな道の端に?」
不思議に思ったものの、この見滝原市は無意味に装飾に拘った外観のものが多いため、このオブジェもその一環だろうと結論付けた。未だに近くの公園の数色のライトが出る噴水なども電力の無駄使いにしか思えていない。
ちょうど良いのでほむらさんに会う前にもう一度髪型をセットし直して身嗜みを整えよう。
姿見の前に立ち、髪を弄ろうとして――僕は動きを止めた。
硬直と言い変えてもいいだろう。僕は目を見開き、鏡に反射した自分の虚像を凝視した。
……あり得ない。虚像ならば僕と左右対称に映っているはずなのに鏡の中の僕はまるで正対称に映っている。
否、それだけでなく、僕が止まっているにも関わらず、鏡の中の僕は動いていた。まるでもう一人の僕が姿見の内側に別個の存在として居るかのように。
「なっ……!」
驚いているのは鏡の中の僕も同じようだった。こちら側の僕を見て唖然としたように見つめている。
よく見ると向こうの僕の頭の上には見たことのない白いマスコット染みたぬいぐるみのようなものが乗っている。
これは一体どうなっているのだろうか。驚きつつも、鏡の鏡面に触れる。
向こうに居る僕も恐る恐る同じように反対側から鏡面に触れようとしていた。
そして、一瞬だけ、手のひらと手のひらが触れ合う感触がした。
同時にずるりと鏡の方に引き込まれるような感覚に苛まれ、まるで開いた窓の外にでも転げ落ちるように前のめりで倒れ込む。
「ぬぁっ……」
無駄に凝った模様のタイルが散りばめられた地面に顔を激突しようになりながら、どうにか地面とキスすることだけは避けようと、両手で踏ん張った。
今一体何が起きたというのだろうか?
立ち上がって後ろを振り向くとそこにはもう先ほど姿見のオブジェは影も形もなかった。
あれは幻覚か何かだったのか。地面に手を突いた時に擦った手を見つめる。
しかし、紛れもなくあの感触は手のひらを合わせた時の感触だった。
周りを見回すがやはり姿見はどこにもない。あれは僕が見た幻覚だったと思うより他ない状況だ。
浮かれすぎて、脳内麻薬が分泌され、幻覚と幻触を体感した。それ以外に今僕が味わった現象を説明できない。
………………。
これはもう、きっとあれだ。
ほむらさん成分が僕の脳に足りなかったのだ。
『ほむらさん成分』。それは僕の脳を司る栄養素の一つ。定期的に摂取しないと脳や身体に異常をきたしてしまう、絶対不可欠の栄養素のことである。
そうと決まれば、早く彼女に会いに行こう。これ以上幻覚を見るのはまっぴらごめんだ。
現世に舞い降りた天使のような彼女に会えば、つまらない幻覚などを見ることはないだろう。
倒れ込んだ時に突いた
ほむらさんの家の部屋のドアの前に辿り着くと、いつものように玄関のインターホンを押す。
軽快なチャイム音がした後、ドアが開かれて、一人の女の子が現れた。
それは僕の
長いロングの黒髪はどういう訳か真ん中辺りから二つに別れ、流線型のカーブを両サイドに描いている。顔立ちは整っているが、表情そのものに愛想がないせいで冷淡なイメージを纏っている。
凛とした雰囲気を醸し出しているせいで年齢以上に大人びて僕には映った。
その女の子は僕を見ると冷淡な表情を崩し、僅かに嬉しそうに微笑んだ。
「政夫? 貴方の方から私の家に来てくれるなんて珍しいわね。でも、嬉しいわ」
呼び捨て、さらに下の名前でなれなれしく呼んでくるが、僕は目の前の女の子に見覚えなどない。
「あの……ほむらさんの親類の方でしょうか?」
まじまじと観察すれば目や鼻といった顔のパーツはほむらさんとそっくりだった。ただ顔付きがほむらさんとはまったく違うので一見するとまったくそうは思えない。
ほむらさんの親類なら僕の名前を彼女から聞いていても何らおかしくないが、明らかに僕への心理的な距離感が近すぎる。
「え……? 何を言っているの? ほむらは私よ」
「……は? ……あの僕のことをからかっているんですか?」
目の前の黒髪の女の子は美少女と言っても過言ではなかったが、僕の愛するほむらさんには遠く及ばない。少なくても彼女のような可憐さも愛くるしさも持ち合わせていない。
いくら、ほむらさんの親類でも不愉快な気持ちにさせられて軽く睨むように見つめる。
「政夫、さっきから貴方どうしたの?」
「政夫、政夫って、さっきから貴女、初対面の僕に対して少しなれなれし過ぎるんじゃないですか? 親しくもない相手に名前で呼んでほしくないんですけど」
相手は困惑したような表情を浮かべるが、困惑しているのはこんな悪戯をされている僕の方だ。
「親しくもない相手って……。私は暁美ほむらよ?」
「いい加減にしてください。僕の恋人のほむらさんはあなたみたいな人じゃない! 顔付きが百八十度違いますよ」
苛立つ思いを言葉にして自称暁美ほむらにぶつける。
例え、冗談でもほむらさんの名前を
「私は……」
「もういいです。あなたと話していても
自称暁美ほむらを押し退けて、玄関に入って、家の中に居るはずのほむらさんを呼ぶ。
「ほむらさん。いつも通り、迎えに来たよ」
だが、返事はなく、人の気配もまた感じられなかった。
おかしい。朝の弱い彼女はこの時間帯は僕が迎えに来るまで眠そうにしながら呆けているのが常なのに。
もう既に学校に行っているというのは考えにくいが、少なくとも家には居ないようだった。
「一人で学校に行っちゃったのかな? ほむらさん」
「だから、ほむらは私……」
「しつこいなぁ。……いい加減にしてくれよ。不愉快だ」
敬語も使う気も失せて、乱暴な言葉遣いで相手の話を遮る。
ここまで不愉快なことをされたのは小学一年生の時以来だ。この女を視界に入れることさえ嫌で仕方がない。
「政夫? どうして……」
縋り付いて来ようとする自称暁美ほむらの手を避けて、僕は学校に向かうことにした。そこに行けばきっとほむらさんに会うことができるはずだ。
内心に
大丈夫、ちゃんとクラスに行けばほむらさんが待っていてくれる。
後ろから、自称暁美ほむらがショックを受けた顔で見ていて、少しだけ罪悪感を感じたが、それもこれもあの人が性質の悪い冗談を言い続けているのが悪い。
僕は無視して、マンションから出て行き、見滝原中学校へと足を速めた。
いつもとは違い、一人で登校する通学路はとても寂しく、物悲しいように思え、俯きがちに歩んでいく。
ガラス張りのケースのような教室に着き、床から嵌めこみ式の机と椅子を引っ張り出す。そして、ほむらさんの席がある場所を見るが、机も椅子も床に嵌めこまれたままで取り出された形跡はない。
ほむらさんの隣に位置する席の中沢君はもう既に来ていたので、挨拶のついでに念のために聞いた。
「おはよう、中沢君。あの、ほむらさんてまだ学校に来てない?」
「暁美さん? 来てないと思うよ。っていうか、いつも夕田君のグループと一緒に登校してるのに今日はどうしたの?」
いつもほむらさんと一緒に登校しているから分かるが、『グループ』という言い回しが気になり、僕は再度尋ねた。
「グループってどういうこと?」
「いや、どういうことって、鹿目さんたちとのグループだよ。あ、ほら来たよ」
そう言って中沢君は教室の後方を指差す。教室の透明なガラスの向こうにピンク、青、緑、そして黒のカラフルな女の子たちが並んで歩いてくるのが見える。
前から鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美、そして今日会ったばかりの自称暁美ほむらの四名だ。前から三人はさほど話したりはしないがクラスメイトなので分かるが、自称暁美ほむらがこの学校の制服を着て登校しているのが腑に落ちなかった。
教室の後ろのドアを開いて彼女たちはこちらに向かってくると、その中の美樹が僕に怒鳴りつけるように言った。
「政夫! アンタ、ほむらに何言ったの!?」
美樹は基本的には人懐っこい性格なので呼び捨てで話しかけてくるのはよくあることだったが、こんな風に話しかけてくることは稀だった。
いや、そんなことよりも聞き捨てならない台詞に僕は驚く。
「え? 今日は僕はまだほむらさんに会ってないよ?」
「嘘仰らないでください、政夫さん!」
志筑さんが美樹と一緒にずいっと前に出てくる。
彼女はクラスで一番の人気を誇る女子なのだが、あからさまな美少女が苦手な僕は彼女とはあまり接点がなく、喋らないのでこれほどはっきりと物を言われてびっくりとした面持ちをした。
戸惑う僕を他所にこのクラスで一番苦手な『ボスピンク』こと鹿目まどかが自称暁美ほむらを連れて、僕を責めるように言う。
「ほむらちゃんは政夫くんに酷い事言われたって言ってたよ」
「ちょっと待ってよ。まさかその「ほむらちゃん」って言うのはそこの人のことじゃないよね?」
鹿目まどかの隣の自称暁美ほむらを見て、尋ねると彼女は信じられないもの見るように言った。
「政夫くん。そんな事言うなんて……どうしちゃったの?」
「いや、どうしちゃったのも何も君らがおかしいよ。今までそんなに話したこともないのに急になれなれしく話して来て……それにその人のこと、ほむらさんだって言い始めて」
本当にさっきからずっと意味不明だ。鹿目まどかを含めたこいつらのなれなれしさも自称暁美ほむらの存在も、寄って
「そんなに話した事もないって……政夫本気で言ってるの?」
「見損ないましたわ、政夫さん」
美樹と志筑さんまで訳の分からないことを言い出して、責めたててくる。さっきからずっと溜まっていたフラストレーションがとうとう爆発する。
「人をからかうのもいい加減にしろよ! 何なんだ、自称暁美ほむらといい、僕に文句があるならこんな悪戯みたいな真似するんじゃなくて真正面から言え!」
そう言って大声で吐き捨てると、僕の前に集まった四人だけじゃなく、教室内に居たクラスメイトまでも黙り、しんと静まった。
特に自称暁美ほむらは泣きそうな瞳で見つめてきたが、今はそれさえも僕の怒りを煽っているように感じられた。
鹿目まどかは何かを言おうとしたのか口を開いたが、校内チャイムが鳴り響き、僕はむっつりとした顔で自分の席に座った。
すぐに担任の早乙女先生が教室に入ってきてホームルームを準備を始める。
鹿目まどかたちも席に座るが、あろうことか、ほむらさんの席にこちらを気にするような表情をしながら自称暁美ほむらが腰を下ろした。
「なっ……お前、ふざけるなよ! そこはほむらさんの席だろうが!!」
血管が切れそうなほどの怒りが込み上げて、糾弾するがクラスメイトは僕を異様なものを見るような瞳を向けるだけだった。
「夕田君……何を言っているのですか? ほむらさんは彼女でしょう?」
早乙女先生までも訳の分からない冗談を言い始める。あまりの事実に耳を疑った。
担任までもこの性質の悪い嫌がらせに参加しているとでもいうのだろうか。
溜まらず、僕は椅子から立ち上がり、自称暁美ほむらを指差して怒りを込めて叫ぶ。
「そいつのどこがほむらさんなんですかっ!? 先生は本気で言ってるんですか!?」
「夕田君、あなた……大丈夫ですか?」
「っ……!」
心配そうな目で僕を見る早乙女先生やクラスメイトに耐え切れず、僕は教室から逃げるように出ていく。制止を求める声が後ろから聞こえたが、無視した。
この場所に居たら、本当に狂ってしまいそうだと思った。
まるで僕の知るほむらさんが掻き消されたかのようだった。他のクラスをガラス越しから見るが、どのクラスにもほむらさんの姿はない。
絶望感に苛まれ、泣きそうになりながら、僕は学校から出て、本物のほむらさんを探しに行く。
きっと、居るはずだ。人が消えるなんてありえない。
あの黒髪の女がほむらさんな訳がない。
胃液が逆流しそうになるのを堪え、僕は彼女とデートした場所へと駆けて行く。
ほむらさん、待っていて。必ず、会いに行くから……。
思ったよりもシリアスになってしまいましたが、if世界の政夫は魔法も奇跡も知らない正真正銘の一般人なのでしょうがないです。
さて、後編は本編の政夫の方を書いていきます。