一体これはどうしたということなんだろうか?
疑問と焦りと――そして、途方もない幸福感に包まれている僕は発熱しそうなぐらい
「政夫くん。今日は何で迎えに来てくれなかったの? 一人で先に行っちゃうなんて酷いよ」
天使、と形容するしかないほど可愛らしい女の子が僕を見て、可愛らしく怒っている。
上質な絹のような髪は三つ編みにされ、純朴さを前面に押し出したようなフレームの厚い眼鏡に、ちょっとだけ怒気を見せつつも愛くるしさを失わない僕好みの女の子。
「えっと……変なことを聞くようだけどさ、君は……ほむらさんだよね?」
「? 本当に変な事聞くね。そうだよ。私は暁美ほむらだよ。付き合って三週間も経つのに忘れちゃったの」
「そうか。うん……そうだよね。変なこと聞いてごめん」
学校に行く途中、僕は不思議な姿見のオブジェにを見つけ、その中に虚像でない僕そっくりの存在を発見し、鏡面に触ってしまい、その鏡面の中にニュゥべえと共に入り込んでしまった。
その時にまるで鏡面の中に映る僕が向こう側に入り込むような、性格に言えば、『この僕』と『鏡面の中の僕』がまるで入れ換わってしまったように見えた。
どうやら、ニュゥべえによるとあの姿見のオブジェは魔女の使い魔だったようだが、どうやらこの世界は魔女の結界ではないようだった。
しかし、当然ながら僕の居た見滝原市という訳でもないようだ。
僕の知る見滝原市と同じ外観をしているのであの姿見の使い魔を探すため、探索しようとしていた時にばったりと出会ってしまったのが目の前の『ほむらさん』だった。
前にデートした時と同じ三つ編みと眼鏡だったが、彼女から発せられる雰囲気が僕の知る暁美ほむらとは百八十度違う上に顔付きまでも柔和でまったくの別人のように感じられた。
どうやらこの世界でも彼女は僕と付き合っているようなのだが……非常に羨ましい。
「学校始まっちゃうよ。早く行こうよ」
「ああ……うん。そうだね」
歯切れ悪く答えて、肩の上に居るニュゥべえに視線をやる。
このほむらさん……取り合えず、
『この子は僕をここに引き込んだ魔女とは関係ないの?』
『そうだね。そう感覚はないよ。ソウルジェムの反応もないから魔法少女でもないみたいだ。普通の女の子のようだね』
普通の女の子。僕からしたらこの世界が普通じゃないから、この世界に元から存在しているだけで「普通」とは思えなかった。
『まずはこのほむらについて行って、この世界がどういった場所なのかを調べるのはどうだい?』
『なら、そうみてようか。他に当てがある訳でもないし』
A・ほむらさんと一緒に学校に向かおうとしたところ、唐突にA・ほむらさんは手を僕に向けて差し出した。その白魚のような指にはやはりソウルジェムを変化させた指輪も爪にある変な模様もない。
意図が読めずに僕は首を傾げると、A・ほむらさんは困ったように上目遣いで僕を見上げた。
「どうしたの? いつもみたいに手を繋いでくれないの……?」
「いつもみたいに!?」
この世界の僕はこんな可愛い子と手を繋いで学校に登校していたというのか!? 許せない、どれだけ幸せものなんだ!
本物の世界かどうかも分からない世界だが、そんな幸せな生活を僕とそっくりの存在が過ごしていたかと思うと憎さが湧いてくる。
僕の方は、重火器をさも当たり前のようにパクってくるテロリストだと言うのに……!
あまりにも羨ましかったので、求められるまま手のひらをぎゅっと握り締める。
「ふふ……政夫くんの手、やっぱり安心するね」
そう言って嬉しそうに、はにかむA・ほむらさん。
脳内に高圧電流が走るような凄まじい衝撃が僕を襲う。
可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い!!
最高に可愛い。
何だこの子。天使か? ……いや、間違いなく天使だ!
『政夫……君は今の状況を正確に理解しているのかい?』
怒りと呆れの入り混じったニュゥべえの声が脳に響いてくる。ニュゥべえの発言はもっともだ。けれど、悲しいことに男というのは好みの女の子の前では欲望に素直になってしまうものなのだ。
かくして、僕はかつてないほど幸せな気分で学校へ登校した。
ニュゥべえは僕が授業を受けている間、校内を調べてみると言って、僕から離れて単独で捜査を始めてくれた。
教室の近くに来ると、流石に気恥ずかしくなったのかA・ほむらさんは手を離して両手で学生鞄の持ち手を握った。
柔らかくて心地のいい感触を名残惜しみながらも、僕も教室の方へと向かっていく。
その時、廊下の端からまどかさんが歩いて来るのが見えた。
「おはよう。まどかさん」
ついいつもの癖で挨拶をしてから、この世界が僕の知る世界とは違うため、まどかさんとの関係が同じであるとは限らないことに気が付いた。
案の定、この世界の僕とまどかさんはそれほど親しくなかったようで少しだけびっくりした表情で僕を見た。
だが、それも一秒ほどのものですぐに破顔して挨拶を返してくれた。
「おはよう。夕田君、暁美さん」
僕はともかく、A・ほむらさんまで苗字で呼ぶまどかさんにとても違和感を覚えたが、それは僕の知るまどかさんとは違うから仕方がないのだろう。
「おはようございます……鹿目さん」
他所他所しく、目を逸らしながらA・ほむらさんも挨拶する。何やら、この世界での二人はあまり仲が良くないようだった。
にこにこしながら、この世界の鹿目さんは一足先に教室内へと入っていく。彼女も混同しないようにA・まどかさんと呼称しよう。
「僕らも教室に入ろうか」
A・ほむらさんにそう提案するが、彼女はむくれたようにそっぽを向いた。
「どうしたの?」
「鹿目さんはちょっと苦手だから、あまり仲良くしないでって言ったの政夫くんなのに……今日は嬉しそうに名前で呼ぶなんて」
拗ねた口調に僕は彼女が焼きもちを焼いているのだと理解した。
そして、理解した瞬間に打ち震えた。
彼女の可愛さに。
耐えられず、足までもがくがくと痙攣したかのように震え出す。
可愛い、可愛すぎる。もうなんか抱きしめたくて堪らない。
両腕を広げて抱き付きたい衝動に駆られたがそれは流石に僕の世界のほむらへの裏切りなので精一杯の理性を動員させて持ち堪えた。
「ご、ごめんね。でも、僕はほむらさんが一番だから」
「……本当に?」
またもや上目遣いで見てくるA・ほむらさんにどきどきしながら、壊れた人形のようにコクコクと何度も頷く。
「じゃあ、許してあげるね」
華のように可憐な笑顔を見せられて、内心でこの世界に永住してもいいのではないかと本格的に考え始めそうになる。
この子と添い遂げられるなら、それはそれで幸せなのではないかと。
だが、そんな風に考えようとも、どうしてもあの面倒くさいテロリストのことが気になってしまうのだ。
「じゃ、教室に入ろう」
僕の推測が正しければ、あの時交差したこの世界の僕が向こうの世界に行っているはずだ。彼の方はこの状況下を認識しているのか分からない。
泣いてないといいんだけどな、僕の世界のほむらは。
早乙女先生のやたらと私情の入った連絡事項を聞いた後、午後まで授業を真面目に受けた。その際に気付いたことは二つほどあった。
一つは僕の世界と授業の教科の担当教師が同じこと。これだけならばさほど気にするが、授業の内容が僕が僕の世界でやっているところの続きだった。
まるで僕の世界と同期しているように感じられる。僕の世界に後、二日後にワルプルギスの夜が来ることを考えるとこの世界でも奴が来るのかもしれない。
もう一つはクラスに魅月杏子さんが居ないことだ。もしかしたら、この世界ではショウさんと杏子さんは出会っておらず、『佐倉杏子』のまま隣町に居るのかもしれない。
元の世界との差異について頭を悩ませていると、A・ほむらさんはお弁当を二つほど持ってやって来た。
「はい。政夫くんのお弁当」
そして、大きい方のお弁当箱を僕の机に置いた。
僕はそれを見た後、A・ほむらさんに尋ねる。
「まさか……これって僕のお弁当? ほむらさんが作ってくれたの!?」
「え? いつも私が政夫くんの分まで作ってるでしょ?」
きょとんとした顔をして、僕の隣の席に座るA・ほむらさん。
まさか、手作りお弁当までくれるとは……僕の世界のほむら完敗じゃないか。何一つ彼女として勝っている部分がない。唯一上げるとしたら、犯罪スキル程度のものだ。
「で、では失礼して」
お弁当の
それに何より。
「ハンバーグだ! やった!」
「政夫くんの大好物だもんね。頑張って作り方学んだんだよ」
少しだけ自慢するように言うA・ほむらさんに僕は涙を流して求婚したくなった。好みの食べ物まで知ってくれているとは……僕の方のほむらは聞いてくることさえしないのに。
「食べていいかな?」
「政夫くんのために作ったんだから、食べてくれないと困るよ」
「それじゃあ、頂きます」
「うん。召し上がれ!」
早速、お弁当箱の蓋に付属してある箸入れから箸を抜き取り、ハンバーグを一口サイズに切り取り口に入れる。
しっかりとやかれたひき肉が何とも言えない美味しさを僕に提供する。
頑張って、丹精込めて作ってくれたことが分かる味わいだ。込められた愛情が伝わってくる。
そこまで考えたところで、このハンバーグは僕ではなく、この世界での僕へのものであったことに気が付いた。
すると、おいしさが途端に申し訳のない感情に変わっていく。
……どうしよう。悪いことしちゃったな。
このハンバーグを心待ちにしていたのはこの世界での僕だ。そして、A・ほむらさんが食べてもらいたかったのも僕ではなく、この世界の僕だ。
「美味しくなかった……?」
罪悪感が顔に出てしまったようで心配そうに聞いてくるA・ほむらさんに僕は首を振って答えた。
「ううん。凄いおいしいよ。このハンバーグ、僕好みの味」
「よかった。今日ね、いつもよりも早起きして頑張ったんだよ」
「ありがとうね。ほむらさん」
この美味しいハンバーグを僕が食べてしまったことに罪の意識を感じながら、顔には一切出さないようにして仲良く食事をした。
お弁当が美味しければ美味しいほど、謝りたくなった。
食事を終えた後はA・ほむらさんと他愛もない話をして昼休みを潰した。
午後の授業はほとんど上の空で、どうにか早くA・ほむらさんにこの世界の僕を返してあげられないかと考えていた。
放課後になると一緒に帰えろうと言ってきたA・ほむらさんに頭を下げて、一人で帰ってもらった。
悲しげな顔をさせてしまったが、彼女をもっと悲しませないためにも本来居るべき僕を帰してあげなくてはならない。
『政夫』
廊下を歩いていた僕の前にニュゥべえがぬっと顔を出す。周囲に人目があることを考慮してかテレパシーを使って脳内に話しかけてくる。
『どうやら、ざっとこの学校に居る魔法少女を調べてみたが二人だけだったよ』
『二人?』
授業中に美樹の指先を見ようと覗き込んでいたが彼女の指には指輪はなかった。とすると、巴さんと呉先輩だろうか。
『巴マミと――もう一人は鹿目まどかの二人だ』
「っ……」
一気に冷や汗が身体から噴き出してくる。ワルプルギスの夜以上の最悪の魔女へとなりえる魔法少女。
無意識の間に選択肢から外してあったが、そうなる可能性は十分あったのだ。
頭を抱えたくなるなったが、ニュゥべえは対照的に冷静だった。
『悲観することはないよ。どういう訳か、この世界のまどかの魔法少女としての魔力はそこまで強くない。せいぜい、マミの少し上くらいのものだ。最悪の魔女にはなりえないだろう』
A・まどかさんの魔力は僕の世界のまどかさんが魔法少女になった場合より、遥かに弱いということだろうか。
だとしたら、それはなぜだ?
疑問を口にするよりも早くニュゥべえは答えてくれた。
『これは僕の予想なんだけど、まどかがあれほど素養を手にしたのはほむらが魔法少女になって彼女を中心に何度も時間軸をずらしたことが原因だと思うんだ』
『つまり、ほむらさんが余計なことをしなければ、まどかさんは規格外の魔法少女にはならなかったってこと?』
『その通りだね。ほむらのせいでまどかが因果を溜めることになり、ボクらが居た元のまどかは魔法少女として莫大な素養になったんだろう』
とんでもない疫病神だな、ほむらの奴。まあ、本人は知らないようだし、元の世界に帰ったとしてもこのまま教えないでおこう。
ならば悪いが無視させて、僕は元の世界に戻ることだけに集中させてもらうとしよう。元々、自分の世界のことだけで精一杯なのだ。こっちの世界まで面倒は見られない。
『鏡の魔女については何か分かった?』
僕が聞くと待ってましたとばかりに、嬉しそうに報告してきた。
『うん。ちょうどさっき、この学校の校舎にそれらしきものを感じ取ったよ。案内してもいいけど……』
そこで言葉を濁したニュゥべえに僕は不思議に思いながらも続きを促した。
『どうしたの?』
『この世界のマミとまどかがその魔女の傍に居る。この世界のインキュベーターもね』
それは少し面倒くさいことになった。魔法少女の魔法を解析したようにニュゥべえが鏡の魔女の魔法を解析して模倣すれば帰れると考えていたが、もしも彼女たちが魔女を倒してしまったら、下手をすると僕らは帰れなくなる恐れがある。
次で特別編は終わらせて頂きます。出ないと後日談にいけないのでお許しください。