魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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今回はいつもの二倍ほどの長さになってしまいました。
しかし、これでも結構短くした方なんですよ?

追記

最後の本編政夫の部分少しだけ加筆しました。


特別編2 チェンジリング政夫 後編

 僕はニュゥべえと共に校舎裏のすぐ傍の校舎の端からそっと(うかが)うと、(アナザー)・巴さんと(アナザー)まどかさんが魔法少女の姿になり、姿を消した。

 恐らくは魔女の結界内に入っていたのだろう。

 僕は彼女たちが消えた場所の傍に立って、ニュゥべえに尋ねる。

 

「それにしてもあの魔女は何でこんな訳の分からないことをしたのだろうね」

 

「それは政夫とこの世界の政夫を入れ替えた事かい?」

 

 もちろん、それもある。だが、それ以上に分からないのは……。

 

「僕らを自分の結界内に連れ込まなかったことだよ」

 

 もしも、鏡の魔女の使い魔が僕を襲うためにこの世界に連れ込んだのなら結界内に直接繋げればいいだけの話だ。にも関わらず、この魔女は僕らを野放しにした。まるでこの世界に引き込むこと自体が目的のように。

 いや、もしかしたらこの世界の僕と入れ替えることが目的だったのではないだろうか。

 だが、だとするならばその理由は一体何だ?

 深く考え込もうとすると、ニュゥべえが僕を急かす。

 

「確かにそれは気になるけど、早くしないと魔女がマミたちに倒されてしまうよ」

 

「ああ、そうだね」

 

 取り合えず、この謎は置いておいて一刻も早く彼女たちの後を追わなくてはならない。

 しかし、そうなるとまた一つ問題点が生まれてしまう。

 

「あのさ、ニュゥべえ。この世界での僕のこともあるし、僕がまどかさんたちと顔を合わせたら面倒なことになると思うんだけど」

 

 A・ほむらさんがまだ魔法少女ではなく、逆に魔法少女であるA・まどかさんとは親しくしていなかったことを考えると、この世界の僕は魔法や奇跡との関わり合いがないようだ。

 そんな僕が彼女たちと鉢合わせた場合、色々と面倒くさいことになるのは馬鹿でも分かる。もしこの世界の僕が戻った時にややこしいことになる可能性もある。

 

「それについて何だけどね、実はボクにいい考えがあるんだ」

 

 首に巻かれたオレンジ色のレースのついたハンカチを揺らして、ニュゥべえは楽しげにそう言った。

 その様子は面白い試みを思いついた子供のようで僕は少しだけ嫌な予感を感じた。しかし、急ぎの用件でもあったためにニュゥべえに一任する。

 

「それじゃあ任せるけど……どんな考えなの?」

 

「それはね……」

 

 数十秒後、僕はニュゥべえに任せたことを内心で後悔しながら魔女の結界に突入するはめになる。

 しかし、同時になかなかベストの案だと思うので文句は口には出せなかった。

 ただただ、ニュゥべえの興味がおかしなところにあるということを思い知った。

 魔女の結界内に所狭しと並べられている鏡に僕の姿が映り込み、嫌というほどその姿を見せつけられる。

 その鏡面に映し出されている僕の姿は真っ白いカラーリングの特撮ヒーローのような格好だった。

 ボディはスマートながら外部にパワードスーツのような鎧を纏い、顔は頭部から婉曲を描いて垂れ下がっている先の方に輪の張り付いた角と真紅の大きな複眼が特徴的な仮面に覆われている。

 身体に付いた背中の方に付いている模様や触腕のような角の装飾などはしっかりとニュゥべえの面影が残っているのがまた何とも言えない。

 

「まさか、十四にもなってこんな格好をするとは思ってもみなかったよ……」

 

『魔法少女の格好にされるよりはマシだっただろう?』

 

 少々、げんなりとしている僕の脳内にニュゥべえの声が直接響く。

 その声は心なしか楽しんでいるように聞こえた。

 

「それはそうだけどさ……僕の身体に鎧として姿を変えるのはいいとして、何でこんなデザインなの?」

 

 ニュゥべえの言い出した「いい考え」とは、自分が鎧として僕の身を覆い、僕の姿を隠そうというものだった。

 

『この前の日曜日の朝に政夫が寝ている間にテレビを点けたら、こんな姿で戦う番組を見てね。デザインはそれを参考にさせてもらったんだ』

 

 ……一人で朝の特撮番組なんか見てたのか、ニュゥべえ。もしかして、はまったのだろうか。それはそれで何だか可愛いな。

 

「でも、それにしたってちょっと気恥ずかしいよ」

 

 幼稚園くらいの頃は見ていたとはいえ、とっくのとうに卒業したヒーロー物の格好をさせられるとどうも自分の幼児性が露出したようで羞恥が沸いてくる。

 元々、あまりそういった特撮ヒーローに憧れを抱いていなかったというのも恥ずかしさを増大させている理由の一つだ。

 

『政夫、わがままを言っては駄目だよ。これなら、政夫の顔は隠せるし、政夫の安全も完全に守れる。一石二鳥だよ』

 

「まあね。そこは素直にいい考えだと思うよ」

 

 これならばまどかさんたちに仮に出会っても正体がばれないと思う。

 しかし、だ。

 

「こんな姿のまま出て行ったら攻撃されかねないと思うんだけど」

 

『それは政夫の話術の腕の見せ所だよ。最悪、敵対したとしてもあの二人だけが相手なら負けることはないしね』

 

「それの最悪は起きてほしくないね」

 

 いくら別の世界の住人だとしても見知った顔と敵対するなんて、できれば御免(こうむ)る。

 

『それじゃ、そろそろ行こうか。まどかたちのソウルジェムの反応を辿って、彼女たちが歩いた道を通れば使い魔も倒されているはずだから』

 

「うん」

 

 白いマスクとボディを纏った自分にはまだ慣れていなかったが、ニュゥべえのナビゲート通りの道を僕は走り抜ける。

 ニュゥべえの鎧に纏われているおかげか、脚力も体力もいつもの比ではなく、難なくA・まどかさんたちへ追いつくことができた。

 A・まどかさんたちは既に最深部へと辿り着き、この結界の魔女と対面していた。

 鏡の魔女は姿見の使い魔から大体の姿は想像していたが、思った以上に巨大で不可解な姿をしていた。

 全身にさまざまな形の小さな鏡を配置したミラーボールに腕とも脚とも見分けが付かない黒い部分を生やし、天井に張り付いている。

 僕はそれを結界内のオブジェの鏡をむしり取って、少し離れた場所から反射させて見ていた。

 

『それでどうするつもりだい? 彼女たちがピンチ陥るまで待っている訳にもいかないよ?』

 

「分かってるよ。……取り合えずは素直に出て行くしかないよ」

 

 僕は覚悟を決めて、A・まどかさんたちと鏡の魔女が戦っている場所へ割って入る。

 最初に僕の存在に気付いたのは鏡の魔女――ではなく、やはりA・巴さんだった。

 ここでもベテラン魔法少女なのは変わりがないようでマスケット銃を僕の足元に何発か打ち込み、威嚇する。

 即座に攻撃しない分、理性的な対応と言えるだろう。僕ならこんな姿の奴が目の前に出てきたら迷わず撃つ自信がある。

 両手を上げて敵対の意志がないことを伝え、ニュゥべえに声質を変えてもらい話しかける。

 

「僕がもの凄く怪しい人物だというのは自分が一番よく分かっていますが、あなた方と事を構えるつもりはありません」

 

「……あなたは一体何者? 一応、使い魔じゃないみたいだけど」

 

 マスケット銃を構えたまま、僕に問う。だが、天井の鏡の魔女の方もしっかりと意識を向けているようでその戦士としてスキルはとても中学生とは思えない。

 A・まどかさんもこちらに気付いてはいるものの、A・マミさんに対応を任せ、桃色の弓矢を天井に張り付いた鏡の魔女に向けている。

 

「僕は……」

 

『政夫! 魔女の攻撃が来るよ!』

 

 自身の立ち位置をどう説明したものかと思った瞬間、ニュゥべえの声が脳に飛んでくる。

 即座に意識を切り替えて上を見上げると、鏡の一枚一枚から一瞬輝き(ほとばし)ろうとしていた。

 素人目にも予想できるほど分かりやすい範囲攻撃の合図だった。

 A・まどかさんもA・巴さんもそれを見て顔色を変える。恐らく、ここら一帯は余裕で範囲内に入るだろう。今から回避したところで逃げ場などどこにもない。

 

『ニュゥべえ! 杏子さんの防壁を! それと巴さんのリボンも!』

 

『任せて!』

 

 テレパシーでニュゥべえに再現してほしい魔法を伝え、僕はニュゥべえに生み出してもらった白いリボンを両腕から伸ばし、二人の足に巻き付け、僕の方に引っ張る。

 

「きゃっ」

 

「っ……!」

 

 鏡の魔女の攻撃動作に目を奪われていた彼女たちは抵抗する間もなく僕の足元へと引きずられてやってくる。その際にスカートの裾が(ひるがえ)って大変あられもないことになったが、僕はそれどころではなかった。

 すぐに柵のような防壁が組み上がり、魔女の放つ攻撃が周囲に広がる。

 しかし、柵状の防壁には当然ながら隙間があり、その隙間からも光線が差し込んでくるのは明白だった。

 

『ごめん! ニュゥべえ。ちょっとだけ堪えて!』

 

 故に僕はA・まどかさんとA・巴さんの二人を庇うように抱きしめ、防壁に背を向ける。

 (うめ)くようなニュゥべえの声が僅かに聞こえたが、すぐにその声は止み、安心させてくれる声が響いた。

 

『ふぅ……。この魔力も分解すれば感情エネルギーとして取り込むことが可能だったよ』

 

 降り注ぐ魔女の光はまだ止んでいないものの、ニュゥべえは持ち前の魔力を分解してエネルギーに変換する能力で攻撃を吸収し始めたようだ。

 

『ごめんね。苦しい痛みを君一人に押し付けちゃって』

 

『政夫を守れるなら、これくらいの事は何でもないよ』

 

 謝罪の言葉など要らないというように平然とそう言うニュゥべえ。

 ……本当に頼りになる僕の可愛いパートナーだよ、君は。

 光が止むと僕は抱きしめていた二人を放し、すぐに謝った。

 

「すみません。とっさのことだったので荒っぽいことをしてしまって」

 

 二人は僕の対応のせいか、ちょっと戸惑っているようだったがA・巴さんはすぐに立ち直って頭を下げてきた。

 

「いえ、助かりました。あの、あなたは私たちの敵ではないんですね」

 

「まあ、そうですね。ただあの魔女に用があってここにやって来た訳であなた方を害する気は一切ありません。信じてもらえるかは分かりませんけれど……」

 

 自分でも今一信憑性に欠けていると思うので「信じろ」とは言えなかった。

 A・巴さんもそう思っているらしく、助けてくれたことに関しては感謝をしているが、完全に信用はできないと言った様子だった。

 しかし、そこに意外にも助け舟が出た。

 

「マミさん。この人信用しても大丈夫だと思います」

 

 それはA・まどかさんだった。

 

「でも、鹿目さん」

 

「自分を犠牲にして私たちを守ってくれたんですよ? 大丈夫です」

 

 なぜか、僕のことを(えら)く信用してくれたようで彼女は僕に向けて微笑んだ。

 それが僕の世界のまどかさんと重なり、少しだけ、ほっとした気持ちにさせられた。

 

『政夫。攻撃をして魔力を消耗している今がチャンスだよ』

 

 緩みかけた気持ちがニュゥべえの一言で引き締まる。そうだ。こんなところで弛緩している暇はない。

 早く、あの魔女をニュゥべえに解析してもらって、元の世界に帰れる手立てを手に入れないと。

 

「すみません。色々言いたいことはあると思いますが今は待ってください」

 

 立ち上がって鏡の魔女を見つめる。確かにニュゥべえの言ったとおり、身体に付いている鏡には光がなく黒ずんでいて、どこかくたびれた印象があった。

 とにかく、天井に張り付かれたままでは手出しができない。

 マスケット銃を作り出して落とすかと考えていると、後ろに居たA・まどかさんが僕に聞いてきた。

 

「あの、もしかして、魔女を天井から下ろしたいんですか?」

 

「はい。あの魔女を少し調べないといけないので……。邪魔してしまった僕がこんなことを言うのは筋違いだと分かっていますが、手伝ってもらえないでしょうか?」

 

「はい! もちろんいいですよ。ね、マミさん?」

 

「ええ……それはいいのだけど……」

 

 僕をまだ怪しんでいるA・巴さんもA・まどかさんに連れられるようにして、僕の手伝いを許諾してくれた。

 振り回すような結果になってしまい、申し訳なく思いつつも僕は彼女たちの善意に甘えることにする。

 二人には鏡の魔女の脚を狙い、引き剥がしてくれるように頼んだ。

 A・まどかさんは桃色の弓を構えると、ピンクのエネルギーが矢の形状を取り、放たれる。

 矢は四本ある鏡の魔女の脚を的確に狙い撃ち、ダメージを受けた魔女は身体をぐら付かせるが、すぐに脚の先を天井に食い込ませ、安定させる。

 A・巴さんもマスケット銃をリボンから生成して、同じように脚を穿って行くが、なかなか落ちて来そうにない。

 多分、天井で再び魔力を溜めようとしているのだろう。

 だが、そうはさせない。

 

『ニュゥべえ。呉先輩のカギ爪と巴さんのリボンを組み合わせたものって作れる?』

 

『可能だよ。任せて』

 

 要望通りの品物を簡単にニュゥべえは生み出してくれた。僕はそのリボンの部分を持ち、上部のカギ爪部分に遠心力がこもるように振り回す。

 十分勢いがついたところでそれを鏡の魔女目掛けて天井の方へ放った。

 カギ爪の切っ先は鏡の魔女の丸い身体に突き刺さる。

 

「ギギギィ――」

 

 鏡の魔女は痛むのか、どこから発声しているのかも分からない奇妙な声を漏らす。

 リボンを軽く二三度引き、深々と突き刺さった手応えを感じると、A・まどかさんたちの攻撃が脚に当たり巨体を揺らした瞬間を狙い、躊躇(ちゅうちょ)なく引っ張った。

 奇妙な鳴き声を発しながら、鏡の魔女は僕らの居る地面へと落ちて来る。

 

「よし!」

 

 ぐっと軽くガッツポーズをすると、A・まどかさんは少しだけ引いたように「容赦ないんですね」と苦笑いしていた。

 逃げようともがく、鏡の魔女をリボンを手繰り寄せて、逃亡を阻止する。

 

『政夫。魔女の身体の体内を調べる必要がある。手を魔女の中に入れてみて』

 

『え!? どうやって?』

 

『抉り込むようなパンチで』

 

『……実際に抉り込むんだね。分かったよ』

 

 言われたとおり、鏡の魔女の身体に思い切り拳をめり込ませた。腕力も相当上がっていたようで簡単に僕の拳は魔女の外殻を突き破る。

 全ての表面の鏡が一斉に割れ、一際大きな絶叫を上げる魔女の内側に腕を突き入れていく。ビクビクと痙攣している魔女の脚を見ていると何と残酷なことをしているんだと嫌な気分になった。

 後ろで魔法少女の二人が「うわー……」とは「あそこまでやるなんて……」と非道な人間を見る目で見てくるのが辛かった。

 

『……なるほど。こういう原理でボクらはこの世界に来たのか』

 

『元の世界への帰り方が分かったの!?』

 

『うん。この魔女の使い魔は同列の並行界世界を繋げて、並行世界上の同一個体を入れ替わらせるようにしているみたいだね』

 

『何のために?』

 

『そこまでは分からないよ。何かしらの目的はあると思うけどね』

 

 目的……?

 魔女の体内から腕を引き抜いた僕は、結界に入る前に考えていた思考を再び持ってくる。

 並行世界の同一存在を入れ替えることでこの魔女が一体何を得するというのだろう?

 こちら側に居る僕らには何もして来なかったというのに……。

 そこで僕はある一つの仮定を考えた。

 目的はこちら側に引き込んだ僕ではなく、向こう側に行ったこの世界の僕なのではないか。

 そう思った瞬間、ふとあることに気が付いた。

 それをニュゥべえに尋ねる。

 

『ねえ、ニュゥべえ……『僕らを入れ替えたあの使い魔』はどこに行ったか分かる?』

 

『分からないよ。だってもうあの場には居なかったんだから』

 

 こちらには居ないということは元の僕の世界の方――即ち、この世界の僕の方に行ったということ。

 理解した。この魔女の魔女の目的が何であるのかを。

 ――タンポポの綿毛。いや、寄生蜂の方が近いか。

 この鏡の魔女は自分の使い魔を並行世界に飛ばしたのだ。()と共に。

 『入れ替える』というの恐らくは副次的な効果だろう。

 この魔女の真の目的は……並行世界という新天地に使い魔を飛ばし、そこで魔女に育てあげること。

 だったら、今危険なのは……。

 

「向こう世界に居る『僕』だ」

 

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 どこにも居ない。

 愛する彼女がどこにも居ない。

 彼女と過ごした場所は全て回った。

 

 一緒に遊んだゲームセンター。

 病院生活の長かった彼女ははしゃいでいたのをよく覚えている。僕がクレーゲームで取ったぬいぐるみを宝物にすると笑ってくれた。 

 一緒に映画を見た映画館。

 恋愛映画のキスシーンで恥ずかしくなりながらも、暗がりの中でキスをした時は心が躍った。

 一緒に行ったファッションショップ。

 お小遣いを溜めて、彼女がショーウィンドウから見ていたワンピースをプレゼントした。

 一緒に食事したファミリーレストラン。

 ハンバーグが大好物だと話したら、上手になったら食べさせてくれると約束してくれた。

 他にも彼女と過ごした場所をひたすら回った。

 もしかしたら、彼女がそこに居るかもしれないと願いを込めて。

 でも、彼女の姿は影も形もなかった。

 まるで最初からそんな人間なんて居なかったかのように。

 

「どうして……どうしてどこにも居ないんだよ……」

 

 最後に彼女と過ごした公園に来て、崩れ落ちるように膝を付いた。

 夕暮れ時の公園には人影はなく、赤い陽の光が遊具を照らしている。

 その綺麗な光があまりにも僕の今の心情とかけ離れていて、現実感を損なわせていた。

 

「ほむらさん……ほむらさん……」

 

 会いたい。僕を好きだと言ってくれたあの女の子に。

 幸せを教えてくれた彼女に。

 今感じている途方もない絶望感を拭い去ってほしい。

 涙で滲んでくる網膜に彼女の笑顔を映したい。

 

「……政夫」

 

「ほむら、さ……」

 

 ほむらさんと似た声色に僕は首を大きく振り返えらせてた。

 そして、ほむらさんとは似ても似つかない忌々しい女が視界に入ってきた。

 一瞬でもほむらさんと間違えてしまった自分を殺してやりたくなった。

 そこに居たのは長い黒髪のあの自称暁美ほむらだった。

 

「お前は何なんだよ。僕を苦しめてそんなに楽しいのか!?」

 

 立ち上がって、そいつの前へ行き、襟首を右手で掴む。

 冷たい印象のするその整った顔は悲しげに歪んでおり、ほむらさんと同じアメジストのような紫色の瞳には僕が映っていた。

 

「政夫……。貴方がどうしてそうなったのか分からない。でも、私は……私は暁美ほむら。貴方の恋人よ」

 

「まだ言うのかああああぁぁぁぁ――!!」

 

 熱された憎悪が僕の理性を焼き切ろうとする。強烈な殺意が心臓を突き破り這い出てくるような錯覚がした。

 胸の奥に今まで潜んでいた感情が体温に変わったかのように、身体中が熱くなる。左手で自分の学ランのボタンを乱暴に引きちぎるようにして外す。

 

「貴方、その首……魔女の口付け!」

 

 僕を見て訳の分からない単語を口に出し、自称暁美はいつの間にか持っていた楕円形の紫色の宝石を取り出した。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。

 殺したい。目の前に居る僕の恋人を名乗るおぞましい女を今すぐにでも殺してやりたい。

 激しい衝動に突き動かされるようにして、自分の中の理性の紐が切れ、(たが)が外れた。

 力が入りすぎて白くうっ血した右手が襟首から細い首筋へと移動する。左手もそれに沿うように首へと伸びた。

 そして――。

 

「ぐっ……ま、ざ……」

 

 絞めた。

 憎悪と殺意とそれから堪えきれない絶望感を込めて首を絞めた。

 ぽろりとそいつの手から宝石がこぼれ落ちて公園の地面を転がる。

 

「返してよ。お願いだから僕のほむらさんを返してくれよ……!」

 

 涙を流しながら、血が出るほどを下唇を噛み締めて、僕の愛する彼女を冒涜し続ける女を殺そうとする。

 両腕には力が入りすぎて痛みを発したがそれすらもどうでもよかった。目の前のこの絶対に許せない存在さえ消すことができればきっと本物のほむらさんは帰ってくる。

 ミシミシと音を立てて絞まっていく首を見ながら思った。

 きっとそうに違いない。なぜなら、こいつが現れてから本物のほむらさんが居なくなったのだ。

 苦しそうに顔を苦悶に染め、汚らしい涎と涙を流している偽者。

 この偽者が諸悪の根源。この女が害悪。許されない汚物。

 こいつさえ消えてくれれば……。

 

「止めなさい! 夕田君!」

 

 声と共に黄色いリボンが僕の身体に巻き付き、手や足を縛り上げていく。

 反応さえする暇もなく、あっという間に雁字搦めに拘束された。

 リボンのせいで首から手が離れ、地面をものように転がる偽者。

 ああ。駄目だ。もう少しで消せたのに。

 

「暁美さん、大丈夫?」

 

 現れたのは黄色いロール髪の女だった。髪と同じ黄色い衣装を身に纏っている。

 こいつも偽者をほむらさんの名で呼ぶのか。どれだけ彼女を愚弄すれば気が済むのだ。

 この女は敵だ。彼女を汚し、偽者で彼女の存在を塗り潰そうとしている魔女だ。

 黄色い女は偽者を抱き起こし、落ちていた紫色の宝石を握らせると僕を見た。

 

「魔女の口付け!? それもこんな大量に……」

 

「ごほっ……政夫は今、魔女の口付けのせいで正気じゃないわ。どうにかしないと」

 

 (むせ)ながら立ち上がる偽者はふざけたことを口にする。

 僕は正気だ。この殺意は正当なものだ。愛するほむらさんを助けるための正当な殺意だ。

 でも、身体が動かないせいで殺せない。こんなにも殺したいのに。

 今すぐにでも亡き者にしたいのに。

 どろりと胸の中から熱気を持った殺意が口から吐き出される。

 

「ぁ、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 殺意が音になり、それが実体を持って収束した。

 まるでそれはディスコにあるミラーボールのようなものに数本の脚を生やしたような不恰好な異形。

 だが、これは僕の殺意に応じて出てきたものであることが分かった。

 空間が歪み、夕焼けに照らされた公園から鏡のオブジェが所狭しと並ぶ、おかしな場所へと変化する。

 

「そんな魔女が夕田君の中に潜んでいたなんて!」

 

 黄色い女が何かを叫ぶ。だが、どうでもいい。殺さなくてはならないのは一人だけだ。

 鏡の破片が津波のように雪崩(なだ)れ込み、黄色い女と偽者を分断する。破片は僕の方にも飛び散り、縛っていたリボンをシャツや皮膚ごと切り裂いた。

 血は少し出たが、痛みは感じられなかった。殺意で頭が一杯になっているせいだろう。

 

「政夫!!」

 

「僕の名前を呼ぶな! 偽者!」

 

 見れば偽者はいつの間にか見滝原中の制服から薄紫の衣装に変わっていた。鏡の津波に巻き込まれて死んでいればいいものを。

 

「ミラーボール! 早くあの偽者を殺せ!」

 

 僕がそう叫ぶと、ミラーボールの化け物はその身体に付いた鏡面を輝かせ、始めた。

 恐らくは光線のようなものを撃ち出してくれるのだろう。

 そうだ。それでいい。あんな偽者は鏡にも映してはいけない。汚らわしい。

 光が大きくなり、攻撃の予兆を感じた。

 偽者との間の距離は十五メートルといったところだ。もう逃げられないだろう。

 元より逃げ場なんて存在しないが。

 そう思い、嘲笑を浮かべた瞬間に偽者は僕のすぐ前に来て、あろうことか僕の手を握っていた。

 

「政夫! 早く逃げないとここも魔女の攻撃で危険よ!」

 

「なっ、何でお前がここに」

 

 あの一瞬で瞬間移動でもしたのか。だが、驚愕したのは僅かな間だけだった。

 すぐに偽者が自分の手に触れている嫌悪感が思考を支配し、振り払うように蹴りを入れた。

 

「離せ! 僕に触れるな、偽者!」

 

 けれど、偽者は頑として僕の手を離そうとしない。それどころがより強く僕の手を握ってくる。

 クソッ、ミラーボールの奴は何をしているんだ!

 苛立ってそちらを見るとまるで時が止まったように微動だにせずに止まっていた。

 

「今、私から手を離したら時が動き出して貴方も魔女の攻撃に巻き込まれて死んでしまうわ!」

 

「うるさい! お前みたいな奴に触れられているくらいなら死んだ方がマシだ!」

 

 僕の台詞に傷付いたように唇を噛むも、それでも偽者は譲らない。

 

「政夫が私を嫌いになってもいい。それでも、貴方には死んでほしくないわ」

 

 僕の目を見つめる偽者の……自称暁美ほむらの眼差しが僕の恋人のほむらさんと重なった。

 その僅かな隙に足と背中に腕を回され、身体を抱き上げられて、その場から連れ去られてしまった。

 

「な、にを離せ!」

 

「離さないわ。絶対に離さない」

 

 必死で歯を食い縛って走り、そう呟く自称暁美ほむらは、僕の知るほむらさんとはまったく違うにも関わらず、ほんの少しだけ見蕩れてしまった。

 しばらく走って進んだ後、自称暁美ほむらは手首に付いた円盤のような楯を見て、顔を歪める。

 

「駄目っ、もう時間が……!」

 

 カチリ、と小さな音が響いたかと思うと、強烈な光が自称暁美ほむらの後ろからやって来る。

 僕は自称暁美ほむらの腕を振り払って、飛び出した。

 眩いあの光から彼女を守るように。

 

「!」

 

 無意識での行動だった。考えてやったことではない。

 本当に自分でも分からないが、ただ当たり前のように彼女を守らなくてはいけないと、そう思ったのだ。

 僕の愛するほむらさんとは似ても似つかない自称暁美ほむらのことを。

 

 光が僕を焼き尽くそうと迫るその時に、目の前に白く縁取られた一枚の姿見が現れた。

 そこには白いマスコットを抱いた僕が映っている。

 今日の朝に見た鏡の中の『僕』と同じだった。

 その『僕』が手を伸ばしてきた。僕の手もそれに引き合うように手を出す。

 そして――。

 

 

 

 

 ********

 

 

 

『ニュゥべえ!』

 

 僕が声に出さずに心の内で叫ぶと、瞬時に僕の身体を真っ白の鎧が覆う。

 そして、煌々(こうこう)と輝きを放つこちら(・・・)の世界の鏡の魔女の攻撃を真正面からその身に浴びる。

 ニュゥべえは呻くこともなく、全てを光をむしろ飲み込もうとするように吸収していく。

 

『日に二度も魔女の魔力を吸うなんて思いもよらなかったよ』

 

 誰に似たのか減らず口を叩きながら、魔女の攻撃を吸収しきったニュゥべえは僕の頭に声を響かせた。

 

「え……政夫?」

 

 振り向くとほむらが膝を突いてこちらを見上げていた。

 ニュゥべえに頼み、僕はマスクの部分だけ装甲を解除してもらう。

 

「政夫ですよ」

 

「……何よ。その格好は……」

 

 なぜだか泣きそうな顔で僕の格好に突っ込む。僕の格好が泣けるほど似合わなかったとかではなく、どうやら僕が来る前に泣きたくなることがあったようだ。

 衣装の端々から小さな傷跡がいくつも見られた。すうっと胸の中に怒りが込み上げてくる。

 マスクの装甲をを閉じて、鏡の魔女へと向き直る。

 あと一歩遅かったら、ほむらや向こうの世界の僕は消し炭にされていただろう。

 

「ニュゥべえ……一番威力の高そうな武器って何かな?」

 

『慣れない武器を使うより、魔女の攻撃から得たエネルギーを今の政夫を覆っているボクの鎧の一部に集中された方が威力が出ると思うよ』

 

「そっか。じゃあ……足で!!」

 

 その場で思い切り走り出し、壁に張り付いている鏡の魔女の元へと駆け寄って行く。

 助走を付け、加速。

 さらに加速。

 加速。

 そして、最高速のスピードを乗せたまますぐ傍まで寄って行き、跳ね飛んだ。

 勢いを殺さないまま、右足に集中したエネルギーを鏡の魔女に向ける。

 鏡の破片が魔女を守るように巻き上がるが、そんな小賢しいものは壁にすらなり得なかった。

 最大限まで上げた蹴りは軽々と鏡の破片の防壁を意図も容易く突き破り、そして、その下に守られていた鏡の魔女の丸い巨体に抉り込まれた。

 奇しくもそれは見た目通りの由所正しき特撮ヒーローのようでもあった。

 しかし、僕の頭は正義なんて小奇麗なものではなく、大切な恋人を害そうとした存在に対する私的な怒りだった。

 僕の右足は魔女の胴体を貫通させて、結界の壁すらもぶち抜いていく。

 悲鳴も上げる暇さえなく魔女は砕け散った。

 連動するように結界内の鏡は一つずつ割れて行き、空間さえも砕けるように消えていった。

 結界の外は街灯の明かりと噴水に付属した数色のライトだけが照らす夜の公園だった。

 それを見届けると、ニュゥべえは鎧から元のマスコットの姿に戻り、僕の肩にひょいっと乗る。

 一応、グリーフシードが落ちていないか探すが、やはり使い魔から成長したものであるため、グリーフシードは持っていなかったようでどこにもない。

 

「政夫」

 

 振り向くとほむらと、その少し後ろに巴さんが立っていた。

 

「私が……誰だか分かる?」

 

 ほむらは震える声で僕にそう尋ねる。

 具体的に何があったのかは理解できないので、その問いの意味はよく分からなかったが、僕は笑顔でこう答えた。

 

「ほむらさんだよ。僕の恋人の」

 

「政夫っ!!」

 

 感極まったように瞳から大粒の涙を流しながら、ほむらは僕に抱きついてくる。学ランを涙で濡らして胸板に頬擦りする彼女に少し戸惑ったが、優しく頭を撫でてあげることにした。

 

「政夫、政夫、政夫政夫政夫!」

 

「あの、大丈夫? ほむらさん」

 

 幼子のように縋り付き、僕の名前を連呼するほむらが心配になって尋ねると、ほむらは顔を上げた。

 

「もっと……」

 

「え?」

 

「もっと呼んで……『ほむら』って」

 

「ほむらさん、ほむらさん、ほむらさん。……これでいいの?」

 

「もっと……続けて何度も何度も呼んでほしいの。百回でも二百回でも」

 

「格ゲーのラッシュ音みたくなるよ!?」

 

 頭の中で『オラオラ』とか『無駄無駄』みたいな感じでほむらの名前を呼ぶ自分を想像する。

 ……凄いシュールだ。

 

「政夫……」

 

「分かった、分かったよ」

 

 捨てられた子犬の目で見つめるほむらに耐えられず、僕はラッシュ音ばりに連続でほむらの名前を夜の公園で唱えるはめになった。

 傍に居る巴さんやは微笑ましそうにそれを見ているばかりで助けてくれない。ニュゥべえもやれやれと呆れるだった。

 その後、僕のことを探し回っていたらしいその他メンバーに、よく分からない理由で責めたてられて、最終的には土下座を強要された。

 あまりにも不条理なので、理由を教えてほしい頼んだところ、「口答えするな」とばかりに美樹とまどかさんに一発ずつ引っ叩かれた。

 威力的には美樹の方が上だったが、精神的ダメージでいえばまどかさんに叩かれたのが効いた。

 ほむらと巴さんがあの時の政夫は「魔女の口付け」のせいで正気を失っていたから許してあげてほしいと、僕にもよく解らない弁明をしてくれたおかげでそれ以上の追撃はなく、叩いた二人はちゃんと感情に任せて手をあげたことについては謝ってくれたが、結局向こうの世界の僕が何をしたかは彼女たち内でのタブーになっているようで誰も教えてくれなかった。

 ニュゥべえが僕が入れ替わったことを説明しようとしてくれたが、この話題を掘り返すことも嫌なようでまともに聞いてくれなかった。推測だが、皆余程あちらの僕のせいで傷付いたのだろう。僕は彼女たちのことを気遣い、この話はここで終わらせた。

 

 しかし、このせいで翌日、クラスで志筑さんにほむらに謝るよう再び、公開土下座させられたのは言うまでもない余談だ。

 

「一体僕が何をしたって言うんだああぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫する僕に答えてくれる者は一人も居なかった。

 

 

 

 *******

 

 

「あれ? ここは……」

 

 僕は気付くとうつ伏せで倒れるように寝転んでいた。起き上がって周りを確かめる。

 するとそこは見慣れた見滝原中学校の校舎裏だった。

 何が起きたのか思い出すために記憶の中を探る。確か、僕はほむらさんの居ない世界に放り出されて……。

 

「そうだ。ほむらさん。ほむらさんはどこだ!」

 

「私がどうかしたの?」

 

「え?」

 

 振り返るとそこにはずっと会いたかった彼女が立っていた。

 じんわりと涙が滲む。

 

「言われたとおりに一人で家に帰ろうかと思ったけど、やっぱり政夫くんの用事が終わるまで待って一緒に帰ろうって思って……って、何で泣いてるの?」

 

 突然僕が泣き出したことに戸惑っているほむらさんに僕は無我夢中で抱きついた。

 良かった。本当に良かった。

 

「政夫くん、どうしたの!?」

 

「何でもないんだ。ただちょっと怖い夢を見て」

 

「こんなところで寝ているからだよ。もう」

 

 そう言って怒ったようにしながら僕を抱きしめ返してくれるほむらさん。

 彼女の温もりがそれだけ大切なものかを改めて認識させられた。

 僕は彼女を絶対に手放さないと心に誓う。

 

「ほむらさん。大好きだよ」

 

「……私もだよ。政夫くん」

 




if世界の政夫も無事に愛する恋人のほむらの元に帰る事ができました。
彼の凶行は少し目に余るところがありましたが、根本的な原因は使い魔に取り憑かれ、凄まじい濃度の魔女の口付けを受けて精神が暴走状態にあったので、仕方ない事だったのです。許してやってください。
本体の魔女が倒された事により、if世界の政夫も正気に戻ったため、向こうでは「変な夢を見た」程度の認識になっていると思います。

今後のif世界の話ですが、きっとワルプルギスの夜はまどかとマミさんが命を引き換えにして倒してくれるので、犠牲は最小限になると思います。

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