魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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時系列的にはおりこ☆マギカ編のすぐ後くらいのお話です。


番外編 衝撃と驚愕

 あり得ない。そんな訳がない。脳みそが聞かされた内容を全力で否定する。

 奥歯が噛みあわず、がちがちと不協和音を奏でる。目はこれでもかというほど見開かれ、部屋の空気に触れていた。

 

「嘘……だ。そんなこと、あり得るはずがない……」

 

 か細く漏れた僕の呟きは静まり返った空間に響いた。

 同じ部屋に居た織莉子姉さんも、巴さんも僕と同様の反応で、この部屋に居るもう一人の人物を見つめ、驚愕の表情をこれでもかと晒している。

 衝撃を受けた僕らの視線を一身に受け止めるその少女、暁美ほむらは俯き、肩を震わせていた。前髪が彼女の顔をカーテンの如く隠し、どのような面相を呈しているのか分からない。

 女の子座りをする暁美の膝に置かれた手が拳の形をしている様子から察するに決して笑っている訳ではないことだけははっきりと読み取れた。

 

 *

 

 それは数十分前の巴さんの一言から始まったことだった。

 僕たちは一度争った織莉子姉さんと暁美の二人の仲を良好にするため、巴さんの家で小さな交流会をすることにしていた。

 三角形のテーブルの周りをぐるりと四人で囲み、巴さんの淹れてくれた紅茶などを啜りながらのちょっとしたお茶会。

 いきなり全員を一同に介するのはまだ難しいということで、今回はまずもっとも因縁のある暁美と織莉子姉さん、そして一番年長者にしてリーダー的ポジションとして巴さん、そして、門外顧問として僕が抜擢された。

 最初は皆、何を話せばいいのか分からなかったようだが、僕が合間合間に話題を提示するとそれなりに会話が弾み、場の雰囲気は温かくなっていく。それに少し安心しつつ、僕は発言を控え、彼女たちのお喋りを聞いていた。

 そんな時、巴さんは何気なくこう言った。

 

「美国さんも随分胸が大きいみたいだけれど、ブラのサイズっていくつくらいなの?」

 

 もしも、普段だったら女子特有のデリケートな発言に僅かに苦笑いをして、巴さんに「男もここに居るんですよ?」なんて軽く冗談めかして(たしな)めていただろう。

 だが、今回はそういう訳にはいかなかった。

 巴さんの服の袖をテーブルの下で引っ張り、彼女に小声で耳打ちをする。

 

「……巴さん。ちょっと今のは酷すぎますよ」

 

「……? どういう意味?」

 

 僕の言葉に怪訝そうに小首を傾げる巴さん。駄目だ。この人、今の発言の意味が分かっていない。

 僕はできるだけ小さく声を絞り、他の二人に聞こえないように喋る。

 

「……ここにはほむらさんも居るんですよ? それなのに、その、ブラの話をするなんて……母親の居ない人の前で、母の日のカーネーションの話をするような残酷な行為です」

 

 この話は経験談だ。前の中学で友達が、母の日に自分の母親にカーネーションを贈るか贈らないかで話していた時、既に母親が他界している僕は酷く疎外感を感じたことを今も覚えている。

 持てる人は持たざる人の気持ちを考えていない。何気ない話題が持たざる人を傷付けてしまうことは意外とよくあるのだ。

 僕がそこまで言ったところで、巴さんは暁美の貧相な胸元を一瞥して、やっと自分の犯した非道な行為に気付いたらしく、表情を歪めた。

 口元を押さえ、己の発言の罪深さに心の底から打ちひしがれる。

 

「……ご、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」

 

「……僕に謝っても無意味ですよ。ここは自然な感じに話を変えましょう。僕が協力しますから」

 

「――聞こえてるわ、二人とも」

 

 怒り、否殺意を湛えた声色で暁美はそう呟いた。

 珍しいことに明確に頬の端を引きつらせた笑みにも似た怒りの形相を浮かべている。

 ……思った以上に暁美の耳は精度がよかったらようだ。

 巴さんも僕と顔を見合わせ、慌てて取り繕う。

 

「ご、ごめんさいね、暁美さん。わざと言った訳じゃないの。あなたを傷付けるとは思わなかったから……」

 

 それに同調して僕も大げさに頷いた。

 

「そ、そうだよ。別に巴さんは、暁美さんを(あげつら)うような意図はなかったんだ。……ただちょっと間が悪かったんだ、間が」

 

 暁美の心を気遣いながら、巴さんを擁護する。織莉子姉さんも何も言わなかったが、暁美の方を向いて哀れみのこもった目を向けている。

 小刻みに肩をわなわなと震わしながら暁美は宥める僕らにこう叫んだ。

 

「私だってブラくらいしているわっ!!」

 

 その瞬間空気を(つんざ)く怒声が彼女の口から(ほとばし)る。

 到底信じがたい内容に暁美を除く全員は時が止まったかのように硬直した。今し方耳にした発言が理解を拒み、思考の自由を奪い取る。

 こうして話は冒頭へと舞い戻る。

 

**

 

「さっきから黙って聞いていれば、言いたい放題言ってくれるわね……」 

 

 ゆらりと顔を上げる暁美は屈辱のあまり、顔を歪んだ笑みの形に固定して僕を睨む。

 口元はこれでもかというほど笑っているのに目は細まっておらず、鋭い眼光を放っている。

 怖い。相当怖い顔だ。元々顔立ちが整っているせいで、暁美の目の笑っていない笑顔は凄絶な迫力を物語っていた。

 

「あり得ないですって? 私がブラをしている事がそんなにおかしいっていうの……?」

 

「いやさ、だって」 

 

 今まで見たことのない形相で逆上している暁美だったが、己の発言に何ら間違いはないと確信している僕はきっぱりと答える。

 

「それはいくら何でも無意味過ぎるよ。永久脱毛したスキンヘッドの人がヘアコンディショナーを使うようなものだよ?」

 

 女性らしい起伏のない更地のような暁美の胸元を見てそう言った。

 豊かな胸を持つ巴さんや織莉子姉さんに挟まれているせいで、彼女のその貧相なバストはその平坦さが強調され、格差社会をまざまざと描いている。

 それは胸というにはあまりにも小さ過ぎた。小さく、平たく、なだらかく、そして水平過ぎた。正に絶壁だった。

 どう考えても、これにブラなど不必要だ。猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏に並ぶ(ことわざ)として、『暁美にブラ』というのができてしまいそうなくらいだ。

 正直に言って、聞いていてここまで切なくなる話はそうそう有りはしない。

 僕の発言の後を次いで織莉子姉さんも喋る。

 

「そうね。流石にその大きさならまだブラジャーは必要ないと思うわ。トップとアンダーの差がなさ過ぎるもの」

 

 自分の胸と見比べて、座っている暁美の肩の辺りから腰までに視線を這わせる。同情的というよりは客観的な意見をオブラートに包まず、正確に口にしたという感じだ。

 

「見栄を張る必要はないのよ、暁美さん。こういうものは身体付きにメリハリが付いてから着ければいいんだから」

 

 優しく諭すように巴さんは暁美の肩に手を乗せる。

 慈愛に満ちたその表情は、大人が背伸びをして無理をする幼児に対して向ける類のものだった。

 

「……そう。貴方たちはそこまで私を虚仮(こけ)にしたいのね……」

 

「いやだから、虚仮にしたいとかじゃなくて、事実としてね」

 

 懇切丁寧に語って聞かせようとしたところ、遂に暁美は堪忍袋の緒を切らして、正面にあった三角形の背の低いテーブルを拳で叩いた。

 

「それが馬鹿にしているって言ってるのよ! いい? 私は! ブラを! 着用しているの!! それが事実よ!」

 

「う、うん。わ、分かったよ。シュレーディンガーの猫の理論でいくと観測できないものの確率は重なり合っている訳だから……ほむらさんがブラを着けている確率と着けていない確率は五十パーセントずつある。つまり、ほむらさんは五十パーセントブラを着けている。これでいいね?」

 

 僕の中で可能な限り譲歩して、暁美がブラをしている確率を認めてあげた。

 これで取り合えず、満足して引き下がってくれるだろうと期待していたが、満足どころか更に彼女は激昂して喚く。

 

「いい訳ないでしょう!? 五十パーセントってどういう事よ!? 私はちゃんと百パーセントブラを着けているわよ!!」

 

 僕はいつにない暁美の剣幕を見て、悲しくなってくる。どうしてこの子は真実を捻じ曲げようとするのだろう。それによって傷付くのはこいつの方だと言うのに。

 無意味な見栄は返って、自分を貶めることに繋がる。なぜそれが分からないんだ?

 

「ほむらさん……。どうしてそうやって自分を(いじ)めるの? いいじゃないか、半分の確率でブラを着けていることを認めているんだよ? ここで良しとしておくのが賢い落としどころじゃないのかな?」

 

「今、私を虐めているのは紛れもなく貴方たちよ!」

 

 半分、泣きそうな顔で暁美は叫ぶ。ここまで見っともなく、取り乱した暁美を見るのは初めてだ。

 まったくもって訳が分からない。一体、何がそこまで彼女を駆り立てているのだろうか。

 

「落ち着きなよ、ほむらさん。君らしくないよ? ほら、深呼吸深呼吸」

 

 叫び過ぎたせいで軽く酸欠状態になり、暁美はぜいぜいと荒い息を吐いた。

 巴さんと織莉子姉さんはそんな彼女の顔を困ったものを見る目で見つめている。

 ようやく、少し落ち着きを取り戻した暁美はぽつりと低いトーンで言葉を紡いだ。

 

「……いいわ。貴方がその気なら、証明してあげる」

 

 そして、据わった目で見滝原中学校指定のクリーム色のセーターを脱ぎ始める。

 

「私がブラをしている事をその目でよく確かめなさい!」

 

 セーターを自分の後ろに放ると、その下にあった真っ白いブラウスのボタンに指を掛け、一つ一つ外していく。

 

「きゃあああああああああああああああああああ! いきなり脱ぎ始めたよ、この人! 誰か誰かとめて!!」

 

 唐突にストリップを始めた暁美について行けず、僕は顔を手で隠して絶叫した。

 すぐに傍にした巴さんと織莉子姉さんが、狂った痴女と化した暁美の暴走を途中で止めてくれたことで事態は最悪の状況を回避することができたものの、場の空気はすでに混沌となっていた。

 

「離しなさい! この失礼な男に私がちゃんとブラを着けていることを見せ付けてやるのよ!」

 

「お、落ち着いて、暁美さん」

 

「こら! まー君の前で変態的行為に及ぶのはやめなさい!!」

 

「きゃああああああああああああああああ!! このストリッパー女子中学生を何とかして!!」

 

 小一時間ほどこのおかしな状況が続き、初めての交流会は散々な結末に終わった。

 しかし、織莉子姉さんはこの交流会の後、暁美に対する見識を改めて、苦手意識がなくなり、それなりに付き合って行くことができそうだと語ってくれた。

 姉さん曰く、「おかしな子だけれど、もう対立する気は起きない」とのこと。あのアホみたいな行動を見た後には、真面目に戦うことなどできないだろう。気持ちは分かる。

 とにかくこうして、織莉子姉さんと暁美の溝は見事埋めることができたのでよしとしておこう。暁美がブラをしているかどうかなど些細なことでしかない。

 ひょっとすると、これを狙って暁美はあえて道化を演じてくれたのかもしれない。視野が狭い帰来(きらい)はあるが聡い彼女ならあり得ない話でもないだろう。

 

「待ちなさい、政夫! 私はちゃんとブラを着用しているわ!! ほら、見なさい!」

 

「暁美さん、落ち着いて! 私の家からはだけた格好のまま、出て行こうとしないで! ご近所さんの間で噂になっちゃうから!!」

 

 ……うん。そういうことにしておこう。

 巴さんに取り押さえられて、ずるずると家の中に引きずり込まれていく痴女の喚き声を聞きながら、僕は織莉子姉さんと共に巴さんの住むマンションを後にした。

 




ほむらの扱いが完全に敵のようになっているため、番外編でコミカルな彼女を描きました。
政夫もほむらに対して、多少失礼なくらいがちょうどいいのでしょうね。

これににて、今年の更新を終了します。
どうでもいいことですが、この話が通算150話目になりますね。何だかちょっとおめでたいです。

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